インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。

 今話は前半ルクス視点、後半ユイ視点。ユウキ達が《アインクラッド》で皆と再会したり紺野姉妹が語り合っている辺りの時間、《ホロウ・エリア》では何があったかを描写しております。

 相変わらずのスローペース。でも、心情描写はしっかりしてないと中身が薄くなるから、是非も無いよネ! 楽しんで頂ければ幸いです。

 文字数は約一万九千。

 ではどうぞ。




第七十三章 ~新たな弟子~

 

 

 カチャカチャ、カチャカチャとガラス製のものや陶製のものが軽快な音を立てる。音は宇宙の中心にいると思うような綺麗な夜空を想起させるこの管理区中に響き渡っていて、少し離れている自分の耳にもしっかり届いていた。

 その音が立っているのは、黒尽くめの少年キリトが複数の器具を扱っているからだ。

 半透明な床に座り込んでいる彼の周りには理科の実験で用いるような沢山並んでいた。乳棒や磨り潰されて粉状になっている何かが入っているすり鉢、透明な液体――恐らくは水――や濃淡という別がある幾つかの翠や翡翠色をした液体――恐らくはポーション類――が詰められていると思しき小瓶。バーナーのように青い炎を吹き出している小石に、沸騰させようとしているものを支えている三脚。その近くには幾度も水分を飛ばして抽出した溶媒だった粉末を詰めた小瓶がある。

 それらはどこからどう見ても、何かを調合している光景だった。それも容器から察するに液体系。

 しかし、それらがあるのはあくまで彼の周囲であり、彼が向いている正面には別のものがあった。

 正面にあるのは、これまた携帯用に小さくされているガスコンロの如き代物。その上には手鍋が載っていて、その器具の両隣には手鍋の中に何かを入れた小袋が四つほど並べられている。

 手鍋からはうっすらと湯気が漂っていて、その匂いは少し離れていても分かるくらいハッキリとしていた。何しろ生まれてからずっと慣れ親しんだ日本食の代表となる味噌汁の匂いだったから。なので味の想像も大体出来た。

 このSAOには見た目と匂いとがマッチしない食べ物が割と存在しているが、リアルでもバーチャルでも料理に傾倒していると自ら語った彼の料理なら、少なくとも物凄い違和感に苦しめられるという事は無いだろう。流石に違っていたら少し顔を顰めるといった反応をしてもおかしくない。慣れ切ってしまっていたらアレだけど。

 更に、彼から少し離れた場所には紅色に縁どられた大きなチャクラムが二枚床に置かれている。

 その上には片方は蓋の隙間から湯気を上げる米の入った釜が置かれ、もう片方では鉄板代わりに置かれたラウンドシールドに入れられている――恐らくは樹海の中をうろついていた猪型モンスターからドロップした――肉がジュージューと音を立てている。火力調節もバッチリなためどちらも焦げてはいない。

 とは言え、それでも調合の方にキリトが集中している為か、炎を吹き出すチャクラムの近くには実はAIという驚きの存在の少女ユイちゃんが控えていた。彼女は肉をひっくり返す役目を担っている。《料理》スキルを完全習得している少年曰く、慣れていないと味噌汁は失敗しやすいが、反面肉を焼くといった原始的な部分だとスキル値に左右されない事が多いからだとか。

 私はスキルを取っていない為に何も出来ず、二人を――特にキリトの方を中心に――観察しながら、待機していた。まぁ、流石に皿の準備くらいはしたけど。

 現在時刻はユウキ達が去ってから少し経った午後六時過ぎ。基本的に料理の工程が殆ど省かれているSAOで三十分以上も掛かっているのは、汁物系は基本時間が掛かる――と言っても現実と比較すればとても速いのだが――上に、味噌汁を作る為には幾つか工程を踏んで順繰りにしないといけないため、全てマニュアル操作らしい。

 

 ――――SAOでの《料理》は、オート操作とマニュアル操作の二種類が存在しているという。

 

 オート操作とは、極論包丁を食材に当てただけで適当な大きさに切る機能。もっと細かく切りたいなら何度も包丁を当てれば小刻みになっていくらしい。つまり時間を極限まで省いた手法という訳だ。こちらは調理時間こそ恐ろしく短縮するものの、スキル値に全て依存するため結構高めな数値でないと最初は悲惨な事が多いという。具体的には具材の大きさが不均等だったり取っておかないといけない芯が残っていたり、誤って包丁を当てて目的の大きさよりも小さくしてしまったり。

 反対にマニュアル操作は、包丁で具材を切るのも全て自分で行う方法。時間は掛かるがスキル値に依存しないで好きな大きさに具材を切れるし、煮込み料理なんかも途中で調味料などを投入出来るので、リアルで料理経験があるならいっその事マニュアルにするのも手だという。

 更にマニュアル操作には幾つか種類が存在するらしいが、私は取っていないのでそこまでは聞かなかった。

 取り敢えずキリトがしている方法が完全にマニュアル――つまりはリアルと時間や手間を除けば遜色ない状態――で調理しているらしいのは分かった。

 

「うーん……もうちょっと味噌の種類を増やしり、香り付けを工夫したいなぁ……」

「仕方ないですよ。というか、このSAOで味噌汁を作れるキーの方が規格外、元々この世界に和食はほぼプログラムされてないんです。キーの料理研究は製作スタッフ達が喜々として雇ってもおかしくないくらいの凄まじい快挙なんですよ? 何しろ茅場晶彦を含めた専門のプログラマー達ですら匙を投げた分野なんですから。リーファさんの話を聞く限り主食系は今でも壊滅状態らしいですし、このデータが公表されたら間違いなく仮想世界の料理は現実と遜色ないくらい進歩しますね……」

 

 調味料が少なく、またリアルと同じ味や色の食材が少ない事に不平不満を漏らして、ユイちゃんがそれを窘めるというのは、見ていて何だか和む。

 あの少年の目にハイライトが無い点を除けば、だが。

 というか、何気なくしている彼の調理についてユイちゃんの話を聞くと、ある意味で天才を超えているのではないかと思う。システムが消そうとしていたユイちゃんを、咄嗟の判断で起動中だったコンソールにアクセスし、削除対象を検索し、自分の《ナーヴギア》のローカルメモリーに一部だけでも写し取るだなんて、普通考え付かない事だ。仮に考え付いてもそこまで辿り着ける者など片手で足りるくらいだろう。

 

