私、二回目の人生にてアイドルになるとのこと   作:モコロシ

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第8話 魔王 “邂逅” その二

サウナで別れた後、私はサウナ、シャワー、サウナ、シャワーと、三回ほど繰り返して浴室を後にした。私にもよく理由は分からないのだが、これが健康的なサウナの利用の仕方というものらしい。

 

風呂から上がると体を拭いて髪を乾かして服を着て、そのまましばらくその場でのんびりしていた。ああ、マッサージ機が欲しい。それさえあればもうこの浴場施設は完璧なんだけど。いつか付けてくれないかなー。

 

「ま、流石にないだろうけど」

 

自分の言葉に自分でツッコミを入れながら私は冷たい風を送ってくる扇風機に当たっていた。いやほんと、風呂上がりのだらけ時間は必須だよね。

 

しかし、ここでずっとダラけているといずれ部屋に戻るのも億劫になり、この場から抜け出せなくなってしまうのでそろそろ戻ることにする。分かるだろうか。この最早何も行動したくなくなるような感覚。例えるなら家の風呂上がりに自分の部屋でゆっくりすればいいものを風呂から一番近いリビングでいつまでもダラっとしているような……そんな感じ。

 

大浴場を出て階段までの道の途中には憩いの場的なリビング的なものが配置されている。ソファにテーブルに大きなテレビ、まさにリビング的な存在である。ちなみにこの部屋には共用の冷蔵庫も置いてあり、私もほぼ毎日活用している。特に風呂上がり。そう、何を隠そう風呂上がりの牛乳を一杯やる為である。4階から此処まで取りに来るのは正直面倒なのでいずれは冷蔵庫も買いたいと考えている。

 

未だ寮の中で知り合いの少ない私はリビングに人がいない事を祈り、ドキドキしながら扉に手をかける。

 

ガチャリ。扉が開いた音に反応したのか、リビングにいた人たちはちらりとこちらを一瞥する。そしてその後、それぞれの顔に疑問符が浮かび上がる。恐らくこいつは誰だとでも考えているのだろう。私は軽く会釈をすると冷蔵庫から牛乳を取り出してから一刻も早くこの視線から逃れるべく一気飲みをした。ああ、居心地悪い悪い。

 

飲み終えた後、未だに視線が集まっている事を察した私は何事もなかったかのようにそそくさと部屋を退出した。私には必要もないのに初対面と仲良く話す技量なんて持ち合わせていないのだ。ほら、道端ですれ違う人にいちいち挨拶しないでしょ? そんな感じだ。必要な時に挨拶すれば良いだけの話である。態々絡みに行く必要もない。

 

スタスタと静かな廊下を歩き、そして階段を登って行く。今の体であれば二段越しですら楽に出来てしまうので若いって凄い。

 

やがて4階まで辿り着き、そのまま廊下を歩いていると、部屋の扉の前で神崎さんが涙目で佇んでいた。鍵をなくしたのだろうかと少し考えを張り巡らせると、サウナでの会話を思い出した。どうやら私は少しのんびりし過ぎていたようだ。

 

というか神崎さん、本当に来たんだね。可愛らしいパジャマに安眠枕まで装備している。よく見ると歯ブラシもその手に存在していた。……もしかして泊まる気なのか?

 

「盟友よ! 我らの契りは何処(いずこ)へ!?」

 

扉の前で寒そうに佇む彼女は私の姿を目に入れると、むー! むー! と頬を膨らませながらその怒りを露わにした。悪いとは思ったが非常に可愛らしかった。

 

「ごめん、のんびりしてた」

「……偽りなき言霊、それは我が『憤怒』の大罪を慈悲の心へと導かん」

「……うん、寒いし中に入ろうか。……あっ、ちょっと中片付けてくるから玄関で待ってて」

「承知!」

 

神崎さんを玄関に入れ、私は部屋の暖房をつけた。その後積み重ねられている本と漫画をパパッと本棚へと戻すと、神崎さんを招き入れる。

 

「いいよ」

「いざ! パンドラの箱は開かれん!」

 

そういえばパンドラの箱と言えば、ギリシャ神話ではゼウスが悪と災いを封じ込めたものらしく、それを好奇心で開けたパンドラによって人類が不幸に見舞われるようになり、希望だけが箱の奥底に残った……という逸話があるらしい。そう考えると私の部屋は悪と災いの塊と言われているようなものだが、神崎さんがそこまで深く考えているのかは定かではない。寧ろそこまで考えて言っているのであれば、君は私の何を知っているのだねと質問したい。

