いやもう無理。剣戟アクションとかもう二度と描きたくねえ。楽しかったけれども!
────決闘の代理人は、『
倫理委員会の査問の中、黒鉄一輝は朦朧とした意識で、友の名前を耳にした。
僅かに、口元が吊り上がる。気付かれてはならないのに、笑いがこみ上げてしまう。
仰々しい二つ名に変わっているあたり、随分と派手な戦い方をしたのだろうと想像がついてしまった。
「……わかり、ました……」
了承する。ここに七星剣武祭学内予選最終戦、同時に黒鉄一騎の騎士としての進退がかかった決闘が成立した。
嫌がらせそのものでしかない、朝六時から夜十一時まで続く立ちっぱなしの査問。水は与えられず、薬を盛られたせいか思考が纏まらない。
それでも一輝は屈しない。屈することを、許さない。
────聞けば、朔月英雄は本選に出場できなければ退学だそうで。落伍者の留年生同士、滑稽ですな。
(…………まさか、僕の嘘をここまで真に受けるなんて)
騙されているのは、倫理委員会の大人たちだ。それが滑稽で、笑えてしまう。嵌めた本人の英雄は、腹を抱えているに違いない。
去年から一輝と友人関係にあり続けた英雄は、倫理委員会にとっても目障りに違いなかったはずだ。
自分に一方的な恨みを持ち、下世話な考えを持つ赤座のことだ。友達同士の追放処分がかかった男と、退学がかかった男が潰し合う。どう終わろうと、絶対に後味の悪いものになると予想がついてしまう。ほんの少しでも、気持ちを折るつもりでいるのだろう。
……朔月英雄に言った、あの時の嘘。それが今、ここまで響いてくるなんて。
英雄には、言った瞬間から嘘だとバレていた。自分が嘘をつくのに慣れていないせいもあるが、英雄はその嘘の意図を汲んでくれた。
言った時は、予感にもならないほど曖昧なもの。ただ、英雄を超えずに七星剣武祭に出ることは自分にとってはあり得ない。それを焚き付けるための苦し紛れのものだった。
──しかし、英雄は信じたフリをした。常に視野が広く、何時いかなる時も戦略的に動く彼は、一輝と黒鉄の家に取り巻くものを察知した。……この嘘は、使えるものだと。
(……ああ、本当。どこまで読んでいるんだ)
最初から、生きている場所、見ている視点が違う。
友達ではあるが、同時に最も遠い存在だ。それは一輝も、英雄も互いに感じ取っていた。
彼と、戦える。今、自分が最も欲しているものを持っている英雄と、真正面から。
そしてその意思を、英雄は汲んでくれている。
口で面倒くさいと言っておきながら、あの男ほどの友達思いは一輝は知らない。
(待ってくれる
心身共に限界域だったのが、顔に生気が戻る。
自分は、大人たちによっては屈しない。それはもう確定事項であり、確信だ。
斃れるとしたら、決闘の中で。それ以外はあり得ない。
黒鉄一輝対朔月英雄──七星剣武祭本戦を決定付ける最終試合のこのカードに、学園全体が騒然となった。
共に落第生で友人同士……完全に無名だった去年からずっと交流を続けてきたという二人が、代表を賭けて対決する。
それだけならまだいい。共に騎士。友人だろうが恋人だろうが、戦う時は戦う。その程度の切り替えは可能だ。ままあることな上、有名人同士であることを除けば特筆することは何もない。
……しかしそれが……騎士としての進退と、退学がかかっていたのなら大きく話が違ってきてしまう。
敗北した方は追放処分、あるいは退学。互いに後がない者同士の潰し合いという内実を知ってしまい、物議を醸し出した。
メディアが報じる一輝の悪評は全て根拠のないデタラメという風潮となり、倫理委員会が不当に騎士資格を奪おうとしていることが学園内の共通認識になった上、前理事長一派が黒鉄家と癒着して卒業させない工作をし、結果留年になったことすら明らかになった。
その全ての理由が、一輝がFランクであるということ。Fランクから騎士を出させないために、父親がそうしているのだと。それだけで、ここまでの攻撃を受けることになったのだと、黒鉄の家の確執が学内の全ての生徒が知ることになった。
