インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは

 久しぶりにリアル側だよ。不穏だネ!

視点:和人、リズベット

字数:約一万一千

 ではどうぞ





第三十二章 ~水面下の動き~

 

 

二〇二五年八月十六日、日曜日、午後九時

《BIA》本部 キリト寝室

 

 

「一先ず、大きな問題もなく終わったね」

 

 のんびりとした声が上がる。

 声の主は篠ノ之束。かつて付けていた金属の兎耳を外し、エプロンドレスを白衣とカッターシャツ、スーツのズボン姿となった彼女は、淹れたばかりのコーヒーをずず、と啜り、笑う。

 ほにゃりと相好を崩す様は完全に気を抜いている事が窺えた。

 ちなみにコーヒーはブラックだ。

 

「てっきり何か起きるかと思ってたけど……なんだか、拍子抜けね」

 

 そう応じたのはラフなシャツ姿の少女・枳殻七色だった。現実でも変わらない小綺麗な顔をぷくりと膨らませ、不満を露わにしながら同じようにコーヒーを淹れたカップを傾ける。

 ちなみに、彼女のコーヒーはミルクと砂糖がたっぷり入っている。

 

「まぁ、何事も起きないのが一番だ。問題が起きて嬉しい者は誰もいないよ」

 

 笑いながら応じたのは、シャツにスーツズボン、そして白衣を纏った男、茅場晶彦だ。彼もまたコーヒーを口に含む。

 彼のは何も入れられていない。

 

「気を張り過ぎても疲れるだけだ。少しは肩の力を抜かないと、肝心な時に全力を出せないぞ」

「そんな事言って、和人君だってずっとピリピリしてるじゃないの」

「……昨日、今日で色々起きたからな」

 

 はぁ、と嘆息し、俺もまたコーヒーを呷る。ブラック特有の味が口内に広がるが、今はその苦味すら甘味を伴っているように感じた。

 俺は無言で小さな壺に入った匙を取り、少量の砂糖を投入した。

 

「ふむ……珍しいね? 君が砂糖を入れるなんて」

「ブラックなのに甘く感じた。糖分が足りてない」

「そういう事かね……」

 

 俺の返しに、茅場は呆れたような顔を向けてきた。疲れた自覚が無かったのかと眼で伝えてきている。

 バツが悪くなった俺は目を泳がせながら甘くなったコーヒーを口に含む。

 

「――それで、茅場、七色、本当に何もなかったのか?」

 

 話題を変えたくなって、俺はとうとう口火を切った。

 俺の言わんとする事を察したらしい二人は俺に呆れたような目を向けてきていたが、コーヒーを飲み干してコップを置いた後は真剣な面持ちになっていた。

 

「まったくだ。一応電子ドラッグ利用者の摘発は進んでるが、売人の方は手掛かりも無し。SA:Oの異常や、アミュスフィアの総演算についても不明のままだ」

「あたしの方もよ。そのアリスっていう子のログからこっちに来た時の座標までは割り出せたけど、そこからはお手上げ。彼女がAIである以上、システムやプログラム本体との繋がりはある筈だけど、現状それらしきパスは見つかってないわ」

「……そうか」

 

 やはり、と言うべきか。二人の態度から何となく察していた俺は、それでも落胆を抱かざるを得なかった。

 二人には俺がモンド・グロッソ会場周辺の警戒に、束博士がIS委員会会長として動いている間、《SA:O》側の問題に当たってもらっていた。茅場は電子ドラッグ使用者の問題、七色はアリスの問題である。ちなみに後者の問題にはヴァベルも協力していた。

 それでも手掛かりすら無しという状況は、かなりの難事と言わざるを得ない。

 元々《亡国機業》という巨大な敵を相手しているのだ。本来であれば、俺達四人総がかりでこの難事に当たるべきであったのに、それを割かざるを得なくなっている。

 一応、束博士にも眼を向けるが、彼女は静かに頭を振った。会長職の仕事をする傍ら、怪しい者がいないか独自の警戒網を張っている彼女をして手掛かりは無いらしい。こうなっては八方塞がり。

 

「――イヤな沈黙だな」

 

 俺はそう呟く。

 それを、三人は咎めなかった。

 三人も同じ気持ちなのだろう。

 今回の《モンド・グロッソ》が先月末のオリンピックと違って予定通り開催されたのは、《BIA》という対抗組織の有無を理由としているが、それはあくまで隠れ蓑。本当の目的はこの大会を機に潜り込んでくる者を捕らえる事にあった。

