インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは

 久しぶりのキリト優柔不断回。なぜ優柔不断かは
https://syosetu.org/novel/100615/249.html
 を見直せば分かるかと

視点:キリト

字数:約一万

 ではどうぞ




第四十三章 ~紡がれた”光”~

 

 

 闇の剣風が吹き荒ぶ。

 大質量の剣身から迸るその闇は、ティアが抱く負の感情と共鳴したこの世界の闇の部分。アインクラッドのプレイヤー達、そしてNPC達が抱いただろう負の塊だ。

 前者にはまだ耐性がある。ホロウを介してそれを感じ、それに克った経験がある。

 しかし後者に耐性は無い。なまじティアに共感し、心を許せる部分があるだけに、油断してはこちらも染められかねない程に危険だ。

 ――ティアが”闇”に完全に呑まれてから一分足らず。

 そのわずかな時間でも、瞋恚で強化されたティアの膂力の凄まじさはまざまざと感じられた。剣を受ける度に吹っ飛ばされていては否応にも知れるというものだ。未完エリアのあちこちを飛び回りながら剣を交える中、幾度肝を冷やしたか。

 

「――――ッ!」

 

 無音の中に含まれる、裂帛の殺気。

 それを感じ取り、咄嗟に身を捻る。直後、自身の上半身があったところを風を切りながら闇の大剣が過ぎ去った。直撃は免れたが、闇の余波により俺はまた大きく吹き飛ばされる。

 空を飛ぶ中で、(クラ)い瞳と視線が交わる。

 闇に鎖されたその眼を見て、いよいよ諦念が胸中に浮かび始める。

 今のティアはさっきまでと違い復讐心に衝き動かされている。ティアの心の奥底にある感情が励起、増幅され、抑えきれない程に大きな衝動となっているのだ。こちらの声が届いたとしても、優先されない程に。

 なにより、ティアはその衝動と願望を『使命』と表現した。

 俺はその心境を知っている。それ以外の道が無いと思い込んだ結果、迷い込んでしまった迷路の果てだ。

 ――問題は、それがティア自身の答えでないという事。

 アインクラッドの負の遺産(クラウド・ブレイン)。もとい瞋恚によって、今のティアは暴走してしまっている。直前の苦しみようはヴァフスがスリュムに憑りつかれた時の様子に酷似していた。自我があるようには見えないから、精神状態は暴走した時のセブンか、ホロウに近いかもしれない。

 とどのつまり、もうHPを削り切る――要するに殺す――しか方策は無いという事。

 なにしろこれまで瞋恚によって敵対した相手は全て斬り捨ててきた。それ以外の解決手段をした事がないため、どうすればいいか分からない。

 斬り捨てる事そのものは簡単だ。少なくとも、ホロウやヴァフスらに比べればまだ容易い。

 だが――それをすれば、恐らくティアは死ぬ。

 ヴァフスの時と違って躊躇いがあるのは、一緒に過ごした時間があるからだ。だから俺は未だ躊躇している。

 

 ――だが、もう終わりにしなければならないだろう。

 

 闇に呑まれて一分強。受けに徹し、様子を見てきたが、ティアの状態に変化は見られない。むしろ放出される()が強力になってきている印象すらある。

 つまり負の側面に成長している。

 これ以上時間を掛ければ、手に負えなくなってしまうかもしれない。

 あるいは、俺の事など捨て置いて、祈りを捧げに向かうかもしれない。復讐の成就を最優先にすれば必ずそうするのだ。

 俺が躊躇えているのも、ティアにその素振りが見て取れないから。

 だが負の方向に進んでいるなら、必ず……――――

 

「チィッ……!」

 

 激しく舌を打つ。小さく頭を振って思考を振り切り、意識を戦闘へと向け直す。

 ティアはまだ俺を追いかけて来ている。吹き飛ばした俺を追って、未完エリアのそこかしこに浮く小さな浮島を経由し、飛び移ってきているのだ。

 街からここへ移動してきた方法――恐らく闇の回廊――も使える筈だが、そうしないという事は何らかの制限があるのか、あるいはそれを使うだけの思考すらも保てなくなっているのか。

 憎しみに囚われ狭窄した視野と思考は、俺を捉え続けているようだ。

 