……それらの情報源には、髑髏の仮面を被った者たちの影があるが、大した話ではないので割愛する。
ともかく、この対決カードが倫理委員会の悪意に凝り固まったものであるというのが、学園内の共通認識だった。
黒鉄一輝は実力を示した。誰ももう、彼を『
それを、大人の身勝手な都合というだけで絶たれようとしている。性根が青い少年少女たちは、理不尽が過ぎるこの所業を許さない。許せるわけがない。
……今では、学内に出入りする倫理委員会の赤い制服を着た者に対しては、片っ端から蔑視の視線が注がれている。
「……だけどまあ、決定したもんはしょうがないよね」
「どこが!?」
教室。ステラは英雄に詰め寄って、不満と怒りを爆発させて拳を机に叩きつけた。焼けた拳の痕が机に残ったのは、ご愛嬌として見逃した。
彼女から吹き上がる魔力は熱になり、髪から燐光は瞬く。近くにいるだけで、英雄は汗が浮く。
「……これには流石に、鶏冠に来ましたよ」
そして英雄の背後には、見ただけでぞっとする目をしている珠雫が、感情の赴くままに冷気が吹き荒れている。
それはもう局所的な吹雪だ。彼の背中は寒く、鳥肌が立っている。
前門の灼熱、後門の極寒。この場に居続けるのが、非常に辛い。
だが、もう立って去れる状況ではなくなっていた。クラスの全員が、同じように怒りで魔力が揺らめいている。
それは学園全域がそうだ。これほど殺伐とした空気に満ちた破軍学園は、開校以来そうなかったはずだろう。
「落ち着けよ、騒いでどうにかなることじゃない」
「落ち着けるか、こんなの!アンタ、アンタねぇ……!イッキが勝ってもアンタが勝っても……っ!」
「試合になった時点で、俺は詰んでる。お姫さん、一輝は追放処分にならずに済むぞ」
「だから、それがっ!」
一輝が勝っても、英雄は学園を去る。どうしても影を落とす結果になる。
彼は迷わず、英雄を斬れる。戦いとなれば、黒鉄一輝に迷いはない。……だが、友が去って気を落とさない理由にはならないのだ。
朔月英雄は、既に破軍学園最強を証明した。先日の東堂刀華戦に圧勝し、彼女を超える伐刀者として名を馳せた。新たな二つ名『
そんな人物が、一度負けただけで退学処分は重過ぎる。それはもう、破軍にとって重大な損失に他ならない。
──何故、朔月英雄がそういう事態になっているのか。……去年からずっと一輝と友人であり続けたため、引き離すための倫理委員会と黒鉄家からの陰謀というのが有力な説になっている。
そこまでするのかという疑問は、ステラとの熱愛報道で回答を得ている。ヤツらは、そこまでするのだ──そう信じさせてしまう材料になってしまう。
(ホント……信用が無いって怖い)
狙ってやったことだが、ここまでセンセーショナルな結果になるとは英雄自身も思わなかった。
ヘイトを徹底して倫理委員会と黒鉄家に集め、東堂刀華に勝利して名を大きく広める。その後に英雄の退学の噂を加賀美経由で流していき、代表は確実視だと見られて来た今この時に、一輝との対戦である。
信用の無さが生んだ、事実無根の噂である。普通、その辺りの事実確認を理事長や教師陣にすると思うが……その理事長や教師たち本人も一輝の対応にお冠なため、わざと見て見ぬふりをしている。
謂われなき誹謗であると、倫理委員会側が訴えても一切耳を貸さない。
結果、アレらへ生徒の悪感情が溜まりに溜まっていく一方。もしこの場に赤座がいた場合、数秒とかからずに肥料にもならない挽肉と化すだろう。
(
冗談抜きに転校先を吟味した方がいいのかもしれないと、英雄の中で考えが過った。ここからある程度近場の貧狼とかいいかもしれない。
「俺は勝てなくて、一輝が勝つ。まともにやり合ったら、そうなるんだよ」
「…………っ」
「俺が詰めを誤ったことがあったか?」
英雄が勝つと決めて、勝ちを逸したことは一度たりもない。珠雫も、刀華も……勝つとわかっていたからこそ、勝ったのだ。
