インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

36 / 446


 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。

 やっぱり今話で《圏内事件》は終わりませんでした、終わるのは次ですね。

 さて、今話は前半アスナ視点、後半リズベット視点でお送り致します。特に後半はかなり他作品のネタ要素が入っておりますので、分かった人は少し笑ってしまうかと。

 ではどうぞ。




第三十三章 ~剣林弾雨~

 

 

 ヨルコさんが滞在していた宿屋を引き払い、撤収して転移門へと向かう道すがら、私達はある結論を出していた。

 何故グリムロックさんが奥さんを殺害したのか、その意図は不明なままなので謎は残っているものの、現在私達が解決に動いているのはあくまで《圏内事件》がどのようにどうして起こったのかの原因究明であって《指輪事件》の事では無い。指輪を巡る事件から発展しているだろう事はほぼ明らかだが、《黄金林檎》という今は存在しないギルドの事件にまで首を突っ込まなければならない義理は無いし、そんな余裕も無い。

 それに、グリセルダさん殺害の片棒を担いでいるシュミットさんは自白したし、キリト君の推論のお蔭でほぼ犯人も絞られている。今回の事件はこれで終幕と考えてもいいだろう。

 

「ふー……それにしても、公表の仕方はどうしようか。流石に《指輪事件》の事とか流す訳にもいかないよね……」

 

 キリト君の推察から、あの砕け散る蒼い結晶片は重甲冑やローブなどが耐久値全損した時に発生したもの、姿を消したのは転移結晶によるもの、体に武器が突き刺さっていたのは一度圏外に行って刺してから隠していただけという事が予測されている。これらは全て、既知のシステムに沿ったものでしか無い。

 パッと見では殺人が成立しているように見えるものの実際は死んでいないのだ。不謹慎な悪戯程度にしか使えないだろう。

 そうなると何故そんな事を仕出かしたのだという話になるのだが、人が実際に死んだ事件が発端となっているし、ぶっちゃけると関係ない人に不安を抱かせてしまうという迷惑が出ているので、進んでしたくは無い。カインズさんとヨルコさんは、恐らくリーダーのグリセルダさんを殺した人を突き止めたいが為だけにここまで大仰な計画を立てていたのだから。

 とは言え、実際に死んでいないと話す際にはカインズさん達の事情を話さなければならないし、逆に死んでいたと言えばそれはそれで大騒ぎになってしまう。難しい所である。

 

「とは言え、事情説明をする際には抜かしたらいけないだろう。血気盛んなプレイヤー達が怒ったら手が付けられない」

「だよね……ヨルコさん達が話す気でいる事を願うしかないね」

 

 結局のところ、彼女達に全てを話してもらわなければならない、でなければ不安が消えない程に大事態となっているのだ。

 システムに於いては博覧強記と言える団長とキリト君ですら騙された、キリト君が気付いたから事をすんなり運べるものの、誰も気付いていなければこちらが事情を呑み込むのに時間を費やす羽目になっていた筈だ。

 まぁ、尊敬する人が明らかに故意で殺害されていると分かれば、その犯人を突き止めたい気持ちも分からないでもないけれど……

 そう思いながら転移門へ向かっていると、ふと、前をトコトコと歩くキリト君の姿が目に入った。それから何となく違和感を覚え……使い魔のナンちゃんが居ないのだと気付く。

 

「ねぇ、キリト君、ナンちゃんはどうしたの?」

「ん? ああ……ナンが居ると都合が悪かったりする場合は置いて来てるんだ。あとはシノン達の護衛とかかな、シンカーを助けに向かった際に居なかったのは詩乃たちの護衛を任せてたからなんだ」

「ふぅん…………普通使い魔って、そこまで賢くない筈なんだけどなぁ……」

 

 少なくともシリカちゃんの言では、主人たるマスターを護る事はあっても例え命令しても他者を護る事はまずしない筈らしい。勿論ヒールブレスのような支援は命令さえあればしてくれるらしいが、その命令でも他者を護衛するなどあり得ないし、それ以上に階層を跨ぐほどの距離離れていられるのもおかしいという。

 しかしながら、現に彼はそれをしているし、ナンちゃんも何だかんだでシノのん達の護衛を務めているらしいから、彼の場合は例外と考えてもいいのだろう。

 まぁ、謎ではあるが、考えても分かる事では無いのも確かだから考えない事にした。諦めているとも言う。

 

「……そういえばアスナ、ヨルコさんは今どこにいるんだ?」

「ん? えーとね……第十九層主街区《ラーベルグ》からちょっと離れた丘の上かな、フィールドだよ。それがどうかした?」

「いや、ただ気になっただけだよ……ヒースクリフ、シュミットの反応は?」

「む? ……ふむ、同じく第十九層のようだが……本部に帰ると言っていた彼が何故そこに居るのだろうか……」

「そこにグリセルダさんの墓でもあるのかも知れないな。良心の呵責で、墓の前で懺悔でもしているのかも知れない……シュミットは幽霊の存在を信じているかのような状態だったから、尚更だろう」

 

 ヨルコさん、そしてシュミットさんの反応がある位置を聞き出した彼は、少し得心の行った顔でそう言った。あの二人の間で何らかのやり取りがあって呼び出された可能性もあるが、何の理由も無く階層を選ぶと思えない今、売却反対組が揃っているその場所がグリセルダさんのお墓があるという可能性は十分にある。

 このSAOでは、システム的に他者のお墓というものは存在しない。あるのは全てフィールドグラフィックや破壊不能のオブジェクトだったり、ギミックに使われるシステムで設置されているものばかりで、プレイヤーが設置したものは一つも無い。システム的に墓石や墓標というものが認められていないからだ。

 だが、プレイヤーは死した人々の想い出をものに託し、それを墓標にする事がある。《生命の碑》だけで無く、死んだ人が住んでいたホーム、溜まり場になっていた宿の近くにある木、あるいは実際にそのプレイヤーが死んだ場所へ献花をする者は少なくない。現にキリト君やサチさんもその内の一人だ。

 シュミットさんも、何も最初からグリセルダさんを裏切るつもりで、ましてや殺すつもりで件の話に乗った訳では無いのだろう。だが結果的に自身が動いてしまったから死んでしまったとも言えるから、その罪悪感は果てしない筈だ。同情の余地は全く無いし、庇う気も一切無いが、その心境だけは多少ながら慮る事は出来る。

 とは言え、シュミットさんは《血盟騎士団》のランス隊の部隊長を務める程の敏腕プレイヤー、彼が欠けてしまっては致命的とは言えないが確実に戦力低下に繋がるし、現状で明らかにPKと言える死者が出たらそれこそ不安を煽る結果になってしまう。

 そこで心配になったのが、ヨルコさんとカインズさんの二人が、断罪と称してシュミットさんを殺害しないかだったが……

 

