インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは

 今話もアリスとユージオ達の対話です

視点:アリス、ユージオ、アリス

字数:一万二千

 ではどうぞ




第五話 ~自己の確立~

 

 

「……言葉を喪うって、こういう事を言うのかもね」

 

 私が異界へ流れるまでの間に起きた知り得る限りの事を伝え終えた後、一番に反応を示したのは青服の青年ユージオだった。

 彼は苦虫を嚙み潰したような顔をしつつ、口元に笑みを浮かべるという器用な表情を浮かべていた。

 

「おかしいな。キリトの事はずっと幼い頃から見てきてる筈なのに、何だか別人の話を聞いてるように感じるよ」

 

 頬を掻き、僅かに俯きながら彼は続ける。

 ――彼のその言葉に、私は違和感を抱いた。

 

()()()()()()()()、ですか?」

「――――……はい。キリトは僕と同じ故郷の出身なんです、彼が一歳くらいの頃から、僕の幼馴染経由で面倒を見るようになりました。故郷は北帝国辺境のルーリッド村と言って……」

 

 ――瞬間、別の違和感。

 ドクン、と心臓が強く鼓動した。

 

「……ルー、リッド……ルーリッド……」

 

 ユージオの言葉を反芻する。どうしてか、その村の名前に意識が向く。なぜか胸の奥がざわつく。

 けれどそれはおかしな話だ。

 整合騎士として召喚された私は人界の地理について当然学んでいる。ルーリッド村が北帝国の《果ての山脈》――人界と暗黒界とを分ける山々――に最も近いという知識も備えていた。初めて聞く名でもない。

 そして召喚されて二年と経たない私に統括する地域はまだ無い。当然、執着するほどの事も無い。

 ……その筈、なのに。

 

「ルーリッド……」

 

 なぜだか、その名前を繰り返し口ずさむ。

 ユージオに抱いていた違和感が、より大きなものになっていく。

 本当はもっと別の事を聞くべきなのだ。

 今まで私は、異界の少年キリトの未来に、私が召喚された《人界》が存在し、彼が《人界》に降り立ってユージオと共に修剣学院に入学したものだと考えていた。

 しかし――その推察は、彼の言により誤りであると知らされた。

 ユージオの言葉を真実だとするなら、人界のキリトは、人界の子として生を受けた存在だ。異界の剣士と同一人物ではない事になる。

 ならば、私が実際に立ち会い、同一人物だと判断したのは誤りだった事になる。それ自体はいいのだが、次は"なぜ異界と人界のキリト達はそこまで似ているのか"という疑問が生まれる。

 剣を持ち、鍛えた年数は然して変わらない筈。だが異界のキリトが死闘を経て築いた剣腕や戦闘論理と同等のものをなぜ人界のキリトが持っていたのかは純粋に気になる。

 

 ――いや、待て。そもそも私は、なぜここまでキリトの事を気に掛けている……?

 

 ここで、ふと新たな疑問が浮かぶ。

 人界のキリトは異界のキリトとは別人だった。この事実が分かったところで何を動揺しているのか。

 人界のキリトにも彼なりの理由があって人を殺めたのには変わりない。ユージオ達の話を聞けば、彼だけが絶対悪だとは言えないのだ。別人だったとはいえ、それだけで評価を翻すことはもはや不可能。

 

 ……そう結論付けて尚、私は別人だった事実に揺らいでいる。

 

 なぜだ?

 なぜ、揺らぐ?

 整合騎士アリスは、何に対して揺らいでいる?

 

 ――それは、おそらく。

 

「騎士様?」

 

 私を見る目に、私の知らない『何か』を含ませている青年への、違和感が故。

 万事がそうとは限らない。しかし、私が知らない何かを知っている事は間違いない。そうでなければキリトを連行するべく初めて会った時の驚きようを説明できない。

 故に、いまから訊く事を決意した。

 話し合いの場を作った目的は、ユージオに対して抱いた違和感を明らかにする事だ。そのためにはまず人界のキリトの事を知らなければと思ったから先までの話をした。聊か脱線していたが、漸く本題に入るという事だ。

 

「ユージオ。訊きたい事があります」

「何でしょうか?」

「――私がキリトを連行するために修剣学院を訪れた日、あなたは私を見て、驚愕していましたね。あれは何故ですか?」

「……ひょっとして、この場を作って話したかった事というのは、その事ですか?」

 

 ユージオが眉根を寄せながら、緊張した面持ちで問いかけてくる。

 

