タマムシ大学内にある一室で、アキラは目の前の机に広げられている複数の紙を読んでいた。
記載されている内容を頭の中でしっかりと理解して、手順通りに手に持ったボールペンで空欄を埋めていき、最後に自らの名前を記した。
「これでよろしいでしょうか?」
記入した紙を渡すと、隣に立っていたエリカは受け取った紙に記された内容に目を通す。
「問題無いです。これでヨーギラスは、正式に貴方のポケモンとして認められましたわ」
用意された書類の内容に問題が無い事を確認したエリカは、微笑みながらアキラに告げる。
アキラ達がヨーギラスと再会して半年以上過ぎたが、ヨーギラスの選択は自分達に付いて行くだった。
今まで連れ回していたのは諸事情による保護扱いだったが、これでヨーギラスを自分の手持ちポケモンとして堂々と連れ歩くことが公的に許された。ちなみに彼らは今モンスターボールの中では無くて、大学の敷地内で待っているので早く行かなければならない。
何より今回は――
「では……部屋の外で待っているシジマ先生にも話が終わったことを伝えてきます」
「わかりました」
一言伝え、アキラは少し急ぎ気味で座っていた席から立ち上がる。
今回はヨーギラスを手持ちに加える書類に記入するだけでなく、アキラが師事しているシジマがジョウト地方から来ているのだ。自分の用事が済んだからには早く伝えなければならない。
「今回の手続きなどの準備をして頂き、ありがとうございます」
「気にしなくても大丈夫ですよ。何時もアキラには助けられていますから」
部屋を出る前にアキラはエリカにお礼を伝える。自分はこれで席を外すが、保護者であるヒラタ博士同様に彼女にはお世話になってばかりだ。
だからこそ、彼女の言う様にアキラは博士を通じてタマムシ大学関係で力になれることには可能な限りの協力をしている。
「そういえば、タカさん達がアキラに会いたがっていましたわ」
「失礼します」
エリカの話を聞き終える前にアキラは瞬く間に無心になって足早くに部屋から出る。四天王との戦いを機にタマムシの自警団の一員みたいな扱いになっているらしいが、今は愉快な暴走族と関わっている暇は無い。
「――先生、自分の用事は済みました」
「そうか」
部屋の外に出たアキラは、待っていたシジマに自分のことが終わったことを伝える。
今のシジマは普段の着込んだ胴着姿では無くて、スーツにネクタイなどといったしっかりとした服装だ。
実は道着姿だけでなく上半身裸に近い格好ばかり見てきたので、こうした正装姿を見るのはアキラの中では新鮮だったりする。
「では先生、自分はこれから友達とのリベンジマッチを挑んできます」
「おう。しっかりやってこいよ」
「勿論です」
若干体を強張らせながら告げると、アキラはそのままその場から去っていく。
そんな彼の後ろ姿を見ながら、彼の姿が見えなくなったタイミングでシジマはさっきアキラが出て来た部屋をノックする。
「どうぞ」
「失礼する」
一言伝えてからシジマが中に入ると、エリカは最西からやって来たジムリーダーを出迎えた。
「初めましてタンバジム・ジムリーダーのシジマさん。私はこのタマムシシティでジムリーダーを務めているエリカです」
「こちらこそ初めまして」
最初に軽い自己紹介と挨拶を二人は交わす。
カントー地方とジョウト地方、近年は交通網が発展したお陰で昔より交流する機会は増えていたが、それでも両地方を分断するかの様にそびえ立つシロガネ山の存在で今も交流は少ない。
その為、こうして異なる地方である程度の地位を持つ者同士が話し合いの場を設けることは珍しかった。
それからシジマは、エリカに促されるままに用意されているソファーに座る。
「この度は私のご希望で、この様な話の場を設けて頂き感謝します」
「いえいえ、こちらこそ」
二人の挨拶が程々に済んだ時、またしても部屋にノックがされる。
シジマは怪しむが、エリカが入る様に促すと今度は白衣を着た黒髪に白髪混じりが目立つ人物が入って来た。
「彼は…」
