わっちと異世界旅行   作:せぶんしーず

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今までで一番長くなりました


狼と香辛料と戦闘メイドと執事

 

 エンリはガゼフの傷口に薬草を載せ、包帯を巻く。ンフィーレアのようにポーションを作ることは出来ないが、彼が言った『この葉の裏からは薬効成分がしみ出ているから、森で怪我をした時には傷をこの葉で抑えるといいよ』という言葉はしっかりと覚えている。

 そうやって記憶の中の友人に縋っていなければ、どうにかなってしまいそうなほどにエンリは怯えていた。エンリが応急手当をしているガゼフの隣に、先ほど騎士を薙ぎ倒した大狼が飄然と座しているのだ。敵ではないのだろうと思っても、怖いものは怖い。

 記憶と会話しながら過度に慎重な手当をするエンリに、察したガゼフは柔らかな口調で礼を言った。

 「ありがとう、お嬢さん。名前を聞いても構わないか?」

 「ひょぇっ!?──え、エンリ・エモットです!」

 「エモット……いや、エンリさんと言うのだな。王都に帰り次第、この恩は必ず返そう。そして、森の賢王殿にクラフト殿」

 ガゼフはロレンスと大狼を向き、重々しく頭を下げる。

 「ひとまずではあるが、貴殿らのおかげで窮地を救われた。感謝してもしきれない。そして森の賢王殿には村も救っていただいた」

 牙を見せて喉を鳴らす大狼に、ガゼフは物怖じした様子を見せない。

 「国王に代わり、心から感謝する」

 『ぬしも随分と豪胆な雄じゃな。わっちは狼じゃ。そんなものに主君の名を借りてまで礼をする必要があるのかや?』

 「たとえ姿が人間でなかろうと、恩ある者であることに代わりはない。それに、私はこれでも王国戦士長。都から離れることの出来ない王に代わって感謝の言葉を述べるのもまた、私の務めだ」

 『……そうか、ならば勝手にするがよい。──付け加えて、わっちは森の賢王ではない。森の賢王というのは、村の連中が勝手に誤解しただけじゃ』

 そう言うと大狼は飛び退き、長い尾で地を叩いて木々の緑葉を落とした。宙を舞う木の葉に紛れ、狼の姿がつかの間見えなくなる。

 最後の1枚がひらりと地に落ちて現れたのは、葉の絨毯の上に四つ足をついた、肌の色眩しいうら若き乙女だった。腰の下からは亜麻色の大きな尻尾が伸び、頭の上には獣耳が載っている。

