インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは

 アリス登場という事で、今話は原作11~13巻(キリト・ユージオ禁忌違反~アリスとの対話)辺りの内容のオマージュとなります

 本作キリト、シノン、アリスの良好な関係のためには不可欠なんや……!

視点:シノン

字数:約一万

 ではどうぞ




第三十一章 ~善を敷く者、悪を負う者~

 

 

 異界の騎士アリスの事情が伝えられ、対面も済ませた後、私達は思い思いに”安住の地”で時を過ごす事にした。

 中にはSA:Oのプレミア、ティアを心配して戻る人もいたが、キリトは戻らない側だった。ティアが唯一心を許すプレイヤーである彼は昨夜から徹夜で働き続けていたため、ヒースクリフやセブン達によって止められたのだ。つまり戻ろうとはしたし、この場に留まったのも彼の意志ではなかった。

 とは言え、疲れているのは本当のようで、苦笑を漏らした彼は素直に彼らの促しに応じた。

 新たに見つかった巫女ティアは、彼以外のプレイヤーに強い敵意を向けている。それはSA:Oベータが始まってから今日までずっと命を狙われていたからだ。初日に彼女を助け出した彼を覚えていたティアは、彼以外のプレイヤーを全て警戒するようになっていた。

 だが、その例外はある。

 それはエルフ族だ。特にキリトと共に救出作戦に出向いた森エルフの近衛騎士リーフェは、彼からティアを預けられ、砦まで連れ戻した経緯があった。”安住の地”でアリスから話を聞くために一度アイングラウンドを離れる必要があったキリトは、ティアをリーフェに預けていた。

 ルートによっては敵モンスターになるエルフ族は、キリトの奮戦の末に人族とも友誼を結んでおり、原則敵対しない中立NPCという立場に変わった。モンスター扱いから外れ、戦闘型NPCという分類に変更されていたのだ。例の撃滅戦争のために設営された野営地は、講和の証として今も残されており、徐々に街としての機能を持って行きつつあるらしい。その街の新たな住人としてエルフ族が選ばれた――だから通常のNPC扱いになったのだろうと、ヒースクリフは推察していた。

 そして戦後、キズメルやリーフェ達は砦に戻ったのだが、その際キリトはリーフェに頼み込み、ティアを預かってもらったらしい。

 いずれにせよ、キリトは数日はフルダイブしていられないほど忙しい日々を送る。SAOの頃と違い、ログアウトする必要性もあるため、無理にティアの面倒を見る訳にもいかなかった。

 だから彼は止められ、それに頷いた。

 だがログアウトせずこの地に留まっている。今は夕食と入浴を終えた後の夜で、彼はもうそろそろ休んでおくべき頃合いだ。

 

「なのに……どうしてこうなってるんだか」

 

 そうするべき少年はいま、ログハウス前の広場で黄金の騎士と対峙していた。剣士として立ち会うためだ。

 その光景を見た私は呆れたため息を吐く。事がここに至るまでの一部始終を知っている身なので立ち会う事に異論は無いが、なにもわざわざ今日する必要はないだろうという心境だった。

 この立ち合いは双方の希望の下に成り立ったものだ。当初こそアリスは敵愾心を抱いていたが、別人と分かってからはそれも鳴りを潜めている。皆無になっていないのは、咎人を罰すべき立場を自負している彼女の生真面目さと、その咎人と彼があまりにも瓜二つの容姿をしているからだ。

 そんな彼女が立ち合いを希望したのは、己の世界で刃を交えた咎人キリトと彼の剣筋を比べ、同一人物か否かを図りたいと考えたからだ。その事についてキリトとヴァベルが議論を交わしていたから彼女も気になったらしい。

 それに願ってもないとばかりにキリトも食いついた。

 仮にアリスと戦った咎人が自身の未来だとするならそれは《知識》として彼に蓄積される。整合騎士が属する組織《公理教会》や、法である《禁忌目録》など独特の単語がある世界にいずれ赴く未来を知るのと知らないのとでは初動に大きな差が生まれる。もしも彼女の世界の《キリト》が彼自身なのであれば、人を斬った事にもそうしなければならなかった理由がある。その理由が、ひいてはその世界の悪性や歪みに繋がる。だからこそ自身の未来と繋がるか否かを知るべきだ――と、彼は語った。

 

 ――確信を抱いているような強い口調だった。

 