「いや、多分それは無いんじゃないかな」

 

 この疑問をキリト君にぶつければ、彼はあっけらかんと私の予想を否定した。同じような疑念を抱いていたアルゴさん達が首を傾げ、理由を聞く中で、彼は私を見て来た。

 

「殺害しない根拠としては、仮にシュミットを殺す覚悟を決めているならフレンド登録は破棄している筈だから。フレンドの状態で生死が確認出来ると分かっている以上、本気で犯人を殺すつもりならそもそも足が付くような事はしないだろう……フレンドリストにヨルコさんの名前が残っているのは、それはつまり、後からしっかり話をしに来るという言外の意思表示なんだと思う。だからシュミットを殺す事はまず無い筈だ」

「……なるほど……」

 

 物凄く説得力があるが、これはつまり、キリト君も一歩間違えれば同じ道を辿っていたのではないだろうかと思えてならない。クリスマスイベントの時だって、むしろあの状態でよくフレンド登録を解除されていなかったなと思うくらいだし……まぁ、そもそもあの時点でフレンドになっていたのはクラインさんとアルゴさん、エギルさんだけだったのだが。

 それにしても、もしかしてヨルコさんは、団長達と一緒に自身の下を訪れて全てを語ったシュミットさんの話を信じていないのかなとちょっと思った。

 まぁ、事情が事情だし、カインズさんにも聞かせたいと思っているのかも知れないけど……

 

「……ん? メール……?」

 

 何だかなぁと考えながら歩いて、とうとう転移門前まで到着したその時、ふとキリト君が思わずといった風に声を洩らした。のろのろと、恐らく視界端に点滅しているのだろうメール通知をタップした彼の前に、一枚の白いパネルが表示される。基本不可視なので私達には見えないが、彼にはそのパネルに送り主からのメッセージが書き込まれているのが見えている筈だ。

 そこそこの長さだったのか、あるいは疲労で思考が鈍っているのか、真剣な表情で数秒それに目を通していた彼はふぅ、と溜息を吐いた。

 

「キー坊、メールは誰からだったんダ?」

「リー姉。何処にいるんだってメールが着た……リー姉が寝入ってから来たから何も話してないんだ……」

「自業自得だね。素直にお説教を受けるべきだよ、キリト」

「うー……」

 

 義姉に叱られる光景を幻視しているのか、がっくしと肩を落とした彼は一番最初に転移門に入り、二十二層《コラル》へと転移していった。それから私達も順に入り、それぞれの拠点としている階層へと転移していく。

 私が拠点としているのは第六十一層《セルムブルグ》。ある意味で華やかだし、武具屋で取り扱っている品物もそれなりに――稀に現最前線層でも通用する――アイテムが取り扱われているのだが、基本的に物価が高いのでそこまで賑わっている訳では無い。外観は綺麗だから観光名所の一つではあるのだが、宿代も高いし、ホームを購入するとなったらかなりの額を支払わなければならない。

 私の部屋はアパートの二階のようなものだが、かなりの広さを誇っており、四百万コルの額を支払って購入している。広さと華美さを考えるとこれでも少々安めなのだが、スペース的に一人ないし二人が暮らすのを前提とされているため、この値段で落ち着いているのだと思う。これが一軒家だったら一千万コルは下らないだろう。

 夏に入ろうとしているからか日が暮れるのは遅くなってきているのだが、流石に八時ともなれば既に街には夜の帳が下りていて、街灯が明るく街路を照らす光景が広がっている。道を行き交うプレイヤーは少なく、諸々の用事を済ませて拠点に向かって休もうとしている者や、逆に今から活動しようと武装している者がチラホラとだが見える。そんなプレイヤー達を尻目に私は購入している部屋へと一直線で向かい、数分と要さずに辿り着く。

 外壁に付いている階段を上って二階へ上がるようになっているホームに着いた後、私は一旦周囲をぐるりと回って誰も居ない事を確認した。今朝は階段を下りてすぐの死角になっている所にクラディールが待機していたものだから、慌てて転移門へと走り去ってしまったのだ。流石に今は居ないようだと安心して、漸く階段を上がり始める。

 扉を開け、壁際に浮かんでいるボタンをタップして部屋の明かりを付け、それから扉を閉めて、鍵もしっかり掛ける。

 

「はあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

 

 誰も見ていないプライベートな空間へと入った瞬間、肺の中にある空気を全て出す勢いで息を吐いた。深い深い溜息は疲労が滲み出ている事が分かる程だ。

 

「最近色々とあり過ぎだよぉ……」

 

 特に第七十四層ボス討伐の後からは、ほぼ毎日何かがあったものである。それは今までの常識をぶち壊すものだったり、命の危機に晒されたりなどだが、その殆どが黒尽くめの少年を中心にしているのだから全く笑えない。

 とは言え、それでも良い事もあった。やはり表立って知らせる訳にはいかない情報ではあるが、それを齎してくれた妖精が、彼の心を支えている義理の姉だったのだから。死の世界に囚われた事を考えると決して手放しで喜ぶ訳にはいかないが、彼を支えるという意味ではこれ以上無い強力な助っ人である。キリト君も何だかんだで甘えているようだし、色々と溜め込んでいるものもあるだろうからそれを解消して欲しいと思う。

 そこまで考えて、あれ? と私は首を傾げた。

 彼女を紹介されたあの日、私はキリト君が所有する巨大なホームでお泊りをして、女子会を開いた事がある。その女子会はリーファちゃんが寝る部屋、つまりキリト君の部屋で開いたのだが……彼女は少し横になっただけで深く寝入ってしまっていたのだ。後から本人で聞けば、横になったら十秒で意識が落ちて、朝まで何があっても絶対に起きない程に熟睡してしまうらしい。過去、かなり大きな地震があっても一切起きなかった程だという。

 それを踏まえると、さっきのキリト君はおかしいのではないか、と私は思った。だって彼は、彼女が寝入ってから来たと言っていたのだ、その彼女が途中で目を覚ましてメールを送って来るというのは些かおかしい。

 確かに、普通なら目が覚めてという話になるだろうが……大きな地震が来ても一切気付かず熟睡してしまう彼女に限って、何も無いのに途中で起きるという事があるのだろうかと思った。

 勿論シノのんやストレアさんも一緒のホームに居るのだし、彼が居ない事に気付いてリーファちゃんに声を掛けて起こした事も考えられるが……その場合、その二人が直接メールを送って来てもおかしくない気がした。

 

「……何だろう……何か、胸騒ぎがする……」

 

 そう考えていると、もやもやとした何か……不穏な気配を感じ取った時特有の嫌な感じが胸中に湧き立った。それを解消したくて、私はフレンドリストを開き、キリト君の位置追跡を試みた。

 直後、彼の座標位置が《第十九層 フィールド》と表記され、その階層のマップで、正にヨルコさんも居る場所で点滅しているという結果が出た。

 同時に、そのマップには私のフレンドが他にも存在していた。ヨルコさんと程近い位置に、《Lisbeth》と《Silica》というマーカーがあった。

 リズとシリカちゃんの二人は攻略組では無い、よってPKプレイヤーに対する対抗力というものに欠ける。リズは《鍛冶》で取得した経験値があるし、素材収集でフィールドにも割と出ている方だから攻略組に匹敵するレベルはあるが、技量が足りない。シリカちゃんに至っては両方足りない。短剣使いとしては破格ではあるのだが、ステータスが足りないのだ、後は絶対的に経験も不足している。経験はリズにも言える事だけど。

 よって夜の外出は危険だから控えるように言っておいたのに、何故この二人が、件の事件で関わっているヨルコさんの下に居るのか分からなかった。いや、それで言えばキリト君もだが。

 

 

 

 ――――キー坊、メールは誰からだったんダ?

