わっちと異世界旅行   作:せぶんしーず

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狼と香辛料と小さな村

 

 ロレンスは目を覚まして最初に、いつもと違う寝床だということに気づいた。我が家のベッドと比べて、随分と背中が痛い。マットの素材がしっかりとしていないのだろうか──ん?

 「っ!ここはどこだ!?」

 「朝っぱらから元気なことじゃの。……新たなる旅の始まり、目覚めの気分はどうじゃ?」

 体を起こすと、隣でホロがニヤニヤと笑んでいる。状況が飲み込めないまま、ロレンスは今まで寝ていた部屋を見渡した。

 どこにでもありそうな農家の納屋といった感じだ。寝心地が良くないのは当然そのはず、土の上に直接寝ていたのだから。

 「……ホロ、これはどういう状況なのか説明できるか?」

 「わっちにもわかりんせん。じゃが、これぞ人の言う神のみわざというやつなのやもしれぬな。わっちゃぁ、生まれて初めて神というやつを信じても良いかもしれんと思った」

 「……どうしたんだ?変なものでも食ったのか?」

 「とやかく言う前に立ち上がってみるといい。そうすればわかるじゃろう」

 ロレンスは言われるままにゆっくりと立ち上がる。そしてすぐに違和感に気づいた。

 「……ん?こいつは……」

 床に直接寝ていたにも関わらず、骨が軋まない。腰が痛まない。頭が重くない。手のひらを見ると、あれだけ刻まれていた皺は綺麗に消え失せていた。起き抜けなのに力がみなぎってくる。まるで二十代の頃の体を取り戻したような──

 「……俺は、若返っているのか?」

 「おそらくそうじゃな。不思議なこともあるもんじゃのう。……驚かんのかや?」

 「それは驚いているんだが……お前がそんな態度だと、慌てる気にならないな。……とりあえずここから出よう」

 部屋の外の状況を把握しようと思い、2人は扉へ向かう。扉を開くと、地平線の彼方から出てくる太陽の輝きにホロは目を細めた。

 「かなりの早朝のようじゃな。朝の空気に誘われて目を覚ます農民らも、まだ床についておると見える」

 当然、雪国ニョッヒラの白い景色ではない。見渡せばいくつもの小さな家がまばらに立っていて、その後ろには収穫間近の小麦畑が斜陽に照らされて黄金に輝いていた。大きな国の辺境にある小さな農村といった風情だ。

 怪しげな広告のとおりにロレンスが若返った以上、どんな力が働いてどこに飛ばされていようとも不思議ではない。ロレンスは商人の例に漏れず魔術などの力に懐疑的だが、目の当たりにしたことは素直に受け入れるタイプだった。それはかつて、人語を解する賢狼のホロと出会った時から一層顕著になったとも言える。

 「今のうちに井戸を借りるとするかの。怪しまれる前にこの村から1度離れ、住民が起きた頃に再び訪れるべきじゃ」

 「同感だ」

 ホロはローブの中に尻尾を入れると、頭巾を被って耳を隠した。2人で手を繋いで村の中心まで歩いてきて、井戸の水を拝借して顔を洗う。きりりと冷えた井戸水は、ロレンスの眠気を飛ばすのに十分だった。

