インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~ 作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス
どうも、おはこんばんにちは
誘拐事件以降久しぶりの登場なかんちゃん回です。本作での専用機周りの解説回ともいう()
視点:簪
字数:約六千
ではどうぞ
水音が耳朶を打つ。
一塊の
頭から被った温水が体を芯から温めていく感触は心地いいものだった。
「ふぅ……」
安堵の息を吐く。
私はとても気分がよかった。手放しに喜ぶ、とまでいかないのは残念だが、一先ず一歩前進したのは確かだった。
その前進とは、私の専用機が遂に完成した事だ。
日本製第三世代機・二機目。名を【打鉄弐式】。
名前から分かる通り、この機体は日本が誇る第二世代【打鉄】の後継機のようなものになる。第三世代の汎用機のモデルケースだから『弐式』と付けられたらしい。
とにかく紆余曲折あって研究・開発が先送りされ続けた機体だ。
正直、とても長かった。
私が代表候補になる事を命じられたのは昨年の半ばを過ぎた8月頃だった。その時点で姉・楯無は専用機の貸与の話が出ていた。勿論、次期代表候補筆頭の立場にあったからである。
その頃から代表候補になるよう動き始め、今年頭の順位付けで次席になった自分にも専用機貸与の案自体は浮上していた。今年のモンド・グロッソ後に現代表の織斑千冬が引退する可能性が高く、その立場を楯無が引き継げば必然的に次席の自分が筆頭になる。候補筆頭は専用機を持っている事が外国に研究力などを示す事になるため、半ば慣例のようになっていた事から専用機貸与の話が挙がっていた。
だが、実際には一年の半分が過ぎるまで貸与されなかった。
この一年、日本は動乱の最中にあったと言えよう。その中で最もIS業界に激震が走ったとすれば、それは当然『男性操縦者』の台頭だ。桐ヶ谷和人と織斑秋十の両者の存在が全てを狂わせたと言ってもいい。
とは言え、ただそれだけなら開発が遅れる事はないだろう。
私に貸与する機体の開発を請け負っていた企業は《倉持技研》。【打鉄】の研究・開発を主導した政府直轄の研究機関にして国内で最大規模の研究機関。千冬の機体【暮桜】の整備を主導しているのも、実はそこだ。【白式】が《零落白夜》を積んでいたのも【暮桜】の整備の関係でデータを流用できる環境だったからに他ならない。
政府の指示なのか、あるいは倉持側が持ち掛けたのか、あそこは和人の【黒椿】と秋十の【白式】の両方を早急に準備してみせた。【黒椿】はコア・機体側の問題で篠ノ之博士が介入したというが、【白式】に関しては倉持技研しか関与していない。
つまり倉持は、先に契約していた私よりも、後から出た男性操縦者を優先していたのだ。
【打鉄弐式】の開発にも支障は出ていた。その分の人員を先の二機の調整に回し、更に両者から得られた男性操縦者のデータの解析に割き続けていた。
倉持にとって、第三世代機開発よりも男性操縦者のデータ解析の方が重要だったという事だ。
重要性で言えばそうなのだろう。日本の第三世代機は既に一つ存在するから、二つ目を作っても話題性は乏しい。男性操縦者の機体を用意し、得られた生データを解析できる事を考えればそちらを重要と見る事も理解できる。
だが――それは違うだろうと、私は思った。
契約はこちらの方が先だったのだ。それを放り出し、後から来た契約に全力を出して先に終わらせるとはどういう了見か。
しかも、年度初めから依頼していたこちらより、依頼から半月程度で【白式】を用意したそのスピードにも不満はある。全力を出してそれが出来たのなら、何故こちらにはしなかったのかと言いたかった。
結局言わなかったが。
「――――はぁ……っ」
そこで、胸中の
――遅れる事自体は受け容れていた事だ。
姉と比較して、という意味ではない。そうなるだろうという話を姉からされていたのだ。
それは5月の時だった。
《
倉持に【無銘】の隠れ蓑になる『表向きの機体』の用意を依頼する事はあの時点で決まっていたのだ。
私の専用機開発が終わっていなければ支障が出る事を姉に話をされたし、和人本人からも謝罪を受けていた。彼が名乗りを上げる予定はモンド・グロッソがある8月だったから、三か月もあれば受領しているかもという希望的観測もあったが、ある程度の遅れが出る事は聞いていたし、私自身も理解を示していた。
