王道と邪道   作:ふぁるねる

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桃色の影

 

「ええ。魔女の寵愛を受けし、魔女教徒。ともに愛に報いましょうぞ」

 

 

 そう言った看守長の顔面に、スバルは渾身の右ストレートを叩き込んでやろうとした。

 すぐにガシャンという金属音で、両手が固定されていることに気がつく。

 

「どういうっ! ことだ……!」

 

 ギリギリと歯を軋ませながら、歯の間から声を出す。

 

「どうもこうもありませんよ。あなたは魔女教徒で、私も魔女教徒。それだけの話です」

 

「ふざけんな! おまえっ、あの時は違うって! クルシュの加護も違うって言ってただろ!」

 

 二日前、看守長=魔女教徒の確信を得たスバルはその正体を暴くため、クルシュと共にこの監獄へやってきた。

 スバルの策にハマったはずの看守長だったが、その身は清廉潔白そのもの。魔女教徒ではないという言葉に嘘はないと、クルシュの加護も告げていた。

 

「そうですよ。私は魔女教徒ではありませんでした」

「……どういうこと、だ……!」

 

 奴は魔女教徒では無かったという。

 ならば、なぜ今、魔女教徒などと告白するのだ。

 

「ま、さか……?」

「思い描いている通りですよ」

 

 スバルの頭の中に、一つの考えが浮かび上がる。

 二日前は魔女教徒ではなく、今は魔女教徒。

 ある看守の言葉が頭を過ぎった。

 

『ある日突然、魔女教徒になる見込みのある奴に『福音』っつー真っ黒な本が届くらしい。それには魔女の意思があるらしくてな、自分の未来の道筋が書いてある。そんでそれが届いたら最後、敬虔な魔女教徒の出来上がりってな具合よ』

 

 一度目の死を迎えた後、投獄されたスバルは異世界の知識を得るために看守と話していた。

 その中で得た情報のひとつに、魔女教徒の増やし方の話があった。

『福音』さえ届いてしまえば魔女教徒の完成だという恐ろしい話。ややこしい手続きは一切いらない、操り人形の悪魔的な作り方。

 

「『福音』が届いたのか……!」

「今朝のことでした。恐ろしかったですが、触っただけで全能感が身体中に走りましたよ。そして、私が本当にやるべきことを理解しました」

「クソッ……」

 

 今日の朝に魔女教徒になってしまうならば、二日前に摘発したとしても意味はない。時期を誤ったとしか言いようがないが、こればかりは分からなかった。

 

「そんで、この監獄の倒壊が目的ってわけか……」

「……? 違いますよ。私の目的は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。同じ魔女教徒ですし、優しい指令ですね」

「…………は? ちょっと待て。お前の目的はこの監獄をぶっ壊すことだろ? この場所に幹部的な奴が収容されてるとかじゃないのか?」

「いいえ。私の『福音』には、あなたを連れて行くことしか記されていません。さあ、行きましょう」

 

 ……おかしい。

 過去二回、この監獄の倒壊は必ず行われてきた。ならば『監獄の倒壊』という事象は、魔女教にとって必須タスクであるはずだ。だというのに、こいつの『福音』にはそれが記されていないという。

 何が起こっている?

 何かが、過去二回と違うのだろうか。

 ……わからない。ここ二日、ぼーっと過ごしてきたツケが回ってきた。死の記憶が強烈すぎて、それ以外の記憶が曖昧だ。

 いったい何が違うというのか。

 

「さぁ、行きますよ」

「っ! 俺は行かないぞ。お前は魔女教徒なんだろ。だったら今から助けを呼べばいいだけだ。」

「残念です。この部屋は完全防音ですし、抵抗するようでしたら、気絶させて連れて行くだけですので」

 

 胸いっぱいに息を吸い込もうとした瞬間、二日ぶりの手刀が首筋に当てられた。

 

 

 ーーーー

 

 

 何度気絶して、何度目覚めれば良いのか。

 ユサユサと揺られる感覚に目を覚ます。

 視界に入ったのは流れる街並み。

 地平線にチラリと見える夕陽。

 それなりのスピードで、スバルは揺られながら動いていた。

 視点の高さから、誰かの肩に担がれているのがわかる。

 

「…………!」

 

 状況を思い出し、身をクネクネと曲げる。

 すると、両手が後ろで縛られていることに気がつく。

 

「放せ、この!」

 

 精一杯に暴れ回るが、亜人の凄まじい膂力に動きが封じられ、肩から落ちることさえ叶わない。

 魔女教徒と化した看守長は、スバルを担いだまま王都の街を人気のない裏路地を縫って走っていた。

 