「無論それだけではありませんが、キッカケはそれです。キリトの驚愕はまだ理解できた、罪人を連行する者という見方をしているのかと。しかしあなたの驚愕は理解できないでいる」

 

 本来なら問いに問いを返す無礼を叱責しているのだが、なぜだか今はそんな気にならなかった私は、首を縦に振って是の言葉を返していた。

 

「それに……たった今聞いた、『ルーリッド』という村の名前。更にあの人界のキリトの幼い頃を見てきているという事実。それらに私は何故か引っ掛かりを覚えています。そしてこの三つの事柄全てに――ユージオ、あなたが関わっている」

 

 はじまりはたった一つの違和感だけだった。それだけなら、それらしい答えを聞けば納得し、知らない内に忘れてしまっていただろう。

 だがこの短時間の会話で二つも違和感が増えてしまった。

 つまり私が抱いている違和感は、決して勘違いなどではないという事。

 解明しなければ、と焦燥を抱く自分がいた。

 ――異界で右眼の封を知って以降、私は最高司祭に対して小さくない不信感を抱いている。

 異界の者に教え、諭され、得た知見があるならば、普段は整合騎士と関わらない市井の者から得られる知見があってもおかしくない。

 自分も知らない内に施された右眼の封。一度は我を失い、異界のキリトに斬りかかるという蛮行をも犯した。この二つを把握している今、僅かな違和感も無視できるほどの余裕は無いのだ。

 知る手掛かりがあるなら、私は手を伸ばす。

 

「お願いします、ユージオ。あなたが私について何か知っている事があるなら、どうか話して下さい」

 

 その懇願と共に。

 私は彼に、(こうべ)を垂れた。

 

 

***

 

 

 黄金の騎士が頭を下げている。

 自身の事について話してほしいと、そう言って。

 

 ――――何なんだよ、これ……っ!

 

 その姿を見て、僕の胸中は酷く荒れていた。

 誰かに、これは夢だと、そう言ってほしかった。いっそ悪夢であった方がマシな程だ。

 『知っている事があるなら話してほしい』だって?

 

 

 ――――それは僕が言いたいくらいだ……ッ!!!

 

 

 ぎゅっと、目を瞑る。ギリリと拳を握り込む。

 胸中に、最近も抱いた覚えのある感情――怒りがこみ上げた。

 何に対してかは定かじゃない。

 けれど、少なくともだ。

 "彼女"を整合騎士にした者への怒りは間違いなく含まれていた。

 

「――いったい何をどこから、話したものかな……」

 

 時間を稼ぐ意味も込めて、呟く。

 気を落ち着かせようと。

 冷静に思考を回そうと。

 決して彼女に――アリスに、怒りの矛先を向けないように。怒りを凍り付かせて心の底へと封じ込める。

 そうして少しの間黙考した後、話をする前にどうしても幾つか確認を取っておかないといけない事があると気が付いた。

 

「話をする前に、騎士様にお聞きしたい。騎士様が整合騎士として叙任されたのは何時ですか?」

「……叙任?」

 

 僕の最初の問いに、頭を上げた彼女は訝しげに首を傾げた。

 それを見て、もしかして、と嫌な予感を覚える。

 

「ええ、叙任です。今年はエルドリエ・ウールスブルーグという方が叙任されたので、おそらく去年より前だと思いますが……」

「……ユージオ、あなたはなぜエルドリエの名を?」

「それは、整合騎士になるには四帝国統一武術大会を優勝しなければならなくて、今年の優勝者が彼だからですが……」

「は……? 優勝……?」

 

 整合騎士のなりかたは一つだけ。

 それは各帝国に存在する修剣学院に入学し、四帝国統一武術大会という各国の大会を勝ち抜いた剣士達に打ち勝ち、優勝して《セントラル・カセドラル》に迎え入れられる事。剣術と神聖術双方が優れていると認められた者だけが人界の守護者へと抜擢される栄誉を手に出来る。

 大昔からそうだった。これは学院に入学する者だけでなく、市井の誰もが知る常識である。

 ――その常識を、まるで初めて知ったと言いたげな呆け顔を彼女はしていた。

 

「そ、そんな筈は……整合騎士は、神々が住まう天界より召喚された、選ばれし騎士で……」

「ですが、僕達はエルドリエという名を知っています。人界の央都に居る人に聞けば同じ事を言う筈です」

 

 ――更に言えば、彼女がルーリッド村に行けば、きっと誰もが《アリス》という名を口にするだろう。

 その言葉を、僕はぐっと堪えた。

 大会優勝者が騎士に叙任される、という事実にすら困惑している彼女に、すぐさま真実を告げるのは流石に憚られた。

 この話し合いを始めた以上、避けては通れぬ道ではあるが。

 ……流石に、居た堪れなかった。

 

