#1 Idol meets cars 〜原田美世の場合〜
「ふ〜ん。ふふっ」
思わず鼻歌にもならない尻上がりな音と笑い声を小さく出してから丸いラインを撫でて行く。
革のキーホルダー一つ付けただけの古めかしい鍵を挿して鍵を開け、ドアノブを引くと薄くて軽いドアはすんなり開いた。そして自分のひざくらいの高さのシートに座ってから足をレッグルームに入れた。
前にプロデューサーさんから「絶対にスカートでは乗るな」と言われて最初は何かと思ったけど、5秒考えてから理解した。
スポーツカーをデートで使う男の人にはこんな下心もある、と言うのもプロデューサーさんの弁だ。ああ、もちろん武内プロデューサーじゃなくて、日比谷プロデューサーだよ?
そしてキーを挿してクラッチとブレーキを踏み、ギアをニュートラルにしてからキーを捻れば小気味いい音が聞こえてきた。そのまますこし待ちつつ今日の目的地をスマホの地図アプリに入れてホルダーに挟めばちょっと暖気には短いが、無茶をせずに適度に負荷をかけた方がエンジンには良いって言うし、そのまま路上へと出た。
街乗りではそんなに回すわけじゃないから、この前に奮発して組み込んだターボも宝の持ち腐れだ。追い越しの時に踏み込むと微かに「ヒューン」という吸気音後にアクセルを話せば「パフッ」と可愛らしい音も出してくれる。ハイパワーターボのような「ヒューン バシュッ!」なんて立派な音はしない。まぁ、こんなちっちゃい車だ。可愛らしい程度がちょうどいい。以前雑誌の取材の時にアウディR8の助手席に乗る機会があったけど、あんなクルマ、とても私には乗れないだろう。
今日はいつもお世話になっているレースチームの開発部へお邪魔して雑誌の取材を(メインは監督さんとドライバーさんなのは言うまでもない)受けてから事務所へ向かう予定だ。
目的の建物に着くとスタッフさんが待っていてくれて、手を振ってきたのでハイビーム攻撃で返してあげた。これくらいの冗談は通じる仲だ。
「おはようございます」
「おはよう、朝からとんだ挨拶だね」
「下心丸出しで待ち伏せてるのが悪いんですよ?」
「そ、そんなんじゃ!」
「じょーだんです。もうみんな揃ってますか?」
「いや、美世ちゃんで3人目。監督と西崎さんは来てるよ」
西崎さんと言うのはドライバーさんだ。チームのエースドライバーで、経験に裏打ちされた堅実なドライビングで人気がある。それに、素敵なおじさま(本人に言うと冗談めかして怒られる)で、そう言った面でも信頼の厚い人だ。そして、遅刻寸前で滑り込んで来たのはチームのセカンドドライバーで、期待の新人、宮川さん。カート上がりの若手で、年は私と変わらない。箱車初年度だが、西崎さんの指導もあってメキメキと実力を伸ばしているところだ。
もう一人のレースクイーンの子とも合流すると裏の部屋で着替えてから写真の添え物になる仕事が始まる。
レースクイーン仲間の京子ちゃんはプロダクションに入ったりしているわけではなく、チームで事務員をしていたそうだが、スタイルがいい、と突如レースクイーンに抜擢されてしまったそうだ。
「こんな仕事ばっかりならいいんだけどねぇ」
「あはは…… まぁ、お客さんの前に立つのが仕事ですし」
「私だってこの後書類整理があるのよ? 領収書の束もあるし……」
「京子さんも大変なんですね」
「レースウィークはデスクワークが無いんだけど。どっちもどっちねぇ」
京子さんはあまり人に笑顔を振りまく仕事は好きではないらしいけど、任されてしまったからには、とレースウィークにはちゃんとファンのいやらしい目つきとカメラに耐えている。
インタビューの進む部屋の片隅でガールズトークに花を咲かせていたのと束の間、最後に1枚、と監督さんを中心にドライバー、私たちで挟んで写真を撮ってから今日の仕事は終了だ。
「美世ちゃん、美世ちゃん」
「はい?」
「今度新車レビューの試乗記、やって欲しいんだけど、どうかな?」
声をかけて来たのは撮影に来ていた出版社の偉い人だ。たしか、名前は湖山さん。
彼もロードスターオーナーで、初めてあった時にロードスターの話で大いに盛り上がり、気に入られたようだ。
「ええっ!? ホントですか?」
「まぁ、試乗記って言ってもモノクロ1ページのコラムみたいなもんだけど、考えておいてよ」
「ぜひ、ぜひやりたいですっ! プロデューサー、絶対この仕事させてよ……!!!」
「ははっ、僕からも彼に言っておくよ。じゃ、また機会があればね」
「はい! よろしくお願いします」
と言ったやりとりを経て昼頃に事務所に着くと案の定お昼休みの日比谷プロデューサーがペットボトルの紅茶を片手にスポドラを読んでいた。
じーっ
じーーっ
じーーーっ
「はぁ…… 美世、そんなに見てても読み終わらんし、誰も貸してやるなんて言ってないぞ」
「とか言いつつ、毎回読み終わったらテーブルの上に置きっぱなしじゃないですか。それに、そろそろ最後の方の広告なんで読み飛ばすでしょ?」
もう巻末の広告が並ぶページだ。プロデューサーならそのままテーブルにポイッとして仕事に戻るはず。そう読んで視線を外さない。
だが、そんな私の期待をいとも容易く打ち破りやがったプロデューサーは、スポドラをカバンにしまい込むと別の雑誌を取り出したのだ。あの「へっ、ざまあ見やがれ」って顔は絶対にワザとだ。