 アリスはなぜ《キリト》が人を斬ったのかを知らない。ただ人を斬り血を流す禁忌を犯した者を捕縛するために遣わされ、その任に就いていただけだと彼女は答えた。事の経緯、是非を問わず、禁忌を犯した罪で連行していたと。だから彼女は《キリト》の事を問われても何も答えられなかった。

 整合騎士――いや、異界の住民にとって禁忌目録に背く事は、そこに至るいかなる事情も斟酌する必要も無いほどの《悪》なのだ。

 アリスはその悪を絶対悪だと判断している。故に、論ずる必要も無いと判断していた。

 キリトは、それが必要悪なのか、絶対悪なのかを見定めようとしているのだ。咎人となった《キリト》が未来の己であれば、その暴挙には必ず理由がある必要悪なのだと判断できる。それこそが世界の歪さだと分かる。

 そして、キリトはおそらく、その歪さが何なのかも分かっている。

 

 ――つまり彼が言ったこの立ち合いを希望する理由は、ミスリードを狙ったものという事だ。

 

 そうでないなら、更なる根拠を得ようとしているのだろう。

 仮にミスリードさせる事が狙いでああ言ったのなら、真の目的は何だろうか。

 離れて立ち、見合う二人を見ながら、私は思案した。

 

「よもや、同じ相手と刃を交える事になるとは思ってもみませんでしたよ」

 

 沈黙が場を満たす中、先に鋭い舌鋒を飛ばしたのは、金木犀があしらわれた長剣を持つ騎士だった。空恐ろしいほど流麗な長剣を鞘から抜きながら言った彼女は、剣を抜き切ると、それを両手で正眼に構える。ピタリと止められた剣は、対峙する少年の方をまっすぐ指していた。

 

「まだアリスが知る《キリト》と俺が同一人物と決まった訳じゃない。同じ相手と、というのは誤りだろう」

 

 それを見て、彼も応じながら背に吊る剣を抜き払った。浮遊城で愛用していた剣――エリュシデータを再現したそれを後ろ手に構え、腰を低くしていく。

 その姿に、アリスが眉を(ひそ)める。

 

「……その背にあるもう一振りを抜かないとは、私を愚弄しているのですか」

「アリスと戦ったのは一刀だったんだろう? なら、条件は合わせるべきだ。同一かどうか判断できるのはあんただけなんだから」

 

 あくまで目的のために刃を交えるつもりのキリトと、同一視を続けているため戦意が昂ぶり気味のアリス。両者の剣気は対照的だった。

 

「――ああ、そういえば、一つ聞いておきたい事がある」

 

 ふと、落ち着いた調子でキリトがそんな事を言い出した。出鼻を挫かれたアリスが、苛立ったように眉を更に顰める。

 

「なんですか」

「アリスのその剣についてだよ。剣身を小刃に変える能力について、何も知らないからな」

神器(じんぎ)……と言っても、この世界のお前には伝わらないのでしたね」

 

 はぁ、と息を吐いたアリスは、気を取り直したように剣を翳した。

 

「神器は元来使い手が選ぶのではなく選ばれるものです。そして、私を選んだこの(つるぎ)は【金木犀の剣】。名の通り、かつてはカセドラルが建つ前の《始まりの地》と呼ばれる場所に一本だけ生えていた金木犀の木でした。ただし、その年経た時間は、人界の森羅万象の中で最も長い。創世記の最初の章にその木の事が記されているほどに。つまりこの剣は、神の創りたもうた樹の転生した姿。剣身を幾百の花弁へと散らし、その一片ですら触れた石を割り、地を穿つ、《永劫不朽》の属性を持つ神器です」

 

 スラスラとアリスが語ったのはその剣の経歴だった。彼女もまた剣士のためか、己の持つ剣への愛情は強いらしい。怜悧な表情に、僅かな誇らしさが滲み出ていた。

 

「……神の、ね」

 

 そんな彼女の弁舌に、キリトはポツリと呟く。

 何となく言いたい事は分かる。アリスは間違いなく仮想世界の住人であり、AI――なら、彼女の言う《神》とは、つまるところゲームマスターである。《永劫不朽》の属性も、破壊不能オブジェクトという意味で相違ない訳だ。

 本気で神の存在を信じている者に対し、流石にそこまでを言う気は無かったようだが、それでもつい呟いてしまうほど彼の心境は微妙なものらしい。

 しかし、それも無理はない。

 なにせ数々の仮想世界の事件に於いて神を自称する者と何度も対峙してきた身なのだ。そんな彼が仮想世界の神(ゲームマスター)という存在を胡乱に思うのは必然で、神を信じる者に微妙な目を向けてしまうのもまた必然だった。