 ――つまり、俺に集中させ続ける必要がある。

 

 ティアを殺さなくていいケース。それはすなわち、祈りを捧げに行かない場合。俺はその思考を持たせないよう限界まで引き付ける算段を付けた。

 俺の立場を考えれば、さっさとケリを着けて、キリカ達の下へ向かうべきだろう。

 そうしないのは単に俺の我儘だ。糾弾されても、文句は言えない。

 ……だが。

 一人くらい、居てもいいと思うのだ。

 人を憎み、世界を怨むその叫びを、受け止める誰かが一人くらい居たって。

 ティアを見限るには、まだ早い。

 

()()()は……」

 

 その叫びを受け止めなければ巫女は祈りを捧げる形に切り替えるだろう。

 そうさせないために、俺は()を執った。

 

(つるぎ)で出来ている――――!」

 

 ――直後、周囲に無数の武器が現れる。

 【無銘】に積まれている武器。三種の試練の間に手に入れた武器。あるいは、ラストバトルで仲間達が遺した武器。

 それらを瞋恚で操る。

 元々積まれていた武器達は周囲に浮かべる。知る人が見れば、デスゲームの闘技場に出てきたボスを想起するだろう。

 試練の内に手に入れた武器の数々は空中に浮かべ、いつでも剣弾として放てるようにする。

 仲間達の遺品は周囲に()()()()()

 ――気付けば空には(心象)(風景)が再現されていた。

 巫女がその場に降り立つも、闇に侵食されないその大地で、俺と巫女は対峙する。

 

「これは……」

 

 警戒の色を見せる巫女に、俺は右手に握る魔剣を突き付けながら口を開いた。

 

「デスゲームを乗り越え、世界と対峙する俺の背負うモノ。復讐を願うティアが何れ対峙するモノだ」

 

 そう言って、周囲に視線を巡らせる。

 草原に突き立つ武器達にはそれぞれ使い手がいた。俺はその使い手達の技術を読み取り、己のものとして再現する事が出来る。それが試練中のドロップ品との大きな違い。

 遺品の数だけ戦い方がある。

 ――復讐のためには、その全てを超える必要がある。

 おそらく、それに際限は無い。果てなど見えない。

 故に、無限。

 

「見ての通り、お前がこれから対峙するのは無限の剣。果てなど無い死闘の極致。それでもまだ、復讐を為すと言うのなら――恐れずして掛かってこいッ!!!」

 

 気勢のまま啖呵を切る。

 これは挑戦状だ。復讐を自ら止め、別の道を歩んだ者が送る、復讐の道を進まんとする者への挑戦状。この程度も超えられなければ復讐の成就など夢のまた夢という言外の挑発。

 復讐者は、これを無視できない。出来る筈がない。己の道を阻む者として堂々と名乗りを上げた者を無視して、本命を殺せるわけがない。

 

「キリト――――ッ!!!」

 

 だから、ティアは反応した。

 狭窄した思考では、祈りに向かう方が確実という考えが浮かばない。浮かんだとしても、感情的になっている今は論理的な思考が出来ず、優先度を見誤る。

 今は己の道を妨げる敵を排除する事が何よりも大事になっている。

 己の主張に異を唱えられ、冷静さを保てる者は数少ない。

 長く生き、経験を積んでいない者なら尚の事。

 

 ――内心で、ごめん、と謝罪する。

 

 相手は中枢へ向かった仲間達。追いつくのはもう少し後になりそうだから、謝罪の念を飛ばした。

 そして、俺は地を蹴り、距離を詰める。

 交差した二刀で真っ向から大剣を受け止める。今度は吹っ飛ばされず、その場に踏み留まった。くっ、とティアが歯噛みする。

 そんな彼女に、俺は笑みを向けた。

 

「足を止めると、良い的だぞ」

「――っ!」

 

 そう忠告すると、一瞬で険しい面持ちになったティアが大きく飛び退いた。

 直後、ティアがいた場所を数本の剣と槍が着弾する。

 瞋恚を込めていない(ただⅩⅢの登録武器を召喚した)ので当たっても闇に弾かれていただろうが、ティアにそれが分かる筈もないので、回避するのは無難な選択だ。少なくとも外れではない。

