インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。

 今話でシンカー救出劇&ユイ編終了です、文字数は普段の約半分程度ですが……かなり凝縮しております。サブタイトルにある通り、今話は《圏内事件》のお話がありません。

 視点は初のユイ視点、ユウキ、リーファと移っていきます。

 ではどうぞ。




第三十一章 ~《心の少女》~

 

 

「……どこから話せば、良いのか……色々とあり過ぎて困ってしまいます」

 

 そう苦笑を浮かべながら言えば、私の目の前に立っているキー……プレイヤー《キリト》は、何とも言えない面持ちになった。

 現在、《アインクラッド》第一層《始まりの街》《黒鉄宮》の地下に広がる基部フロアダンジョンの最奥にある安全地帯には、私と彼の二人しか残っていない。

 ここまで一緒に来たアスナさん達には悪いが、キーと二人きりで話がしたいと頼み込み、先に転移結晶で脱出してもらったのだ。この安全地帯と先の通路は結晶無効化空間だが、通路に入る前のフロアなら結晶は使えたので、そこで彼女達は脱出していった。

 この安全地帯の部屋は一辺が十メートルの正方形の部屋で、中央にはプレイヤーが《生命の碑》と呼んでいる石碑と同質の黒机が存在するだけだ。

 それはゲーム内からシステムへアクセスするための、GMコンソールである。

 そこに私は座り、《キリト》はその前に立って、私が話し出すのを辛抱強く待ってくれている。

 それからもう、五分ほどこうしている。

 だが私に残された時間はそう多くは無い。全てを話せず居なくなってしまう前に、せめて私の我儘を聞き続け、護ってすらくれたこの少年には、真実を伝えなければならないだろう。

 

「……あなたには全てを、話そうと思います……私自身の事も含めて」

「……分かった……聞こう。話してくれ」

「はい……まず私は、あなたやアスナさん達と異なり、プレイヤーではありません……AIという人工知能を積んだプログラム、有体に言えばNPCです。正式名称《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》の試作一号、コードネーム《MHCP-001 Yui》……それが私の正体です」

「えむ、えいち、しー、ぴー……プログラム……」

 

 目の前に立つ彼は、私の言葉を受け入れがたいとばかりに眉根を寄せ、私が口にした単語を復唱した。

 僅か一日の短い期間ではあったが、彼が私を義理でも本当の姉として想い、愛してくれた事はよく伝わって来たから……その虚無感というものも伝わって来て、何故か胸が痛んだ。

 

「あなたも知っている通り、この世界は既に人の手を離れてシステムによって運営、維持されています。この《ソードアート・オンライン》を維持しているシステムの名前は【カーディナル・システム】、メインとサブ、二つのプログラムコアプロセッサによってエラー修正機能を有する、人の手を必要としない完全自律システムです。つまり人力のメンテナンスを必要としない設計であり、この世界の全てはこの【カーディナル・システム】によって動かされています、モンスターのポップやアルゴリズム、お金の動き、経験値など全てが、二つのコアプログラムの相互エラー修正と無数の下位プログラム群の調整によって成り立っています…………それでも、どうしても人の手に頼らざるを得ない事態があります。それがプレイヤーの精神性に由来するトラブルです。【カーディナル・システム】の開発者達は、この問題すらもシステムに任せようと考え、あるプログラムを作りました」

 

 そのプログラムが私だった。プレイヤーのメンタルケアを仕事とし、彼らの話を聞き、問題解決に尽力し、癒す事を私は使命とされていた。

 プレイヤーの誰に問題があって、その問題がどのようなものかは《ナーヴギア》の脳波と精神状態を観測するデータ計測によって判別する。

 そのデータを【カーディナル・システム】が収集し、MHCPである私に提出、その中で精神性に由来する問題を抱えたプレイヤーの下を訪れ、無償でメンタルケアを行う。

 その仕事を担っていたのが私なのである。

 

「……しかし、およそ一年半前のあのデスゲーム宣言の日、私は【カーディナル・システム】を通じてプレイヤーへの接触を禁じられました」

 

 どうしてそれが起こったのかは分からない、本来なら職務を全うしなければならないにも関わらずプレイヤーへの具体的接触が禁じられてしまっては、【カーディナル・システム】の下で動く私はどうしようも無いのだから。

