「……あー。あーあーあー、そうなるかーそうなるよなー」
「どうしたんですか、先輩。何か、わかったんですか?」
「うん、まあ、ああなっちゃったら
ハァ、と英雄は溜め息。殺すしかない、と断定する物言いの呟きは、傍らのマシュをドキリとさせた。
試合場を俯瞰する目は、諦観が含まれている。
「おっさん、俺冠婚葬祭の知識無いから聞くけど、香典てどんくらい要るの?」
「聞いてどうする気だい?」
「いやまあ親族いるし?先に渡しとこうかなと」
────あの
……この試合は公開殺人である。開始からまだ一分も経ってはいないが、英雄はそうなると確信した。
「必要ないし、大丈夫だ。滝沢君……ああ、新宮寺理事長もこの試合に立ち会ってる。死人は出ない」
「最悪その理事長先生も巻き添えになって死ぬぞって言ってるんだ」
「ほう?」
「あの
……いつか英雄が日下部のインタビュー時に言った、辻斬りモードに入ってしまっている。ああなった一輝を見たことはないが、ああいう側面があるだろうということは経験上英雄は確信していた。
武人と称される者ほど、内にあるのは飽くなき闘争心と猛々しさだ。英霊と祀りあがれられても、戦いを望む者は多いことが証左だ。
黒鉄一輝は、温厚な人物だ。彼自身、深い嘆きを感じたことはあっても、激昂した記憶はほとんどない。武を専心するにあたって、精神修養が自然となされたのだろうと思っている。常在戦場、何時如何なる場合においても平常心を保ってこそ、魔導騎士であると。
だが、英雄は断じる。武に、精神修養の側面があるなど嘘っぱちだ。むしろ、凶暴性凶悪性を助長させるしかない。
一輝の剣は紛れもない殺人剣だ。それを修めていて、それを有事の時以外に振るわずにいられているのは、自制心が余程優れているからである……とすら、英雄は思わない。
……黒鉄一輝は端から剣鬼だ。その精神は既に凪いでおり、徐々に明鏡止水の域に足を踏み入れ始めている。心は揺れず、波すら立たなくなっていく。
外面が良いのは、あくまで結果でしかない。
──それが、彼の恋人であるステラ・ヴァーミリオンだ。
彼女が好きになれる自分であろう。意識的にしろ無意識的にしろ、一輝は彼女の大好きな王子様でいることに縛り付けている。
これが、結果的に一輝を人格者足らしめていた。
(お姫さんに出会う前よりか安全性は増したんだよ、目に見える踏んじゃいけない虎の尾が出来たから。それ以前は、マジで危ない程に
どこにあるのかわからない隠れた地雷よりも、近づいてはいけないとはっきりわかる虎穴の方が何倍も安全である。
魔導騎士になる。それだけを志し、支えにしていた時期は恐々としていた。何の拍子で爆発するかわからない不発弾を見守っている気分であった。
だから彼らの関係を英雄は表向きにも打算的にも祝福している。二人を引き裂こうとする黒鉄家の工作に対しても精力的に動いた。
……だが、王馬はその鉄則を破ってしまった。
一輝の中で、磨かれてきた剣技と共に培われてきた凶悪性が、ステラの王子様という矯正を破ってしまった。
──今より、武人黒鉄一輝としての本来の姿が明らかになる。
「よし、俺は知らん。見なかったことにしよう」
「まあ、待ちたまえ。君になら止められるのだろう?」
「ざっけんなオイ。止める止められないじゃないんだよ、近づきたくないの」
それに、と英雄はある場所に目をやった。
……そこには誰もいない。だが、誰かがいた場所だ。
「俺より相応しい役者がいる」
「来い、
「舐めるな、落ちこぼれ風情が!!」
王馬を中心に逆巻く暴風。伐刀絶技でもない、激情の発露によるただの魔力の発露に過ぎない。
魔力を滾らせて、再びリング中央へと歩いていく。
まっすぐ歩いて、斬り伏せる。有象無象にはそれで十分。一輝も、有象無象の例から漏れない。
例外であっては、ならない。
間合いが再び縮まり、王馬は斬る。
剛の剣でありながら、その振りに無駄はない。剣術も高レベルに達している王馬の斬撃は、力と技が強く結びついており、岩程度であれば難なく両断する。
一輝は無防備、避ける素振りは一切ない。防ぐ、無理、単純な膂力で覆せぬ差がある。
「──『
……しかし、柔よく剛を制すという言葉がある。迫る『龍爪』にまるで添えるように『陰鉄』を掲げた。
瞬間、木っ端のように斬られ吹き飛ばされるはずの一輝が逆に龍爪を弾いて返し、王馬の首に一撃を入れていた。