 ――だが、最善とも言えない。

 ティアが持つ遠距離攻撃手段の数はかなり少ない。ほぼ”闇”任せの一撃で、実質一種類のみ。

 近距離では”闇”を介し、SAOにいたプレイヤー達の技術を使って来る。こちらもそれは出来るのでほぼ互角。

 であれば、有利不利を明確に決めるのは遠距離攻撃手段になる。

 そして距離を開ければ不利になるのはティアだ。

 

「さぁ――死に物狂いで挑むがいい!」

 

 それでも俺は容赦しない。真っ向から叩き潰して諦めるならそれで良し、そうでなくともティアの意識をこちらに向けられるなら順当と言える。

 兎にも角にも、ティアの狭窄した視野に俺という存在を留め続けなければならないのだ。

 指揮棒のように魔剣を振るう。呼応して、数十本の剣弾が波状となって降り注いだ。

 ティアは自身に当たる剣のみ弾き、他は軽やかな足取りで躱し、こちらに距離を詰めてくる。流石に他者の経験を読んでいるだけあって動作はスムーズだ。第二波を放つも同じように捌かれる。

 

「はぁっ!」

 

 鋭い呼気と共に大剣を振り下ろしてくる。半歩分下がって躱すが、返す刃で斜めに切り上げてきた。魔剣を持ち上げ剣身に滑らせるようにして往なす。

 ――そこで、ティアが更に一歩踏み込んだ。

 切り上げた大剣の持ち手を返し、大上段からの振り下ろしを放ってくる。

 

「ッ……!」

 

 鋭く息を吸うと同時、二刀を交差し、その一撃を止める。眼前に大剣の刃が迫る中、剣身から溢れる”闇”が顔を吹き付けてきた。ばさばさと互いの髪や服がはためく。

 競り合いは続く。

 こちらの刃を砕かんと、二刀から伝わってくる圧が徐々に強まる。ギシギシと剣身が軋みを上げていた。

 

「――ァァァァアアアアアアアッ!!!」

 

 その均衡が、崩される。

 ティアの咆哮に呼応して噴き出る”闇”も強くなった。同様に圧力も増し、バヂィッ! と稲妻のような音と共に二刀が弾かれる。

 そのまま闇の大剣が振るわれた。

 再現された草原が焼き払われる。闇に蝕まれたそこは赤黒く変色し、徐々に朽ち果て、塵となって消えていく。俺は爆発に吹っ飛ばされながら、草原に突き立てていた遺品を回収した。

 回収を済ませた後、ティアに視線を向ける。

 ティアは朽ちていく草原にまだ立ち続けていた。腰だめに構えた大剣からは、絶えず闇が迸っている。

 

「――――!」

 

 (とお)()にも分かる気迫と共に大剣が迫る。切っ先からは延長線上にあるもの全てを斬るように闇が伸びていた。

 攻撃の軌道上にいる俺にそのまま攻撃を受ける気など勿論無い。イメージを練り、風を操って吹っ飛ぶ方向を変え、そのまま闇の斬撃を回避する。

 お返しに剣弾を幾つか放つが、やはり躱されて終わりだ。それなりの速度で放っているが、やはり中身はAI、反応や演算速度は人間の俺よりも上である。

 ――ならば、選択肢を狭めるまでだ。

 打てる手数を増やさせないために俺は剣や槍、斧、短剣などを雨あられと降らせる。

 次いで、魔剣と聖剣を懐かしい黒鋼の弓に持ち替え、瞋恚を込めながらドロップ品の剣を矢として番えた。キリリ、と弓の両端が軋みを上げ、弦が伸びる。指を離すと、ごぉっと黒と白――二色の極光の帯を引きながら剣矢が飛翔した。

 躱し、往なし、駆け抜ける最中に迫った極光の矢は、正確に大剣の芯を捉え、ティアの手元から弾き飛ばした。瞋恚によって武器の形を細剣から刀、片手剣、両手剣と変化させていたが、元となる武器を喪えばどうしようもないのは明らか。

 

 ――さて、どう出るか。

 

