深海提督が着任しました。   作:蒼樹物書

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【2】

私が深海の下に在って三日。

三日の、はずだ。

薄暗い闇に包まれた部屋で三度眠った。

時計も、陽の光もない空間。

時間感覚は疾うに狂って身体の求めるまま食らい、眠った。

世話役らしい翡翠の瞳を持つ少女。特徴的な頭部が欠けてはいるがその姿から判断すれば空母ヲ級なのだろう。

彼女が私の狭い居室に運んでくる生魚と、古びたバケツに溜められた真水。

それらを作業的に口へと運んだ三日間。

トイレがあったのは、僥倖という他ない。

 

飼われている。その扱いに苛立ちが限界を迎えている。

唯一の出入り口である扉はヲ級が出入りするその間以外は固く閉ざされている。

これまで知り得る情報は知り尽くした。

 

まず、空気がある。

換気口、それも工具無しに突破出来る様な造りではない隙間からか酸素は供給されているようだ。

私がいた空間、それらの間で通った通路と同様だ。

外の状況は判別できない。窓はなく、壁は鋼鉄。予想は、出来るが。

叩いて声の限り叫んではみたが冷たい反響が響く限り。

私と同じ目に遭った者は近くにはいないようだ。

 

部屋にあるのは簡素なベッド、そして小さな机と椅子。

その上、机にはいくつかの古びた本。

海図であったり、軍に属する者向けの教本、そして航海日誌。

ここは、彼の国所属の潜水艦に座乗する士官……たぶん艦長の居室。

確認した本は全て英語で記されていた為、拾い読みして理解し得た部分のみで判断したものだが。

幸いというべきか、本来の持ち主の遺骸はここにはない。

人類同士の大戦終結直前、彼の国が深海棲艦に対しどう抗い、今どうしているか私は知る由もないが。

航海日誌の最後、その情報を拾い集めてみるとこの艦はハワイ島への寄港途中にあったようだ。

沈んでいるのか、浮かんでいるのか。もしくは陸地に引き上げられているのか。

呼吸が出来ることから後の二つ、どちらかと思えるが奴らのすることだ、一つ目である可能性を排除できない。

そしてこの艦が人の手を離れた後、大きく移動させられていないのであれば今、私の現在地を予想できる。

本土との。彼との距離は、絶望的であると。

 

「っ……、くぅ……ッ」

 

枯れていたはず。その熱い雫が、目尻から溢れる。

田舎に残した両親、その二人を生き永らえさせる為に選ばざるを得なかった海軍士官、提督への道。

その途中に出逢ってしまった彼。

灰色の私の世界で唯一輝いて見えた彼。

あらゆる背負うべき責任を捨て去ってでも隣に在りたいと想える彼と、私は出逢ってしまった。

だから、私は彼と並び立つ立場、提督を目指し続けることが出来た。

数少ないとはいえ、全国から掻き集められた優秀な若者達。

その中で指折りの成績を挙げ、保ち続けられたのは全て彼の隣が欲しいが故だった。

告白し、男女の関係を迫れればどれだけ楽だっただろう。

しかし私には彼の隣に在る為の勇気が、理由が必要だった。

農家に生まれ、何の後ろ盾もない私と海軍で一二を争う家系の彼。

彼に並び立つには力が必要だった。

だから、必死に勉強し不向きな運動もこなして提督を目指した。

 

「うっ、ぅぅう……」

 

なのに。

今の状況を確認すればするほど泣けてくる。惨めな私は今も何らかの方法で奴らに観察されているのだろうか。

ここまで、奴らから要求はなかった。

何時解剖されるか、今も怯えているがこちらに危害を加えてくることはない。ただ食べて、排泄して、眠る。

その合間に事実を確認して涙を零す。

死ぬまで続くのだろうか。嫌だ。化け物共に虫篭へ押し込められて観察される。嫌だ、嫌だ。

親指の先端を噛む。悪い癖だが結局矯正出来ていない、特に心が荒れている時には我慢できない。

今まで経験したことのない不安と苛立ちで満たされた心。顎に力が入る。血が、零れる。痛みに生きていることを実感する。嫌だ、嫌だ、嫌だ!

初日とは別の理由から生きているのを辞めたくなる。

 

「ヲ」

 

その時、重い扉が間抜けな声と共に開かれた。

何故だろうか。腹の具合から食事の時間には早いはず。部屋を訪れた空母ヲ級の両手は空いている。

ついに解剖でもされるのだろうか。望むところだ。

自棄になりかけた私は手首を掴まれ、連行されるままに部屋を後にする。

恐らく姫級か鬼級らしい初日に対面したオアフとあのゴスロリとは違い、ヲ級は言葉を発せれないらしい。

狭く、薄暗い通路。前回は気づかなかったが部屋にあるのと同様、光る苔のような塊が各所にへばり付いている。

青白く発光するそれらが照らす通路は何とも不気味だ。

今回連れられたのは、オアフがいた部屋とは別の場所だった。

私の居室より重厚そうな扉、それを苦もなくヲ級が開く。

指揮所、だろうか。

壁一面を機材が覆い、中央には床に固定されたテーブル。

狭いそこで待っていたのは。

 

「ご気分は、いかがかしら?」

「……お陰様で」

 

死にたいくらい最低です。ゴスロリの深海棲艦、その問いに返す皮肉を途中で打ち切る。

出来ることなら苦しまずに終わらせたい。不興を買うことはすべきではない。

そう、と何が可笑しいのかテーブルの上に脚を組んで座るそいつは口元に手をやり含み笑いする。

言葉を発しないヲ級、そして超越者然としたオアフと比べて一々仕草が人間臭い。

私を呼び出したのはこいつだろう、何が望みだ。どう終わらせてくれるんだ。

だが、期待は裏切られた。

 

「見て欲しいモノがあるの」

 

ゴスロリが指を一振りする。

その直後。

 

「……っ!?」

 

映像が空間にいくつも浮かび上がる。

何もない、空間にだ。そうとしか形容できない。

映画のようにスクリーンへ映像を投影しているのではない。空間その物に投影している?