「生活リズムを整える意味もあったけど、殆ど趣味と惰性でやってたからなぁ……あとは美味しいご飯食べたいが故の執念」

「その執念が規格外なんですよ……」

 

 肉の様子で時たまひっくり返しつつ会話をするユイちゃんは、どこか呆れた表情を浮かべて少年を見ていた。

 何十人もの専門プログラマーやゲームディレクタ―が携わっていただろうバーチャルリアリティー技術のスペシャリスト達が完全に後回しにしてSAO正式サービスにも間に合わせられなかった《味覚再生エンジン》のデータをほぼ全て単独で収集し、その上で実装されていなかった数多の調味料を作り出し、料理を幾つも完成させたのだ。確かにその執念は規格外と評して良いレベルだと思う。

 というか、多分物凄い検証好きなプレイヤーですらそこは匙を投げている。そもそも掛かる時間が多過ぎるし、デスゲームとなったSAOでそんな事をする物好きはほぼ居ないだろう、誰もが生きるのに必死なのだから。仮にマトモなゲームだったら居ただろう。

 そういう意味では、恐ろしく高レベルらしい彼だからこそ、《料理》にも執念を燃やせたと言えるのかもしれない。少なくとも余程の事が起こらない限り警戒を怠りさえしなければ雑魚Mobにやられる事はないだろうから。

 

 ――――しかし、何とも皮肉な事だ。

 

 片や味噌汁を作る傍ら片手間とばかりにカチャカチャと調合器具を扱って小瓶に詰めていき、片や米と肉に掛けているチャクラムの火加減を調節しつつ、談笑に興じている子供二人――片方は見た目美少女なハイライト無しの男の娘――を眺めながら、彼が作っている料理とユウキから聞いた第七十六層の現状について思考を回す。

 ずっと多くの人からヘイトを向けられ、誅殺隊という存在があるように死を望まれていた少年。彼はほぼ死んだ者扱いを受けている訳だが、しかし本人が居なくなってからも《攻略組》が機能するように、人々を抑えられるようにと、正に人々は疎んじていた少年に護られている。本人が趣味、惰性、そして自分の執念と言い切った料理ですら、今は《アークソフィア》から出られない人々の不満を抑える手札の一つとなっている。

 それほどに、人々は弱いのだ。

 《攻略組》が大きな損害を受け、且つシステム障害により全体的に弱体化していても戦意損失まではギリギリ至っていないのも、街の人々が自棄になって暴動を起こしていないのも、すぐさまキリトが基盤を整えたから。今はどうにかキリトのお陰で秩序は保たれているのだ、とユウキは語っていた。

 人々に恨まれ、虐げられ、命を狙われているが、不可抗力とは言え失踪してしまう前に基盤を整えた。一日どころか半日すら掛けずして。

 全ては、ただ少しでも多くの人と共に、ゲームクリアへと至るために。

 今は瞳からハイライトが消えている少年も、何かしら自身に悪罵を投げる人々に思うところはある筈だ。けれどそれは関係ないとばかりに人々の為と動いている事を知ると何とも言えない心地になる。

 まるで、自分の感情など二の次、三の次みたいな……ともすれば、感情という私情とゲームクリアという事情とを混同しないように徹底しているような気がした。自己という個性を徹底的に押し殺し、社会や組織の為に動く歯車の一つとして動くという心を無視した鋼の意志。

 

 

 

 ――――ガタが来ても決して止まらないその様は、ともすれば、AIであるユイちゃんよりも人間味に欠けているのではないだろうか……

 

 

 

「ルクスさん、ご飯が出来ましたよ」

 

 調合に夢中になっている少年の後ろ姿をじっと見ながらぐるぐると思考を回し続けていると、何時の間にかすぐ隣までやって来ていたユイちゃんの声に意識を引き戻された。どうやら夕飯が出来たらしい。

 近付いて来ていた事に気付かなかったので少し驚くと、彼女はくすりと微苦笑を浮かべる。

 

「やっと気付いていただけましたね。既に二回ほど声を掛けていたのですけど」

「ああ……すまない。少し考え事をしていたんだ」

「考え事、ですか……今後の予定についてでしょうか」

「ああ、うん。そんなところだよ」

 

 実のところ、九割方は全く違う事を思考していたけど、残り一割は本当の事だ。

 自分の事なのに相当適当なのは自覚しているが、実際、自力で現状打破するのは十中八九無理だから思考の割合が一割程度なのだ。

 

「私のレベルは知っての通り七〇台。それなりのレア度の武器を装備しているけど、流石にこの《ホロウ・エリア》をうろついているモンスター達相手には性能不足でね。何とも情けない事だけど私は自力で現状をどうにかするだけの力が無い。だからどうしようと考えていたんだよ」

 

 恐らくはこちらにまた来るだろうユウキやレイン、フィリア、そしてこちらに留まらざるを得ないキリトとユイちゃんと共に《ホロウ・エリア》を探索する事になるだろう。

 しかし彼女達五人と私とではレベルも装備も段違い。ハッキリ言って足手纏いなのだ。だから素材集めや食材集めの手伝いも殆ど出来ないし、ストレージ容量という意味の荷物持ちの役目を持つにしても奇襲を受けると危険。

 だけど、私自身の心情としてはキリトやユウキ達におんぶに抱っこは心情的に嫌だ。何か小さな事でも役に立ちたいと思う。

 でも能力が足りていないからどうしようも出来ない。

 そういう懊悩に悩んでいる。実はさっきキリトの事について考察を並べていたのも、この現実――ここは仮想世界だけど――から目を背ける為でもあったりした。勿論彼の状態が心配という事もあるにはあるけど。

 

「なるほどです……」

 

 眼を背けていた懊悩している現実を、大皿に肉や山菜を積み、椀にご飯や味噌汁をよそっている少年の許へ歩きながら手短に話すと、ユイちゃんは神妙な面持ちで頷いた。

 少し難しい顔をしている彼女はどこか幼さを残しているが、見た目に反してとても落ち着いているからか理知的で、怜悧な印象もある。とても柔らかそうで、無邪気に笑っていそうな見た目とのギャップがこれまたよく映える。

 

「確かにルクスさんにとって《ホロウ・エリア》は超危険エリアですからね……ユウキさん達もレベル的にギリギリどうにか渡り合えるというレベルですし、レベル超えに限定すればキーだけ、それも高難度区域の最低水準です。《攻略組》では無いルクスさんはどうしても経験的な不足分ありますし」

「…………自分でも自覚してるけど、人に言われると物凄く心が痛い……」

 

