コンコン
廊下にプラスチックを叩く音が響くと、私は返事を待たずに部屋へと入室した。
ノックからの即座に入室、この一連の流れを、私は密かにコンコンガチャと命名している。
「おっ、出番か…………って、誰だ?」
私が控え室へ入室した事に反応した彼女──木村夏樹へは返事を返さず素早く廊下の扉を閉じ、履きにくい&脱ぎにくい靴を脱ぐ。
「夏樹、時間を考えれば誰が入ってきたかは一目瞭然よ」
「……あぁ」
「ふひひ、深雪さんだな」
「……」
私はコクリと頷き、空いている席へと腰をかける。一番奥に座席するのあさんは檸檬の蜂蜜漬けを両手で摘んで小動物のようにモキュモキュ食べていた。
「へぇ、それが悪魔メイクって奴か。全く面影ないな」
ライブ用メイクを施している輝子と見比べながら感心する夏樹。輝子のライブ用メイクは私の聖飢魔II風悪魔メイクと比べると可愛らしいものである。輝子のメイクはまだ本人だと分かる程度に対して私は夏樹の言う通り面影すら感じさせない程のAKUMAっぷりなのだ。身バレ防止の為のメイクなので当たり前なのだが。その悪魔っぷりの所為で廊下ですれ違うスタッフとかアイドルにギョッとされた。スタコラサッサとこの部屋に逃げ込んだのもそのせいだ。
後ちょっと露出が多い服装だったから寒かったのと恥ずかしかったのも理由の一つである。ヘソ出しはちょっと……いや、だいぶ堪える。お腹寒いし足も寒いし、なんだよこの格好、冬にする格好じゃないよ。前の衣装合わせでも思ったけどさ。まあ、その時文句言うの面倒だったという理由で何も言わなかった私が悪いのだけれど。了承もしちゃったし。なので私は我慢する。それに夏になればもしかするとベタに水着撮影なんてのもあるかもしれない。露出が多い格好も慣れておかないと後々面倒な事になる可能性もある。いや、しかし、ううん、きついなあ、精神的に。そもそも私海とか肌ベタベタするから嫌いなんだよね。出来るならプールとかの方がいいなー。水着も出来れば肌隠す部分が多い奴がいいけど……なんて、今から考えても仕方ないか。
気分を切り替えた私は、興味津々で顔を覗く夏樹に返事でサムズアップをする。
「輝子のも初めて見たときはロックだと思ったけど、深雪の方がインパクトすげーな。……あーっと、別に輝子のメイクがどうって言ってる訳じゃないぜ?」
「わ、分かってる。それに深雪さんは顔隠す為のメイクで、私のは演出のアクセント。明確な違いがあるから仕方ない」
「……やっぱりマズイかな?」
「いや、マズかったら初めからプロデューサーさんが言うだろ。そんなに不安ならアタシらのライブでメイクなんて気にさせなくすればいいだけだぜ」
まあ、確かに目立ちはするだろうがそれは始めだけだろうし、それにライブ中の私は喋らないし。うん、大した問題では無いな!
