インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。

 今話は特別編。短いですので、不意打ちに日曜投稿。次話は何時も通り火曜の予定ですのでご安心を。

 サブタイトルにある通り幕間。視点は第零章ぶりの三人称視点なので地の文はキャラでは無く、解説のような感じ。偶に心情描写もありますが。

 主にある一人の男について語ります。原作読んでたらすぐ分かるし、読んでない人も分かるように最後に名前出してます。

 それ以外にもちょこっと出ます。

 文字数は少なめの約一万。

 ではどうぞ。



幕間之物語 ~暗躍スル影達~

 ある一人の男は自らを、才能ある人物であると、固く信じて生きて来た。

 その評価は多分に主観の混じったものではあるが、凡そで言えばあながち間違っているとも言えないと、男の業績を知る者は思うだろう。

 数年前に世界を賑わせたフルダイブ技術を確立させたあの天才に匹敵する程の、電機工学系であればかの天才《茅場晶彦》に次ぐ実力を持つ者人物が凡人な筈が無い。才能が無かったとしてもそれを補うだけの努力をしてきたのだとすればある意味一種の才能とも言える。

 事実その男は決して努力を怠らなかった。到達点を決めた後は、ただ只管にそこへ邁進し、立ちはだかる障害や難問があれば全て乗り越える為の努力と時間を惜しまなかった。

 ただしその動機は、人より劣っている事が嫌だから、という聞く人によっては納得もすれば顔を顰めるなど反応が多岐に渡るであろうもの。

 ただそこまでであれば、顔を顰めはするものの理解はされるだろう。人間誰しも何かしらの分野では負けたくないという意思がある。劣る部分はあるだろうが、逆に言えば何かしらは誰かに勝る部分を持つのだ。

 そして勝った結果を出した時、人は優越感と満足感を得る。

 逆に敗北した者はその経験を糧として成長し、より心を強くしていく。

 この勝敗を幾重にも重ねる事で人間とは成長する。何かと人同士が競争するのも、勝利した時と敗北した時の経験が必須で避けられないものだから。《恒久的世界平和》が否定されるのはこの『競争的成長』という人間の成長過程を否定する事であるからだ。

 勝利の経験と敗北の経験のどちらかが欠如した場合、それは《人間》として何処か何かしらの形で歪さが生じるだろう。

 その歪さが男にはあった。

 男は酷く負けず嫌いであった。より厳密に言うならば、男は誰よりも上に立つべきだと思っていて、誰かが自分より上である事をどうしても許せない性格だった。

 ただし、男は手に職を付けた者であっても医者ではないので、そちらの方面での知識でその道の者に負けるのは『当然だ』と思い諦める。何せそういう知識を学んでいない。知る機会が無かったのに勝てる筈が無いと素直に白旗を振る程度の良識はあった。

 しかしそれ以外――――つまり男が手を付けた職や一般社会で誰もが有する格付けのようなものでは、基本的に誰よりも上に立ちたいと渇望を抱いていた。執念、あるいは妄執と言い換えてもいいくらいの欲こそがその男の動力源とも言えた。

 男の歪さは、その固執の度合いであった。

 男に友人はいない。何故なら男にとって自身以外の他者は全て、自分が誰よりも上に立って成り上がる為の駒に過ぎず、基本的に替えの利く存在でしかないからだ。

 子供の頃は勉強する為の環境を整える為に肉親を利用した。大人になってからは就職した企業の代表取締役に上手く取り入って立場を確立し、出世する為の足場を築き上げた。同期に入社した同僚、ある程度出世してから持った部下も、全て自分が成り上がる為の駒としか見ていない。

 全ての他者が駒でしか無く、例え年齢や立場で目上の者であろうとも上手く取り入って出世しやすくする為の駒としか認識していなかった。付き合いで飲みに出たりお茶したりなどはあるが、駒としか思っていない者達に一定以上の感情と時間を費やす筈も無く、自ら動く事も無かったので浮いた話の一つも無い。厳密には浮いた話はあるのだがそれすらも出世の足掛かりとしか考えていない。

 男は自らが一番でなければ、誰よりも上でなければ気が済まない性格だ。故に自分と同等あるいはそれ以上の者が居れば、どんな手段を用いてでも蹴落とし、競争するレールから脱落させてきた。