だが、陰鉄の刃が王馬の首を飛ばすどころか肉を削ぐことすらかなわず。だが、一輝はこうなるであろうと予想していたように嘆息した。
「……なるほど、
弱者が一瞬でも強者に勝ろうとする、王馬の言うペテンの技だ。
一輝の秘剣の一つ、第三秘剣『円』は相手の力を利用したカウンターだ。受けた攻撃の力を超人的な体技で体内に循環させて、そのまま自分の力を加えて返す、七つの秘剣の中で最も難易度の高い技である。ほんの少しでも何らかのミスをしてしまえばあっさりと自爆してしまう、編み出した一輝ですらおいそれと使うことのできないリスクの高い技だ。
そして『重円環』はその応用。受けた力を自分の力を乗せて返すのは『円』と同じだが、『燕返し』で獲得した完全同時斬撃にて返している。単純に倍、最大で三倍の威力で攻撃を返す、技の極致とも言える剣だ。
「そのペテンに怯えて手を抜いて斬ってきたのはどっち?」
「本気になる価値すらないとわからないか?」
一輝も王馬も、最初の一合にて、互いのカラクリを把握していた。
一輝は王馬の尋常離れした筋骨を。首を両断しようとしても断つことができず、骨すら折れず、血も滲まず痣すら残していない。
王馬は一輝の神域に達した剣の冴えを。回避どころか自分の力に一輝の力を乗せ、魔術に頼らない技術だけで完全同時攻撃で倍以上に返してくる。
「……なるほど」
王馬は、この試合で本気の力で斬らない。本気で斬らないからこそ、勝てる。そうしなくとも、一輝を切り捨てるには十分だからだ。
一輝の魔力量では、王馬の肉体に傷すらつけられない。『雷切』東堂刀華の最大攻撃力を誇った『建御雷神』でようやく血を流させた程度なのだ。『一刀修羅』、『一刀羅刹』による攻撃力では、決定打には足りなさすぎる。
望みがあった『円』と『重円環』ですら、王馬の加減によって力が足りない。
(『
二合目は第六秘剣込みの『重円環』であった。浸透勁によって、臓腑から揺さぶろうとしたが、揺れるような骨格でもなかった。
何より、パワーが足りない。王馬の体重は見た目通りではない。この体躯でこの大会最重量であるのだ。それだけの筋骨の密度となっている。
天才的な武術の腕を持っていても、蟻では象に勝てない。一輝と王馬の差は、それ以上の差があった。
「避けるな、防ぐな、足掻くな。楽に殺してやる」
────お前に勝機はない、諦めろ。それを理解しないほどに愚鈍ではないはずだと、龍爪を振り下す。
……が、肉と骨を斬る手ごたえはなく、斬ったのは残像であると悟る。
「『犀撃』」
第四秘剣『蜃気狼』と『縮地』の合わせ技で回避、からの完全に無防備な背中への刺突。一輝の中でも高い威力を持つこの技でも、王馬を一歩前に踏ませる程度でしかなかった。
──最初から、一輝の中に諦めるという選択肢は存在していない。諦めは、あの吹雪の中の……黒鉄龍馬との出会いから置いていった。
そしてそもそも、ただ堅いという程度で負けると考える程、自分の底は浅くはない。
「──英雄め。初戦で当てた意図がわかった」
自前の攻撃力で王馬を穿つには、これしかない。英雄はそれを知っていた。七星剣武祭を戦略的に望んでいる英雄にしか見えていない視点での、黒鉄一輝に対する嫌がらせだ。
Aブロック一回戦第一試合という、オープニングマッチ。そこに対王馬で当てたのは、この技を観衆の前に晒すためだ。
この技は、ある意味ではこの世全ての伐刀絶技の中でも究極の破壊力を持っている。だがこの技は伐刀絶技ではない。人が至れる、剣戟の極致だ。
これを見せつけてしまえば、出場者全員は一輝が最警戒選手であると目されるだろう。
(まあ、今更だ)
王馬は殺す。必ず殺す。この技を使うことになろうとならなかろうと、それは何も変わらない。
「羽虫が」
王馬は変わらない振り下ろし。翻って背後にいる一輝を再び両断しようとする。
一輝は避けない。『円』か『重円環』か──否、最も愚かな選択肢である受け流しを選んだ。
このままでは陰鉄ごとねじ伏せされる結果となるだろう。今まで王馬が相手にしてきた有象無象と同様に、一刀に切り捨てられてここで決着となる──。
「──っ!?」
……寸前、王馬は慌ただしく龍爪を引っ込めて、必要以上に一輝との間合いを広げた。
経験が告げた警鐘。有無を言わさず、素直に従わせる程に王馬はそれを信頼している。……例え相手が、不出来な愚物であってでも。
馬鹿な、と自分で自分がしたこと、考えていることに疑いを覚えている。