 

 

 

 ――――リー姉。何処にいるんだってメールが着た……リー姉が寝入ってから来たから何も話してないんだ……

 

 

 

 ふと、脳裏に蘇る第五十七層転移門前でのやり取り。唐突に彼へ送られたメールの送り主を彼は義姉だと答えた。しかしながら私はそれに、リーファちゃんが途中で起きるのは変では無いかと疑問を覚えている。

 そして思い出される、メールを確認している時の彼の表情。疲労すら忘れているかのような真剣さを感じさせる表情を、本当にただ心配している義姉が送って来たメールを読む際に浮かべるだろうかと疑問に感じる。

 彼はそもそもフレンドそのものが少ない、本当に心を許している者としかフレンド登録を交わしていないのだ。故に彼にとってフレンドというのは心を許せる存在そのものと言っていい、多少度合いはあるが大抵は同じだ。

 そんな相手が送って来たメールを、あんな真剣な表情で読むというのは変だ。

 そして、彼が居る場所は第二十二層のホームでは無い……第十九層だ。そしてそこにはヨルコさんやシュミットさんだけでなく、何故か私のフレンドでもあるリズとシリカちゃんの二人まで居る。

 

「皆に知らせないと……!」

 

 何か起こっている。そう確信めいた予感を覚えた私は、絶対の信用を置けるフレンドへメールを一斉送信した。

 

 ***

 

「メールしてから二十分近く……遅いですねぇ。何をやってるんスかね、《ビーター》サンは」

 

 鎖帽子――コイフという鎖で編まれた頭防具――を被ってイマイチ人相が見えない男が、へらへらとした口調で言った。目元こそ見えないが、確かに視線があたしに向けられているのだと分かるそれが、胸中に苛立ちを浮かばせる。

 だがその大本は、あたし自身の不甲斐無さによるものが大半だ。あれだけ皆から口を酸っぱくして圏外には出るなと言われていたのに、助力してくれと頼まれただけでホイホイと付いて行ってしまった。

 シリカとピナはあたしと一緒の情報を集め、それをメールで送ってからは武具屋の片付けや品物の陳列を手伝ってくれていたのだが、その時に近くを通ったプレイヤーに声を掛けられたのだ。曰く、ポーションが切れた上にモンスターがリンクしまくって仲間がヤバいから、ちょっと力を貸してくれないか、と。

 武具店を営むにあたってスキルの習得及びそれの向上は勿論だが、物を作るには何事も素材が必要だ。それはエギルとの商談のように他者から納入してもらう事もあるし、自分で取りに行く事もある。あたしは定期的に掲示板に素材集めのパーティー募集を掛けており、アスナやユウキと言った知り合いのメンバーが手伝ってくれているので、割とレアな鉱石も入手してきた。それだけでなく、少しでも生存率を上げる為にと攻略組トップの面々からレクチャーを受けても居る。

 それは同じ野良パーティーになったプレイヤーから話が伝わっているので、あたしが中層プレイヤーにしてはそこそこの実力を有する片手棍使いとは割と周知の事実。

 シリカもあたしほどレベルは高くないにせよ、上層に差し掛かった辺りにゾーンを動かしている事からレベルもそれなり、技術に関してはあたしと同じ理由でレクチャーを受けているからそこそこある。と言っても短剣を扱う攻略組プレイヤーは居ないからあたしほど捗っている訳では無く、それで差が付いているのだが。それでも実力は割とある方と言えるだろう。

 そんなあたし達はSAOで希少とも言える女性プレイヤーで、更には女尊男卑風潮に染まっていない事、そして有名武具店とビーストテイマーである事からかなり顔が知られている。こちらが知らなくともあちらが知っている、なんて事はよくある話だ。

 今回もその類か、それに人数もあるなら圏内PKなんてものを警戒しなくても良いだろうと思い、焦っている様子だったので、あたし達は二つ返事で了承。声を掛けて来た男性プレイヤーの案内の下、仲間がモンスターに追っかけ回されているという階層のフィールドへ移動した。第十九層だった。

 何でそんな低階層で苦戦しているのか、失礼かなと思いつつ質問すれば、攻略済みの階層で稀に強力なモンスターが出るかららしい。それでも攻略組には声を掛けられないし、見掛けたプレイヤーには声を掛けているから人数はある、死ぬような危険は無いと言われたので、それを信じて圏外へ出た。

 今思えば、もっと警戒するべきだった。

 その男性プレイヤーは圏外に出て、枯れ果てた林が広がる丘へとあたし達を案内したのだが、行けども行けどもプレイヤーの声なんてものは一つも聞こえないし、モンスターの咆哮も聞こえない、それどころか気配すら無い。第十九層のフィールドは、第二十二層と違って普通にモンスターがポップするというのにだ。

 これはおかしい、と思ってシリカの肩を掴んで足を止めた直後、あたしは前を歩いていた男……では無く、横の茂みから投げられたピックを脚に喰らい、麻痺のマークが出て身動きが取れなくなった。シリカも何が起こったのか状況を掴めないという表情で固まっている内に追加で茂みから飛んできたピックを脇腹に喰らい、麻痺を受けて地面に倒れ込んだ。

 

『あーあ、知らない人に安易に付いて行ったらダメって教わらなかったんスかぁ? まぁ、素直に付いて来てくれたからこちらとしては助かりましたけどねー』

 

 そう言って茂みから出て来たのは、青い盾に白い竜のギルドタグ……《聖竜連合》に所属している男性プレイヤーだった。鎖帽子に軽金属鎧を纏い、左腰に片手剣、左腕に円盾を装備している軽薄そうな男だった。

 どうやらコイツが首魁らしい、と把握して、あたしはその男を睨め付けた。

 

『おお、毅然と睨みつけて来て怖いですねぇ。まぁ、泣き叫んでも助けなんて今は来ないんですけど……ちょっと失礼しますよっと』

 

