アイドルが通う小料理屋の話   作:屑霧島

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近年簡単なインスタント食品や総菜の発展により、魚を捌けないや出汁を取れない日本人が増えていることを嘆いた作者が、少しでも皆様に料理や食材に対して興味を持ってもらおうと思って書き始めた作品です。
これを機に出汁を取れるように、魚が捌けるように、料理ができるるようになる人が増えてくれたら嬉しい限りです。


初来店:カンパチの刺身

都内のとある駅の近くに、数棟の大きなマンションと多くの一戸建てによって構成された集合住宅地がある。核家族に安い価格で一戸建てを販売するためにバブル時代に開発された住宅地である。この住宅地に行く方法は最寄りの駅から十数分ほど歩くか、駅から出ているバスに乗って住宅地の近くにあるバス停で下車するかのどちらかになる。

そんな住宅地のバス停の近くに最近一軒の小料理屋が開店した。以前その場所には居酒屋があったのだが、都心のチェーン展開された居酒屋に客を取られてしまったため、十年前ぐらいに廃業した。そんな背景があったため、新しくできた小料理屋に来る客は少なかった。

だが、その店の店長は客が少なくても問題なかった。なぜなら、この小料理屋は店長の趣味のようなもので、店長の本業は別にあるからである。そのため、規模は小さくて構わないと考えていた。だから、席数も少なく、バイトも一人しか雇っていない。そんなこじんまりとした店長の趣味全開の小料理屋だが、来店した地域住民のリピート率は高い。

リピート率が高い理由はいくつかある。

一つ目はその店の風貌だ。外壁には焼杉という耐火性能を持った炭化した杉を格子状に組んでいる。扉は外壁と違い普通の杉を使っており、杉本来の色が際立っているように見えるため、店の入り口が強調されている。その横には店の名前が書かれた和紙調のアクリル表札が掛けられている。

店の中に入ってみると落ち着いた和の雰囲気でありながら、モダンな作りとなっているため、従来の居酒屋のような古臭さがない。そのため大勢が来店してドンチャンワイワイ飲むような居酒屋とは雰囲気がかなり違う。かといって寿司屋のように恐縮してしまうような厳格な雰囲気はあまりない。一番近いのはおそらく、モダンな和のバーの雰囲気だろう。そのせいか、一人でゆっくり飲み食いをしたい仕事帰りのサラリーマンに受けている。

二つ目はメニューである。マニアックな食材を調理して出してくれるのだ。チェーン展開されたレストランはある程度の量を仕入れなければならないため、少量のマニアックな食材を出すことができない。だが、個人経営の店はそこまで量が要らないため、少量で店のメニューとして出すことができる。このやり方は個人経営の小さな小料理屋だからこそできる技である。そして、そんなマニアックな食材を使った料理がよく変わる。そのため、他の料理屋では味わえないような味を楽しみにしている人が何度も来店する。

三つ目は女子大生のバイトがとても美人だということである。女性として料理スキルを上げる必要があると思った女子大生の父親が店長と知り合いだったため、バイトとして働いている。そのバイトの女子大生が美人だったため、男性客の受けが良かった。

そんな小さな小料理屋に一人の女性が来店した。

初めて見る女性であることから店長はこの女性が初めて来店された人だと察した。

 

「いらっしゃいませ。何名様ですか?」

「一人です」

「それでは、空いている席にどうぞ」

 

入店してきた女性はカウンター席の奥から三番目の空席に座った。店に来ていたほかの客はその女性をチラチラとみている。なぜなら、一人で女性がこんな小さな小料理屋に来ることはあまりないからだ。それに女性は飲酒しても大丈夫なのかと思ってしまうほど若いように見える。態度が堂々としていることから年齢を詐称していないと考えられるため、おそらく20代だと思わる。非常に若い。

しかも、スタイルが良い。スレンダーの代名詞として認められるような体系をしている。男性十人にこの女性の後姿から美人か否か答えてくださいと質問すると大半がハッキリと美人だと思うと答えるだろう。しかも、女性にしては身長が高いが、高すぎるというわけでもない。姿勢が非常に良いことからモデルでもしていたのではないかと多くの人が思ってしまうだろう。

