ジョウト地方最西端に位置する島にあるタンバシティ。
その島に構えられているタンバジムの中にある道場内で、胴着を着たアキラは目を閉じて静かに座禅を組んでいた。
傍から見ると瞑想に浸っている様に見えるが、彼は気持ちを静めながらこれまでの出来事を振り返っていた。
先日、オーキド博士がクリスに会った。
状況も状況だったので詳しい話は後日になったが、あの様子ならアキラが知っている通り彼女に最後のジョウト図鑑が託されるだろう。
これで今ジョウト地方各地で起こっている事件や今後の戦いに大きな役割を果たすであろう三人が揃った。
そして、エンジュシティでかなりの人数のロケット団の団員は捕まった筈なのに、新聞などで見掛けるロケット団についての報道も減るどころか増えている。
間違いなく敵の動きは活発化していて、今後の戦いは更に激しくなる。
アキラとしては、仮に新生ロケット団と彼らを率いる幹部格が束になって挑んで来ても、損害を考慮しなければ正面から打ち負かせるだけの力が今の自分達にはあることを”スズの塔”での戦いで自覚した。
しかし、それ程までの実力を今の自分や手持ちポケモンが身に付けることが出来ても、仮面の男――ヤナギに勝つどころか渡り合えるかわからなかった。
この世界の今後辿るであろう流れに関しては、数年も過ごしてきたことで多くの記憶は薄れているが、ヤナギが桁違いに強いことは今でも強烈に印象付いている。
そのお陰で、どういう戦い方をするのかや手持ちポケモンも把握している。何時か来るであろう直接対決を想定した場合の対策なども考えている。
だけど、知識で知っていても実際に対峙しないとわからないものはある。その為、どれだけ鍛錬を重ねたり準備をしても足りないという懸念は拭えなかった。
単に倒すだけなら、元の世界から知っている通りに物事が進む様にすれば良い話かもしれないが、出来ればそんな見て見ぬ振りなどしたくはない。
それにアキラとしては、今年開催されるポケモンリーグは無事に開催させたい望みがあった。
シロガネ山でナツメに告げられた様に、このまま行けば今年のポケモンリーグは大きな被害を受けてしまうだろう。
ヤナギがポケモンリーグで暴れるのは、自身の目的を達成するだけでなく手の込んだ壮大な陽動も兼ねているので、無事に開催させたいなら開催前にヤナギを如何にかする必要がある。
ならばジムリーダーという立場を逆に利用して直接戦う以外の方法で抑えるのも手だが、「ヤナギ=仮面の男」であることを決定付ける証拠は殆ど無い。
仮に証明出来たとしても、ヤナギはジムリーダーの地位を平気で捨てるだろうし、自分以外のジムリーダー全員が相手でも乗り切れる自信がある気がする。
どれだけ考えても、良い案は浮かんでくれなかった。
「気持ちが乱れているぞアキラ」
背後から現れた師であるシジマに指摘されて、アキラは閉じていた目を開く。
何時もなら師の気配に気付けたが、考えて行く内に焦っていたのか、気持ちを静めるどころか無意識の内に拍動や呼吸が少し乱れていた。
「お前達は強い。トレーナーの立場で無くても、何事も強い方が良いのは確かだ」
こちらの内心を見透かしたかの様にシジマは語り始める。
弟子入りしてからの鍛錬への取り組む姿勢から、目の前の弟子がロケット団の復活を確信していたかは定かではないが、今ジョウト地方は大変な状況だ。
かつてのカントー地方みたいなことにならない様に、警察や各地のジムリーダー達が全力を尽くしているが、それでも手が足りない。
”スズの塔”付近での被害状況や逮捕した団員の証言からも、もしアキラがいなかったらエンジュシティはもっと酷い被害が出ていた可能性は十分に考えられた。
それ程までに今の彼とポケモン達は大きな力を秘めており、彼らも自覚している。
「だがな。どれだけ強くても望んでいること全てが実現出来るかと言えば、そんなことは無い」
「……はい」
力があれば自由に出来ることは増える。