自分の力を誰よりも知っている。どこまで通じて、どこまで届かないのかも、理解している。
だから、英雄はいつも不敵な態度を崩さなかった。負けない相手に、恐れる理由はない。
…………逆を言ってしまえば、勝てない相手とわかったらあっさりと認めてしまう。そういう相手に関しては、戦わないように戦略単位で策を弄するのが英雄の常だが、今回はそういうわけにはいかない。
その例外が、黒鉄一輝だ。戦えば、負ける。それを戦う前から知っている。
勝てないとわかっているからこそ、どうしようもない。
(ネタばらしした後が怖いな……お前の嘘を採用したんだから、覚悟しろよ一輝)
全部が終わった後、絶対に、一緒に怒られて貰う。それだけは譲らない。
「なぁなぁくーちゃん、朔坊の退学云々って嘘だろ?」
「ああ嘘だ。それがどうかしたか?」
「いや、アレの
「黒鉄が朔月を予選に出場させるために焚き付けた突拍子もないものだ。朔月は最初から嘘だと知っていたし、黒鉄も信じたフリをしているということもわかっている」
「え、何それ。速攻ネタばらしでもしたのあの二人?」
「していないだろうさ。口にすることなく察してたよ」
「ホモかよアイツら、男の友情カッケー!つーことはアレか、こうなることを二人とも狙ってたのか!?」
「黒鉄は知らんが、朔月は狙っていたな。黒鉄の嘘を聞いた瞬間から、この状況を作ることを狙っていたに違いない」
「やっべー、アイツこえー」
黒鉄一輝対朔月英雄の試合が控える訓練場のドームの、観客席。理事長新宮寺黒乃と臨時講師西京寧音は、リングを俯瞰しながら会話に興じる。
……近くにいる、赤服の肥満体に、よく聞こえるようにわざとらしく、大きな声で……。
「まったく、悪い奴だなぁ黒坊は。あんな嘘をつくなんて」
「まったくだ、全員騙されてるぞ。
「…………っっ!!」
声にもならない唸り声は、豚の鳴き声に似ていた。
全て、自分の思い通りに事が運んだはずだった。黒鉄一輝を徹底的に追い詰めて、学内最強を超えた駒を用意したはずだった。勝とうとすることを躊躇うような、相手のはずであった。
それが、覆された。二人の落第生によって、踊らされたのだ。
そして何よりも屈辱的に感じているのは、それが、黒鉄一輝の嘘によるものという事実。価値の無いゴミとして見ている者が、自分を騙したという罪は贖い難い。
「聞く限り、刀華を破ったモンは中々な戦上手じゃのう」
そして寧音と刀華の師であり、齢九十を超える日本人最高齢の魔導騎士にして生きた伝説──『闘神』南郷寅次郎は、この試合を観戦しに来ていた。
盟友黒鉄龍馬の孫と、愛弟子を破った少年の対決。興味を惹かれるのは、無理もない。
報道で聞く限り、この試合は落第生同士の潰し合いと聞いていたが……この会場の様相を見てすぐに嘘であると見てとれた。
ドームの観客席を埋め尽くしているにも関わらず、シンと静まり返っている。生徒のほとんどが沈痛な面持ちで、無人のリングから目を離さずにいる。
……この空気を作り出したのは、朔月英雄だ。生徒を扇動し、倫理委員会と黒鉄家を悪逆をもたらす対象として定めた。事実無根の悪評が流れようとも、撤回する術は完全に潰えている。既にもう、信用という信用が消え果てているのだから。
この空気は、学園内に留まらない。必ず学外へと流れ出でて、日本を覆う。圧力をかけようとも、情報の拡散は止まらない。
────完全なまでに、詰んでいる。たった一個人が、組織をここまで追い詰めた。
騎士というより、策謀家……政にも長けた、怪物だ。その上
「政治家にさせた方がいいんじゃないかのう、月影くんを見ている気分じゃ」
「アイツは歴史研究をしていたいようですから、その道はないと思います。見てみたくはないと言えば、嘘になりますが」
総理大臣朔月英雄──なるほど、様になっている。
「……来た」
両ゲートから、二人の男がリング中央部へと歩んでいく。