 勿論、彼女が現実で言う本当の《異世界(ファンタジー)》出身なのであれば、神が存在するとしてもおかしくはないのだが。

 とは言え、アリスからすれば面白くない反応な訳で――驚きや畏敬であればよかったのだろうが――また眉根を寄せた表情で彼を睨んだ。

 

「何か?」

「なに、随分と仰々しい経歴があるようだなと。生憎だがこちらにそんなものは無い。あるのは二年以上を共にした魂の剣の模造品。あまり期待はしないで貰えると嬉しいね」

「……魂の剣……?」

 

 人を食ったようなキリトの態度に更に眉を寄せていたアリスが、ふと疑問を呈した。魂の剣――というのは、確かに彼の事を知らなければ疑問に思ってもおかしくない単語だ。

 それに気付いたらしく、少年もまた、先の弁舌への返礼とでも言うように語り始めた。

 

「凄まじい力を持つそちらの剣と異なり、こっちの世界の剣は戦いの度に替えていくものなんだ。でも、やっぱり愛着というものが湧く。より強力な剣が必要とは言え、長年使っていた剣を簡単に捨てられない。だから次の剣を鍛え上げる時、前に使っていた剣を鋳溶かした素材も混ぜて作っていた。前の剣の魂を、次の剣に継承させる……それを繰り返した果ての姿が剣だ」

 

 そう言って、右手に握る黒い剣を翳した。

 

「……では、その背に吊る翡翠の剣も?」

 

 そこでアリスは、未だ鞘に納められたままのもう一刀について言及した。

 ダークリパルサー。

 《二刀流》を振るう彼を思い浮かべる時、必ず浮かんでくるものだ。世間的にはモニタリングが始まった時期から程なく聖剣、魔剣に変わったので印象が薄いとされるが、共に戦った仲間達からはやはりあの二刀のイメージが強い。

 

「いや、これは継承してない。鉱石から鍛えられた時と同じ姿だ。この剣だけは……強さの尺度で、変えたくなかった」

 

 そう言って、彼は苦笑を漏らす。

 何に対する笑みなのか。それは彼だけが知る事だろうが、確かなのは、彼があの剣を特別視しているという事だ。

 ――あの二刀は、彼にとって誓いの剣。

 継承を続けてきた剣は、人の死を背負う必要悪の覚悟を象徴したものだ。あの世界での彼の始まりでもある。

 もう一方の剣は、友に誓った約束の証。あの世界を終わらせるという誓いの証明。

 同時に、友との絆を表したもの。

 あの剣の本質は、二刀の片割れを担う強さではないと彼は語ったのだ。

 

 ――思えば、彼はあの二刀を継承させていなかった。

 

 聖剣と魔剣を得た彼は、既に限界に来ていた二刀の代わりにそれらを七十七層から第百層に至るまで使い続けた。

 しかし、彼はエリュシデータとダークリパルサーを手元に残し続けた。それは《クラウド・ブレイン事変》で使っていた事からも明らかだ。

 ならば、なぜ残したのか。

 剣の魂を継承させていく事をなぜやめたのか。

 

 その理由を彼は既に語っている、強さの尺度で変えたくなかった、と。

 

 どちらの剣も彼にとって誓いの証。黒い剣は、必要悪の覚悟を表したものだった。翠の剣は友との約束を表したものだった。

 前者を継承させなかったのは――七十七層からは、もうその必要が無くなったからだ。人を信じ、頼る事にした。その戦いに、過去の負の遺産に近しい覚悟の象徴を継がせる必要は無いと判断した。

 同時、後の事件であの二刀を使っているのは、彼の覚悟――浮遊城で守っていたものを守る誓いのためだ。その道程を潰えさせないために最も適した剣だと彼は定めた。

 

 それらを引っ張り出してきたのには、必ず意味がある。

 

 やはり、と確信する。

 この立ち合いに、少なくともキリトは自らが語った事以外を目的として臨んでいる。そうでなければ説明が付かない。

 

「――さぁ、そろそろ始めよう。時間は有限だからな」

「……お前が先に問うてきたのですよ」

「そうだったな」

 