 束博士は目に見えないほど小さなナノマシンによる情報収集網を持つという。それを特定の場所にばら撒き、リアルタイムで傍聴して情報を得る。

 今回はそれを頼りにしていた。会場となる新国立競技場周辺数キロに渡ってそれをばら撒き、怪しいやり取りをしている者を見つけ出し、捕らえる――それが作戦の一つだった。

 勿論、策は他にもある。

 無人機が襲ってきた場合は俺や《BIA》所属の操縦者が出る事になっていた。機体が発する遠隔通信から位置を逆探知し、拠点を攻める手筈もあった。

 SPや軍人などを配置し、物理的に進入できないようにもされていた。無観客試合なので、関係ない者がいれば即刻捕縛されるようになっていたのだ。そこに加えて博士のナノマシンがあれば身分なども知れるというもの。

 そうして捕縛した者は、STLなどを使って尋問するようにもなっていた。

 だが――結局は、何事も起こらずほとんどの試合は終了。

 明日は準決勝、決勝戦を残すのみ。今日と違って護衛、警戒しなければならない人数は減り、警備はより厳重に出来る。

 各国の代表選手も、それらの中継を観戦してから帰国する手筈になっていた。勿論有事の際に即出撃出来るよう備えつつだ。

 

 ――いつ、奴らは仕掛けてくる?

 

 ――俺なら、あるいはPoH(ヤツ)なら、どこで仕掛けてくる。

 

 俺は腕を組み、瞑目した。

 思い浮かぶのは過去の情景。二年以上に渡って掛け続けた浮遊城のあらゆる戦地。今の自身を作り上げた生死の狭間の世界。

 あるいは、あり得ただろう異界の死地。

 ありとあらゆる人を視た。

 ありとあらゆる策謀を識った。

 その上で、俺ならこの状況をどう見るか。

 

「……前提として、《亡国機業》は何を目的に攻めてくるだろう」

 

 沈思していた俺は、まず大前提から改める事にした。

 

「そりゃあ、和人君を狙ってじゃないの?」

 

 一番に反応したのは七色だった。それは間違いない、という自信満々の目をしていた。

 そうだろうな、と俺は頷いた。

 今がどうかは分からないが、表沙汰になっている限りでは、創世記VirusとISコアの双方に適合した唯一の例。厳密に言えば秋十もそうだが、セフィロト・プログラムの侵蝕を跳ね除けた点で俺の方に優位性はある筈だ。

 秋十を捕らえている間にDNAマップを採取し、それでクローンを複製でもすると思っていたが、それは俺を捕らえない理由にならない。

 成功例の実験体として手元に置いておきたいとは思うだろう。

 

「束さん製のコアを狙いに……っていうのは、ネオ・コアがある時点で弱いかなぁ」

「無人機もあるからわざわざ各国の選手を捕らえるのも、優先度で言えば劣るな」

「だよなぁ……」

 

 続けて束博士、茅場が可能性を挙げるが、自ら二人が言ったように、それらは根拠としてやや弱い。ネオ・コアを自ら作り、また遠隔から操作可能な無人機の開発に成功している以上、敢えて有人機を使う理由はあまり無い。

 使い道とすれば、正しく捨て駒。

 有人機であれば、無人機と違い通信を介した逆探知――つまり、拠点割れが起きにくい。コアのログを探ればいい話だが、逆に言えばコアを道連れに死なれると損害を被るだけで場所の特定は行えない。そして搭乗者は家族を人質に取って脅すなり、かつてのマド姉のように逆らった瞬間ナノマシンがその身を裂くなりすれば、裏切られる可能性も低くなる。

 だが――そんな事をしてまで、果たして選手を攫うだろうか。

 俺が組織を率いる者であれば『否』である。いつ内通するとも知れず、造反されるかも分からない相手を味方に引き入れるなど言語道断。喩えナノマシンなど幾つもの策略を弄したとしても十全な兵力にはなり得ない。

 頼もしい味方――それで連想するのは、リーファやユウキのような、心から俺を信じてくれている人達の姿だ。

 みんなは俺の事を信じてくれる。裏切る、その可能性をまったく考えず、力になってくれている。

 そんなみんなに、脅されて従う兵が同格な訳が――

 

「――待てよ……従う、兵……?」

 

 そこで、ふと俺は思考を止めた。

 訝しげに三人が俺の方を見てきた。

 

「和人君、何か気付いたの?」

「有人……従う、兵……従わない兵を、従わせる……」

 