それはアキラ自身、良く理解しているのと同時にこの世界で強くなることを望んでいる理由の一つだ。
しかし、どれだけ力があっても何もかも自分の思い通りに行くかとなれば、答えはノーだ。
その答えと理由も、アキラは元の世界から見て来た視点を通じて良く知っている。
今以上に大規模な組織と伝説のポケモンも戦力として有していたサカキは、最終的には組織を壊滅に追い込まれるだけでなく本人もレッドに敗れた。
大嫌いなワタルも、一個人で一地方を相手に喧嘩を売れるだけの実力を有していたが、戦いの末に敗れて結局は野望を果たすことは出来なかったのだ。
力はあった方が良い事には変わりないが、どれだけ強くなれたとしても全て思い通りにするのは無理だ。わかっていたつもりではあったが、シジマに諭されたこともあって、アキラは気持ちを新たにする。
悩み全てが解決した訳では無いが、それでも師と話せたことで気持ち的に楽になれた。
気を取り直して、今度は次の鍛錬を行う気持ちを作る為に改めて精神統一を行おうと目を閉じて深呼吸を始めた直後だった。
「アキラ」
さっきよりも神妙な声色で、シジマはアキラの名を呼ぶ。
そして彼は意外なことを口にした。
「そろそろ手持ちの練習相手をする
その言葉にアキラは再び目を開け、シジマが言っている”次の段階”が何かを察した。
少し前から、アキラはミットなどの練習用具を構えて正面から手持ちポケモンが繰り出す攻撃を受け止めながら、その動きを観察するなどの様々な鍛錬をシジマの監督の元で行う様になった。
ある程度は練習経験を積んだので、何時でも”次の段階”を彼は行える筈ではあったが、ちょっとした理由もあって先延ばしになっていたが、ようやく許可が出た。
「わかりました。道具は好きに使ってもよろしいでしょうか?」
数十分後、アキラはタンバジムの道場内でシジマや互いが連れているポケモン達が見守る中、自身の身長よりも若干短い鉄パイプみたいな棒を振り回していた。
勿論、ただ単に振り回しているのでは無くて、棒を持った時の動きや扱い方を確かめるウォーミングアップの為だ。
格好もさっきまでの胴着ではなく青いジャケットを脱いでいる以外は普段の服装だったが、それでも動きに支障が出ない程度に肘や膝などの体の各部にプロテクターを身に付けており、道場内の空気は張り詰めていた。
「…何時でも良いです」
「そうか」
棒を振る時の感触や感覚はある程度掴めた。
これから行う”手合わせ”に向けた準備は万端だ。
「言っておくが、俺が止める様に言ったらすぐに止めるんだぞ」
「わかりました」
「――他も常に万が一に備えて、何時でも止められる様に見ているんだぞ」
シジマの呼び掛けに、道場内で囲む様に座っていた彼の手持ちだけでなくアキラの手持ち達も真剣、或いは緊張した顔で頷く。
ブーバーやゲンガーなどの一部の手持ちは聞き流し気味だったり聞いている様な態度では無かったが、それでもその目はこれから行われることに強い関心を抱いていた。
そして一匹だけ、他とは違う鋭い目付きでアキラを見ていた。
「よし。リュット、
アキラがそう促すと、立ち上がったドラゴンポケモンは小さな地鳴りを鳴らしながらゆっくりと歩き、まるで
「改めて言うが、これから行う
「はい」
「カイリューの方も、技の使用は一切厳禁だからな」
一切の気の緩みも無くアキラは返事を返し、カイリューもシジマからの注意に頷く。
彼らがこれから行う手合わせ。それはポケモンとのスパーリング――即ち模擬戦だ。
ポケモンと人間が直接行う実戦形式の戦い。何も知らない人間が聞けば耳を疑う様な行いだ。
だが、この訓練こそがアキラがシジマに弟子入りした最大の目的を叶えるのに重要な位置付けにある。
極限にまで追い詰められた時に彼とカイリューが経験する一心同体と言える感覚。
未だに至る理屈や科学的にはどういう現象なのか不明な現象だが、彼の師であるシジマも長いトレーナー人生の中で彼らの様な感覚を何回か経験したことがあった。
