教室に入ると、やけに中は騒がしかった。
主に男子。俺の机の前で待機している章はドアを開けたままの俺を見つけるやいなや、猛ダッシュで近づいてきた。
「聞いたか!?」
「聞いてない。どうせ碌な事じゃないんだろ?」
「良いや違う!!なんと、転校生が来るらしいのだよ!!」
「……嘘だろ!?」
「ちなみに、だ」
章はわざとらしく声を小さくし、俺へ耳打ちしてきた。
「………女の子、だ」
勝った。
遂に俺は運命の神様を、平凡平均まっしぐらコースと定められていた道をぶち壊すきっかけが出来たのだ。
すると大事になってくるのは、如何にして転校生と仲良くなるかである。まず調べるのはその子の性格。どんな物が好きとか、嫌いとか。
おおやばい、ストーカーの思考だ。
しかし、それくらいにテンションが上がっていた。転校生が来るだなんて数少ないイベント、浮足立つのは致し方ないだろう。
周りに居る男子たちの会話が一層大きくなる。自身の机に鞄を掛け座り、俺は両肘を付きながら掌を重ねる。
それで少しうつむき、顔を隠す。……ドラマで見る会議スタイルだ。
「で、章。女の子の情報は」
「すっげえ力が強い。すっげえ男らしい。……っていうのを知らずに騒いでる男子。そして舞い上がっていた真。お前の姿は面白かったぜえ!!」
「この野郎があああああああああああああ!!!!」
直ぐに会議スタイルを崩し、椅子を蹴り飛ばして立ち上がる。
意地の悪いにやけ顔を晒しながら、恒例となりつつある追いかけっこが始まる、その瞬間。
「ふんっ」
「ふぐおっ!」
短い気合の一声が小さく放たれ、俺の前を走る章の頬に上履きの回し蹴りが食い込んだ。
章は身長172ちょっとの俺よりも高い。よって、そんな高さまで蹴りを届かせるにはかなりの技術か高身長が必要だ。
どさっと机に崩れ落ちる章。それを冷たく見下ろすのは、黒髪をショートに切りそろえ眼鏡を掛けたこのクラスの委員長。風花風音である。
風花風音はこの町でかなり有名な大企業の箱入り娘で、家は勿論お金持ち。しかし彼女自身はその身の上をあまりよくは思ってなく、それが原因としてこの普通の高校に通っている。だが、英才教育を受けていたのには変わりない。成績は優秀だし見た目もそこそこ良く、ノリもかなり良いため皆から慕われている、理想の委員長。
高一にして生徒会長候補として名高い彼女は章と同じく小学校からの友人であり、かくいう俺も彼女の特技である武術の餌食になる人の一人だ。
「朝からまた追いかけっこ。良く飽きませんね、餓鬼ですか?愚問でしたね」
「勝手に自己完結してんじゃねえぞ風音!」
「五月蠅いですよ章。次はこめかみに打ち込みますか?」
「ごめんなさい許してください悪かった」
「……よろしい」
眼鏡をかちゃりと言わせながら位置を正し、彼女はすっと茶色の眼を細める。
「今日は転校生が来ます。くれぐれも、猿みたいな行動をしないように。章も、真も」
「俺のどこが猿だって?」
「分かったよ風音。あと章はその短髪と自分の行動全部見直して来い」
「過去は振り返らない」
諦めたのか、風音は正拳突きを章の鳩尾にぶち込んでからカチューシャを直しその場を去っていった。
崩れ落ちて悶える章の背中をびしびし叩いていると、漸くチャイムが鳴り先生が入ってくる。
章もふらふらに成りながら自分の席に座り、俺も席に落ち着く。
「よーし、んじゃあ挨拶しろー」
適当な口調で、われらが担任である黒式楓という女教師が号令を促す。
口調通りかなり適当な彼女は、これでも良い先生だ。
若い……が、敏腕。教え方もなぜか上手く、その性格から生徒目線で物事を考える節があるため生徒人気も高い。
余談だが、かなりの美人である。
「気を付け。礼」
風音の号令に合わせ、一斉におはようございますと唱和する。
椅子を引き座る音が喧しく教室に響き、落ち着いたのを確認し黒式先生は教壇に立った。
「あー、聞いてる奴も居ると思うが、本日転校生がこのクラスに来ることになった。GW明けの時期だ、珍しいがまあ男子共喜べ。女子だ」
『うおおおおおおおおおおっっ!!!』
一番後ろで一番窓際の俺は、真実を知らない男子が大きく叫び続けるのを黒く淀んだ目で見つめていた。
章も肩を震わせている。さよなら俺の青春、と心で呟き、俺はそのまま机に突っ伏した。顔だけをぐるりと回し、窓の外に広がる空を見上げる。
雲一つない快晴だ。少し手を伸ばして窓を開けると、五月の涼しい気持ちいい風が頬を撫でる。
「じゃあ、入れー」
黒式先生がドアの外へ声を掛ける。今日の一時間目なんだっけ……とか思いながら、俺はドアへと視線を向ける。
ごくり、と誰かが喉を鳴らした。その小さな音で、クラス中の緊張感が一層高まる。雰囲気に飲まれながら、俺達はドアだけに集中する。
そして。
カラ、と音を立てて、ドアがゆっくり開けられて。
――――その瞬間に、クラスの時は止まった。
ゆっくりと、ドアを開けた少女は後ろ手に閉める。
クラス中の視線を一身に集めながら、その綺麗な髪を揺らして少女は教壇の上へと登った。張りつめられた緊張感。思わず姿勢を正すと、黒式先生が口を開いた。
「よし、じゃあ自己紹介よろしく」
そう告げられた少女は手提げ鞄を教卓の上に置き、白いチョークを一本手に取る。
小柄な体躯を背伸びして伸ばし少女は[紡文 栞]と綺麗に書き、横に[つみあや しおり]と振り仮名を振った。
チョークを置き、紡文栞は此方へと振り返る。そして、桜色の唇を動かした。
「紡文栞です。……この度転校してきました。趣味は読書です。宜しくお願いします」
少女の髪は、綺麗で透き通った銀色だった。
これまで見た事が無いほどに美しい銀の髪は腰当たりまで伸びている。身長156cmくらいの小柄な体躯と合わさり、とても長いように見えた。
白い肌に、すっと通った鼻。顔のパーツは一つ一つが芸術品の用で、非の付け所が無いとは正にこのことだろう。
蒼い、まるで今日の快晴の空の様に蒼い眼は吸い込まれそうになるくらいに強い意思を宿している。朧げに、余りにも整いすぎているこの少女は少しばかり霞んで見える程だった。
後で章を殴ろう。そう心で決めた俺は、大きく欠伸をした。
「あー、じゃあ席は元葉真の隣な。あの窓際の一番後ろの馬鹿っぽい奴の隣」
「はい」
「……え?」
呑気に欠伸をしている暇なんてものは無かった。
紡文栞が此方へ歩いてくる。全員が少女を目で追い、そして俺を睨み付ける。突き刺すような視線の集中砲火に陥った俺は、隣の椅子を引き座った少女に、
「宜しく、お願いします」
「よ、よろひくっ!」
……盛大に噛みながら、情けない挨拶をしてしまったのだった。