 「っ!?」

 ガゼフは突然のことに目を見開いて驚き、そしてすぐに視線を背けた。

 「おぬしらには、わっちのこの姿を見せても構わぬと判断した。悪人の臭いが全くせぬからな。──うぉぉぉーん」

 狼の威嚇のように尻と尻尾を上げた獣の姿勢の裸の少女に、ロレンスは用意していた服を投げつける。

 「ホロ、もうやめておけ。戦士長様が驚いているぞ」

 ホロと呼ばれた少女は俊敏に二足で立ち上がって服をキャッチすると、体を服で隠し、疑わしげな目をロレンスへ向けた。

 「本音は?」

 「……独占欲だ」

 「──まぁ、六十点と言ったところじゃな。もっと愛のある言葉が咄嗟に出せれば良いんじゃが」

 「こんな森で火を出されたら、燃え広がって大きな火事になるだろう。お前の顔が赤くなりすぎないよう控えめにしてやったんだよ」

 ロレンスのニヤリという顔を見て、何を言っているのか分からないとばかりにホロは呆けた顔をする。

 ホロはゆっくりと手で己の顔を触れ、そして理解して小さく笑った。

 「ふふっ、それはない。わっちらの間には水が入っているではありんせんか」

 そう言ってホロはエンリを見る。ホロが突然人間に──村で見たロレンスの妻になったことに驚き、エンリは腰を抜かしてアワアワとしていた。

 「……ところでのう、ロレンスよ。この小娘にはわっちの正体のことを話していなかったのかや?」

 「実物を見せずに説明するだけでは、気が触れていると思われるだけだろうと思ってな。特に何も言わなかったよ」

 「どうやら、裏目に出たようじゃな」

 ホロは言うと、素早く服に袖を通してエンリの側へ駆け寄る。エンリは少女の姿のホロから逃げようとはしないが、その顔には恐れや怯えが見て取れた。

 ホロはエンリの前に腰を下ろし、目線の高さを合わせて話しかける。

 「わっちゃぁ遠い遠い雪国からロレンスと共に遥々やってきた旅の狼、ホロじゃ。先はホロが森の賢王だなどと偽りを言ってすまんかった。村の者達の前じゃったからの──許してくりゃれ?」

 「……はい」

 ホロの優しげな雰囲気にのまれ、エンリは返事をした。 

 「ホロさま、ですか……。そういえば村で狼の真似をしていた時、そういってらっしゃいましたね」

 「そうとも。何を隠そう、ヨイツの賢狼ホロとは誇り高きわっちの名よ!」

 得意げに胸を張り、尻尾を揺らすホロ。

 しかし、その表情はすぐに嫌なものを感じ取ったような苦いものへと変わった。

 「皆よ、何か来る。──地を歩む動物ではありんせん。こいつは……」

 ホロがそこまで言って、ロレンスたちの耳にも木々が倒れる音が聞こえた。ロレンスとエンリが来た村の方角ではなく、ホロとガゼフが逃げてきた戦場の方から。

 もう大方察しのついたガゼフが、痛む傷を庇いながら立ち上がる。ロレンスはそんなガゼフに肩を貸した。

 「……追っ手のようですね」

 「そのようだな。……すまない、無関係の君たちを巻き込んでしまって。奴らの標的は恐らく私一人だ。どうか私をここへ置いて、早く逃げてくれ」

 それに対し、ロレンスが何か言い返す暇はなかった。

 

 燦然と輝く光の化身(ドミニオン・オーソリティ)が、樹木を押し倒しながらその姿を現したからだ。純白の羽根の集合体で、腕には人の身の丈ほどの長さの笏を握っている天使だ。

 ロレンスやホロを含め、その場にいた誰もが清浄な雰囲気を感じ取った。この天使がこうして存在しているだけで、邪が払われて空気が澄んでいくような、そんな感覚。

 ガゼフはロレンスから離れ、剣を握って天使に向きなおる。

 「お前の相手は私だろう?」

 純白の天使は言葉を返さない。それどころか口もなければ、貌すらない。しかし威圧的な敵意だけは、しっかりとガゼフを射抜いていた。

 天使が笏を縦に持ち、それと同じくして後光の強さが増す。

 

 来る。

 

 戦士としての勘でガゼフが、野性の勘でホロが動いた。ガゼフはロレンスたちから距離を取るように跳ね退き、ホロはロレンスとエンリを地に押し倒す。

 次の瞬間、ガゼフがさっきまで立っていた地面を光線が抉った。爆風で木の葉が舞い、ロレンスたちを覆い尽くす。

 ガゼフは傷の痛みを押し殺して地を蹴った。瞬く間に天使との距離を縮め、剣を振りかぶる。

 「武技──〈戦気梱封〉!」

 剣が天使の胴に喰い込み、切り口から光の粒が迸った。

 だがそれ以上は何も起きず、切り口が剣を押し返そうとしてくる。一刀両断にするつもりだったガゼフは、天使の強さから死の訪れを感じながら武技を発動した。

 「武技──〈限界突破〉ァァァッ!」

 身体中の骨がミシミシと鳴り、筋肉が断裂していく。爆発的に増えた痛みを無視しつつ、ガゼフは一層剣に力を入れた。

 

 それに天使が示した反応は、単純だった。

 ガゼフの剣を煩わしげに笏で弾き飛ばすと、返す刀でガゼフを撥ね飛ばす。みるみるうちに修復されていく切り口が、そのおぞましいまでの自己修復力を物語っていた。

 ガゼフは体を木に打ち、力なく崩れ落ちる。〈限界突破〉は使用者の体に極めて大きな負担を強いる武技のため、彼はすでに虫の息だ。

 天使は杖を縦に持ち、再び光線を射出する準備に入った。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 「最高位などと言うから身構えてみれば、熾天使(セラフィム)ではなく主天使(ドミニオン)か。……この世界はどうやら相当にレベルが低いらしいな」