 七色が声を掛けてきたが、俺はそれにも返さず、思考に没頭する事を優先した。

 何かが引っかかる。引っ掛かった。それは無意識での気付きだ。

 無意識は、重ねてきた経験が作り出す手出しできない部分。そこで何かが引っかかったのなら、それはきっと、見逃すべきでない何かである。

 喉元まで何かが出そうで、けれど最後のとっかかりが掴めない。

 思考は千々に乱れる。何がそうなのか、過去から探り当てようと(きろく)をひっくり返していた。

 

 ――そして、見つけた。

 

 強い兵を、強いまま従わせる方法を。

 そして、点と点が繋がり始める。

 なぜ、警戒網に引っかからなかったのか。不気味なほどに沈黙を保っているのか。

 

「――茅場、一つ聞く」

 

 俺は、かつて世界を作った男に問いかけた。

 

 

 

「須郷信之は今どこだ?」

 

 

 

***

 

 

二〇二五年八月十六日、日曜日、午後十時

第二エリア 東部《アインタウン》

 

 ガヤガヤと、人々の喧騒が街を満たす。

 此処はかつて、フォールン・妖魔連合を討ち滅ぼすために作られた野営地だった場所。今では森エルフ、黒エルフ、そして二種族の講和を取りなした人族の三種族の和平を象徴する場所として、日夜発展が続く最新の街だった。

 その名は《アインタウン》。

 命名は連合総大将を務め、講和仲介も担った人族の剣士《キリト》だと聞く。安直に考えればアイングラウンドの前三文字から取っただけだが、それだけでなく、彼は『1』を意味するドイツ語から『三種族が手を取り合った最初の証』という意味まで引っ張ってきていた。

 その命名を森エルフの王、黒エルフの女王らが認めた事で、正式にその名前がこの街に付けられたという――

 

「なるほど……街に名前を付けるだけでも、それなりの箔っていうのは必要なんですねぇ」

 

 誇らしげに語った露店商人NPCに礼を言い、離れた後。あたしの隣を歩く小柄な短剣使いの少女がしみじみと呟いた。

 

「まぁ、ね。割としょうもない事でも名前の元にする事は昔からよくある事よ。普通なら黒歴史だけどね」

「キリトくんは割とノリノリで付けてそうですが」

「そういうものほど後々恥ずかしい気持ちに駆られるのよ」

 

 そう言うと、あぁ……とシリカの目が遠くを向いた。彼女も彼女で己の黒歴史足る事があるらしい。

 傍らを飛ぶ小竜ピナがきゅるるぅ、と鳴いて、彼女ははっと我に返った。

 

「そ、そういえば! ここのエルフの方達って、思ったより私達に友好的ですよね」

 

 話題を変えに掛かった彼女の次の話は、街を闊歩するNPC達の態度についてだった。

 彼女の言葉には、もっと差別的かと、という意味合いが含まれている。

 かつて、デスゲームであったSAOでエルフクエストをしなかったあたしとシリカは、あの世界でのエルフ達との面識はない。仮にあってもこの世界のエルフ達と同じ態度かは判別出来ないが、アスナ達に聞いた限りではほぼ同じであるらしい。そして当時のエルフ達は、少なくとも敵対した側の種族からは「人族如きが」などの差別的発現が幾度となく聞かれたそうだ。

 それを聞いたシリカは、もっと差別的に対応されるかと思っていたようだ。

 

「んー……まぁ、それは偏見だったって事ね。多分だけど人族が彼らにとって味方判定を受けたからじゃないかしら。アスナ達も、そういうのを聞けたのは敵からだけって言ってたでしょ?」

 

 そう促せば、そういえば……とシリカも納得した風に頷く。

 あたし達は味方になっても種族を理由に見下した対応をされるかと思っていたが、この世界のエルフ達は、友好的な相手にはそういう事を言わない性格らしい。排他的であったのは他種族だからというより、敵と内通しているかもしれないからという『信用度(ファンクション)』面の理由だった訳だ。

 しかし、思い返せばそれは頷ける話である。

 今はそうでもないが、かつてのキリトは初対面での対応から以降の態度を決めるほど人間不信に陥っていた。NPCに対してもそれは同じの筈で、味方になった方からも差別的に対応されていれば、当時正にその差別を同族からされていたキリトは彼らを信用しなかったに違いない。

 だが実際は違い、黒エルフの近衛騎士とは友好的な関係を築いたという。

 その結果からもこのエルフ達の対応は読めた訳だ。もちろんそれは、この世界のエルフ達をこの目で見たから言える事な訳だが。

 

 ならば、それは好都合と言える。

 

 なぜなら、誰だって街の人がイヤミなトコは来たくないものだ。

 だからこの街は、最前線というのも相俟って人が来る。

 