「ご紹介します。この方は私と同じくタマムシ大学で教鞭を執り、アキラの保護者でもあるヒラタ先生です」
シジマの疑問に答える形でエリカはヒラタ博士のことを紹介する。
彼女の紹介を聞き、シジマは得心がいく。
「初めまして、アキラ君の保護者であるヒラタです」
「アキラを指導しています。タンバジム・ジムリーダーのシジマです。こちらこそ初めまして」
ソファーに座っていたシジマは立ち上がってヒラタ博士と握手を交わす。
アキラはエリカとシジマだけの話し合いと思っているが、実はシジマはエリカだけでなく彼の保護者であるヒラタ博士とも話したい希望を手紙を通じて彼女に伝えていた。
彼もまた、これから話す内容に欠かせない人物だからだ。
遅れて来たヒラタ博士はエリカの隣に座り、シジマも再び来客用のソファーに座る。
「ヒラタ博士も既にご存知かと思いますが、今回私があなた方と面会を希望したのは、現在私が指導をしているアキラについて、お二人に御伺いたいことがありまして」
今回の面会の本題は、保護者や指導者など様々な形で三名と関わりのあるアキラについてだ。
アキラが察しているかは知らないが、これから話すことは彼についてのことだ。
エリカとヒラタ博士は、互いに目線を交わすと頷き合った。
その頃アキラは、まさかエリカやシジマだけでなく、お世話になっている保護者も交えて自分のことについて話し合われているとは微塵も思っていなかった。
呑気に大学の建物から外に出て、学生達から向けられる視線を気にせずに待っているカイリュー達の元へ向かう。
「ヨーギラス、今日からお前を手持ちに迎えることが正式に決まった。改めて聞くが俺達に付いて来る意思に変わりはないか?」
アキラの言葉にエレブー達と一緒に待っていたヨーギラスは頷く。
もうここまで来たので聞くまでも無いが、念の為に聞いたのだ。
「今までは種族名で呼んでいたけど、これからはニックネーム――”ギラット”と呼ぶけど、構わないかな?」
待っていましたとばかりにヨーギラスは喜びを露わにする。
「~~ット」と呼ばれるのは、ある意味本当の意味で彼らの仲間に加わったことを実感出来るからだ。
何であれヨーギラスは他の手持ちに肩を叩かれたりするなど、改めて歓迎を受ける。
そして上機嫌に彼はエレブーと一緒に、まだ真昼なのに空へ指を差して如何にも「目標は高く」と言わんばかりのポーズを取る。
何で覚えたのか知らないが、一体どこのスポ根漫画の真似なのか。
色々収拾がつかなくなってきたので、アキラはカイリュー以外をボールに戻すと普段から被る青い帽子では無くて飛行用のゴーグルを装着し、ドラゴンポケモンの背に乗る。
今この街に留まっていたら何か嫌な予感がしてならないので、カイリューは早々に飛び上がる。
目的地はマサラタウンーーと思っていたが、アキラはある事を思い出した。
「あっ、リュットごめん。クチバシティの家に戻ってくれない? 忘れ物を思い出した」
そのことを伝えると出鼻を挫かれたからなのか、カイリューは不満気に鼻を鳴らす。
ドラゴンポケモンは再び体に力を入れ直すと、乗っているアキラの体が吹き飛びそうな勢いで飛び立ち、彼は小さな悲鳴を上げるのだった。
「成程、アキラはそんなに戦ってきたのか…」
自分よりも長く、そして最も身近な存在である二人から、シジマはアキラがトキワの森で保護されてから今までどの様に過ごしてきたのかを初めて聞いた。
中でも、本来なら警察が対処すべきロケット団などの犯罪組織や四天王を名乗る集団との戦い。そして保護者であるヒラタ博士が研究している謎の現象絡みでの戦い。
どれもアキラの口から端的に聞いていたが、思っていた以上にあの若さで戦いの日々――それも命懸けの戦いを経験していると言えた。
そして、彼が三年近く前より以前の記憶が曖昧な記憶喪失状態なのは初耳でもあった。
「シジマさんから見て、アキラはどういう印象を抱きますか?」
エリカからの問い掛けに、シジマは頭の中に今まで見て来たアキラを姿を思い浮かべると同時に振り返った。