「殺生なぁぁぁ」
「ふふん、そんなに甘くねぇんだよ」
悔しかったのでその後もプロデューサーを睨み続けているとちひろさんに呼ばれてプロデューサーは何処かへ行ってしまった。ちゃっかり私にスポドラを投げて渡すあたり、あの人も素直じゃ無いな。
社用車のキーを持って出て行ったプロデューサーを見送ったちひろさんは、そのままスポドラに手をかけた私の肩に手をかけた。
「美世ちゃん、悪いんだけどテレビ局にニュージェネの3人を迎えに行ってくれる? いまプロデューサー2人とも居ないし、車乗れる人も居ないのよ」
「はぁ、はい。行って来ます……」
「ごめんね、お楽しみの前なのに」
「いえ、大丈夫です」
346の社用車は主に3車種ある。一つは一番数の多いアクア。プロデューサーが営業に行ったり、他の部署の人が関係先を訪ねるのに使う。
そして、プリウスα。これも同じく営業用。アクアより広くて荷物も積めるのでアイドルを迎えに行くのはもっぱらこれだ。
そして、キーボックスからプリウスのキーを取り出して、ナンバーの書かれたボードに使用中の札をマグネットで貼り付けて名前を横に書くと社用車駐車場へと長い道のりをあるく。
ずらりと並ぶ同じ車から目当てのものを探して、ドアノブを握ると「ピッピッ」と音が鳴って鍵が開く。未だにアナログな私としては少し慣れなくてむず痒い。
エンジンスタートもブレーキを踏みながらボタンを押すだけ。味気ない、と思ってしまうのは私だけだろうか?
おもちゃのレバーみたいなギアセレクターをDレンジに入れてソロリソロリと音もなく車を出した。
#2 Idol meets cars 〜高垣楓の場合〜
プロデューサーさん達が大黒PAに行くと聞いて現場から直行して来たけど、ちょっと遅刻みたいね。
あと、あの赤いロードスターは、誰のかしら? マツダで待った? うふふ。とにかく、日比谷プロデューサーのフェアレディの隣に止めましょう。
「遅れてしまってすみません」
「は、え、高垣楓っ!?」
「いえ、勝手に集まっているだけなので、お気になさらず」
「それで、その子がロードスターのオーナーさんかしら?」
「はいっ、は、原田美世といいましゅっ!」
「あ、噛んだ」
可愛い子ね。日比谷プロデューサーにかなり懐いてるみたいだし、余程の車好きと見たわ。愛想のいい日比谷Pだけど、ちゃんとアイドルとは一線を引いてるもの。武内プロデューサーとはラインの位置が大きく違うけど。
「相変わらず目立つクルマですねぇ、羨ましい」
「そうですか? えぇクルマだと思いますけど」
日比谷Pの視線の先は私の愛車。メルセデスベンツ A45 AMG ペトロナスグリーンエディション。名前はやたらと長いけれど、ベンツの一番小さいの。ショールームに出ているのをみかけて派手な見た目に惹かれて思わず買ってしまった1台。
ボディサイドのグラフィックはもちろん、バンパーの縁、リアスポイラーの両端、シートやインパネのステッチまで緑色。素敵でしょう?
「AMGですかぁ…… 初めて見ました」
「日本に30台しか無いウチの1台だしな。俺も楓さんがコレ買った、って聞いた時は驚いたよ」
「いいでしょう? 日比谷プロデューサーも欲しく無いですか? AMG」
ワザとらしく日比谷Pに言い寄ってみると意外と動揺もせず、ひらりと躱わされてしまった。こういうところは妙に慣れていて面白くない。
その代わり、後ろでは武内プロデューサーと美世ちゃんがあたふたしているけれど。
「欲しいですね、実際。お金さえあればAMG GTでもブラックシリーズでも欲しいです」
「あらあら、欲望に素直なのね。びっくり」
「AMGは羊の皮を被った狼、がぴったりですからね。スーパーカーは例外ですが」
「武内プロデューサーもベンツとか乗りたいんですか?」
「欲しいとは思いませんが、一度乗って見たいとは思います。やはり、ドイツ車はなにか、憧れのようなものがありますから」
普段口数の少ない武内プロデューサーが饒舌になるのも面白い。346カークラブ、と勝手に呼んでいるけれど、車の話になると普段の10倍は喋る武内プロデューサーを見ることができる。
日比谷プロデューサーは、普段からアイドルとコミュニケーションを取るタイプだからあまり変わらないわね。
「高垣さんも車好きなんですか?」
「ええ。でも、こんな個性的な車を買ったのは初めてなの」
「前は何に乗ってたんです?」
「中古のフィット。本当に普通の車だったのだけど、アイドルとして軌道にのると乗らなくなってしまって」
わたしはどちらかと言うとわたし自身が乗るよりも、助手席に居たいのだけど、あいにく乗せてくれる人は居ないし(日比谷プロデューサーも武内プロデューサーもダメだって言うの)、モデルや女優寄りの仕事が多いから自動車関連の仕事は振られない。そんな時に出会ってしまったこの車。ある意味、運命だったのかもしれないわね。
わたしのマイカー、どうですかー?
ふふっ。
美世ちゃん長いです。
楓さん激短です。ごめんなさい。
緑色な車を考えて、どマイナーなチョイスになりました。少しキャラから外れてる感じが無くもないです。
そして、思ったより反応があって驚いてます。とりあえず勢いが続いたので2話一気に書き切れましたが、これからはボチボチ、タグ通りの不定期になりそうです。