【悲報】結局ひと月近く開いた挙げ句にやっぱりまだ終わらないってよ
自分のものとは違う熱を右手に感じつつ、相も変わらず賑わう駅前を、人ごみにもまれながらカランコロンとゆっくり進む。
ほんのついさっきまでは、あまりの人波みと置いてきぼりにされそうな不安感に心も体も波に流されそうになっていたけれど、今のうちの右手には、多少頼りないヒョロさでもしっかりと錨が下ろされているから、どこにも流される心配なんかしなくたっていい。安心してこいつの隣に停泊してられる。お互いの緊張でびっちゃびちゃだけどね。
「……」
「……」
どこまでも続く無言の時間。
もみくちゃにされながらなんとか前へと進んでいる最中だから、お互い黙ってるのも当然っちゃ当然なんだけど、隣の男の横顔をチラリと盗み見てやれば、夏の熱気の影響か人いきれの影響か、はたまたうちの熱気の影響なのか、耳まで真っ赤になっててすこぶる笑える。
まぁうちもたまにねちっこい視線をひしひし感じたりするから、同じようにすこぶる笑われてるのかもしんないけどね。
ちなみに視線を感じてる時はわざとそっぽを向いたりしてる。だって気になってつい視線を向けちゃって、つい目と目がバッチリ合っちゃったりとかした日には、なんかもうパニくってそのまま告っちゃいそうなくらい頭がカッカしてんだもん。
あれー? おっかしいなぁ。花火見に来たはずなのに、うちなんか今すっごい幸せなんだけど。
比企谷と一緒にポートタワーの花火を見て、うちの黒歴史の原点ともいえる、顔から火が出ちゃいそうなあの日の苦い思い出を楽しい想い出で塗り潰したかったからこいつをここに連れて来たはずなのに、目的達成どころか、その目的地に向かってる最中でご満悦になりかけちゃってるとか、うちってどんだけ安上がりな女なんだか。
でも、……それでも。
それでもやっぱり今うちは超幸せ。
会話なんてないけれど、比企谷と一緒に花火大会に来て(強制)、比企谷に右手を握られて(強制)、人並みでもみくちゃになりながら肩寄せあっているこの一時だけで、うちの都合のいい頭の中はあの日の苦い苦い出来事を容易に消去していってくれる。
まだ花火も見てないけれど、それどころか会場にさえ辿り着いてないけれど、今のこの時間が、ずっと続けばいいのになぁ……
「……お、ようやくちょっと人混みが落ち着いたっぽいな」
うちの幸せお花畑脳がそんなアホな思考に囚われていた時だった。
もう周りの音も景色もなんにも頭に入ってこないくらいポ〜っとしていたそんな時、比企谷の気だるそうな、てかやれやれって感じのホッと一息吐いたような声が、油断しきっていたうちの鼓膜を不意に揺らす。
──やっば! うちちょっとぼ〜っとし過ぎでしょ……! どんだけ雰囲気に酔っちゃってんのよ……!
比企谷の声に我を取り戻したうちの頭を最初にかすめたのは、自身を叱責するこんな思い。でも次の瞬間には、これまたなんとも幸せ満載思考な思いが頭の中をいっぱいにした。
──あ、人ごみから抜けられたら、手、離されちゃうかも……
でもね、そんなバカみたいな幸せ思考はいつまでも続く事はなかった。比企谷からの不意の声で、ポ〜っとしてたうちの頭に次第に数々の情報が入り始めたから。
ようやく抜けられた雑踏。それに伴い視界に広がる数々の光景。
夜の闇に浮かぶたくさんの屋台の色、耳にざわつくたくさんの声、夏の終わりを感じさせる夜の潮風の匂い。そしてそんな色と声と匂いがすっと溶け込むこの風景。
それは、うちの脳裏に未だ色濃く焼き付いている、ちょうど一年前のあの日あの時のあの景色と完全に一致した。
『あ、ゆいちゃんだー』
『お、さがみーん』
そう。今うちが立っているこの場所は、ちょうど一年前に偶然ゆいちゃんを見掛けたのとまったく同じ場所。
……うちが、初めて比企谷と出会った場所だった……
× × ×
『あ、うん。そうそう同じクラスの比企谷くん。こちら、同じクラスの相模南ちゃん』