「…真面目で向上心がとても強い。と言えば在り来たりな印象だが、今まで見て来た弟子達とは明らかに異なる部分がある」
「異なる部分とは?」
「あれだけの力を持ったポケモン達を連れ、そして本人も高い能力を持っているにも関わらず、未だに”危機感”と呼べる意識を持ち続けていることです」
手持ちの自由を許し過ぎて統率面に多少の問題がある点を除けば、ポケモンを上手く鍛えていくだけでなく彼らに相応しいトレーナーで有り続けるべく自らの体を鍛えたり知識を身に付けていこうとする姿勢は、模範的なポケモントレーナーと言っても良い。
だが、その意識が生まれている更に奥深く――根源まで見ていくと「このままではダメだ」という焦りにも似た危機感だ。
確かに彼の手持ちは、トレーナーにそれなりのレベルを要求し続けている。更にレッドという常に先を進んでいるライバルが存在しているのは、二人の話からもわかる。
しかし、彼の抱いている”危機感”は、手持ちからの要求に応える為でも身近なライバルに負け続けているが故の焦りでは無いのをシジマは察していた。
度重なるロケット団や常軌を逸した凶暴なポケモンとの戦いの経験から、そういう存在とまた戦う事を想定している。或いは、自らの素状に関わる事を追い掛けている。
保護者としてアキラを見て来た二人の話を聞けば、それらの為に必死になっていると解釈しても良いが、どうも釈然としない。
「それは儂自身も不思議に思っておる。初めて会った時から、アキラ君は危険が考えられる場合の反応は過敏な方だ」
多少の粗や問題があるとはいえ、あの年である程度の技量と強力なポケモンを率いているのだ。
若くしてリーグ優勝者になったレッドを例に考えれば、彼の年頃なら天狗になったり有頂天になって、スランプという理由があっても危機感を抱くどころか誰かに弟子入りをするという発想すらしないだろう。
だが彼の場合は、常に追い込んでいる訳では無いが、何時も更なる力をポケモン達と一緒に貪欲に求めているのだ。
ただ鍛錬に熱心なだけであれば向上心が強い少年だけで済むが、こうして話してみるとまるで常に戦いに備えて絶えず牙を研いでいるかの様だ。
「恐らく……アキラ君は近い内にまた何か…それこそロケット団や四天王みたいな。或いは儂達の研究絡みで大きな戦いが来ることを考えておるのじゃろう」
「あまり考えたくはありませんが、近年はロケット団まではいかなくてもポケモンの力を悪用するトレーナーは後を絶ちません」
エリカも自警団や正義のジムリーダーズを率いて、大なり小なり様々な事件に関わって来たが、最近そういうトレーナーが増えつつあった。
中にはロケット団顔負けな悪行をしでかすトレーナーもいる為、ポケモンの力を利用して悪事を働くトレーナーに遭遇したら、下手をすれば命に関わる可能性もある。
だが、幾ら危険な戦いを何回も経験したからと言って、まだ子どもと言える歳の子が予期せぬ脅威への不安感だけでここまで力を入れるものか。
勿論、自分達が考えていることとは全く別の悩みを抱えているだけかもしれないことも考えられる。
しかし、戦いに備えると言っても、何時来るのかわかっているのとわかっていないのでは、モチベーションや気持ちの入れ方は大きく異なる。
そしてアキラは後者だ。明確に何かしらの戦いが来ることを確信している節がある。
そうなると気になるのは、一体彼は何を根拠に、どのタイミングで戦いが起こると考えている点だ。
「次の戦いがあると考えているのなら、何故アキラはそれを話さないのだ? 彼の性格を考えれば、自分だけでなく周りにも積極的に話して備えるのを促しそうなものだが」
「可能性の段階過ぎて、本気で聞いて貰えないと考えているのか。それとも別の理由で詳しく話さないのかもしれませんわ」
「別の理由か…」
エリカの話す可能性の内、本気で聞いて貰えないと考えているのはまず無い。
確かにアキラを含めたポケモンバトルの腕が立つ数名の少年少女が加勢していなければ、エリカを始めとした大人達はロケット団や四天王の脅威を退けることは無理だったかもしれない。