七星剣武祭学内予選最終戦が……いくつもの思いと思惑を絡めながら、始まろうとしている。
「……よう、一輝。久しぶり」
「…………英雄、久しぶり」
「随分とまあ、ボロボロだな」
満身創痍とはこのことを指す。それが今の一輝の容態であった。
今すぐに入院案件な状態ではあるが、一輝に聞く耳はない。目の前の男を斬るまでは、頑として動かないだろう。
「……やるか」
「ああ」
黒羽色の刃の刀、『陰鉄』を顕現し、正眼に構える。
英雄の手には、右手にカード一枚。
必要以上の言葉はいらない。今すぐにでも、始めよう。
静寂に包まれた会場にて、開始の合図を待つ。
「『
──勝負は、一瞬だった。
一輝が一瞬に踏み込んで、英雄の手からカードを弾き飛ばし、刃を首に添えた。
「…………まあ、こうなるな」
──最初から、わかりきった結末だったと、嘆息する。
単騎で対峙した時点で、詰み。朔月英雄は黒鉄一輝に勝てはしない。絶不調であったとしても、変わることはない不動の結果だ。
英雄も一輝も共有していた事実。だから本来、この試合はまともに行えば非常に不毛なものでしかない。
だから、七星剣武祭に出ることに英雄は意味がないと見なしていた。黒鉄一輝が出場する、それだけで別の百の理由に勝るものになってしまう。それだけで、一輝が納得してしまう理由になってしまう。
……だが、それでも一輝は英雄と戦わなければならなかった。
「それで?止めたってことは、わかりきったことをなぞりたくないってことだろ」
一輝は頷いて、首に沿えていた刃を離す。
まともな試合に、意味はない。だが、まともではない条件であるならば。
最初から、英雄を誘った時からずっと……そうするつもりで、お互い望んでいたのだ。
「
「君が、僕では勝てないと思っている者を」
「一杯いるぜ?だがまあ、そう言うなら……お前とやらせるならアイツしかいない。だが、まずは回復しないと」
取り出したのは、
それらを地に置き、意識を集中する。
「『
魔力が編まれていき、二つの人の形を作っていく。
一人は、身の丈以上の長い魔法の杖を持った小柄な少女。幼く見えても、渦巻く魔力は本物だ。
もう一人は、雅な陣羽織を纏う長髪の侍。肩に担ぐ太刀の長さは一目見ただけで普通から逸している。
「キャスター、一輝の回復を」
「はい、マスター」
キャスターと呼ばれた少女は杖を一振り。癒しの魔術が、一輝へとかけられる。
疲労、ストレス、体調不良の免疫低下、薬物症状エトセトラ……拘束されてから積み重なってきたあらゆる
完全回復、コンディションに何ら支障はない。
……だが、一輝は回復の実感を覚える暇はなかった。
「終わりました、マスター」
「ご苦労様。『
キャスターがカードへと戻り、英雄の手へと戻る。
それを余所に、一輝は瞠目したまま動かない。瞬きすら惜しいと目を見開いている。
その視線の先は、英雄が召喚した侍。彼もまた、薄い笑みを浮かべながら一輝から目を離さない。
「再会の感想はどうだ、一輝?」
「はははっ……!」
一輝は、彼のことを知っている。彼の顔を、知っている。どういう人物かは知らないけれど、会ったことはある。
英雄のパッチテスト……縁の深いサーヴァントを結びつける占いにて、一輝は彼を引き当てたのだ。
「アサシン、真名の開帳を許す。果し合いの習いに沿ってくれ」
「有難く」
一歩前に、出る。
彼に構えはない。曰く、邪道の剣であるため、自然体の無形こそが彼の構え。
────主はこれを、果し合いと言った。ならば、礼儀を欠くわけにはいかない。
名乗りを上げた瞬間、一輝の内は歓喜に湧く。
日本人として、剣に生きる身として……そして、騎士と名は変わったものの侍として生きる者として。彼の名前を知らぬ者などいない。
巌流を極めし、長刀使い。剣客の中でも、有数のビッグネーム。
彼と戦えるなど、一輝にとって無上の喜びだ。それが、英雄の内にあるサーヴァントの一人であったとしても。これが、自分の進退がかかっている戦いであったとしても。