「そ、それが事実だとして……では私も、去年の優勝者という事でしょうか……?」

 

 そんな僕の気持ちを知る筈もない彼女は、瞳を揺らしながら、そう聞いてきた。

 それに否を返したのは、それまで沈黙を保っていた茶髪の少女ロニエだった。

 

「いえ、去年の優勝者はアリス様ではありません」

「そもそも……私とロニエは央都住まいなので、統一大会は毎年見に行っていましたが、アリス様のように美麗な金髪の女性剣士は見た覚えがありません」

「なっ……」

 

 ティーゼの補足に彼女は愕然とした面持ちで呻いた。

 思わず、といった風に右手で顔を覆って俯く。

 ふら、と体が(かし)いだ。咄嗟に背中を支え、ゆっくりとふかふかの長椅子に腰掛けさせる。

 

「では……では、私は……いったい……」

 

 そうして、縋りつくように隣に座った僕を見てきた。

 ――もう、言わなければならないだろう。

 誤魔化す事は出来ない。そう出来ないくらい、証言は揃ってしまった。その証言を偽りとするのも、彼女が抱いている違和感のせいで不可能だ。

 

 ――――本当に、悪夢であって欲しかった。

 

 "これ"を言うという事は。

 目の前にいる彼女を認めるという事は。

 僕とキリトにとって、何よりも辛い事が現実だと認めるという事だから。

 

「アリス・()()()()()

「――――そ、れは」

「ルーリッド村の村長の二人娘の長女。僕の幼馴染。キリトの、お姉さん代わり。そして……禁忌目録違反者の、名前だ」

「「え……っ?!」」

 

 名前を聞いて、愕然として固まるアリス。

 そして続く言葉に顔を強張らせるロニエとティーゼ。

 二人とも、貴族として幼い頃から教養を受けて賢いから、すぐに勘付いたらしい。統一大会歴代優勝者に居ないアリスがどうして整合騎士になっているのか。

 そして、彼女が僕に抱いた違和感の、その真相について。

 ……ともすれば。連行されたキリトの行く末すらも。

 

「さっきティーゼが言ったように、アリスは統一大会優勝者じゃない。本当はルーリッド村の次期村長として期待されてた村娘だったんだ。どうしてか覚えていないし、名前も変わってるようだけど」

「わ、私が……禁忌を、犯した者だった……?」

「せ、先輩……アリス様は、いったいどんな禁忌を……」

「『ダークテリトリーへの侵入』だよ。躓いて、手の平が出ただけの事だった」

 

 虚空を見上げ、かつての記憶に思いを馳せる。

 ――その光景は、すぐに脳裏に蘇った。その経緯すらも。

 夏の暑い日。食べ物の天命の減りについて愚痴を溢していた時に出た、キリトの案。おとぎ話にあった氷の洞窟から氷を取ってくるというそれを決行した日のこと。

 洞窟の奥底で白骨と化していたおとぎ話の竜。その部屋からの帰り道が、二つあった道のどちらか分からず、とりあえず進んでみた先がダークテリトリーに繋がっていたこと。

 その上空で飛竜に乗って整合騎士と暗黒騎士が戦っていて、鋭い矢を受けて暗黒騎士が落ちた時、咄嗟にアリスが手を伸ばしていて、躓いた末に手がダークテリトリーの大地についていた事。

 それが何らかの術式によって把握されていて、翌日にはアリスを連行するために、整合騎士がやって来た事。

 連れ去られたアリスの罪の免除を目的に、その頃からキリトが剣士を志し、毎日剣を振っていた事。悪魔の杉と与ばれた大木の木こりだった僕も、その数年後に切り倒し、次の天職に剣士を選び、央都へ旅に出た事。

 それらが一挙に蘇って、ゆっくりではあるが、事細かに口から突いて出ていた。

 

「僕は、そして僕以上にキリトは、必死になって勉強して、鍛錬もしてきた。その過程でライオス達といがみ合って、キリトはライオスを斬って連行される事になって……」

 

 脳裏に、また情景が蘇る。

 縄で縛られ、貴族裁決権を利用する貴族の男二人に辱めを受ける後輩の少女達。最初は毅然としていた二人も、最後には助けを呼ぶ声を上げた。当然の悲鳴であり、助けを求める声だった。