 

「こ、これが……天の御使いが住みしパンドラ……否、El Dorado(エルドラド)……!」

 

私の部屋がパンドラの箱からEl Doradoに変化した。黄金じゃないけどな! そして分かった。きっとこの子は深く考えてはいないのだろう。

 

「新生されし我が禁忌と相違無し……!」

 

何か言っているが意味はよく分からないけど多分反応しなくてもいいやつだと確信する。

 

私は彼女をベッドに座らせ、その隣に座った。

 

「寒くない? 暖かい飲み物淹れてくるけど」

「……羽ばたく為の翼は既に毟り取られている」

「……どういう事?」

「……高濃度の魔力にて我が(かいな)は武者震いしておる」

 

神崎さんはそう言うとふわふわパジャマに通していた腕を捲り始める。そして差し出された腕を見ると見事な鳥肌が立っていた。

 

「わひゃんっ」

 

好奇心でスッとくすぐるように触れてみると非常に可愛らしい反応を返してくれる。それと同時に彼女の腕はとても冷えているということが分かった。恐らく私がいつ戻ってくるか分からなかった為、長い間寒い廊下で待っていたのだろう。申し訳ない事をした。

 

私は心の中で反省し、そのまま神崎さんのパジャマの袖を元に戻すと、更に冷たいであろう両の手を私の手で優しく握る。

 

「暖かい?」

「あっ、うん……」

 

やはりと言ったところだろうか。彼女の手は非常に冷たかった。反対に私の手は温かいのでひんやりして非常に気持ちが良かった。

 

彼女のシミひとつないハリのある真っ白な手はほっそりとしているが、女の子特有の柔らかさを兼ね備えており、非常に良い感触であった。私はニギニギと彼女の手を弄る。

 

「ひゃわっ!?」

 

彼女の手を掴んだまま、手の平を私の頬へと当てる。あー、これは気持ちいい。柔らかいのと冷たいのが同時に来て……なんというか病みつきになりそう。そのまま私はさすりさすりと頬へと撫で付けた。彼女の手は例えるならば夏場の保冷剤のようなものであった。

 

しばらく続けて満足した私は本来の目的を思い出し、さっと手を離した。

 

「あっ、暖かいお茶淹れてくるね」

「……て、天の温もり」

 

返事をしながら彼女は頬を赤く染めながら握られていた手をまじまじと見ていた。流石に頬に手をやるのは少し恥ずかしかったのだろうか。しかし、あれは結構病みつきになる心地よさであった。機会があればもう一度くらいは……。

 

私はポットで茶碗にお湯を注ぎ、我が家秘伝の熱い梅昆布茶(業務用)をさらさらと小さじ一杯程入れる。態々namazunで取り寄せた物だ。namazunで購入したと言ってる時点で秘伝もひったくれもないのだが気にしてはいけない。

 

その後物入れから折りたたみ式の小さなテーブルを取り出し、私たちが座っているベッドの前へと設置すると、先程淹れた梅昆布茶(業務用)をテーブルの上へと置く。

 

「どうぞ」

 

彼女は感謝の言葉を呟きながら私の淹れた梅昆布茶(業務用)をズズズと飲みながら舌鼓をうつ。ほう……と息を吐くと和やかに顔を緩ませた。美味しそうで何よりである。私はもちろんまだ口をつける気は無い。当たり前だ。それに神も言っている、ここで死ぬ定めではないと。

 

「美味なり!」

「それは良かった」

 

神崎さんはコトリと茶碗を置くとキョロキョロと興味深そうに私のSimple is the best roomを眺める。これといって特出したものはない私の部屋ではあるがそれがいいのだ。言い換えれば無駄なものがないと言える。

 

神崎さんは鼻を鳴らすと満面のドヤ顔でバァンと言い放つ。

 

「陰陽の旋律が我が魂を昂らせる!」

 

更に片目を瞑りながらカッコつけるように口元を歪める。それで絵になっているところが凄いと思う。流石アイドルの卵なだけはある。しかし、残念ながらこの神崎蘭子語は難解すぎて私では翻訳する事は叶わなかった。語録が少なくて申し訳ない。

 

「もうちょっと優しく」

「光と闇の果てしないSchlacht(シュラハト)……それは我が最も好むもの!」

 

果たしてシュラハトとは一体なんぞや。最早何語かすらも分からないのだが。それにその部分をバトルに変えたらただのブラックサンと危機の関係でしかないし。太陽は愛に勇気なんて与えたりしないのだ。