「深雪さんのそれ、中々ゴツイけど、重くないのか?」
「意外と軽いよ」
輝子が被り物をしている私の頭を指差す。首を横に傾げると、ほんの僅かにその方向へ身体が傾く程度の重さである。被った事ないから分からないけど恐らく自転車のヘルメットくらいの重さだと思う。外したら髪が乱れるので輝子に試させる事は出来ない。その為私が頭を左右に振る事で軽さをアピールし、輝子を納得させた。
「……そういえば深雪の、えっと、芸名? のさ、CB/DSってAC/DC意識してんの?」
「ッ!?………………なんの事?」
「分かり易すぎだろ」
『AC/DC』
言わずと知れたオーストラリアの有名音楽グループであり、「ローリング・ストーン誌選定の歴史上最も偉大な100組」に於いて第72位の座に輝いているロックバンドの事だ。1973年12月にシドニーで結成されて以来、メンバーは変われど今日まで活動を続けている歴史のあるバンドでもある。
AC/DCのACとDC、どちらも電気用語で意味は
AC……Alternating current(交流電流)
DC……Direct current (直流電流)
という意味である。対して私のCB/DSは
CB……cool beauty(和訳ってなんだろう)
DS……deep snow(深い雪で深雪)
うぅむ、改めて思うと我ながら中々ぶっ飛んでる名前だなと感じる今日この頃ではあるが最早どうでも良い。どうせ意味など誰も知りやしないのだし、これからも知ることはないのだから。なんなら名前を知る機会さえも存在しないだろう。
だが、そんな名前ではあるが何を隠そうCB/DS……実はこの名前には先程のアホみたいなやつとは違う、別の正しい意味が潜んでいたりするのだ。AC/DCが電気用語ならば、CB/DSも電気用語であるのが筋というもの。
CBは cool beauty 改め
DSは deep snow 改め
ぶっちゃけるとこの電気用語関係は只の偶然で、私も先程気がついたばかりだ。楽屋が暇過ぎて色々考えてたらこの事実に至り、思わず部屋でおおっ! って驚いてしまった。その際、他のエキストラの方々に振り向かれてしまった事がちょっと恥ずかしかった。
「深雪ってAC/DCも聞くのか?」
「悪いけど名前だけしか知らない」
「あー……そういえば邦楽以外聴かないって言ってたな」
うん。申し訳ないがその通りです。そもそも英語とか発音早すぎて何言ってるか分からない。歌うとしても私は外国の曲は日本語訳をしっかり理解して歌いたい系女子であるからして、本当に興味がある曲しか歌わないし歌えない。精々歌えるのは音楽の授業で習ったシューベルトの魔王(ドイツ語版)くらいである。尤も歌う機会なんてないが。
そんな事を考えていると、ライブを映すモニターからなんともノリの良さそうな音楽が流れ始めた。少しの間そのイントロと掛け声を聴いていると、彼女──片桐早苗さんは歌い始めた。名前は今日のライブ情報が載っている公式サイトで知った。見る限り菜々ちゃんや二宮さんもライブに出るらしい。片桐早苗さん、残念ながら色々と疎い私は曲も名前も聞いた事はないのだが、果たしてどんな曲なのだろう。
『嘘付いたら無期懲役♪』
物騒。
「おっ、早苗さんの出番か。これが終わったらアタシらも移動だな」
「もうそんな時間なのね」
そう反応を返したのあさんに視線を向けると、口にしていた筈の檸檬の蜂蜜漬けはいつの間にか仕舞われていた。
曲が終盤に迫り、『逮捕しちゃうぞ(はーと)』と言い終えた次の瞬間、扉をノックする音が聞こえてきた。本当に逮捕しにきたのかと内心
やがて舞台裏へと近付いていくと、私が最近よく聞いている曲がステージで流れていた。──そう、菜々ちゃんの代表曲といっても過言ではないあの曲、「メルヘンデビュー!」だ。
「菜々ちゃんの歌だ……!」
「おっ、深雪。菜々は知ってるのか?」
夏樹がこの様な言い方をしたのは、恐らく私が未だ346アイドルを把握していない事を知っている為なのだろう。現に私の残念な頭は半数以上は区別がついていない。
舞台裏への扉を開くと、小音量でラジオを聴いているような音は瞬く間に明瞭な音質へと変化し、先程まで聞こえなかった歓声も大きく耳へと侵入し始めた。やがてステージへの入り口付近まで辿り着くとその姿は見えた。かわいい。本当に私より年上なのだろうか。
しかし、菜々ちゃんの服、露出少なくていいなー。しかもめちゃくちゃ可愛い。確実に私には合わないが、キュートでラヴリーな菜々ちゃんには非常にマッチしている。その姿は是非私のスマホに納めたい代物ではあったのだが、生憎と会場は携帯禁止、そして仮に使えたとしても撮る際に出る音をマイクが少しでも拾ったらと思うとどうも……。私の軽率な行動一つで菜々ちゃんは勿論の事会場スタッフ、そして346プロにも迷惑をかけることとなるのは避けたい。
だがしかし、それでも私は菜々ちゃんの勇姿といと美しき御身を我がスマホに残したい。けれど迷惑は掛けたくない。背反するこの葛藤……私はどうすれば良いのか……!
まあ、携帯楽屋に置いてきたからどうもこうもないんですけどね!
