インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは

 聖石5個目、6個目の扱いって原典ゲームもコミックスも結構テキトーなので気にしちゃダメよ(元はジェネシスが回収している)

視点:アリス

字数:約八千

 ではどうぞ




第三十五章 ~翳りの前触れ~

 

 

 誰かが髪を梳いている。

 それを私は、甘い微睡みの中で知覚した。頭部から背中に流れる髪の隙間に指を入り込ませ、ゆっくりと先端に向けてなぞる。ある程度行けば、また付け根のあたりに戻って、再度なぞる。

 繊細な手つきだった。

 ほんの少しくすぐったく感じる。ただ、不快感を与えない、優しい指使い。

 

「ん……」

 

 ただ、それらは微睡みを払っていく。もう少し寝たいと思うのだが、髪を梳かれる感覚がそれを許してくれない。

 しょうがないと、私は瞼を開いた。

 まず真っ先に視界に入ったのは横倒しになった空間だ。左が床――それと、枕代わりの何か。右側には洞窟の天井が見える。そして正面には、何者かの両足。黒いズボンとブーツのそれは恐らく私のそれより幾分小さい。

 僅かに困惑した私は、ふと眠る直前の記憶を思い出した。

 痛む右目。割れんばかりの頭痛。

 そして、そんな私を案じる少年。

 私は寝返りを打ち、反対側を向いた。

 私の背面側には、両足を枕代わりに提供する主たる少年が壁に背を預け、幻書の術というステイシアの窓のように光る板に指を這わせていた。軽やかな鈴と共に指を振っていた少年は、私の寝返りに気付いて視線をこちらに向ける。

 お互いの視線がぶつかった。

 

「起きたか」

「キリト……そうでした。私は、気絶したんでしたね……どれくらい眠っていました?」

「およそ三時間。今は午後四時半を回ったくらいだ」

「そんなに……その間、ずっと介抱してくれたのですか」

「置いていく訳にもいかないだろう。それより気分はどうだ? まだ頭は痛むか」

「……気分は悪くないです。頭痛も、収まっています」

「そうか」

 

 一つ頷き、それはよかったと続けた彼は、光る板の上に物を呼び出した。それは果物だった。瑞々しく熟れた果実の一つを、上体を起こした私は手渡しで受け取る。

 

「アップルだ。口直しという訳じゃないけど、昼も食べてないんだ、お腹が空いただろう。食べるといい」

 

 まだまだあるぞ、と笑いながら更に光る板の上に種々様々な果物をボロボロ出すキリト。その勢いに押された私は、要りませんと一言だけどうにか返し、手元の赤い果実を齧った。流石に食べにくいが、そこは我慢した。

 しゃりっ、という音と共に口内に果肉が入ってくる。

 見た目通り、水分を多く含む甘みのある果実だった。味も見た目も私が住まう人界とあまり変わらず、素直に果物の生の味を楽しむ。

 街の屋台や食事処は時折見た目にそぐわぬ酷い味付けのものが出るので、記憶通りの味の食べ物というだけで安心するようになってしまっていた。まぁ、食材そのものはそこまで大差ないのが救いである。

 そんな事を考える私の前で、同じように赤い果実を手にしたキリトが丸齧りしだ。

 しゃくしゃくと、お互いに食事を進めていく。

 そこで、ふと思い出した事があった。

 

「……そういえばキリト。お前やシノン達は、たしか『裏世界』では食事をしても栄養を取れないのではなかったですか」

 

 その問いに、彼はああ、と呆気なく肯定を返してきた。

 

「空腹感は紛れるけど、栄養は確かに取れんよ」

「では食べる意味は無いのでは?」

「意味は無くても意義はある。まぁ、代わりに夕食はしっかり食べないとだけど」

 

 肩を竦めてそうキリトは言った。

 意義とは何か、と考え始める私は、ふと気付けば手元の果実を食べられるところが無いほど齧り尽くしていた。それを証明するように、芯だけとなったそれが光の欠片となって砕け散る。