しかしまさか、完全に放り出されるとは思わなかった。
苛立ちとはつまり、倉持の杜撰な仕事ぶりに対してのもの。
秋十にも苛立ちはあった。しかし、和人には無い。【黒椿】は凍結された機体こそ倉持が用意したが手を付けたのはほぼ篠ノ之博士で、翻って【白式】は全て倉持が一から用意した機体だったからだ。
もし【黒椿】までも倉持が完全に手掛けていれば、今日彼と冷静に言葉を交わせたかは自信がない。
「……なんて、調子いいなぁ……私……」
そこで、ふっと自嘲する。
苛立ちの矛先である【白式】は《亡国事変》の最中に和人の生体コアの一つになった。【白式】を持っていた秋十に苛立っていたなら、今の所有者である和人にも同じ感情をぶつける事が筋だろう。
そうしていないという事は、自分は相手によってコロコロ意見を変える人間という事になる。
それを人は、調子のいいヒト、と揶揄する。
時と場合、相手によって主義主張を変えるほど主体性がない人間ではないと自負していたのだが、そうでもなかったらしい。
その自己嫌悪が、自嘲として現れていた。
それはシャワーでも流す事は出来ず、胸中に
シャワー室を出て、体を一通り拭き、ISスーツに袖を通す。上気した体熱によりじっとりを汗をかき始めるが、更衣室の冷暖房が冷風を送って来てくれるため丁度良く感じる。
ただ湯冷めするとマズいので、ベンチで風が直接当たらない位置に腰を下ろす。
手元には何十枚ものA4用紙の束。その束は二つの束に分かれるよう紐で括られていて、片方は専用機受領者への機械的な規則要綱。もう片方は機体のスペックデータに関する書類。
私は後者の束だけ抜き出し、もう片方は足元の鞄の中に仕舞う。規則に関しては専用機開発の依頼をする契約書にサインする際にイヤというほど読んだものと同じだったから今更だった。その時の記憶を横においやって、私は手元の書類に意識を向けた。
時間を掛けて読み込みつつ、先の機体調整の際に和人から受けた説明も思い出していく事でより理解を深める。
機体名【打鉄弐式】。
元の防御重視の【打鉄】と異なり、装甲を減らして機動性を上げた遊撃向けの機体。【打鉄】用の
弐式の第三世代兵装は《マルチ・ロックオン・システム》。その名の通り、同時に複数の標的に狙いを定める火器管制システムの一つである。
しかし現在、そのシステムは使えない。
倉持技研がそのシステムを完成させられなかったからだ。
そもそも弐式の完成自体、倉持以外の手が入っている。《亡国事変》の後、【白式】の受領の手続きの関係で事態を知った――裏では既に知っていた――篠ノ之博士がコアの所有権を《ユーミル》名義で【白式】と一緒に買い取り、《ユーミル》が完成させたのである。買い取った時点で機体の七割を組み終えていたらしいが、元々【打鉄】を素体にして組み替える手法を取っていたのでほぼ何もしていなかったに等しいレベルだと聞いている。
そこから《BIA》設立で忙しかった博士が半月足らずで設計通りに完成させた訳だが、肝心のシステムが未完成な状態であるため、厳密には第二・五世代のような状況になる。システム搭載予定の兵装は完成しているが、ロックオンは
そんな未完の機体を受領した理由は二つ。
一つ目は私が機体の基本能力や兵装の扱いに慣れる時間を確保するため。
モンド・グロッソで一騒動あると見れば既に足りないくらいだから、現状で訓練だけでもした方がいいと判断されたらしい。大会当日、自衛や和人のフォローの任務のためというのも含まれている。
二つ目はロックオン・システム構築に必要なデータ収集のため。
標的をロックオンする時の演算処理は、標的の数が多いほど『距離』、『脅威度』など様々な要素を絡めて優先度決定のために負荷が大きくなる。それを複数同時に行うのがマルチ・ロックオンの原理で、負荷も数倍に膨れ上がる。その負荷が問題だから未完成なのだ。加えて《イメージ・インターフェイス》の搭載で操縦者のイメージを反映させる過程が問題の一つになっている。
だから暫く単一ロックオンでイメージ反映の演算をAIに学習させ、そのデータを集めていく方針になった。
二つに共通している『訓練が必要』という点から博士は未完成ながら私に機体を渡したのだ。
その調整に来たのが彼だった点は謎だが……
――また裏で何かが起きているんだろうか?