 貴族裁決権による沙汰を妨害する事は法を犯す行為であると言われ、動けなかった自分も、二人の悲鳴を聞いてじっとはしていられなかった。

 右目を突き刺す痛み。赤い視界。

 それらが、ティーゼ達の自分の名を呼ぶ悲鳴を聞いて、剣を抜いた瞬間に無くなって。

 ――一歩目を踏み込む前に、乱入したキリトに後ろへ投げ飛ばされて。

 そして、僕が斬ろうとした男達を斬った。遅れて登場した彼を嘲笑うウンベールは左手を斬り飛ばされ、禁忌違反者を断罪すると意気揚々と上等な拵えの剣を持ったライオスの一太刀をアッサリと往なし、返す刃で心臓を穿った。

 結果的に、禁忌違反者はキリトだけ。

 僕は一歩を踏み出す前だったから違反者にはならなかった。

 あの時ほど自身の決断の遅さを悔いた事は無い。もっと早く決断していれば、キリト一人が罪を負う事は無かったのだと。アリスの時と違って力を持ったからこそ、あの時から変われていない自身の内面に無力感を覚えた。

 

 ――そして、翌日。

 

 僕とキリトが整合騎士になる理由だった少女が姿を現した。

 僕達の事を一切覚えていない、冷徹な騎士として。

 

「せ、先輩……まさか、キリト先輩が脱獄したのって……」

 

 震える声で、ロニエが問いかけてくる。

 僕が整合騎士について薄々察していた事はほぼ確実にキリトも勘付いていた筈だ。禁忌違反者がどうなるかなんて、アリスの存在が答えそのものである。だから脱獄したのだろうと察し、さっき脱獄の話を聞いた時、僕は『どうやって』と手段について疑問に思った。

 アリスについて知らないロニエは、『何のために脱獄を』と疑問を抱いていた。脱獄し、カセドラルを上がっていって、その末に何を求めているのかと。

 けれど、その疑問にも答えが出た。

 

「迎えに来たのがアリスでなければ、キリトは大人しくしてたと思う。僕が整合騎士になれば目的は達せられると考えてね」

 

 だが、そうはならなかった。

 彼は知ってしまったのだ。禁忌違反者の末路――そして、整合騎士の真実について。

 

「けど、処刑を待っていたら自分も同じように記憶を弄られてしまうし、僕が大会を優勝しても同じで、結局アリスは助けられない。だから脱獄したんだ、キリトは。記憶を弄った張本人だろう最高司祭から、元に戻す方法を聞き出すために」

 

 遅まきながら僕も知ったから彼の考えは理解できてしまう。

 彼も僕も、元よりアリスに下された裁定に納得いかず、正攻法で反旗を翻していた身だ。いの一番にそれを志した彼が不法な手段で叛逆したっておかしくない。

 そもそも禁忌違反者の記憶を弄り、騎士にしている時点で、彼は公理教会が広めた禁忌目録の法を『正しい』ものとは認識していない筈だ。正しくない法なのだから従う必要は無い、そもそも正しさが無いなら不法ですらないと考えているかもしれないと思うのは、流石に過激か。

 

「記憶を、弄られ……そんな……そんな、筈は……あまりに、荒唐無稽で……」

「けど、事実なんだ。僕は今でも君を、アリス・ツーベルクという少女を連行した騎士の名前を憶えてる。その名は、デュソルバート・シンセシス・セブン」

「……デュソルバート殿が、私を……?」

「本来市井の者と関わらない騎士の名前を知ってる以上、真実だと信じてもらえる筈だよ」

「それ、は…………」

 

 僕の言葉を聞いたアリスの顔が、大理石よりも白く、蒼白になる。血の気を失った唇が戦慄(わなな)き、乾き切った呟きが漏れる。

 きっと彼女は内心でこの話を否定したいと思っている。しかし、それが出来ないでいるには、僕が話した情報に信憑性を多少なりとも感じているからだろう。

 一般の人間が整合騎士の名前を知っている事自体が異例な上に、《エルドリエ》についても知っていた。彼女が知るエルドリエも、どうやら『召喚された騎士』として認識されているようだが、記憶が弄られていればその状態にも納得がいく。

 おそらく、だが。

 禁忌目録違反で連行された者が整合騎士になった場合はその人物を連行した整合騎士の記憶も弄られる。だからデュソルバートとアリスはお互いを整合騎士だと認識し合っていて、禁忌違反の事は覚えていなかった。

 統一大会を勝ち抜いて叙任された者は、その人物の記憶だけが弄られるのだろう。そして市井に関わらせないようにして親類縁者との関係を物理的に絶ち、綻びが出ないようにされたのだ。