 

「おかわり、いる?」

 

 丸々一個食べ終えた訳だが、空腹感はまだなくなったわけではない。

 

「……いただきます」

 

 少しの羞恥に駆られ、頬や耳が赤くなるのを自覚しつつも私は恥を忍んで二個目の果物に手を伸ばした。

 

 

 簡単な食事を終えた後、私とキリトは街への帰路に就いた。

 私は一時間強も気絶していたようで、介抱された事への羞恥と感謝の念はその分だけ強く、帰路の途上で遭遇した魔物――キリト曰く『モンスター』――は主に私が相手をした。そのせいか、思いの外早く《アインタウン》に到着する。

 門を潜り、敵を警戒する必要のない街の中へ入り、私は剣を鞘に納めた。隣で一応抜剣していたキリトも背に吊り直す。

 

「さて……一先ず、今日はこれで終わるとしよう。俺はオモテに戻って情報が入ってないか確認してくる。アリスはどうする?」

「私は暫く観光をしようかと。ここ数日でこの街は一気に発展しました、店舗の位置を改めて把握しなければなりません」

「店舗って……アリスの場合、武具の修繕は不要だし、回復薬も要らないほど強いだろう。そもそもどっちもリズの店で揃えられるし」

 

 首を傾げながらキリトが疑問を呈してきた。

 彼が言わんとする事は分かる。私は異界人故か、この世界の理を正しく受けられていない。だから彼やユウキ達のように武具をリズベットに修繕してもらう事は出来ない。不要というのは、厳密には不可能という事なのだ。ただ周囲に人目があるから言い方を変えただけである。

 回復薬に関しては、彼との検証の結果効果はあると分かっている。

 しかし整合騎士として力を持つ私はそもそも手傷を負わない。攻撃を許す前に、こちらの一撃で相手を斬り伏せ、絶命させるからだ。なのでこれまで戦闘で回復薬を使った事は無かった。それを知っているからこそ、消耗も無いのにとキリトは疑問を抱いている。

 

「私には不要でも、お前達には必要になるかもしれないでしょう。話のタネにもなります。これでもユウキ達との会話のために色々と情報を集めているのですよ」

 

 お互い異界に住まう者同士。未知の世界の話は、本来であれば盛り上がるものなのだろう。

 しかし私は天界より召喚されて以降の二年分の生活しか語れないし、殆どが任務、鍛練の日々なので、彼女らのような花のある話題がない。しかし彼女らはそれをイヤな顔もせず語ってくれるのだ。そのお返しとして、日中はオモテで勉学に励んでいる間に情報を集め、それを語るくらいはしなければと思っていた。

 勿論、その情報収集は私のような理を正しく受けてない者の捜索や、聖石の在処について知る事も含んでいる。

 

「リズベットは鉱石の、シリカは薬草類の情報を好んでいますし、貴重な代物にはフィリアが飛びつきます。また各々が得意とする武器に関しても同様です。それらを集め、伝える事が、私を助けてくれる彼女達への返礼となる。その一つが店舗の把握なのですよ」

「なるほど、色々考えてるんだな。けどそれ、やってる事がほぼ情報屋のそれだけど、アルゴから何か言われないか?」

「いえ、特には。おそらく私の事は脅威と感じていないのでしょう」

 

 頬に三本髭を左右に描いた金髪の少女とはここ数日で幾度か話をした事があるが、私の行いを咎めてきた事は無い。いちおう把握はしているようだったが、それでも言及されなかったのは競争相手とも思われてないからだろう。私は理に縛られておらず、それが他者から分かる状態のため、キリトの仲間以外から殆ど話しかけられない。だから人を相手にする行為はほぼ封じられたも同然だった。

 しかし、情報屋は人を相手に情報の売買をする職業。今の状況で私がそれを為せる道理はない。

 だから彼女は言及してこなかったのだと私は考えている。彼女と険悪な関係になるとすれば、それは彼女にとって不都合な話を流した時か――

 ――この少年を傷付けた時か。

 