 新たに呼び出した剣矢を番えつつ、俺はティアの次の行動に意識を集中させる。

 剣を喪ったティアを殺す事は容易い。だがそれを俺が望まない以上それは論外だ。すなわち俺は無手のティアにそれなりの脅威を感じさせつつ、死なない程度に立ち回らなければならない。

 この場合最も楽なのは、ティアは剣を取りに行こうと動き、俺はそれを妨害するように立ち回るケースだ。

 そして最も危険なのは、瞋恚による遠距離攻撃に頼る場合。

 ”瞋恚”を使うには強い負の感情を維持し続ける必要がある。俺のように自覚し、且つそれを超克しているならまだしも、そうでないティアにとっては常に劇薬を使い続けているようなもの。プレイヤーで例えるなら、電子ドラッグを使って自己を強化しているのと同じだ。

 だから出来る事なら剣を取りに向かってほしいと思った。

 

「ああぁぁぁああああああああああッ!」

「――まぁ、そうなるよなぁ!」

 

 しかし、その願いは叶わない。

 だがそれは当然だ。剣に頼っても敵わない相手に、剣で挑もうとするのは愚の骨頂。瞋恚という強力な攻撃手段を持つならそちらを使おうとするのは必然だった。

 闇を更に纏ったティアは、右手を突き出した。するとそこに集約した黒い塊がごぅっと唸りを上げて空に浮かぶ俺に迫る。

 瞋恚の攻撃は、瞋恚でしか対処不可能。ましてティアが使うそれは俺と完全に相反するモノ。

 間髪を入れず、俺は弓に番えていた剣矢を放った。極光を纏う矢が闇の塊と衝突し、一瞬の拮抗を挟んで穿ち貫く。

 その一瞬の間に、ティアは次の手を打っていた。

 その手には剣が握られていた。さっき弾き飛ばした大剣ではなく、俺が剣弾として放ったドロップ品の一本だ。咄嗟に呼び戻そうとするが、それが功を奏した様子は無い。

 その代わりとばかりにドロップ品の剣の表面には赤黒い線が走った。

 それを見て何をされたか悟る。

 

「『強奪(スナッチ)』か……ッ!」

 

 アインクラッド第五層にて数多くのプレイヤーを苦しめ――正式サービス(デスゲーム)版に於いても、その恐ろしさを遺憾なく発揮した敵Mob専用の特性『強奪(スナッチ)』。原則プレイヤーが使えないのは、盗ったアイテムの所有者情報を強制的に書き替えるという犯罪行為確定の性質にある。

 装備タブを通していない装備品やアイテムの類は地面に設置してから五分、装備アイテムは一時間を経て、装備者情報が自動的に消去される。

 この情報がある間のみ、究極の救済手段で遠隔からの回収が可能だ。

 《ⅩⅢ》の武器召喚とその回収のロジックは、この所有者情報を使ったロジックだったりする。

 しかしそれをどうにかしてしまうのが『強奪(スナッチ)』なのである。

 敵Mob限定技なので、敵対していようとNPCが使えるものではない。それはエルフ族などの亜人タイプも同じ。彼らは選択によってプレイヤーの味方にもなり得るからだ。

 だからティアが使える筈はないのだが――――今のティアは、瞋恚によってシステムの上書きを引き起こせる状態だ。あの闇で剣を侵蝕させ、情報を乗っ取ったのだろう。だからあの剣を回収しようとしても出来なかった。過程は違えどしている事は同じなのだ。

 想定の斜め上の行動をしたティアへの警戒度を数段上げる。その間に、あちらは練り上げた闇を足に集約させ、一足飛びに俺に飛び掛かってきていた。

 それは俺に届く前に剣弾で撃ち落とす――が、平然と着地し、続く二波、三波を強奪した剣で叩き落としていく。

 当たり前の話だが、時間を掛ける毎に厄介さが増していっている。瞋恚の扱いに至っては過去それに呑まれた面子でも一、二を争うレベルで巧いのではと思う。侵蝕する闇も相俟って学習速度が半端ではない。

 

 それだけ、深く浸食されたという事だ。

 

「――――……は、ぁ……」

 

 薄く、息を吐く。

 ――思った以上に、進行が速い。

 元々抱いていた負の感情が強ければ強いほど、負のクラウド・ブレインとの親和性も高くなり、進行も速くなるのは想像に難くない。

 それはつまり、俺が諦めなければならないラインまでの到達も速いという事。残された時間も少ないという事。

 そして、ティアが翻意してくれる可能性も低いという事。

 