 特にユイちゃんみたいな幼い子供に真剣な顔で言われると、茶化されていないのも相俟って真面目に辛い。

 

「なら、鍛えればいい」

「「え?」」

 

 キリトの許に辿り着き、自分に宛がわれた分の腕と箸置きに乗せられた箸の前に座った時、彼が小皿に肉と野菜を取り分けながら言った。唐突な事にユイちゃんと共に首を傾げる。

 

「このSAOで注意するべきなのは極論五つ。レベル差、敵の攻撃手段、被・与ダメージ量と回復量の差、状態異常、敵の数。最低限これだけ抑えておけばレベルのゴリ押しで割とどうにかなる。長い目で見れば装備の耐久値とか集中力とかも入るけど、局地戦とか一回限りの戦いなら五つに絞れる。効率を考えるなら更に状態異常の耐性、弱点部位、弱点の攻撃属性も入って来るけど……」

 

 言いながら、野菜と肉を均等に乗せた小皿を彼は差し出してきた。それを半ば無自覚に受け取る。

 

「レベルに関しては俺がパワーレベリングに付き合う。幸いルクスのレベルはこのエリアのモンスターのHPを幾分か削れる程度だから、俺とパーティーを組まずにMobのLAを取れば、戦闘中の経験値は最低分もボーナス分も全部ルクス一人の取り分になる」

 

 SAOの経験値配分はヘイトを取っている時間やその量、与えたダメージ、部位破壊ボーナス、LAなど様々な要素が絡んでいる。基本的にアタッカーとタンクが主流で、ヘイト管理を行うクラウドコントローラー、部位欠損や状態異常を掛けるデバファーなどの亜種も存在しているけど、そのどのビルドを取っていようと経験値は入るように設定されている。極論、ヘイトを取る、ダメージを与える、デバフを与えるなどでも経験値が分配されるからだ。

 Mobに設定されている基本経験値はそうやって分配される。

 プレイヤー側のレベルが低ければレベル差ボーナスという中々に大きな倍率が掛かって、プレイヤーとモンスターが同レベルで倒した時よりも割合的に結構多く入手出来るようになっている。無論、基本経験値量をパーティーで分配した後の取得量に、その倍率は掛かっている。

 とは言え、その辺の仕組みも結構難しい感じらしいので何とも言えない。パーティーメンバーの平均レベルという話もあるし、個人個人で変わるという話もある。取り敢えずこちらのレベルが高くても基本量は貰えるから、極論数をこなしていれば経験値は溜まっていく。必要量が膨大になっていくので階層によっては限界があるけども。

 そしてその経験値の配分で一番重要なのは、経験値はLAを取ったプレイヤーが所属しているパーティーにしか配分されないという事。フィールドボスやフロアボスなどはレイドを前提として設定されているからその縛りは無いけど、フィールドに沸いているモンスターの場合はこの制限が適用される。

 なので今キリトが言った事は、彼とパーティーを組む事無く共闘し、且つ私がLAを取れば、組んでいれば彼にも入るだろう分も一切合切私が得るというもの。そこにレベル差ボーナスの倍率があるので、二人パーティーの時よりも遥かに取得量は莫大になる。なまじレベル差が大きいのでかなりの速度で成長するだろう。

 それを分かった上で彼は言ったのだ。私を寄生させると。

 

「けれど、武器に関しては……」

 

 レベル差や相手のVITが高過ぎると、こちらの武器の損耗が激しくなりやすい。勿論モンスターの種類にもよるけどスライムやゴーレム系だとそれは特に顕著だ。三十以上も差がある私の武器では流石に連戦は厳しいのではという懸念があった。

 けれど、ユイちゃんの取り分を小皿に取り分けている彼は動揺しない。

 

「武器は俺かレインが用意すればいい。極論、俺の《ⅩⅢ》に登録している中でルクスのステータスでも使える剣を貸す、登録武器は耐久値が俺のHPと連動していて死なない限り無くならないから全損損失の心配もない」

「……ん? でもそれだと私が攻撃した事にならないんじゃ……」

 

 《ⅩⅢ》に登録されている武器はキリトの装備品と認識されているのだから、それを私が使っても、彼が攻撃している判定を受けるのではと疑問を覚える。

 

「いや、それは大丈夫だ。問題は装備しているかでは無くその武器の攻撃力が適用されているか。だからルクスが登録武器をシステム的に装備していなくても、その武器を使ってダメージを与えた時点で経験値配分の対象になる」

「そうなのか……」

「そして防具に関しては回避重視ならメンテナンスさえ怠らなければ多分大丈夫だ」

 

 そう言い切って、少し心配そうに眉根を寄せているユイちゃんに皿を差し出した。彼女はそれを受け取るが、やはり視線は固定されている。

 

「……何故、私なんかにそこまでしてくれるんだい?」

 

 正直言って、そこまでするメリットは正直無いのではないかと思う。私の育成に時間を掛けるくらいなら、さっさとカルマ解消クエストを探し出す為に探索に時間を費やす方が幾分か有意義な気もする。

 けれど彼はそう考えていないようだった。

 

「単純に、戦力は多い方が良い」

「……戦力かい」

「こっちにあるかもしれないカルマ解消クエストの場所に行く為にはレベルが必要。最悪、一人で戦わないといけないパターンでレベルが足りなかったら、グリーンに戻る事無くルクスは死ぬ事になる。受けた事は無いけど、内容はある程度知ってる。最悪のパターンだと一人でボス戦らしいって聞いた」

「うわ……」

 

 私もカルマ解消クエストをした事は無いけれど、でも人伝には聞いていた。それでもその大半が面倒なドロップ品の納品とかで、ボス戦なんて聞いた事も無かった。でも【黒の剣士】と言われている彼は情報屋のアルゴと最前線の情報を集めているという話を聞いた事があるから、恐らく真実なのだろう。そもそも騙す意味が無い。

 あ、いや、戦力増強とか《攻略組》に組み込むとかを目的にしているなら、騙す意味はあるかもだけど。

 でも、そんな事をするくらいなら、本当の事をぶちまけそうな気はした。私を騙す事はやっぱり意味が薄い。

 

「なるほど……分かった。すまないが、よろしく頼むよ、キリト」

「ああ」

 

 彼には面倒を掛けてしまうけれど、私がここで受けない方が完全に他力本願になって迷惑だろうから、素直に協力をお願いした。彼にとっては当初の予定通りなのか、顔は煩わしそうでも嬉しそうでもない無表情を貫いている。