だが、普段から大なり小なりでエリカなどに助言を求めに来る彼が、そこまで周り――大人が頼りないと思っているとは考えにくい。
それならエリカが言う後者の方が可能性としては高い。
問題は、彼がそれだけ確信しているにも関わらず周りに具体的に教えない理由だ。
何か後ろめたいことがある気がしなくも無いが、それが何かしらの悪事などの企み事だとは三人とも思っていない。
彼がそこまで悪巧みをしている本心を隠せるくらい狡猾に立ち回れるのなら、そもそも今回の話し合いは無い。何より、あの手持ちを率いるのに苦労しない筈だ。
もう三年近く前になるが、目を閉じれば、保護者として傍で見て来たヒラタ博士はすぐに思い出せる。最近は少々大人しくなってきているが、あれだけ濃い日々は忘れようにも忘れられない。
ミニリュウとブーバーの自由奔放さと気性の荒さに手を焼き、ゴースやエレブーの行動には何時も目を光らせ、ヤドンの鈍感さに困り、手に負えなかったり疲れた時はサンドの手を借りたり励まされていたのだから。
アキラがそんな日々を過ごしてきたのは、博士だけでなく何かと助けを求められたエリカも知っている。
そしてアキラ自身もまた、普段からお世話になっている恩を返すべく、求められれば自分の力で出来る範囲内で応えて来た。
助け合うことに積極的であるからこそ、最後の一線、肝心な部分とも言える何かを周囲に明かそうとしないので尚更際立つ。
恐らく、そこにアキラが抱えているというべきか秘めている謎があるのだろう。
けど、そう思うのは自分達の勝手だ。この話し合いの内容を彼に隠している様に、アキラが明かさないのには、何か理由があるのかもしれない。
彼は今連れている我が強い手持ちを上手く統率する為に、損得勘定とも言えるドライな一面を同年代よりは磨いている方だ。
つまり、周りに明かすよりも秘密にした方が自分も含めて周りの利益になると判断している可能性も無くは無い。
様々な可能性や理由が浮かぶ中で、シジマはその内の一つを挙げた。
「…情報の漏洩を恐れているというのは?」
「それは考えられる可能性ですね。こちらが掴んでいる情報が敵側に知られる程、恐ろしい事はありません」
ロケット団の活動が活発だった時期、エリカは自陣の情報漏洩を防ぐのに気を付けていた。
だが、それだけ力を入れたり一部の人しか共有していない筈の情報が知らない間に敵に洩れて、手痛い目に遭ったことは数え切れない程ある。実際、情報が漏洩したことでアキラは重傷で入院しているところをロケット団に襲われた経験がある。
しかし、そうだとしても力を求め続ける意識の根底に関わっていると思われる秘密を明かしてくれないのは残念ではある。
レッドに勝ちたい。
強くなれば自分の身を守れるだけでなく行動範囲が広がる。
そしてレッドを始めとした友人達に何かあった時に手助けが出来る。
その三つが、ポケモンリーグが終わって間もない頃、毎日の様にポケモン達と戯れながらも鍛えている時にヒラタ博士が聞いたアキラの強くなる理由だ。
どれも今のアキラの行動に繋がっている点を考えると、紛れもなく彼の本心だろう。
悪事や道を踏み外していること以外で後ろめたいこととなると一体それが何なのかはあまり想像出来ないが、彼はあまり気にしてはいなかった。
当初はただ成り行きで保護した自らの研究に関わる現象に巻き込まれただけでなく、興味のある身元不明の少年だった。
それが今では、自分の研究や大学全体で必要とされる程の信頼出来るトレーナーになるだけでなく、もう一人の孫の様な存在になってきてもいた。
アキラはどこまで認識しているか知らないが、彼は自分だけでなく周りからも十分過ぎるくらいの信頼を得ているのだ。
何か悩み事があるのなら隠さずに相談して欲しいが、同時に力を尽くしてきた今までのことを考えると、少しは年相応の我儘として見ても良いのでは無いかと思わなくも無かった。
