◆◇◆『名前呼び』◆◇◆
美穂姉は優しい。多少のワガママは受け入れてくれるし、基本的に折れるのは彼女だ(俺と争った時はこっちが妥協する)。
だけど、少し頑固なところもある。
例えば、家事の手伝いをしようと思っても全然譲ってくれないし、機械の操作も自分でやろうとして問題を起こすことも多々ある。俺に頼ってくるのは本当にどうしようもなくなった際のみ。
そんな彼女だが中学生に入ってから必ず口うるさく注意することがある。
「あ、美穂姉。迎えにきたよ」
「京太郎」
読書をしていた姉さんの顔がムッとなって本から現れる。
自分のミスに気づいた俺はすぐに言い直した。
「ごめん。お待たせ、美穂子」
それは名前呼び。
彼女は外では絶対に名前で呼ばせたがる。
理由を聞けば『こっちの方が恋人みたい』だから……らしい。
最初はかなり恥ずかしかった。いくら姉とはいえ異性に多感な時期だったので、女性を名前で呼ぶのは抵抗があった。
それも数年続けば慣れる。人間の適応力はすごい。
今となっては至極どうでもいいのだが、姉さんがそれで満足なら結構。これといってデメリットもないので俺もそれに従っていた。
「ううん、私もさっき終わったばかりだから気にしないで」
「なら、良かった。今日はどこに行くの?」
「少し服を見たいの。その後、ディナーを食べて帰りましょう」
「遊ぶって言ってた部活の後輩さんは?」
「お別れしたわよ?だって、ここからは私と京太郎の二人だけの時間だもの」
「良かったの?」
「関係は良好よ。さぁ、行きましょうか」
そう言うと彼女は腕を組んで寄り添ってくる。
そんな体勢だともちろん柔らかな感触があるわけだ。
だけど、俺たちは姉弟。
姉さんの胸なんかで感じたりは………………します、すいません。
だって、義理だもん。
仕方ないじゃん!
そんな内心を悟られないように気を配りながら彼女の小さな手を握った。
互いに指先で遊んで、絡ませる。
こんな握りかたをすれば俺たちがどんな風に見られるか。そんなのはわかりきっている。
けど、構わない。姉さんが笑っているなら……別にいいや。
「……ふふっ」
「……なんだよ」
「京太郎はお姉ちゃんのこと大好き?」
「……まぁ、嫌いじゃないよ」
「……照れ屋さん」
「……ほら、はやく買い物行こう。俺、お腹空いたから」
「はーい」
そこからは美穂姉と他愛もない話をしながらイルミネーションに照らされた街を歩く。
そんな何気ない時間がとても楽しかった。
◆◇◆『姉モノ』◆◇◆
良い子も悪い子も寝静まった深夜。
リビングにて俺は美穂姉と対面するように正座させられていた。
かれこれ一時間が経ち、足が痺れ始めるころ。限界が徐々に忍び寄ってきている。
「いやね、美穂姉。これは別にそういうわけじゃなくて」
「京太郎」
「はいっ!」
「正座。まだ解いちゃダメよ?」
「りょ、了解であります!」
美穂姉はほとんど怒らない。
失敗したら優しく諭して次の道を示してくれるし、すばらしい人格の持ち主だと評判が高い。
そんな彼女も人間だ。
やはり時には怒りを覚える時もある。
おして、その時は必ずと言っていいほど両目を開いている。
その瞳で見つめられるとまず動けない。
言葉に重みが生まれて、相手は『イエスマン』と化してしまうのだ。
「京太郎」
「は、はいっ」
「どうしてこんなことになったのか、わかる?」
「え、えっと、それは……」
思い当たる節は一つある。
そして、その物証は現在進行形で目の前に晒されている。
く、くそっ……!
どうしてこれが美穂姉にばれているんだ!
俺はしっかり何重にも仕掛けを施して隠していたのに!
……そう。
俺と美穂姉の議論の種は男子高校生なら欠かせない代物。
「……はやりんのえっちな本を隠していたからです」
弱弱しくそう答える。
ちらと美穂姉の様子をうかがうが、俺の方をずっと見つめているままだった。
そのまま三分。美穂姉はため息を吐いた。
あ、あれ、違う?
「京太郎。お姉ちゃんが怒っているのはそのことじゃありません。別のことです」
「べ、別のこと?」
「ええ」
彼女は大きくうなずく。
そして、床に並べられたえっちな本の一冊を手に取って、正答を口にした。
「どうして姉モノが一冊もないのか。そこに怒っています」
「……は?」
「えっちな本を持つことはそういう年頃だからお姉ちゃんは何も言いません。けれど、どうして姉モノは一冊もないのかしら、京太郎?」
「えっ、な、なんでと言われても……」
ある。
確かに理由はある。
姉モノは全て美穂姉に重ね合わせてしまうからだ。
けど、それを言ったらきっとこの人は……。
『え! そ、そうだったのね……』
『なら、素直に言ってくれたらよかったのに』
『ここに実物があるから……ね? 京太郎?』
こんなことがあってもおかしくない。
それがわかっていたからこそ、あえて黙っていた。
「ぐ、偶然だよ。手に入ったのが偶然、姉モノがなかっただけで」
「……本当に?」
「ほ、本当さ! 姉モノが買えたら間違いなく姉モノを選んでいたって断言できる!」
嘘だ。買えないし、買わない!
でも、ここで嘘を貫き通さねば、きっと悪い事態へと進むだろう。
正直、両目を開けている姉さんには看破されている可能性が高いけど、それでも! 僅かな可能性に俺は賭ける!
「……わかりました。京太郎がそこまで言うなら信じましょう」
「姉さん!」
バッと立ち上がって姉さんの手を握り締める。
姉さんは頬をほんのりと赤くして、いつものように片目を閉じた。
「ただし、今すぐやってもらうことがあります」
「な、なに?」
「これを購入しなさい」
そう言って姉さんが持ってきたのはノートパソコン(もちろん無線)。
人差し指でなんとかポチポチ押して起動させると、あるページを開いて俺に見せた。
そこにはでかでかと書かれた『ぼくあね!~弟しぼっちゃうぞ!~』のタイトル。
ジャンルはアダルトコミックだ。
「み、美穂姉! これはちょっと!?」
「買ったらお姉ちゃんは許してあげます」
「いや、でも弟に姉が自らこれを推薦するのは」
「買いなさい」
「……はい」
結局、即日配達で俺は買わされる羽目になる。
これ以来、俺は姉モノ以外の本を買うのをやめることにしたのであった。
キャップみたいなお姉ちゃんほしい