◆◇◆『頂に立つ、その為に』◆◇◆
桃子のロンをくらった京太郎が最下位となって迎えた東三局は重たい空気が続く。誰も鳴くこともできず、かといって手が進むこともない。
そして、十三順目の智紀。
「ん……」
白と九萬のシャボ待ちで聴牌。
だが、遅すぎるし、なにより九萬は出尽くしている。白は二枚残りしているが、ここはリーチをかけずにダマで突き通す。
「うっわ……」
――となった後、京太郎のツモは白。生牌で、自分の手が進まない状況でこれを切るべきか。
ツモの流れを良くするという側から見れば切るべきだ。
でも、彼はそんなものは信じない。京太郎には美穂子や咲、部長やみんなみたいに不思議な力など与えられていないのだから。
彼にあるのは小さな頭フル回転させて、必死こいて当り牌避けて、泥臭くアガるだけ。
白を手に加え、端っこの不要牌を捨てる。
次の順、もう一枚の白をツモしたので京太郎の疑惑は確信となる。これまた同様に河へ捨て、一向聴。
しかし、それは形になることなく今局は終了。智紀へノーテン罰符を全員が支払い、京太郎の親に流れる。
「デジタル同士はつまんないわねー」
「何を言っていますか。無駄のない洗練された打牌、動き。それが美しいのでは?」
「竹井も龍門渕も言いたいことはわかるが、私も今のところは不満だ。清澄の」
突然、ゆみが京太郎へと話しかける。いきなりのことに驚くかと思ったが、周りが考えるよりも京太郎は落ち着いた様子で苦笑いを浮かべた。
「……そう見えるでしょうか」
「私には、な。君は仮にも長野県一位だ。まだ本気を出していないだろう?」
「……そんなことは」
「京太郎」
ゆみの意見を否定しようとしたところで、京太郎は美穂子に遮られる。彼女の開けられた両目は京太郎をしっかりととらえており、離さない。
「格好いいところをお姉ちゃんに見せてね」
そう言って、彼女はニコリと笑う。
応援はたったそれだけ。
だが、そんな一言で奮起することが出来るシスコンがここにはいた。
「……わかったよ、美穂姉」
京太郎のスイッチは切りかわる。
決して今までも手を抜いてきたわけではない。
ただ、確かに京太郎はこの半荘は自分の実力と周囲の差を見るための様子見。悪い言い方をすれば捨て石の半荘にするつもりだった。
その予定を変更。
最初から全力で、自分の力をぶつけて戦う。
「これはちょっと疲れそうだ」
その言葉とは裏腹に顔は楽しそうだ。
「やれやれ。京太郎はお姉さんが大好きなんだね」
「まぁな。最高の姉ではあるよ」
「……やっぱり最大のライバルはお義姉さん……」
桃子はブツブツと呟くが、それは京太郎の耳には届かない。
しかし、彼の後ろにいた美穂子にはちゃんと聞かれていたのでリストへと名を記された。
「それと皆さんには謝っておきます。加治木さんの言う通りで、本当は様子見をするつもりでした」
「それなら気にすることないさ。ボクもまだ本気を出していない」
「そうっすよ! 私もステルスはまだ使ってなかったっすから!」
「……私もまだ本気出してないから」
「声が震えてますよ、沢村さん」
冷静に突っ込む京太郎。
しかし、彼の頭にはもう一つツッコミたいことがあった。
「えっと、国広……」
「一で構わないさ」
「なら、一。どうして服を脱ごうとしている」
「至極簡単。――より興奮して、パワーアップするつもりだからだよ」
「一! 屋敷での淫乱メイド服を禁止にしますわよ」
「……仕方ない。これは今度見せることにしよう」
「永遠に見せなくていいから!」
そんな一幕が終わり、東四局が始まる。
「うわぁ……」と思わず口にしてしまいそうになる手牌。塔子が一組しかないのは京太郎の特徴がよく出ていた。
須賀京太郎は不運である。
美穂子と出会って麻雀を始めたが、何度やっても当り牌を持ってくる。
それも自分のではなく他人のもの。
いくら読みを磨こうが、こんなハンディキャップを抱えたままでは意味がない。
勝てないのだから面白くない。
実際、麻雀を止めようと思った回数は数えきれない。
ただ、それでも彼が今もなお麻雀を続け、全国レベルへと到達したのはひとえに姉の献身にある。