そして、しつこくない綺麗な薄化粧のおかげで、左目下にある泣きぼくろが可愛く見える。左右の瞳の色が異なるオッドアイであったため、神秘性のようなものも感じる。更に、形の整ったふんわりとしたボブカットが落ち着いた雰囲気を醸し出しており、可愛さと神秘性と落ち着いた雰囲気の組み合わせが綺麗にマッチしている。

要するに、女性のビジュアルはかなり良い方だろう。

だから、他の客たちは美人の来店に驚いた。

 

「おしぼりです」

 

バイトは着席した女性に温かいおしぼりを出す。女性はおしぼりを受け取ると、手を拭き、机の上に置かれたメニューを見て何を注文しようかと悩む。普通のレストランや居酒屋ではあまり食べられそうにない料理の名前があったからだ。何を食べようかと悩む彼女の眼にあるメニューがとまった。

 

「今日の店長のオススメで」

 

『今日』のということはもしかしたら今日しか食べられないということかもしれない。今後も通うのなら定番メニューは後回しにして、店長が勧める期間限定のメニューを頼んだ方が賢い選択かもしれないと思ったからだ。

 

「生魚ですが、大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ。今週は大仕事ありませんから、これこそ大ジョブ…」

 

店長とバイトと他の客は一瞬凍りついた。若くて綺麗な女性の口から出た言葉はまさかのダジャレだったのだ。そのため、圧倒的なギャップに困惑してしまったのだ。

だが、店長はすぐに持ち直して女性が注文したメニューの準備を始める。冷蔵庫からサランラップと白い布巾に包まれたモノを二つ取り出し、木で出来たまな板の横に置くと、包装を剥がしていく。サランラップと白い布巾の中からサク(魚の切り身)が出てきた。一つ目のサクは上部の一部が銀色だが、ほとんどが鮮やかな赤い色をしている。しかし、それ以外は淡いピンク色をしていた。もう一つのサクは全体的に白い。

店長はサクを長い柳刃包丁で厚さが1cm前後になるように薄く切っていく。薄く切っても身が崩れないのは、包丁の鋭さも一つの要因として考えられるが、その魚の身の弾力とその弾力を維持するために適切な処置と保存を行ったことが大きな要因と言えるだろう。八キレ程切ると盛りつけ箸で大根けんと小菊と大葉で飾られた皿に載せる。

盛りつけを終えると店長はバイトに刺身の乗った皿を渡す。

 

「お待たせしました。今日の店長のオススメです」

 

皿に載せられた刺身の見た目は非常にブリに近く見える。だが、どことなく鮮やかな色をしているように見えた。

 

「それでは、頂きます」

 

女性客は箸で刺身を一切れ取ると、皿の端にあった醤油を着けて、口の中に入れる。

まず感じたのは醤油の塩の味だったが、その直後に圧倒的な甘みが口の中に広がる。そして、その直後に口の中に広がる上品できめ細やかな脂が広がる。そしてその後にカンパチの旨みが口の中を支配した。

歯ごたえは非常に良く、まるで先ほどまで生きていたかのかと思ってしまうほどであった。

 

「ブリ?じゃないですよね?」

 

見栄えだけで判断するのならブリと言っていたかもしれない。だが、女性客がそう思ったのは今出された魚の脂の質が関係している。ブリの脂はもっと濃厚でしつこいからだ。だが、これはきめの細かい上品な脂をしている。車で例えるなら、ブリは武骨な大型トラックで、この魚は高級なコンパクトカーと言ったところだろう。

それに歯ごたえが違う。この魚の方がブリに比べて筋肉質に感じられる。

 

「はい、こちらの刺身の魚はブリじゃなくて、カンパチです」

 