体に打ち付けて来る風で体が吹き飛ばない様に気を付けながら、カイリューの背に乗ったアキラは幾つかの街と山を越えていた。
一回忘れ物を取りにクチバシティに戻る無駄な労力を費やしたことに腹を立てているのか、心なしか体に打ち付けてくる風はかなりキツかった。
「リュット、早く着くのは嬉しいけどもうちょっと加減…ぁ、何で加速するんだよ」
何回も減速する要望を無視されるという快適とは言い難い飛行をしていたら、徐々に閑散とした小さな町がアキラの目に見えて来た。
真っ白を意味する言葉を冠した小さな町であるマサラタウン。
過去に何回か訪れてきたが、ある意味、全ての始まりの地であることも相俟って、すぐに脱力してしまうとしても訪れる度に自然と気が引き締まる。
町の上空に到達したカイリューは降下しながら速度を緩めると、そのまま真っ直ぐレッドの自宅前に着地した。
「ありがとうリュット。レッドー、来たぞ~!」
カイリューの背から滑る様に降りたアキラは、目を守っていたゴーグルを外しながら目の前の家に向かって大声で呼び掛ける。
しばらくすると目の前の家のドアが開き、中からレッドがまるで覗く様に静かに顔を出した。
記憶では今みたいに呼び掛けたら元気な返事を返してくれた筈だったが、今日の彼の表情はどこか暗かった。
「どうしたレッド? またカビゴンの食費にでも悩んでいるのか?」
「いやまあ…半分当たって、半分違う」
「?」
レッドのハッキリしない返答にアキラは首を傾げるが、取り敢えず彼に促されるままに家に上がるとそのまま彼の部屋へと案内される。
その途中でアキラは、テーブルの上や食器棚に目を向けて彼が金欠のあまり自らの食事を切り詰めていないかもさり気なくチェックした。
レッドが連れているカビゴンは強力な戦力だが、同時にそのパフォーマンスを維持するのにかなりの食費が掛かる。
近年はカビゴンみたいな大食いポケモン向けの専用の食事やメニューが考案されてはいる。しかし、それでもまだまだ普通のトレーナーが気軽に手持ちに加えられる様なポケモンでは無い。
あのポケモンリーグで優勝した時に手にした賞金さえも、カビゴンの食費で消えたと聞いている。その為、レッドは荒稼ぎまではいかなくてもカビゴンの食事代を確保するのに何時も苦労している。
「ちゃんと三食食べてる? ただでさえまだ手足の痺れが治り切っていないんだから、ジムリーダーになる試験勉強にも身が入らないよ」
「お前は俺の親かよ。ちゃんと食べているから大丈夫だよ」
「じゃあ何で微妙に金欠気味なの?」
アキラは尋ねるが、気まずそうにレッドはベッドに体を投げ出すと呟く様に答えた。
「――ブルーにたかられた」
それだけでアキラは大体の理由を察した。
昔ブルーのインチキ商品を買わされたのから始まって、彼が彼女に会う度にランチだかご飯を奢るハメになっていることは聞いている。ただ、何故お金のやり繰りに苦労しているのに言われるがままに奢ってしまうのかが謎ではあった。
呆れを隠さず、アキラはレッドの部屋に置いてある椅子に体を預ける。
「何か弱味でも握られているの?」
「いや、普通に泣き落とし」
レッドもそれがブルーの常套手段だとはわかっているのだが、人が良いのか知らないが結局は奢ると言う形になるらしい。
ブルーの方も一方的では無く、後々にお返しなどはしているらしいが、この様子ではタイミングが悪かったらしい。
「レッド、それ都合良く使われていると思うぞ」
「そりゃそうだけど、利用されているってわかっていてもあんな顔でお願いされたら悪い気はしない」
「グリーンやイエローが聞いたら呆れるぞ」
「アキラだって、ブルーの泣き落としを実際に受ければわかるさ。あれに逆らえる男がいるなら、俺は見てみたい」
「グリーンとかは普通に流しそうだけど…」
悔しいのか良く分からない表情でレッドは若干熱を籠めて語っていたが、アキラは本気にしていないのか適当に聞いていた。
彼の言うブルーの泣き落としがどんなものか具体的には知らないが、仮にブルーのことを良く知らなくてもアキラはあまり気にしない。