 「手ぬぐいがあれば良かったんじゃがな。──へくちっ」

 「袖で拭うんじゃないぞ。大事なその服が傷んだら困る」

 「であれば、ぬしの着古したこちらで拭うとしよう」

 「……おい」

 ホロはロレンスの服の裾で顔を拭くと、可愛らしく頬を擦り付けた。

 「一日の始まりから、好いておる夫の香りに包まれて過ごすことができるというのは実に幸せな事じゃな!今朝からのぬしは加齢臭もせぬからの」

 幸せそうなホロに、ロレンスはため息をつく。

 「自分の臭いなんて気にしたことがなかったな。……もしかしてお前、俺の加齢臭をずっと我慢していたのか?」

 「わっちが見初めた雄が、年月を重ねることによって得た匂いじゃ。くさいと思うことはあれど、嫌だと思うことなどありんせんかったよ」

 「……励ましの言葉、ありがたく受け取ることにしよう。それじゃ──」

 ロレンスの言葉を遮り、ホロが口の前で指を立てた。フードに隠した耳を伸ばし、鼻もくんくんと動かしている。すぐにホロは身をかがめた。

 「人の子の匂いが近づいてくる。どうするかや?」

 「匂いでどんな人物かわかるか?」

 「……おそらくは女じゃな。若い生娘の匂いじゃ」

 「──なら、作戦変更だ。住人であろうその少女に手早く挨拶をして、村に勝手に入った詫びをしよう」

 ロレンスとホロは立ち上がり、かつて2人で旅をした時と同じように、遍歴の修道女と一介の行商人に面構えを変える。間もなく金髪の村娘が1人、空の桶を持って姿を見せた。

 村娘は見慣れない2人の姿に多少驚いていたものの、特に何か不審な行動を取ることなく井戸へ近づいてきた。

 「おはようございます、お嬢さん」

 「こちらこそおはようございます。旅の方ですか?」

 「はい、そのようなものです。つい先程この村に着いたので、こちらの井戸水をお借りしていたのですが……まずかったでしょうか?」

 「あっ、いえ!そんなことないです!」

 「それならよかった。──私は行商人のクラフト・ロレンス。こちらは連れのホロです」

 ロレンスがホロを紹介すると、ホロは村娘を伏せ目がちに窺った後、軽く会釈をした。それに返すように村娘の方も名を名乗る。

 「私はこの村に住んでいるエモット家の長女、エンリ・エモットです。初めまして」

 「エンリさんですね。初めまして。水汲みなら手伝いますよ」

 「あっ、ありがとうございます!ではお言葉に甘えて……」

 ロレンスは桶を受け取り、滑車を引いて水を汲み取る。大人の男の力で桶が水で満たされるまでにそれほどの時間は掛からず、その間ホロはフードの下から静かにエンリを観察していた。

 「ロレンスさんたちはどんな品物を扱ってらっしゃるんですか?」

 「今は仕入れの前なので大きな荷物は持っていませんが、そうですね……。大きな街に着いたなら、貂の毛皮からりんごのはちみつ漬けまで様々な商品を仕入れるつもりですよ」

 「テン……ですか?すみません、聞いたことがなくて」

 「イタチに似た四足歩行動物です。夏に活動が活発になるので、その季節になると森の中で猟師が貂狩りをするんですよ。丁度今の季節くらいなら、大きな街に行けばたくさん仕入れられるはずですから」

 「私は薬草の採取で森の浅いところに足を踏み入れることがあるんですが、そんな話は聞いたことがなかったです!勉強になります」

 エンリの反応に、ロレンスは僅かに違和感を抱く。ホロの視線がロレンスと合い、ロレンスにだけ聞こえる小声で話しかけてきた。

 「……ぬしよ、この娘はイタチのことも貂のことも知らぬようじゃ」

 「あぁ。──ここいらはニョッヒラの近辺と生態系が違うのか?」

 「かもしれぬな」

 そこまで会話したところで、エンリはロレンスに汲んでもらった水を両手に提げよたよたと歩き出す。見ていられなくなったロレンスは半分を手伝うと言ったが、エンリは笑顔で「大丈夫ですよ、水を汲んでもらうだけで助かりましたから」と断った。

 少し不機嫌になったホロがロレンスの袖を引っ張り、口を尖らせる。

 「ロレンスよ、さっきからあの雌に肩入れしておるようじゃが?」

 「現地人と会話して、できるだけ情報が欲しいだけだ。……もしかして妬いてるのか?」

 「まさか。あの雌はぬしの好みではないであろうに、心配などしておらん」

 「そうは言っても尻尾が強ばってるな。……今はあの少女しかいないが、じきに他の住民も出てくるだろう。気をつけろよ?」

 「強ばっておるのはあの雌と会話しておる時のぬしの顔じゃ!まったく、雄はこれじゃから困りんす」

 「顔の筋肉がうまく動かないんだよ。若返った体に慣れてないだけだ。さて──」

 ロレンスは懐の巾着袋をさする。金貨銀貨を詰めたものだが、ニョッヒラから遠いのならばこれにはお世話になれないかもしれない。しかし鋳潰すことで金と銀の価値通りの値段になれば、荷車とそれを引く馬の一匹程度は買えるはずだ。

 そのためにもまずは大きな街へ行かなければ話にならない。

 

 手をあけたエンリが戻ってくる頃には、家々から徐々に住民が顔を出し始めた。住民たちはロレンスとホロを見ると、皆笑顔で概ね「何も無い村ですがゆっくりしていってください」というような挨拶をした。

 外界に対して閉鎖的な村ではないことに安心しつつ、ロレンスはエンリに尋ねる。

 「エンリさん、この村で一番物知りな方はどちらにいらっしゃいますか?」

 「それなら村長さんのところに行くのがいいと思います。あの家に住んでますよ」

 「ありがとう、助かりました。これは御礼です」

 ロレンスはポケットから砂糖菓子をひとつまみ取り出すと、エンリの手のひらの上に載せる。興味深くそれを見つめるエンリに「とても甘いですよ」とだけ告げ、ロレンスはホロを連れて村長の家へと歩みを進めた。途中、ホロが物欲しげにロレンスを小突く。

 「なぁロレンスよ、あの砂糖菓子をわっちにもひとつ──」

 「ダメだ。働かざる者が食う菓子はない」

 「……けち」


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