県予選大会も全て終わり、数日が経った夜。
俺と姉さんはリビングにキャリーバッグを広げ、それぞれの着替えを詰めこんでいた。
「ねぇ、京太郎」
「なに? 忘れ物?」
「京太郎はどっちの下着が好み?」
「弟にそんな質問をするのはどうかな」
最近、姉さんが部長に毒されている気がする。
あの人、面白がって色んなことを吹き込んでそうだし。おかげで俺の理性はゼロに近い。
我ながらよく襲わずにいるな……。
いや、それが普通なんだけどさ!
「どうしたの? 頭痛?」
「いや、俺ちょっと煩悩が多いなぁって」
「まぁ! 姉弟おそろいね!」
いいのか、姉さん……!
そんなことで喜んで……!
そんなやり取りも交わしつつ、さらに時計の針が進んで9時。
準備が完了して一息ついた。
「ふぅ……思ったより時間がかかったわね?」
「姉さんが俺のバッグを漁らなかったらもう少し早かったと思うけど」
「あら? 京太郎だってお姉ちゃんの下着をチラチラ見てたでしょう?」
あんな堂々とおっぴろげられたらそりゃあな!
俺も健全な男子高校生なわけだし!
「それに京太郎が変なものを入れていないか確認していただけよ。何せ今日の合宿は」
「女子大多数の中に男一人、だろ? 俺もそれくらい理解しているよ」
そう、俺たちがなぜこのような準備をしているのか。
それは部長立案の風越、清澄、鶴賀、龍門渕による強化合宿が開催される運びとなったからである。
その話を聞いた時、俺には関係ない話だと思っていたが部長は何故か俺も連れていく気満々。
すでに許可も得ているとのこと。
『大切な部員の一人として置いていけるわけないわ!』
『部長……! …………本音は?』
『美穂子が面白くなるじゃない!』
『ギルティ』
というわけで俺も無事に参加することになった。
……まぁ、和に東横さん、沢村さんと大きい人がたくさんいるし、役得でもある。
このチャンスを生かして、どうにか仲良く。
……いつかは彼女になんて……ぐへへ。
「……京太郎」
あっ、あかん。
この声のトーンの美穂姉はあかん。
開いた瞳がその証拠。
「な、なにかな、美穂姉?」
「他所の学校に迷惑をかけてはダメよ? 久の信頼にも関わってくるんだから」
「わ、わかってるよ。だけど、一緒に練習する上で仲を深めるというのも」
「京太郎はお姉ちゃんの友達と打ちましょう。そっちの方がきっといいわ」
「いや、俺のスタイル的には似ている和や沢村さん、加治木さんに聞きたいこともあるし、そこはこっちで決めさせてよ」
「……むー」
「膨れてもダメ」
「京太郎がお姉ちゃん離れして寂しいわ」
「美穂姉も弟離れしなよ」
「お姉ちゃんは京太郎に嫁ぐつもりだからいいの」
「……絶対に外でそれ言っちゃダメだからね」
「お父さんには許可はもらいました」
「親父ー!?」
前々から姉さんの態度には不問だった両親だったが、こんな事情があったとは……!
って、言ってるそばからもたれかかってきているし。
……いい笑顔しやがってちくしょう。
「……ふふ、京太郎ー」
「……はぁ」
思わずため息をつく。
美穂姉の行動にではなく、結局は許容してしまっている自分に対して、だが。
◆◇◆◇◆◇◆
「じゃあ、美穂姉。俺は清澄のみんなと行くから」
「ひどい……。私を見捨てるの?」
「外でその台詞は不味いからやめて!?」
そんな一幕があった朝。
美穂姉は風越、俺は清澄の団体メンバーと行くために一度別れることとなった。
「ということが今朝ありまして……」
「あ、それ私が教えたやつ」
「竹井ィ!!」
これがバスでの一幕。
やはり姉さんが妙な知識をつけているのは悪待ち部長のせいだった。
勘弁してほしい。俺の気力が持たないから。
「京ちゃん。疲れ気味だね?」
可愛いらしい声が聞こえたと思えば、読書に励んでいた幼馴染みだった。
ピョコンと跳ねた髪が印象的な小柄な文学少女である。中学の時にとある事情から喋るようになり、俺が麻雀部に入ったのに付いてくる形で入部した。
ちなみに麻雀は強いのも知っているし、彼女の姉との関係も聞いている。
「ああ、咲か。ちょっと部長にからかわれてさ」
「最近、部長と仲いいよね? どうして?」
「ほら、姉さんとのつながりだよ。美穂姉が中学の大会の時に知ってたらしい」
「へぇ、美穂姉ちゃんが? 世間って狭いねぇ」
「だな。ところで、咲」
「なーに?」
「俺とお前の間も狭い気がするんだけど?」
先ほどから隣に座る咲がどんどん距離を詰めてきてもう肩が擦れあうくらいに近くなっている。
「そうかなぁ? ほら、バスの中で迷惑かけちゃダメだし」
「貸し切りバスだぞ」
麻雀部が男女共に全国大会に出場することになり、一番変わったのは周囲の対応。
臨時予算がおりたし、応援団みたいなのも出来た。
一種のフィーバー状態。
「いいじゃん、京ちゃん。中学の時は背中合わせに本を読んだこともあるし」
「そりゃそうだけど」
「…………ダメ?」
「……まぁ、いいよ。許可します」
「えへへ~。優しい京ちゃん好き~」
スリスリと咲は頬をこすりつけると、そのままもたれかかって読書を再開する。
その様子を前の席に座っている部長が愉快そうに見ている。
言うなよ、絶対に美穂姉には言うなよ!