 出来る事なら無表情以外も見てみたいのだけどなぁ、と何とはなしに考えた。

 

「……あの、二人とも。取り敢えずご飯にしませんか? 冷めてしまいます……」

 

 その最中、私達が話していたからか料理に手を付けないでいたユイちゃんが、少し物悲しそうな顔で言って来た。見れば肉から上がっていた湯気も消えている。猫舌の身としては嬉しいけれど、ご飯や味噌汁から立ち上る湯気が少し小さくなっているから、これはいけない。

 

「ん……そうしよう」

「そうだね。では……いただきます」

「いただきます、キー」

 

 ユイちゃんの催促に応じて、礼儀正しき合掌してからいただきますと口にして、箸置きに置かれた箸とご飯がよそわれている椀を手に取る。ユイちゃんもそれに倣う。

 

「ん……召し上がれ」

 

 作り手のキリトが僅かに――錯覚と思うくらいほんの僅かに――頬を緩ませてそう言った。

 殆ど無表情で、錯覚かと思うくらい変わらない小さな笑みで、目からハイライトが消えているけれど――――その時私は、自分の母親に似た温かさを感じた気がした。家庭を支える強い母が発するものと同じ母性に似た何かを。

 この世界はとても殺伐としていて、彼の境遇はとてもでは無いが穏やかな心なんて保てそうには無い。それでも、たとえ機械のように感情が、心が擦り切れてしまっていても、彼の根幹はとても家庭的な人柄なのだろう。

 

「ああ……おいしい……」

 

 そう短い時間しか会話をしていない自分ですらそう思える温かみを感じながら、私はこの世界に囚われてから初めて口にする和食に感涙し、舌鼓を打ったのだった。

 

 *

 

 食べる事と完全再現された事の二重の意味でSAOにて初となる和食に舌鼓を打ち、感涙を流した私は、暖かな気持ちと共に食事を終えた。

 私のパワーレベリングの話をしている間はどこか不安そうにしていたユイちゃんも食事中は始終笑顔満面で、顔を綻ばせながらもっきゅもっきゅと義弟の手作り料理を頬張っていた。まるでリスのように頬一杯に頬張りながら食べるその姿は、理知的な面が薄れ子供らしい和気藹々とした側面が表に出ていてとても微笑ましかったと言っておく。

 そしてキリトがとても暖かい眼――勿論光は無い――で見ている事に気付いたからか、物凄く顔を朱くして俯いた。

 ……ひょっとすると、AIで義理の姉でもある彼女は、キリトに惚れている?

 だとすると大丈夫なのかと思う。キリトは人間で現実世界を生きる者、でもユイちゃんは仮想世界で生きるAI、そもそもからして存在が違う。仮に仮想世界限定で結ばれたとしても、必ずキリトは先に死ぬ。その後はユイちゃん一人だけが残される事になる。リアルと違って子供なんてシステム的に生めないだろうから将来は絶対孤独になる。例え同じAIが身近に居ても、愛する者が居ないというその喪失感は決して埋められないだろう。

 彼女はAIなだけあってとても賢いようだから、その辺も承知の上なのだろうけど……

 まぁ、この辺は他人である私が口出しできるような事では無い。そも、馬に蹴られて死にたくない。そもそも惚れているという予想が当たっているかも怪しいし。

 

「ご……ご馳走様でした……お、美味しかったですよ、キー」

「はい、お粗末様。作り手として嬉しくなる健啖ぶりだった」

「う、うー! それは言わないで下さい! 仕方ないじゃないですか、キーが作る料理がとても美味しいんですから! ルクスさんもそう思いますよね?!」

 

 さっきの食べっぷりについて指摘されて顔を真っ赤にしてうろたえ、あからさまに話の矛先をこちらへ向けて来たユイちゃんは、とても見ていて面白い。さっきまでの落ち着きぶりが完全に雲散霧消しているからだ。

 その姿を見て、ああ、これは確定だ、とさっきの予想に確信を持った。何せ羞恥に顔を染めているその反応が明らかに乙女なのだもの。見た目の年齢からして恐ろしく犯罪臭――しかもキリトが襲われる方――がするけど。

 それはともかく、答えないと作ってくれたキリトに失礼というものだろう。

 

「ああ、とても美味しかったよ。ご馳走様だ、キリト」

「お粗末様……うん、やっぱり料理の腕を褒められると、嬉しい」

 

 素直に褒めると、すぐにそう言ったキリト。

 口にするくらいだから多分本当に嬉しいのだろうけど、やっぱり表情はちっとも変わってないし、眼も光は無い。本人としては嬉しいのだろうけど傍から見ていると全然そうは見えないからちょっと反応に困る。

 とは言え、話し掛けたら普通に応じてくれるし、ずっと黙られている人に較べれば全然マシだ。むしろそういう人に較べれば結構感情豊かな方だろう。

 ……確実に対人コミュニケーションで苦労するのは間違いないけど。

 これはちょっとやそっとでは治らないのではないだろうか、環境が環境だし、と要らぬお世話かもしれない事を思考している前で、キリトは綺麗に食べ物が無くなって空になった食器の表面を、水色の細剣から出して操っている水で洗っていく。そのままだと床が水浸しになるのだろうが、面白い事に完全に制御しているのか一滴たりとも零れていない。

 水圧に負けたか、汚れにも設定されているのだろう耐久値がゼロになったようで、皿の表面に付着していた汚れは全て消えていく。

 水洗いして綺麗になった食器は、近くに浮かせている紫色の長槍が纏う風に当てて水分を飛ばしていた。殆ど細剣で操っているため水は残っていないけど、多分乾燥機みたいな感じなのだろう。気持ちだけと言えど割とそういうのは大事である。

 それを手際よくパッパッパッとこなしていき、五分後には調理器具もお皿も一切無くなっていた。彼のストレージに突っ込まれたからだ。

 

「……少し思ったのだけど、君はボス戦の時も野営セットや食器類を持ち歩いているのかい?」

「当然」

「当然なのか……野営セットや調理キットを出せば、結晶アイテムやポーション類を十個くらい入れられるだろうに」

「何時も一人で行動していたから何時でも野営が出来るようにしてただけだ。いちいち街に戻るのは時間の無駄だし……アイテムに関しては、《所持容量拡張》や筋力値優先にポイントを振ってるお陰でレベル的にも他の人より回復アイテムは多く入れられるし、使用頻度もそんなに高くないから問題になった事は殆ど無いな」