 

色々と考えた結果、私は正直に分からないことを白状した。

 

「分かんない」

「……えぇと……純白、漆黒は我が心を魅せる!」

「理解しました」

 

少し悩むそぶりを見せながら難易度低めの神崎語をその口から放つ。私が理解したことを確認すると安堵したかのように少し目尻が下がった。

 

神崎さん優しいな。理解出来ない私のために二回も違う言葉で言い直してくれた。私であれば恐らく二回目で分からなければもういいと突っぱねてしまうだろう。そう考えるともしかすると私は少し短気なのかもしれない。そういう点では彼女を見習わなくてならないだろう。……まあ、極論言えば普通に話してくれたらすぐ分かるんですけどね!

 

確かに私の部屋は神崎さんの言う通り白黒ばかりである。カーテンと本棚は純白だし、パソコンとラックと絨毯は漆黒。特に揃えようという気持ちは無かったが私の趣味が高じてこんな部屋になった。あまり派手な色は好みではないのだ。まあ、少し徹底しすぎているのかもしれないが。

 

私は普段あまり使わないテレビを起動させる。無論、私の部屋にテレビなど存在しないのでパソコンに外付けしてあるチューナーと、接続しているテレビ線を利用して見るという魂胆だ。

 

リモコンで適当にピッピとチャンネルを変えていくとアイドルらしき人たちがたくさん映っている歌番組が映る。ただこの業界に疎い私がパッと見ても誰が誰だか全く理解出来ないのだが。──ただ一人を除いて。

 

トロンとした垂れ目が特徴的な、赤いリボンがふんだんにあしらわれたフリルのついたドレスを身に纏う彼女。テレビ越しでも伝わる彼女の醸し出す雰囲気はやはりと言ったところか他に出演しているアイドル達とは一線を画していた。

 

やがて彼女の歌う番が来たのか、彼女にスポットライトが眩く照らし出される。そしてやがてイントロが流れ始め、私はこの曲が彼女を代表する曲だと理解した。慈愛の女神のような笑みを浮かべながらフレーズを紡ぎ始める。その透き通るような、はたまた柔らかく蕩けるような声で作り出されるフレーバーは私の心を魅せてやまない。

 

「はぁぁ……」

 

思わず私はため息を吐いた。

 

彼女の歌は切なく、甘く、そして何処までも一途なのだ。思い人の為に……そんな彼女の気持ちは私の頭からつま先まで感動させて止まない。それ程まで彼女の歌は真に迫っているのだ。

 

歌が終了すると私は感極まりそうになるのを直前で抑え、パソコンのモニターを消す。これ以上彼女を見ていると流れる涙を抑えきれそうにもない。今の私は紅葉もびっくりなほど頬を赤らめていることであろう。手も震えているように見える。

 

深呼吸をしながら高ぶる感情を落ち着かせ、気持ちを切り替えると隣の神崎さんへお目をやった。すると何故かワクワクしながら本棚を眺めている様子が伺えた。

 

だがいやしかし、彼女はなかなかにお目が高かった。私の本棚は自慢の本棚である。しかも全ての漫画を文庫版ではなく敢えてコミックス版で集めるというところも個人的にポイントが高い。

 

神崎さんは私が見ている事に気が付いたのか、本棚の様子を一言で表した。

 

「古の猛者(もさ)の魂が燻っておる!」

「読む?」

「読む!」

 

彼女とは意外にも気が合いそうだ。正直私の部屋に来てこのジャンルに興味を持つ人なんていないと思っていた。そもそも部屋に来る人なんていないとすら思っていたほどだ。

 

神崎さんは本棚の一列を丸ごと埋める60巻の大作──三国志の一冊を手に取った。ぱらぱらと捲ると、とあるページで手を止め、嘆きを露わにした。

 

「燕人が寝首を掻かれおった!」

 

燕人とは桃園三兄弟で有名な張飛、字を翼徳の事である。張飛の最期が悪酔いで暴力を振るった部下に寝てる時にこっそり殺された、という話は有名である。ちなみに桃園の誓いとは実際にあったことではなく、ただの演義での作り話とのこと。

 

「なんと! 神を封じし語りに呑んだくれと脳筋の戦まで!」

「……項羽と劉邦嫌い?」

「大元帥と亜父が哀れでならぬ!」

「確かに」

 

神崎さんの言っている内容は二つとも古代中国を舞台にした漫画である。

 