間八(カンパチ)。

熱帯・温帯地域に広く分布するアジ科ブリ属の魚である。日本の場合、多くが鹿児島で漁獲または養殖されている。養殖技術が確立したことで生産が容易になり、養殖生産量が著しく増加した。そのため、近年になって一般市民でも食べられることのできる値段へと低下した。

正面から見た際に目の上の斜め帯が漢字の「八」の字に見えるため、目の間に八の字ということで、名前が間八となったらしい。

ブリ属ということもあり、ブリやヒラマサといった魚と見た目が似ているため、偶に間違える人が居る。だが、旬は異なる。ヒラマサの旬は夏、カンパチは秋、ブリは冬だと言われている。更に味の劣化速度も異なる。一般的に寒い地域に生息している魚や深海魚の消化酵素は温帯地方の魚より強いため、劣化が速いと言われている。そのため、熱帯・温帯地域に生息するカンパチは味の劣化がブリに比べて遅く、鮮度を保ちやすく歯ごたえのある魚である。

女性客はカンパチの旨みと歯ごたえに感激していた。

 

「すごく歯ごたえがありますね。やっぱり天然のお魚は違いますね」

「いいえ、こちらは養殖された魚です」

「養殖ですか?養殖ってもっと脂が強いと思っていたんですけど…」

「沖合養殖だからですよ」

 

近年日本でも沖合養殖の実用に関する実験が様々な企業や研究所で行われている。

沖合養殖は湾内養殖に比べて色々利点がある。一つ目は食感だ。沖合は潮流が速いため、養殖魚に対してある程度の運動が求められる。よって、運動不足になりにくく、筋肉質で歯ごたえのある養殖魚ができる。二つ目は生育環境だ。潮流が速いため、餌の食べ残しやフンなどが潮で遠くに流されやすい。そのため、生育環境を清潔な状態に保ちやすい。これが養殖魚の成長速度や魚病の発生確率の低下に繋がると言われている。

だが、全ての面に置いて沖合養殖が湾内養殖より優れているかと言ったらそうとは限らない。その理由の一つ目が日本人の食に対する好みの変化が関係している。近年日本の食文化の多様化により、西洋の脂っこい食べ物に対する需要が伸びてきた。これにより肉や魚などの食材に対して脂の乗りに対する需要も伸びてきた。そのため、人によっては脂の乗った運動不足の養殖魚の方が良いという人もいる。二つ目はコスト面だ。湾内は港から近いが、沖合は港から遠い。そのため、船の移動、生け簀の運搬などの手間が沖合の方が掛かるため、その分コストが嵩む。

よって、沖合養殖も一長一短なのだ。

 

「唐突な話になりますが、明日から寒くなるみたいですよ。寒波近いみたいで…カンパチだけに」

 

バイトと他の客も一瞬凍りついてしまった。ダジャレを返してくるとは思っていなかったからだ。一方の女性客は自分のダジャレにダジャレで返してくれたのが嬉しかったのかにこやかである。

 

「まあ、中々お上手ですね」

「ありがとうございます」

 

その後も女性客は色々な珍しいメニューを頼み、その味を堪能した。そして、食べながら、日本酒などを飲んだ。

日本酒のチョイスは店長のオススメでお願いしますと頼むと、店長は女性客に予算を聞いて、その予算内で適当なモノを選んで出した。店長の出した日本酒は口当たりが良く爽やかな味の純米吟醸だった。米の味がしっかりしているが、しつこくなく爽やかな味がカンパチの味を引き立てていた。

純米酒にしたのは醸造アルコールの味が魚の風味を消してしまう場合があるからだ。

一時間ほどかけて飲み食いした女性客は会計を済ませて、店から出ようとする。女性客は満足げな顔で店から出ていく前に店長に礼を言う。

 

「御馳走様でした。また、明日も来ようかしら」

「大変申し訳ありませんが、私の都合によりこの店は金曜日と土曜日限定で開いている店ですので、また来週にお越しください」

「分かりました。それではまた来週に来ますね」

 

そう言って、女性客…高垣楓は帰宅しようと店を出た。 

 


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