視線で念を送ると彼女はグッと親指を立てる。
悪どい笑みを浮かべながら。
あ、これダメやん。
こうして俺はどうやって向こうで美穂姉にフォローしようか頭を悩ませることになったのであった。
「到着ー!」
「こら、優希。大人しくせんかい」
「じゃあ、私は部長どうしの会合をしてくるから。須賀くんはどうする?」
「いや、姉とは後でも会えるので。俺はちょっと酔ったのでこの辺で外の空気を吸ってきます」
「大丈夫?」
「おう。これくらいならすぐに治るさ」
心配してくれる咲の頭を撫でると、みんなから離れて駐車場をウロウロと徘徊し始めた。
すると、車のそばにしゃがみこんでいた黒髪の女の子がいた。
口を手で押さえていて、顔色も悪い。
あっ、これは。
「うぇぇぇ……」
あー、やっぱり。
それの前兆だよなぁ。
「うっ、うぅ……」
泣き始める女の子。
ここにいるってことは四校の関係者で……あっ。見た覚えがあると思ったら、この大きな胸。
鶴賀の東横さんだ!
「東横さん、大丈夫か!?」
「えっ」
「これを使って手を。服は……そうだ。良かったら、これを着てください」
「あ、は、はいっす」
咄嗟にハンカチをかして汚れた口をきれいにさせると、バッグの中からジャージを手渡す。
すると、彼女はそれらを受けとると、混乱しているのか、この場で着替え出した。
……見たいけど、見ちゃダメだ! 今こそ普段鍛えあげられた理性をフルに使え!
素数を数えたり、般若心経を唱えたり、家で稀にだらける姉さんを浮かべたり。
様々な方法で意識と目線をそらして清掃に励んでいると、チョンチョンと肩を叩かれた。
振り返ると頬を赤らめた美少女と弾けそうな双山。
身を包むジャージのチャックがボーンしそうだ。
「あ、ありがとうございます。えっと……」
「ああ、ジャージなら部屋で着替えた後に返してくれたらいいよ。もし俺がそれを着るのが嫌だって言うなら捨てても構わないけど」
「そ、そんなことないっすよ! すぐにお返しするっす!」
東横さんは身を乗り出して俺の提案を拒否する。
良かった。流石に嫌って言われたらショックだったからな。初対面だし仕方ない部分はあるとはいえ。
「そうか? なら、いいんだけど」
「あ、あの……すごく変な質問をしてもいいっすか?」
「えっと……ああ、俺の名前かな? 須賀京太郎って言います。清澄高校の麻雀部員です」
「あ、ご親切にどうもっす。私は鶴賀麻雀部員の東横桃子っす――って、そうじゃなくて!」
彼女は俺の肩を掴むと、額がぶつかりそうになるくらいに顔を近づけて問いを放った。
「私の姿が見えるっすか!?」
「そりゃ、見えるけど」
「はうあっ!!」
「東横さーん!?」
◆◇◆◇◆◇◆
「うっぷ……。やっと着いたっす」
「こら、モモ。華の女子高生が恥ずかしいぞ」
「そういう先輩も顔色悪いっすよ」
「……蒲原の運転が悪い」
「あれー?安全運転したつもりなんだけどなー」
ワハハと呑気に笑っているが、こちらはちっとも笑えない。
初めての合宿でテンションが上がったのもつかの間。
すぐに激しい揺れによる酔いが襲ってきて、私たち鶴賀麻雀部員はダウンした。
「早く部屋に行こう。風にあたって休憩したらなんとかなるだろ」
「そうっすね……」
加治木先輩の指示に従って、私たちは用意された部屋へと向かう。
しかし、予想以上に体へのダメージは大きかったらしく一歩進むたびに気持ち悪さが増す。
「おい、大丈夫か、モモ?」
「……ちょっとヤバいっすね。ゆっくり行くので先にどうぞ……」
「蒲原をつけようか?」