ふと、思考が逸れる。
思い返されるのは父が楯無を務めていた先代から更識家に仕えていた男に攫われた時の事。姉妹で表の代表候補、裏の当主の役割を分ける提案が無かった点で和人が引っ掛かりを覚えたのを契機に、更識家内に居るだろう『敵』を炙り出そうとしていたらしい。
その『敵』を警戒し、《クラウド・ブレイン事変》後から和人は生還者学園に登校するようになった。
それは自身が無防備になるのを防ぐためであり、同時に私の身柄を守るためでもあったらしい。だからあの時裏切った男は和人とは別の車に誘導したのだ。繋がっていた女権団の指示で分けたのではなく、分ける必要があったから分けて、後の始末に女権団を利用したというのが事の真相。
そんな裏事情を知った私は、彼が機体の調整に付き合った今もその状況にあるのだろうかと考えた。なにせ《亡国機業》がいつ攻めてくるか分からない状況だ。無いとは断定できない。
――でも、もうあの時とは違う
そっと、右手を見る。
中指には薄水色のクリスタルの指輪を嵌めている。それが【打鉄弐式】の待機形態。攫われた時には無かった、私の力だ。
今までは関われなかったし、サポートも出来なかった。同じ場所に立てなかった。
けれど専用機という力を得た今は違う。未熟ではあるが、サポートを可能とする手段が出来たのは大きな前進なのだ。
せめて、自分の身だけでも守らなければ。
「よし……!」
グッと拳を握る。
気分は舞台の役者。これまで観衆の一人だった自分が役者として舞台に立つ事を許されたような、そんな承認感が遅まきに湧いてくる。
これから頑張ろう。
そう前向きになれたのは、随分久しぶりのように思えた。
決意を新たにした後。
私はISスーツの上に外出用の私服を着用。メッセージアプリで従者の少女・本音とやり取りを行い、合流地点を決めてから更衣室を後にする。
「あ、やっと出てきたわねかんちゃん」
と、更衣室を出たところで、姉から声を掛けられた。
ここに居ると予想していなかった私は目を瞠った。彼女は更識家当主としてだけでなくIS学園の生徒会長としての仕事もあって忙しい毎日を送っているから、まさか来ているとは思わなかった。
「お姉ちゃん、なんでここに? 仕事で忙しいんじゃ……」
まさか仕事をすっぽかして来たのだろうか、と以前本音の姉・
「ここ最近は真面目にしているわ。此処に来たのだって、”こっち”の仕事の関係よ」
「でも、アリーナに用事って……」
「今日はかんちゃんが専用機を受領する日だもの。いっぱい頑張ってきた事を知ってる以上、労う事だって立派な仕事よ? ……おめでとう、かんちゃん」
距離を詰めた姉は私を抱きしめてきた。
急な事に反応できずにいると、耳元で更に話しかけてくる。
「この短期間で、本当によく頑張ったわね。私より短期間だなんて本当に凄いわ」
そう、更に労いの言葉を掛けられる。
当主の役目としてでなく、姉としての言葉。
慣れない温かさに包まれる私は、どう反応すればいいか分からず、混乱した。だがそんな中でも体は正直だ。口元がにやけ、胸中が嬉しさで満ち溢れるのを感じる。
「……ま、まだ早い、よ」
ただ、それを悟られたくない
「漸く、一緒に戦えるようになっただけ。本当の仕事はこれから、だから。桐ヶ谷君をサポートするのが私の仕事……でしょ?」
「……あらあら」
私の言葉を聞いた姉は、意外そうにしつつ嬉しそうに破顔した。バッ! と広げられた扇子の扇部分には『冷静沈着』の四文字が。
「もっと喜ぶかと思ってたけど、予想以上に冷静でお姉ちゃんビックリ」
「今日は受領するだけだったし……専用機開発の契約時に言われたら、凄く喜んだと思うけど」
「うっ……そ、それは……ごめんなさい」
頬を引きつらせ、視線を彷徨わせるも最後には肩を落として謝罪する姉。当時は『妹のため』とばかりに裏関係の情報を遮断し、不仲を演出しようとしていたせいで交流が無かった。
その原因を作ったのは彼女だ。
まぁ、真正面から喧嘩するでもなく、ただ受け身だった自分にも非はあったかも……と最近は思うが。
「もういいよ。今こうして仲良くしてくれてるし……それに、無理に比較して褒めようとしなくていいよ」
「む、無理なんてしてないわよ?」
「ウソだね」
焦りからかやや詰まった姉の言葉を切り捨てる。
自分より短期間だと言って彼女は私を持ち上げた。私を褒めるための要素として挙げたのは、不仲の頃にさんざん比較されて貶められた私の事を思っての言葉だ。傷つけられた自尊心を癒そうとしてくれている。
それは有難い事だ。
――でも、もう要らない。