「友達」
「み、深雪さんの部屋最近菜々さんのばかり流れてるからな、ふひ」
「なんなら輝子の部屋でも流してるよ」
「相当だな……」
夏樹は肩を態とらしく落として苦笑いを浮かべる。のあさんはそれを我関せずとばかりに指の運動をしながら菜々ちゃんのライブに釘付けであった。輝子はいつの間にかこちらに背を向けながら何やらぶつぶつ言っている。リア充だのクリスマスだのなんだの言っているあたり負の感情なるものをその身に溜め込んでいるようだ。
負の感情とは“恨み”“辛み”“嫌み”“嫉み”“妬み”“僻み”の全部で六つからなる感情のことであり、それらが全て揃うことで例のひゃっはーぱわーを長時間持続させることが出来るらしい。別パターンとして好きな曲を聴いた時などに感情が高ぶった場合に起こりうる事もある。ちなみにケロロ軍曹で好きなキャラはドロロ兵長との事。
それは置いておき、私は皆へ一言断ってからお手洗いへと赴き始めた。というのも現在私は少々気が高ぶっており、じっとしておられず、それを収めるためにも取り敢えず歩きたかったからだ。舞台裏で歩き回るのは邪魔にもなるだろうし、足音も鳴るので避けたい。
無論、お手洗いに行きたいというのは只の建前である。それに出番までは少々猶予が残っているので問題はない。
足音が鳴らないようにゆっくりと歩き、静かに扉を開ける。
「あっ、寒い……」
サササと外へ出ると再び静かに扉を閉める。
何故気が高ぶっているのかと言われると、もうすぐ私達の出番という事でライブが楽しみだという高揚感と、ぶり返した緊張感が相見えたからだ。鼓動という演奏は、【
スタスタと歩きながら片手でギュッと胸を抑えるが、尚更心臓の音が直に手を通じて伝わり、鼓動の音が大きくなる。ドッドッドッ、という音は、
……あ、ちょっと治った。
そんな風に緊張をほぐしながら階段を降りていると、前から非常に大柄なスーツの男性が現れた。
「……ッ……もしかして、小暮さん……でしょうか?」
「はい、小暮ですよ」
武内さんだ。どうやら私の悪魔フェイスに驚いているご様子。当たり前だろう。私だって武内さんの立場であれば確実に驚く、というかビビる。そして間違っても声はかけない。
「凄いですよね、このメイク」
「……ええ、恥ずかしながら、目に入った時、誰なのか分かりませんでした」
「まあ、それが目的ですからね」
私は内心はははと笑い(恐らく武内さんも無表情ながら内心笑っている)、再び武内さんに話しかける。
「舞台裏に何か御用ですか?」
「ええ、ですが小暮さんに会いに来ただけなので」
「ほう、大胆ですね」
私は冗談めかして言うと、武内さんは心底不思議そうな声を上げる。
「はい? ……どういう意味でしょうか?」
「……イエ、ナンデモナイデス」
「は、はぁ……」
は、恥ずかしいぃ。なんで気付いてくれないのさ。あの手の冗談はある程度耐性がないと言う側にもダメージを負う、危険極まりない冗談だと言うのに……。
私は顔が赤面するのを自覚しつつ、今後はもっと分かりやすい冗談にしておこうと固く心に誓った。
「ところで、私に御用とは?」
「いえ、特に用という程の物ではありません」
話を聞くに、どうやら私の様子を見に来ただけらしい。いや、だけって言うと少し失礼かもしれない。見に来て“くれた”らしい。……なんだか皮肉ったらしくなってしまったな。ちくしょー、喜びを表現したいだけなのに……。
「ソデで見て行きませんか?」
「ええ、元よりそのつもりです」
「では行きましょう」
そう言って私は階段を下ろうとしていた足の踵を返した。
「……小暮さんは、やる事があって階段を降りていたのではないのですか?」
「いえ、ちょっと緊張していたので歩いていただけですよ」
成る程、と武内さんは頷くと私の後について来る。と言っても私がただ前にいたからそういう状態になっているだけなのだが。
「……その格好、寒くはないのでしょうか?」
「何を当たり前の事を……寒いに決まってるじゃないですか」
「す、すいません……」
「怒ってないです」
会話を続けているうちに、いつの間にか緊張は解けていた。
☆☆☆
『ヒャッハァァァァァァァ!!! 最高だったぜェェェェェ!!!』
『みんなーッ! サンキューなー!!』
会場は今にも熱湯が水蒸気と化すくらいの熱気に包まれていた。そんなファン達に応えるべく、輝子と夏樹は上がりに上がったテンションの勢いのままそう締めくくった。