本当に困っているのなら手を貸すが、そうで無いのなら場合による。もし変なことだと感じたら、毅然とするべきところは毅然とする。
手持ちを率いている内に学んだ事だ。――ちゃんと身に付いているのかは不明だが。
「さっきから冷たいな。ブルーみたいな女の子が寄って来たらアキラはどうなんだよ」
「さあね。特に理由が無いのに寄って来たら真に受けず、まず裏を考えてしまうかな。変だと感じたら逃げるか適当に流す」
「無理だな。お前って結構融通が利かないから、何やかんやで言い包められそう。ブルーはかなり口は達者だぞ」
「……それは言えてるかも」
結局は経験しなければわからないものだが、ブルーが自分に絡むことはほぼ無いだろう。
今みたいにレッドから聞く話やポケモンリーグの一件でアキラと手持ちが揃って彼女に警戒心を抱いていることもあるが、気質的に連れているポケモン達とブルーとは相性がかなり悪い。
ブルーも損得を考えれば、好感度がマイナスな上に損する可能性が高い自分と接触することは基本的に無いだろう。
「でも……泣き落としじゃなくても、俺はあいつには奢っていたと思う」
「何で?」
「――俺が言ったのをあいつに教えたり、他の人には言うなよ」
レッドは前置きをすると、さっきまでの微妙な表情が引き締めて真面目なものに変わった。
「奢る度に…近況報告がメインだけど、度々昔家族と一緒に過ごしていた時のことを話してくれるんだ」
レッドが話した内容に、さっきまで呆れていたアキラも表情を変える。
彼の表情の変化を真面目に聞くつもりになったのだと察したレッドは、奢った際に近況報告ついでと称して彼女から聞いたことを語り始めた。
未だに探し続けても一切の手掛かりが得られないこと
再会したら弟か妹がいるかもしれないこと
両親に今までの冒険の話をしたいこと
そういう家族関係が中心の話をレッドはブルーから聞かされていたが、何気ない会話をしていく中で彼女の様子から彼はある事に気付いていた。
「ブルーは…暗くならない様に気は使っているけど、どうも両親を見つけられなくて結構焦っている様に見えるんだ。だから、何時も奢っちゃうのには彼女の力になりたいとかそういう…」
「………彼女の焦りは尤もだよ。時間が経ち過ぎると元の場所には戻りにくいし、ブルーの場合は状況的に死んだと世間で思われても不思議じゃない」
「そうか…」
ポケモンリーグ本戦でブルーがオーキド博士に叫ぶ様に語った内容はアキラも良く覚えている。
巨大な鳥に連れ去られて数年間行方知れずでは、家族以外の人は口にしなくても死んだと思われても無理は無い。
「話し始めた俺が言うのもアレだけど、アキラ、今のお前の目付きかなり怖いぞ」
「え?」
レッドに言われてアキラはようやく気付くが、鏡が無いので自分がどんな表情をしていたのか全く気付いていなかった。
ブルーのことなのに無意識の内に自分自身のことも考えてしまい、表情を強張らせてしまっていたらしい。
「あぁごめん。俺もある意味……悩んでいることだから思わず…」
「悩んでいる? ――あっ、そういえばアキラは俺に会う以前の記憶が無いから、自分が何者なのかよくわかっていないんだっけ」
「おぼろげだけど少しずつ思い出しているけどね…」
レッドや周りからしたら、自分は記憶が全て戻れば解決すると思っているのだろうけど、ブルーと比べてしまうのは悪いが異なる点が多い。
この世界にやって来てもう三年近く。元の世界に戻る手掛かりらしいのはあるが、何だか自分の知らない新しい脅威か旅禍になりそうな始末だ。
それに――
「どうした?」
「いや、
「記憶が戻るなら良い事じゃん。仮にお前が遠い地方に帰ったとしても、また会えるだろ。地球を余裕で一周出来るカイリューがいるんだから」
「……そうだよな」
「…何か結構間があったぞ」
「はいはい、この話は暗くなるからおしまいおしまい」
随分と雑な形だが、手を叩きながらアキラは無理矢理話を終わらせる。