完璧に見えていた姉は、けれど同じ人間で、完璧ではなかった。目を離せば楽をしようとするらしいし、苦手な分野だってあると知った。
彼女一人だけでは出来ない事もあると、私は身を以て理解した。数年間の関係性こそがその証拠なのだ。
「比べなくていいよ。私とお姉ちゃんは別人で、出来る事と出来ない事がある。お姉ちゃんに出来ない事を私がする。だから比べてまで褒めようとしなくていい。ただ、純粋に褒めて欲しい」
何時になく、饒舌な口でそう伝える。
姉は瞠目で驚きを露にしていた。どうやら私が言った事は彼女にとって予想外の事だったらしい。
「……強くなったわね」
感慨深げに姉はそう言った。
私は苦笑を零した。
「そう見えるだけだよ。実際にサポート出来るのかはまだ自信がないし……でも強くならないとって、そう思ってる。じゃないと桐ヶ谷君の足手纏いになっちゃうから」
強く見えるのだとすれば、強くなろうと思っているからだろう。そんな有名なヒーローアニメの主人公のセリフを脳内でリフレインさせながら、彼女にそう見える要因について語った。
「……そっか」
同意するように、一つ姉が頷いた。
それ以上は何も言わず、彼女は手を差し出してきた。その手を握って二人並んで廊下を歩く。
――ほんの少し、
・更識簪
【打鉄弐式】の操縦者
2024年8月頃から候補生になるべく努力し、ほぼ一年で専用機受領までこぎつけた才女。傍から見れば異常レベルの努力家。恐ろしいのはその努力を、余程親しい相手(本音)以外に悟らせない慎ましいところか
和人と関わり、その動向を追う中で精神的成長を遂げた
鈴音が実力面の成長を促されたなら、簪は精神面の成長を促された事になる
・更識楯無
日本初の第三世代機の操縦者
誘拐事件以降、姉妹仲を修復しようと苦心中。色々と忙しいので中々時間を取れないでいたところ、久しぶりに会った妹の精神的成長に心から驚いた
なぜ簪が仕事に前向きなのか
なぜ、自身と和人の足手纏いになりたくないのか
『そっか』の一言には、その辺の微妙な機微を読み取ったが故の心情が含まれている
・【打鉄弐式】
更識簪の第三世代機
《マルチ・ロックオン・システム》の未構築、《イメージ・インターフェイス》との連動が不完全なので、現状は『第三世代スペックの第二世代機』のような状態
2025年4月頃から委託していた機体がほぼ手付かずの状態だったところを、【白式】の手続き関係で一緒に《ユーミル》にコアの所有権ごと買い取られ、束の手によって形になった機体。大本は【打鉄】と同じだが、所々カスタムされている
所有権は《倉持技研》から《ユーミル》に移行
束が手掛けたのは、和人の護衛の他、以前誘拐された時のように足を引っ張られると和人が危ないので、せめて自衛できるようにという配慮。調整に来なかったのは束の中で簪の優先度が低いため=他にやる事があるためである
・《ユーミル》
ALOの主導運営企業
政府主導の《SA:O》の管理・運営を委託された企業でもある
表の代表取締役に茅場晶彦、社長職に篠ノ之束、特別調査員などで和人、クロエ、七色が勤めている。
元は和人が対人戦闘経験を積むのに最適なVRMMO存続のために設立された。しかし《亡国事変》により《BIA》が発足し、VR技術も大々的に運用する事になってからIS業界にも進出。手始めに生体コアになった【白式】と、煽りを食らっていた【打鉄弐式】のコアを買い取り、IS研究企業の側面も持つようになった
企業所有コア(日本所有換算)
【黒椿】、【白式】、【打鉄弐式】
何れも元々倉持が所有していたコアだが、《BIA》発足に際して三つとも束が公的取引で買い取っており、現在はユーミル所有のものとなっている
=『政府とのパイプとなる企業』は倉持からユーミルに変更された
Q:特に描写無かったけど簪は秋十の事は嫌いなの?
A:和人の事情を知り、自分に重ねて見ていたのでぶっちゃけ大嫌い。【白式】の事もあるので猶更嫌い。
関わりたくない相手だったので内心安堵している
死んだ事を喜んだ訳でないのがミソ
Q:専用機開発が遅れると分かっていたのに、どうして苛立っていたの?
A:本編では弐式開発は『完全停止』で放り出されていました。それを他所に【黒椿】と【白式】を用意されたので、倉持に対して不満が爆発しています。遅れても順番さえ守っていればそこまで苛立ちは(無駄なエネルギー使いたくない気質から)しなかったでしょう
ちなみに『男性操縦者のせいで』ではなく、『倉持のせいで』と苛立ちの理由と矛先が変更されている点が原作との変更点です
Q:《SA:O》編なのに何で露骨に現実編?
A:二つ前の前書きに答えはある
では、次話にてお会いしましょう