 よって私は仕方なく、プレイヤーのメンタル状態のモニタリングをし続ける事にした。

 当然ながら状態は最悪だった。

 唐突のデスゲーム宣言、ログアウト不能という状況でまともな精神状態に近かったのは一握り。恐怖、哀しみ、憤怒、絶望、中には狂気に走る者も居た。

 私はそんなプレイヤー達のモニタリングをし続けた。それしか出来なかったからだ。

 彼らの下へ駆けつけるのが仕事、そういう思考になるようにもプログラミングされているが、【カーディナル・システム】がそれを禁じている為に動けない。

 本来なら彼らの下へ駆け付けて話を聞くのが義務だ、しかし義務だけあって、彼らに接触するという権利が与えられていない状況。そんな中で負の想念が大半を占めるモニタリングは、私の中に矛盾というエラーを溜め込んでいった。

 それが私の精神後退と言語機能破損の原因である。

 

「そんな中で……気付けばずっと目で追ってしまうプレイヤーが居ました……それが、あなたでした」

「俺……?」

 

 誰もが負の感情を抱き、やり場のない怒りと悲しみ、絶望を抱いていた。

 あのデスゲーム開始の日から誰もが抱いていた……

 そんな中でも、まだまともな精神状態をギリギリ保っていた一握りのプレイヤー達の中で、絶対的に最年少のプレイヤーが目に付いた。

 全プレイヤーの中で最も幼いそのプレイヤーは、しかし年齢に反してどんな大人のプレイヤーよりも熟達した剣技を有していた。それどころか《料理》スキルという戦いに役立たない趣味スキルまで取る程。

 かと言って余裕がある訳でも無く、何かに追い詰められているかのように自らを死地へと送り込む。その精神状態は、恐怖でも狂気でも無く、しかし諦めでも無いという不思議なものだった。

 それが私の興味を引いたのだろう、気付けばその少年の動向をつぶさに見続けていた。

 たった一人、ほぼ全てのプレイヤーから理不尽な罵倒と憎悪、嫌悪を向けられる茨の道を進み、その数多い行動が自身を虐げる人々の為という状況と矛盾している理由。誰よりも深い絶望を持っていながら、しかし確かに強く希望も併せ持っているという状態。

 最も幼いながら最強で、見知らぬ人に命を奪われかねないのに彼らの為に戦う。

 そんな少年を、気付けば何時もモニタリングするようになっていた。

 

「人々に見せる顔が仮面で本当は人を思っての言動なのだと、心優しい少年なのだと知って……私はあなたから目を離せなくなっていました。他の誰とも違う精神構造を、行動原理を持って動いているあなたは、誰よりも異質で、誰よりも輝いていた。優しく、暖かな想いを胸に秘めているあなたを見ている内に、私は何時しか、あなたと話したいと思うようになりました」

 

 【カーディナル・システム】からはプレイヤーとの接触を禁じられている。

 しかし私自身が、彼と話したいと、光と闇を併せ持つ少年に会いたいと思っていた。

 それは日に日に強くなっていき……

 

「そしてあの日、何故か【カーディナル・システム】のエラー修正機能が低下した事で、私はモニタリングしていた空間から抜け出し、あなたがいた第二十二層の杉林に倒れていたんです」

「記憶と言語はエラーでボロボロだったから今の今まで忘れていた……どこか俺に矢鱈と懐いているように感じたのは、そういう訳だったのか」

「恐らく無意識で、私はあなたを求めていたんだと思います……あなたの優しい心は、全てを忘れていた時の私にも伝わっていましたから。我儘を言う私に待っていろと言っていたあの時、あなたからは怒りや苛立ちだけでなく、私を案じる想いも伝わってきました。闘技場へ赴く時も、また」

「……恥ずかしいな、人に心内を知られているっていうのは」

 

 私が教会でのやり取りの時に感じた感情を言えば、彼は面映ゆそうな表情で頬を掻いた。

 確かに人に内心を知られているというのはあまり気分が良くないかも知れない……何故か、今の彼から感じる感情には嫌というものは無くて、恥ずかしいという暖かな気持ちしかないけれど。

 ぽろ、と頬を涙が伝った。ただ真似ただけでは無いと分かる、雫が落ちる。

 

「私は、本当はプログラム、泣いたり笑ったりするのも感情模倣プログラムがあるから……なのに、おかしいな……私、今、凄く胸が温かい……」

「……それが幸せで、嬉しいっていう感情なんだと思う。ユイ姉は、【カーディナル・システム】の命令に背いて、自分の意思で俺の所へ来たんだ……だからもうシステムコードに操られるプログラムじゃなくて、自分の意思を、そして心を持っていると思う……研究者はそんな事無いって言うかも知れないけれど……俺は、そう信じるよ……」

 

 涙を浮かべて言えば、彼もまた、涙を浮かべた笑みで返してくれた。両手を広げれば、私よりちょっと小さい弟はそれを受け容れてくれた。隣に座って、私を抱き締め返してくれた。

 小さくて、華奢で……けれど力強く、暖かな気持ちになる弟の抱擁は、幸せだった。

 