 コイフ男はあたしに近付くや否や、右手を取ってメニューを開き、目測で可視化ボタンをタップした。それからフレンドリストを開き、カラカラとリストを繰っていき……《Kirito》という表記を見てニヤリと口の端を歪める。

 あたしはそれを見て、ざーっと血の気が引いた。

 

『流石は攻略組御用達の武具屋の店長、やっぱり《ビーター》サンとフレンド登録してたみたいですねぇ。これは好都合』

『ッ……あんた、何を……する、つもりよ……!』

『簡単な事ですよぉ、あなたとそっちの子には、《ビーター》サンを誘き出す餌になってもらいますー』

『『ッ……!』』

 

 ニヤニヤと気持ち悪い笑みを刻みながらコイフ男が言った事に、あたしとシリカは目を合わせて息を呑んだ。

 《聖竜連合》はキリトのアンチ勢として有名で、狩場の専横やレアアイテムやモンスターの為なら一時的なオレンジ化も辞さないばかりか、キリトに対してはむしろ殺そうと躍起になっている程の集団である。現に昨日の朝、第七十五層の転移門前広場で《聖竜連合》のリーダーを初めとした一団は、彼を殺そうと一対多の不利なデュエルを吹っ掛けている。

 それを考えれば、ただ誘き出すだけでは済まない筈だ。恐らくあたし達を人質にして……

 

『……あたし達を、人質に……するって訳……?』

『おおっ、理解が速いみたいですね。そうですよぉ。《ビーター》サンなんて死んでも誰も哀しまないでしょうし、ボスの仇討ちにもなるっしょ』

『……ボス……?』

 

 ボス。誰の事だと胸中で呟く。あたしがその単語で思い浮かべるのは、今はもうこの世界に存在していないあの凶悪な……

 

『《笑う棺桶》のボスですよぉ』

『ッ……!』

 

 あたしが思考していたその先を、コイフ男は軽薄な口調で笑いながら口にした。

 それであたしは悟る。コイツは《聖竜連合》に属してはいるが、その実、真実は《笑う棺桶》側のスパイだった訳だ。つまりあたしとシリカを圏外に誘き出した男性プレイヤーも同じ。

 《笑う棺桶》は壊滅した筈……とは少々思うものの、驚きはしない。キリトが壊滅させたと言っても、やはり討ち漏らしは出て来る筈だからだ。あたしは直接見ていないが大人数が密集して戦う乱闘で、全ての敵プレイヤーを意識している事など絶対不可能だから、戦いの最中に分が悪くなって逃げ出した者が居ないとも限らない。

 それに、《笑う棺桶》はレッドギルドと言われているが、システム上でレッドなんて無いので犯罪者カラーのオレンジだ。オレンジは《圏内》には入れないので圏外村を利用して移動するしか無いのだが、圏外村は概して施設が質素で、更に道具屋も碌な品物を置いていないので、補給をするには不十分。よって組織の中でグリーンを一人作って置き、そのプレイヤーを《圏内》へと送り込んで物資を調達するという方法が常套手段となっていると聞いた事がある。

 グリーンで誘き出した獲物を狩るオレンジの話を聞いた事があるし、実際シリカが過去経験しているとも知っているが……よもやあたしがその当事者になろうとは。これは意識が低かったと言わざるを得ない。

 あまつさえ、キリトに迷惑まで掛けてしまっているのだから……

 そこまで考えて、あたしはある事に思い至って更に血の気が引いた。あたしが鉱石を取りに行く際にユウキ達が護衛してくれたのだが、その理由が、あたしが人質に取られたらキリトは真っ先に自殺を選ぶ筈だから、というものだったのを思い出したのだ。現状を鑑みると、キリトが自殺を選択してしまう事態に突き進んでしまっている。

 キリトを支えると決めたのに、彼を護ると決めたのに……あたし自身が原因となっている事に、涙が出てきてしまった。

 その間にもコイフ男は下手くそな鼻歌を歌いながら麻痺で動けないあたしの右手を取って、キリトへとメッセージを打ち込んでいく。すぐにそれも終えた様で送信ボタンを押したコイフ男は、軽薄な笑みにいやなものを含ませ、上機嫌に立ち上がった。

 

『さーて、獲物は一ヵ所に纏めましょうかねぇ。行きますよぉ?』

『はいよ』

 

 騙した男に声を掛けて、コイフ男があたしを、騙した男がシリカを俵担ぎにして移動を開始。数分後にはこの近辺で最も大きな枯れ木があり、根元にはフィールドグラフィックの墓標が存在する場所に来た。

 そこでは既に幾人かのプレイヤーが居た。合計で八人。三人がグリーンであたし達と同じように麻痺で倒れており、残り五人がオレンジだ。

 グリーンの三人は全員見知った顔だった。黒いローブを纏った男女と甲冑を纏ったガタイの良い男で、ローブの女はヨルコさん、甲冑の男は《血盟騎士団》のランス隊部隊長を務めているお得意様の一人だったからだ。ローブの男は、第五十七層教会の二階から吊り下げられ、姿を消した人物の人相と合致した、あの時は全身鎧で兜も被っていたからちょっと気付くまでに時間を要したが。

 それにしても、何故死んだ筈の男が此処にいるのか、それ以前に何でシュミットさんとヨルコさんが居るのか、そもそもオレンジプレイヤーがどうしてここまで集結しているのかが分からなかった。

 そうこうしている間にあたし達は墓標の近くに並べて寝かせられた。麻痺は時間経過で回復するものだが、あたし達に刺さっているピックに塗られている麻痺はレベル十とマックスレベルで、軽く三十分は自然回復までに時間が掛かる、仮に《状態異常耐性》スキルを上げていても十五分以上は確実に要する。一人につき一人のオレンジが見張っているから自力で脱走するのも無理だと悟ったあたしは、地面の上で横になったまま悔しい思いで歯を食い縛っていた。

 それから十分近くが経過して、冒頭の台詞をコイフ男が口にしたのである。

 

「リーダー、どうするんですか? 《ビーター》は利己的だから来ない可能性もありますよ?」

「うーん、《ビーター》サンの性格からして、少なくともこの類の挑発をスルーするとは思えないんスよねぇ…………っと、お? 《索敵》スキルに反応アリ……どうやら来たみたいッスね」

 

 コイフ男が予想通り、予定通りと笑みを浮かべ、周囲に居るオレンジ達もニヤニヤといやな笑みを浮かべる。一緒に地面に転がっているシリカは涙を浮かべているし、ヨルコさんとカインズさんも怯え、シュミットも現状を打破できない事を歯痒く思いながら体を震わせている。

 あたしは内心で来るな、と思うと同時、助けてという思いも浮かべていた。相反する感情に葛藤する中でも着実な速度でこちらに向かって来ているのか、地面が少しだけ揺れ初めて……

 

 

 

 ――――……ドカカッ、ドカカッ、ドカカッ! ドカカッ!!!