 適当にくつろいで足を伸ばしながら、モモンガは鏡をのぞく。レベル100のモモンガから見ればあまりにもお遊びに過ぎる天使が、森の中で大狼と戦士を追っていた。

 頭の中で彼らの戦力を弾き出して、戦闘になった場合の勝率を考える。

 「……およそ二対八というところか」

 手負いの戦士とそこまで強くなさそうな狼では、いくら主天使とはいえ相当に辛いだろう。戦士の方はリ・エスティーゼ王国の重鎮。可能ならば懇ろになっておきたい。狼の方は単純に、コレクターとしての血が疼く。

 かと言って天使の側の敵になるならば、スレイン法国という国の敵となることは免れないだろう。モモンガは両者を天秤に載せ、思案に耽る。

 「ナザリックに一番近い村と良い関係になり、そこから支配の手を伸ばすのが妙案なのは確かだ。とすると──やはり狼と戦士の側の助力をするのが良いかな」

 《メッセージ/伝言》と小さく呟き、四匹の斥候部隊との接続を一度切ってセバスを呼び出す。

 『はい、モモンガ様。なんでございましょう』

 「火急の命令だ。プレアデスを連れ、リ・エスティーゼ王国の戦士長の加勢に向え。天使を倒し、可能ならば魔法詠唱者(マジックキャスター)は生け捕りにせよ──大きな天使には気をつけろ」

 『承知いたしました、モモンガ様』

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 予兆は一切無かった。

 

 光線を発射する寸前の天使の真上に黒い人影が現れたと思うと、天使は頭から地面に叩きつけられた。続けざまにその上から胴を貫いて巨大な十字架が突き立つ。

 甚大なダメージを受けた天使から極光が迸り、自己修復機能が甲高い機械音を立てながら発動する。胸に刺さっている十字架に動きを鈍らせながらも、天使は体勢を戻そうと動き出した。だが、天使の顔の上に飛び乗った女の影がその動きを止める。

 「……うるさいハエっすねー。耳がキンキンするからとっとと死んでくれって感じっす。──えいっ、えいっ」

 天使の頭部を執拗に蹴る女の隣に、頭上から燕尾服の紳士が降ってきた。彼は何でもないかのように着地すると、天使を蹴り続ける女を窘める。

 「ルプスレギナ。至高の御方はこの天使について、慢心せずに叩き潰すようご命じになりました。無駄な行動をせず、直ちに仕留めるのが忠誠心です」

 「はいはーいっす」

 ルプスレギナという女は言葉に従って飛び下りる。

 「それにしても、痛がる反応を示してくれない相手はホンっトーにつまんないっすねー。──《ブロウアップ・フレイム/吹き上がる炎》」

 その途端、まるで奇術かなにかのように、天使を炎の柱が包む。しかし天使はキリキリと嫌な音を発し、それでもなお戦おうという姿勢へ持ち直した。そんな様子を見た燕尾服の老紳士は、表情を変えずに感嘆のため息をもらす。

 「……流石は至高の御方が名指しで警戒を促されるだけはありますね。一応及第点の継戦能力はあるようです──しかし」

 紳士は燃え盛る天使へと一瞬で肉薄し、手のひらを天使の胴の部分に押し当てる。

 紳士が下半身に力を入れた直後、その手のひらから空気を砕く爆裂音が轟いた。衝撃波が天使の体を貫通し、背後の木々を大きく揺らす。被害ダメージが一瞬にして自己修復機能を上回り、天使は光に溶けるように消えていった。

 「……まぁ、この程度でしょう」

 「ひゅーひゅー!セバス様かっけーっす!サイコーっすよ!」

 「ルプスレギナ、落ち着きを持ちなさい。保護対象の方々に失礼の無いように。──貴女はそちらの男性の治療を行ってください」

 「はーいっす」

 燕尾服の紳士──セバスはルプスレギナに指示を出すと、戦闘終了直後だというのに、見事な身のこなしでロレンスたちの前に立つ。その清廉な姿は、いつぞやの大貴族の館で働いていた執事をロレンスに思い出させた。