四ヶ月近くも同じクラスだったはずなのに、まったく記憶の片隅にも残ってなかった、暗くてダッサいクラスカースト最低辺の低レベル男子。それがうちが初めて認識した比企谷のイメージだった。
『あ、そうなんだー! 一緒に来てるんだねー。うちなんて女だらけの花火大会だよー。いいなー、青春したいなー』
あのゆいちゃんが──一年の時は同じランクとして連るんでたのに、二年に上がった途端にうちとは違う世界の住人になってしまったあのゆいちゃんが、そんな低レベル男子を花火大会のお供として連れて来ていた現実を垣間見て、なにがそうさせたのか、当時のうちはバカみたいに舞い上がった。
『……。あはは! なにその水着大会みたいな言い方! こっちだって全然そういうんじゃないよ〜』
あの時、ゆいちゃんは一瞬言葉に詰まったっけ。比企谷と一緒に居るところを同級生に見られたという焦りで。
それでもなんとか取り繕うように無理して作った笑顔を見て、うちはどうしようもなく可笑しかった。可笑しくて可笑しくて仕方なかった。
たまたま優美子ちゃんに選ばれたってだけで、うちよりも上の……最上位のランクになってしまったゆいちゃん。
そんなゆいちゃんが、花火大会という社交場にこんな低ランクの男を連れて来てるなんてって、うちはなんかもうわけがわからない優越感に浸ったんだ。
『えー、いいじゃんいいじゃん。やっぱ夏だしそういうのいいよねー』
そんな優越感に浸って、うちはここぞとばかりに攻めまくった。
あの日、ゆいちゃんが連れていたのが葉山くんなら……優美子ちゃん達なら、多分うちはゆいちゃんに気が付いても声を掛けなかったと思う。
……だって、惨めになってしまうから。
だからこそざまぁって思った。よりにもよってこんな奴!? って。
連れてる男のランクがイコール女のステータスみたいに思ってたうちは、いつの間にか差を付けられてしまったという醜い嫉妬心を、この好機を絶対に逃がしちゃダメだとばかりに、無理して笑顔を張りつけていたゆいちゃんに思いっきりぶつけたのだ。
『焼きそば、並んでるみたいだから先行くわ』
うちが醸し出す嫌な空気に気まずさを感じたのか恥ずかしくなったのか、比企谷は逃げるようにこそこそとその場を立ち去った。
そんな比企谷の背中を不安そうに見つめながらも、それでもうちらと無理して笑い続けているゆいちゃんを見て、うちは心底愉しかった。この後ゆいちゃんと別れてからやってくるであろう、友達との大爆笑の時間を夢見ながら。
──ああヤバい、なんかもう吐きそう。
比企谷との出会いの日。正確には比企谷八幡という存在を初めて認識した日。
ゆいちゃんに紹介された時、うちは確かに比企谷と目があった。そしてうちは笑ったのだ。比企谷の目を見てはっきりと。
それは初めましての挨拶で相手に向ける繕った余所行きの笑顔なんかじゃなくって…………ただの嘲笑。ただただ見下してバカにして愉しむためだけの嗤い。
あのとき比企谷はうちのそんな笑顔を見て、明らかに嫌悪の眼差しを向けた。うちを侮蔑した。
でもあの時のうちは、そんな嫌悪感たっぷりの侮蔑の眼差しさえも愉快だったのだ。
なんにも知らなかった。うちはあの時なんにも知らなかったんだ。
ゆいちゃんの事も比企谷の事も、二人の間の絆みたいなものもなにもかも。そして……うち自身の笑顔の醜さも。
今なら分かる。
ゆいちゃんが比企谷と一緒に居るところを同級生に見られたから焦ったって?
アホかうちは。ゆいちゃんはあの時のうちの醜い笑顔を見て、比企谷の事を思いやったから焦ったのだ。比企谷が嫌な思いをしちゃうって。
比企谷がうちの醸し出す嫌な空気から逃げ出したって?
バカだうちは。比企谷は逃げたんじゃない。自分と居るところを見られてゆいちゃんが嗤われるのが可哀想だと思いやったから、少しでもゆいちゃんの被害を減らそうと立ち去ったのだ。
そんな二人の様子を見てうちは愉快だったって?