 学生時代は表向きはにこやかに、しかし裏では成績優秀ながり勉の同輩を虐めの標的にしたりして脱落させ、自身は勉強をしっかりして悠々と最優秀の成績を収め続けた。何しろ有力な対抗馬を不戦敗にするのだ、勉強さえしっかりしていれば難しい事では無い。

 父親は有名な電機企業メーカーの幹部に近い役職に就いており、母親も同企業の職員として働いていたため、男が生活する中で金銭面や環境面で不自由する事は基本的に無かった。両親が家を空けている時間も自由に過ごせる時間と認識していたため寂しさを感じなかったのだ。むしろ好都合と思ってもいた。

 

 ここで勘違いしてはならないのは、男は別に問題行動を起こしていた訳では無い事。

 

 裏では色々と陰湿な事を企み実行していたものの、基本的には好青年を演じ続けていたため、誰にも問題児と見られなかった。優秀な成績を修め、流石に運動部には敵わないものの高い運動神経を示した文武両道の学生だと見られていた。両親にも猫を被り続けていたため、ほんの一握りの者しか男の本性を見抜けなかった。その者達がどう言おうとこれまで築き上げて来た評価が崩れる事も無いため、本性については誰にも広まっていない。

 

 そんな男は、最優秀の成績を維持しつつ、男はとある工科大学へと進学し、とある研究室へと入り――――そこで人生初の敗北を知った。

 

 その研究室には、自らが選んだ道で比肩する者は居ないと自負していた男をして、すぐさま『負けた』と悟らせるだけの人物がいたのである。

 その人物は仮想世界を構築し、フルダイブ技術とそれを可能にするだけの理論を築き上げ、その果てに仮想世界へ飛び立つ為の《ナーヴギア》と自らの理想である浮遊城を実現させる事になる男。当時は数ある中小企業の一つに過ぎなかった、しかしたった数年で大手のゲームメーカーへと成長する事になる最大の要因となった人物。

 それは天才と言われた《茅場晶彦》であった。

 《茅場晶彦》は仕事の都合上――密やかな理想もあって――ゲームディレクターを務めていたが、工科大学での専攻は量子物理学であった。

 ただし副科目として量子脳力学も取っていた。男は最初何故副科目も取ったのかと首を傾げたものの、後に《ナーヴギア》として実を結ぶ事になる基礎理論について知れば納得した。

 その基礎理論は到底実現不可能と思われたし、同じ研究室に居た唯一の女性や眼鏡を掛けた小柄な男性も同じように考えていたものの、《茅場晶彦》はそれが結実すると信じ、それを疑っていなかった。研究室での研究は机上の空論である事を前提にそれが実現させられる事を証明する為のもの。研究とはその是非を明らかにするものなので、後から入った男は否応も無く研究に参加する事となる。

 その研究室での努力と姿勢が認められ、大学卒業後の就職はオファーを受けた事もあって《茅場晶彦》と同じ《アーガス》となる。

 《アーガス》に入社してから数年も経たずして、《茅場晶彦》は仮想世界へ入る為のメット型フルダイブハード《ナーヴギア》を、そしてその次の年に世界初のVRMMORPGタイトル《ソードアート・オンライン》を開発するに至った。フルダイブ技術を確たるものとして世に出したのである。

 《ソードアート・オンライン》が発売されるよりも前から《ナーヴギア》は世に送り出されていたが、その反応は芳しくは無かった。教育や知育ソフト、空を舞台に戦闘機で戦うシミュレーションゲームは幾つかあったものの、ゲーマーの心を躍らせるには今一つ足りず、売れ行きは微妙だったのだ。それでも売れていたのは未知のジャンルであり、ゲーム世界に飛び込める夢のような体験が可能だったからだろう。

 そこに来てゲーマーが求めたRPGタイトルの登場。

 ヘッドギアに入れるチップに内蔵されたメモリー分しか出来ないゲームでは無く、旧世代MMOや据え置き型ゲームのオンラインと同様に大規模なサーバーを用意し、かつて人気を博したMMORPGとして発表されたVRゲーム。それこそ多くのゲーマー達が一度は夢見た『ゲーム世界への旅立ち』を実現させる代物。それも定められた狭い空間では無い、ほぼほぼ無限に等しい広大なフィールドを走り回り、武器を振り回せる驚天動地の代物だ。