 「お怪我はございませんか?」

 セバスはロレンスに手を差し出し、握手を求める。嫌味なものが何一つない、純然たる善意が見えた。

 「あぁ──いえ、おかげで助かりました」

 セバスはひとつ頷くと、視線をエンリとホロにも向ける。

 「わっ、私も大丈夫です!ありがとうございます!」

 「……わっちもじゃ。助かった」

 ホロはセバスに軽く礼をいうと、ガゼフの側で回復魔法を行使するルプスレギナを睨む。

 「──この地に来てから、全く面妖な術を使う者達ばかりじゃな。わっちの常識というのはここまで狭かったわけかや」

 それに対してセバスが僅かに反応を示す。驚きと興味の視線をホロに向けた。

 「……この地に来てから、とおっしゃいましたか?」

 それに答えようとしないホロの代わりに、ロレンスがセバスに話す。

 「我々二人は、遠い場所から行商の旅をしてきた者です。この近辺になってから見慣れない事柄が多くなりまして」

 セバスは心中で僅かに落胆したが、些細な表情の変化はロレンスには気づくことが出来なかった。

 「行商人の方でしたか。──改めまして、私の名前はセバス・チャンと申します。あれは私の部下のルプスレギナ・ベータです」

 「私はクラフト・ロレンス、こちらは妻のホロです」

 「おや、ご夫婦でいらっしゃいましたか」

 セバスはそう言いながらも、驚いた顔を一切しない。二人の左手薬指に嵌った指輪を見て、大方予想が付いていたのだろう。

 一方セバスの方は両手を白い手袋で覆っていて、ロレンスには結婚指輪の有無は分からなかった。見てくれからすればほぼ確実にセバスは執事、ルプスレギナはメイドだろう。身につけた服の立派さを鑑みれば、相当に大きな屋敷の使用人かもしれない。執事は仕事に熱を入れるため、雇い主から結婚を禁じられている場合があることを、ロレンスは知っていた。

 「ところで、セバスさんとルプスレギナさんはどうしてこんな森の中まで?」

 「主の命により、王国戦士長殿の加勢に参った次第にございます。執事は主の意向に沿うことが何よりの使命でございますので」

 やはり執事だったと、ロレンスは納得する。雇い主の命令とは言え、なぜ執事が生粋の戦闘職のようなことをしなければいけないのだろうかという疑問は置いておいて。

 それにしても王国戦士長が手も足も出なかった相手を執事とメイドが即座に沈めるとは、王国戦士長というのはもしかしてこの地において大したことのない実力しか持たないのだろうか。その他にも様々な謎がロレンスの頭を過ぎるが、商人の端くれとして心情を表に出すわけにはいかないという理性が、ロレンスの口から疑問を呈させるのを抑え込んだ。

 「セバスさん、本当にありがとうございます。──それに、困っていた我々を助けてくださるそちらのご主人も慈悲深いお方です。この場の皆に代わり、代表してお礼を言わせていただきます」

 「我が主に感謝の心を持っていただけるのは、至高の御方に創造されし我々にとって何よりの喜びです。──ロレンス様たちを助けたことについては、困っている人を助けるのは当然だと我が創造主も常々口にしていましたから、特に気にする必要はありません。当たり前のことをしたまでです」

 ロレンスは『創造』という言葉に違和感を持つが、特に気に留めることはしない。育てられたとか拾われたとかいう意味だろうと解釈する。

 「セバスさんのような素晴らしい方々が仕え、そして暖かいご主人が治めていらっしゃる土地であれば、さぞ素晴らしい場所なのでしょう」

 身分の高い人間に相対する時、商人にとって金貨を凌ぐ最大の武器は褒め言葉だ。まずは褒めて褒めて調子に乗らせて、そこから情報や交渉を引き出すのが、最良の方法だとロレンスは知っている。そして、ロレンスが口にしている言葉に一切の嘘はない。なんの気兼ねもなく、思ってもいないことを言う時の後ろめたさの一切もなかった。