 

 

 

 地面の微かな振動は時間と共に少しずつ大きくなり、更に耳朶を打つ音が遠くから聞こえて来た。それは何かが一定のリズムで走って来る音で、決して人間のそれでは無い事は明白だった。

 十秒ほどが経過したところで薄く霧が漂う林を高速で駆け抜けて来た存在が姿を現した。

 それは黒く大きな駿馬だった。軍馬だとか農場用の馬だとかの見分けは付かないが、筋骨隆々とした黒馬の体から感じられる力強さはモンスターにも劣らない程で、黒色で大きいせいか、それともあたしが地面から見上げているせいなのか、とても威圧感があった。

 

「ふぅ……馬は速くて良いものだな」

 

 そして、その馬に乗ってやって来た人物は、あらゆる意味で待ち人となっているキリトだった。

 彼は黒い革で作られている鞍の上に乗り、手慣れた風に手綱を持ち、鐙に足を掛けて馬を乗りこなしていた。手綱を引いて止まるよう指示した彼は、オレンジプレイヤーを前にしても尚自然体と思わせる雰囲気を崩さないで口を開く。出てきた言葉は、乗馬の感想。服装はあたしが見慣れている何時もの前開きのコートでは無く、昨日新たに入手したフード付きの黒コートだった。

 このSAOに於いて、現時点でプレイヤーが個人で所有できる騎乗動物は存在しない。例外的に各階層には厩舎が設置されており、そこでレンタルする事で利用するという手段はあるものの、乗りこなすには恐ろしい程のテクニックが要求されると聞いている。更にはレンタル料金も馬鹿にならず、慣れるまでには相当な時間と金を注ぎ込まなければならないという、いやに現実味のあるものなのだ。娯楽を求めて隠遁生活をしている者が偶に挑戦するという話を小耳に挟んだ事はあるものの、実際に乗馬しているプレイヤーを見たのはこれが初だ。

 そんな騎乗動物である黒馬に乗って駆け付けたキリトは、墓標の周囲に麻痺で動けない状態で寝かせられているあたし達を一瞥。次に物騒な剣や短剣、麻痺毒が塗られたピックなどを手に提げて自信を見据えているオレンジプレイヤー達へと視線を移し、あたし達を騙したグリーンの男性プレイヤー、最後に一団のリーダーらしきコイフ男へと視線を動かした。

 

「こうして敵対者として顔を合わせるのは約一年半ぶりだな、モルテ」

「そうですねぇ。《ビーター》サンこそ、この一年半で鈍っているかと思いきや、いやはや……歳に反して恐ろしいですねぇ。出来れば鈍っていて欲しいんですけどぉ」

「ずっと攻略組に潜り続けていた奴の台詞とは思えないな……」

 

 ふ、とキリトが苦笑を浮かべ、馬から軽やかに降りた。その馬のお尻をポン、と一回軽く叩くと、雄々しい嘶きと共に黒馬は素早く走り去っていってしまう。お尻を叩くとレンタルが解除されるという仕組みなのだ。

 ちなみに料金は時間制で、レンタル三十分で一万コル、それから三十分ごとに金額が五千コル増していくシステムらしい。ぼったくりも良い所である。

 馬を下りたキリトは手を腰に当て、自身を囲むように広がっているオレンジ達を見回した。

 

「さ、て……リズベットのメールの指示通りに来てみれば、何ともはや……予想通り過ぎて何も言えないな」

「……んー? あのぉ、それは一体どういう事なんですかねぇ? 予想通りってぇ?」

「敵であるアンタに語る義理は無い」

 

 にべも無いとはこの事か。まぁ、敵にそういう事をぺらぺら喋っても良い事は無いし、キリトの判断は正しいのだろうが、気になるのは事実だ。モルテと言うらしいコイフ男の疑問も当然ではある。

 

「チッ、調子くれてんじゃねぇぞッ!」

 

 そう考えていると、キリトを囲んでいた中でも最もあたしと距離が近かったオレンジの男が苛立ちの声を上げ、あたしの髪を鷲掴みにして持ち上げた。痛みは無いが、疑似的な頭皮が引っ張られている不快な感触がする。麻痺で体に力が入らないから男に吊り下げられているかのような格好になった。

 そんな状態のあたしの首筋に、オレンジの男は片手剣の刃を当てる。

 

「こっちにゃ人質がいるんだ……へへ、あんまり反抗的な態度取ってると、大切な大切な“オトモダチ”が傷付いちまうぞぉ?」

「……まぁ、典型的で古典的だが有効な手段ではあるな。リズベットは攻略組御用達だし俺もよく利用しているからな、喪うには惜しいし、居なくなれば攻略速度が落ちるのは確実だ」

「……テメェ、そんな余裕ぶって何を企んでやがる」

「逆に聞こうか。こんな事をするなんて、何を企てているんだ? 人質にするにしては俺と関わりの薄い人物までいるし……偶然とは考え難いんだよなぁ。なぁ、モルテ?」

 

 何か頭の中で考えているかのように、わざとあくどくしているかのように語尾を矢鱈伸ばすキリトは、不敵な笑みを浮かべながらコイフ男モルテを見やる。対するコイフ男は、僅かに引き攣ってはいたもののニヤニヤとした笑みを張り付けて表情を変えない。

 ニタニタ、ニヤニヤとキリトとコイフ男が不気味な笑みの応酬を交わし、場が沈黙に包まれる。当然ながらあたしは吊るされたままだ。

 その沈黙を最初に破ったのはコイフ男だった。男は長く細い溜息を吐き、頬を掻く。

 

「……ほんっと、恐ろしいですねぇ、《ビーター》サン。うちの元ボスよりも遥かに恐ろしいですよぉ?」

「PoHか。そういう意味で上と言われても嬉しいやら嬉しくないやら複雑だな……まぁ、それはいい。で? 俺をここに呼んだ理由は?」

「もう分かってるでしょ、《ビーター》サン……ぶっちゃけると色々とアレなんでぇ、そろそろそのお命頂戴したいと思ったんですよぉ。あ、抵抗しない方が良いですよ? 御覧の通り人質が五人居ますし……」

 

 それに、と言葉を区切ったモルテが右手を持ち上げ、指をパチリと鳴らすと、周囲の枯れ木や茂みから唐突に多くのプレイヤーが姿を露わにした。どうやら《隠蔽》スキルでハイディングしていたらしい。プレイヤー達は多数のオレンジギルド、無所属のプレイヤーがかなりの数居た。

 ざっと見て百人にはいかないだろうが軽く五十人は超えている規模だ。その人数がズラッとこの場所を取り囲むように展開し、キリトへ武器を向ける。既に勝利を確信しているのか表情は誰もがいやな笑みばかり浮かべていた。