 

 それにボス戦だとあまり後ろに下がらないし、と彼は付け加えた。

 それを聞いて、闘技場での戦いが思い出される。

 あの時は《ⅩⅢ》をフル活用して途轍もなくヤバいボスを圧倒していたけれど、それ以外でも彼は左右の手に持った剣でソードスキルを交互に、あるいは《二刀流》のスキルを連続して発動し、ボスをノックバックで動けないようにしていた事が多かった。

 剣を二本持ったからこそ出来る戦い方ではあるだろうが、恐らく以前からああだったのだろうとは何となく察せる。《二刀流》スキルを解禁していきなり戦闘方法を変えられるなんて普通あり得ないからだ。出来ていたという事は、逆説的に以前から同じ戦法を取っていたという事なのである。

 

「それでも瀕死に陥る事はあっただろう?」

「あるにはあったけど、そもそも被弾率は低いし……まぁ、防御力やダメージカット率そのものは低いせいでフルから一撃でレッドゾーンはザラにあったから、それは何度か肝を冷やしたかな……」

「何度か、と本気で言っている時点で色々とおかしいですね……」

 

 ザラにあったと言えるくらい頻繁に死に掛けていながら、肝を冷やしたのは何度か、だなんてとても矛盾している事をサラッと言ってのけた彼に、ユイちゃんは物凄く呆れた顔を向けた。戦闘経験は無いらしい彼女ですらもそう言える時点でかなりぶっ飛んでいるのは明白だった。だって肝を冷やしたと言っている事以外でのレッドゾーン突入を、彼は別に恐れていないと考えているという事なのだから。

 ああ、でも《攻略組》ならそれくらい普通なのかもしれない。そうだとすれば、最前線で戦うトッププレイヤーと、その後をただ漫然と追い掛けるだけのプレイヤーとの認識の差が原因だと考えられるから、普通に納得だ。恐らくだがユウキ達も似たようなものなのだろう。

 仮にユウキ達の意見が違っていたら、それはキリト特有の価値観という事になるから戦慄せざるを得ないが。

 

「さて」

 

 多分彼の方がおかしいんだろうなぁ、と遠くを見て思っていると、彼が気持ちを切り替えるように言葉を発した。

 

「今後の大まかな方針も決まったし、早速鍛練に移ろう」

「え……い、今からかい?」

「当然。時間は有限、幾らあっても足りないんだ。色々とやれる内に済ませておかないといざという時に困って死ぬかもしれないからな」

 

 そこで困るかもしれない、と言い終えず、死ぬかもと続ける辺り相当死に目に遭って来た事を感じ取れた。それでも生き抜けたのは入念な準備を繰り返してきたお陰という事を痛いくらい知っているから、今すぐにでもやろうと言っているのだろう。

 

「でも、今からは危なくないかい? もう日が落ちて暗くなる頃合いだ」

 

 幾ら夏とは言え、もう午後七時に差し掛かっているから夕陽も落ち、樹海は本格的な暗闇に包まれている頃合いだ。何せ昼間でもあそこは基本薄暗い。場所によっては木漏れ日や月明りが枝葉の隙間から落ちて照らしてくれる場所があるけど、光源にするには些か以上に心許無い。

 つまり敵の発見が遅れて命を落とす危険性が非常に高いのだ。夜半の敵はレベルやステータスが高めになる上に攻撃的なのも多い事が、それに拍車を掛けている。

 

「……?」

 

 その危険性をよく知っているだろうに何故と思いながら言ったのだが、何故か伝わっていないようで、小首を傾げられてしまった。

 無表情無感情に見えるが、感情そのものはあるからか、どこか無垢な印象を受ける状態で小首を傾げられると、普通に可愛く見える。まぁ、眼が澱んでいるからちょっと怖くもあるけど。こういう仕草はしっかりしてくれるから怯える事は無いけど、やっぱり怖いものは怖い。

 

「えっと……今から樹海でレベリングをするんじゃないのかい?」

 

 そう考えつつ、どうも思考がすれ違っている気がすると思い、自分が予想した鍛練内容を口にする。

 

「……ああ、そういう……いや、俺が言った鍛練は、立ち回り方とかの方だよ。ここは圏内だから死ぬ恐れも無いし、人目も無いから思いっきりやれる。それにいきなりレベリングに出ると不測の事態への対応が遅れて命取りになるからな。ユイ姉も鍛えないとだし」

「ユイちゃんも? 彼女の話だと強い筈じゃ……」

 

 原理を聞いて流石にズルではないかと思いはしたものの、それは脇に置いておく。

 取り敢えず《攻略組》最大戦力と私は思っているあの【黒の剣士】と同等のステータスとスキルを得ている時点で最早鍛えなくてもいいのではないかと思える。一体何を鍛えるのかと疑問符を浮かべながら、件のユイちゃんへと顔を向ける。

 

「私はステータスこそキーと同等ですが、技術や経験の面では完全に劣っていますからね。まずは立ち回り方を覚えないといけないと話し合っていたんです」

「なるほど……その鍛練に私も混ぜる、という事なんだね」

 

 そういう事ならむしろ有難かった。

 今から樹海に下りたら暗い中ずっと行動するという事だから普通に怖いし、どこから襲われるか分かったものでは無い。夜中に現れるモンスターの中には平然とハイディングしている個体も居るから精神的に疲れるのだ。

 私もそれなりに戦って来た身だから一応戦えるけど、だからと言って超一流の技術がある訳でも無いし、的確な判断を下せる程経験を積んでもいない。三流、精々二流もいいとこくらいだろう。

 

「なら、キリトは私の先生になるのかな……よろしくお願いするよ、キリト先生」

 

 最前線をソロで生き抜いて来た剣士から直々に教えを請えるのは僥倖以外のなにものでもない。この機を逃したら次は無いだろうから、私としては是非とも教えを請いたい一心だった。そう思って――羞恥を紛らわせる意図も含めて茶化しつつも――真剣に、敬意を籠めて先生と呼ぶ事にした。

 私の先生呼びには面食らったようでほんの僅かに瞠目した彼は、少し視線を泳がせた。

 

「上手く伝わればいいけどな……」

「大丈夫です、キーなら出来ます。既にサチさんやシノンさんみたいに弟子も居るんですし、そもそもアルゴさんが纏めている攻略本の戦闘指南は殆どキーが編纂したものでしょう? それでアスナさんやユウキさん達が実際に強くなれたんですからもっと自信を持って下さい。実績が事実なんです」