 セバスの表情が目に見えて和らいでいき、少し離れてガゼフの治療をしているルプスレギナも、嬉しそうに鼻の下を伸ばしていることを確認してロレンスは安堵する。

 「もし宜しければ、どちらの大貴族様なのかお教え頂けませんか?」

 ロレンスは、まず家名を知ることから始めることにした。答えるのに躊躇することでもないし、この土地で有名な家柄ならエンリが何か知っているかもしれないという期待を込めて。

 しかし、期待は外れる。

 「我が主に発言の許可を求めねば、あまり詳しいことは申せません。少々お待ちください」

 セバスは耳に指を当てて黙りこくる。

 少しの時間が空いた。

 

 「──主から発言の許可を頂けました」

 

 セバスが口を開いたのは、たっぷり1分が経過してからだ。ロレンスは、また不思議なよく分からない力で何かをしたのかと内心で頭を抱える。

 「我が主は貴族ではありません。ナザリック地下大墳墓の至高の御方々の円卓におけるまとめ役であらせられる、アインズ・ウール・ゴウン様にございます」

 ロレンスは理解することを放り投げそうになった。話を聞いていたエンリが、ロレンスに代わって疑問を口にする。

 「……墳墓っていうと、大きなお墓のことですか?」

 「左様にございますが、墳墓の名を持った宮殿のように考えていただければ都合が良いかと」

 そんなイカれた建築物が存在するのかと叫びそうになるロレンスだったが、空飛ぶ天使や摩訶不思議な戦闘術があることを思い出して言葉を飲み込んだ。それに、セバスという老紳士は至って自然体で話しているように見えるのだから。

 「森の外の部隊は私の部下達が鎮圧しに向かっておりますので、ご安心ください。優秀な者達ですので、何も気にすることなく村へお戻り下されば万事問題ありません──」

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 それは、残り少ない魔力を休むまもなく消費し続け、やっとのことで悪霊犬(バーゲスト)の勢いが収まってきた時だった。

 ニグンの背後に控えていた、範囲強化魔法を行使する天使、監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)の胴体に、突如こぶし大の風穴が開いた。監視の権天使はそのまま一切の自己修復機能を働かせず、消滅した。

 振り返り、光になっていく権天使をほうけた目で見送りつつ、ニグンは混乱する。天使は自分の耐久力以下の攻撃を受けた時には即時、回復を始める。そして監視の権天使は味方を強化するという役割上、攻撃性能を犠牲にして耐久力と防御力にそのステータスが割り振られてあるのだ。

 不可視の位置からの強烈な一撃で倒されたのかと思い、ニグンは冷や汗を握りながら叫んだ。

 「各員、不可視化した敵に警戒せよ!」

 「人が隣にいるのに鼓膜を破るような大声を出すなショウジョウバエ。生かして捕らえろという命令でなければ既に五回は死んでいると思いなさい」

 「……がぁっ!?」

 真横から突然聞こえた女の声にニグンが動転すると、気がつけば彼は頭から地面に叩きつけられていた。

 「あぁ、薄汚いゴミに足払いをしたせいで靴が汚れてしまったわ。せめてこのゲジゲジを焼却処分できたらどれだけ気持ちのいいことか」

 痛む頭を小さな靴底で踏みつけられ、ニグンは顔面を地に押し付けられる。鋭利なガラスのように尖った女の声は、周囲の陽光聖典隊員たちに命令した。

 「全員、攻撃魔法で自分の両足を破砕しなさい。面倒事は嫌いなのよ」

 「もごっ、ばっ、ばべぼぉっ!ぶぃばばぶばびっ!」

 ニグンは懸命に発言しようとするが、口を開く度に土が口に入ってモゴモゴとした言葉しか出てこない。前も上も見えず、女の姿を見ることすら出来ない。

 そんな哀れなニグンの近くから、二人目の女の声が聞こえた。

 「……ナーベラル。確かにボクたちに下された命令はこの者達を生きて捕らえることだけど、こんなのどかな村の近くを血の海にするのはあまりにも短絡的な行動だと思わないの?」