「――水車小屋が無いけど、立地的に諦めるしかないわね」

 

 そう呟くあたしは、出来上がったばかりの建造物――三階建ての大きな家を見上げた。

 

「でもでも、あたしはこっちの方も好きですよ。七十六層(アークソフィア)のお店が蘇ったみたいで!」

 

 シリカが両手を握り、ふんす、と意気込む。小竜も羽ばたきながら声高く鳴いた。

 彼女は四十八層(リンダース)に店を構えていた頃から店員兼ポーション売り店主として働いていたが、後に七十六層へ拠点を移した後も働いていて、その期間はどっこいどっこい。特に感慨が無いのも当然だった。

 しかしあたしにとっては記念すべき一号店である。我武者羅に鎚を振るっていたあの頃の思い出があるため、水車小屋の店舗を持つ夢は諦め切れない。

 

「水車小屋は二号店に回すかなぁ」

「ええっ、もう二号店を考えてるんですか?」

「こっちのはそもそもホームとして考えてるもの。いずれ移転するのよ、最前線が動けばね」

 この家を購入する一番の目的はSA:Oでの拠点を持つ事だった。一般プレイヤーも出入りする宿屋では重要な話し合いが出来ないし、昨今の情勢を鑑み、プレミアとティアのためにも必要だと考えたのである。

 今はキリカを筆頭にプレミア達の世話と護衛をこなしているが、リアルもこちらも中々きな臭い。いずれAI組全員が動かざるを得ない事になるのは必定と言えた。誰もがリアル側に赴いた時、その隙を突いてプレミア達を狙うプレイヤーが居ないとも限らない。

 それを危惧したため、この街にホームを得る事が仲間内で決まった。

 そこで、元々店舗を持つ気でいたあたしに乗っかる形で、キリト達も利用するホームにしようとなったのである。ただの店舗ならリンダースと同じ一階建てで済んだが、今回はそのような経緯で寝床も作る必要があったため、三階建て且つかなり大きな構造となった。ちょっとした屋敷並みで、規模で言えばこの街随一である。

 それほど大きな家となれば建てるのに長時間要する筈だが、そこはゲームなので、大工NPCにお金を払ってクエストを発行すれば四半日後には完成だ。

 ちなみに今回、経緯が経緯なので出資はあたしやキリトなど大金を持つプレイヤーは全員の共同となっている。

 この家が建つまでの事を思い出していると、シリカがわぁ、と感心したような声を上げた。

 

「そんな先の事をもう……商魂逞しいですねぇ」

「それはウチの店でポーション売るあんたもでしょ」

 

 ピン、とデコピンする。竜使いの少女は、えへへ、と照れ隠しに笑った。

 

「おぉ……この建物の意匠、なるほど、アークソフィアのと同じか。懐かしいな」

 

 そこで感嘆の声が掛けられる。

 顔を向ければ、仲間のリーダー格である銀髪金瞳の少年――この街の命名者がそこにいた。後ろには見知った巫女と同じ容姿、しかしこちらを明確に警戒している黒髪青瞳のNPCの少女と、話には聞いていた金髪金瞳の騎士を連れている。

 

「キリト?! あんた、もう来たの?! まだ寝床も整ってないんだけど……」

 

 その人物は、このホーム購入の最大出資者にして、そもそもそれを提案した人物だ。提案された時に黄金の騎士の事情も聞いていたから購入を急いだのだが、月曜の夜に来ると聞いていただけに、まさか出来上がりの時間ちょうどに来た事にあたしは驚きの声を上げた。

 その驚きを、キリトはさもありなんと頷く。

 

「そうだろうとは思ってた。ただ、ちょっと手が離せなくなりそうでな」

 

 そして、その表情を苦笑に変えたのを見て、あたしはこうも早くなった理由を悟った。

 

「……また何かあったのね。いいわ、とりあえず中に入りましょう」

 

 頷いたあたしは、大工NPCにクエストを発行した者として受領画面の●ボタンをタップし、正式にホームの所有者となり、みんなを招き入れた。

 

 

 ホームに入った後、ひとまず購入していたイスとテーブルを人数分取り出して一階に置いたあたしは、シリカと共に、巫女ティアと騎士アリスと簡易ながら自己紹介をしてから、キリトの話を聴く体勢になった。

 キリトが『月曜に来る』と言ったのは、日曜と月曜は二日間に渡って《第三回モンド・グロッソ》が開催され、その警備として彼も配属されるためだ。《亡国機業》に対する組織として《BIA》が在る訳で、その一員である彼もまたその役目を全うするために動いていた。