「『
一輝もまた、名乗る。自分にとって慣れ親しんだ方の二つ名。『
しかし、彼を破った後でなら、胸を張ってそれを名乗れる。
(もう一つ、だ)
…………このまま、戦わせるのもいい。だが、まだ足りない。
朔月英雄は、黒鉄一輝に……『全力で潰す』と宣言したのだ。まだまだ、全力には程遠い。
黒鉄一輝を、何よりも脅威と認めている。余すことなく、力を注ぐ。
英雄は右手の甲を爪で引っ掻き……それで出来た皺を摘まんで引っ張った。引っ張ったものは甲の皮でも垢でもなく……肌色に擬態したスキンシールであった。
シールの下にあったもの……それは、赤い紋様。三つのパーツで一つになった、刺青のようなものだ。
「アサシン、全ての『令呪』を以て重ねて命ず」
「むっ……」
「霊基を更新し、霊格を昇華せよ──『
英雄の手から紋様全てが消失した瞬間、莫大な魔力の奔流がアサシンを中心にして巻き起こった。
──彼は、今、作り直されている。吹き荒れる魔力の嵐の中心で、髪の一本の隅々にまでサーヴァントの霊格を英霊そのものへと極限にまで近づけていく。
魔力の嵐が晴れた今、彼は着物の右半身が開けた格好となった。雅を解する色男なため、漂う色気は女を狂わせかねない。
…………だがそれ以上に、先の魔力よりももっと濃く渦巻くのは、彼の剣気。
今までは彼が加減して一輝のみが感じていたものが……今、自然体のままで会場中の観客全てにもそれが理解できるようになってしまった。
誰もが一瞬、自分の首を落とされた幻を見せられ、反射的に繋がっていることを確認するために首筋に触れた。それは遠くから見ているAクラス騎士級の新宮寺黒乃だろうと、西京寧音だろうと……伝説の騎士である、南郷寅次郎であろうと……。
ハッキリとした、実力差。彼から発せられる会場を覆う涼やかな風は……命を狩り取る刃そのものと言えるものなのだ。
「……よいのか、マスター。こうなっては今の私に加減はきかぬぞ」
「ああ、殺すつもりでやれ。秘中の秘を晒した以上、加減は許さない。俺はもう、
残存魔力のほぼ全てを、アサシンにつぎ込んだ。意識を繋ぐほんの最低限しか、残っていない。
その場で座り込んで、動くことはままならない。カードの一枚も、英雄は出すことができない。
文字通りの
「そうか、では……戯れようか」
黒鉄一輝は、直感する。あれは、己の死であると。
生きようとする本能の警鐘が煩い。すぐに背を向けて走って逃げたい。
そうしても、誰も一輝を咎めない。正しい判断と認める。
これは既に、戦いの様相ではない。ただの、虐殺に他ならない。
……今会場にいる殆どの者が、この剣気に耐えられず逃げ出そうとしても……足が震えて動かないのだから。
「──いざ……尋常に……!」
それでも、逃げたくない。逃げるわけにはいかない。
骨の芯まで響く震えを必死に殺し、眼前の敵を打倒すべく心を奮わす。
彼は英雄の持つサーヴァントの中でも、剣技に特化した者。それくらいのことを、一輝は理解している。
……サーヴァントの中には、たった一人でこのドームどころか関東全域を焦土に変える力を持つ者もいる。そんな人型の災害がいる。聞いたことはないが、絶対にいる。
中には自分を何の抵抗も許さずに封殺する者もいるはずだ。英雄が保有する戦力の幅の広さは、尋常ではない。
そしてそもそも、何故多人数で攻めない?何故指揮を放棄し、全権をサーヴァントに任せた?英雄の真価とは、戦力を揃えて指揮する戦術戦略単位で俯瞰する戦争……一対一の決闘は大の不向きだ。
それをわざわざ彼を選んでたった一人に全賭けした……その意味を考えろ。その意味する心を、理解しろ。
(──考えるまでもない)
簡単なことだ。いつもいつも、目先の勝ち以上にこれからの勝ちに執着していたこの男は。
勝ち抜くための戦略だと嘯いて自分以外の全部を敵と思い込んで……それでいて、友への理不尽と侮辱を許さないこの友達思いは。
だったら……受けずにはいられないだろう──!