彼女が諦めなかったから京太郎も諦めず、彼女が真剣だから京太郎も妥協をしなかった。なにより楽しめない自分の姿を見た時の美穂子の悲しげな顔を京太郎は二度と見たくなかった。
「……立直」
智紀が点棒を場に出し、アガリへの道を歩み始める。
待ちは分かりやすかった。
真ん中の数字に固まった捨て牌。
字牌は三順目の西のみ。
混全帯么九系統の役。
「うん、だよな。そうなるよな」
立直後の第一ツモが九筒。当然、切れずに手牌へ入る。
次いでまた九筒。
ポーカーフェイスを努める京太郎だが、心境は穏やかじゃない。
そして三順、またまた九筒。
これで九筒の暗刻が完成する。
「ああ、やっぱり……」
ここで京太郎は手牌から
「ついていない」
そして、四順目。引いてきたのは、九筒。
倒される14つの牌。告げられるアガリ。
「ツモ、赤1。1000オールです」
点数申告が行われるが、智紀の耳にその言葉は届いていなかった。
自分の当たり牌を完璧に止められたうえでの速攻。彼の手がほとんど硬直状態だったことを汚い河から察していたからこそ、彼女にもたらされた驚きも人一倍大きかった。
傍から見ればただ普通にツモって上がっただけに過ぎない。
現に桃子も変態もこれといって特別な思いは抱いていなかった。
しかし、外野の反応は違う。
彼が立直後に引いた牌を見ていたギャラリーだからこそ京太郎の引きの気持ち悪さを理解できた。初見のゆみは目の前で起きたことが未だに信じられず、関係者である美穂子と久に解説を求める。
「……京太郎はね、不運なの。いくら頑張っても頑張っても麻雀の神様は振り向いてくれなくて。……だからね、考えを変えることにしたのがきっかけ」
「……考えを変える?」
「そう。当たり牌はプレゼントで、それを使ってアガれるようになればいい。簡単に言えば当たり牌を寄せて、相手と被せる。そうすれば、ほら。京太郎もツモれるでしょう?」
「ツモれるでしょうって……」
あっけからんと言い放つ美穂子に思わずゆみは苦笑してしまう。
彼女も俗に言うオカルトを持たず、読みを磨いて上り詰めた実力者。だから、読みが的中する確率は低く、ましてやそれに合わせて自分の手牌を変化させていくのがどれだけ難しいことかを理解している。
それを京太郎はやってのけると言うのだ。
「……与太話はそれくらいにしてくれ。なにか彼にもオカルトがあるのだろう?」
「それが事実なのよねぇ。私の悪待ちも初見で見破られた時はちょっとショック受けちゃったし」
「そんなバカな……」
「ほら。今度はあなたの後輩ちゃんがやられたわよ」
「なっ!?」
久が指さす先にはたった今、ツモでアガった京太郎の姿があった。やけに二萬、五萬が多いことからそれが桃子のアガリ牌だったことが予測できる。
「あの技はもがいてもがいて、ようやくつかんだ一縷の光。不運を逆手に勝ちを得る。『反転世界』と私達は呼んでいるわ」
そして、自慢の弟の活躍にドヤ顔で語る美穂子。
久はやれやれと肩をすくめる。
「……モモの立直も判別できているのか」
彼女の力を身近で見てきたゆみには京太郎の不運もそうだが、こちらも驚きに値する事実だった。
ゆみにすら、そろそろ姿が見えにくくなっているというのに彼はいとも平然としているのだから。
「ゆみ。彼の師が誰か忘れたの?」
「そういえばそうだったな」
「はい。私が京太郎の師匠で自慢の姉で将来のお嫁さんです」
「後ろは余計よ」
「そんなこと言うから早速振り込んでしまったぞ」
「「ええっ!?」」
ゆみの指摘に二人は慌てて場を見るが不自然な牌の切り出しを確認して、ほっと安堵する。
「あれは故意の振り込みなの」
「……は?」
今度こそ訳が分からなかった。
差し込みではなく振り込み。それも自分が親で連荘しているにも関わらず。
「うーん、これは説明が難しいわね。まず私達と卓を囲んでいる四人では視点が違うのよ。さっきまでの京太郎くんのアガリをあくまで回し打ちした結果にしたかったんだと思うわ」
「それに何の意味があると?」
「東横さんの警戒を緩める為よ。最後での大きな一撃を彼女に与えるためのね」