「起きましたか。もうすぐで王都から出ます。大人しくしていてください」

 

 夕陽に向かって狭い路地を走り続ける。

 じきに夜の帳が降り始めるだろう。

 そうなったらスバルに逃亡の術はない。

 もはや、このまま連れ去られることしかないのか。

 

 全てを諦め、されるがままに身を任せたとき、

 

「待ちなさい」

 

 頭上から、夕闇に紛れて声が降ってくる。

 首だけを上に向けて、無理やり頭上を仰ぐ。

 

「……なん、だ?」

 

 何かが、家屋の屋根から落ちてくる。

 夕陽の影に同化した黒を纏う何かだ。

 いや、よく見ると人の形を模していることがわかる。と言うより、人だろう。

 

 もう一つ、特徴的な色が見える。

 桃色だ。

 重力に逆らう桃色の頭髪が、わずかに差す夕日を反射しながら激しく揺れる。

 

 自由落下を続けるその人物は、あと数秒もしないうちに地面と激突するというのに、速度を緩める気配がない。

 いや、人間に落下の衝撃をゼロにする術はない。

 このままでは落下してくる人物は、血飛沫を上げる物言わぬ人形と化してしまう。

 

「ちょっ、まっ、何してんだ! 死ぬぞ!」

 

 スバルは誘拐されようとしている自らの状況を忘れ、三秒後には接地するだろう人物に叫ぶ。

 

「……ラ」

 

 小さく呟く声が、遠くで聞こえる街の喧騒に紛れて聞こえる。

 

 すると、落下してくる人影の着地点に、()()が起こった。

 

 その現象をスバルは言葉にすることができない。

 なにせ、見たこともない事が起こったのだ。いや、()()は見えるものではなかった。

 ならば言葉に出来なかったのは道理だ。

 

 ただ、落下してくる人物が優雅に、音も立てずに怪我一つ無くスバルと看守長の前に着地したことで、その()()が人智を超越したものであることがわかる。

 

「……どなたですかな?」

 

 看守長は魔女教徒の顔を捨て、ルグニカ王国民としての笑顔を貼り付ける。

 恐らくこの場で騒ぎを起こした場合、すぐに表の通りから衛兵なんかが来ることを危惧したのだろう。

 穏便に済まそうとしていることがわかる。

 

 ならばスバルは、その邪魔を精一杯するだけだ。

 

「助けてくれ! こいつぁ魔女教徒だ! どこの誰だか知らねえが、衛兵を呼んできてくれ!」

「くそっ、このっ……! 黙りなさい! 司教候補だかなんだか知りませんが、眠っていてもらいましょう!」

 

 夕日を背にこちらに歩み寄る人影は、細く小さい。

 体操選手も吃驚な着地を見せた者だが、華奢な体格ではこの看守長に敵うとは思えない。

 争いは避けて迅速に通報してもらえれば、何とかこの場は脱せるかもしれない。

 想定できる最悪の展開は、謎の乱入者が余計なことを言ってスバルの巻き添えを食らうことだ。

 

「聞こえなかったかしら? 待ちなさいと言ったのよ。そこらの犬でもできることを、あなたはできないのね。悲しいわ」

 

「ダメだこいつ! 煽り性能が高い!」

 

 想定した最悪を瞬時に現実に変えてしまった人物に絶望する。

 看守長もといこの魔女教徒が、ブルドッグの亜人であることを加味した上での皮肉だろう。

 

「おいおいおいおい。あんまり言い過ぎると人種差別とかで炎上するぞ!」

「何度言えば良いのかしら。黙れと言ったのよ。

 ーー駄犬以下のゴミね、あなたは」

「おれ、いつそんなこと言われた!?」

 

 あまりに辛辣な少女の言葉にたじろぐ。

 少女。そう、少女だ。

 

 逃走を図る魔女教徒と抱えられるスバルの前に姿を現したのは、桃色の髪が目を引く小柄な少女だった。

 

 いや、特異なのはその格好か。

 少女が身に纏うのは、黒を基調にしたメイド服。

 胸元の開いたエプロンドレスに、頭の上にちょこんと乗ったホワイトプリム。上空から落ちてくる時に、やや短めのスカートは何故か重力に左右されず、鉄壁のディフェンス力を保っていた。

 それに、何故か杖を持っていた。

 およそメイドという想像の体現が目の前にあった。

 

「獣のような目でラムを見ないで。いやらしい」

「見てねえよ! ちょっと可愛いなとは思ったけどね!」

 

 愛らしい見た目に反して、内面は刺々しいようだ。あまり刺激しすぎると危険かもしれない。

 