「────勝負!」
……そして二人の侍は、前へと踏み出す。
アサシン──佐々木小次郎の剣は、邪道そのものだ。
放つ剣は全て、首を落とすためのもの。牽制というものはなく、一太刀一太刀全てが致死に至る必殺だ。
道場によって培われたものではない、と一輝は断定する。我流……当代だけの剣。そこにある理念の厚みが、歴史が薄い。人が脈々と繋いできた枝葉が、一代分程度にしか感じ取れない。
だが、薄いだけで脆いわけではない。薄いということは鋭くもあり、そしてそこには鋼の強さがあった。
紙の薄さに、鋼以上の堅さ……そんな矛盾がまかり通っている。
──それが照魔鏡の如き観察眼を持つ一輝の『
ステラ・ヴァーミリオンの
息絶え絶えに、全身から汗が噴き出して……汗を吸って重みが増した制服が煩わしくなって脱いだ半裸の一輝は、やっとそこまで辿り着いたのだ。
対するアサシンは息一つ切らしてはいない。余裕綽々の態度を崩さず、この死合いを愉しんでいる。
「……貴方は、佐々木小次郎ではありませんね?」
「……ほう」
……だから、わかったのだ。彼は佐々木小次郎ではないということも。
否、そもそも佐々木小次郎という男自体、実在していたかどうかも定かではない。宮本武蔵という剣豪の対抗馬として今日まで伝えられてきた大剣豪だが、一輝はその存在に首を傾げている。
一輝の修業時代、全国津々浦々を巡って剣の蒐集をしてきた。道場破りを重ね、ありとあらゆる剣の流派を統合して今の黒鉄一輝の剣を構築している。そして、失伝した剣も僅かに遺された資料から推察し再現するということもやってきた。
──だから、わかってしまう。この男は、人と戦った経験が余りに薄い。
ゼロではないのはわかっている。その数回が、尋常ではない手練れというのもわかる。
だがその経験が、生前のものではない。終ぞ、人と戦うことなく一生を終えている。
剣に乗るアサシンの心理の奥を──『
「その通りだ。私は所詮、名も無き亡霊……マスターが従える他のサーヴァントと違い、英霊ではなかった」
────物干し竿という刀を振るった剣客はいただろう。佐々木小次郎という名の者もいただろう。ただ私は、その
その事実を認めるアサシンは、鷹揚な態度のまま、悲観の欠片も見せずに淡々と語る。
自分の名前が世界に残らず、無名のままに忘れ去られ……偽りの名前を背負わされた男。……だが、それが何だというのだ。
今こうして、剣を交わしていられる。────そら、これ以上に悦ばしいことがあるのか?
そう言われた気がした一輝は、同意した。佐々木小次郎であるかどうかなど、些末事だ。むしろ佐々木小次郎の名があったからこそ、こうして剣を合わせていられている。そう考えれば悪いことばかりではない。
朔月英雄の戦力の中で最強の剣客と、真っ向から戦えている。それでいい、それで十分だ。
「ええ、僕も楽しいですよ」
構えていた陰鉄を下げる。片手で握り、自然体のまま……戦いを放棄したかのように見えるが、違う。……これが、構えなのだ。
目の前の剣豪と、同じ無形の構え。ようやく、一輝はアサシンの剣を会得した。
アサシンの方もそれを察し、一瞬表情に驚きが少し見えたが、すぐに薄い笑みへと戻った。
「……なるほど、では……」
「採点して頂きましょう」
──両者、共に首を落とす剣。
それを必要最低限の動きで逸らして回避し合い、全く同じように再び首を落としに行く。
異様であったのが、鍔迫り合いというものがなかった。刀と刀が衝突することなく、受けるということがまるでない。
全て、体捌きによる回避。目まぐるしく攻守が入れ替わり、リングの上を縦横無尽に斬り回った。
魔力の欠片も、
……だが、見守る全員が見惚れていた。
武とは、舞だ。それも超一流同士の武芸者が舞うそれは、心を打つもの。
そしてそもそも……伐刀絶技を使ったとしてもあんな風に動けるか──あんな美しく、あんな涼やかに……あんな速く早く、
『す……げぇ……』
感嘆の声が、いたるところから零れ落ちる。
この試合が陰謀が絡んだものであることなど、すっかり頭から抜け落ちている。
「……やべえ、剣でまるっきり勝てる気しねえ」
ポツリと呟いた寧音の言葉は、明らかな弱音だった。
「なんじゃ、ワシの弟子が情けない」
「んだよじじい、勝てるのかよ」
「何言ってる」