「というかあの戦闘指南の項目、あまり戦闘をしないという話の情報屋にしては矢鱈詳しいと思っていたけど……キリト先生が纏めていたのか」

 

 元ベータテスター達が協同で情報を纏めていたのではと思っていたが、それにしては矢鱈細かいし、一つ一つの内容が分かりやすく纏められていた事に、以前は違和感を覚えていた。矢鱈理解を深めている人が纏めたのだなと考え、それなら情報屋の彼女が纏めたのかとも考えていたのだ。

 違和感があったのは、戦闘を避けている彼女がここまで理解を深められるのかという部分があったから。

 システムやアイテムの利用方法は使っていれば分かるように、戦闘に関する事なら実際に戦って経験しなければ話にならない。だから情報屋【鼠】のアルゴが纏めたにしては少しばかり違和感があったのだ。まぁ、情報屋なら分かっていて当然なのか、と思って今の今まで忘れていたけど。

 しかし真実はキリト先生が纏めていたという訳だ。ソロを貫いて今まで生き抜いて来た先生が纏めたというのであれば、なるほど納得だ。

 

「どうやら凄い人の弟子になってしまったみたいだね。果たして付いて行けるかどうか……」

「付いて来れるかどうかはルクス次第だよ。俺に出来る事と言えば、俺が教えられる事だけ。それを活かすも殺すもルクス次第だ……死なせないよう最大限努力するけど、それで至らない事があっても恨まないで欲しい」

「それは勿論。ここまで世話を焼いてくれるんだ、恨むなんて言語道断だよ」

 

 さっき会ったばかりなのにご飯を作ってくれて、更には私が死なないよう鍛練を付けてくれるというのだ。彼には何もメリットが無い――むしろ迷惑だろう――パワーレベリングまで付き合わせてしまうのだから、感謝こそすれ、恨むなんてお門違いもいいところ。

 

「…………そう、か……ふ、フふ……」

 

 そう本心で言った途端、キリトは顔を僅かに俯け、無表情のまま小さく笑いを零す。その声音はどこか嘲りを感じるものがあった。

 

「えっと……キリト先生? どうか、したのかい?」

「……いや、何でも無い。それと先生呼びはよしてくれ。俺はそこまで偉くない。教えられる事も至って基本でしかない」

「基本を突き詰める事が何事も大切だし、むしろそれが普通なんじゃないのかな」

 

 まるで自嘲するような物言いに違和感を覚えつつ、それでも私は思った事をそのまま口にする。

 何せレベルが足りないから危険、ならパワーレベリングでレベルを上げて生存率を上げる。武器や防具に関してもそうだし、戦闘で今の私が最も重要視するべき事を簡単に纏めて説明し、方向性を示してくれた。

 幾ら確認しても、確かにこれは見栄えなんて無い基本の事ばかりだけど、だからこそ生きるには重要な要素ではないか。強い武具を手に入れる為に素材を集めようとか、スキル値を高めようとかギャンブル性が多くない分、それらより遥かにマシだと思う。むしろ基本を詰める為に教えてくれる先生の方が私としてはとても信用出来るし、素直に教えを受けられるのだけど。

 そう思っていたのだが、どうも彼にとってはそうでは無いのか、今までで一番表情が変わったと言えるくらい瞠目した。

 

「ど、どうしたんだい……?」

 

 流石にこれは妙だと確信して問う。

 

「……ナンでも無い」

 

 しかし彼は、数秒黙った後に苦しげな声音ながらそう言って来た。明らかに何もない訳が無いのだけど、流石に出会ったばかりの私がそこを突っ込むのは無神経に過ぎる。

 それに、私がそんなお節介を焼かなくても、彼にはユイちゃんという義理の姉がいる。彼女の事を姉と慕っているのはこの短時間でも分かったし、ユイちゃんが何かしらアクションを起こすだろう。下手に触れない方が無難だ。

 そう判断して、今は流す事に決めたのだった。

 

 ***

 

 この管理区には《ホロウ・エリア》へ降りる転移門代わりのコンソールと《アインクラッド》へ繋がるコンソールだけでなく、周囲四方に色違いの紋様が床に刻まれている。

 その内、コンソールを正面に見て北東に位置している水色の紋様を、私はGM権限を用いてコンソールを操作する事で有効化、起動させた。途端真空管を思わせる円筒状に光が立ち上り始める。

 

「ユイちゃん、アレは?」

「床に刻まれた転移門のようなもの、と思って下さい。この紋様を使って転移した先では、この場と同等の広さの修練場が展開されています。そこでならキーもルクスさんも私も遠慮なく暴れられるのです。戦うにしても、コンソールと転移門は邪魔ですからね」

「ああ、なるほど……」

 

 厳密には、水色の紋様から行く先はただの修練場では無いのだけど、これは今は言わなくても良いと思って口を噤んだ。言うなら今日の鍛練が終わってからで良いだろうと思っての事だ。

 ちなみにだが、キーはその修練場の存在を知っていて、こちらに戻って来た後は頻繁にそこで時間を潰している。

 非有効化されていたのは、私が使用後必ず封印しているからだ。何しろ時間があればそこに行こうとするからそれを止めるにはそうせざるを得なかったのである。夢中になる事があるのは良いけれど、だからと言って四六時中引き籠ろうとするのは極端過ぎると思う。幾ら楽しいとは言え流石に限度というものがあるのだ。

 それがあってこちらに来てまだ三日ながら、私はキーに一度雷を落とす羽目になった。更にそれが原因で少し怯えられてショックを受けたりもした。今はどうにか持ち直しているけど、涙目で距離を開けられるのはかなりキた。次されたら今度は私が涙目になりそうである。

 まぁ、それでも甘くはしない。叱るべきところはしっかり叱らなければ、キーの為にならないのだから。

 

 ――――前々から思っている事を言えていない時点で、キーの為どうこうも言えないのだけど。

 

「……ユイ姉? じっと見て来てるけど、どうかした?」

 

 キーの事を考えて見詰めていた事に気付かれて、疑問を抱かれてしまった。

 それに何でもない、と頭を振って、私はたった今起動したばかりの水色の紋様へと歩を進める。

 すぐに二人も後を追って来て、三人揃って円筒状の光の内側に入った。

 

「転移――――《OSS試験場》」

 