当然その感覚が齎してくれる利点に気付かない筈が無く、ポケモンとの連携や意思疎通を高めていくのは勿論、自らの肉体も徹底して鍛えるなど、その感覚を物にする為に様々な試行錯誤と鍛錬を重ねて来た。
その過程でシジマは、”トレーナーが身をもって力と技を研ぎ澄ますことでポケモンと心を通わせる”ことが必要であるという考えに至った。
ではどうすれば、一心同体と言える程までにポケモンと心を通わせることが出来るのか。
今アキラ達がやろうとしているトレーナーとポケモンが直接試合形式での手合わせは、その目的を叶える鍛錬の一つとシジマは位置付けている。
正に”拳で語り合う”を実践すると言わんばかりの方法であったが、当然ただ単に”拳で語り合う”ことをしても望んだ効果が得られないことは、シジマ自身わかっている。
この鍛錬の一番の目的は、互いに常に相手の動きや考え、気持ちを予測、或いは意識して頭に浮かび続けられる様にすることだ。
相手の動きを予測し続けるのは普段の戦いでも必要な技術だが、考えていることまで予測するとなると良く観察するだけでなく、相手を深く理解している必要もある。
そうして互いに相手が仕掛けてくる攻撃を予測によって上手く回避したり防ぐ回数が増えていけば、それだけ互いに相手の考えや思考を良く理解出来ていることを意味しており、戦っている際の心身共に最大限に活用することでの負荷や緊張感も相俟って、やがてはアキラが知る一心同体とも言える感覚の境地へと至れる。
と言う理屈らしい。
普通のトレーナーが聞いたら本当なのかと疑いたくなる様な考えではあるが、これでシジマは稀に至れる時があるのと、これから実践するアキラは納得している。
”相手が考えている事や気持ちを意識して頭に浮かべ続ける”ことの必要性についてだが、互いの思考が通じ合う感覚を考えると、お互いの考えや気持ちなどがズレていては心を通わせることなど出来る筈が無い。
実際、イブキとの戦いで追い詰められた際にシジマの教えをある程度実践したところ不完全ながら覚えのある感覚に至れたから、方向性は間違っていないと思われる。
そしてトレーナーが手持ちと直接戦うことの必要性についてだが、使う機会と言えば戦いの場なのだから、トレーナー自身も戦いの場に直接身を置くことで肉体と精神に負荷が掛かる状況でも意識し続けられるかを確かめる為だろう。
何より本当に手持ちの気持ちや考えを理解し、信頼しているのなら口先じゃなくて、実際に行動で証明しろという意図もあると見ていい。
何にせよポケモンとの信頼関係だけでなく、肉体的にもトレーナーも鍛えられていなければ、まず出来ないやり方だ。
人と比べれば、ポケモンの力は人間を遥かに凌ぐ。そんな存在と鍛錬名目で模擬戦を行えば、万が一の事故も十分に考えられる。
アキラの場合、身体能力は並みの大人さえも大きく凌駕してはいるが、それでも成長途中の少年だ。その為、幾ら彼がやることを望んでいるとしてもシジマは慎重だった。
だが、今日まで行う許可が下りなかった一番の理由は、アキラが戦いたかったのがカイリューだったからだ。
ブーバーやエレブーなどの人型に近いポケモンなら、既に格闘ポケモンを相手に実践をしているシジマのやり方を流用すれば良い。
しかし、ポケモンの中でも特に大きくて肉体的にも強靭なドラゴンタイプを相手にするのは未知数であった。そもそもシジマのやり方は、限り無く体格などの条件が同じであるかくとうタイプのポケモンだからこそ成立している部分が多い。
その為、安全面や可能な限り対等な条件でのスパーリングを成立させる調節に彼らは手間取っていた。今アキラがガラガラのホネに見立てて手にしている鉄パイプみたいな棒や体の至る所を保護しているのも、それらの調節の結果だ。
本当ならもう少し試行錯誤の余地があるかもしれないが、現状でもアキラは十分に満足だった。