 元々、このモンド・グロッソはきな臭い話である。

 先月末に予定されていたアメリカ・オリンピックは、同月の《亡国事変》として有名なサクラメントのバイオハザード騒動によって取り潰しとなった。開催国でそんな事件が起きれば中止になるのは当然だ。

 それなら日本で予定されている《モンド・グロッソ》も中止、せめて延期されるべきだが、事実として今日開催され、各国の代表操縦者達が激戦を繰り広げた。

 《BIA》やキリトという対抗手段の有無が大会開催の可否を分けた――というには、少々根拠が薄い。未だ《製薬会社スペクトル》関連の裁判全てに沙汰が下されていないのだ。結果は見えているが、《亡国機業》と繋がっていた勢力とそうでない勢力とで一枚岩でなかったのが裁判を長引かせており、未だ決着はつかずにいる。その間の開催のため、主催国である日本や大会運営委員会には少なくない批判が届けられているという。

 そんな情勢の中、彼が『手が離せなくなりそう』と言う。

 厄介事の匂いしかしなかった。

 

「それで、何が起きたの?」

「――厳密に言えば、まだ起きてない。さっきも言ったけど手が離せなくなりそうというだけなんだ」

「ふぅん……」

 

 本当か、とじっと目で問いかける。それに彼はまっすぐ見返してきた。

 あたしに相手の真偽を測る能力は無い。彼の演技を見抜く事だって出来ない。ただ、”ともだち”としての勘が、ウソは吐いてないと囁いた。

 あたしは、その(つながり)を信じる事にした。

 

「でもキリトがそこまで言うって事は、それなりに根拠あっての事よね」

「一応は。今は裏付けの報告待ちで、その隙間時間でティアとアリスを連れて来た」

「つまり、裏付けが取れれば確実に手が離せなくなるってワケ?」

「そういう事だな」

 

 トントンと話が進む。

 あたしはこういう事に関して、キリトやアスナ達の智謀を疑わない。彼ら彼女らの予想は得てして根拠に基づいた思考だからだ。危惧する方に転がるか否か――その二択しかあり得ない。

 的外れな事を、彼は言わない。

 それを分かっているシリカが意を決して問うた。

 

「キリトくん、その裏付けって何ですか」

「各選手の動向と取り締まられた電子ドラッグ使用者の動向確認、それからある刑務所の確認だ」

「……前二つは分からなくもないけど、刑務所? なんでそんなトコを……?」

「須郷信之だよ」

「「……!」」

 

 いきなり出た名前に、あたしとシリカは同時に息を呑んだ。

 須郷信之。

 あたし達は直接被害を被った訳ではない。話に聞いていただけで、実際にこの目で見た事もないが、その男がどれだけ悪辣なのかは知っている。あの男に記憶と感情を操作され、あわやキリトを殺すところだったとユウキから聞かされていたからだ。SAOから解放された後、あのデスゲームは茅場晶彦への嫉妬に狂ったが故の暴挙であったとも。

 その男はキリトと、彼をモニタリングしていた対策チームを主導していた政府役人により牢に入れられ、未だ裁判中であるとも聞いている。仮想世界の事件がある度にデスゲームが引き合いに出され、それの首謀者に関しても報道されるから度々その名を耳にしていた。

 

「……あの男が、また表舞台に出てくるって事?」

「可能性の話だけどな。【無銘】の武器、俺の負の姿、そして足取りが掴めない元アーガスの社員達……《亡国機業》がSAO開発に噛んでいたとすれば、あの男の研究の有用性は知っている筈だ。これまでは警戒が厳重だったが、今はモンド・グロッソに誰もが眼を向けているからな。普段と違って、騒ぎが起きても伝わりにくい」

 

 まだ起きてはいないと思うが、と彼は続けた。それでも、あの男が脱獄した未来を思うと不安らしく、その表情には影がある。

 あたし達もその気持ちは理解できたので、何も言えなかった。

 

「あの……そのスゴウという人物は、いったいどういう者なのですか?」

 

 そこで疑問を呈したのはアリスだった。キリトの隣に座るティアも、アリスと同じように怪訝な面持ちをしている。

 あのキリトが不安な顔をしているから、よからぬ輩ではあると分かったらしい。

 どう伝えるべきか考えながら、あたしは口を開いた。

 

「そうね……簡単に言えば、嫉妬に狂って一万人の命を危ぶめた危険人物よ」

「一万も……?! それほどの命が、奪われたというのですか?!」

 