 

「流石のアナタでも、この数を相手しながら人質を助けに動くなんてのは無理でしょう?」

「……八十人と少しか……確かに、この数を相手しながら人質を護るなんて真似は不可能だな」

 

 

 

 ――――俺一人ではな

 

 

 

 不敵な笑みを浮かべながらあっけらかんとコイフ男の言を認めたキリトは、しかし声音を重いそれに変えて一言付け加えた。瞬間、彼の口の端が、僅かに、しかし確かに歪む。目は何かを狙ったかのようにギラリと鋭い光を放った。

 

「はい?」

 

 付け加えられた一言が予想外だったのか、コイフ男が無防備にも見える様で素っ頓狂な声を不思議そうに上げ……直後、あたしの体が地面に落ちた。

 いや、あたしだけでは無い、あたしの髪を引っ掴んで持ち上げていた男や、包囲していたオレンジ達の何人かが同じように地面に倒れ込んでいた。オレンジ達のHPゲージはバラバラではあるものの数割削れており、そして共通しているのは、麻痺のマークがある事だった。

 

「な、何だぁ?!」

「いきなり麻痺で……どこからかピックが飛んできたのか?!」

「いや、それにしちゃダメージが大き過ぎるだろ! それに見ろ、斬られた痕がある!」

「にしても誰が?! しかも誰にも気付かれないで、足音も立てないでハイディングで斬り付けたってのか?!」

「く……ッ?!」

 

 キリトを殺そうとする意志で集まっていると言えどやはり攻略組のような結束力などが無い烏合の故か、一気に場は混乱の坩堝と化した。コイフ男はそれを見渡していて、途中で何かに気付いたように腰の剣を抜いて横薙ぎに振るい、刃が何かと衝突して硬い音を響かせる。

 それを見ていて分かった。コイフ男の片手剣の刃と衝突したのは一本の黒い剣。その剣はあたしがキリトに依頼され、インゴットから鍛え直して来た一つだった。それがどこからともなく飛んで来て、コイフ男に襲い掛かったのである。

 

「これは……?!」

「余所見するとは余裕だな」

「ッ?!」

 

 さしもの幽霊さながらの光景を見せられて、時間帯と場所がマッチしているせいか、それとも現実的では無いせいかコイフ男が慌てたように周囲にチラチラと視線を投げる。恐らく周囲の者達を麻痺にした存在を探しているのだろう。これだけの人数が揃っている中で見つけ出すのは一苦労どころでは無い。

 それを好機と見た様で、キリトは持ち前の圧倒的ステータスを発揮して一瞬でコイフ男へ肉薄。予想外だったのかビクリと震えるコイフ男。

 そのままキリトは攻撃する……かと思いきや、何故か男が振り払ったままの剣の刃を左手で掴んだ。刃を掴んだ左手には予想通り斬られたエフェクトが発生して紅い光が散り、キリトのHPも端がチリッと削れ、すぐに回復してを繰り返す。一向に減る様子が無いから微々たるダメージしか無い様だ。

 

「何を……?」

「ふふ……これで、アンタもオレンジだな?」

「え……なッ?!」

 

 ニタリと、計画通りと言わんばかりの悪魔のような笑みを浮かべたキリトの言葉から、コイフ男は何をされたか察したようだった。あたしも言われてコイフ男の頭上にあるカーソルを見れば、さっきまでグリーンだったのに、確かにオレンジになっていた。

 システム的なオレンジは、他のプレイヤーを攻撃するといったアクションによってなってしまうもの、つまり他者のHPを削ったらカーソルがオレンジと化してしまうのだ。そこに、故意だろうが過失だろうが関係は無い、他者のHPを削ってしまったら削ったプレイヤーが悪いと判断されてオレンジになってしまうのだ。

 勿論オレンジになる場合、相手はグリーンというのが鉄則だ。そのためSAO初期の頃では、グリーンプレイヤーを挑発して攻撃させたり、反射的に迎撃行為を取らせてわざと攻撃に当たって相手をオレンジにして、PKをするという手段が流行した事がある。

 これを警戒して、圏外で他プレイヤーと会話をする際には原則的に武器を仕舞う事が鉄則とされている。勿論周囲を警戒して抜き身のままの時はあるだろうが、その際には別の方向に剣を向けておくなど、種々様々な暗黙の了解がSAOには存在している。

 今、キリトがコイフ男にしたのはそれと同じ事だ。コイフ男は口ぶりから察するに《笑う棺桶》のスパイとは言えど《聖竜連合》に属しているプレイヤーで、更にはグリーンプレイヤー。下手に手を出してキリトがオレンジになっては相手の思う壺。なら、オレンジがかつて使った手段を利用して、相手をオレンジにし、対処すればいいと考えたのだろう。実際コイフ男がしている事は犯罪者どころかレッドのそれなのだ、それを糾弾する事などコイフ男に出来る筈が無い。

 

「ッ……シャェアッ!」

 

 こんな初歩的な手に引っ掛かったのが癪に障ったのか、歯の間から空気を吐き出しているような呼気と共に裂帛の声が空気を割いた。同時にコイフ男が剣を突き出すが、剣を持っている右腕を取り、場所を入れ替わるようにしながらキリトは流れるような背負い投げでコイフ男を投げ飛ばしてしまった。

 

「くっそ……!」

 

 それを見て、あたしとシリカの近くに居た騙したグリーンプレイヤーが舌打ちし、再び人質にしようと走って近寄って来る。それを見たからかキリトも即座に動き出した。

 敵が駆け寄って来るのを見たためか、グリーンの男が腰の曲刀を抜いて斬り掛かる。キリトはそれを、あろう事かはっしと片手の五指で刃を挟んで止めてしまっていた。

 

「こんなものか」

 

 冷たく、威圧感ある声音で短く吐き捨てたキリトは、刃を挟んでいる指を折り込むや否や金属質な曲刀の刃を砕いてしまった。握力で刃を砕き、折ってしまったのである。剣で叩き折るならまだしも、手を握り込んだだけで刃を折るなんて今まで見た事も無かったから瞠目してその光景を見上げていた。曲刀を振るった男も、開いた口が塞がらないとばかりに固まっていた。

 勿論刃を握った事からコイフ男の時と同じようにグリーンの男はオレンジへと変わっていた。それを狙っていたからなのか、驚きに固まる男の鳩尾へキリトは蒼い光を迸らせる刃を握り潰した拳を叩き込み、大きく怯ませた。それだけで男のHPは四割がごっそり削れる。大ダメージを受けた為にスタンになった男を、キリトは襟首を掴んでポイッとゴミを放るかのように軽く周囲を取り囲む一団へ放り投げた。

 そしてキリトは、墓標近くで寝かせられていたあたし達の元に辿り着いた。すぐに背後のモルテ達へと向き直る。

 