 くくっ、と喉の奥で笑った後、キリトは表情を改め、再度剣を構えた。アリスもまた静かに正眼に構え直す。

 

「……整合騎士アリス・シンセシス・サーティです。お前の剣、見せてみなさい」

「ああ、存分に見ていくといい――――剣士キリト、いざ参るッ!!!」

 

 そうお互い名乗りを上げた直後、同時に地を蹴り、刃を振るった。

 雷鳴の如き轟音と共に、二色の剣は交錯した。

 

 

 キリトが作り、仲間内に提供している”安住の地”は、天才三人との交渉の末に手に入れたものであるのは周知の事実。

 その詳細までは教えてもらっていないが、同サーバー内の別区画には、ISをVR空間で再現しようとしたり、よく分からない実験場として使われたりなど、様々な最先端研究が為されている場所が複数ある。機密情報に違いないのだろうが、彼曰く『天才達の個人的趣味でしている事』らしく、それらを正しく理解できるのもまた天才である必要があるのだという。とは言え漏洩は防がなければならないため、現在はサーバー権限者である彼の許しがある者でなければ特定の区画には出入り出来ないようになっていた。

 ともあれ、天才達は仮想空間で新たな技術の開発・研究を個人的にしており、その恩恵をこのサーバー内では最も早く受けられるようになっている。

 その最たるものは、このサーバー内での模擬戦闘を可能とした事だ。

 今も日夜、各社の研究の成果として様々なVRゲームが発売されているが、最も完成度が高いのはデスゲームとなったSAOや、それのコピー版であるALOとされている。ソードスキルやフライト・システムなど独自のものがあるにせよ、どちらのワールドも統括しているのはカーディナル・システムだ。ALOを運営する《ユーミル》の天才達から提供されたシステムがそれであったのは、半ば必然と言えるだろう。

 そのシステムは様々な問題を引き起こす元凶になっているが、元を正せば人が招いたものが大半である。SA:Oのような事態の方がおかしな話。

 【黒椿】にも採用されているそのシステムを基に構築されたこのワールドは、つまるところ、最初からSAOと同じような戦闘を行える素地が出来ていた訳だ。無論パラメータやダメージなどの設定はしっかり入力しなければならないが、MMORPGをするつもりのない空間のため、その辺は適当になっている。必要であればその都度変更できる仕様なのだ。もちろん、それが出来るのはサーバー権限者のキリトと彼に許された上位権限者だけだが。

 SA:Oでは途轍もない力を見せたらしいアリスにキリトが対等に渡り合えているのは、彼女と同等のパラメータ設定にしたからだった。

 

 ――それでも、同じ結果にはならない。

 

 黒銀の雷光となったキリトが上段から剣を振り下ろす。それに抗するべく、アリスは金木犀の剣を中段右薙ぎに振るう。

 両者の剣が衝突し、赤白い火花を散らした。

 その結果、弾かれたのはキリトだ。

 ある意味当然である。甲冑を纏い、背丈でも優るアリスに、未だ幼い痩躯のキリトが体重で勝てるはずも無かった。

 それでも、アリスの剣の軌道が小動(こゆるぎ)もしなかったのは意外だった。キリトの打ち込みは、あのリーファやユウキ達ですら往なす事を優先するほど重く、鋭い。短剣を使っての鍛錬でも、真っ向から防いだときはいつも体勢を崩されていた。

 あの騎士、思っていた以上に強い……

 

「エェェイッ!」

 

 目を見張る中、アリスが高く澄んだ気合を発した。

 ぴんと指先まで前に左手を伸ばし、体を大きく開き、後ろにまっすぐ掲げた黄金の剣を、返す刃で左に振るう。大きな半円を描く剣速は恐るべきものだ。

 しかし――その動作は、あまりにも大げさだった。

 私ですら見て取れる。

 それはつまり、浮遊城で最速の反応速度を誇ったキリトであれば、余裕で見えているという事。

 剣が振るわれた時には、キリトは十分な余裕を持って体勢を回復していた。右に備えた剣で黄金の剣を迎えた彼は、刃と刃が接した瞬間、それを上にはね上げた。ギャリィンッ! と耳を劈かんばかりの甲高い音を上げ、黄金の剣が彼方に逸れる。

 

「――っ!」

 

 剣を跳ね上げられたアリスは、しかし然るもので、すぐさま剣を振り下ろした。同じように跳ね上げていた黒剣を振り下ろさんとするキリトと、真っ向から競り合い始める。

 一瞬の硬直。

 そして、弾かれる黒銀。

 競り合いを制したのはアリスだった。

 