「訓練だけど、こんな清々しい気持ちでお前と対峙する時が来るなんて、あの頃は夢にも思わなかったよ」
最近は殆ど無いが、ミニリュウの頃は全く信用されていなかったのや今よりもずっと荒れていたので、暴れ始めたら何とか押さえようとしては反抗されて良く返り討ちに遭っていたので感慨深かった。
カイリューの方もアキラ同様に昔を思い出していたが、あの頃のことを思うと、ちゃんとしたルール下で何の負の感情も抱くことなく、訓練とはいえこうして彼と対峙する日が来るとは思っていなかった。
だけど感傷的になるのも程々に、アキラは気持ちを静めて、この”手合わせ”を行う一番の目的を意識して構える。それを見たカイリューも、目の前に集中し始める。
「それでは――始め!」
合図と同時にカイリューは動く――ことは無く、静かに棒を構えるアキラを見据える。
既に彼らは、互いに相手の出方を窺うだけでなく今この瞬間にも相手が何を考えているのか、どう仕掛けるのかに思考を費やしていた。
アキラは今の自分の身体能力が規格外なのは理解しているが、それでも”人間”としての範囲でだ。下手に動けば、自分を遥かに超える身体能力を持つカイリューのカウンターが来ることを警戒していた。
一方のカイリューもまた、先制に突っ込んだとしても今のアキラなら何の苦も無く動きを読んで流すのが容易に想像出来たので、彼が仕掛けて来るまで待つつもりだった。
何より、
しばらく互いに相手がどう仕掛けて来るのか、何を考えているのかを予測していたが、痺れを切らしたのか意外にもアキラの方から先に動いた。
警戒した様子で手にした棒を構えながら、静かに足早くカイリューへと突っ込んでいく。
カイリューは彼の動きに目を凝らしながら、彼の狙いを考えて、それに備える。
その瞬間、アキラは手にした棒でカイリューを突こうとする。
彼が突きを仕掛けることを読んでいたドラゴンポケモンは、突き出された棒を素早く掴む――が、手は何も掴んでなかった。
瞬時に棒を引かせたアキラは、棒の持ち方を変えながら腰を落とすと、棒と共に体を回しながら若干無防備になっているカイリューの足を叩いた。
ブーバーの”ふといホネ”で殴られるよりは痛くは無いが、それでも地味に気になる鈍い痛みがドラゴンポケモンの足に走る。
既にアキラは反撃を警戒して、素早く体を退かせている。
最初の突きはフェイントだったらしい。
最初の攻撃は予想出来たのに、次の攻撃についての予測やアキラの狙いを意識出来なくてやられてしまったが、カイリューは気にすること無く体に力を入れる。
こちらから仕掛けたら彼はどう対処しようとするのか考えながら、カイリューはアキラに飛び掛かるが、既に彼は目を凝らして迎え撃つ準備を整えていた。
どんな形でも最初の一撃が決まれば、次にカイリューが取る行動が反撃なのは三年近く一緒にいたお陰で予測出来ていたからだ。
鋭敏化した動体視力と反射神経のお陰で、ある程度見てから対応することは出来る。だけど、そんな後出しジャンケンみたいな動きをしてはこの手合わせの意味が無い。
目的を忘れずに、大振りに振り下ろされるドラゴンポケモンの拳をアキラは避けると、次に横振りで繰り出された腕を棒で巧みに逸らしながら躱す。
その直後、間髪入れずにカイリューは先程のアキラみたいに体を回して太い尾を振ってきた。
まともに受ければ人間の体は軽く吹き飛ぶ威力だが、アキラは体を横に傾けて回転しながらジャンプをすることで回避する。
それから着地と同時に、居合い切りみたいな動きでカイリューの横腹に向けて棒を叩き付けようとしたが、寸前にドラゴンポケモンは腕で防ぐ。
判定として有りなのかどうなのかアキラは一瞬迷ったが、迷うのを知っていたかの様にカイリューは防いでから動きが止まっている棒を空いている反対の手で掴むと力任せに持ち上げた。
当然、棒を掴んでいるアキラも棒と一緒に持ち上げられて、そのまま投げ飛ばされた。
