ようやく追い付いた背中に力一杯張り手を食らわせたうちに返ってきたのは、心底嫌そうな、心底面倒くさそうないつものムカつく顔。
ったく……これでもうちって可愛い部類の女子高生なんですけど。
普通可愛い女子の方から挨拶されたら、男子なんて喜んじゃうもんじゃないの?
「……ってぇな……だから毎日毎日いてぇっつってんだろ……いい加減背中に後遺症が出ちゃいそうだからやめてくんない?」
「ぷっ、こんなか弱い女の子に軽く叩かれたくらいで後遺症って、あんたどんだけ貧弱なのよ」
「軽くねぇから……。まぁか弱いっちゃか弱いがな、ハートが」
「……ムっカつく」
「がっ……!?」
ホントムカつくから、じとぉっと睨んでもう一発背中を叩いてやりました。
ちょっとこいつさー、そのチキンハートで登校拒否ってた女子に対して、デリカシーとかないわけ?
「てかさ? 挨拶返ってきてないんですけど」
そんなデリカシーの欠片も無いダメ男に、うちは冷たく睨んでそう言い放ってやった。
挨拶されたら挨拶を返す。それ、社会の基本だから。いくら専業主夫志望とはいえ、ご近所付き合いとかママ友とか、主婦だって色々と大変らしいわよ? 人間関係。
だから優しくて親切なうちが、ちゃんと教育してあげなきゃね。
「……チッ、うっせぇな……、うす」
と、ここら辺までがここ最近の日課だったりする。
まぁ詰まる所、このやり取りをする為に教室でジィッと廊下を覗いて待ってたりするわけだ。
昨日こいつへの気持ちを嫌々認めたばっかのわりには、この一週間ほどこのやり取りをしたいが為に、教室から廊下をチラチラ覗きつつ胸躍らせてたなんて、なんだかんだいってうちって、実は結構前からこいつに惹かれてたんじゃない?
あ〜あ、超腹立つんですけど。
「いてっ!」
だからうちは、怠そうに隣を歩く比企谷のふくらはぎをげしげしっと蹴ってやったのだ。
あくまでも軽くね?
「挨拶雑すぎ。やり直し」
「あ? はぁぁ……なんなんですかねこの人……。言っとくが今どき理不尽暴力系ヒロインとか流行らねぇからな……? なんならこの業界で嫌われてるまである」
「ごめんどうせ比企谷の大好きなアニメとか漫画の話なんだろうけど業界とか言われてもなに言ってんのか全然分かんないしキモいんだけど」
一息でそう言ってやったうちに、比企谷は頬をひくつかせて絶句する。
だってしゃーないじゃん、ホントに意味分かんないしキモいんだもん。
でも確かに意味は分かんないけど、今こいつヒロインっつったよね?
ひひ、てことはうちって、こんなんでも比企谷の中では一応ヒロイン枠に入ってるってこと?
まったく比企谷め、だったら始めっから素直にそう言やいーのにっ!
──こうして今日もうちの奉仕部員としての一日は、捻くれ男の怠そうな溜め息と、そこそこ美少女の楽しくて仕方がない笑顔で始まるのだっ。
× × ×
うちの教室から奉仕部部室までは結構遠い。
部室は三階。三年の教室も三階。だったらすぐじゃんって感じなんだけど、生憎この校舎は、部室のある特別棟には二階の渡り廊下か四階の空中廊下を渡らなければ行けない造りになっている。
まぁこの真夏にわざわざ屋外に出て、お肌の大敵である紫外線が降り注ぐ空中廊下を選ぶような物好きな女子なんて居るわけないから、必然的に二階の渡り廊下一択なんだけど。
そんなわけで、同じ階だというのに階段を下りて上ぼるという一工程を加えなければならず、結構わずらわしいのよね。“ひとり”だったら。
そう! ひとりだったら多少わずらわしいこの距離も、ふたりだと悪くないのだ! てか、なんならもっと遠くたっていいんじゃない? って感じ?
だからうちは、この長いようで短い部室までの道のりがとても好きだったりする。だって、隣でみっともなく背中を丸めた猫背の男と、唯一ふたりっきりで居られる時間だから。
昨日は強引に一緒に下校したけど、早々そんなチャンスは巡ってこないのよ? 少女漫画じゃあるまいし。
だからうちはこの何気なくも掛け替えのない時間を大切にしたくて、だらしなく弛みかけてる顔を必死で誤魔化しながら歩いてるっつーのに、このデリカシーゼロ男はそんなうちの孤独な戦いも知らず、心底面倒くさそうな顔で、ポカポカしてるうちの心を逆撫でしてきやがった。
「……つーか、なんでお前毎日毎日タイミング良く遭遇してくんだよ……。なんなの? ストーカーなの?」
「は、はぁ!? なに言ってんのキモっ……! ちょっと自意識過剰すぎなんじゃないの……!?」
軽い冗談だってことは分かってるんだけど、うちの日課の密かな楽しみに対しての、あまりにも不意打ちな的を射た発言だったから、ついつい慌ててしまったうちは自身の身体を抱くように両腕で抱えて、顔を真っ赤にして怒りだす。
つーか、うち自分がストーカー行為してるとか認めちゃってるし……って、いやいやストーカーとかじゃないから!