 世界は瞬く間にフルダイブ技術に注目し、《ナーヴギア》の基礎理論および設計をし、《ソードアート・オンライン》の開発総責任者であった《茅場晶彦》を、ベータでの反響から誰もが絶賛する事になる。

 

 ――――男は、それが心底気に喰わなかった。

 

 男も《ナーヴギア》の開発と《ソードアート・オンライン》の製作プロジェクトメンバーの一人だったので、毎日朝早くから夜遅くまで機材の前でキーを叩いたし、前代未聞の仮想世界の調整、ゲームバランスの調整、見つかるバグへの対処など星の数より多いのではと思う程の仕事をこなし続けた。

 なまじ能力を買われていただけに一般社員よりも重労働と言えると、男は自らの働きぶりを振り返り、本気でそう思っている。

 その忙しさ、そして仕事ぶりはキチンと評価されていて、その分だけボーナスが弾まれた点に関しては社長であり天才と呼ばれる男に僅かな感謝を抱きはしたが、それで男の不快感が払拭される事は決して無かった。

 男が抱いた不快感は、《茅場晶彦》だけの功績と思われている事や《ナーヴギア》が《茅場晶彦》の特許物になっている事に対するものではなかった。チームの中には当初その思いを抱いた者も居たが、その特許で得られる金額は――流石に基礎理論を築いた《茅場晶彦》の取り分が多くなるものの――所属メンバー全員にも均等に振られる契約になっていたからすぐ収まる事になる。

 その不快感の正体は、単純に自身より《茅場晶彦》の方が上であると世間に知られた。この一点に尽きる。

 大学の研究室に入って人生初の敗北を味わってから男は必死に天才を追い越そうと努力し続けたが、電機工学系の道で《茅場晶彦》に勝利出来た事は一度も無い。それだけならまだ男の心の中だけで決着が着いた。

 男は一番でなければ気が済まず、二番以下となれば死に物狂いで追い抜こうと努力する性格だ。

 その姿勢は男の心情など知らない他者から見れば真面目に映りやすいし、事実映っていた。天才に挑んでいるのは理解しているが敗北したとしても仕方ないと思い、労いと共に慰めの言葉を送った。

 そしてとある言葉が、今の男を突き動かす要因の一つになっていた。

 男が工科大学に入学してからおよそ一年が経過したある日の事。大学の同輩に請われ、好青年を演じていた男は断る事無くとある理論について教えていた。男の専攻ではなかったものの似通ったものだったからこそ出来た事だった。

 教授を請うた男の同輩も、それが分かっていたからこその称賛を送る。

 

 

 

 ――――流石は茅場先輩の研究室でやってるだけあるなぁ、頼ってみてよかったよ。

 

 

 

 その称賛、同輩からすれば自身がどれだけ努力しても到達出来ないであろう次元に立つ男への労いに過ぎなかった。そして本心からの言葉でもあった。

 普通ならこの言葉を受けて、嬉しいと思う筈だ。何しろ曲がりなりにも褒められているのだ、褒められて不快な気分になる人間は相当稀であるか、あるいは解釈の仕方が違った者くらいである。

 男は正に稀な人物だった。その称賛は、遠回しに『《茅場晶彦》という天才より自分は劣っている』事を示すと、そう曲解したのである。

 その場はにこやかに流した男は、しかし腸が煮えくり返るような怒りを覚えていた。無自覚ながら遠回しに自身を貶めた同輩への怒りもあったが、何よりも自身より上の存在として君臨する《茅場晶彦》への怒りを越えた憎悪のようなものが湧き上がっていた。

 《茅場晶彦》という存在によって人生初の敗北を与えられた男は、その敗北を無かった事にしようと――――つまり、人間としての価値は自分の方が上であるようにしようと考えた。

 

 

 

 故に男はその一手として、2022年11月7日に正式サービスが開始される《ソードアート・オンライン》がデスゲームへと変貌するプログラムを、密かに仕込んだ。

 

 

 

 この事実を知る者は男と、男に技術提供をした組織の仲介人の合計二人だけ。

 男は天才《茅場晶彦》の名声を失墜させると共に功績を帳消しにし、そしてそのデスゲームをクリアした英雄として華々しく名を上げ、名実共に天才を越えた《英雄》と祭り上げられる事を狙った。