”戻る”か”留まる”。どちらの結末を迎えるか選ぶことになったとしても、まだ色々とハッキリしていないのだ。
問題から目を逸らしているだけかもしれないが、考え過ぎて目の前で起きている出来事に対する集中力が欠けてしまうことは避けたい。
大真面目に考えるのは、それが出来るだけの情報などの要素が揃ってからだ。何も得られていない現状で延々と考え続けても、結局わからないのと気持ち的に良いことが無いのはこの数年で学んだことだ。
「レッド、お前がブルーの力になりたいってことはわかった。だけどそれで自分や手持ちポケモンに支障が生じたら元もこうも無いだろ」
「返す言葉もありません…」
まるで土下座をする様にレッドは答えると、気が抜けたのかベッドの上で伸び伸びし始めた。
「誰か俺を癒してくれ~~」
「イエローの所に行って癒して貰えば」
完全に気が抜けたのか、冗談なのか本気なのかよくわからないことを口にするレッドにアキラは”癒す”の単語から連想する形で浮かんだイエローの名を呆れ気味で挙げる。
「確かにイエローはトキワの森の力を持っているけど、男に癒して貰うって何か…」
「………」
ここでアキラは手拍子の様に答えた内容が失言なのに気付いた。
レッドはまだ、イエローが女の子だと言う事に気付いていない。
先を考えてとかそういうことは無しで話すべきかと思ったが、女の子だと知っていたら絶対しないであろうレッドの行動の幾つかを知っていたので、教えることも憚れた。
「それにしても、ホントにアキラって頭が固いと言うか真面目だよな」
「えっと…確かに自分でも柔軟性に欠けるかなって思う時はあるけど、そんなに?」
「自覚が無いのかよ。微妙にノリが悪いのもそうだけど、何時も本を読んで勉強しているイメージがあるぞ」
レッドにそう言われて、アキラは軽く自分の部屋を思い浮かべた。
自室として割り振られている部屋は、屋根裏部屋なので基本的に狭い。なので今いるレッドの部屋の様にそんなに多くの物は置けない。
だけど確かに狭いにも関わらず、小さな本棚やダンボールを重ねて作った本棚もどきはあったりするが、本の数はそこまで多くは無い筈だ。
「確かに良く本を読んでいるけど、流石にそこまでガリ勉じゃないよ。読んでて面白いし」
「あんな内容が難しい本を読んで楽しいのかよ」
「まぁ、最近読んでいるポケモンの体の構造とかの解説本は、以前ならそんなに積極的に読まなかったな。あっ、でも漫画も読んでいるぞ。あっちの方が楽しく学べる」
「お前が持っている漫画は大体学習漫画じゃねえか。てか、結局勉強しているじゃん! 確かに面白いけど」
レッドが苦笑い気味で話す様子を見て、アキラは今までの自分の行動を軽く振り返る。
この辺りの感性でレッドとアキラが違うのは、互いのポケモンへの憧れや知りたい欲求などの意識の持ち方や過ごしてきた環境の下地が異なっているからだ。
レッドにとっては、ポケモンは物心が付いた時から身近な存在。対してアキラにとってポケモンは、ゲームなどの創作上での架空の存在だ。
前者にとってポケモンや彼らが持つ不思議な力の存在はある意味当たり前の認識だが、後者にとってはその不思議な力や存在は幾ら欲しても手にすることは出来ないものという認識だ。
今まで無理だったことが実際に経験出来るのだ。手持ちを率いるトレーナーとしての責任感や必要に迫られている部分もあるが、精神的に余裕があるなら、そういったことを経験できる喜びと興味の方が大きく勝る。
流石に理解が及ばない難しい内容や気分が乗らない時は、”勉強”の意識だが、結局はレッドの言う様に傍から見ると何時も本を読んでいると思われても仕方なかった。
「…まっ、実際お前が本を読んでいる時は楽しそうだからな。俺だったら机に座っているよりも体を動かしてしまうなって」
「レッドは感覚派だからね。知識を溜め込むよりは、実戦を経験して強くなっていく方がレッドらしいとは思う。でもジムリーダーになるんなら、改善すべき点だぞ。エリカさんから、”レッドは机に座って勉強する認識が無い”って話を聞いたぞ」