「舞え、花たちッ!」

 

 追撃とばかりに、彼女は神器の力を解放した。剣身がはらりと解れたと思えば、次の瞬間には数百の小刃となり、黄金の突風となってうねりながらキリトに迫る。

 

「ちょ、ちょっと、それは――」

 

 やり過ぎでは、と。思わず口を挟んだ私は、そう続けようとした。そもそもこの立ち合いはキリトの剣筋を見極めるためのもので、勝敗を決するものではない。その事が彼女の頭から抜けているとしか思えない暴挙だった。

 だから止めようとした。

 だが、続けられなかった。

 

 ――眼前で、全ての花が弾かれたからだ。

 

 それは剣の結界。黒剣一本を刹那の内に幾度となく振るい、己を覆わんと迫る黄金の波濤を真っ向から叩き落としていた。ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃっ! と不快な音が続いた後には、花畑の上に少年が無傷で立っている光景が広がっていた。

 

「な――――」

 

 流石の騎士も真っ向から無力化された事は元の世界でも無かったらしい。愕然と目を見開き、驚愕に固まっていた。

 それは明確な隙だ。

 

「なるほどな」

 

 しかし、キリトはその隙を敢えて見逃した。剣を肩に担ぎ、周囲に落ちた花の小刃を見て、それから呆然とする黄金の騎士を見て口の端を吊り上げる。

 

「……何に、得心したのです」

「あんた、元の世界の《キリト》にも剣で圧倒されたな?」

「……」

 

 唐突なキリトの問い。それに、アリスは押し黙った。

 その沈黙は、百の言葉を連ねるよりも結果を雄弁に語っている。

 

「図星か」

「……今の応酬だけで、なぜそう思ったのです」

「この勝負の目的は俺の剣筋がそっちの《キリト》と同じか確かめる事。なのに、剣の勝負をかなぐり捨ててその剣の力を振るってきた。そこまで勝ちに拘るとなれば、と、そういう風に推察してみた。結果当たりだった訳だ……それで、この応酬だけでも、俺とその《キリト》の剣筋が同じかは見極められたのか?」

 

 剣を担いだキリトは、悠然と問いを投げた。

 まるで、答えが分かっているかのような様子に思えた。

 それは同じだったのだろう。同時、その答えが苦々しいものであると、アリスの険しい表情が物語っていた。

 

「……ええ、同じです。私の打ち込みを跳ね上げた事も、鍔迫り合いで自ら後退した事も」

 

 花たちを全て弾かれたのは初めてですが、と言いながらアリスは右手に握る柄だけの剣を振るった。するどキリトの足元に落ちていた花の小刃がざああっ、と音を立て、彼女の手元に集結。再び黄金の剣身を作り上げた。

 

「後退したあちらのお前を斬ろうと詰め寄った瞬間、足を弾かれ、隙が生まれた。そして短剣を刺されたのです」

「なるほど。転移術の籠った短剣でなければ致命傷だったな、それは」

「ええ、その通りです。たった三合。三合の打ち合いで、私は負けた……!」

 

 ギシッ、と金色の柄が軋みを上げた。怒りか、羞恥故か、わなわなと肩を震わせるアリスが力を込めていたからだ。真珠粒のような歯をきりりと噛み締めるほどの激情を抱いているらしい。

 程なく、キッと鋭い目つきでアリスは少年を睨み付けた。

 

「私には、分からない。それほどの力を持ちながら、お前は何ゆえ人に向けてその剣を振るい、血を流し、命を奪うという最大の禁忌を犯したのか。何ゆえ、秩序を乱そうとしたのか!」

 

 舌鋒鋭いアリスの言葉からは、悪を嘆き、正義を尊ぶ志が感じられた。

 眩しいほどの純潔。

 物語で語られるほど、それは騎士の理想であった。激情に爛々と燃える青の双眼には確かにその理念が宿っていた。

 ――その眼を向けられたキリトは、笑みを消した。

 まったくの、無。憐憫も、呆れも浮かばないその顔に、アリスは僅かにたじろいだ。

 

「その問いは、そちらの《キリト》と会った時に聞くべきだったな。罪を犯す理由なんてそれこそ千差万別、仮に俺の未来の姿だとしても今の俺と同じ理由になるとは限らん」

「では、今のお前は何と答えるのです」

「守るため」

「……なに?」

 