「私は……あなたに逢えて、幸せでした」

「……俺もだ。プログラムだとか、人間だとか……そんなのは良い……俺も、ユイ姉に逢えて幸せだった…………たった、一日だったけど……ありがとう……」

 

 良かったと、そう思えた。弟もまた、幸せだと感じてくれていたから……

 そして続いた言葉で、やはり彼は異質だなと苦笑してしまう。

 

「やっぱりキーは、異質です……分かってるんですね、私が、居なくなってしまうって……」

 

 言えば、彼は泣き笑いの表情を、少しだけ暗い泣き顔にしてしまった。

 その表情が全てを悟っていると何もかも言ってきた。

 私が記憶を取り戻した原因は、私と彼が腰掛けているこのGMコンソールから【カーディナル・システム】にアクセスし、言語機能をバックアップから自動修復したと同時にデータが流れ込んできたからだ。

 それでもそこそこ危ういのに、更には《The Fatal scythe》を完全抹消する《オブジェクト・イレイサー》の力まで行使してしまった。

 彼が通路に閉じ込められたのは、この部屋に入れる許容人数が限界に達したからだ。この部屋に入れるのはコンソールを動かすだろうGMを含めて全部で七人。

 あの時、シンカーさん、ユリエールさん、アスナさん、ユウキさん、ストレアさん、フィリアさん、クラディールさんで七人だったのだ、私はNPC扱いだったからアスナさんも入れたのである。

 そしてあそこで障壁が発生したのは、ワンパーティーを超えるプレイヤーはGMコンソールを悪用しようとする可能性のあるプレイヤー、あるいは後を付けて来た者と想定して、確実に排除出来るよう設定されていたものなのだ。《The Fatal scythe》という強力なボスモンスターが配置されていたのはコンソールを護る為、復活したのも同様で、実はプレイヤーが幾度倒そうとも無限に強化されて復活する設定だったので、あそこで《オブジェクト・イレイサー》を使った。

 そんな事をしてしまえば、完全にGM行為に相当して【カーディナル・システム】が異常を察知し、放置していた私を異常と判断して消去するだろう事は分かり切った事だった。

 それでも、使わなければ愛する彼を喪っていたから。

 たとえ私が消えるとしても……弟が生きるなら、それでも構わないと思った。

 

「……さっき、ボスを消したから……【カーディナル・システム】に、消されるんだろう……?」

「ふふ……キーは、とってもお利口さんです」

 

 普通のプレイヤーなら、きっとここで何故と問うてくるだろうが……ピタリと言い当てて来る辺り、やはり一人で生き抜いてきた最強の剣士だ。誰よりも幼いが故に、誰よりも能力が高い彼ならば、きっとこの先も生きてくれる。この世界を終わらせてくれる。

 ずっと闇の中に居た私を救ってくれたように……この世界で絶望に暮れる人々を救うだろう。

 ふふ、と思わず笑みが浮かんでしまった。

 誰が予想出来ただろうか。誰からも蔑まれ、誰からも見下されてきた少年が、誰にも為し得ない偉業を成し遂げて救世主となるのだ。それが義理でも自分の弟となれば、自分の事でも無いのに誇らしく思えてしまう。我が事のように嬉しく思ってしまうのだ、胸が高鳴ってしまう。

 もっと一緒に居て、もっと楽しい思い出を作りたかった……

 けれど、ああ、口惜しいなぁ……

 

「……力が、入らなくなってきちゃいました……横になって、良いですか……?」

「……ん」

 

 もう別れが近いのか、段々と小さな弟を抱き締める腕から力が抜けてきてしまった。

 座るのも難しくて、横になっていいかと問えば、彼は短く応えを返して……私の頭を、自身の膝の上に乗せた。

 右手で私の頭を優しく撫でてくれて、とても気持ち良くて、嬉しかった。

 

「……ふふ……気持ち、良いです……」

「……そっか……」

 

 微笑めば、キーは涙で潤む目を眇め、小さく笑みを浮かべて頷いた。流れてくる感情は、私と別れる哀しみに満ち溢れていた。

 けれど私はそれを感じても、哀しいという感情なのにも関わらず不謹慎にも嬉しいと思ってしまっていた。キーの中で、私は大切な存在なのだと。

 それを認識している間にも、私を構成するデータ群が少しずつ、だが着実に異物として捕捉され、分解されていっているのが分かった。

 もう私は自分の名前すら、碌に思い出せなくなっていて……

 

「キー……歌を、お願いしても、良いですか……?」

 