 だん! と木製のテーブルに手を突き、驚きか、あるいは怒りにか立ち上がるアリス。正義感が強いのは流石騎士だと思いながら、あたしは手を横に振った。

 

「危ぶめた、よ。本当に命を落としたのは243人。残る一万人弱はみんなキリトのお陰で無事生還したわ」

「え……き、キリトの、お陰……?」

 

 彼女の激情は、あたしの補足ですぐに鎮火した。代わりに困惑が浮上する。

 その様子を見て察した。どうやらアリスはデスゲームの話を殆ど聞かされていないらしい。アインクラッドについて話したと聞いていたから、てっきり知っていると思っていたけれど……

 

「キリト、あんた話してなかったの?」

「その必要性を感じなかったからな。本来、アリスと俺達は会う事のない異界の住人同士。事情を知るために話を聞きこそしたけど、本来ならお互いの事情や歴史をみだりに知るべきじゃない」

「あー…………んー……言わんとする事は分かるけどねぇ……」

 

 少年の言い分を聞いたあたしは思わず苦笑した。

 彼は図らずしも《運命》という流れを実の兄から知った身だ。この世界が物語の一つ――そこから枝分かれした世界であり、更に時を渡る魔女によりある程度の流れがあると知った。

 あたし達が自ら考え、行動した結果の歴史。

 それには本来異界の者――異分子は存在しない。

 それは双方向の意味を含む。こちらにとってアリスが異分子であるように、彼女が生きる世界にとって、こちらの全てが異物そのもの。

 キリトはあまり彼女の世界に余計な事を伝えたくないらしい。おそらく自身の未来の世界とあっても、だ。こちらにとって良かれと思う事でも、あちらの《キリト》にとっては悪しき事になるかもしれない。そう危惧しての決断だろう。ヴァベルは元の世界を捨ててきたが、アリスはそうではないから。

 

「お前……あれだけ私に言っておいて、今更それですか?」

「あれは”今の俺”が出す答えだと前置きしただろう。それを受け止めるなら時間を置いた方がいい、受け入れられないなら拒絶すればいい、そういう話だ」

「それが出来れば苦労しませんっ」

 

 あたしがあれこれ考えていると、何やら二人が言い争いを始めた。いや、アリスが喰ってかかり、それをキリトが呆れたように往なすという一方的なやり取りだ。

 ……こういう光景、すごく覚えがあるなぁ。

 そう考えて思い浮かぶのは、初めて会った日以降に幾度となく見た誅殺隊とのやり取りだ。彼に敵愾心を向ける数十人の男達を掌で転がす光景が思い起こされた。今の二人の関係は、あの男達とのそれと重なって見える。

 それで思い至った。

 なぜアリスがここまでキリトに喰ってかかっているか。

 

「……あんたねぇ、色々と隠してるからそういう事になるのよ」

「知ってる。分かっててやってる」

「尚悪いわよ」

 

 はぁ、とため息を吐く。

 つまるところ、キリトはアリスに理解される事を求めていないし、それで敵意を向けられようと構わないと考えている。多分彼女の正義感と彼の経歴が致命的に合わないと確信しているからだ。

 親友・アスナからも話だけは聞いていた。実際少し会話しただけで、彼女の正義感――もとい、価値観はある程度分かった。

 そりゃあキリトは匙を投げるだろうなと納得した。こういう事は本人が言ったところで逆効果である。

 最初から努力を投げ出している辺りは呆れるが。

 

「……どういう事ですか?」

「んー……なんて言うかね、昔も居たのよ。アリスみたいにキリトと衝突する人」

 

 そう言うと、援護するようにシリカもそうですね、と言って会話に参加した。

 

「キリトくんはすごく誤解されやすい子なんですよ。誤解されてると分かってるのにそれを解かないし、なんなら誤解されるよう動くし、それを助長するように情報操作しまくるし」

 

 苦笑しながらシリカは言い切った。

 やや遠い眼をしているのは、”ともだち”になってから新たに得た視点で見る、彼の情報操作でいいように踊らされる男達の姿だろう。かつては一緒になってよく彼らを見たものだ。

 あたし達の顔を見てそれが嘘でないと分かったのか、唖然としていたアリスは、僅かに顔を俯けると、次第に肩を震わせ始めた。

 

「…………つまり、私はこの者に、掌で踊らされていたと?」

「「そういう事かも」」

「――――ッ!」

 

 シリカとハモりながら頷く。

 すると、キッと怒りと羞恥で赤い面貌を上げたアリスが、それを黒銀の少年へと向けた。立ち上がると、腰に佩く美麗な金の長剣に手を掛ける。

 