……あ、すごい必死でキモいとか言っちゃったから、ちょっとこいつシュンとしちゃったんだけど……なんかごめんね?
口ではこう言ってるけど、ホントは結構あんたのこと好……すっ、好き……だよ……?
……うっわぁ、うちキモっ……! てか口に出して言ってるわけでもないのにこの照れ臭さ……一生言える気がしない……
「……マ、マジでバカじゃないの……? ただ放課後に早織ちゃん達と喋ってたら……いつもちょうどこの時間になっちゃうだけだっての……」
勝手にひとりで照れ臭くなっちゃったアホな事態はさておき、少しだけ……ほんっの少しだけ悪いことしたなぁって反省したうちは、赤くなっているであろう顔をぷいっと逸らしつつ、ちょっとだけ優しい口調でそうフォローしてあげた。
でもせっかく優しく? フォロー? してあげたってのに、こいつは全っ然信じてないような様子でこう言うのだ。
「……さいですか」
マジムカつく。
「……なにそれ、全然うちの言葉を信用してるように見えないんですけど」
「まぁ……信じてねーし」
「は?」
こっちは照れ臭さを堪えてまで言ってやってんのに、普通面と向かってそういうこと言いますかねぇ……と、軽くキレ気味になったうちに、比企谷は容赦のない攻撃を加えてきた!
「……言っとくが、お前の魂胆なんぞバレバレだからな」
「〜!?」
比企谷の言葉に、うちの心臓はドクンとどこまでも高く跳ね上がる。
“心臓は体内になくてはならない物”という枷が無かったら、屋上くらいは余裕で飛び越えちゃいそうなくらい跳ね上がってそう。
……え……も、もしかしてうちの気持ち……バレてる……?
よくよく考えたら、こいつにバレてたってなんら不思議ではない。
そりゃ奉仕部内ではあの人達に対してちょっと挑発的なくらい、わざと比企谷と仲良くしてるとこを見せ付けてるから、まぁあの三人にはバレてるとは思う。零下の温度でちょくちょく睨まれるし。
でも……まさか優美子ちゃん達にまでバレてるとは夢にも思わなかったもん……
だったら……本人にバレてたってなんらおかしくなくない……?
「……は、はぁ? なによ魂胆って……い、意味分かんないんだけど……」
や、ヤバいヤバいヤバい……! なんでうちはわざわざ比企谷の真意を聞き出そうとしてんのよ……! そこは上手く誤魔化して流しちゃえよ、うち。
これ絶対に悪手じゃん。これでこいつの、どっかの洋画吹き替え声優みたいなイケボで『……知ってんだよ、お前、俺に惚れてんだろ』なんて、壁ドンされて言われた日にはパニックになって、もう絶対誤魔化せない自信があんだけど。
……いやいや比企谷が壁ドンは無いから。せいぜい『お、俺のこと好きだりょ……』とかって格好悪く噛み噛みになって、キモく悶えるのが精一杯。
うちどんだけ少女漫画脳なのよ。
と、とにかくっ……! 壁ドンだろうと噛み噛みだろうと、今の浮かれたお花畑なうちが比企谷にそんなこと言われたら、頭に血が上っちゃって絶対誤魔化せなくなるのなんて分かりきってんのに、なぜかうちは比企谷に魂胆の真意を訊ねてしまった。
……どうせうちの口からは気持ちなんて伝えらんないから、ホントは気付いていて欲しいっていう真相心理の表れ……なのかな。
だからうちはゴクリと咽喉を鳴らすと、もじもじとウルウル上目遣いで比企谷の返答を待つ。
ま、まぁ……? うちにはまだこいつに気持ちを伝える資格なんてないけど……? バ、バレちゃってんなら……しょーがないじゃん……?
──そして……
「……どうせアレだろ? ひとりで先に部室行って、雪ノ下とふたりっきりの空間になるのがまだ恐えーんだろ。いくら受け入れられたとはいえ、もともとお前雪ノ下にすげぇ嫌われてたし、今でもたまにすげー睨まれてビクビクしてるもんな」
……は?
「だから一緒に行って、俺を生け贄にする魂胆だろ……お前わかりやすすぎだぞ」
「……」
……そっち!? なにが分かりやすすぎよ……全っ然わかってないじゃん! ちょっと期待しちゃってたうちがバカみたいじゃん!