 けれど、それを悟らせないように、私は弟に歌を頼んだ。

 長い黒髪に、美麗な容姿を持つ少年は涙と共に頷き、瞑目し、喉を震わせ始めた。

 かつて、およそ半年前の聖夜に贈られていた、彼にとっての赦しの歌だった。綺麗な韻律が部屋を満たす。

 少年は頬に涙を伝わせていた。けれど歌を止める事も無く、繰り返し、繰り返し、何度も同じフレーズを歌ってくれた。

 美しかった。過度な脚色や装飾なんて必要なくて……彼の心の在り様が具現化しているかのように思えた。少年の整った容姿は、ともすれば彼の心を映しているのではないかと。温かく、穏やかで、人を愛し想える彼を、その存在から私は美しいと思えた。

 もしかすると私にもあるかも知れない心も、今は暖かな気持ちに満たされていた。

 

 

 

 ――――……闇の中で一人だった私にとって、あなたが光でした……愛しています、キー……

 

 

 

 もうそれ以上は口も動かせなくて、光に散ろうとしている朦朧とした意識の中、それでも私の為に歌を捧げてくれる愛するキーに心の声で別れを告げる。

 最後、光へと還る寸前に浮き上がった私は、両腕を動かしてキーの首に回し……一瞬の抱擁と共に、彼の頬に一つ口づけを落とした。砕け散る最中の私の唇は、しかし彼の頬へ確かに触れた。

 本当は美しい歌声を発しているその唇にしたかったが……我儘は言えない。これでも私は満たされた。

 別れの時だ。

 

 

 

 ――――……ありがとう……さよ、な……ら…………

 

 

 

 どうか、あなたの未来に幸、多からん事を……

 その祈りを最後に、私の体は微細な光の粒子となって崩れ、意識もまた同様に散った。

 最後の瞬間まで、最愛の人の未来に光あれと願いながら。

 

 ***

 

「……キリト君、遅いね」

「うん……」

 

 時刻は既に午後五時半、あの部屋にキリトと様子が変わったユイちゃんを残して早一時間が経過していた。

 最初はシンカーさん達も待っていたのだが、流石にずっと不在にしていた為に仕事が溜まっており、また彼を心配して秘密裏に探していた者達にも無事を知らさなければならないので、シンカーさんとユリエールさんの二人はこの場には居ない。

 転移門広場の端の方に居るのは、彼を助ける為にキリトと一緒に突入した残る五人だ。

 クラディールさんは少し苛立たしげな面持ちになっているが、ずっと一時間も待ちぼうけを喰らっているのだから仕方ないとも思う。護衛の任に就いているのだから、流石にアスナを置いて帰るという事も出来ないし、アスナはアスナでキリトが帰って来るまで自分も帰らないと言っている。そもそも今回はヒースクリフ団長から受けた極秘任務であるとも言っていた。

 

「お? アレじゃない?」

「黒尽くめにあの身長……うん、間違いない、キリトだよ」

 

 そう話していると、転移門に蒼い光と共に姿を現すプレイヤーの影が一つあった。

 華奢な体躯に黒尽くめ、そして長い黒髪……フレンド登録している事もあって頭上には《Kirito》とあったし、容姿からもその人影が彼なのだとすぐに分かった。思わず顔が綻んでしまう。

 しかし、奇妙な事に転移門から姿を現したのは彼一人……つまりユイちゃんが居ないのである。これはどういう事かと思って近付いた。

 

「キリト、ユイちゃんは……?」

 

 近付き、問うと、キリトはゆっくりとボクを見上げて来た。その表情はどこか儚く、哀しげで……軽く目を伏せながら、彼は首元から提げている透き通った蒼い雫型のペンダントを、左手ですくい、微笑んだ。

 

「ユイ姉は……記憶が、戻ったから……あるべき場所に帰った。お別れ、したんだ……」

「……」

 

 キリトがぽつぽつと口にした事は、嘘が混じっていると感じた、けれど全てが嘘では無いとも。

 あの時のユイちゃんの様子から考えれば恐らく記憶が戻ったというのは本当だろうし、一緒に居ない事からもお別れしたというのも本当だろう……だがそのお別れの意味はまた会える意味では無いだろう、恐らくは死別だ。

 行く時には無かったそのペンダントは、ともすると、彼女から渡された形見の品なのかもしれない。

 全てを思い出し、父か母のどちらかは分からないが自身と共に来た人が亡くなった事も思い出して……彼女は、キリトの前で自ら命を絶ったのかも知れない。あんな幼い子が親を喪ったなら、命を絶ってもおかしくはない、記憶を喪っていたのは防衛反応だったのだ。

 キリトも止めようとしたのだろうが、出来なかったのだろう、彼もまた喪う苦しみを理解しているが故に逆に出来なかったに違いない。

 

「……そっか…………シンカーさんとユリエールさん、凄く感謝してたよ、ありがとうって……お疲れ様」

「……ああ……」

 