「キリト、そこに直りなさい! 人を弄ぶその三枚舌をこの場で切り落としてくれるッ!!!」

「ハハッ、それは困る。なまじシステムの制約がないアリスなら圏内でも可能だから尚困る」

「~~~~っ! その余裕、どこまでも私を愚弄しますかッ!」

「アリスさん、アリスさん、激昂すればするほどキリトくんの掌ですよ」

「それにティアが怯え、警戒する。流石に剣は抜かないで貰えると助かるんだが」

「キリトくんはちょっと黙っててね」

「……くっ!」

 

 シリカの窘めを聞いたアリスは、わなわなと体を震わせ、既に鯉口も切っていたものの、最終的に剣身を鞘に納めた。キンッ! といやに強い音が鳴ったのは彼女の抑えた激情の強さであろう。

 ゆっくりと、ガシャッ! と甲冑を鳴らしながら椅子に座り直した彼女は、せめて視線で殺そうとでも言わんばかりの青い双眸を鋭く少年に向ける。

 当の少年は口の端を吊り上げ、金の騎士を見返すばかり。

 完全に当時の再現である。

 

「相手するだけ無駄よアリス。キリトに対しては、正義感とか先入観とか、そういうもの全部捨てないとまずマトモに相手してくれないわよ」

 

 はるか昔。まだあたしがキリトと会う前、親友のアスナに言われた事を思い返しながら言う。結果としてそれが合っていたから今の関係がある訳なので、それなりに信用はある言葉の筈だ。

 しかし、なぜかキリトから微妙な表情を向けられる事になった。

 

「……なぁ、リズ。俺、リズの中でいったいどういう人物評なんだ?」

「必殺仕事人」

「……」

 

 少しだけ、キリトの頬が引き攣った。

 

「…………ちなみに、シリカは?」

「え? えっと……悪人じゃないけど、善人でもないかなぁ……あ、少なくとも絶対聖人ではないよね」

「……………………まぁ、外れてないけども」

 

 更に、キリトの眉がピクピク動いた。

 それぞれが答える度に物凄く表情の微妙さを深めていくキリトに、あたしとシリカは顔を見合わせ、少しだけ笑みを零した。

 

「――けど、もっとあんたにピッタリな言葉、知ってるわよ」

「あ、わたしもそれ、知ってますよ」

 

 顔を見合わせながらそう言うと、興味が湧いたらしいアリスが、ほう、と声を上げた。

 

「そのピッタリな言葉とは?」

 

 その問いに、にっと笑みを浮かべ、同時に言った。

 

 

 

「「英雄(お人好し)!」」

 

 

 

「――なるほど」

 

 言葉の意味は通じたらしく、アリスはそれに一つ頷き、得心がいったようにキリトを見た。

 黒銀の少年は、それまでとは打って変わり顔を赤くし、狼狽えていた。

 

 

 その後、キリトは用事を済ませにリアル側へ戻った(逃げた)が、後からキリカに連れられてきたプレミアも合わせた五人で、アリス達の知らない《アインクラッド》での出来事について語った。

 人と、異界人と、AIと。

 奇妙な組み合わせだったが、ガールズトークは日を跨ぐまで(つつが)なく進んだのだった。

 

 






・前半のまとめ
 和人のIS【無銘】の武器《ⅩⅢ》や、暴走時の姿のボスなど、明らかに《亡国機業》関係者がいた。元アーガス社員の中には足取りの掴めない者もおり、その楯無の捜索結果で和人はSAO時代からの予想を確信している
 そんな者達が、須郷の研究内容に興味を示さない訳もなく……
 ここに須郷を賭けた攻防戦が開かれる……かも?


・後半のまとめ
 SA:Oのその後
 野営地はエルフ両種族、人族の和平の象徴の街として建設開始。新たな最前線拠点として利用される事になる
 リズベットはそこに仲間内で利用するホーム兼店舗を購入
 プレミア、ティア、アリスは暫くそちらに厄介になる。アリスは本来SA:O側に居るべきではないが、AI組も動かさなければならなくなった場合のプレミア達の護衛として採用された形。本当は月曜の夜から移住予定だったが、繰り上げて日曜夜から厄介になる