だいったいさぁ、すげぇ嫌われてたしとか超余計だから! それにうちが雪ノ下さん達に睨まれてんのって、あんたと楽しげに喋ってる時だっつの! 気付けよ!
……うち、期待しちゃってたんじゃん……ダサっ……
「あ、バレてた?」
比企谷のあまりの朴念仁っぷりに不機嫌さを隠すのに些か苦労しながらも、当初はうちの密かな想いが比企谷にバレるのを阻止したかったはずなのを思い出し、不機嫌さなど微塵も感じさせないよう、あくまでも冷静に返す大人な対応のうち。
「……やっぱな。てかなんで怒ってんだよ……」
ぐっ……どうやら大人な対応は出来てなかったようだ。……あ、そーいやいま口尖ってるわ、うち。
「……は? 別に怒ってないんですけど」
「……さいですか」
またもやうちの言葉を一切信用してない比企谷マジムカつく。
ふん、べっつにいーけどねー。
「……てかさぁ、うちの魂胆分かってんなら、別にわざわざ聞いてこなくたっていいじゃん。分かってんのにわざわざ言うとか、やっぱちょー性格悪っ」
「そりゃ言うだろ……。ほら、あれだ。……毎日毎日女子と一緒に部室に向かう所を見られちゃってたら、友達に変な噂たてられちゃって恥ずかしいし」
……なにそのドヤ顔、あんた友達居ないじゃんってツッコミ待ちなわけ?
こいつっ……、あんだけ凄い人ばっかに囲まれてるくせに、いつまでぼっちキャラで居るつもりなのよ……
「……あんたさぁ」
と、色々とツッコんでやろうとした時、うちの頭にふとあの光景が過ってしまった。うちがおはようって挨拶する時の、こいつの心からの面倒くさそうな顔を。
普段そういう事を言わない比企谷が、わざわざあんなこと言ってくるって事は、うちとのこの時間に、なにかしら思うところがあるってことだよね……?
──あ、あれ? もしかしてうちって、マジで迷惑がられてない……?
いやいや、そもそも迷惑がられて無いと思ってる方がどうかしてんじゃん。だって比企谷にとってのうちって、ただの性格悪くてヘタレなクソ女だもん。
そんな女と毎日強制同伴させられて、楽しいと思うわけないじゃん……ホント今更すぎる。
……あ、ヤバい……ちょっと落ちてきた……
勝手に調子に乗って勝手に落ちていく、いつもの悪い病気が始まっちゃったよ。
「……そりゃ比企谷だって、うちと歩いてるとこ人に見られるとか嫌だよね」
だからうちは思わずネガティブな言葉を発してしまう。
あんた友達居ないじゃん、ってツッコミを今か今かと待ち構えていた比企谷がビックリするほど暗くてジメっとした声で。
「……は? なに言ってんだお前」
「……だってさ、いくら最近は優美子ちゃんの威を借りて表立って悪口言われてないっていっても、うちって学年の有名人じゃん? 文化祭と体育祭でやらかした、只のヘタレ勘違い女って。そんなのと一緒に歩いてるとこ見られたくないから、わざわざあんなこと言ってきたんじゃないの?」
……好きなヤツにこんなことを恨みがましくネチネチ言うとか、なんか自分で言ってて胸が苦しくなってきた。
うっわ……我ながらめんどくさっ。あの事件で少しは成長出来たかと思ってたけど、やっぱ長年培ってきた卑屈さってのは、そんなにすぐ直せるもんでもないみたい。
これじゃ余計に迷惑がられちゃうんだろうなっていうネガティブ思考に振り切れるうちは、さらに余計な一言をつけ加えてしまう。
「まぁ……? あんたがそんなに嫌だってんなら、明日からは別々に行くし……」
面倒くささここに極まれり。我ながら惚れ惚れしちゃうほどの卑屈っぷり。
……あ〜あ、楽しかった同伴生活も今日でお終いかぁ……全面的に自分のせいだけども!
後悔しながらも、後悔ってのは先には立たないものなわけで、はぁぁ……マジで面倒くせぇ女だなぁ……って顔してんだろうな、と、軽く泣きそうな顔でチラッと比企谷を覗き込んでみると……
「……くく……ふひっ」
予想に反して笑いを噛み殺してました。……なに? ふひっとか超キモいんですけど。
「は、はぁ? ……なにニヤニヤしてんのよ」
「……お、おう、すまん。……なんつうか、最近の相模って明るく前向き過ぎてて調子狂ってたんだが、……くくっ……やっぱ相模は相模だと思ってな」
「……は? うちの事バカにしてんの?」
「バカになんてしてねぇよ。むしろ安心したまである」
「それをバカにしてるって言ってんでしょ!」
マジムカつく! 前向きよりもジメジメしてる方がうちらしいって事じゃん!