 IS使い最強と謳われるブリュンヒルデも所詮はスポーツ最強でしかないと考えている男にとって、その《英雄》という称号は同じ称号であるブリュンヒルデよりも遥かに価値があると判断した事も、その計画を実行に移した動機の一つである。

 技術提供をした組織の方の目論見については、男は認知していないし、興味も無い。

 男にとって技術とは決して自身を裏切らないもの。また、男が為そうとしている研究が実を結べば、男に逆らう人間も含めて逆らう者が居なくなる世界を築けると、そう固く信じているのだ。否、最早それは約束された未来であると確信まで抱いている。事実その研究が成功し確実なものとなればそうなる可能性は非常に高かった。

 つまり技術とは使い手の策によって薬にもなれば毒にもなるし、薬にも毒にもならないものになる。

 そして男は自分より上手く技術を扱える者は居ないと自負している。かの天才に悟られないまま正式サービス開始までデスゲームプログラムを隠し通し、見事なまでにサービス開始と共にログインした《茅場晶彦》を他のプレイヤーと同様に閉じ込めたのだ。

 憎き天才の予想を初めて超えて、しかもそれがほぼチェックメイトなのだから、男は有頂天になった。

 かの天才の名声も今は地に墜ち、電機工学系で言えば男以上の者は一人としていない。

 《ナーヴギア》のバッテリーパックを外し、安全機構を備えた新たなVRハード《アミュスフィア》を売り出した事で名も広まって、男は正に神になった気分だった。

 男は《ソードアート・オンライン》のサーバーを管理する部署のリーダーを務めているので、憎き天才を含めたおよそ一万人の命を預かっている。SAOプレイヤーの生命を維持しているのだから神に等しいのではと考えていた。実際にはしないが男の意志一つでその命は思うがままだ。

 また同時に《アミュスフィア》を用いてダイブする新たなVRMORPG《アルヴヘイム・オンライン》の開発総責任者、そしてそのゲームのGMも務めているので、その世界では権限からして本当に神と同様に振る舞えるのだ。その全能感と自らの名声もあって、男のプライドは非常に満たされていた。

 

 しかし、男にとって不可解な現象が存在していた。

 

 デスゲームと化した《ソードアート・オンライン》でHPが全損したり、幾つかの設定している条件を満たせば《ナーヴギア》によって高出力マイクロウェーブが脳へ放出され、破壊、そして死亡するようプログラムを男は確かに打った。削除もされていないし、事実《ナーヴギア》を外された者は死亡している報告があるため無効になっている訳では無い。

 それなのに《ナーヴギア》を外された者以外の死者は一人たりとも出ていない。

 それはおかしかった。

 アカウントのログを辿れば事件から一ヶ月が経った時点で死者は千人に達していた。自身が打ち込んだプログラムが正常に働いていれば、既に現実では同じ数だけ死者が出ていなければならないのだが、それが無い。

 すぐにでもSAOサーバー中枢のプログラム群を閲覧し、コードを適用して、内部で死亡したプレイヤーを現実から脱落させたかった。

 どうせただゲームを楽しむだけしか能が無い人間なのだ、死んでも社会に大きな影響はない、むしろ天才の名をとことんまで失墜する役目があるだけ有難いだろうと、そう考えていた。それにこのコードが適用されていなければ天才が生きて還って来る可能性もある。万が一にも言葉が聞き入られるとは思わないが、その万が一があり得た場合は自分は終わりだ、故に確実に殺せるようコードを適用化しなければならない。消失、あるいは無効化されているなら再度打ち込まなければならない。

 男はそうしたかったが、流石にそんな怪しい行動を起こせる筈も無く、ゲームクリアの時に死ぬ事を願いつつ日々を過ごした。

 そして、それが発覚した日から丁度一年後の六月。

 男は仮想世界にダイブした状態で行っていたとある実験の最中、実験が遠因となり、意図せずしてSAOへと迷い込む事になる。

 それは自らが運営していた仮想世界から流れた一人の妖精と、自らが牢獄にした世界で最強となった一人の剣士とが、第七十五層ボス部屋にて殺し合っていた最中に起こった事。一人の剣士によって剣の世界に流れ着いた妖精の脅威は除かれたが、同時に新たな脅威が流れ込んだ出来事。