 揃ったのを確認した後、通常と同じように転移の式句を唱える。直後真っ白な光に包まれ、一瞬の浮遊感を味わい、すぐに光は雲散霧消した。

 転移した先は、管理区よりも少し小さめなコンソールがあり、浮遊城へ転移する為の石碑が無く、四方の床に刻まれた文様も無いだけで他は同じ光景のエリアだった。

 あと一つ違いを上げるとすれば、《アインクラッド》でも稀に見かける蒼白い結晶が嵌め込まれた巨大な浮遊転移石が設置されている事だろう。アレは実際は転移石では無く、絶対に壊れないターゲットである。まぁ、鍛練目的を考えると今回は関係ない代物だ。

 

「さて……じゃあ早速鍛練に移ろう。今回は――――」

「あ、キー少し待って下さい」

「――――……うー……」

 

 鍛練に入ろうとした矢先に出鼻を挫くように待ったを掛けた私に、挫かれたキーは無表情ながら僅かにむっとした雰囲気を出して、こちらを見て来た。唸り声を上げて抗議しかして来ない時点で色々と後退しているような気もする。

 まぁ、それが可愛いからちょっと虐めたくなってしまいもするけれど、それはまたの機会にしておこう。

 

「鍛練に入る前に、《メタモルポーション》を使わせて欲しいんです」

「アレを……? 何故」

 

 ゲーム開始時のアバタークリエイトをまた行える特殊なユニークアイテム《メタモルポーション》の使用を求めた事に、当然彼は疑問を呈する。

 私がそれを申し出たのは、単純に背丈を伸ばす為だ。キーは慣れているようだから良いけれど、私にとってこの体格では全ての武器が大き過ぎて、とてもではないが慣れるまでに相当な時間と経験を要する事は明白。それならアスナさん達くらいの背丈になれば、《片手剣》や《細剣》の取り回しがしやすいと考えたのである。

 

 ――――というのが、キーに説明した建前。本音ではあるが、全部では無い。

 

 他の理由としてはキーを甘えさせたいからもある。

 リー姉やユウキさんのように見るからに年上の容姿になれば、少しはキーも頼ってくれるようになるのではないかと考えたのだ。実力が伴っていたユウキさんやアスナさんに泣きついた事があるように、彼が心の中で『強い』と思った相手には時に甘える事が多い。リズさんは、そういう意味では『強い』と思われなかった事になる。

 当然、私も思われていない。レベルやステータスが幾ら高かろうと死ぬ時は容易に死ぬこの世界でキーが今まで生き抜けてきたのは、偏に経験と努力に裏打ちされた技術があったからだ。それをよく理解しているから、キーにとって私は容姿も含めて庇護対象になっている。

 私はそこから抜け出したい。その為には、キーの戦い方をネックレスの中で体感し、俯瞰し、観察し、アスナさん達の戦い方も取り込む必要がある。体格が異なれば当然理解出来る部分と出来ない部分、出来る事と出来ない事が出て来るから、その両方を揃える事で、少しでも自分を成長させようとしたのだ。

 普通の人なら脳が追い付かないだろうけど、私はAI。睡眠という行動で一日の情報、不必要だと判断した記憶を記録へと置き換え整理していく事で、物事の理解力はとても高くなる。学習する事を義務付けられたAIでもあるから物事の吸収力はそこらの人より遥かにあるとも自負している。だからこその発想だ。

 あと、見た目というのはとても重要だ。キーに甘えてもらいやすくする為に容姿を変えようとしているように、他者への印象付けは身に纏う雰囲気だけでなく容姿でも決まる。

 今後、キーは確実に《ホロウ・エリア》の真実へ迫るだろう。その際に危険な事になるかもしれない。《アインクラッド》に戻ってからも、今までのように命を狙われるかもしれないし、今みたいに壊れるギリギリ一歩手前で踏み止まる事無く壊れ切ってしまうかもしれない。

 それから少しでも護る為に、私は容姿を変える事にした。《ホロウ・エリア》や《アインクラッド》で敵対する者達から少しでも愛する義弟を護れるように。

 憧れが無いと言えば嘘になる。でも第一に、キーを護りたいという想いがあるのだ。

 これだけは例え彼にも否定はさせない。

 この想いを、義弟にだけは否定して欲しくない。

 この子は自分への評価を恐ろしく低くしているし、何もかも自分のせいだと責める傾向にある。だから私の想いも、釣り合わないとか相応しくないとか、そんな資格は無いとかで拒否する――――逃げるのは目に見えている。

 それをされたら、きっと私は泣く。泣いてしまう。泣ける自信が私にはある。何が悲しくて自己評価の低さが原因で振られないといけないのだ。

 だから出来ない。少なくとも、今はまだ。キーが私に寄り掛からなくても私が拾われるほんの少し前の強く在れている時くらい持ち直せて、そして自身への評価を正しく出来るようになったら、機会があれば明かそうと思う。それまでは秘密だ。私が泣いてしまったら不安にさせてしまうのだから。

 

「なるほど、確かにそうだ。分かった」

「ありがとうございます、キー」

 

 私が何を考えているか知る由も無いキーは、表向きではあるけどれっきとした理由にそう言いながらストレージを漁り始めた。

 どの辺にあるのかも分かっていたのだろう、彼は数秒と経たずして容姿を変更出来るポーションを取り出し、手渡してきた。キーはその後、私が容姿を変える時間を勿体無いと思ったのかルクスさんの指導へ早速移った。

 何気に誰かに教えたくてうずうずしていたのではないかなと思いつつ、私は小瓶をタップし、アバターの容姿設定を行っていく。

 性別はそのまま、変なオプションも付けない。

 身長は女性としては少し高めに165センチ。肩幅や腰幅、体重に関しては平均的な値を自動選択にする。髪の長さは後ろ腰に届くまで、色は勿論キーとお揃いの黒。そこまで設定を済ませた時点で、プレビューに映し出されている女性アバターは、私を大人に成長させた容姿になっていた。あるいはキーが少女らしさを残したまま成長し、女性的になった姿と言えばいいだろうか。

 

「む……」

 

 そこで、ここまでほぼ即決だった私を唸らせる項目を見つけた。

 それは《Bust》という項目。つまりは胸囲だ。

 リー姉のようにとても大きい人もいれば、アスナさんやシノンさんみたいに目立ちはしないけどしっかりある人、ユウキさんやシリカさんのように慎ましやかな人と、キーの周囲には多種多様の胸囲の女性がいる。そしてそれらを見て、あるいは抱き締められても、キーは特に顕著な反応を示した試しが無い。無論抱き締められている時の精神状態から考えてそんな事を気にする余裕が無かったという事もある。