どういった技術によるものか想像も出来ないが、何より映し出されたいくつかの映像が衝撃的だった。

 

「うみ……」

 

呆けたように口にする。それを見ただけで涙が零れそうになる。

いくつかの映像の内、目を引いた一つには大海原が映し出されていた。昼間のようだ、凪の静かな海。

三日間、陰鬱の中に沈んでいた身には鮮明すぎる蒼。

何て美しいんだろう。

――還りたい。先ほどまで終わりを渇望していた身に活力が生まれる。

同時に、他に展開された映像に視線をやる余裕が生まれた。

無数の光点が記された世界地図や海中を進む何かの視線を映した物。

海上を進む、『彼女達』の姿まで映されている。

いくつもの視点からの情報の波。

それに圧倒されそうになりながらも拾い得る情報から、投影された情報の意味を考える。

 

「……戦況情報」

「人間はそう呼称するのね。これらは、私達が知り得た情報を並べただけなのだけれど」

 

そう、世界地図に記された光点は戦力の分布。何かの視線をリアルタイムに写した物。

敵の敵、『彼女達』を密かに捉えた物。

 

何て、ずるい。

 

思わずそう口にしてしまう。

これだけの情報収集能力、我が国では得られない。

『彼女達』……艦娘の偵察機に依るものでしか海上の情報を得られないというのに。

奴ら、深海棲艦の索敵能力と対空戦能力は異常の一言に尽きる。

索敵ブイも生半可な高度と速度で航空する航空機は即差に排除される。

艦娘が用いる模型の如く小型でありながら高性能な偵察機ならば情報収集を可能とするが、それも索敵範囲、そしてそれが可能な艦娘も限られている。

これほどの精度、速度、量に優れた情報収集能力は反則だ。

 

「これを、私に見せて貴女は……」

「あぁ、そういえば個体に名前を必要とするよね……ウィルクスでいいわ」

 

ウィルクス。深海棲艦が過去の大戦に由来する特徴を持つことから訓練学校で頭に叩き込んだ戦史、その名称はあの激戦の島の一部に一致する。

ゴスロリの少女、ウィルクスがその名を騙るということは陸上型なのだろうか。

海中、海上を進む深海棲艦、陸地から遠い程に強力な性能を持つという法則から外れた規格外。

島の上に陣取って島全域と周囲の海域を支配する姫級と鬼級の規格外達を陸上型と分類している。

奴らが存在する島は総じて人が存在しない。未だ奴らが確認される条件は研究し尽くされていないが、陸上型が確認されたのは全て人が離れた島だ。

海上で最大の威力を発揮する艦娘には撃破しずらい相手であると教えられている。

そして陸上型が島を離れて存在していたことは少なくとも教本には載っていなかった。

また一つ、知り得なかった情報を得た。土産の重さが増すと同時に、それを持ち帰れるのかという重さが肩に食い込む。

 

「私達のボスはお前を観察するだけで良いとは言っていたけれど……もう少し、使えると私は考えているの」

 

奴らのボス……恐らくは、あの白と真紅の女、オアフを指しているのだろう。

ウィルクスの表情は何か挑戦的だ。私に何かを期待するような。

 

「何を、させたいのですか」

「ムツミ。貴女、軍人……それも艦娘を動かす人間なのでしょう?」

 

――見透かし、見通していると核心している視線。

その赤い瞳に捉えられる。陸上に居る人間、それについてある程度識っている。識られている。

私達人間が、艦娘という唯一深海棲艦に対抗し得る戦力を指揮しているということを。

返答に困る。その反応はウィルクスに確信を更に固めさせることになってしまったようだ。

 

「素直な子は好きよ。私も素直に言えば、狙って攫わせてもらったの」

 

そこまで。

国内に深海棲艦の密偵が居ることすら疑う必要が出てきた。

私が着用しているのは白の軍服。それを身に着けることが許されるのは、既に人が乗るほとんどの艦船が沈んだ今となっては艦娘を指揮する提督のみに許された物だ。

人類守護の最前線を担う者が身につける衣装。それに浮かれ休暇中にも関わらず着ていた私、それを狙い撃ちにしたというのであれば。

かなり、私達の事情について理解されてしまっている。

無限の物量、そして艦娘に拮抗、艦種によっては凌駕する性能。

更にこれらの情報能力、そしてそれの処理、対応能力まで会得されたとすれば。

背筋が、凍る。

 

「ムツミには、私達に戦い方を教えて欲しいの」

 

強請られる。

お願い、とばかりに愛らしく上目遣いに発せられた言葉。

だが、それは薄ら笑いと共に告げられた。

断れば。

今日までの三日間が、その終りの時まで続き飼い殺される。もしくは。

今、この場で。

自身の生命と、人類の全てが秤にかけられた。

――私は。


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