「あまり……したく、なかったんだがな」

 

 これまで負のクラウド・ブレインに呑まれた者達との戦いは単純でよかった。

 セブンとヴァフスはただ倒せばよかった、前者は死なないし、後者は死が誉れのような価値観の種族だったから後腐れがない。ホロウに関しても、どちらかが死ななければならない血戦だったので後悔はない。

 だが、ティアは違う。

 今のティアは、在り方も意志も捻じ曲げられ、己を喪った状態。ヴァフスともホロウとも違うのだ。

 だから助けたかった。

 ……だが。

 

 ――いい加減、諦めるべきか

 

 いよいよもって、無視できないくらい強い諦念を抱いてしまう。

 これまでの経験上、正気に戻すには勝たなければならなかった。だが今回の場合、勝てばティアは死んでしまう。死なないよう助け出す方法が分からないから時間を引き延ばす。

 出来ることなら己を取り戻して欲しいと願うばかり。

 ――ぎり、と取り換えた魔剣、聖剣の柄を強く握り締める。

 これほど己の無力を呪ったのは久しぶりに思えた。

 怒りに手が、肩が、息が震える。叫び出したい衝動を堪えながら地面に降り立った俺は、訝しげに見てくるティアを睨みつけた。

 ――ちゃんと睨めているか、自信は無い。

 きっと、何かが欠けた表情だろう。この喪失感はあの世界で何度も味わったもの――

 人を殺すと決めた時の感覚だ。

 

「――――往くぞ、ティア。俺はお前を――」

 

 そこで、一拍を挟む。

 息を呑む。

 震える心に鞭を打つ。

 ――そうして、早々に諦めようとする。

 

だが、奇跡が起きた。

 

「――……ぁっ」

 

 ティアが小さな声を発した。そう認識したと同時に彼女から発せられていた闇が薄く霧散していき、ティアの体がぐらりと(かし)ぐ。

 

「……ティアッ!」

 

 一瞬の戸惑い、躊躇いがあった俺は、しかし縋るような思いで一歩踏み出した。一歩目を出せば後は簡単で、完全に倒れる前に駆け寄って自身より大きな体を受け止める。

 横に抱えながら寝かせた俺はティアの顔を覗き込んだ。

 瞑目し、眠るように落ち着いた表情だ。

 瞋恚――闇はもう放出されていない。安直に考えればティアが自力で瞋恚を振り切ったとも考えられるが、彼女の銀色になった髪、大人と遜色なくなった体型を見るに影響はまだ残っているので、油断はできない。

 これで目が覚めた時、ティアの自我が戻っているかは最早賭けだ。

 思わず顔を顰めてしまう。縋りたい希望が目の前にあるのに、簡単に信じてはならないと叫ぶ自分もいて、その板挟みに胸が苦しくなった。

 

「――……キ、リト?」

 

 ふと、自分の名を呼ぶ小さな声が耳朶を打った。

 意識を思考の海から外し、抱えている相手に向ける。腕の中で横たわるティアはパッチリと目を開いて俺を見てきていた。さっきまで向けてきていた敵意や殺意、憎悪の感情は欠片も感じられない。

 瞳の色は、紅から青――――元の色に戻っていた。

 

「ティア……か?」

 

 目覚めるのが思った以上に早い事に動揺しつつ、静かに問いかける。

 それに、ティアも静かに頷いた。

 ――”闇”は、やはり無い。

 容姿が今以上に戻る様子は無いが、ヴァフス〔オルタ〕の前例があるのでこれに関する驚きは然程無い。ある意味安定していると言えるだろう。

 無論、精神的にはどうか不明だが。

 

「気分はどうだ? ……自分が何をしていたかは、覚えているか?」

「……覚えてる」

 

 そう肯定を返したティアは、でも、と言葉を続けた。

 

「直近の戦ってた記憶は無い。途中からのあれは、私じゃないから」

「そうか……」

 

 むしろ途中までは覚えているのかと感心半分、呆れ半分で応じる。

 そこでふと疑問が浮かんだ。

 

