愛しているわと女神は言った。   作:エターなる

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さん

 ――――

 

 数百年も生きていると、世界の仕組みを少しは知るものだ。

 

 豊かな大地に緑が茂ること。

 緑を食む小さな命があること。

 それを啄む者たちがあること。

 それを食らう大きな命があること。

 大なるも小なるも、生きとし生ける全てが、死ねば大地に還ること。

 仮令、人には不毛に見える地にも、生命の連環は息づいていること。

 世界は、人を中心に据えたものではないということ。

 

 こういうことは、世代交代の早い種族はさておき、エルフのような長命種は良く知っている。

 世界にとって人も獣も同じであるという考え方はこういう知識から来るものだ。生ある者は皆大地の恵みを受け、その他の動植物を取り込み、そして大地に還っていく。

 

 しかしながら、何事にも例外は付き物というべきか、こういった世界の仕組みに当てはまらない存在も、あるにはある。

 スバルが知る限りでは、二つだ。

 神と。そして魔物と。

 

 魔物はおかしな存在だ。

 

 物を食うし、排泄をする。つがいと子供を作ることは周知の事実であるし、年老いて死ぬ種類もある。

 だというのに、魔石を抜かれたモンスターは灰となって消えてしまう。彼らは大地に生きながら、大地に還らないのだ。

 彼らが魔力の現身だという説を聞いたことはあるが、それにしては、毒も効くし飢えもする。彼らの食らうモノは魔力の塊ではないはずなのに、食後の魔物を殺したときにも、胃袋の中身が残るという話は聞かない。

 

 まるで、彼らそのものが、この世ならぬ何処かに繋がっているようではないか?

 

 他にもある。神々をことさら狙おうとするのも奇妙な点だ。

 普段は他の動物と同じように生きている。物を食い、子を為し……、そこは先述の通りである。

 

 それが、ヒトの姿や神の気配を感じると、目に激情を燃やして暴れだす。

 神を見つけたときの猛り様などは、憎しみに魅入られた狂者のごとし、異様ささえ覚えるほどだ。

 魔物がヒトを襲うのは、ヒトが神々に似せて作られた生き物だからではないか。そんなことを、いつだか誰かと議論したこともある。

 

 魔物とは何だ。魔物とはどういう存在なのだ。

 

 数百年も生きていると、世界の仕組みを少しは知るものだ。

 しかし、数百年と生きていても、少しも分からぬものも、少なからずあるものらしい。

 

 彼らを殺していて、時々ふと思うのだ。魔物は何のために生きているのか、と。

 

 

 

 

「……終わりか」

 

 長槍を振るうことしばし。

 蜥蜴人の最後の一体を凪ぎ払い、それ以降追撃がないことを確認したスバルは、そう呟いた。

 

 びっ、と槍を一降るい、刃についた血を払う。

 

 噎せかえるほどの鉄と脂の臭い。

 オラリオへ向かう街道の一つが数百Mに渡って血の色に染まっている。魔物たちが、塁塁、むくろで道を覆っていた。

 

 このようになったのは、スバルがじりじりとオラリオの方へ後退りながら、つまり、目的地へと移動しながら魔物らを相手したためだった。

 

 倒れ伏す魔物たちは、まだ息のあるものもあれば死んでいるものもある。しかしてその全てに共通するのは、もはや満足に動けまいという事実であった。

 

 スバルは視線を巡らし安全を確認すると、ついで天を仰いだ。

 曇天が重みを増している、間もなく雨となるだろう。

 

(単純に強い魔物も厄介だが、数だけが多いというのも、それはそれで別種の面倒さがある)

 

 やれやれだ。スバルは息を吐き出した。

 

 魔物らの遺骸はどうせその内に灰と消えるから、放置していても構うまい。血臭くなった街道も、折よく雨が清めるはずだ。

 

 問題は、殲滅に思っていた以上の時間がかかったことだった。今となっては、全力で走っても降水を避けることはかなうまい。

 

 とにもかくにも、早いところオラリオへ向かってしまおう。

 

 そう考え踵を返したスバルの足は、しかし、ころり飛んできた石ころに止められた。

 

「ギギ……ギィア……」

 

 蜥蜴人のモンスターが呻きながらもがいている。

 最後に弾き飛ばした個体だろうか、ひしゃげた右半身が無惨だ。

 

 右側と比較したなら無事と言えなくもない左手で、地面を引っ掻いては、砂利を掴んで投げつけてくる。

 爬虫類特有の縦長の瞳が、スバルに対する恐怖とヒトに対する憎しみとで細かく揺れていた。

 

「……難儀だな、お前たちも」

 

 死への恐怖――生物の根幹である生存本能すら押し込める憎悪。まるで呪いだ。

 