「しかし、彼はモモのステルスを一度看破してみせたぞ? それだと無駄としか思えないが」
「ええ。でも、それは外野の私達だから気づけたことでしょう? きっと東横さんは今もステルスが破られたとは思っていないわよ。立直に振り込んでくれたし、さっきのアガリも偶然程度に思うでしょうね」
「そうでなくとも彼女に疑念を植え付けることができますから」
「……彼はそこまで考えて麻雀を打っているのか」
「『凡才は努力し続けなければ天才に勝てない』。京太郎はいつも頭の端っこに、この言葉を置いていますから」
◆◇◆『京太郎side』◆◇◆
「……さて、と」
順位は三位。しかし、ラスとは僅差で一位の東横さんとは一万点近くの差がある。実力差がある女子相手にここまで粘れたのは良かった。
幸いなことにあと二局ある上に最後は俺の親だ。
今回は小さな点数でもいいから上がって、次に繋げたい。
「……ふぅ」
九順目、聴牌。
うん、俺からしたら速くてけっこう。
高めで平和に一通の三翻。
安くて平和のみ。
立直をかけたいところだけど、そしたら警戒させてしまうし、何より俺のツモ運がない。
それにここでダメ押しもしたいから――
「失礼」
――浮いた六萬を曲げずに切り出す。
ダマで三索、六索、九索待ち。九で高め。
出てくるのを感情を抑え、待つ。
「――――」
次順、ステルスモードの東横さんが切ったのは九索。
俺の当たり牌。
――だが、それを見逃す。
「あー」
「これはね……」
「……む?」
「ふぅん……」
ステルスモードは龍門渕さんでも見破れない精度を誇る。周囲はそれがわかっているから、心の内で同情的な感情を抱いていることだろう。
しかし、背後で加治木さんと部長の反応は違った。
……気づかれたかな?
そして、さらにツモ切りが続いて二順後。
「ちょっと遅いけど最下位だし、立直」
国広くんが宣言する。
出てきたのは二枚目の九索。
「ロン。3900」
「おっと。これはついてない」
おどけた様子で肩をすくめる国広くん。
点数交換をかわしつつ、チラと東横さんの表情をチェックする。
……なにも変わらない。
いつも通り、自身の持つ力を信じて疑わない。
だとしたなら、この勝負――俺の勝ちだ。
新しく積み上げられた山から配られる手牌。
それらを整えることなく、一枚目を河へと捨てた。
「「「……!」」」
今までと違った打ち方に警戒を引き上げる三人。
即決から考えられるのはある程度、手役が完成した一向聴、二向聴の可能性。
三人に俺が聴牌への道が見えていると匂わせる。防御が固くなるかもしれないが、それでいい。
幻影に怯えてくれ。
この時、俺の手は四向聴。上がりにはほど遠かった。
緊張感が走る中、二筒、六筒を連打でツモ切り。疑惑が徐々に確信へと変わりゆく。嫌でも俺の当たりを考えにいれなければいけない。
回って、五順後。聴牌。
「これは……」
俺がこんなに速く聴牌するなど奇跡に等しい。つまり、俺の他にも聴牌している人がいるということ。
すんなり当たり牌が入ってくれて助かった。流れは来ている。
なら、攻めるしかねぇよな。
「立直!」
勢いよく八筒を滑らせ、宣言する。
断么九、三色。立直も入って満貫で逆転手。
待ちは――。
◆◇◆『桃子side』◆◇◆
「立直!」
対面の少年が高らかに聴牌したことを晒し、棒を場に置く。
来ましたか……。
河を確認したところ、最も危険なのは一枚も出てきていない萬子。染め手の可能性が高い。
けれど、彼はそんなわかりやすいことをする人間じゃない。知略を尽くして、裏をかくタイプだ。
昨晩、加治木先輩に須賀くんの部屋に遊びにいくのを止められた私は会いたい気持ちが抑えられず、ネットに上がった対戦動画を繰り返し見ていた。
引き締まった彼の横顔も格好良かったけど、魅せられたのはその逞しい腹筋……じゃなくて、プレイスタイル。
なら、ここはあえて萬子を切るべきだ。
幸いにも私が引いたのは六萬。これで七ー九の八萬の嵌張待ちから両面へと移行しつつ、躱すことができる。
そう考え、九萬子に手をかけたところで――再び思考は加速した。
……本当に?