 ぴく、とアリスの柳眉が動いた。

 

「俺が人を殺すとすれば、大切な人を傷付けられた時。だから俺は守るために剣を振るう」

「……だからお前は、人を殺すと? そのため()()に……法を、秩序を乱すというのですか」

 

 信じられない、とばかりにアリスが震えた声を発する。

 それに、キリトは苦笑を漏らした。

 

「くだらないと思うか? それとも、法を守るより優先すべき事柄ではないと? ――俺に言わせれば、法を守るために見殺しにする方がよっぽど偽善()だよ」

「……悪に、優劣はありません。法を犯した時点で、何れも悪には違いないのです。悪は裁かれなければなりません。そうでなければ、人界の秩序は乱れて……」

 

 徐々に、アリスの声は尻すぼみになっていった。

 彼女も気付き始めている。そして、葛藤している。法のために殺めず見殺しにするか、守るために敵を殺すか。その命題のあまりにも残酷な結末に。

 眩暈でもしたのか、剣を杖替わりに膝を突いた彼女は、左手で目元を覆い、俯いた。

 

「確かに、そうだな」

 

 困惑する彼女は、その声にゆっくりと顔を上げた。少し前の怜悧な美しさの影も無い悄然とした面持ちでキリトを見つめる。

 

「殺人は悪だ。それは、間違いない。裁かれるべきなのも間違ってない。法は守るもの、秩序は乱さないものであるべきだ」

 

 そこまで言った彼は、静かに瞑目した。

 

「だがな……人間は、法や秩序のために生きてるんじゃない。自分のため、人のために生きている。それぞれに事情があり、過去がある。悪を為すに至った理由がある」

「だから……仕方のない理由であれば、見逃せ、と……?」

「別に見逃せとまでは言わない。ただ、その理由について少し目を向けてみた方がいいというだけの話だ。人を殺した、禁忌を犯した、だから悪……なんて、再犯を防ぐための行動が何も無い。秩序を守ると言うなら、悪を為さなければならない温床からどうにかしなくちゃいけないんじゃないか?」

「……それは、つまり……禁忌を犯した者も、また被害者であったと……」

「アリスの世界の《キリト》がどうかは知らないけどな。少なくとも、こちらの世界で罪を犯した人にはそういう人もいるという話だ」

 

 瞼を持ち上げ、肩を竦めて笑うキリト。彼のその喩えが、いったい誰を指しているか――私達には、瞭然としていた。

 私達が見守る中、キリトが黒剣を背中の鞘に納めた。

 

「まぁ、いきなりこんな事を言われても納得出来ないよな。すぐに思想を変えるのも難しい筈だ。けど、何の因果かこの世界に迷い込んだあんたは、すぐには帰れない身だ。学びの機会と思って、少しずつ解釈していけばいい」

「あ……」

 

 キリトはそう言って踵を返した。ログハウスの中に入っていたのを見るに、完全に戦う気は無くなったようだ。剣筋が同じかどうか、その目的を達成できたからそれは当然だ。

 だが……私は、この立ち合いは先の対話こそが目的と思えてならなかった。

 

 もしかしたら、彼は私の過去を考慮し、この対話を試みたのでは……

 

 私は黄金の騎士を見た。悄然と肩を落としている彼女は、少し前までは『殺人は絶対悪』という価値観だった。どのような事情があろうと、彼女はその行いを激しく糾弾しただろう。

 その思想に一石を投じる行いをしたのは、私を慮っての事なのでは……

 

 ――流石に、自意識過剰かしら……

 

 気になるなら、ログハウスに入った彼の後を追い、問い質せばいい事だ。

 しかし私はそうしなかった。私の過去――人を殺めた罪を知るのは、キリトとアスナの二人だけだ。二人以外もいるのにそんな問いかけをすれば、私の過去がみんなにバレてしまう。

 信用していない訳じゃない。

 ただ、怖い。

 まだ過去を克服できていない私には、みんなに話すための一歩目を踏み出す勇気が出なかった。

 だから私は、逃げるように彼とは反対方向――アリスの下へと駆け寄った。

 

「アリス、大丈夫?」

「シノン……すみません。まだ、混乱していて……人を殺める事を悪と認めながら、なぜそれを為せるのか、未だ分からなくて……」

「キリトも言ってたけど、急に全部を吞み込もうとしなくていいのよ。今日は色々な事があったんだし、ゆっくり寝て、また明日考えればいいわ」

「……そう、ですね。ありがとうございます」

 