『神を封じし語り』とは、封神演義。つまり『殷周伝説』というタイトルの漫画であり、伝説の軍師とも言われる“太公望"が活躍する、史実を奇想天外に纏めた名作である。

 

そして私が言った『項羽と劉邦』。これもまた古代中国で実際に起こった漢の劉邦と楚の項羽との戦争、楚漢戦争を題材にされた漫画である。

 

彼女の言う「呑んだくれ」と「脳筋」というのはまさしく劉邦と項羽の事である。更に彼女の言うことはもっともであり、漢の “大元帥” 韓信と “西楚の覇王” 項羽の右腕、范増の最期は本当に可哀想なものなのだ。特に韓信についてのエピソードは項羽の死が物語の終末を飾ったことにより、その後の出来事が描かれていない為、漫画では分からないのだが、漢の初代皇帝──高祖となった劉邦の最大出力の猜疑心によって酷いものとなっている。

 

作者である横山光輝さんも、あまりに酷すぎるので区切りの良い項羽の死、つまり楚の滅亡で物語を終わらせたと最終巻にかいてあった。

 

そして私は神崎さんが存外詳しいことに結構驚いていた。

 

「詳しいね」

「中原を狙いし三原色は書物の保管庫にて。他二つは我が魔力により掻き集めた! 現在は真なる城にて封印されている!」

「そう」

 

ちなみに私は『蒼天航路』から派生した口である。王欣太(きんぐごんた)さんの蒼天航路、横山光輝さんの三国志。同じ『三国志』という物語を基にしているという点では同じではあるが、画風も作風も全く違い、それぞれの解釈も異なってくるので、どちらもおすすめである。

 

「横山光輝……かの御仁は神……否、大いなる魔神!」

 

神から魔神に変更したのは彼女が自称魔王だからだろうか。

 

私はぬるくなった梅昆布茶(業務用)が入った茶碗を手に取りスプーンでかき混ぜ、ズズ、と一口だけ口にする。美味しい。やはり冬には梅昆布茶が一番である。

 

「何が理由で興味を持ち始めたの?」

「我が好敵手の名をAkashic Records(アカシックレコード)にて検閲していた時なり! 関雲長……真恐ろしき奴よ」

「ふぅん」

 

神崎さんは真剣な顔をしながらそう言った。

 

魔王の好敵手、そこで関羽が出て来たということは神様の事か。まあ、有名だよね。

 

「……」

「……」

 

さて、彼女が来て早々ではあるが話題が尽きた。元々私も話が得意という訳でもないのだ。

 

これからどうしようか。正直私の部屋には娯楽という娯楽が殆どない。漫画とパソコンくらいしか存在せずゲーム機なんかも携帯ゲーム機くらいしかない。別に気を使う訳ではないが流石に一人でゲームするなんてゴミみたいな事はしようとは思わない。神崎さんにゲーム貸して私は携帯をピロピロやっておく、という手も存在するがとは言え、それはなんか違う気がする。何か二人で楽しめるものはないだろうか。

 

……あ、そうだ! こういう時に丁度いいものを借りていた。

 

「神崎さん、映画見る? シックス・センスってやつだけど」

 

私はパソコンラックの隣の小物入れからヒョイッと取り出し、そのパッケージを神崎さんに見せる。この映画は輝子が面白いから見てみて、と渡して来たものだ。その時、少しばつが悪そうな顔をしていたのが気になったが、まあいい。正直私もどんな映画なのかは分からない。パッケージを見ても正直なんのこっちゃ、と言ったようなものなので全く見当も付かない。ただ、私の勘はなんとなく面白そうだと言っている。

 

第六感(シックス・センス)……! 血湧き肉踊る……我と共にするに相応しき名である!」

 

よし、そうと決まればまずは雰囲気作りだ。カーテンは既に締め切っている。後はパソコンのモニターを見やすい場所へ移動させて部屋の電気を消すだけだ。

 

「おお、闇夜に浮かびし文明の証!」

「再生するよ」

 

今から見ると11時は確実に過ぎるが……まあ、大丈夫だろう。多少の夜更かしくらいであれば明日には響かない。なんと言ったって、私は皆が羨む現役JKですから! いやー、若いって素晴らしいね。歳はとりたくないものだよ。

 

……後になって思えば、恐らくあの映画は輝子に授けられた小梅い(孔明)の罠だったのだろう。

 

そして映画本編が再生された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日から夜中にトイレへ行けなくなった。

 

 

 


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