彼女の師は一息ついて、断言する。
彼らに、剣で勝てるか。『闘神』南郷と呼ばれた彼は、あの二人と自分の彼我の差を正確に読み取れる。
「無理。勝てるわけないじゃろう」
元服して間もなく、二十歳にもなっていない小僧が、自分の腕を上回れた。世界にはそういうこともあるのは知ってはいるが、こうも直面するとままならぬものを感じてしまう。
……だが、それがいい。それでいい。こういうことがあるからこそ、長生きはしてみるものだ。
彼もまた、伐刀者にして魔導騎士。高齢なれど、現役のままだ。
この剣戟に魅了され……往年の、二次大戦の英雄の
「……楽しそうね、一輝は」
「うん……」
「ええ、そうね……」
有栖院がリング上の一輝の表情が嬉しそうということを口にすると、珠雫とステラは気落ちしていた。
……自分たちでは、あのように一輝と真正面から剣で戦うことができるのか。あまりにも、レベルが違い過ぎて遠く感じてしまっている。
別に剣で戦えなくてもいい。それくらいは頭では理解できている。それでも、自分たちが相手ではあのように戦ってはくれないだろう。
「男って、ズルいわ」
「こればかりは同意しますよ」
────男は、ずるい。
「あらあら、嫉妬?」
「別に、そんなんじゃ……」
「乙女の嫉妬は華よ。大切にしなさいな」
……時間が圧縮されたかのように、一瞬一瞬が長く感じ取れる。
死の危機を感じ取り走馬燈を見たのは、この死合いだけでこれで片手の数を超える。
既にもう、試合開始から二時間弱が経過。だというのに、二人の動きが鈍る気配はまるでない。
それどころか、時が経過するほどに動きにキレが増していく。
そして漸く……一輝の剣は、アサシンに届いた。
左の着物の袖が斬れた。互いに必殺の斬撃を放ちあっているために、未だ無傷同士。当たれば死ぬしかない故、そういう勝負になっているが。
「……頃合いか」
────この舞踏を終わらせるのは惜しいが、物事は惜しく思うくらいが丁度いい。
……そして、初めてアサシンは刀を構えた。
襲い掛かる、今までのものとは比べものにもならない圧倒的な剣気に、一輝はこらえようとする。
その構えの意味するものを、既に知っている。
「それが、貴方の秘剣」
「おうさ、我が生涯が果てに辿り着いた境地……空を舞う燕を斬るためだけに編み出したもの」
これが出来るからこそ、彼は佐々木小次郎になった。
一輝は納得する。どういう技なのかも、理解している。剣の一振りが、体捌きの動き一つが、全てこの技のためだけに生み出されたのだと、よくわかっている。
確かに、こんなことを可能にするのは佐々木小次郎以外に居やしない。そして今、自分の持っている
「斬れたんですか、燕」
「無論」
「じゃあ……僕にも斬れますかね?」
そして同じように……一輝もアサシンと同じ構えをした。
必殺には、必殺を。彼の魔剣に対抗するには、同じ魔剣でなければならない。
一輝は言った、これは『答え合わせ』だと。
彼の剣を知り、彼の剣を得て、彼の剣以上の回答を提出する。この死合いは、そういうものなのだ。
「やってみるがいい。失敗したら、死ぬだけよ」
「はい」
まるでそれは、師と弟子の光景に見えた。
アサシンは、弟子を取った覚えはない。一輝も、剣を教えてくれる師はいなかった。
独力で剣を培ってきた者同士……もし、伝えられるものがあり、伝えてもらえるものがあるとするなら……。
この瞬間、一輝は『一刀修羅』を解放。全魔力を掻き集め、この一分に集約して敵を打ち滅ぼす。
「『秘剣──』」
アサシンも動く。彼の最奥、奥義。
空を飛ぶ燕を斬るために編み出した、彼の
一つ目の斬撃は燕を誘導し、二つ目の斬撃は燕を囲い、三つ目の斬撃で燕を斬る──。
──それを、一度に、同時に放つ。
一振りに三の斬撃という矛盾。それを成り立たせたのは、数百年に一度の天才が生涯をかけて得た果ての
ある世界、ある業界では、
…………そう、技術であるのならば……伝えていくのも無理ではない。
(……ああ、なんて綺麗だ)
見惚れてしまいそうになる、澄んだ斬撃。自分の命を狩り取るものだとわかっていても、ずっと眺めていたくなる。
今の一輝に、ここまでのことは出来ない。真似事は出来ても所詮は真似事。完全同時の魔剣など、不可能だ。
回避は出来ない、迎撃も間に合わない。黒鉄一輝は、ここで死ぬ。