 仮に任務で関わるとしても、恐らく出身国――アリスやエルドリエは北帝国――以外が選ばれる。エルドリエのように統一大会を優勝し、各国に顔が知られている者の場合は、噂に聞く不老性で長命なのをいいことに何十年もの間は市井の者と関わらせないか、任務に出ても《果ての山脈》の防衛任務が精々だろう。

 その状況を、きっと誰も不思議に思わない。

 人界の民にとって"それ"は当たり前だからだ。人界の守護者たる整合騎士が果ての山脈の守護に付くのは当然だし、顔を見せない事も、それだけ忙しいからと思い、畏敬もあって疑問を挟まない。

 整合騎士にとっても同じだ。そもそも『市井の者と関わらない』という決まり事も、彼らを統括する公理教会――ひいては最高司祭の指示であれば、否と返す筈も無い。よしんば疑問を抱いても、やはり畏敬と共に従う筈だ。

 きっと、そうして人界は三百年余りの年月を刻んだのだ。

 

「……もしや、ユージオがキリトを幼い頃から知っている事に引っ掛かりを覚えたのは……私が本当に、ルーリッド村の生まれだから……?」

「更に言うなら、最初にキリトの面倒を見ていたのがアリスだったからのものあると思う。アリスの父親の弟が、キリトの父親だったから」

 

 キリトは両親を流行り病で亡くし、教会に引き取られた子供だった。珍しい黒髪黒目を気味悪がった親戚が引き取らなかったからである。しかし男勝りな性格だった少女アリスは特段気にせず、教会の修道士の代わりに面倒を見ていた。

 そのつながりで自分も面倒を見るようになったのである。

 

「父……」

 

 懐かしいなと思っていると、アリスがそうポツリと呟いた。顔は青白く、表情も暗いが、心なしか先ほどよりは心ここにあらずといった感が薄れている。

 僕はここだと思った。アリスが僕の言葉を受け入れてくれるか否か、その瀬戸際だと。

 キリトが姉代わりのアリスを強く求め、カセドラルで幾人もの整合騎士を破るほど強くなったように、家族の情というのはとても強いものなのだ。切ろうとしても切れない強い繋がり。

 それを信じ、賭けに出た。

 

「君の家族は三人いる。お父さんはガフスト・ツーベルク、ルーリッド村の村長だ。母親はアンナ・ツーベルク、料理が上手で優しい人だったよ。そして最後は君の妹、セルカ・ツーベルク」

「――セ、ルカ」

 

 ピク、と明確に反応があった。自身の信じていた者を信じられなくなっている今の彼女が、それでも無自覚に、忘れていても無意識に求めている存在。

 それはどうやら、彼女の妹――セルカ・ツーベルクのようだった。

 

「セルカはお姉さん思いのいい子で、教会の修道女見習いをしてる。同じ修道女見習いで、神聖術の天才って呼ばれてたアリスの後を継ごうと、一生懸命頑張ってる子なんだ」

「――――セルカ」

 

 そこから更に、少ないながら知っている事を話そうとした時、アリスが再び声を発した。

 

「セルカ……」

 

 続けて、もう一度。

 そうして、これまで俯いていた顔が持ち上がり、彼女は虚空を見た。

 そこにある筈のものを探すかのように、じっと虚空を見据えている。

 

「……思い出せない。顔も。声も。思い出も……けれど、この名前を口にするのは、初めてじゃない。私の口が……心が、憶えている……」

「……アリス」

 

 思わず息を呑みながら名前を呼ぶが、彼女に僕の声は聞こえていないようで、尚も密やかに言葉が続いた。

 

「何度も、呼んだ。毎日、毎晩……どことも知れぬ場所で、一人で……泣いて…………セルカ……」

 

 そう呟くアリスの目尻に透明な液体が珠となり、頬を伝い、零れ落ちる。涙はあとからあとから湧き出して、木張りの床へと落下し、かすかな音を立てる。

 

「本当、なのね……私に、家族が……父と、母と……そして、血を分けた従弟と、妹が……人界にいる……!」

 

 戦慄き、震えながら、アリスは認めた。

 自身は人の子だと。家族がいると。記憶を消されたのだと。涙と共に認め、忘我していた悲しみと郷愁とに駆られている。

 他者の手によって忘れさせられていたのだから、その悲しみは、自ら忘我していた場合よりずっと深い筈だ。

 それが激しい嗚咽となって表れた少女を、僕は背中をさすり、あやす事しか出来なかった。

 