エリカからレッドにジムリーダー試験の勉強を教えても、彼は椅子に座ってもすぐに集中力が途切れてしまう様で、教えるのに結構苦労したという話をアキラは聞いていた。
逆転の発想で、本を片手に体を動かしながらやるという勉強法を行ってある程度解決したと聞いた時は耳を疑ったものだ。
「それは…まあ……そうだ。前から聞こうと思っていたけど、最近は勉強だけじゃなくて体も本格的に鍛え始めたって聞いたけど、冗談抜きでポケモンと戦う気か?」
「幾ら力があると言っても根本的に力の差は大きいだろう。体力強化と攻撃を受けてもある程度耐えられる肉体作りが主な目的だよ」
誤魔化す様に別の話にレッドは変えたが、アキラは気にせずに答える。
相手がポケモンの中では珍しく極悪な奴や悪党が連れている手持ちでも、人が積極的に殴り付けたりするのは色んな意味で厳禁だ。
それ故にポケモントレーナーは襲ってきたポケモンに対しては、基本的に手持ちで応戦か逃げるの二択だ。
なので最近アキラは、また何かしらの戦いが予想される所に出向く際は、ローラースケートとかに使われるプロテクターを身に付けることを考えている。
体が吹き飛んで地面を転がった時に負傷したり痛い思いをするのが嫌なのもあるが、痛みが原因で集中力を乱されるのが何よりも嫌なので、ある程度は負傷の可能性を軽減したかった。
「もうエレブーの”リフレクター”みたいな感じの盾でも作ったら? 今のアキラなら使っても不思議じゃない」
「盾か…持ち運びに邪魔な気はするけど、何か機会があったら考えてみるよ。手に入るかはわからないけど」
盾と聞くと強力なポケモンの技の前では無力なイメージが浮かんでしまうが、この世界では”リフレクター”を始めとしたポケモンの技や強靭な体皮の性質を再現したバリアアイテムが存在している。
今まではポケモンを強くすることを中心に考えてきたが、何かと扱う様になったロケットランチャー同様に、自分も鍛える以外に色々準備を整えた方が良いかもしれない。
そんなことを考えていたら、突然レッドは背伸びをしながら立ち上がった。
「どうしたレッド?」
「バトルしたくてウズウズしてきた」
「それもそうだな。でも、まずは”こっちのバトル”からやらない?」
ようやくこの町にやって来た目的を思い出したアキラだが、リュックサックから掌に乗るサイズの分厚いケースを取り出した。
開くと中から裏面がモンスターボールの絵柄で統一されたカードの束が出て来て、彼はそれをレッドに見せる。
「そうだな。今日こそ勝たせて貰うぞ」
レッドも応じて、机の引き出しから輪ゴムで止めた同じ柄をしたカードの束を取り出す。
それはポケモンをモチーフにしたトレーディングカードだ。
切っ掛けは一年近く前、ポケモンリーグ上位入賞者をモデルにしたカードが販売されるのを機に、サンプルやら色んなカードをレッドが協力者特権で貰った時だ。
それ以来、アキラはレッドとは実戦でのポケモンバトル以外にもカードでのポケモンバトルをしていた。
四天王との戦いが終わってからの短い入院生活も、本を読む以外にこれで退屈凌ぎをしていた。
ちなみに戦績は、実戦のポケモンバトルとは対照的にアキラの連戦連勝だ。理由は単純なものだが、今回レッドは改善してきたのだろうか。
「さあバトルだ!」
カードの束――デッキをシャッフルし終えて、レッドは準備万端だ。
アキラの方は、専用のプレイマットを広げてカードゲームの進行に必要な小道具が詰まった小箱を取り出すと同じくデッキをシャッフルし始める。
体を動かすのとはまた違ったバトルが、レッドの部屋の中で始まろうとしていた。
アキラ、先の可能性を少しだけ考えるも後回しにする。
問題から目を逸らしているだけかもしれないのをアキラは自覚していますが、まだわかっていないことだらけなので、必要な時以外はなるべく考えない様にしています。
ですが、頭の片隅では色んな可能性を考慮している感じです。
次回は数十話振りのレッド戦です。