「――――」

 

 その瞬間、一瞬だけだがキリトの眼があたしと合った。その眼には敵に向けていた冷たいものでも、モルテと話していた時の不敵なものでも無く……こちらを安心させようとしていて、また安堵しているような温かみのある光があった。口元も、ほんの僅かに笑みの形を作っていたようにも見えた。

 しかしそれも錯覚かと思う程短い時間しか見えなくて、彼はすぐに体ごと敵に向き直ってしまった。その彼と話す為か、先程投げ飛ばされたモルテが、鎖帽子を左手で掻きながら前に出て来る。

 

「いやぁ、驚きましたよぉ。アナタ、リアルで柔術か何かでも習ってたんですかぁ?」

「ふん、出来損ないには出来損ないなりにさせられていた事がある、この程度は出来て当然だと言われてな。別に驚く程の事でも無いだろう」

「いやいや、あの滑らかさはとても素人には捌けませんってー。ま、いいですけどー……でも《ビーター》サン、いいんですかぁ、反抗しちゃって? アナタが自ら死んでくれればそっちの人達だけは助けようかなーとか考えてたんですけどぉ……」

「冗談は休み休み言え。攻略組のギルドメンバーがオレンジと組んでいる現状を見ているプレイヤーを、アンタが逃がす筈が無いだろう……それに、何も無策な訳じゃない。この俺が何の準備も無しに此処へ来たと思っているのか」

 

 そう言って彼は右手を横へ持ち上げた。すると右手に、先程モルテが弾いて地面に突き立っていた筈の黒い剣が光の中から現れた。

 それを見て、あたしは酷く混乱した。

 闘技場《個人戦》を突破した後、キリト本人から新たに入手した武器《ⅩⅢ》の特性はよく教えてもらっている。耐久値はキリトのHPだから理論上彼が死なない限り全損もしないし、ストレージの出し入れなどの手間を省いて十三種類の武器をイメージで取りだし、仕舞う事が出来、更には彼のイメージに沿って空中に浮いている武器を動かせるのだと。

 あたしは彼の武器の面倒を見て来ている鍛冶師なので、その辺はよく聞いておいた。

 だからこそ、あたしが作った剣が、まさか《ⅩⅢ》の特性を持って現れる事に混乱したのだ。ボスのホロウが使用していた十三種類の武器しか一瞬の出し入れは不可能だと思っていたのに、その思考を裏切ってのこれだ、混乱するなという方が無茶だ。

 キリトが新たに手に入れた武器の情報をどこからか入手し、把握していたからか、コイフ男が若干唖然とした風な顔をした。《聖竜連合》で攻略組に潜り続けていたのならあの《個人戦》の戦いも見ていた筈、そのホロウが使っていた剣では無いと見ただけで分かったから、まさか手元へすぐに戻るとは思わなかったのだろう。

 しかし、たかが剣一本と思ったのか、すぐに引き攣った顔を取り繕って笑みを張り付けた。

 

「いいえぇ、そんな事は思ってませんとも。でもぉ、如何に最前線をソロで切り抜けているアナタでも、この数を相手に一人では無謀じゃありません……?」

「一人、か……くくっ、そうだな。くっ、ははっ」

「……何がおかしいんですかぁ……?」

 

 現状を見たモルテの言葉に対し、何故か唐突に笑い出したキリト。一体どうしたのだと心配になっていると、鎖帽子の下で若干苛立っているかのように歯軋りをし、声音を低くしたモルテが問い掛けた。しかしながら、キリトはそれに答えず、くふふ、と笑い続けるだけ。

 もしかして、疲労が限界を突破して色々とハイになっているのだろうか?

 

「いい加減にしてもらえませんかねぇ……頭イッたんですかぁ? 良い病院を紹介しますよぉ」

「ふふ……いや、な……一人……そうだな。俺はソロだ、今までずっと一人で戦って来た」

「おやぁ、自分語りですか? いいですねぇ、最後に無様な死に様を見せる安っぽいモブキャラっぽくていいですよー」

 

 呆れたようにモルテが先を促した。どうやらキリトの話を遮る気すら失せたようだが……キリトもいきなり何を言い出したのだろうかと、あたしは不思議に思った。

 気が狂った訳でも無いみたいだし、何か考えがあっての事なのだろうけど……

 

「ずっとずっと、ずーっと俺は一人……誰からも蔑まれ、見下され、格下だと、出来損ないだと言われて爪弾きにされてきた……それでも、俺は今も生きている。常日頃から命を狙われている中でも、レッドギルドを相手にしてもだ……――――その今の力を見せてやる」

 

 陰々と、粛々と、朗々と語っていたキリトが、唐突にさっきと同じように唐突に声音を低くして言葉を付け加えた。それと同時、闇夜に包まれた霧の林の中に、人影では無い細長い物体が幾つも、何十も、何百と出現する。

 

 

 

 それらは全て、宙に浮いていた。

 

 

 

「な……ッ?!」

 

 あたしは驚き過ぎて喉が詰まった。ごほっと咳をしてからまた見上げると、やはりさっき見たのと同じで細長い物体……片手剣が宙を浮いていた、その数は到底数え切れる程では無い。全て同じデザインで、それも第七十五層のNPC武具店で見たものだと分かったが、何故数百本もあるのかが分からなかった。いや、それで言えばそもそも宙を浮いている事そのものが意味不明なのだが。

 モルテ達も流石にこの光景は予想外だったようで、完全に思考停止しているのか固まってしまっていた。それも無理は無いだろう、何せ空中に出現した数百の剣の切っ先が全て自分達に向けられているのだから。更にその原理は不明という恐怖も合わさって、最早恐ろしいどころでは無い。

 

「俺が新たに得た武器は少し特殊でな。モルテは観戦していたから《個人戦》最後の敵が使っていた武器を知っているだろう、雷の刀や水を操る細剣などを」

「……ええ。それで、クリアした後はアナタが、あのボスが使っていた武器をそのまま扱えると聞きましたよ」

「確かにそれは合っている……が、少々情報不足でもある。今回はそれが仇になったな。新たに得た武器は武器種ごとにカテゴリが存在していて、そのカテゴリに入る武器なら幾つでも登録可能……つまり俺が所持し登録した武器数イコール剣弾の数だ、カテゴリに登録したものであれば幾らかの条件を満たす事でこのように自由に出し入れが出来る。ああ、先に言っておくが、例えこの数百の剣弾を生き抜いたとしてもまだ細剣に曲刀、長槍、片手斧に両手斧に刀などがそれぞれ数百本あるし、回収も自在だから弾切れなんて期待するなよ……無限に降り注ぐ文字通りの剣林弾雨を前に、果たして生き残れるか?」

「…………こっちはもう全員オレンジになっちゃいましたけどー、でも、いいんですかぁ? その人達の前で殺人なんてー」

 