「……どうした?」

 

 私の意図を知る由もないキリトは、ジッと見つめるこちらに再度首を傾げた。

 

「何でもありません。それより、もういいでしょう。また用事があれば声を掛けてください」

 

 では、という人事を最後に、私は彼に背を向け、街の雑踏に踏み入った。

 

 

 アイングラウンド第二の大陸・オルドローブ。

 その大陸の東部に新たに作られ、今なお発展が続く《アインタウン》は、設営が始まってから数日で種々様々な店舗が並んでいる。ウラ側の住人の人間やエルフ達だけでなく、オモテ側の住人である冒険者達が好き好きに開いた店舗もあった。

 その様は、正に混沌の一言に尽きる。

 普通、商売敵の隣で同種の店舗を設けても客引きは良くないと思うのだが、現状はそれが現実として起きていた。リズベット曰く、お祭り気分や趣味で開いた者が大半だろうとの事だ。

 それは私が生きる世界ではあり得ない考え方である。

 通常、人界人は十歳になると天職を授かり、それに一生従事する。年齢やケガなどが原因で天職をこなせなくなった場合は別の天職に就くか、正式なものには就かない補助として暮らす事が禁忌目録、帝国基本法などで定められている。

 例外――つまり、自分の好みで職を決められる場合――はただ一つ、天職を全うした場合だけ。

 木こり、羊飼いや鍛冶屋などは、実質全うする事があり得ないので、引退を迫られる状況にならなければ職を変えられない。そしてそれは、ほぼすべての人界の民に該当している。

 だからこそ、自分の好きに職を決め、店を出し、採算度外視の商いを行う事が私には異様に思えた。

 まあそれも、『異界だから常識が違うのだ』と流したが。

 

「ふむ……この辺の防具屋は質が良さそうです。それにあの料理屋も腕は良い……――――む?」

 

 並ぶ露天、あるいは店舗を冷やかしていると、ふと道の先に見慣れた顔が見えた。黒髪、緑と青の衣服を纏い、背に弓を担ぐ女性――シノンだった。

 彼女がこちらに気付いた様子はない。しかし、頻りに周囲へ視線を走らせ、何かを警戒しているように見えた。

 それを見た私は、なぜ、と疑問を浮かべる。

 この街中は、冒険者やウラの住人への侵害行為を全て防ぐ強固な術式が展開されているという。それを真っ向から破る術は無い。だからこそ、街の外でそれらの行為に及ぶ者が屯し、街中は反比例的に安全を確保されているのだと聞かされた。

 なのに、その話をしてくれたシノンがなぜこの街中で警戒しているのか。

 もしや何か危険が彼女の身に迫っているのか――その考えに至った私は、一も二もなく彼女の下へ歩を進める。

 

「こんばんは、シノン」

「きゃあ?!」

 

 普通に挨拶を投げた。ただそれだけなのに、大げさなくらいシノンは大きな声で驚きを露わにした。一時的に衆目を浴びるが、特に問題ないと見たのかすぐ視線が外れていく。それでも残った視線は私への好奇のものだろう。

 羞恥に駆られてか、すっかり顔を赤く染めたシノンは身を縮こまらせながら軽く頭を下げた。

 

「ご、ごめんなさい……アリスだったのね。気付かなかったわ。いつからそこに?」

「たった今ですよ。ただ、私は別に気配を隠していなかったので、驚かれた事に逆に驚きましたが……どうかしたのですか? 周囲を警戒しているようでしたが」

 

 その問いを投げた瞬間、シノンが僅かに瞠目。次いではぁ、とため息を吐き、最後に微苦笑を浮かべた。

 

「流石は現役の騎士ね。そんなにバレバレだった?」

「少なくとも談笑している時の表情よりは硬く見えました。私以外でも、親しい者であれば気付くかと。何か悩みでもあるのですか?」

「……悩み、と言えば悩みかもしれないわね」

「珍しいですね。シノンが曖昧な言い方をするとは」

「確証がないのよ」

 