「いてっ!」
投げられた瞬間、やられたことを受け入れたアキラだったが、投げられる勢いが強くて上手く体勢を整え切れずに背中から床に叩き付けられる。
全身の至る箇所を防具である程度は保護しているが、それでも痛いものは痛かった。
判定的にこれで五分に戻せたことに気を良くしたのか、カイリューは得意気に息を吐くと小さな翼で体を浮き上がらせると彼から距離を取る。
未だに痛む背中を擦りながらアキラはすぐに立ち上がるが、その表情は楽しそうなものだった。
「アキラ、カイリュー。お互いに気持ちを落ち着けろ。それと攻防が速くなると目の前の対処にばかり意識が向いて予測することが疎かになっているぞ」
「…はい」
気持ちの高揚を感じていたが、師の言葉にアキラは表情を引き締め、落ち着けようと努める。
シジマの指摘通り、攻防が激しくなると目に見える相手の出方やその対処にばかり神経が向いて本来の目的を忘れてしまう。
やっぱり難しい、と思いながら、棒の持ち手を真ん中に変えて息を整えたアキラは、派手に棒を回す様に振り回しながらカイリューへと向かう。
棒と腕の動き、彼の視線に注意を払い、カイリューはアキラが何を考えているのかに意識を集中させる。
惑わせながら、右から仕掛けて――
そこまで考えた時、カイリューは無意識に動いた。
考えていた通りに右から振られた棒を腕で防ぐと、アキラはそれを軸に流れる様に体を回してドラゴンポケモンの背後に回り込もうとする。
読んでいたカイリューは、尾を持ち上げるが、彼は軽やかに体を一回転させるかの様にジャンプして避ける。
尻尾が避けられたら左腕を横に振る。それが避けられたら――
カイリューがアキラの考えを予測していた様に、アキラもまた彼の考えや狙いを予測していた。
こういう相手の置かれている状況や抱いている気持ちを読み取ろうとする動きは、トレーナーとして動いて来たアキラの方が慣れている。
読み通り、ほぼ反射的に振るわれたカイリューの左腕を躱し、彼は今度こそ無防備になった腹部目掛けて棒を振る。
だけど、カイリューは腕を振った勢いのまま、先程尾を避けたアキラと同じ動きをして避ける。
ところが、回転させながらジャンプしていた体が着地した直後、回避した筈なのにドラゴンポケモンは腹部を棒で叩かれた。
「ちょっと油断したな」
素早く棒の持ち手を真ん中から端に変えていたアキラは得意気に告げる。
棒術なら状況に応じて持ち手を変えることで臨機応変に戦い方を変えられる。
剣道の竹刀の様なタイプも好みではあるが、ブーバーの”ふといホネ”を使った戦い方を指導しつつ一緒に学んだり間近で見て来た影響なのか、持ち手を選ばない棒術の方がアキラは上手く使えていた。
一撃離脱とばかりにすぐに退くが、調子が出て来たのかカイリューが今何を考えているのかが何となく彼にはわかってきた。
さっきからやられっぱなしなのだ。少し本気を出して、一回くらい顔を殴っても間違いや運悪くで済ませられるだろうという思惑。
そう考えた直後、屈める様に足腰に力を入れたカイリューは、真っ直ぐ突っ込みながらアキラ目掛けて拳を突き出した。
割と容赦なく顔面を狙ってきたパンチなのも予想通りだったので、アキラは頭を横にズラしながらタイミング良くカイリューの腕に棒をぶつけて逸らす。
しかし、これでカイリューの攻撃は終わりでは無かった。
まるでカイリキーの様に、カイリューは両腕をフル稼働させて様々な角度からパンチを次々と繰り出してきたのだ。
対するアキラは常に思考を絶やさずに動きを予測し続けるだけでなく、手に握る棒にドラゴンポケモンの攻撃を逸らせるだけの力を込める。それだけでなく動体視力や反射神経などの身体能力などの使える要素全てを最大限に活用して捌いていく。
強大なドラゴンポケモンの苛烈な攻撃を手にした棒だけで捌くという人間離れした芸当をアキラはこなしていたが、今防げているのはカイリューがまだ本気を出し切っていないからだと言う事を彼はわかっていた。