本当にアホでバカで最悪だ。……だって今のうちは知っている。あの時の自分の笑顔の醜さを。
ハブられている時、虐められている時、クラスメイトから嘲笑られていた時、毎日向けられていた笑顔とおんなじ笑顔だろうから。
……比企谷はあの日のこと覚えてるのかな。
比企谷にとってのあの頃のうちなんてそこら辺の路傍の石ころみたいなもんだっただろうから、たぶん忘れちゃってるだろう。てか忘れてくれてるといいな……うちの醜いあの笑顔。
──ああ、やっぱダメだぁ……
クラスで虐められ始めてから、何度夢に見たかも覚えてないほどのこの惨めな黒歴史を塗り潰したくてここに来たのに、いざこの場所に立ったら……いざあの景色の中に包まれてしまったら、どうしたってあの日がフラッシュバックしてしまう。
ついさっきまでポカポカになってた心に、直接冷水をぶっかけられたかのような最悪な気分。
そして改めて思う。うちは比企谷とこうして手を繋いでここに居られる資格なんてあるの? って。
あの日の後悔をもう見たくないからって比企谷を強引にここに連れ出してきて、目を背けたい記憶に素敵な記憶を覆い被せて無理矢理塗り潰しちゃおうだなんて、……やっぱ都合が良すぎるんじゃん……? やっぱ違うんじゃん……? って。
それなのに、うちはさらに『あの時の自分の笑顔を忘れてくれてればいいのに』なんて都合よく思ってしまってるんだよなぁ。ホンっトどうしようもない女。
どうしよう。なんかもう逃げ出したい。あまりの情けなさと恥ずかしさで、比企谷と一緒にここに居たくない。
「……相模、どうかしたか?」
──でもね、そんな時だった。
せっかくこいつの隣に居るのに、せっかく右手にこいつの熱を感じてるってのに、心だけがひとりぼっちでどこまでも深い海の底に沈められてしまったかのような、そんなとんでもない不安感と不快感に押し潰されそうになっていた、そんな時に掛けられたこのあったかい声。そしてそんな声から始まった長い言葉と心の交わし合いが、いともあっさりとうちの冷えきった心を深い海の底から引き揚げてくれるのだった。
× × ×
またも不意に声を掛けられて我に返るうち。なんかもうさっきからボーっとし過ぎでしょ……
「……え、っと、な、なに……?」
我ながら「なに?」じゃねーよとか思いつつ、うちはなんでもないかのように比企谷に作り笑いを向けた。
あ〜あ、たぶん今のうちの笑顔、超ブッサイクな卑屈さなんだろうな。
「なに? じゃねーよ……」
……あ、やっぱツッコまれた。
「……な、なによ。別にうちなんともないんだけど」
そうは言ってみたものの、正直自分がどれくらい固まっていたのかも分からないくらい頭ん中ぐるんぐるんしてるからね。はっきり言って上手く誤魔化せる気がしない。
でも、一年前の後悔に襲われてて、あんたと一緒に居てもいいのか分からなくなっちゃっててさ! なんて言えるわけないし、ま、たかだか数秒固まってたってだけだろうから、このまま無理にでも押し通す気満々ですけどね。
「なんともないわけねぇだろ……さっきから痛てぇっつの」
「……は? 痛い……?」
「……ほれ」
そう言って比企谷はなんとも照れくさそうに繋がれた手と手を指差した。
「うげ……っ」
やっばい……うち、無意識に超強く握っちゃってたみたい……
なんなら、我ながら綺麗に仕上げられた自慢の爪が比企谷の柔肌に食い込んでるまである。
「……ご、ごめん」
「……お、おう」
そうしてうちは比企谷の手をそっと離…………そうとは試みたんだけど、なんかちょっと、てかだいぶ? 名残惜しくて離すのはやめてみた。ただ握る力を弱めただけ。
さっきまであんだけ散々『こいつと一緒に居る資格』について悩んでたくせに、その挙げ句にただ手を離すのさえも躊躇ってしまうというこの情けなさ。
ホントうちってさぁ……
力を弱めた手をチラリと見て、「離してはくんねーのかよ……」と嫌そうに呟く比企谷の左手にもう一度爪を食い込ませてやろうかという衝動に駆られながらも、なんとかそれを抑えこんで言い訳をひとつ。
「や、やー、ごめんね、痛かった? あはは、ちょ、ちょっと人込みにやられてクラッときちゃったのかも……」
まぁクラッときちゃったから無意識に強く握ってしまったことに違いはないわけだし? これでとりあえず誤魔化せるかな? なんて思っていたのだけど──
「……そう、か」
うちの安い言い訳なんかでは、目ざとい比企谷には全然通じなかった模様。なんとも納得のしてなさそうな態度で遠くを見る。
「な、なによ、なんか言いたげじゃん……」
そんな態度をとられてしまったら、ちょっとイラッときて聞かなきゃいいものもついつい聞いてしまう。
このまま流してくれたほうがずっと楽ちんなはずなのにね。
「いや、その……な」
「……なに」
もごもごと、とても言いづらそうな比企谷を半ばやけくそで睨めつけてやると、こいつはしゃーねぇなぁと溜め息ひとつ吐いてようやく観念したらしい。
「……これは俺の単なる想像でしかないから、違ってたら忘れてくれ」
「……ん」
「お前、さ」
「な、なに……?」
ついに比企谷は重々しい口を開く。
まさかとは思ってた。まさか比企谷の方から“それ”に触れてくるだなんて夢にも思わなかった。
忘れてるもんかと思ってたのに、忘れてくれてたらいいな、なんて思ってたのに。
……そして、その口から出てきた言葉は一発でうちの心臓をぎゅうっと鷲掴みにしたのだった。
「……もしかしてだが、気にしてたりすんのか……? ……一年前の今日、ここで俺と会ったこと」
続く
またもやこんなに開いちゃったのに、まさか?の完結できーずでスミマセン><
そして次回、長かった相模南の物語が、ついについに幕を閉じます……っ!
(別に死んじゃうわけではない)
ではではまたひと月後(さすがに今度はそんなには開かねーよ?タ、タブン……)の最終回でお会いしましょうノシ