 一体何があってそうなったのか、その経緯を知りたくはあった。しかし今のキリトからそれを聞こうとは到底思えなかった。たった一日しか接していないが、それでもユイちゃんは、確かにキリトの義理の姉だったのだ。

 彼女を受け容れ、家族のように大切に想っていたからこそ、この場の誰よりも、恐らくユイちゃんと接した中でも最もキリトが辛い筈だ。

 今はそっとしておいてあげよう。

 ボクはアスナやストレア達に、キリトには気付かれないよう目配せしてそれを伝えた。彼女達もそう思っていたのか、気遣わしげな面持ちで頷いた。

 

「……それじゃあ、ボクとアスナとクラディールさんは戻るね、《圏内事件》の調査を再開しないといけないし」

「……ああ、そうだったな。忙しいのに呼んで悪かった……ありがとう」

「ううん、気にしないで。キリト君の力になれたなら良かったよ……一番頑張ってたのはキリト君だけどね」

「そうだね……ゆっくり休んでね、キリト……今のキミに必要なのは、休む事だから……」

 

 気力の話だけでは無い。ユイちゃんを喪って傷を負ったキリトには、心の静養も必要なのだ。このままでは、壊れて、押し潰されてしまいそうな雰囲気だから。

 そう思って伝えれば、彼は痛々しい微苦笑を浮かべ、肩を竦めた。

 

「善処はするよ……」

「……そういう返し、キリトらしいね、ホント…………じゃあ、またね」

 

 何かあったらまた動くのだろう、それを咎めはしなかった。何かしていなければ落ち着かない事もあるのは理解していたから、下手に抑えては逆に彼の心が壊れるかもと思った。

 そう思いながら、ボクはアスナとクラディールさんを伴ってキリトと入れ替わりに転移門へと入る。

 転移門に入り、最後に彼を視界に収めるべく振り返る。ペンダントを軽く握り、哀しげに微笑むキリトを見ると、胸が締め付けられ、笑って欲しいなと思った。

 キリトのそんな顔は見ているこちらも哀しくなってきてしまう。

 

「……転移、《マーテン》」

 

 結局それを伝えないまま、ボクは第五十七層へと転移したのだった。

 

 ***

 

 シンカーさん救出があった日の午後六時前に、キリト達は教会へ帰って来た。

 ユリエールさんは居なかったが、聞けば道中は物凄い激戦ではあったものの無事にシンカーさんを救出出来たらしく、それを関係各所に伝えに行っている為に居なかったらしい。それは素直に喜べた。

 ただ気になったのは、あたしの義妹であり、キリトの義姉であるユイちゃんの姿が見えなかった事だったが……あの子はシンカーさんを救出した後に記憶を取り戻し、あるべき場所に帰ったらしい。

 お別れは、決心が鈍るからという事でキリトにだけしたそうだ。首から下げていたペンダントは餞別に渡されたらしい。

 ストレアさんとフィリアさんから話を聞けば、どうも最奥の部屋にキリトと二人きりになって話をしたのだという。その時のユイちゃんは、どこか儚い印象だったらしい。

 ユイちゃんとフレンド登録してなかったので、あたしは彼女の居場所を直接知る事が出来ない。キリトに訊けば、彼もまたフレンド登録をしていなかったから、下手すると二度と会えないのではとも思った。

 それに妙なのはキリトの様子だ。どこか無理をしているような感じがしたのだ、何かを堪え、我慢しているかのような……何度かそれとなく聞いてはみたものの、大丈夫だ、気にしないでとしか返さなかったからどうしようも出来ず、あたしは引き下がるしか無かった。

 キリトとナンちゃん、シノンさん、ストレアさん、あたしは教会で手早く夕食をサーシャさん達と共にした後、第二十二層にあるキリトのホームへと帰る事にした。

 元々成り行きで昨晩は教会に泊まっただけで、あまりキリトが第一層に居るのは好ましくなくて早めに離れる必要性を感じたからだった。

 キリトのホームに行く道中ずっと無言で、ホームに着いてからもほぼ一言も発さずキリトは自室に引き上げた。

 発した言葉と言えば、疲れたから休む、というものだけ。そのあまりな短さが彼の疲労感を、そしてユイちゃんが居なくなった喪失感をまざまざと感じさせた。あたしも居なくなって寂しいと思っているが、キリトの方が辛いのだろうと思うと何とも言えなくなった。

 恐らくキリトが言った事には、幾らかの真実と共に嘘も交えられて伝えられていると予想している。それがどんな嘘かは分からないが。もしかすると、もう二度とユイちゃんには逢えないのではという嫌な想像をしてしまった。