 そう言いながら頭を振るシノンの表情は少し疲労の色が浮かんでいた。

 まだ会って数日の間柄だが、最も会話する機会があったお陰で彼女の性格はおおよそ把握している。彼女は心優しいが、それ故に問題を一人で抱え込み、解決しようとする人物だ。その彼女が疲労を浮かべているという事は、精神的に相当参っているという事だと予想できる。

 

「良ければ相談に乗りますよ。流石に、あちら側の問題だと聞く事しかできませんが……」

「……聞いてくれるだけでも有難いわ。丁度すぐそこに評判のいい喫茶店があるの、そこでお茶しましょ。相談に乗ってくれるお礼に私が奢るから」

「では、それで。案内してもらえますか?」

「もちろん。こっちよ、付いてきて」

 

 微笑を浮かべ、踵を返した彼女に付いて行く事暫く。私が連れられたのは深い色味の店舗と、外観を味わいながらお茶できる椅子とテーブルを並べた店外の敷地を持つ、それなりに規模の大きな喫茶店だった。どうやら冒険者の一人が、ウラ側の人族、エルフなどと共同で開いた店らしく、出される料理も色とりどりであるのが売りだという。

 私達は店舗に入り、奥まった席を選んで対面で座った。

 

「……この場だと、鎧姿の私は浮いてしまいますね」

 

 椅子に腰を下ろした私が品名の書かれた冊子に手を掛けようとした時、ふと自分に向けられる視線が気になった。外にいた時より意識してしまうのは環境と店内の客の恰好が原因だろう。落ち着いた雰囲気の喫茶店内にいる客は、誰もかれもが私服姿であり、戦闘を想定した鎧を纏っているのは私だけだ。

 戦闘衣装という点で言えばシノンも同じなのだが、彼女は金属鎧を身に付けない軽装なので違和感は自分程ではない。

 ほんの少し居心地の悪さを覚えていると、品書きの冊子を先に取り、こちらの前に出して来ながらシノンが笑った。

 

「気にする必要ないわよ。確かにアリスは結構目立つ色の鎧を装備してるから目を引いちゃうけど、おかしくて見てる訳じゃないから」

「では、どんな理由で見てきているのでしょうか?」

「そりゃああなたが美人だからでしょう」

「……んなっ?!」

 

 何を言ってるのかという表情でシノンが言った事に、私は一瞬理解が遅れた。理解が及べば次に驚きが胸中に湧き上がる。

 

「し、シノン、いったいいきなり何を……?!」

「あら、私は当たり前の事を言っただけよ。私達のアバターは綺麗に作られたものだけど、あなたは生来の容姿でしょう? その容姿で否定されたら、世の中の女子全員を敵に回すわよ……というかその反応、もしかして整合騎士って美的感覚は頓着しないの?」

「いえ、そういう訳ではありません。ただ言われ慣れていないもので……」

 

 これは本当だ。

 弟子たる男性から『美しい』と言われた事はあるが、それには敬愛の情が含まれており、それ込みでの賞賛だと分かっていた。羞恥は確かにあったが、そこまで大きく反応せずにいられた。

 それに、私にとって『美しい人』とは、公理教会を統べる最高司祭その人。

 あの方の神々しいまでの容姿は本当にかつて人間だったのかと疑問を抱かざるを得ないもの。あの方とどうしても比べて考えてしまうから、同じ整合騎士からの賞賛は大きく響かなかった。心のどこかでは、賞賛の言葉の一つとして並べているだけだろうと考えていたから。

 翻って、シノンと私の立場は対等だ。整合騎士の立場に縛られないこの関係で、意味のない賛辞は不要。彼女も不必要な発言を嫌う性格だ。

 だからこそ、彼女の賛辞が殊の外響いたのだと思う。

 まさか彼女の口からそんな賛辞が飛び出てくるとは予想してなかったからでもある。

 

「そう。まぁ確かに、『あなたは美人です』なんてあまり言わない事かも……ところでアリス、何を注文する? なんでも頼んでくれていいわよ」

「い、いきなり話を変えましたね……そうですね……――――」

 