始まってしまえばあっという間であった。瞬く間に曲はBメロ、サビ、そして終盤へと移り変わり、特に曲の終わりの盛り上がり方は凄まじかった。元々盛り上がっていく曲だったと言う事を考慮しても、所詮は現場を知らない素人の考え。決して彼女らの人気を侮ったつもりは無いが、まさか此処までの盛り上がりを見せるとは思ってもいなかった。
勝手に手が動くとは今回のような事を言うのだろう、と私は大歓声の中ぼうっと考える。何度も何度も繰り返し練習したこの曲は、次は何かと考えるまでもなく私の指が完璧に把握していた。それに、私も会場の熱気に当てられたのか、ガラにもないパフォーマンスを披露するという愚行をしでかしてしまった。予定外作業が何よりもイケない行動なんだゾ。
演奏が終わった現在でも輝子のカラーである紅色のサイリウムが会場全体を照らしている。勿論輝子だけでなく、夏樹やのあさんのサイリウムも見える事には見えるが、やはり今回のメインである輝子のサイリウムの方が断然数は多かった。私のカラーは一体何色になるのだろうか。個人的には赤色が好きなんだけど、きっと青系統の色になるんだろうなぁ……。そんな未来が眼に浮かぶよ。
私は私で演奏中は盛り上がっていたが、この未だ絶える事のない熱気により現在は逆に冷静になっていた。この後の段取りとしては彼女らが締めて退出するだけだ。その間に私の出番は当たり前だが無い。しかし、出番がないのはいいが、どう立ち振る舞えば良いのかが分からない。
取り敢えず脇役っぽく目立たないように振舞っておこう。そう考えをまとめていると耳を疑うような声が聞こえた。
『──彼女が今回のライブを手伝ってくれたエキストラだァァァ! 取り敢えず一言感想よろしく頼むぜェェェ! …………アッ』
「……えっ?」
私は気付いた。輝子の目にハイライトが戻っていく様子に。
私は気付いた。現在輝子が掻いている汗が冷や汗だという事に。
私は気付いた。輝子が涙目で歪な笑みを浮かべて此方を伺っている事に。
私は察した。これが──私にとって今年最大の危機的状況だと。
会場は盛り上がっていた。それは演奏が終了した現在も変わらない。例え会場全体が静寂に包まれていたとしても隠しきれない熱気が此方まで伝わって来るのだ。
だからこそ理解した。
理解してしまった。
アイドルを見に来た彼らにも関わらず、只のエキストラである私の一言に期待しているという事を。この静寂は、私の一言を待っているのだ。
期待、というよりも彼らはただ感情のあるがままに声を出したいのだ。私の一言はそれを発散させる為に存在しているようなものである。
胸が高鳴る。心臓の爆音が止まらない。別に高揚とか興奮とかそんなのではない。ただの緊張だ。恐らく今の出来事のせいで寿命が少し縮んだ。
やられた。まさか演奏以外に罠が仕掛けられていただなんて。
夏樹が心配そうに此方を見ている。しかし、その瞳は何処か私を応援しているようにも見えた。そうする以外にやる事は無いといった具合に。そう、彼女にもこの状況を誤魔化すことは出来ないのだ。輝子ははっきりと言ってしまった。一言よろしく、と。最早言い逃れは出来ない状態である。
のあさんは感情が籠らない瞳で私を捉えていた。そう思っていたら小さく手を此方にひらひらさせた。どういう事だろう。やはり彼女は何処かズレてる。
私には選択権が残されていなかった。そもそも私が喋らず、悪魔メイクまで施している理由は、今後私のアイドル生活を送る上でのキャラ付けを守る為である。キャラ付け、というか設定は結構大事だ。始めから設定がごちゃごちゃしてるストーリーという物はあまり見る気がおきないだろう。後から足していく分には問題はないと思うが最初から設定てんこ盛りだと面倒になってしまう。私がそれ。
少しずつ設定を晒していって理解を及ばせる。これは中々重要な事だと思うよ、私は。やれやれ、キャラが濃すぎるのも問題だよね。
……はい、現実逃避終了。本当にどうしよう。声変えてみるか? いや、そんな事して失敗したら目も当てられない。くそ、これも予定外作業じゃん。私の一番嫌いなやつなのに。私こういうの始めにしっかり文章考えてやらないと混乱するんだけど。てかそもそも声出したくないよぉ! 今回ライブに出てる菜々ちゃんとか二宮さんにバレたらどうするのさ!? いぢめか!? いぢめなのか!?