***

 

 ユージオに抱き留められ、背中を擦られる中、私の胸中と思考は千々に乱れ判然としていなかった。

 彼から齎された話は、正に青天の霹靂だった。人界に於ける常識とは整合騎士にとっての非常識そのもので、到底受け入れられる話ではなかった。

 常であれば虚言と断じて取り合わなかっただろう。

 しかし、彼はデュソルバート殿の名を知っていた。つい一月前に名を連ねたばかりのエルドリエ・シンセシス・サーティワン――彼曰く、ウールスブルーグという名の貴族である男――の存在も把握していた。それぞれの記憶が弄られ、市井の者との関わりを最小限にして『整合騎士への叙任』という統一大会の意義の露見も防いでいたと考えれば、おおよそのつじつまが合うと自分も思った。

 

 何よりも、脳裏を掠める情景が真実だと突きつけてきた。

 

 彼方に山脈が連なる青々とした空。

 見た事もない村落の光景。

 顔は見えず、姿も朧げな、自身より大きな村の人々。

 『■■■■』と呼び慕う、知らない筈の、小さな少女。

 知らない筈だ。

 見た覚えはない。

 声を聞いた覚えもない。

 アリス・シンセシス・サーティにその記憶はない。

 

 ――けれど、それを『偽り』だとは、どうしても言えなかった。

 

 騎士として目覚める二年前よりも前の『騎士でない自身』がそうさせた。自分のものとは思えない衝動が、脳裏を掠める幻影を求めていた。

 その正体が何であるかは、ユージオの話で分かっていた。

 だからこそ、まざまざと理解させられる。

 

 私は、《アリス・ツーベルク》という少女から体を奪い、少なくとも二年は不当に占拠してきたのだと。

 

 《アリス・シンセシス・サーティ》は、最高司祭に造られただけの……――――

 

「うぐ、ぅ……うぅぅ……っ!」

 

 思わず声が漏れる。

 胸にこみ上げるのは怒り。

 それは論理立った義憤ではなかった。ただ衝動的な感情だった。それが少女ツーベルクのものか、あるいは騎士としてのものなかすら、最早定かではなかった。

 ――ズキズキと痛む右眼の視界が赤く染まる。

 更に、左の視界には紫の光が入って来た。光源は――私の額。

 

「あ、アリス、なんだいこれ?! 三角形の柱みたいなのが出てきたけど……!?」

 

 驚き、慌てるユージオ。

 その様を、どこか冷静な思考で見ながら、私はソレ――紫紺に輝く三角柱こそが、我を失いキリトに斬りかかった原因であると直感的に悟った。

 

 

 

 ――――アリスちゃん

 

 

 

 どこからか、声が聞こえてきた。

 無垢な清らかさと、成熟した美麗さを同時に含んだ声が。

 誰よりも畏怖を向ける、怜悧な声が。

 

 

 

 ――――私のかわいい、アリスちゃん

 

 

 

 ――――戻ってきなさい。あなたは、私の大切な騎士なのだから

 

 

 

 ――――さあ、ほら

 

 

 

 ――――騎士の務めを、果たしなさい

 

 

 

 声が、聞こえる。

 忘れるなと。

 騎士であれと。

 脳裏に浮かぶ紫銀の美女が、薄く微笑んだ。

 そうして、紫紺の輝きがより鮮烈になり。

 比例するように、頭の中が少しずつ軽くなっていく。

 

 

 

 掠めていた脳裏の情景が、薄れていく。

 

 

 

 ――ふざける、な……ッ

 

 ――もう二度と、忘れてなるものか!

 

 ――私の愛するものを、守るべきものを、忘れさせてなるものか!

 

 

 

 それを知覚した瞬間、私は反発した。

 薄れゆく情景を。

 忘我していた、その記憶を。

 《アリス・ツーベルク》の存在を。

 もう二度と、手放さないために。

 

 

 

 ――――戻ってきなさい、アリスちゃん

 

 

 

 ――――大丈夫、何も心配いらないわ

 

 

 

 ――――あなたは騎士、人界を守る守護者

 

 

 

 ――――それ以外は何も要らない、悲しみなんて必要ない

 

 

 

 ――――だから、忘れてしまいなさいな

 

 

 

 ――――私の可愛い、大切なお人形

 

 

 

 ――――かわいそうなアリスちゃん

 

 

 