「いえ、部長ですし……それに他のみんなも結構アレなので……」
見たらむっちゃん先輩もかおりん先輩も気分が悪そうだ。私より軽そうなだけ羨ましい。
それが理解できているから先輩は申し訳なさそうに決断する。
「……わかった。だけど、本当に危険だと思ったら連絡するんだぞ?」
「はい。その時はお願いするっす」
私がそう言うと加治木先輩は入り口をくぐり、中へと消えていく。
……さて、と。
「もう無理っすねぇ……」
乗り慣れない車。遠足前の小学生のような昨晩の浅い眠り。
それらの要因もあわさって、もう限界だった。
せめて、誰にも見えないところで……。
そう思って駐車場の端の死角へと移動する。
「う、動いた反動で……っ」
反射的に口を塞ぐけどもう遅い。
「うぇぇぇ……」
……やってしまったっす。
高校生にもなってはしゃいで吐くなんて……ちょっと恥ずかしくて死にたい……。
思わず泣いてしまう。
「うっ、うぅ……」
このままだと加治木先輩たちにみっともない姿を見せるどころか、心配までかけてしまう。
でも、心が追い付いてくれない。
落ち着かない。何もできない。
そう思った時だった。
「東横さん、大丈夫か!?」
「えっ」
突然、横から降ってきた声の主は金髪の少年だった。
多分、同い年。彼はポケットからハンカチを取り出すと私の口に当ててくれる。
き、汚いのにそんな躊躇なく……。
「これを使って手を。服は……そうだ。良かったら、これを着てください」
「あ、は、はいっす」
口周りを拭うと、きれいな面に畳み直して渡してくれる。
そのままバッグの中を探し出したと思えば新しいのがわかるジャージを手渡してくれた。
え、えっと、とりあえず、着替えよう。
あまりの出来事に気が動転していた私はその場で着替えを始める。
上着を脱いだところで気づいてしまう。
な、何してるっすか、私ー!!
すぐに胸を腕で隠して正面の男性を睨む。
でも、彼はこちらに背中を向けて眼を自分の手で覆っていた。
その姿に安心して、ホッと息を吐くと急に体がポカポカと温かくなる。
見知らぬ自分の世話をしてくれて、汚物まで処理してくれて、完璧な対応。
それに加え、顔も整っている。
そして、何より――。
華の女子高生がときめかない訳がなかった。
一度、意識するとその感情は急速に心を支配する。
私の頭は彼のことでいっぱいだった。
知りたい。
彼のことを知り尽くしたい。
頬が帯びた熱で熱くなる。
すぅっと深呼吸すると彼の肩を小さく叩く。
「あ、ありがとうございます。えっと……」
「ああ、ジャージなら部屋で着替えた後に返してくれたらいいよ。もし俺がそれを着るのが嫌だって言うなら捨てても構わないけど」
「そ、そんなことないっすよ! すぐにお返しするっす!」
私が口にする前に彼はフォローをいれてくれる。
だけど、今はそんなことが聞きたいわけじゃないのだ。
「そうか? なら、いいんだけど」
「あ、あの……すごく変な質問をしてもいいっすか?」
「えっと……ああ、俺の名前かな? 須賀京太郎って言います。清澄高校の麻雀部員です」
「あ、ご親切にどうもっす。私は鶴賀麻雀部員の東横桃子っす――って、そうじゃなくて!」
思わず興奮してしまい、須賀さんの肩を掴む。
彼は私に対して自分から声をかけてくれた。
つまり、それが示す事実は一つ。
「私の姿が見えるっすか!?」
「そりゃ、見えるけど」
「はうあっ!!」
「東横さーん!?」
完璧っす。
もう非の打ち所がない。
今日、東横桃子は恋をした。
モモがいないと死ぬ病気に俺かかってるからすまんな