 リビングに居るような気分でも無くて、まだ七時にもなってない時分であたし達はあまり会話もせず、宛がわれた部屋に引っ込んだ。

 それから数分も経たない間に、キリトがあたしの部屋を訪ねて来た。控えめなノックがして、部屋に招き入れるや否や、彼はベッドに腰掛けるあたしに突進紛いの勢いで抱き着いて来た。

 体は小刻みに震えていた。

 

「和人……?」

「……直姉には、本当の事を話しておこうと思う……ユイ姉の、事を……」

「ッ……!」

 

 彼があたしを尋ねて来た理由は、謎に包まれたユイちゃんとの別れの話だった。

 ユウキさん達を先に帰し、一対一になったダンジョン最奥の安全地帯で聞いた事、そしてユイちゃんの末路を。和人は嗚咽を堪えながら訥々と語った。

 ユイちゃんはたった一人で全てのプレイヤーの負の感情を受けていて、ずっと仕事の責務と状況の板挟みにあっていた。和人に逢いたくてやって来て、けれど彼を救う為に【カーディナル・システム】によって異物として消去された。

 和人は姉の体が光に散ってすぐ、ある行動を取った。それは【カーディナル・システム】……いや、この世界に対する、最強の剣士が家族の為に起こした叛逆だった。姉がしたのなら自分もと、もう奪うなと、哀しみと共に彼は奮起したという。

 彼は、《オブジェクト・イレイサー》を行使する為に彼女が起動していたコンソールが閉じられる前に干渉し、消去対象として判別されていたデータを走査。すぐに発見し、大容量のデータの殆どを切り捨てて僅かなデータだけを切り取り、自らの《ナーヴギア》に保存するという荒業をやってのけたらしい。

 そこでコンソールは閉じられ、GM権限を有していない事からエラー判定を受け、衝撃波をその身に浴びた。帰って来るのがかなり遅かったのはそれで気絶していたからだという。

 元のデータに較べればほんの僅かしか切り取れなかったから、ユイちゃんの記憶や人格、行動パターン、またアバターグラフィックデータが揃っておらず、恐らく環境を整えてもこのデータでは復活出来ない可能性が非常に高い。

 それでも欠片と言えるそのデータは、首飾りとして彼の首から提げられている。

 名前は【ユイの愛雫】。何の効果も無い、装飾品でも装備スロットを埋める事から最低防御力を上げる効果があるのに、これには一切無い……しかし和人にとって、これ以上は無い代物だった。

 愛する姉が、常に傍に寄り添っているような、そんな感覚らしい。

 

「……そっか…………寂しく、なっちゃうね」

 

 このSAOを動かす基幹システム【カーディナル・システム】によって異物として消去されてしまった、データの欠片は拾えたものの再会なんて絶望的……たった一日と言えども確かに妹だったあの子には逢えないのだと分かって、あたしは哀しくなってしまった。

 それでも、あたしは泣かない。涙は浮かべるが……子供のように泣きはしない。あたしが不安定だと、弟が、和人の方が立ち直れないから。心で泣いて、顔は笑う、それが姉というものだから。

 別れに立ち会えなかったのは辛いが……最も辛いのは、姉の死を、笑って、歌って見届けた、この子だろうから。

 

「和人、今は沢山泣いて……泣いて泣いて、泣きまくって良い。でもその後は、笑っていよう? あなたの心が明るくないと、きっとユイちゃん、不安がっちゃうから」

「笑う……?」

「うん……あなたの心に引かれて来た子で、お姉ちゃんなんだから、きっと笑顔が見たいって思ってるよ」

「……そうだと、いいな……」

「そうに決まってる……同じ姉が言うんだもの、間違いないよ。あなたの笑顔は、とても綺麗で、魅力的なんだから」

 

 そう言って、抱き付いて来ている義弟の頬を優しく撫でてやると、彼はくすぐったそうにしながら猫のように目を細める。少しばかり気持ちよさげに頬を緩めるその姿は、誰が見ても少女としか思えないあどけなさがあった。

 そうしていると、ふと真剣な面持ちであたしを見据えて来た。

 

「どうしたの?」

「……ユイ姉が居なくなってから、ずっと考えてた。俺の戦う理由、強さを求める理由は何だろうって」

「……」

 

 唐突に語り始めた内容は、あたしが内心で案じているものだった。

 この世界には居ない世界最強の実姉の背中を追い求めていると考えていただけに、何時その事に気付き、その後はどうなるか見当も付かなかったから。

 強さを求めているのが背中を追い求めているからだとして、もしもその目標をこの世界で達成出来ないと気付いたら、一体彼は何を理由に戦えばいいのかが分からなくなるのではないかと考えていたが……この面持ちから察するに、どうやら彼なりに既に考えてはいるらしかった。