その証拠にカイリューはどこまで本気を出してもやれるのか試すかの様に、シジマの格闘ポケモン達から学んだ技術を意識しながら徐々に攻勢を強めていき、アキラは後ろに退きながらの防戦を強いられる。
流石に辛くなったアキラは、一瞬のタイミングで体を斜め後ろに跳ばして距離を取る。
ところがカイリューは彼が逃げることを読んでおり、ほぼ同じタイミングに大きく踏み込んで一際力の籠った拳を放つ。
それに対してアキラは、機敏な動きで下がりながら棒を盾に受け止めたので、体は後ろに跳んだがそこまで大きく吹き飛びはしなかった。
「はぁ…やっぱり…はぁ…リュットは強いよ」
攻撃を防ぎ続けるだけでもかなり消耗していたのか、アキラは顔からかなりの量の汗を流しながら息を荒げていた。
肉体的な疲労だけでなく、意識してカイリューの考えていることや動きの予測を続けていた為、疲れるのも早かった。
寧ろ、体の疲労や内から響く様な痛みよりも、頭の疲労度合いの方が深刻だった。
バトル中に様々なことを考えて戦う経験は積んではいるが、ここまで頭と体を同時に全力で動かすのはあまり経験が無かった。だけど、この頭の疲れ方には憶えがあった。
先程から曖昧ではあるものの予測にしては正確なイメージ、憶えのある頭の疲れ方、アキラは確信した。
これが自分達が求めているものを実現する今一番近い方法だと
息をする度に肩が上下する程に荒かった息を落ち着かせ、俯かせていた顔をアキラは上げるが、その顔は毅然とした顔付きに変わっていた。
カイリューも彼の身に纏う空気がより一層鋭くなったことを感じ取り、戦っている最中に湧き上がった余計な思惑を一切忘れた。
両手の拳を鳴らして迎え撃つ準備をすると、アキラは手にした棒を構えながら、さっきのカイリューみたいに一気に駆け出した。
疲れているとは思えないスピードではあったが、カイリューはアキラが何を考えて真っ直ぐ突撃してくるのかが、
体がギリギリ耐えられるまでに腕に力を入れて、まるで斬撃と見紛う程のアキラの鋭い一振りをカイリューが両腕を盾にして防いだのを機に、両者の戦いにある変化が起きた。
互いに休む間もなく攻撃を仕掛けたり、あの手この手で防御や避けたりしていたが、次第に戦いでありながら、まるで事前にそう動く様に示し合わせた様な動きになってきたのだ。
カイリューが拳を突き出した時の勢いを利用して、アキラが引き摺り倒すかの様に転がしても、ドラゴンポケモンは上手く受け身を取ってすぐさま立ち上がる。逆にカイリューが彼を投げ飛ばすと、アキラは先程は出来なかった空中で体勢を立て直して着地をする。
タイミングや速さから見て、防いだり躱すのが不可能に見える攻撃も、受ける寸前に逃れたり流す様にもなった。
目で追うのが困難な速さで動いたり、一瞬の隙を突いて巧みに回り込んだりしても、対峙している方は一切目を離すことなく付いて行く。
「そこまでだ」
そんな相手がどう対応するのか、どこまで対応出来るのかを試す様な形だけの攻防へと変化していた両者の戦いは、シジマの制止の声を機に止まる。
もう少しだけ続けたかった。
アキラとカイリュー、互いにそう思っていたが、今は荒くなった息を整えながら出て来たシジマに顔を向ける。
「どうだ? 実際に自分の手持ちと対峙してみた感想は?」
「…ちょっと昔を思い出しましたが、後ろとか離れた場所で指示を出しているだけではわからない感覚はやっぱりありますね」
「そうだ。俺達ポケモントレーナーは、離れた場所から戦うポケモンへ指示を出す。だからこそ、戦っているポケモンの気持ちや状況を正確に知る必要もある」
ただ後ろからゲームコマンドみたいな感覚で指示を出しても、状況や姿勢によっては実行出来ないことはしょっちゅうある。
そういうのもちゃんと読み取った上でポケモンを導くのもトレーナーの役目だが、アキラ達が今やっているのは、幾つかある理解する為の手段の一つだ。