そう、今までの自分はここで死
────色はいらない。音もいらない。臭いもいらない。剣の軌跡は知っているから光もいらない。
一分で使い切る魔力を、さらに刹那に集約。修羅で足りぬなら、鬼になれ。
「────────っっっっアア゛ッッ!!」
悲鳴に似た、咆哮。吠えた声が自分の耳に届く前には、終わっていた。
…………首を断つ斬撃を、間に合わないはずの剣を……避けもせず、逃げもせず、真っ向から……三つ全て叩き落したのだ。
──彼の愛刀の物干し竿は刀身半ばから折れ、切っ先は宙を舞っている。
当然、そんな無理を通した一輝はその反動が襲っていた。
顔の七孔は噴血し、全身の筋肉が裂け、血を多く流している。
……それでも返す刀でアサシンを袈裟に斬る。痛みを感じている余裕など、これっぽっちも残っていない。
「──見事」
血が噴き出す音と、称賛の声は既に遠く──彼の脇を駆けて抜き去っていく。
目指すは、朔月英雄。時間の経過で魔力が僅かながらに回復したのか、その手にはもうカードが握られている。
既にもう、槍の間合いより詰めている。必殺の槍は出すことはない。
カードから展開したのは、巻物。
巻物を乱暴に広げて、一輝の目隠しをする。そして巻物の軸から、仕込んでいた短刀が顔を出した。
「──『
自己の身を捨てる、特攻。刃には毒が塗ってあり、掠れば即死。
見てからの回避は困難。刺すとは言わない、当たればいいのだからと、簡単に己を擲った。
そこまでしてまで、一輝に勝ちたい。元より、無傷で勝とうとは思わない。たとえ相討とうとも、ほんの一瞬だけでも先に死ななければ勝ちなのだ。
「……ありがとう、英雄」
……だが、一輝には視力を封じようが意味などなかった。巻物でわからずとも匕首を弾き飛ばし、英雄を深々と陰鉄で貫いた。
背中から陰鉄の刃が生えており、腹の奥から鉄の臭いが湧き上がってくる。
引き抜こうとしたその時、一輝は英雄の腕に引き寄せられて抱きしめられた。
「…………クッソ、勝ちたかったなぁ……」
「……英雄」
「お前には、真正面から勝ちたかった。俺は、お前が、怖かった。お前に、剣で上回りたかった。お前と、戦争をやったら……お前を永遠に怖いって、認めることだったから……」
黒鉄一輝だけには、正々堂々と戦って勝ちたかった。自分はマスター、サーヴァントを従える者。そんなことは百も承知だ。サーヴァントの栄誉はマスターの栄誉。知っているとも、そんなこと。
だが自分には剣才がない。武の才がない。直接戦う才能が、微塵もない。マスターとして、サーヴァントの力を利用する才くらいしか、なかったのだ。
そんなことを思い悩むのは無駄なことだとも知っている。役割が違うのだと割り切ることも出来る。
それでも、諦めずにはいられなかったのだ。
だから、自分の持つ
最強の軍略家はずっと、最強の兵に憧れ続けていた。最強の軍を統べる者は、最強の一兵を諦め切れなかった。
戦う土俵は違うとわかっていても、最強の剣客が斬り倒されても……英雄は匕首を手にした。
だからようやく──答えを得たのだ。諦めなくても、いいのだと。
「お前を怖いままって認めちまったら、俺はちゃんと向き合えない気がしてさ」
「……」
「誇れ、一輝。お前は、俺の最強の魔剣を手に入れた。なあ、アサシン」
袈裟に斬られ、血が噴き出ようとも、
折れた物干し竿は粒子と消え、空を見上げている。
「人にものを教えたことはなかったが……なるほど、悪くない気持ちだ。これが、伝えるというものか」
「まだ、その領域には僕は」
「善い。『燕返し』……確かに伝えたぞ。私が
燕返しでなければ、燕返しは返せない。そうでなければ、一輝の首は落ちている。
「済まぬな、マスター。負けてしまった」
「いいさ、そういう時もある。ありがとう、小次郎」
維持の限界が到来し、アサシンのサーヴァント、佐々木小次郎は姿を消した。後に残ったのは、霊格としてのカードだけ。
「負けんなよ、
「ああ……ありがとう、
貫かれた陰鉄は引き抜かれ、朔月英雄は青空を仰ぎながら倒れていく。
天を衝くように勝鬨を挙げる一輝の右拳を見上げながら、願う。
────恐怖し、憧れる俺の
祝!一輝君燕返し会得!
やべぇよ……やべぇよ……場合によっちゃ、エーデルワイスに一矢報いれるんじゃねーのこれ。