 それに内心で安堵しながら、あたしは目線で先を促した。

 

「昨日、レインの背中で眠ってから、俺は夢の中でもう一人の俺自身と会った。俺とは完全に色を反転させた、謂わば真っ白な俺だった。そいつは俺が封じ込めた記憶と感情の集合体って言ってた」

「封じ込めた、記憶と感情……」

 

 幾らか思い当たる事はあった。ずっと謂われなき虐待を受けていたにしては、この子は怒りといった感情が薄いと……あの闘技場《個人戦》の最後に見せたアレが《白い和人》なのだとすれば、多少納得はいく。

 あの荒々しくて真逆の雰囲気は、彼が本来持っている筈のモノの寄せ集めだったのだとすれば。

 

「そいつに言われたんだ。俺が求めてる最強は、俺が作り出した偶像でマガイモノ……だからそれを求めて積み重ねて来た俺の強さもマガイモノだって」

「……そんな事は無いわ。あなたが目指していた背中がたとえ偶像でしか無かったとしても……和人、あなたの強さは、あなた自身のものとして身に付いている。決して偽物やマガイモノではないわよ」

 

 この一年半を殆ど一人で生きて来たこの子の強さがマガイモノだと言うのなら、一体何が本当の強さになるというのか。

 確かに和人が求めていた背中は偶像だっただろう、けれどそれの何が悪い? 目標にしている人間の全てを知っていなければならないのか? 全てを知っていなければ、まともな目標にならないというのか?

 それは違う。目標と言うのは、達したい高みの分かりやすい一指標でしか無いのだ。達成しなければならないのが目標なのでは無い、達したいという願望の表れが目標なのだ。この辺は賛否両論あるだろうが……高い目標を持つ事も、指標として掲げる事も、決して悪では無いのだ。

 そう伝えるが、しかしこの子が言いたいのはそういう事では無かったようで、彼はゆっくりとかぶりを振った。

 

「俺がこれまでで得た強さは、張りぼて……ただの技術だったんだ。本当の強さじゃ、なかったんだ」

「本当の、強さ…………あなたは、その本当の強さは何だと考えてるの?」

「……辛い過去にもめげないで、現実に立ち向かえる心」

 

 あたしの問いに、一拍空けてから答えを返された……それはあたしの満足いく答えだった。仮にここで武力だとか、ISの強さだとか言っていたら、頬を張り飛ばしていた所である。

 あたしもまだ齢十五だ、そんな説教を垂れるくらい老練している訳も無いから偉そうな事を言える筈も無い。

 だがあたしでも、それは間違っているというものは分かる。義弟が見出した本当の強さというものは、少なくとも絶対的な誤りでは無かった。

 故にこそ、あたしは微笑んだ。

 

「うん……それも一つの形かも知れないわね……」

「だと良いな……でも俺は、全然弱くて……だから一人で生きるって覚悟しても、アスナやユウキ、リズ達に支えてもらってる」

「良い事だと思うよ? 人間、一人で生きられる筈も無いんだから」

 

 人間は決して一人では生きられない、必ずどこかしらで協力して生きているのである。だから一人で生きるという覚悟が間違いで、支えてもらっていて、代わりに和人もまた助け支えているというその関係こそが正しいのだと、あたしは思う。

 そう言うと、彼も微笑んだ。

 

「だから……俺は、俺を受け容れ、助け、支えてくれる人達を護りたい、その人達をこの世界から生還させたい、幸せに笑ってもらいたい。直姉は勿論、アスナ達も、クラインやエギル、ヒースクリフ……そしてユイ姉の為にも、俺はこの世界を必ずクリアしてみせる……これから俺が戦う理由は、これだ。勿論まだ最強を求めてはいるけど、割合としてはこっちの方が遥かに大きい」

「和人……」

 

 微笑みと共に宣言した愛する弟を見て、思わず唖然としてしまった。

 何と強い子だろうか。さっきまで体を震わせ、二度と逢えない義姉の死を哀しんでいたというのに……その死を受け容れるばかりか、乗り越えて決意を新たにしているとは。

 皮肉にもユイちゃんの死が、この子に本当の強さを認識させ、そして持たせるに至ったのだ。

 彼が戦う理由は、実はそこまで以前と変わってはいない。ただ護る対象の範囲が、彼の手が届かない不特定多数から、彼を受け容れ支えるという親しい者達に絞られた程度だ。

 だが広く浅くよりは狭く深くなのか、その分だけその者達に向ける感情がより深くなっている、幸せをも願うようになっているのだ。以前はそこまで踏み込んでいなかった、酷い言い方をすれば極論生きていればいいという感じだったのだ。