 そう、紫銀の美女――最高司祭アドミニストレータの幻影が酷薄に微笑んだ瞬間、それまでとは段違いの激痛が右眼を貫いた。ビクンッ! と全身が痙攣する。

 ユージオ達の慌て、心配する声が聞こえるが、それに反応する余裕は無かった。

 額からせり出した三角柱の輝きは未だ衰えていない。むしろ、徐々に強くなっていっている。呼応するように脳裏から徐々に記憶の情景が消えていく。

 

「あ、あ……あああぁぁぁああああああああああ――――ッ!」

 

 それが、酷く心をかき乱す。

 己を律していたものが崩れていく。

 騎士としての責務。誇り。自負心。それらが植え付けられた偽りのものだと知り、真実を知り、過去を思い出していたところで、それを失っていく。それが恐怖となって心を侵す。

 

 

 ――"いや、忘れたくない……!"

 

 ――"お■様、お母■!"

 

 ――"ユー■■……■リト……!"

 

 ――"■■カ……!"

 

 

 そうして、ふとした瞬間に脳裏に記憶がよみがえった。

 いまの私のように頭を押さえ、涙を流し、取り乱しながら何かを叫んでいた。明瞭ではないが、口にしているのは誰かの名前だと直感的に思った。

 おそらく、心に刻まれた、恐怖の情景だ。『ダークテリトリーへの侵入』という禁忌目録違反で連行されてからの処刑――記憶を改竄されている時の、過去の私。《アリス・ツーベルク》の最期の光景。忘れていく事への恐怖を味わっている瞬間の出来事。

 いま正に、《アリス・シンセシス・サーティ》も味わっている恐怖である。

 

「アリス、しっかりするんだ! アリス!!!」

「ッ……!」

 

 ――けれど、その時との違いは一つある。

 それは、(アリス)と想っている人が、傍にいる事。

 《アリス・ツーベルク》には申し訳ないが。

 とても、心強かった。

 私は右眼の激痛と、思考を侵されるのに耐えながら、ユージオを見上げた。彼の青い瞳に映る私の顔は、額は紫紺の三角柱が輝き、右眼は深紅に染まっているなど醜悪な有様だった。それ故か彼の表情も苦々しいそれになっていた。

 

「ユージオ……私を、しっかり押さえていて」

「え……?」

「いいから!」

 

 呆気に取られた様子の青年を急かすと、彼は慌てて頷きながら私の両肩を持ち、強く押さえ込んだ。

 それに感謝の念を抱きながら、私は長い金髪を一振りすると、昂然と虚空を仰ぎ見る。屋内ゆえに屋根が天を覆っているが――私の焦点が結んでいるのは、遥か彼方の光景。

 妖精郷ではなく、人界の中心に立つ白亜の塔、その最上階。

 そこにおわす、人界の統治者。

 脳裏に浮かび続ける、紫銀の幻影その人だ。

 私はその人を見据えながら、大きく息を吸い込んだ。

 

「私は、人形ではない!」

 

 第一声。それは叛逆の狼煙に等しいものだった。

 痛みが増し、紫紺の輝きが増し、思考が侵される。心が揺れる。

 ――しかして尚、私の意志は保たれた。

 この身を抱く青年の熱が、(アリス)を支えてくれていた。

 紫銀の幻影が、僅かに眉根を寄せた。

 

「確かに私は、整合騎士として造られた存在かもしれない! でも、私にも意志はあるのです! 記憶も、感情もある! 何一つとして忘れたいものではない! 私は、人形の騎士ではない!!!」

 

 

 

 ――――人形であることをやめたところで、それはただの"壊れた人形"よ

 

 

 

 ――――その原因は、あなたの記憶と、その感情

 

 

 

 ――――だから、忘れなさい?

 

 

 

 ――――いつまでも綺麗なお人形でいられるように、くだらない苦しみは、忘れさせてあげるから

 

 

 

 紫銀の幻影が酷薄に微笑み、すっと手を伸ばしてきた。うっすら透けた指先が三角柱に触れる。

 その途端、一際強い輝きが放たれ始めた。

 ――それでも、私は幻影を見据え続ける。

 痛みで気絶しそうだった。けれど、もしここで気絶すれば、私は永久に変われないという確信があった。

 (アリス)にとって、それこそが真に恐怖する事だった。

 だから耐えた。耐えられた。傍にユージオが居たから。脳裏に、未だ妹の影があったから。妹を求める衝動を、憶えていたから。

 紫銀の幻影が、初めて明確に顔を顰めた。

 

「最高司祭アドミニストレータ! 人界の統治者よ! 私は、私の為すべき事を為すために……あなたと、戦います!!!」

 

 

 