 唐突に話題が切り替わり、困惑の抜け切らない私は、彼女の促しに応じて品書きに目を通した。その中からフルーツサンドイッチと紅茶、そしてチーズケーキなる甘味を注文する。

 シノンも幾らか頼み、すぐに届いた品を手早く食べ終えた私は、早速とばかりに口火を切る。

 

「それで……シノン。あなたの悩みというのは?」

「……ひょっとしたら、気のせいかもしれないんだけど……ストーキング? とか、そういうのされてるかもって……」

「す、すとーき……?」

「ああ、ごめん。えっと、要するに尾行って事」

「……尾行、ですか」

 

 眉根を寄せ、不安げに悩みを打ち明けたシノンを見ながら、私は腕を組んだ。

 整合騎士は主に人界の守護、ダークテリトリーから訪れる闇の軍勢を斬り捨てる戦力として在るので、真っ向から対峙する事が基本だ。だから尾行というものをした経験は無い。それでも知識として知っている私は、尾行する者、あるいはされる者のどちらかが疚しい事を抱えているからそれが起きていると考えた。

 そして、シノンが疚しい事を抱えているとは考え難い。

 彼女は善良な人間だ。だから大抵は巻き込まれる側の気がした。

 

「シノン。まずその話、あちらとこちらのどちらです?」

「ウラの方よ」

「こちらの話ですか……では、尾行される事に心当たりは?」

 

 恐らく無いだろうと予想しながらの問い。

 それにシノンは、首を横に振りながら「分からない」と答えた。

 

「分からない、とは?」

「アインクラッドでならいざ知らず、アイングラウンドだとこっちで尾行する利点は無いに等しい。それでも私をエサに何かしようと企む人はいるかもしれない。キリトを狙って、ね」

 

 つまり、やはりシノン自身に落ち度はなく、キリトを中心とした問題に巻き込まれている可能性が最も高いという訳だ。

 

「その話、キリトには……」

「してないわ。最近忙しくしてたし……せめて確証を得られていれば話しやすかったのだけど……」

「なるほど……」

 

 本音を言えば、キリトこそシノンの様子で真っ先に気付くべきだろうという気持ちだが、これは仕方ないかもしれないとも思う。シノンはキリトに頼り切りになったり、余計な心配を掛けたくないと思っている。本当に助けを必要とするまで自力で何とかしようと努力する事にした。だから相談もしなかったのだろう。

 ……あるいは、キリトもシノンの異変に気付いており、しかし彼女の真意を汲んだ上で声が掛かるまで待っているのかもしれない。

 数々の事件のあらましを教えられた私はそこまで彼が鈍い人間とは思っていない。

 最初は『悪』の象徴として抱いていた印象も、今では曖昧なものになっていた。シノンをはじめ、ユウキやアスナなど幾人からの厚い信頼を見れば、彼女らが信じるキリトを『悪』と思えなくなった。悪を為しているのは確かだが、それ故に救われた者がいると知って尚、彼を一方的に糾弾する気は起きない。

 もしかすると、私の世界にいる《キリト》は、彼女達が共に居なかったから『悪』に堕ちたのでは……と、そう考える時もある。

 こちらの世界のキリトは、彼女達がいるから踏み止まっている部分があると聞いた。その彼女達を排除し、彼を『悪』へと堕とし、命を奪おうと画策する者達もいるのだろう。

 

 ――けれど、これは流石に迂遠ではないか。

 

 そこで引っ掛かるのは、『裏世界』で死んだとしても、『表世界』に生きる彼女達が実際には死なないという点だ。アインクラッドという浮遊城であれば本当に死んだだろうが、アイングラウンドでは――もっと言えば、いま『裏世界』に来る手段として使っている道具では人体を傷付けるほどの威力は無く、命が奪われる恐れはないという。

 その原則がある以上、こちら側で彼女を尾行したところであまり意味は無い。

 むしろキリトや、彼に味方する仲間の怒りを買うだけで、悪手とすら言える。

 