 その理由には愛する義姉一人の命の重みが既にある……だからこそ、彼も戦う理由として掲げる事にしたのだろう。姉と共有した幸せというものを、他の人にも持ってもらいたいという純粋な願いを、和人は持つようになったのだ。

 決して押し付けなどでは無く、人それぞれの幸せを見つけて欲しい、その為にも道を閉ざさせはしないと。

 

「直姉の事も、絶対に護るから。現実では頼ってばっかりだったけど……この世界でなら、頼ってもらえる力があるから」

「……そうね。正に昨日頼ったばかりだし、これからも頼らせてもらうわ」

 

 優しく微笑めば、和人は面映ゆくて恥ずかしそうに、同時にどこか嬉しそうな表情でうん、と頷いた。

 けれど直後、その表情がちょっとだけくしゃりと歪む。

 

「……でも、今は、頼らせて……」

「ええ……良いわよ」

 

 再び抱き付いて来た弟を、抱き締め返す。華奢な体に痕を残すかのようにキツく抱擁の力を強めていく、あたしは此処にいるんだぞと言わんばかりに強く。

 

「絶対に護るから…………だから、直姉は……直姉だけは、最後まで死なないで……!」

「ええ……あなたが居る限り、あなたが生きている限り……あたしは許される限り、ずっとあなたの傍に居続ける。護られるだけじゃなくて、護れるように」

 

 家族を喪った哀しみはまだ癒えた訳では無い、それから来る恐れが今も彼を蝕んでいた。不安に駆られている弟をあやすように抱き締めながら、あたしは頭を撫で、耳元で安心させるように囁いた。

 

 

 

 ――――……だいじょうぶ……

 

 

 

 脳裏に、温かく、優しげなユイちゃんの声が聞こえた。

 それに少し顔を上げれば……幻でも見ているのか、うっすらとだけユイちゃんの姿が見えた気がした。白いワンピースを着て、長い黒髪を揺蕩わせる少女は目を瞑ったまま優しく微笑み、あたしが抱き締める義弟を、背中から抱き締めていた。

 

 

 

 ――――……何時も、一緒です……愛していますよ…………キー……

 

 

 

 ――――……私の……一番、大切な……ひと…………

 

 

 

 口は動いていなかったが故の声なき声がまた聞こえ、あたしと一緒に義弟を抱き締めている朧気な少女の閉じられた双眸から雫が頬を伝い……

 そう思った時には、まるで夢を見ていたかのように一切が消えていた。

 愛する義弟の涙が頬を伝い、落ち……蒼い雫と一つになった瞬間、キラリと微かに輝いたように見えたのは、きっと気のせいでは無いだろう。

 

 






 はい、如何だったでしょうか。

 もうユイがキリトのヒロインなんじゃないかってレベルになってますね、今話……書いてから気付いた。家族としての絆、愛情を全面に押し出すべく書いてたらこうなってました。ユイのヒロイン力にビックリです。



 ちなみにですが、原作通りちゃんと復活します、記憶も性格も完全に。



 彼女は好きなキャラですし、原作メインキャラでもありますからガチ死亡はさせませんので、安心して下さい。キリトとユイのじゃれあいを書きたくもありますし(実はそれもあって義理の姉弟にしていたり)

 ただ復活のタイミングや方法、過程はまだ未定です。シリアスで必死にやって復活か、ぷはーってゲームのように復活かも分かりません。出来るだけ感動を呼びたくはありますが、あまり苦しませたくはない。

 当初はペンダントすら無し、つまりコンソール操作も無しの予定だったんですが、何だかなーと思って追加、更に最後の思念ユイちゃん描写も追加……その結果ヒロイン度激アップになりました。

 彼女の性格が少々原作から乖離してますが、そもそもポジションからして違うので気にしない。

 ……このままだと彼女もキリトのヒロイン候補に挙がりそうですな。現状だとSAO組はリーファ、アスナ、ユウキ、サチ、ユイですかね?

 ヒロイン候補にユイが入っているのって、何気に本作が初じゃないですかね……(-_-;)

 そして、キリトが戦う理由をある程度定めました、原作一夏から原作和人に意識が大きくシフトしたかな? 皆を護る→大切な人を護るで絞ったので、一点突破の爆発力が桁違いになります(原作ALOグランドクエスト攻略時のキリトみたいに)

 まぁ、逆に弱点にもなりますがね……これだと永遠に弱点無くなりませんな、つまり最強無敵無双劇も永遠に来ない(笑)

 その方が書く方も読む方も良いと思いますけどね……最強はマンネリ化で終わりますし。

 長々と失礼。批判などではありませんので、ご容赦いただければと思います。

 では、次話にてお会いしましょう。


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