じとっと細目で睨めつけてやると、こいつは呆れた顔でこう言ってきた。
「アホか、それ言うなら逆だろ。俺なんか誰かさんのおかげで学校一の嫌われものだ。まぁ今じゃ存在自体忘れ去られてるがな」
うぐっ……“誰かさんのおかげ”は痛すぎるっ……!
「忘れ去られたとはいえ俺がヒエラルキー最下層である事は間違いないわけだし、腐ってもカースト上位で見た目が目立つ女子が俺と一緒に歩いてんの見られる方が、よっぽどダメージでかいっての」
まるで最初から用意されていた台詞のように、比企谷はそう言ってどよんと目を腐らせる。
あ、れ……? もしかして比企谷がわざわざあんなこと言ってきたのって、自分と毎日一緒に部室まで歩いてるうちを心配してたってこと……なの……?
し、しかもさらっと見た目が目立つ女子とか言ってるし……! この天然スケコマシめ……!
「……それにあれだ。俺はこう見えて損得勘定が得意な人間でな。お前と遭遇するのが嫌なら、初めっから違う道順で部室に向かってるっつの……。知ってるか? ウチの教室出て反対方向に向かえば、相模のクラスの前を通らんでももうひとつ階段があるんだぞ? ちょっと遠回りになってめんどくさいけど」
「っ!」
それを聞いたうちの頭はすっごい高速回転で内容を噛み砕いて咀嚼して、こいつの言いたい事を徐々に理解していくと、次第に心がピョンピョンと跳ね回り始める。
だってそれって……こいつもうちと部室まで一緒に行くのを、結構楽しんでるって言ってるようなもんじゃん……!
「……だからまぁ、お前が俺と歩いているマイナスイメージを気にしないっつうんなら、俺は別に気にしねーぞ。……いや、雪ノ下に生け贄として差し出されるのは納得いかんけども」
──うん、うちお得意のネガティブ思考で勝手にグダグダになってたってだけのお話で、どうやらこいつの捻デレが今日も通常営業だっただけのようだ。
うちは、そっぽを向いて頭をがしがし掻いている比企谷の真っ赤な耳を弛みきった顔でチラチラと眺めながら、こう一言だけ返してあげるのだった。
「ふ、ふーん……、あっそ……」
──へへー、しゃあないなー。じゃあ、明日からも一緒に行ってやろうかなぁ?
× × ×
お互いに照れくさくなってしまったうちと比企谷は、そこからは無言で部室までの道のりを歩いていく。
……無言でも、二人の間に嫌な空気感は全然ないし、ま、たまにはこういうのもいいんじゃない……?
そしてうちはようやく仕事場に到着した。
朝の食卓で、お昼のランチタイムで、午後の同伴の旅路で……、浮かれすぎてすっかり忘れてたけど、うちの今日の目的はこれからなのだ。すっかり我欲まみれになってたけど、うちが我欲に身を委ねてもいいのは、この初めての仕事が完了した時なのだ。
──おっし、頑張るぞ!
「こんにちはー」
「こんにちは相模さん」
「うっす」
「こんにちは」
ガラリと部室の扉を開け、いつも通りの挨拶を済ませる。
字面だけだと穏やかなやりとりに見えるけど、実際は雪ノ下さんからの絶対零度の視線が寒い寒い。絶対心の中で「あら、また二人で来たのね、この泥棒猫が……」って言ってるでしょ……恐いよぉ……!
雪ノ下さんはにゃんこ大好きっ子だから、猫に対して偏見に満ちた泥棒猫って単語は死んでも使わなそうだけど。
と、ここまではいつも通りなやりとりなんだけど、うちの視界にひとつだけいつもとは違う景色が飛び込んでくる。
「こ、こんにちは……! きょ、今日はよろしくお願いします……っ」
いつもなら雪ノ下さんしか居ないこの時間帯だけど、今日はすでにお客さんが来ていたのだ。
うちと比企谷が部室に入るや否や、そのお客さん──千佐早智さんが、依頼人席から慌てて立ち上がると、うち達に向かって深々と頭を下げたのだった。
続く
ただ捻くれ者同士がイチャコラ(捻コラ)してるだけじゃねーか(・ω・)
という第三話でしたがありがとうございました!
第三話にして、やっとさがみんらしさ(イジイジじめじめ)が出せましたw
やっぱさがみんと言ったらジメらないとね☆
しかしこの相模南という女、資格ないとかなんとか言いながら、ヤル気満々である。
そしてようやく部室に到着して奉仕活動が始まりそうではありますが、まぁそこはサラッと流す所存でございます笑
ではではまた次回ノシ
(しかし最近マジでさがみんしか書いてねぇな……)