 神が魔物に与えたものか、何者かが神に向けたものか、そこは分からぬ。

 しかし、この出処の分からぬ強すぎる悪意と、その器にされた魔物たちの有り様は、呪われていると表現するに足るとスバルは思った。

 

 この悪意が無ければ、あるいは、スバルがこの地に現れなければ、この魔物たちも他の鳥や獣と同じように長閑に生を送れていたかもしれない。

 

 しかし現実は、そうはならなかった。

 憎しみは消えず。彼らはスバルに殺される。

 

「恨むな、などとはこの身が裂けても言うまいが……。

 ……そうだな、天界ではヒトの魂を神々が審判するという。下界での穢れを払い転生させる、魂の浄化というのも行われるそうだ。

 もし仮にお前たちの魂が、お前たちにとっての神の元に還るというなら……」

 

(次生まれてくるときは、その憎しみを薄めてくれるよう、俺は祈ろう)

 

 蜥蜴人の手から力が抜けていく。地を掻く指が何も掴めなくなっていくのを、スバルは最後まで見つめていた。

 

 ――――

 

 フレイヤは普段、ある塔の最上階で暮らしている。

 

 高い塔だ。天を衝かんばかりの巨塔、円形都市オラリオの真ん中にそびえ立っているそれは、俗にバベルの塔と呼ばれている。

 

 一千年ほども昔、神々の技術の粋を凝らして造られたこの塔は、千年後の今もなお世界最大級を誇る建築物である。

 

 オラリオの歓楽街を散策したフレイヤは、降りだした雨に濡らされるまま、この塔への道のりを歩いていた。

 

 フレイヤはしばしば散策に出かける。そこには大きく二つの目的がある。

 

 一つは単なる暇つぶし。

 退屈は心を殺すとよく言うが、悠久の時を生きる神々にとって、無聊は何よりの敵だった。

 

 面白おかしくいなければ気がくるってしまう。フレイヤ含め多くの神々に共通する移り気で奔放な性質は、有り余った時間による産物でもあった。

 

 ある神は暇つぶしに戦争を起こしたし、ある神は気まぐれに世界を滅ぼそうとした。物事の裏側に潜んで、右往左往する人々を陰ながらあざ笑うという()()()趣味を持っていた神もいた。

 

 その点、フレイヤの暇つぶしは出かけた先で面白い物事を探すことだから、一部の神々に比べれば随分と平和な代物なのかもしれない。

 とはいえ、面白いと感じれば戦争だって起こすだろうし、必要と感じれば虐殺だって厭わないだろう。神というのは、大半がそういう輩だ。

 

 もう一つの目的は、眷属として迎え入れたいと思えるような子供を探すこと。

 オッタル然り、その他の眷属然り、彼女はこれまで食指の動かない子供に自分の血を与えたことは一度もなかった。

 

 フレイヤは愛を司る神の一柱として遍く総てを愛してはいるが、その中でも大器の持ち主に激しい愛情を注いできた。

 

 天界では、輪廻する魂の処理という仕事の傍らで、目についた強い魂を収集していたものだ。

 下界に来てからは、将来名を成すだろう者の成長を眺めることが趣味の一つになっている。その成長を、できれば自分の手で、自分の目の中で……、というのが、現在の彼女の最大の望みだった。

 

 近頃は、その趣味も少し食傷気味になってしまっているけれども……。

 

 

 

 ――雨が降っている。

 

 肌に張り付く外套、フードの中、望ましい結果を得られなかった彼女の表情は物憂げだ。毎度のことだが、今回の散策でもフレイヤの眼鏡に適う器の持ち主は見つからなかった。

 

(もう少し、なにかがあっても良いでしょうに……)

 

 当然と言えばそれまでのこと。ありふれたものに価値は宿らない、英雄が称賛されるのは、それが珍しい存在だからだ。

 

 一つの時代に何人といないからこそ英雄と呼ばれ、それだからこそフレイヤは彼らを寵愛する。

 

 そんな英雄の中でも最上級の器を持つ男を手にしていながら、さらにさらにと手に入れようとしている。

 

 弱小ファミリアを四苦八苦運営している神々から言わせれば、ふざけているとも言える考えだ。

 

 高望みという表現すら生ぬるい過ぎた願望、それが達成されなかったからと言って、期待外れという表現は使うべきではないのかもしれない。

 

 それでも、小さな不満は抑えられるものではなかった。

 

 ふ……、と小さくため息。そのとき、不意に彼女の体がぶるりと震えた。

 

 どうやら自分は少し寒がっているらしい、とフレイヤは今更のように自覚する。肌を伝い落ちる雨水は思いのほか体の熱を奪っていたようだった。

 