「直伝──」
無形の構えから、平清眼の構えに移す。
一歩踏み込んだ瞬間音を超えて、一輝の姿が王馬の視界より消え去った。
二歩目には既に開けた間は無く。
──三歩目にしてようやく姿を現し、煌めく魔剣が牙を剥く。
「『無明』──」
「ぐっ!?」
「──『三段突き』!」
……明確に、王馬は死を感じた。
ただの突き、ではない。真実それはありとあらゆるものを穿つ、狼の牙に他ならない。
既に無間に詰められている。防御は不可能、回避も間に合わない。
「────」
自身にかけていた『天龍具足』の解除、それに躊躇いはなかった。自己を拘束し続けてきた莫大な風圧が解かれ、その余波で一輝は大きく吹き飛ばされた。
直後、凄まじい自己嫌悪に苛まれる。こんな落ちこぼれに、こんな愚物に……自分を縛っていたものを解放しなければならなくなった自分の弱さに。
「……届くのか、アレの剣は」
暴風で狙いがそれたものの、王馬の左肩から出血していた。
刀の切先で抉られたものではなく、万物万象を消失させる魔法によって傷つけられた。そういった方が納得のいく傷跡だ。
「……やっぱり人間じゃないか。怪物気取りめ」
「貴様……!」
「
リング際まで吹き飛んだが、一輝にダメージらしいダメージはない。
吐いた唾は呑ませない。言われた言葉をそのまま言い返し、ここからが本当の殺し合いだろう、と王馬に勝負の場に引き摺り出そうとする。
一輝の目は変わらず殺意に満ちている。何がなんでも殺す。それだけの目的遂行に、全能力を傾けている。
「ふざけるなっ!」
虚空に龍爪を振るい、
王馬の技でも牽制でしかないが、まともにくらえば致命傷。一輝には防御手段はない。
……しかし、最初からそんなかまいたちなど、目もくれていない。頭にあるのは、王馬を切り捨てることのみ。
ただの一刀で、なんてことのないように『真空刃』は消えてなくなった。
「──行くぞ。僕の最弱で、お前の最強を切り殺す」
「この世には、伐刀者の魔力より強いものがある。それは誰であれ何であれ、絶対に関わっているものだ」
────一輝の剣は、それに則っているに過ぎないよ。と、王馬が何の変哲もない剣戟に対し、回避に徹する理由を英雄は語り始めた。
「それは、物理法則。この世全てを縛っていると同時に、守っているモノだ」
神が創り敷かれた、世の
学べば知れる、
だから誰も知らないのだ、その当たり前の怖さを。だから誰も目が曇るのだ、当たり前は何時だって薄氷の上にあるのだと。だから誰もが忘れるのだ、当たり前という歯車は、砂粒一つで呆気なく狂うのだ。
「俺に言わせてみれば一輝の方がよっぽど正道だ。伐刀者の伐刀絶技の方が、騙しの手品に過ぎないんだよ」
魔力という
伐刀者というのは、総じて詐欺師だ。ただし、騙す対象は現実である。ランクや魔力量など、その騙しの規模を指標で示したものだ。
王馬の言うペテンなど、見当違いも程がある。異能を持っていたとしても伐刀者は人に過ぎなく、決して怪物や神ではないのだ。
故に、あの剣を防ぐ手段がない王馬は、良く鍛えられた超人ではあっても怪物ではない。
「私にしてみれば、王馬君に傷を付けた突きも、避けている剣も、魔力の通ってない普通の斬撃に見えるのだが……
「剣の一振り一振りが
「……そんなことが可能なのか?伐刀絶技抜きで、人の力だけで」
「可能にしたんだ。
黒鉄一輝は不可能を可能にした。英霊二人の規格外の剣を吸収した末に自分のモノにして、
本人は未だ邪道の剣だと謙遜するだろう。しかし邪道の剣が伐刀者の正道を凌駕しつつある。
今の一輝に、断てぬ物質はない。鉄や鋼はおろか
固体も液体も気体も、物理法則下にあるモノは意味がない。文字通り、消滅させるのだ。
「今大会で一輝の剣を防げる者はマシュだけだ」
「……ほう」
「せ、先輩」
「つっても、ちと計算外だ。ああも普通に振るわれたら神造兵装だって持たねえぞ」
対一輝戦術の練り直しは、英雄も同じだった。通常攻撃が既に防御不能の魔剣になってしまっている今、奥義として放つことが前提になっていた今までの作戦を棄却することとなった。
英雄が振るう宝具は、
(不壊の概念が付与された宝具を中心に組み立てるか?微妙な線だ、相手は
──どうやって、倒してやろう。
それを考えるのが、一番楽しい。それが上手くいくのもいかないのも、また楽しい。
特に、相手が黒鉄一輝であるならば格別だ。