「うーむ……確かに相談されても困りそうなほど不透明な話ですね……ちなみに、尾行してると思しき人物を見た事はあるのですか?」

「無いわ。視線を感じる事はあるけど、大抵人混みにいる時だから流石に探せなかった。それに昨日からの話だし」

「昨日から、ですか」

 

 尾行されたのは昨日から。

 という事は、キリトがオモテで対処している問題の主犯一派の可能性は低いと見ていいだろう。もう少し前であれば疑えたが、時間が空いているし、主犯一派を一度叩いたとも聞いている。今更ウラ側で接触してくる余裕も主犯一派にはない筈だ。

 つまり完全に無関係な新手による仕業だという事か。

 

「――――!」

「む?」

 

 そこで、シノンの表情が突然険しくなった。それも一瞬だったから見間違いかと思った私に、彼女が小さく話しかける。

 

「アリス、そのまま私を見たままでいて。いま、誰かが私を見てるわ」

「……本当ですか」

「ええ。店の外、多分窓から見える外の席」

 

 それを聞き、衝動的に窓に視線を向けたくなるが、それを押し殺す。ここで視線を向けて気付いていると相手に伝えてしまっては彼女の思惑が水の泡だ。

 自分を見続けろと、先んじて言った彼女には何か考えがある筈。

 そう信じていると、覚悟を決めた面持ちでシノンが口を開いた。

 

「アリス。折り入って、頼みがあるの」

「何でしょうか」

「あなたは索敵スキル……冒険者が持つ、空間探知能力に引っかからないわ。この店を出たところで別れた後、人気のないところに私は向かうから、その後ろを尾行してるヤツの姿を見つけて欲しいの」

「……危険では?」

「街中なら乱暴は出来ない。それに、少しはリス……危険を冒さないと、相応のものは手に入らない。ずっと尾行され続けるのもしんどいからここで勝負に出る」

 

 覚悟を決めた顔で、強い光を宿した目でまっすぐ私を見てくる。おそらく何を言っても意見を翻さないだろうし、最悪単独で何とかしようと動きかねない。

 元から断る気も無かった私は、彼女が思った以上に追い詰められていると認識を改めつつ、静かに頷いた。

 

 






・キリト
 主人公
 5個目の聖石を手に入れた。アリスと二人で行ったのは、アスナ達は帰還者学校の授業開始日だったから(元々盆明けまでの二週間の夏休み) 場所を把握している辺り、ヴァベル辺りの協力を得たらしい
 街に戻ったのはアリスの介抱もあって夕方。夕食を食べるためもあって先に別れた


・アリス・シンセシス・サーティ
 シノンが一番の仲良し
 シノンを筆頭にユウキ達女性陣の刷り込み()の甲斐もあり、キリトへの印象が徐々に捻じ曲が――もとい、変化しつつある。とは言えあくまで『ユウキ達が信じるキリト』を認めているのであり、キリトそのものを認めている訳ではない。それをすると『悪』を認めた事になり、『禁忌目録』に真っ向から逆らってしまうため
 整合騎士の責務、立場を自負しているが、異界故にそれが通じず、結果対等な関係を築いているのでキリト以外には柔和な女性という印象に収まる

 何なら元の世界にいる頃より満ち足りてるまであるのでは?


・シノン
 ストーカー被害者
 【森羅の守護者】の一員として、銃火器を見ても取り乱さないよう地道に克服する努力を継続中
 同時に深海クエストの件もあり、キリトの力になれていない事に思い悩んでおり、トラウマと相俟って精神的に追い詰められている
 ――つまり諸々の条件が原典に近い

 ちなみに人混みで自分に向けられた視線に気付けた辺り、地味に原作よりハイスペックになっている


・ストーカー
 性別不明
 8月16日(昨日)からシノンの尾行を続けているらしき人物。喫茶店に入ったシノン、アリスを追って、店舗外の席からじっと見つめていた


 では、次話にてお会いしましょう


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