 私の言葉で少し落ち着きを取り戻した彼女は、剣を鞘に納めた後、ユイ達に付き添われる形でログハウスへ入っていった。

 

「――シノのん」

 

 それを見送った私の下に、アスナがやってきた。ほんの少しだけ不安そうにこちらを見てくる。

 

「大丈夫よ。私は、大丈夫」

「……無理しないで言ってね」

「ええ、ありがとう」

 

 にこりと笑みを返すと、彼女も不安げだがほんのりと微笑んだ。

 

 ――ズキ、と胸の奥が痛んだ気がした。

 

 






Q:キリトが察した『アリス世界の歪さ』って何?
A:『再犯を防ぐ行動がまったく無い』こと
 SAOで秩序維持のために必要悪として動いていたキリトには、根源を断つ事をしていない事(アリスが《キリト》の犯行の動機を知らなかった事)が歪に思えてならなかった


Q:結局キリトは何が言いたかったの?
A:『罪を憎んで人を憎まず』の理念
 つまり、誰かを守るために人を殺したなら、行動は責めるべきだが、その原理となった意志は尊重する考えを持った方がいいと遠回しに言っていた
 誰のためかは最早語るまでもない


・アリス・シンセシス・サーティ
 善を敷く側の者
 まだまだ頑固な女性騎士
 封印を破る前の『法=上位者の命令は絶対』の思考ルーチンが根付いたままなので、罪は悪、どのような事情があっても悪には変わりないという思考
 キリトは別人だが、自身の知る咎人と同一人物と確信を抱き、勝ちに拘った。それは自身の力=秩序を守る正義の敗北が許し難かったから
 途中で答えの出ない葛藤に苛まれ危険な状態に陥っていたが、彼女がAIであると見ているキリトが、キリカの例からさり気なく逃げ場を用意した事をアリス本人は気付いていない
 未だ混乱しているが、ちょっとだけ態度が柔和になったとかならなかったとか


・キリト
 悪を負う者
 必要悪がなぜ必要とされるか。それを知る故に、アリスの視野の狭さに気付いた。それによって傷つく人が居ると見越し、アリス世界の《キリト》が自分と同一の存在かどうか確かめるのを兼ねて立ち合いに臨んだ
 一番悟られたくないシノンに悟られている事には気付いていない


・【エリュシデータ】
 キリト愛用の黒剣
 はじまりの日に殺めた罪と覚悟を継承し続けた剣。七十五層時点で性能が追い付かない部分があったが、《ⅩⅢ》やエリュシオンなどより強力な剣を前にしても使い続けていた
 聖剣、魔剣を手に入れた頃は【ビーター】としての立ち振る舞いが不要になるほどみんなが結束していたため、敢えてこれを継承させなかった
 そんな剣をわざわざ再現し、それだけを使っていたのは、悪を名乗る者としての自負故だろう


・【ダークリパルサー】
 キリト愛用の翠剣
 ”ともだち”の鍛冶師に鍛えてもらい、全てを終える誓いを立てた剣。七十五層時点で性能が追い付かない部分があったが、《ⅩⅢ》やエリュシオンなどより強力な剣を前にしても使い続けていた
 これは形として残していたかったために継承せず取っておいた
 今回は抜かなかったが、見せるだけでも意味を為している(尚そのせいでシノンに気付かれた模様)


・シノン
 罪に苛まれる者
 人を殺めた過去があるが、それを受け入れ、意志を尊重された事で救われた少女。しかしまだトラウマを克服出来ていないのでみんなに話す勇気が出ていない
 《キリト》の罪とアリスの思想の関係から溜め込むシノンを案じ、キリトが一芝居打った事に勘付いた


 では、次話にてお会いしましょう

【参考】SA:O編ラスボスの難易度あんけーと 気軽に答えてネ! 難易度上昇でボスが増えるよ! 1.さくさく敵が倒れます。原典仕様のいーじーもーど 2.仲間と一緒に協力プレイ。コミックス仕様ののーまるもーど 3.形態変化にボス追加。改変仕様のはーどもーど 4.思い出補整で狂化します。極悪仕様のかおすもーど 5.ぷれいやー・ますと・だい(がち)

  • 1.かんたん
  • 2.ふつう
  • 3.むずかしい
  • 4.ごくあく
  • 5.ですげーむ

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