 好転とまではいかないが、状況の変化はありがたい。

 このままではスバルはなす術なく魔女教徒に連れて行かれるところだったが、どんな理由であれ第三者が介入することで結果が変わることは間違いない。

 

 ただし、少しばかり問題があった。

 

「あなた、殺気が漏れすぎですよ。警戒されて当然。これ以上近づけば、交戦の意思ありと見なして攻撃します」

 

 そう、そうなのだ。

 今、魔女教徒が言った通り、目の前のメイド服をまとった少女からは恐ろしい雰囲気が漏れ出していた。

 殺気が云々はスバルにはわからないことだが、尋常ではない迫力を少女からは感じ取ることができる。

 それは、今にも、スバルたちを殺してしまいそうなほどだった。

 

「……ええ。ええ、そうね。ラムは今、殺気が抑えられていないわ」

 

 少女はまるで、自身に言い聞かせるかのように呟く。

 

「いいの。あなた達は殺すから。でもその前に一つ聞きたいことがあるわ」

 

「ちょっと待て! 聞き捨てならねえ言葉が聞こえたぞ! 殺すってなんだよ!?」

 

 少女は殺意の宿る目でスバルたちを睨みつける。まるでスバルたちが親の仇のように。

 知らない人間に出会い頭に殺されるなど、たまったものではない。

 

 

 

「うるさい。黙れ」

 

 

 

 少女が杖を構える。

 その二言で、少女の登場とスバルとのやりとりによって弛緩していた空気が引き締められる。

 絶対的上位者であることの証明。

 在るだけで平伏させるだけの迫力が少女にあった。

 

 スバルを抱える魔女教徒は、スバルを放した。

 それは全力を以て少女に対抗しようという姿の表れ。

 解放され地面に足をつけたスバルは、逃走の択を得た。

 しかし地面と足が接着剤でくっついたかのように動かない。

 一歩でも動けば、スバルの身体は無事では済まないだろう。

 それは隣に立っている魔女教徒による妨害ではなく、五メートルは離れている小柄な少女から発せられる敵意がそう言っているのだ。

 

「これからは、ラムの質問にだけ答えなさい」

 

 ぽたり。

 石床に汗が落ちる音さえはっきり聞こえるほどの静寂。

 ドクドクと心臓の鼓動が早まる。

 耳鳴りがひどい。

 

「まず、あなたは魔女教徒かしら?」

 

 ゴクリ。

 隣に立つ魔女教徒が唾を飲む。

 

「…………」

 

 小さく首を縦に振る。

 その質問が何を示すかわからないが、嘘をつくリスクを考えたのだろう。

 スバル以上にこの魔女教徒は、この場の絶対的強者の危険性を理解している。

 

「ーーーーーーっ」

 

 少女は長い息を吐くと、今度はスバルに持っている杖を向ける。

 

「…………」

「あなたは?」

 

 銃口を突きつけられているような圧迫感に、喉の奥が震える。

 頭の中がグルグルと回り、思考がまとまらない。

 何をすれば正解だ?

 どうすれば逃れられる?

 こいつは何が目的だ?

 何もわからない。

 

「ドーナァ!」

「フーラ」

 

 ピチャリ。

 スバルの右頰に温かいものが付着する。

 動かない頭をそのままに、眼球のみをゆっくりと右に動かす。

 視界の端に濃い赤色の海が出来ている。

 

「なんっ」

 

 赤の海から地面が隆起し、土の柱が突き出していた。

 その上に乗っていたのは、明後日の方向を睨みつけるブルドッグの顔。

 

 ばしゃり。

 まるでスバルの認識に合わせるかのように、切り離された頭と胴体が海に落ちる。

 

 跳ねた液体がスバルの服を赤く染める。

 

 少女に跳ねた液体はどういう原理か、少女を避けて四方八方へ散っていた。

 

「……………ッぅえっ」

 

 魔女教徒の死という突然の現実を受け入れ、スバルの視界は真っ赤に染まる。

 胃の奥から上ってくるムカムカするものを飲み込めず、何度目かの嘔吐。

 鼻が吐瀉物で詰まり空気を求めて吸い込むと、血の匂いと吐瀉物の匂いが混ざりさらなる吐き気を催す。

 涙と鼻水と胃液が同時に出てくるというのに、スバルは未だに足が動かせず、顔面と服がグチャグチャになっていた。

 

「馬鹿な人」

「なんっ、でっ……」

「攻撃してきたからよ。あなたもこうなりたくなかったら、従順に質問にだけ答えなさい」

 