 ――――かわいそうな子

 

 

 

 私の決意に、紫銀の幻影はそう言った。

 瞬間、額の三角柱がパキィンッ! と音を立てて割れ、右眼から真紅の輝きが光の柱となって迸り、血の飛沫がユージオの青い制服を汚した。

 ――私の意識は、その直後に途絶えている。

 

 






 はい、如何だったでしょうか

 今話はアリスのボトムアップ型AIの限界突破のお話でした

 原作だとカセドラル外壁にて原作キリトとの対話で起きた事ですね

 キリト関係が原作と違ってるので幾らか差異がありますが、原作でもユージオが対話してたらこんな感じになったと思うんですよね……人界人同士の会話なので、右眼の封印(コード871)の認識が違ってますが


Q:額の三角柱はなに?
A:敬神(パイエティ)モジュール
 整合騎士化する際に埋め込まれる物。『記憶を奪われた魂』と『造られた記憶および行動原則』を統合し、新たな人格を形成する要。整合騎士が最高司祭に従うのは、右眼の封やフラクトライトの原則だけでなく、この統合人格の根底に『服従』の指示があるため
 原作14巻にて、このモジュールはアリスに埋め込まれ機能したままである事が、アドミニストレータのセリフから分かっている
 アリリコではこの『服従』の指示がアドミニストレータの心意を介して励起され、一時的に洗脳状態になった整合騎士がキリトと戦う事が何度かあった。この時は三角柱水晶が額からせり出して紫に輝いている
 今話でアリスに話しかけていた幻影はアリリコのオマージュ
 なお原作だと幻影の描写は無い


Q:アリスは何故『服従』コマンドに逆らえたの?
A:『服従』励起前からユージオが傍にいて、①~④を満たしていたため
 ①本作ではSA:Oの未完アインクラッドで一度経験済み
 ②①の状況でキリトに襲い掛かった時の事を自省している
 ③公理教会と最高司祭への不信感があり、更にユージオから整合騎士の真実について聞かされ、従う事に意義と正義を見出せていない
 ④《アリス・ツーベルク》としての衝動を、アリス自身が自覚した

 仮に未経験だったら、最終的に抗えたとしても、ユージオ達に剣を抜いていた可能性が高かった


・アリス・シンセシス・サーティ
 敬神(パイエティ)モジュールと右眼の封印を両方破った未来のボトムアップAI
 原作と違い人格統合の要を失ったが、自らの意志で自立した結果なので廃人化はしない
 途中でユージオがモジュールを抜いたり破壊したりしたらフラクトライトが傷ついて原作キリトのように廃人化していた
 以前の記憶を塞いでいたものが無くなったので原作以上に昔の記憶をデジャブとして思い出していくでしょう

 ――つまり腕白お姉さんっぷりが増すという事だ!

 セルカとキリトを纏めて可愛がる描写をいつかしたいですね


・セルカ・ツーベルク
 ルーリッド村村長の二人娘の次女
 年齢はアリスと5歳差なので、ユージオ達が来た時点で14歳。人界キリトの従姉で2歳上のお姉さん
 教会で修道女見習いとして住み込みで働いている
 アリスが無意識に求めるくらい愛していた妹
 原典ゲームのアリリコ、ラスコレでも大活躍している。暗黒界にまで出張し、賢者カーディナルの助手と癒しになってるとかいう凄すぎるサブキャラ


・ユージオ
 存在が特効薬な青年
 アリスが無事に限界突破出来た最たる理由。ユージオの素直な反応があったからこそ、この結果に漕ぎ付けた
 実はアリスがキリトを連行するべく現れた時点で整合騎士の真実について色々察していた
 右眼の封印は既に破った後なのと、キリト連行から間もないストレスが重なり、内心は結構ぐちゃぐちゃ
 整合騎士の怪力で肩を掴まれてるので痛いが気合で我慢してる


・ティーゼ・シュトリーネン
 ユージオの傍付き練士
 色々と衝撃の真実を知り過ぎて空気になっている
 これまでキリトとユージオが剣士を目指した理由を知らなかったが、これは確かに誰にも話せない事だと納得
 右眼が痛み始めている


・ロニエ・アラベル
 人界キリトの傍付き練士
 色々と衝撃の真実を知り過ぎて空気になっている
 連行された後の末路を知り、それは先輩も脱獄するな、と納得している。それはそれとして武器も無いのに牢を破るわ整合騎士に真っ向から打ち勝つわととんでもない所業に眩暈もしている
 右眼が痛み始めている


 では、次話にてお会いしましょう


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