本当に、これでいいのか?
今のは勝手に彼の性格を推し測って私が立てた予測。本来なら萬子など危なすぎるだろう。
不幸にも私は安全牌を持ち合わせていない。なら、この中で安全なのは……。
口を噛み締めて、指を横へとスライドさせる。掴んだのは頭にしていた五筒。
聴牌を崩してでも降りる。そうだ、無理することはない。
私は一位なんすから。
筋も切れてるし、側も捨てられている。
可能性はほぼない。
それにこんなことを気にし出せば可能性など無限に広がる。
最後に信じられるのは己の技術、勘、経験。それを考慮しても私はこれを選ぶ。
そして、なにより私が切ったのが当り牌だったとしても、彼はステルスモードの私を、これを見逃す――
「――ロン」
――は?
広げられる手牌。
断么九、三色……って五筒単騎……!?
思わず立ち上がってしまう。
「な、なんでそんなとこを……!」
「ああ。東横さんを狙い撃ちしたから」
「なっ……!?」
「君の今までの牌の並べ方、視線の動き、関わることを全て観察していたからな」
私の全てを観察……!?
な、なんて甘美な響き……じゃなかったっす!
それはきっと姉の美穂子お義姉様から伝授された技術だ。きっと私には理解ができても、真似はできない。それよりも問題は他にある。
「な、なんで私が見えているっすか! さっきまで普通に振り込んで」
「ああ、それ、わざとなんだ」
「はぁっ!? わ、わざと? な、なんでそんなことを……」
「今回、卓を囲んだ面子でオカルトを持っているのは東横さんだけで、ならば君が必ず一位でオーラスがやってくると思ったから」
「――――っ」
ゾクリと。
何か得体の知れない感情が全身をひた走る。
こんな芸当が本当に人間にできるのだろうか。加治木先輩でも、ここまで読んで、把握して、掌握できない。
麻雀には運という不確定要素が付き物で、絶対なんて有り得ない。
なのに、目の前の少年は何一つ疑うことなく私が一位になることを前提に、全局で餌を撒いたのだ。
己が頂点に立つ――
「立直、一発、断么九、三色、ドラ1で裏1。18000で……俺の勝ちですね」
――この瞬間の為に。
「……参ったっす。強いっすね、須賀君」
「東横さんもね」
「ありがとうっす。それに……カッコよかったですしね」
「「「!?」」」
「あ、ありがとう。お世辞でも嬉しいよ」
「いやいや、彼女の言う通りだとも。ボクも真面目な君の横顔を見て思わずビクンってなってしまったからね」
「おい、擬音が違うぞ」
「あはは。なんのことか分かりかねないね」
「……一が変態なのはいつものこと。それより私も楽しかった」
「ご満足いただけて俺としては安心しました」
「いや、本当に面白かったよ、京太郎。でも、まだまだボクは満足していない。次も熱い打ち合いを楽しもうじゃないか」
「うらやましいっす、国広さん。3位と4位は入れ換えっすから、私たちが交代っすね……」
「……でも、彼と打ちたい子はいないと聞いた」
沢村さんがボソリと漏らす。言われてみれば、たしかにそうだ。
「だったら、このまま――」
『続けちゃいましょうか』。そう言おうとした瞬間、まがまがしい黒い感情を背中に感じる。嫌な予感を胸に振り返れば、お義姉さんと嶺上さんがいた。
「それなら安心してください」
「私たちが入りますから」
「美穂姉に……咲っ!?」
「うふふ、京太郎。久しぶりにお姉ちゃん燃えてきたから相手をよろしくお願いね?」
「みんなの戦いを見てたら私も久しぶりに京ちゃんと打ちたくなっちゃった。……真剣に」
「「「ひっ!?」」」
闘牌シーンは本当に長くなるね……