だけど今回の様に実際にポケモンと対峙することは、自身が求めているものを叶える以外にもポケモンバトルでは何かと役に立てたり気付けることも多くあった。
「それとかつて経験した中では弱い方ではありますが、リュットの考えや狙いが読めた様な…今もちょっと余韻が残っている不思議な感じです」
「そうか」
アキラの感想に、シジマは「やはり」と思う。
手を抜いていた訳では無いと思うが、それでも手合わせが始まった当初は互いに少し相手に気を遣っている様に見えた。
だけどあるタイミングで、その流れは一変した。
一転して互いにほぼ本気で動いていたにも関わらず、まるで予めそう動くと決められたかの様な攻防を繰り広げる様になったのだ。
流石にカイリューは技は使わない純粋な身体能力だけだったが、何も知らなければ一人の少年がドラゴンポケモンを相手に互角に渡り合っているという目を疑う様な光景。
だけど、ハッキリ認識していたのかはともかく、彼らは自分達が求めている一心同体の感覚に少しだけ至れたのだろう。
彼らが焦ることなく相手の攻撃を避けたり防げたのも、相手がどう動くのかが事前にわかっていたからだ。そして仕掛ける側も相手がそれをわかった上で動いている。互いの考えていることや動きがわかっているが故に、気を遣ったり加減する必要性が薄れたからだ。
そのことを証明しているのか、現に彼らは避けられるのかわからない攻撃や当たれば無事では済まない一撃を何度も繰り出していたにも関わらず、序盤に受けたのを除けば目立った外傷は殆ど無い。
まさか最初からそこまで出来るとは思っていなかったが、すぐにシジマは今後の彼への指導をどうするか考えて行く。
一度出来たからと言って、次も上手くやれるのなら苦労はしない。
問題は練習で出来たことを如何に本番でも上手く引き出せるかだ。
長年に渡って鍛錬を重ねているシジマでも、実戦どころか練習でも中々至れないのだ。今回みたいにアキラの方が、何かしらの適性があったとしてもまだまだ練習は必要だろう。
「お前がこの鍛錬をやっても問題無い事はわかった。だが、今後この鍛錬をやる際は必ず俺の立ち合いの元で行う様に。今回は何事も無かったが、下手すれば大怪我を負う可能性が有るからな。そのことは常に頭に入れて置く様に」
「…わかりました」
ポケモン――中でも手持ちと対峙する状況にはアキラは慣れているが、本格的な形になると少し未知数な面があるので、シジマの忠告に素直に従う。
だけど、内心では次の”手合わせ”の機会は何時なのかもう考えていた。
もし好きなタイミングで自由自在に一心同体の感覚を使いこなすことが出来れば、その恩恵は計り知れないものだ。
今のところはカイリューのみ実現しているが、シジマの話を聞く限りでは難しいが特別な才能などは必要無さそうなので、更に鍛錬を重ねていけば他の手持ちでも実現出来るかもしれない。
「…どうした?」
「? 何がですか?」
「いや、嬉しそうな顔をしている様に見えた気が…」
シジマの指摘に、アキラは慌てて顔の筋肉を引き締める。が、やっぱり無意識の内に緩んでいってしまう。
これから先のことを考えれば、強大な力を手にしても、必ず勝ち抜けていけるとは限らない。奥の手ではあるが、幾つか取れる手段の一つと考えるべきだろう。
でも数年間求めていた悲願とも言えるものが叶えられそうなのには変わりなかったので、師の目が無かったら今すぐにでも喜びの声を上げたい気持ちでアキラは一杯だった。
アキラ、遂にシジマに弟子入りした目的達成の為にカイリューを相手にした直接対決の訓練に取り組み始める。
頻繁にはやれないけど、今後の鍛錬メニューに手持ちとのスパーリング追加。
ゲーム含めた様々な媒体を確認していくと、ポケモンと一緒に鍛えるだけじゃなくてスパーリングをやるトレーナーは案外多い気はします。
次回、何時か来るであろうその日が来ます。