思わず泣きそうになりながら輝子を睨んでしまうと、ファンの御前という事で隠してはいるが非常に申し訳無さそうな顔を此方に向けていた。今回ばかりは絶対に許さんぞ。
うぅ、そうこうしてるうちにマイクの前に着いてしまった……。こうなったらもう自棄になるしかないな。……そうだ、声量を上げて私の声だと分からないようにすればいいんだ! 後気持ち高音でやれば完璧! 私ってば天才!?
賽は投げられた。最早腹を括るしかあるまい。私は腹式呼吸により息を吸い込む。後は私の度胸しだい。絶対に無難に終わらせてやる。
私はそう意気込み、大きく口を開けた。
「アたっ、たぇっ……アッ……ささ最高だぜぇええええええええええええええ!!!!」
『う……うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!』
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!
私の内心はこれでもかという程荒れに荒れた。どれ程荒れているかと言うと、近年の中国人観光客ですら引くレベルで大暴れ出来そうな程である。
だから言ったじゃん、言ったよね!? マイクパフォーマンスなんか出来ないって!! 毎日一回は言ってたし今日なんて三回は言った! それだけ言う程私アドリブ弱いんだよ! 本番に滅法弱い子なんだよ! 察してよ! 振りじゃないんだよ! ガチなやつなんだよぉ! 輝子のやつ勢いに任せて言いやがって! 私は勢いに任せて言える程語録豊富じゃないんだから! いや、確かに考えとけよって言われたらそれで終わりだよ!? けど今は結果論なんざどうでもいいんだよ! ゴミ箱にダンク決めとけそんなの! ホントふざけんじゃねーよ畜生! ……畜生、なんでこんな目に合わないといけないんだ……。不幸なんて言葉じゃ言い表せないよこんなの……鬱だ、死にたい。
「……うぅ……えっぐ……すん、」
私は泣いた。人前を向こう見ずガチ泣きした。緊張と行き場のない羞恥、そしてこの状況を作り上げた張本人である輝子に対しての怒りがごちゃ混ぜになった結果、涙が止まらなくなったのだ。
ただ、辛かったのだ。大勢の前でアドリブで噛み、あまつさえその事に対して気を遣われたことに。雄叫び直前の空白は、十中八九観客の戸惑いの間であった。遣る瀬無い気持ちだけが募っていく。辛うじて声までは出さずに我慢しているが、鼻をすする音や嗚咽する声は確実にマイクに入っているだろう。その事で更に羞恥が増していく。
──私、メンタルこんなに弱かったんだ……。
果たして、今の私は観客にはどう見えているのだろうか。希望的観測で、ライブの盛り上がりに感動して嬉し涙を流す少女か。はたまた現実を見て、哀れにもマイクパフォーマンスに失敗して無様に咽び泣く少女の姿か。
──前者だったらいいなぁ……。
そんな事を考えながら私は、確実に分かりきった答えを胸に抱き、元凶である輝子に連れられステージを降りたのだった。止まらぬ涙を拭いきれず、泣き顔を晒しながら。
微妙に微妙な空気が残った現場は、進行役の言葉により掻き消されて再び熱い空気が蔓延し、そのままライブは進行し続けた。まるで先程の一件なんて無かったかのように。
もしかしたら先程のそれは、一件とまで言う程のものではなかったのかもしれない。しかし私にとってそれは、確実に犯人の手によって行われた事件であり、誰も喜ぶことのない、悲しく、哀しい事故でもあったのだ。
こうして私の初ライブは散々な結果となり、幕を閉じたのであった。