朔月英雄が一番勝ちたくてたまらない、尊敬し、恐怖する、唯一の相手なのだから──。
──試合開始から、五分。
状況は超高速の剣による近接戦闘が展開されていた。
そして観客の大半の予想を裏切り、黒鉄一輝が攻め続け、黒鉄王馬が回避を中心としたヒットアンドアウェイで組み立てていた。
共に剣術の腕は超一流の域に達している。『比翼』の体術や『英霊』の秘剣を複合させた技の窮極の一輝。力こそパワーを地で行く自己拘束が全開放された異形の
共に、振るう剣は当たらない。共にくらえば致命傷の攻撃力を持っている。万物を断つ事象飽和の剣と、魔力と膂力の力の剣。共に、並の伐刀者であれば必殺に相当する。
両者の総合能力は大きな差があるが、現実として劣勢なのは王馬の方であった。
黒鉄一輝は剣術のスペシャリストだ。近接戦闘において、彼と対等に渡り合える伐刀者など世界でも稀だ。
対して黒鉄王馬は剣術も突出しているが一輝程ではない。むしろ風の伐刀絶技との組み合わせで真価を発揮するオールラウンダーである。
であるならば王馬も距離を取ろうとするも、一輝もまた追いすがる。共に速度はほぼ互角、しかし一輝の方は『比翼』の体術によって加速が無い。常に最高速を維持しているため、距離のアドバンテージを維持し続けている。当然の如く、伐刀絶技を使わせる余裕など欠片もない。
決定的なのは、王馬は取れる手段が圧倒的に限られていることだ。剣術による戦闘でも、王馬は龍爪による防御、受け流しが不可能になっている。
固有霊装は非常に強固だ。実際には打ち合いに向かないとされる日本刀であろうとも、真実折れず曲がらずを体現している。固有霊装で受け止めるというのは基本の防御手段だ。
しかし王馬はそれが出来ない。龍爪で陰鉄を受け止めようとすれば諸共両断される。固有霊装が折れてしまえばその時点で、王馬の敗北は必至となる。
同様に、固有霊装同士の接触も、王馬には多大なリスクを背負うことだ。龍爪そのものを破壊されれば王馬はそこで昏倒、そうでなくとも今は加減などしている状態ではなく、『円』や『重円環』でのカウンターも通用してしまう。
…………最後に、既に試合開始から五分が経過しているということだ。
黒鉄家に伝わる剣術である旭日一心流を全て使える両者だが、使い手の力量は拮抗していた。が、間もなく一輝は『模倣剣技』と『完全掌握』の完了が済む。
黒鉄王馬の深奥を、根本を、完璧にまで読み切ってしまえば、一輝はその悉くを凌駕する。
「──お前、などに……!」
──────
「黙れ……!」
──────お前、神か怪物にでもなったつもりか。
「俺は、こんなところで負けるわけには!」
──────賭けてもいいぞ
両の腕が龍爪を掴んだまま、鮮血を散らして宙を舞う。
胴を真一文字に両断され、数瞬の後には臓腑を晒す。
心臓が存在していた場所には、空洞が出来上がっている。
「『斂剣・叫飆』」
完全に命を取った。その感触を、一輝は確かに得た。
iPSカプセルの再生治療でさえ、一命を取り留めるのは怪しいところだ。
それでも生き返ることが出来たのなら、それはそれで王馬を褒めよう。
「……次は頭を穿つ」
ただし、次に顔を合わせれば確実に殺す。心臓ではなく、頭を穿って完全に殺し尽くす。
今そうしなかったのは、試合の最中に目に入ったものがそうさせなかった。
……入場ゲート入口に立っている妹の珠雫の姿が視界になければ、躊躇いなく王馬を殺していた。
「僕も、まだまだだ」
一輝の額が一筋浅く切られ、そこから派手に流血が流れ、片目を赤く染めた。
完全に回避したつもりだったが、かわしきれていなかった。
──王馬戦は、あくまで消化試合に過ぎない。問題なく勝てる相手の一人であった。
あくまでも七星剣武祭という全体におけるウォーミングアップの域を出ないはずだったが、僅かでも傷を負った時点で、想定していた試合運びとはかけ離れている。
「王馬兄さん、また会ったら殺すから」
普段の、変わらない爽やかな笑みでそう、物言わぬ兄へと言った。
故に、恐怖を助長させる。剣術一本でAランク騎士を殺すその実力、実の兄を相手に躊躇わぬ殺意……その姿、正しく修羅。
全国の、この試合を見届けた者らはここに思い知らされた。
──これが、『
第三秘剣改『重円環』
原理は『円』と同じく。そこから同時斬撃に応用したものが『重円環』
単純に受けた力を二振り分、二倍の力で返すカウンターの極致。最大で『燕返し』との合わせ技も可能にしている。