 いつのまにか魔女教徒に向けていた杖を今度こそスバルに向ける。

 意に沿わぬことをすれば、少女はすぐにスバルのことを処刑するだろう。

 依然まとまらぬ思考でも、それだけは分かった。

 

「レムという女の子は知っているかしら?」

「…………」

 

 ーーーーレム。

 

 聞いたこともない名前だ。

 必死に記憶を探る。

 この世界に来てからのこと。

 たった数日しか経過していない。

 精査するのは簡単だ。

 何度も何度も頭の中で繰り返す。

 

 どれだけ繰り返そうとも、スバルの頭の中にそんな名前は存在しなかった。

 

 いや、そんなことはどうでもいい。どうでもいいのだ。

 

 スバルは『レム』などという名前に聞き覚えはない。

 それは変えようのない事実だが、これを少女に伝える意味があるのかどうかが問題だ。

 もしその名前を知っているとハッタリをかましたならば、いったいどうなるのだろう。

 

 少女は間違いなく『答え』を欲している。

 

 これが「イエス」か「ノー」で答えられる質問で良かったと考えるべきか。

 どちらかが正解ならば、五分の確率でスバルの身が保証される可能性がある。

 そして、「知っているか?」という質問。

 この場合、少女がその名の人物を探していると考えるのが最適だ。

 知らなければ使い物にならない。

 つまり、排除される可能性が高い。

 

 ならば『正解』はーーー

 

「し、知っているぞ」

「ーーーそう」

 

 少女の双眸に宿る殺意が増すのを感じた。

 ーーー間違えた。

 そう気付いた瞬間に、次の言葉が口をついて出ていた。

 

「と言ったら、どうなるのかなぁ、なんつって、ははは」

「地下牢に閉じ込めて身動きを取れなくした後に、レムの居場所を吐くまで拷問の限りを尽くすわ。そんな乾いた笑い声すら出ないほどに、ね」

「ひっ」

 

 怒りを鎮めるかのように早口でそう告げる少女の言葉に、思わず息が引っ込む。

 

 答えは違っていた。

 答えは『ノー』だ。

 知らないと首を横に振れば、スバルはこの狂気に満ちた鬼のような少女に見逃されるはずだ。

 今からでも遅くない。

 

「す、すまん。聞き間違いだったかも。ほんとは知らない気がするなー、なんつって」

 

 大量の冷や汗をかきながら、目線を泳がせながら人差し指を立てる。

 繕うことは出来ているだろうか。

 

「そう。では、あなたは用済み。ラムはエミリア様の捜索に戻るわ」

 

 そう告げて背中を向けようとした少女にホッとして、気を張って開き続けていた目を瞑る。

 

「死になさい。魔女教徒」

「ーーは?」

 

 気が付けば、腹が裂かれていた。

 ブシュッと、振り切った炭酸を開けた時のような勢いで噴水のように血液が飛び散る。

 

「くさい。くさい。くさいくさいくさいくさい。あなた、そんなに魔女の匂いを漂わせてよく平然とした顔をしていられるわね。ラムは気が狂ってしまいそう」

 

 頭がくらりとしてきた。

 ボーッと靄がかかったかのように、意識が遠く離れていく。

 

 ただ、出血を抑えようとして蹲るスバルを少女が頭上から蔑んだ目で見下ろしていた。

 

「レムを取り戻すまで。いえ、取り戻したとしても、あなたたち魔女教徒を許しはしないわ」

 

 充満した血の匂いが鼻腔に入りこむ不快感を感じながら、血の海に倒れ伏しそのまま気を失う。

 この血の量だ。やがてスバルは、出血多量か何かで死に至るだろう。

 

 ーーーこれで三度目か。

 

 この数日で二度も死を経験した。

 土石流に襲われたり、首を落とされたりしてきたわけだが、こんな風にゆったりと死を経験することは無かった。

 

 死ぬということを受け止めたら、もはや特別な感慨などは湧かない。

 なんだ、こんなもんだったのか。

 血の海って風呂に入ってるみたいであったけえな。

 そんなことしか思い浮かばない。

 頭に血が回らなくて考えられないからか。

 

 そのうち何も考えられなくなって、死んで、また繰り返すのだ。

 

 扉を開けて、クルシュと出会って、そしてどうなる?

 

 もう三度も失敗した。

 これから四度目が始まる。

 トライアンドエラーによって、スバルはそれぞれ違う択を取ってきた。

 だが、次の四度目でも死のループから突破できるとは限らないのではないか?

 四度目で失敗したら、次の五度目なら突破できるのか?

 

 ーーーー何度繰り返しても、同じなのではないか?

 

 

 ああ、そんなのは嫌だ。

 

 

 そんなのはあまりに、残酷じゃないか。

 


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