 不思議なもので、そうすると、張り付いたローブが急に煩わしく感じられるようになった。フレイヤはさらに表情を沈めさせて、帰路の先を見やる。

 

 バベルの塔の威容。

 天を衝くその姿は都市の広範から目にできる。彼女が今歩いている場所から見える大きさを考えるに、帰り着くまでにはあと十分ほどかかりそうだ。

 

 帰ったら、すぐにでも体を温めよう。フレイヤはそう思って、相変わらず背後一Mの距離を守る従者に声を掛ける。

 

「オッタル」

「は。帰りましたら、湯の用意を致しましょう」

「……お願いね」

 

 執事のように頭を下げ、オッタルはまた付かず離れずの距離を保って女神の後ろに侍る。こっそりと表情を盗み見ると、いつもの仏頂面を浮かべている。

 

 この出来た従者は、主の不調の気配を敏感に察していたらしかった。加えて、主の意を言葉もなく察してみせたことを誇らしく思ってすらいないようだ。そんなことは出来て当然だとばかりに、厳格な表情を貼り付けている。

 

 彼を手に入れられたことはきっと幸運なことだ。実力も、忠義も、しもべとしての姿勢も、全てがフレイヤの理想に近い。きっと、オッタルはフレイヤの望みを読み取り、それを忠実に再現しているのだろう。

 

(この子に不満があるなんて言ったら、ロキあたりは唾を飛ばして怒りそうね。……でも……)

 

 理想というのは、それ以上にも以下にもなりえない。良くも悪くも、フレイヤの考えを超えることはないのだ。

 

 何かが欲しい。想像を上回り、予測すら許さないような、何かが。

 

 けれどそれは、なんと贅沢な悩みだろう。

 

 女神はまた一つため息をつく。浮かべた美しい微笑みは、少しだけ、儚く歪んでいた。

 

 

 ――――

 

 スバルは一般に美女と見なされる女性が苦手である。

 

 理由はいくつもある。

 

 まず第一に、美女は男に貢がせることを当たり前と思っている――勝手な偏見である――。

 第二に、彼女らの意に逆らおうものなら、取り巻きに泣きついて報復行為に及んだりする――これまた偏見である――。

 第三に、なんかこう、ぐいぐい来る。何故か知らないが、やんわりと遠ざけても意味がない。コミュ障気味のスバルにとっては手ごわい相手なのだ――偏見……ではないかもしれない――。

 第四に、少し気を許すと豹変する――偏け……、否、悩ましい所である――。

 第五に、なんか此方を見る目が怖い。

 

 と、このような訳で、スバルは美女なる者どもが苦手である。経験上、大きな街の女性の方が危険であるとも思っている。

 

 こういった偏見が構成されるまでには、紆余曲折、色々あったわけだが、その一端として、スバルが自身の容姿がどのようであるかを自覚していないことがあったのは確実であろう。

 スバルは絶世の美男である。多くの場合、彼に近づこうとする女性は、まず彼の美貌と自身の面貌との比較を余儀なくされ、そこで自信のない大半はふるい落とされる。

 すると必然、勝気な気質の女性、後ろ暗い打算の持ち主、玉砕覚悟で突撃してくる者、が残るわけだ。しかもスバルは旅人であるから、いつまでも一所に留まるわけでなく、女性陣としては成るたけ早く親密になるのが望ましい。そりゃあぐいぐい行くだろうし、性急に既成事実を作ろうとするのも当然(?)である。

 

 まあ、ともかく、スバルは美女が苦手である。基本的には善良な男なのでよほどのことがない限り初対面で邪険にすることはないが、美女を前にすると身構えてしまうくらいには、悪い印象を持っていた。

 

 

 さて。

 そんなスバルがオラリオに到着したのは、雨が降り始めてから間もなくのことだった。

 

 そう強くない雨でも、その中をしばらく歩けばずぶ濡れになるのは自明の理だ。市壁の大門を潜る頃には、彼の白い髪は頬に張り付き、雨具代わりの外套も水気を含んで幾分重た気に見えた。

 

 しかしながら、そんなことは旅をしていればままある話で、スバルは大して気にした風もなく門から一直線に伸びる大通りを進んだ。

 

 それよりも意識は大通りの観察に向けられていた。さすがは世界で最も発達した経済都市と言われるだけあって、大陸中を渡り歩いたスバルをして珍しい物が溢れていたからだ。

 

 洒落た造りの高級そうな酒場。賭博場であろうか、金貨とサイコロの看板を掲げた店。演劇場らしき大きな建物。そういった店々が気品を失わない絶妙な配置で立ち並んでいる。

 面白いのは建築様式だ。木造のもの、石造りのもの、どちらも取り入れたもの、四角い建物、三角屋根の建物、釣り鐘天井の建物、統一性がないくせ、奇妙なくらいに自然にこれらが共存している。