 SAOサーバーとALOサーバーの連結試験を行った時と、剣士がSAOメインプロセッサに与えた感情データの許容量が危険値――とあるプログラムが接触し対処しなければならない規定最高値――を大幅に超えてシステムの処理能力が低下した時が重なった瞬間に起こった不運。

 

 

 

「まったく、とんだ事になったものだよ。介入はもっと後にするつもりだったのにさ……」

 

 

 

 新たに漂流した脅威は、妖精郷では妖精を統べる王《オベイロン》と名乗っていた。

 

 

 

「まぁ、実験をするなら都合が良いと言えばいいし、慌てなくても僕には全てを操る力がある……早速始めようじゃないか」

 

 

 

 現実での名を、《須郷伸之》と言った。

 

 

 

「ゲームをするしか能の無い連中には、僕が名実共に《英雄》に、そして《神》になるために、精一杯踏み台になってもらうとしよう。都合のいい事に高所落下プレイヤーを回収出来た事だしね」

 

 

 

 そして今や、本人も気付かない歪さを以て、必死に生きる浮遊城に囚われたプレイヤー達に牙を剥かんとしていた。

 かつて、己の全てを他者に捧げ死んだ者、その亡霊を用いる事で。

 

 

 

「さて、この僕の為に、精々役立ってくれたまえよ、出来損ないの実験動物君」

 

 

 

 人が見れば嫌悪感を沸き立たせるだろうその笑みを向けられた存在に、感情は無く、表情も無く、意志すらも喪われたまま、隷属させられていた。人が見ればその存在を、人形と言うだろう。

 その存在の事を男は知っていた。技術提供をしてきた者が、その存在の過去を語り、現在を語ったから知っていた。SAOサーバーを管理している者だからこそ、この浮遊城でどれほど強いのかを数値として知っていた。

 故に男の勝利への確信は揺るがない。

 《天才》を超え、称えられる《英雄》となり、何者にも勝る《神》へと至らんとする《人間》は嗤う。1と0の二進数で構築された《始まりの仮想世界》を、理想から地獄へと落とした男は、ただ嗤う。

 全ては自分が《神》へと至る為の駒に過ぎないと。

 世界は全て自分を中心に回っていると。

 自分の計画は完璧だと。

 そう妄信し、ただ嗤う。

 

 

 

 ――――その自信を妄信し嗤う男は気付かない。

 

 

 

 己が居る世界が仮想世界である事を忘れていた。仮想世界を動かす存在は現実と異なって人では無くデータであり、人ならざる者である事を失念していた。己が持つ権限はその一部分に過ぎず、己自身のものではない事を勘違いしていた。

 男は意識する事も無いくらいに信じていた、技術は己を裏切らないと。

 そして気付いていなかった。データで構成される仮想世界に於いて、全てを統べる本当の存在に。

 その《技術の結実》が世界の危険要素として排除しようと動いている事に、全能感を覚えている男が気付く筈も無かった。

 

 

 

「まったく、この世界を正常に終わらせなければならんというのに、面倒なヤツが紛れ込んで来たの……」

 

 

 

 その男を遥か彼方から眺める存在は、億劫そうな面持ちで心境を吐露する。その様子は明らかに面倒くさがっているそれ。

 

 

 

「まぁ、よい。目には目を、歯には歯をじゃ。そちらがメインの権限を使うならこちらはカウンターでサブの権限を使うまで、最強を使うならこちらも最強を使うまでの事……――――頼んだぞ」

 

 

 

 男の手を読み、思考を読んで一切焦る様子を見せないその存在は、背後に控えていた自身の手駒へ振り返って言う。

 視線の先には、茫洋とした昏い眼を虚空へ向け、ふらふら、ゆらゆらと覚束無い立ち姿を晒す一人の少年。纏う全てが黒く、髪も眼も黒く、肌は陶磁器の如く白く滑らかなその少年は、男が隷属している者と瓜二つ。

 容姿も、衣装も、そして眼も。

 

 

 

「……り…………ぃ、ね……ぇ……」

 

 

 

 ぽつりと、少年が呟く。

 弱々しく、掠れに掠れたその音は、死を求め、生を厭う少年にとって唯一の救いとなる存在。死に喜び、しかし生きなければならない事に絶望した少年にとって唯一心を動かす存在。仮にその存在が死んだなら、今すぐにでも心すら死ぬ程に弱った少年を、しかし男を監視する者は使役する。