 タラリと冷や汗を流しながらも笑みは張り付けたまま言ったモルテの言葉に、キリトははっ、と一笑に付した。

 

「言っただろう? 俺はソロだ。誰ともつるまず、誰も近寄らず、常に一人の爪弾き者……何ら支障は無い。そこらのプレイヤーと一緒にされたら困る」

 

 くくっ、といやに挑発的な笑い声を洩らすキリトに、それを唖然と、あるいは忌々しげに見る一団の構図。

 これが《ビーター》と、彼に負の感情を向ける構図なのだと理解して、やっとキリトに対して抱いていた違和感の原因が判明した。あたしは《ビーター》として振る舞うキリトを碌に見た事が無いし、昨日の転移門でのやり取りもほんのちょっとだけだ、ここまで長台詞や挑発的な笑いを挟むなどは無かった。だからあたしが見慣れている普段の彼との落差で違和感を覚えていたのだ。

 そう納得しているあたしの視線の先で、こちらに背を向けて立つキリトは左手をゆっくりと持ち上げた。

 

「さて……死出の旅路に出る覚悟は十分か?」

「なっ……オイオイ、マジで俺達を殺す気なのか?! 正気かよ?!」

「アンタ達は俺を、そしてこの五人を殺そうとしていた訳だから、当然殺される覚悟もあったんだろう? まさか無かったのか? ……ハッ、だとしたら、随分とお目出度い。他人を殺すのは良くても自分が殺されるのは嫌、なんて我儘がこの世界で通用すると思うな。相手を殺すつもりなら、殺される覚悟もしておけ、三流殺人者ども」

 

 そして、最早語る事は何も無いとばかりに彼は左手を下した。直後、切っ先を周囲の男達へ向けて浮遊したまま動かなかった剣群が、一気に動き始める。

 その様は正に剣の雨、盾で防ごうとしてもキリトのステータスが反映されているのか防いだ端から吹っ飛び、無防備になった体に次々と剣山のように最前線層で売られている剣が突き刺さっていく。中には顔面に突き刺さり、一撃でHPが全損して死んだオレンジも居た。防いだり避けた者も多数居たが、その者達は次に展開された細剣の雨で仕留められ、どんどん生き延びる数が減っていった。

 細剣が終われば曲刀、次は槍、両手剣、片手斧、両手斧の順で剣の雨が降り注いだ後、生き残っているのはほんの数名だった。その中にはしっかりモルテも居た。

 

「はぁ……はぁ……くそっ、何なんですかぁ、ホントにー! それ、完全にチートなんじゃないんですかぁ?! 明らかにおかしいでしょ!」

「俺も嘘だと思ったが、出来てしまったものは仕方が無い。今は俺しか持っていないがもしかすると同じプレイヤーが出るかも知れないな、一応今のはユニークスキルじゃないからな……恨むなら、こんな手を使った自分達を恨むんだな」

 

 まぁ、あたしの予想だとアレを可能としているのはまず間違いなく《ⅩⅢ》、つまり闘技場《個人戦》を突破すれば恐らく誰でも取得可能で、今のも原理的には可能なのだ。

 とは言え、それを馬鹿正直に話す義理はキリトには無いし、ここには彼の事を《ビーター》としか見ていない者――ヨルコさん達――が居るのだから話す訳にもいかない。まぁ、そもそも話そうとも思っていないのだろうが。

 そうこうしている間にキリトがまた左手を振るい、地面に突き立った後は光に包まれて消えていた片手剣が数十本空中に出現し、再び超高速でレッドゾーンでも生き残っているオレンジ数人へ殺到。モルテだけは剣と盾を翳し、出来るだけ前へ走る事で射角から逃れたので生き残った。

 

「キェアアアアアアアアアアアアアッ!!!」

 

 剣弾から唯一生き延びたモルテは、怪鳥のような叫びを上げながら右手で握る片手剣から蒼い光を迸らせ、斬り掛かった。直後、四連撃からなる《片手剣》スキルの代名詞となりつつある《ホリゾンタル・スクエア》が放たれるも、キリトは右手に握る黒剣で全て的確にパリィしたため無駄打ちに終わった。ソードスキル後の技後硬直が課され、モルテの体がガチリと不自然に固まる。

 それと同時にキリトが黒剣を左腰に擬すように構え……橙色に包まれた直後、右斜め上に斬り上げた。《片手剣》初期ソードスキルの一つ、《スラント》だ。これによって、元々真っ赤だったモルテのHPは一気に減少していく。

 

「《剣技連携》……冥土の土産に持って行け」

 

 しかしキリトは振り上げた剣を僅かに動かし、矢を引き絞るかのように剣を後ろへ引き、深紅の光を放った直後に外燃機関めいた轟音を響かせながら強烈な刺突を放ち、モルテの顔面を貫いた。

 ソードスキル同士の間断無い連携をスキルコネクトと言うらしいそれは、もしかするとキリトなりの手向けだったのか、あるいはただ腹いせなのか……因縁深そうな相手にオーバーキルが過ぎる一撃を顔面に叩き込み、モルテは叫び声を上げる事も出来ないで結晶片へと散って逝った。

 後には、まるで墓標のように突き立つ無数の剣と、その中に立つ黒衣の剣士だけが残されていた。

 

 






 はい、如何だったでしょうか。

 後半のキリト無双のやり方は多分分かる人には分かるものです、元にした人物の台詞も一つ入れましたしね。勿論無理矢理ではあるものの剣林弾雨が出来た理屈はありますので、次話までお待ち下さい。

 ちなみに予想が付いていると思いますが、今のキリトは疲労困憊なので剣や斧などを展開していたのは……もうお分かりですね。

 さて、感想でチラリと書いたような気もしますが、原作プログレッシブで暗躍しまくってる鎖帽子の剣士モルテを登場させました、そして即座の退場。哀れなり(嗤)

 本当はモルテの一騎打ちもさせたかったんですが、どうしても展開的に難しかったのでお流れとなり、こうなりました。

 ここ最近ずっと苦しかったんだし、アンチ共を伸すどころか無双をしても構わんのだろう?

 最近のお気に入りなキャラが元ネタです。割と共通点がある気がするんですよね、彼と本作キリト及び原作一夏&和人って……特に和人辺り。

 それはともかく。ちょっと前に書いたチートフラグの一つはこれです、使いこなせばほぼ最強でしょう。作者の趣味ですが。

 次話で漸く《圏内事件》完結……予定。バトルは恐らく無い。

 早くほのぼのに入りたい……使い魔のナンを出してあげたい……まだ出せないけど。連れて来なかったのは剣林弾雨の邪魔になるからだったんです。

 好きな展開をするために好きなキャラが出せないこのジレンマ……泣ける。

 長々と失礼。

 では、次話にてお会いしましょう。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。