 

 人々の服装も多種多様だ。王侯貴族が着ているような大仰な服、アマゾネスように肌を晒す服、エルフらしい肌を隠した服、どれともつかない珍奇な服。色とりどりの雨傘も特筆すべきだろう。一つ共通点を挙げるとすれば、どれもこれもかなり質の良い生地でしつらえてあることだろうか。

 

(ここは高級繁華街か何かか? もし、都市全体がこれほど発展しているのだとしたら、驚異的だな)

 

 スバルの当てずっぽうな推測は一部正しかった。彼が足を踏み入れたのは、享楽の歓楽街もほど近い南地区、そのメインストリートであり、上流階級向けに調えられた繁華街であった。

 一方で、オラリオにも貧民街と呼ばれる場所があるように、都市全域がここのように栄えている訳でもない。

 

 とまれこうまれ、オラリオでも名所とされる場所である。そんな所をびしょ濡れの美男がきょろきょろと周囲を見渡しながら歩いているものだから、当然のごとく人目を引いた。

 

 さらに、長い人生の間に培われ身に染み付いた泰然とした立ち居振る舞いは高貴さを感じさせ、只者でないという印象を周囲に与えていた。

 

 商売気溢れる呼び込みたちは、これはとスバルに目を付けた。上客になりそうで、しかも世間知らずなお上りにも見えるエルフにわんさと声をかけたのである。

 

「おにいさん、そんなに濡れて寒そうね、うちにいらっしゃいよ」

「もし、エルフの旦那さま、見ないお顔、旅のオヒト?」

「あら素敵な方、雨宿りついでにでも、寄っていってくださいな」

「ちょいと、兄さん、あっちに良い女の子揃えた店があるんだ。安くしとくよ」

「旅の疲れにはお酒とごはんが一番です! 当店で一献、どうですかっ?」

 

 さて、ここで両者にとっての些細な不幸が生じる。

 

 それは、呼び込みの大半が()()()()()ことである。比率としては、妖艶系美女二、清楚系美女一、元気系美少女一、男一。

 

 高級店というのは人好きのする美形を雇うものであるし、客の呼び込みに押しの強い異性をあてるのも良くある話である。

 一般に、不細工より美人の方が客の印象が良いし、雇い主だってブスと労働するよりイケメンやカワイコちゃんと仕事(いちゃいちゃ)したいものだからだ。それに普通は、同性の美人にお店に誘われるより、素敵な異性に声を掛けられる(よいしょされる)ほうが嬉しいに決まっている。

 

 しかし、忘れてはいけない。『一般に』だの『普通は』だのと付言するからには『例外』だってある。

 

 そう! 世の中にはあるのだ! 例外の! 一つ(()()())や二つ(()()()())!

 

 注意しておくが、別にスバルがそうというわけではない。彼はただ話しかけられると身構えてしまう程度に美女が苦手なだけで、特殊な性的嗜好を持ち合わせているわけではないのだ。

 

 しかし、もし呼び込みの者たちが前述の例外の存在を念頭に置いていれば――なかなか無茶な話ではあるが――、少なくとも初対面の男にしなだれかかったり、手を引いたりといった、女性らしさを前面に出した押しの強い呼び込みが、ある種の男には鬼門であると理解できたはずだった。さらに言うなら、一般論としてもエルフには潔癖な者が多いのだから、過度な身体的接触は避けるべきであったろう。

 

 何度も言うが、スバルは美女が苦手である。ぐいぐい来る女性は特にあれだ。都会の美女ほど危険であるとも思っている。

 

 そこへ来て、奇しくも、オラリオという世界最大の都市で、苦手な性質の美女複数に囲まれる、そんな状況になった。

 

 どうするか、どうするべきか、そも、どうしてこうなったのか。自覚の無いスバルには分からなかった。

 

 緊張と混乱のせいで鉄面皮が歪んだ。本人としてはこれはちょっと困ったなくらいの気持ちだったのだが、有り体に表現して、非常に不愉快そうな顔であった。

 

「ひっ」

 

 呼び込みたちの顔を一巡り見渡すと、彼らは息を呑んでスバルから離れた。美形は怒るとやたら怖い。スバルの目つきは、人殺しのそれであった。殺される、と彼らが思ったかどうかは定かでないが、恐怖を抱いたのは確かであろう。

 

(む、良く分からんが、好機!)

 

 そんな周囲の心境などつゆ知らず、韋駄天将、彼は逃げ出した。

 方角は、一路、巨大な白亜の塔。大通りの向こうに聳えるそれであった。

 

 

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