・リズベット(18)
 商魂逞しい鍛冶師
 実は例の戦争前後は鍛冶師として出張り、三百人のプレイヤーの武具の面倒を見ていた。それに忙殺され、キリトの直接的協力は出来なかった裏話
 店舗購入を考えたのはその忙殺で資金面に余裕が出来たためだったりする
 諸々の事情でホーム利用優先の購入となったが、本人が言ったように水車のある店舗がいいので、第二店舗にするため稼ぐ気でいる
 かつてアスナの忠告からキリトの”初対面で挑発して対応を探る”ターンを一発クリアした事があり、その先達としてアリスに忠告を送った。尚、キリトを襲った事や立ち合いの事を掻い摘んでアスナから聞いているので、無理だろうなぁと確信した上での忠告である
 ガールズトークの内容は完全にキリトの意志を無視したものだが、彼が理解を得られないだろうと諦観していたが故の行動であり、もし諦観じゃなく異界への影響を考慮だけしたが故の発言ならリズベットもこれはしていない
 要はリズベットもお節介焼きのお人好しなのである


・シリカ(16)
 リズの商魂を見習っている薬師
 プレイヤーの中では上位に食い込む短剣使いだが、本人の性格により最前線にはギリギリ届かない。そのため素材集めでポーションを作り、仲間の支援をする道を選んだ
 アルゴの慟哭を聞いて真摯に悔い改め、謝罪していたため、キリトが身の上話をした経緯がある。実は全キャラ中ぶっちぎりの速さで身の上話を聞かされていたりする(シリカは会って数分で教えられた)
 『初手を誤らなければキリトは心を開く』を素でいった人物
 実際のキリトを知ってからはずっと『キリトの掌でヘイトころころされる人』ばかりを見てきたので客観視を鍛えられている


・アリス・シンセシス・サーティ(19)
 ヘイト管理されていた事に気付いた騎士
 色々と沸点が低い。感情的かつ直情的で、とても分かりやすく、キリトには即行で思考誘導されていた。それに気付いて怒りを露わにする事も織り込み済みで、何を言っても手玉に取られると知った
 ――そこでキリトを弄る格好のネタが飛び込んできたので、にやりと笑った

 異界であれば騎士の立場も意味は無し
 ならばそこにあるのは、ただの女子の姿のみである


・須郷信之
 本作に於けるデスゲームの黒幕
 現在は裁判の真っただ中
 記憶、感情、認識の操作・改竄の研究をしていた張本人。かつて傀儡にしたユウキでキリトを殺そうとした事がある。しかしその時は認識の操作だけキリカの失敗例からしていなかったためユウキが自力で打ち破っている
 今度再起されて技術を悪用し始めたら真面目に手が付けられなくなる人間筆頭
 キリトは場合によっては殺す事も視野に入れている


・篠ノ之束(23)
 コーヒーはブラック派
 最近うさ耳エプロンドレスをやめ、ほぼ毎日をスーツ+白衣で過ごす。ズボンタイプかスカートタイプかはその日の気分で決めている
 ISの調整とモンド・グロッソの進行、警備の総指揮全般を担う
 地味に最近休みなしで働き詰め
 和人が休んでない以上は休む気は無い
 マイブームはクロエとの添い寝


・茅場晶彦(27)
 コーヒーはブラック派
 SA:Oの開発経緯から開発陣営のコネクション持ち。和人が開発陣の情報を持ってる場合は大抵茅場が横流しした情報
 一応和人の苦情も伝えているのだが、色よい返事は返ってきていない模様
 ISの調整とSA:Oの監視、電子ドラッグ売人の追跡を担う
 SA:Oの事は時期尚早だったかと思い始めている


・枳殻七色(13)
 コーヒーは砂糖・ミルク派
 SA:Oの開発監修の一人ではあるが、実際はお飾りに近いので有効的なコネクションとは言えない。天才二人が忙しいので、突発的に起きた問題に対処する予備人員扱いとして動いている
 アリスの問題を中心に、束と茅場の補佐として動く
 地味にオールラウンダー
 SA:Oの事は過ちだったかもと思い始めている


・桐ヶ谷和人/キリト(12)
 英雄(お人好し)
 善とも言えず、悪とも言えない、中立を歩む
 偽善を厭い、偽悪も遠ざける
 他者を信じず、己を疎む
 悪を以て善を為す
 信に対し義を通す


 ――そして、怨む者達の命を救った者

 あらゆる矛盾にある半端者
 その者を表す言葉は、『お人好し』であった

【参考】SA:O編ラスボスの難易度あんけーと 気軽に答えてネ! 難易度上昇でボスが増えるよ! 1.さくさく敵が倒れます。原典仕様のいーじーもーど 2.仲間と一緒に協力プレイ。コミックス仕様ののーまるもーど 3.形態変化にボス追加。改変仕様のはーどもーど 4.思い出補整で狂化します。極悪仕様のかおすもーど 5.ぷれいやー・ますと・だい(がち)

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