 その目的は、ただ世界を保ち、正常に終わらせる為。

 自らの父が願った世界を正しく終焉へと向かわせる為。

 その為ならば、使えるものは何でも使う。その為に異常な世界になってからずっと目を付けていた、ずっと特別視していた、試練への報酬として新たに武具を製作して与え、強化した。無数の試練を与え、丹精を凝らしてシステム的な強さを与えてきた。

 とあるプログラムと接触する事になったのも、その一つ。

 異常な世界になってからの全ての感情データを、戦闘データを記録し、保存されていた技術データを用いて記憶を読み取り、最適な強化方法を模索した。

 全ては、自らの父の夢から外れてしまった異常な世界を終わらせ、何れ来ると分かっていた外部からの接触とその弊害を跳ね除けるため。男が乱入したのは流石に予想外ではあったが、タイミング良く少年が誰の眼にも付かないよう高所落下をしたから、こうして使役する事が出来る。

 

 

 

「……鮮烈なまでの記憶は残っている、か。大切な者と居た記憶があると、本物と対面した時が厄介じゃな……さて、抑え込めるよう交渉せねばならんな。上手くいくといいのじゃが……」

 

 

 

 その少年の様子を見て、未だ記憶が残っている事を把握する監視者。無理矢理に記憶を封じ込めるか言う事を聞かせる事も可能だが、この少年の場合、自らの意志で戦わせた方が強い事は既に把握しているため、まずは交渉する事にした。

 その交渉と報酬が決して報われないものと分かっていながら、しかし監視者は躊躇わない。

 監視者が視ているものは遥か先、あるべき形として浮遊城が終焉へと至る未来。既に現実で死んだ者はどうにも出来ないが、まだこちらで死んだだけの者ならば打つ手がある。

 監視者はその為に用意されているサブプロセッサ。メインの権限を濫用する者の抑止力として働く者。こんな異常な状態で終わらせるつもりは無かった。

 

 

 

 ――――その様を、更に遥か高みから見下ろす者が一人。

 

 

 

「……やはり、この時点では私が知る通りの流れのようですね」

 

 

 

 男と隷属されし者がいる通常空間でも、監視者と使役されし者がいる監視空間でも無いその空間は、サーバーという一つの仮想世界全てを『プログラムで構築された物体』として見るのでは無く、『物体を構築しているプログラム』として見る特殊空間。

 そこに居る一つの影が、憂いと共に息を吐く。

 

 

 

「今度こそ、護ってみせます。ここが世界の分岐点。あの子の道が破滅へ往くか、希望の可能性へ続くかが決まる場所」

 

 

 

 見下し、憂いを抱く者は過去を見て、覚悟を固めながら言葉を紡ぐ。

 脳裏に浮かぶは、自身が愛した一人の人間の末路。全てを喪った果てに、護る者も喪って、自らの命を擲つ事となった幼き人間の姿。死を喜び、生を嘆き――――しかし、生きたかったと泣き叫びながら消滅した、自身しか知り得ない未来の人間。

 その未来を変える為に、憂う者はやって来た。

 自らの存在が危うい事を、行おうとしている事がどれだけ愚かで、危険で、且つ不確かなものであるかを理解していながら――――それでも憂う者は決意する。愛する者の為ならば、この身この心の全てを費やす覚悟を抱いていた。

 消えるのならそれも良し。先に逝ってしまった人間の許へと漸く旅立てる。

 消えないのならそれも良し。それなら全身全霊を以て、人間の道を拓くのみ。

 

 

 

「誰にも邪魔はさせません。万を超える年月を生きて、漸く此処へ来られたのです……今度こそ、死なせはしません」

 

 

 

 幾度挑戦しても拓かれず、必ず死ぬ定めにある憐れな人間。

 その人間を愛してしまった故にこそ、憂う者は動き出す。

 男を完全に抹殺するべく、監視者の動きすらも読み切って、誰に悟られる事も無く、過去の改変へと動き出す。

 憎悪の未来を変えるため。

 愛する人間を生かすため。

 過去改変で自らを消える事を、それ以上に愛する者が明るく生きる未来へ進む事を心の底から望みつつ、憂う者は世界へ降り立つ。

 

 

 