「ん? ちょっと待った。()()()ってどういう意味だ? 覚えていないのに自分だった時とそうでない時の区別がどうして付いてる?」

「視てたから」

「……んんっ?」

 

 端的というか、今回の場合は口足らずと言うべきか。ティアの返答を聞いてもイマイチ把握しきれなかったが、根気強く質問を重ねる事でなんとか理解する事が出来た。

 要約すると、だ。

 途中からはこの世界に蔓延するNPC達の復讐心が、ティアの体を乗っ取っていた。その様子をティアはどことも知れぬ場所から俯瞰していたらしい。その『どことも知れぬ場所』には、ホロウの俺が居た。そこでの会話でティアは自身の本当の願いを見出し己を取り戻した――という事だった。

 

「……ホロウの俺が、か」

 

 何とも言えない気持ちで呟く。

 この世界がSAOサーバーのコピーデータを継承している時点で予想はしていたし、ティアを介して負のクラウド・ブレインの存在を把握した事でホロウの存在も頭にはあった。正直な話、もう一度対峙する事になるとも想定していた。

 だが――ティアの話を聞く限り、敵対しない可能性も浮上してきた。

 しかし、なぜ?

 コピーされた時期は不明だが、いずれにせよ一年以上も過ぎているのは確実なので、時間的に言えばALO事変でのホロウと同じように負の感情に飲まれ、敵対関係になるのが自然だ。だから俺も対峙する想定を立てた。

 そうならないという事は、それを解消するだけの出来事を挟んだ事になる。

 ホロウの事は、ある意味俺が一番よく分かっている。だから生半可な事では復讐をやめないことも分かる。それでもやめるとすれば――

 それは、あの日の対峙を経た場合のみだ。

 そう考えると別の疑問が浮上する。その対峙をSA:Oのホロウはどう知ったのかだ。中継されていた事は知っているが、その映像を見ただけで復讐をやめる訳が無い。ならログを取り込み追体験したのかとも考えたが、おそらくそれも違う。あの時はホロウに注力し始めた時点でSAOサーバーはALOサーバーとの連携を切るよう指示していた。ホロウを倒した後は俺とセブン、ホロウの三つのクラウド・ブレインと共に当時のコンバートアカウントも消去している。サーバーデータもスヴァルトエリア最後の攻略開始時点まで巻き戻したのでログも消えた筈……

 

「――いや、違う」

 

 そこで、誤りに気付く。

 ログは残っている。ALOサーバー(カーディナル)や俺のアカウントのログは確かに消えているが、それに抗った存在が確かにいた。

 ヴァフスだ。

 霜の巨人族の将軍たる彼女は、本来であれば忘れている筈の記憶を俺への執着によって保持し、一度目では戦わなかった時点で乱入してきた経緯がある。後で聞けばクラウド・ブレイン事変の出来事を朧気ながらも覚えていた。

 その記憶(ログ)が言語エンジン・モジュールを介してコア・プログラム――つまり、カーディナル――へ伝わり、蓄積。

 その蓄積されたものをSA:Oのホロウが読み取り、追体験したのではないだろうか。

 あるいは、中継していた最中、ネットに侵蝕していた影響が関係しているのか。戦いが終わると共に収まった事からSAOのホロウと連動していたのは確かだから、その時の残骸データがSA:Oのホロウに流れ込んだとかか。

 ……カーディナルがホロウを弄ったとかでないと願いたい。それは、須郷と同じだから。

 

「――……ト? キリト、返事して」

 

 考えたくない予想を浮かべたところで、ペチペチと頬を叩かれた。その刺激で意識が思考の海から浮上する。

 

「あ、ああ……悪い。考え事してた」

「……キリトのホロウの事?」

「そうだ。もう一度、対峙しなければならないと思っていたからな……」

 

 青い瞳から視線を外し、彼方を見やる。

 未完領域のそこかしこからは青い空が覗ける。その空が、遠い記憶のそれと重なって、得も言われぬ感傷を抱いた。

 それを振り払うように頭を振る。ぐいっと、口の端をつり上げて笑う。

 

「――ともあれ、ティアが戻ってきてくれてよかったよ」

 