 とは言え、あの子も今年で満十一歳になる男の子。そういう方に興味があっても別段不思議では無い。ただその余裕が無いだけで。

 

「……いえ、今回はいいでしょう」

 

 キーは絶対見た目ではなく内面を最重要視するのは明白。下手にこの辺は弄らず、ありのままで良いと判断した。内面を重視するのなら、私は私自身のままあの子と接するだけである。それに今はあの子のケアが最優先、目的を履き違えてはならない。

 ただ大人へ成長させた容姿補正が掛かって掌からはみ出るくらいの大きさになり、それ以下には出来ないようなので、こればかりはどうしようもないから勘弁して欲しい。

 まぁ、それでも大きくなる事は普通に嬉しい。

 AIであるこの身は仮想世界でのみ存在する事が許される。アバターは当然成長などしないのだから、特殊なアイテムで少しでも成長した姿になれるのは予想外にも嬉しい事なのだ。キーが現実に帰って成長していくに連れて、私はきっと、置いて行かれるから。

 アバターは変わらないと言っても、リアルの肉体は成長するし、内面的にも成長するのは明白。姉である私が弟である彼に追い抜かれるのは、致し方ない部分もあるのだ。それでも少しくらいは見栄を張りたいのである。何時までも小さかったら、あの子はきっと、私に弱音を吐いてくれなくなるから。強さでは無く、弱さで。

 出来る事なら、このSAO以外の世界にもこういうアイテムがあって欲しい。

 そう願いながら、私は設定を修終了し、変更のボタンをタップした。

 途端、ぐぐんっ、と視点が高くなった。

 

「わわっ……?!」

 

 いきなり視点が高くなり、手足も伸びたのでふらふらとよろめく。何とか脚を動かすけれど、長さが変わって膝の位置が感覚的なものと感触とで噛み合わず、尚更混乱してしまう。

 それでもどうにか倒れそうになった方に脚を動かし、踏ん張った。

 十秒ほど掛けてどうにか感覚と感触との齟齬を少なくし、咬み合わせる事に成功した後、私は自分の体を見回した。

 他人を見るのと自分で見るのではやはり違っていて、今まで疑問を感じなかった細い手足はしっかり大人のそれと遜色なくなっていて、背丈も同様。脚もしっかり筋肉が付いているものを再現されている。こういうのを、確か『すれんだー』と言うのだったか。運動が得意な人に多そうな体形ではある。

 視線を落とせば、やはり今までよりもずっと床が遠い。思ったより遠いから、高過ぎたかと思うくらいだ。

 そして落とした視界を少しだけ埋める、少し膨らんだ胸。ワンピース一枚だから尚更分かりやすい。

 ……キーのスキルとリンクしたお陰で完全習得している《裁縫》スキルを使って、何れ肌着を作らなければならないなと思った。流石にそれをキーに作ってもらうのは恥ずかしい。

 ああ、それに私の装備も作らなければならない。武器はともかく、防具に関してはこのワンピースしか無い状態だ。

 鍛練の事もそうだけど、これからとても忙しくなりそうだ。

 その事に僅かなわくわく感とキーの事を慮るドキドキ感を覚えつつ、私は鍛練に勤しんでいるルクスさんと、そんな彼女にスパルタ指導をしているキーの下へ向かった。

 

 ――――ちなみにだが、この時スパルタ式できつく指導されて泣きそうになった。

 

 具体的には《ⅩⅢ》と二刀をフルに使った、傍から見ればフロアボスを余裕に倒せるレベルの臨戦態勢でキーが全力で掛かって来た。それを一人で相手にするなんて出来る筈が無い。何せ経験が無いのだから。

 初めてキーの事を理不尽の権化だと思った。

 

 更に余談だが、ポーションを使って成長した私を見ても、キーは『じゃあ早速始めようか、ユイ姉』と言って、全くコメントしてくれなかった。感想すら無かった。

 

 別の意味で、こっそり涙してしまったのはキーには内緒である。

 取り敢えず、今のキーにそちら方面の事で何かを求めるのは間違っている事を思い知らされた私は、遠い目をしながら嘆息したのだった。

 

 






 はい、如何だったでしょうか。

 《メタモルポーション》を使って見た目成長した大人版ユイの容姿は、後ろ髪を括って紫系統の衣装を纏えばアクセルソードのユイになりますね。あっちのユイを見て、こっちにも大人版ユイを出したいと思ったんだ……そしたら何時の間にかこうなった。たまげたなぁ……Σ(・ω・ノ)ノ!

 彼女がメタポを使う理由として挙げたのは、割と真面目に考えました。彼女は人を見て学び、成長していく超高性能AIですから、データは多ければ多い程成長します。キリトは今の自分と同じだけど、他の人の戦い方を参考にするためには容姿を知覚しなければ立ち回りの再現は難しいと考え、まずは覚える為に体を変えた訳です。一度覚えれば、小さくなってもある程度練習する事ですぐにコツを掴み、応用させられます。

 つまり成長速度はキリトの上位互換という事。ただし、濃密な時間と経験だけはどうにもならないので、少なくとも一気にキリトを追い抜くという事は無いです。

 なったらキリトはガチで泣く。

 次にルクスについて。

 彼女の原典とも言うべきスピンオフ《ガールズ・オプス》では、登場時既にリーファ、シリカ、リズベットよりは強い二刀剣士でした。ですが流石にSAO編で最初から強い訳が無く、でも《ホロウ・エリア》では一緒に活動しなければならないので、一気に強くなる為に師弟関係になりました。サチはユウキがメインで鍛えていましたが、槍の事はキリトに教わっていますので、サチとシノンの妹弟子になりますね。ここはユイも同じ。

 サチが槍と片手剣、シノンが短剣と弓、ルクスが片手剣。

 ユイは何にしようかな。アクセルソードだと細剣、弓、そして何故か刀なんですよね。最近気付いたけど、アクセルソード大人ユイって、アスナ+リーファの髪型なんですよね。パッシブ構成なんてキリト+アスナの前衛魔術師型。それで魔術師な割にはキリトの特性引き継いでいるから矢鱈固いし、HPもキリトに肉薄してる。刀はひょっとするとリーファの要素だったのかもしれませんね、攻撃当てにくいけども。

 細剣と弓は母、刀は叔母、ステータスとスキルは両親、髪型は母親と叔母譲りって、凄いハイブリッドだな(笑)

 では、次話にてお会いしましょう。


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