 「──だそうよ。良かったわねバッタども。情け深いユリ姉さまのおかげで貴方達の足は繋がったわ。……これまで通りピョンピョン跳ねれるかどうかは別だけれど」

 陽光聖典のいずれの隊員も、突然現れた謎の女襲撃者の対応に手をこまねいている。勇気を振り絞って魔法を放とうという者は一人もいない。この場に満ちているのは、底の知れない存在に対する恐れだ。

 誰も動かない理由はそれだけではない。両名の女が、貴族の屋敷における位の高そうな女性使用人の服のそこかしこに鎧のようなパーツがついた奇怪な服装であることも、またその容貌が現実離れした──神や悪魔に謳われるような絶世の美を湛えていることも、その一つだった。

 そしてふと瞬きをすると、2人だった女は3人に、そしてすぐさま4人に増えている。

 「それにしてもぉ──モモ……アインズ・ウール・ゴウン様はぁ、どんな深いお考えをしていらっしゃるのか分かんないわぁ。もし連れ帰ってから偶然死んじゃったのがいたらぁ、おやつにひとつ、いただけないかなぁ?」

 「エントマ……よだれ、垂れてる。みっともない」

 それぞれ違う個性を持つ美しい女たちに、人質を取られている陽光聖典は警戒を続けることしか出来ない。

 

 そんな中、ある一人の隊員が気づいたことがあった。

 

 部隊の人数が明らかに減っている。

 始めにニグンが人質に取られた時の人数から、その半分と少し多い程度まで減っているのだ。誰も不自然に思わない程度に、箇所箇所から均等に間引かれている。

 危機感を感じた隊員が他の隊員に警戒を促そうとした時、その体は既に青いゼリーの檻の中にあった。

 

 気づかないうちに誰もが消えていき、そして陽光聖典の隊員はニグン以外いなくなった。

 「ごほっ、げはぁっ」

 ナーベラルは咳き込むニグンを見て、頭の上から足をどかす。

 「ソリュシャン、悪いけどこの人間も頼むわね」

 それに応じたかのように、ニグンの周りの地面から青黒い粘液が染み出て、沼のような様相になる。命乞いをする間もなく彼の体は大地へと沈んでいった。

 

 

 

 仕事を終えた粘液は吸い込まれるようにして大地に消えていく。それを見届けたユリは、手を叩いて四人の妹たちを集める。

 「さて、それじゃあ後片付けをすることにしましょう」

 「……たくさんの狼と、たくさんの王国騎士。どうする?」

 「モモンガさまにぃー、お伺いを立ててみますわぁー」

 始終表情の変わらないエントマが何も無い空にむかって、短い手を覆い尽くす長い袖をぶんぶんと振る。しかし、最愛の主人からの返答は無かった。若干しょげた様子のエントマに、ユリは慰めをかける。

 「モモンガ様は現在、セバス様とルプーの方を見ていらっしゃるのかもしれないわ。──それは即ち、どういう事かわかる?」

 「……むずかしい」

 「わかりませんわぁ……」

 「ごめんなさい、私もです。ユリ姉様」

 シズ、エントマ、ナーベラルが答えに困ったのをやれやれと思いつつ、ユリは胸を張って言う。

 「きっと、ボクたち4人を信じて下さっているのよ。だからこそ敢えて凡庸でフワフワとした指示しかお出しにならず、ボクたちに場を一任して下さっているの。ここはプレアデスが有能であると確信していただくためにも、この場にいる者達で解決する他無いわ」

 他の3人がその事実に驚き、思わず唸る。ナーベラルは一つ向こうで倒れている王国兵士たちを見ながら、敬愛する至高の存在に思いを馳せる。

 「なんてこと……!流石はユリ姉様、そして私たちのようなメイドにも活躍の機会を与えてくださる深遠なるお心をお持ちのモモンガ様。──それでユリ姉様、どうすればいいのかしら」

 「丸投げですわぁー」

 茶々を入れたエントマに歯噛みをしつつ、ナーベラルはユリの顔を窺う。その表情には、正解は既に導き出せていると言わんばかりの自信満々の得意げな笑みがあった。


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