 それは本心からの言葉だ。

 ティアが抱いていた本当の願いは復讐でない事が確定した。最初は偶然、二度目は事情があったとは言え能動的に助けに動き、以降も守ろうとした。()()()()とも思った。

 そんな相手を、一度は斬ろうと覚悟したのだ。

 ――心が壊れそうだった。

 今の俺は、かつてより思った以上に弱くなっているらしい。

 思うところはあるが、別にいいと今は思う。その痛みに耐えてはいけないと分かっているから。

 だから、心の底からの安堵を口にした。

 

「……キリト」

 

 俺の言葉に何を思ったのか。一瞬、くしゃりと表情を歪めたティアは、ゆっくりと手を伸ばしてきた。その指が俺の頬をなぞり、目元をなぞり――

 離れた指が濡れている事に、そのとき気付いた。

 

「泣いている……なぜ?」

「……気が抜けたんだよ」

 

 ゆっくりと息を吐く。

 固めた覚悟が解けていく感覚がした。震えていた心が、長い吐息と共に次第に落ち着いていく。

 ……彼方に向けた視界が、滲み、ぼやける。

 頬を伝うものを拭わぬまま、俺は彼方を見続ける。

 

 ――胸中には、ホロウへの感謝でいっぱいだ。

 

 俺ひとりでは、零していただろうから。

 

 






 はい、如何だったでしょうか

 今話は久しぶりに出たキリトのトラウマ関連回

 キリトは『第百層で皆が死んだ光景』と『研究所で子供達を見捨てたor殺した事』の二種類のトラウマを抱えています

 現在は『みんなとの幸福の未来』を求めて戦っているので、前者のトラウマを後者のトラウマで制している状態(戦わないと、という強迫観念)

 しかしティアを殺すと後者のトラウマが強くなる

 結果、限界まで殺すのを見送ろうとしていた――という訳です

 あとはケイタと殺し合っていた時の甘さが出ています。一度懐に入れると、とことん甘いのです


Q:結局、なぜティアへの迷いが凄い事になってたの?
A:ティアは瞋恚によって意思を捻じ曲げられている
 そのティアをキリトは『守る対象』として認識している
 =ティアを殺したら自分で自分のトラウマを刺激するから


Q:そもそもティアがなぜこんなに早く『守る対象』枠に入ってるの?
A:AIには怨みがない=かなり素直に接する(涙を見せたのもこのため)
 更にティアもキリトの事を最大限信じ、頼っていたので、それに応えようとした
 出会って一日でユイを義姉と認めた経緯からお察しです()


Q:仮にホロウが手を貸さなかったらどうなってた?
A:ティアを斬殺した後、事件解決に動く
 必然的にホロウが獣化しているのでまた対ホロウ戦勃発
 →直近でティアを見捨てた事でメンタル落ち込んでるので自身の負に呑まれる
 結果、《復讐鬼(オリムライチカ)》再臨
 キリカやユイ、リーファ達の声で正気を保てたとしても、いつ爆発するか知れない状態になるので超危険な不安定状態で今後過ごす事になる(謂わば『解決手段がない《災禍の鎧》』状態)
 ちなみにこの場合、SA:O事変を起こした黒幕を惨殺するため、(病み)具合が酷くなる
 その時は直葉達の楔で引き留められるか、楯無が如何に巧く荷を下ろさせられるかに未来が掛かっていた


・キリト
 傷だらけの英雄
 明確なPTSDとサバイバーズ・ギルトを併発しているが、片方のトラウマをもう片方で抑える事で釣り合いを維持している。仮にティアを斬っていたら均衡は崩れていた
 ――しかし、過去から届いた”光”がその未来を変えた
 紡いだ絆には、刃を交えた者も入っている


・ティア
 ()を見出した巫女/女神
 ホロウと話していた場所や内容は伝えたが、見出した『自身の本当の願い』に関しては伝えていない
 自身が戻ってきた事に泣くほど喜んでいる姿を見て色々想っている


・ホロウ
 ”闇”を抑え込んでいる者
 一度は誓いの剣を捨てた
 光に背き、闇の道を歩んだ

 ――その果ての姿から、答えは得た

 それを知る者は彼ひとり
 決して認めないだろうが――
 その道の行き着く先は、どこかの誰かの”光”に繋がっている 


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