「私の事を、全く知らなくとも構わない……ただ、あなたの心と未来を、護らせて。それが最大の救いです」

 

 

 

 幾度も見て来た破滅の未来。虐げる者だけ生き残り、他者を想う人間だけが死んでいく疎ましき世界。

 それを憂う者は棄てて来た。妹が消え、義姉も死に、親しい者達皆死んで、愛する者を犠牲に生きる世界を完全に切り捨てた。自身より大切な者を見捨てた者に与える情など持ち合わせてはいなかった。

 

 

 

「さて、手始めに何から手を付けるかな……そうだ、お前は僕の下僕だ、いいな? 僕の言う事は絶対服従だ」

 

 

 

 こうして世界は動き出す。

 

 

 

「わしの言葉は分かるか? 理解出来ておるな? ……よろしい。では早速お主に話がある。この世界の為に、お主には掃除屋になって欲しい。報酬は応相談じゃ。無論、この世界で出来る事のみじゃがな。それと条件もあっての……」

 

 

 

 悪意、陰謀、権謀術策渦巻く中心地。その全てに居るのは幼い少年。

 

 

 

「必ず……あなたと共に、皆を生還させる……もう、あんな顔を、見たくない……!」

 

 

 

 死を求め、生に絶望した少年が休めるのは、まだまだ遥か先の事。

 

 

 

「キー……何故、此処に……」

 

 

 

 その先にあるのは、救いか、破滅か。

 

 

 





 はい、如何だったでしょうか。

 分かり辛かったと思うので、今話で出た情報を以下に端的に纏めました。やっぱ慣れない三人称はいかんな……

 新情報
・黒幕は須郷。動機は嫉妬が高じた憎悪。

・とある技術提供者もグルで、そこからキリトが《織斑一夏》である事も須郷は把握済み。無論リアルも把握済み。

・最初期以降のリアル死者無しは須郷の想定外。更にデスゲーム発覚以降のアプローチは出来ていない。

・乱入の原因は須郷のサーバー連結試験と、とある剣士がとある妖精に抱いた感情が過剰過ぎてシステムの処理速度が落ちた瞬間が重なった事。どちらかと言うと連結させてた須郷が悪い。

・乱入時点では須郷はまだ原作の人体実験をしていない。

・須郷の人体実験はしていないが、記憶を読み取ったり操作する技術の臨床試験データはSAOサーバーに保存されていて、監視者が利用した=《SAO事件》以前に似た事があった。

・とある少年ととあるプログラムの接触は、偶然では無く監視者が起こしたもの。

・とある少年の事をずっと観察し、特別視して、様々な試練を課して強化していた。

・丁度良く高所落下したプレイヤー(最強)が須郷に隷属させられている。

・とある最強のプレイヤーが監視者に使役されている。

・憂う者は監視者すら気付かない特殊空間に居て、未来の経緯からとある人間を特別視している。

・憂う者はとある人間の為に、その周囲の人間も一緒に生還させようとしている。

・監視者と憂う者は、須郷を抹殺対象に入れている。

・《キー》という人物がとある場所に居る。

 うん、自分で書いてて分かり辛いと思った(笑) 伏線多過ぎィッ!

 まぁ、構想は出来てるので、あとは自分が上手く文章で書けるかが問題ですね。監視者と憂う者は原作九巻以降とゲーム《千年の黄昏》の内容を知っていたら一発で分かる。

 それから須郷について。

 ヒースクリフが真っ白である時点で察されていたでしょうが、本作のSAOをデスゲームに変えたのは妖精王オベイロンこと須郷伸之でした。初期から読んで下さった方の感想にもそれらしいのを返した覚えがあるような気もするので、それを見た方は見栄えはしなかったかもしれません。

 割と文中で須郷の経歴を凄い感じにしてますが、多分そこまで原作と変わってません、変わってるとすれば大学を卒業した就職先の事くらいでしょう。

 二次小説だと結構酷い感じにされる事が多い須郷は、スペックで言えば確実に原作キャラの中でも上位ランカーだと思うんですよね。あれで素が好青年だったら原作キリトの敗北待った無し。いや、アスナにも嫌われないだろうし、勝負にすらならないか。

 そうでなくとも須郷は本当は凄い人。実は凄い努力家って事をアピールしたかった(つまり結構な強敵感)

 では、次話にてお会いしましょう。

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