インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、お久しぶりです。

 アリリコやってたのと、展開を練っては消しを繰り返してたので遅くなりました()

 ……いや、マジで展開迷ってん。わかりやすいよう考えてたんですけどまだ分かりにくいかもしれない。分からなかったら、あとがきで纏めてるので参考にドゾ。

視点:オールシノン

字数:約一万二千

 ではどうぞ。





決断 ~ココロを求めて~

 

 

 二〇二五年六月二十五日、水曜日。午後十一時三十分。

 《アルヴヘイム・オンライン》央都アルン、リーファ邸。

 

 

 尻尾を掴みましたと、冷静な声が上がった。

 そう報告したのは電子の妖精にして、覇王の異名を得ている少年の義理の姉の一人・ユイ。デスゲーム時代の闘技場で手に入った黒衣の衣を今も纏う女性は、凛々しい顔立ちに怜悧さを滲ませながら、この場に集う面々を見た。

 

 ――義理の姉であり、同時に義弟のメンタルケアを担っているMHCPのユイとストレアは、インターネットという電子の海を自由に渡り歩き、あらゆる情報を得られる特性を利用し、水面下である活動を行っていた。

 

 それは義弟・桐ヶ谷和人周辺の情報収集と規制だ。

 彼女らはインターネット上であればほぼ無条件に動き回れ、ある程度のセキュリティシステムなら突破出来る高度な演算能力を用い、彼が契約している携帯端末とPC端末のアドレスを特定、監視し、いつ、どこのブラウザに接続したかを監視していた。同時に彼女らは、彼を傷つけるであろう誹謗中傷、あらぬ風評が彼の目に触れないよう、検索対象から除外するよう働きかけていた。それが情報の『収集』と『規制』の実態。

 『規制』に関しては、未成年者が成人向けのコンテンツを閲覧、あるいは検索そのものに引っかからないようにする機能を流用し、彼の名前やデスゲーム関連、それに類する単語を対象に、検索結果から除外されるよう設定する事で実現させていた。とは言え全て除外すると生還後の事件すらもヒットしなくなるため、その辺は都度調整していたようである。

 そして『収集』は、検索履歴や読み込んだページアドレスを追跡、更にはメールの履歴、電話の盗聴などが主だった。

 プライバシーの面から流石に行き過ぎな気はしたが、いたずら電話などを例に『決定的な証拠がなければ好きに叩かせてしまいますから』と上の電姉は言い、否定できないためそれ以上は誰も言えなかった。

 

 それは思わぬ形で実を結んだ。

 

 人知れぬ場所で交わされた英雄と天災の密約。そこに参加した、五万四千年の時を過ごし、無数の時空を超える程に義弟を救わんと動く《黄昏の魔女》ペルソナ・ヴァベルの通話を、ユイが拾ったのだ。

 彼女は、彼が心から信を置く者にだけ通話記録を開示した。

 それを知った私達の反応は種々様々だったが、ほぼほぼ共通していたのは、星の存亡を一年間も一人で背負っていた少年に対する悲しみと、それに気付けなかった自分たちへの苛立ちだった。

 ――知っていたはずだ。

 あの少年は、ウソは下手なくせに、突っ込まれるまでは隠し事が上手いのだと。なにもかも一人で背負おうとする事を、私達はイヤというほど知っていた。

 ただ、忘れていた。

 命懸けの世界から解放された事で、私達は気を緩めていた。

 ボス戦放映、《クラウド・ブレイン事変》などを介し、彼の本質や聡明さが評価されていくにつれ、かつてほど酷くはないだろうと楽観していた。

 事変後、将来的にブリュンヒルデと覇を競う事になろうとも、彼ならば勝利するだろうと油断していた。

 政府の後ろ盾、技術的な支援、彼の実力――諸々を考慮すれば、命を落とさないだろうと思っていた。

 

 でも……ぜんぜん、違った。

 

 彼は識っていた。

 ”現実”の醜さを。

 ”未来”の絶望を。

 ”地球”の運命を。

 ――”己”の宿命を。

 避けられぬ戦いがあると。敵を作らないよう、味方を作るよう動いて消滅させられるものではない、外宇宙からの侵略者が来る事を彼は識っていたのだ。そして”平行世界の自身”が、(おの)()を賭し、単独で撃退した事実も識っている。

 魔女の通話は、詳細が語られる前に切れ、その後は彼の端末に電話は一本も入っていない。だからその侵略者が、果たして剣腕を鍛えてどうにか出来る存在かは不明だ。

 そして、現実ではただの一般人の私達が出来る事も不明だ。むしろ力になれる事の方が少ないだろうコトは想像に難くなかった。例の電話から《IS学園襲撃事件》を経て、ISの戦闘を見たいま、猶更その結論は強固なものになっている。

 

 ()()()()()彼が私達に未だ話さないでいる事も理解している。

 

 彼は心優しい少年だ。

 IS学園入学だとか、第四回モンド・グロッソだとか、日本の未来だとかで心配している私達に更なる負担を掛けないよう、そして私達が力になるべく動こうとしないよう、そもそも情報を伝えない事を決めたのだ。そうすることが私達にとって幸福だと判断して。

 そうじゃないか、と問われれば、私はきっと「そうだ」と答えていただろう。

 

 でも、同時に間違いだとも言う。

 

 その『幸福』には、彼もいないとダメなのだ。また、想いを寄せる少年にだけ危険を負わせ、自分たちは安穏を過ごす事も、『幸福』とは言えない。

 

 ()()()私達は、自分達の想う『幸福』のため、自ら関わる事にした。

 

 

 

 ――彼はきっと、私達の選択を非難するだろう。

 

 

 

 それも、覚悟の上だ。

 もう彼にだけ苦しい思いはさせない。それはデスゲーム時代から彼を知っている面々の誰もが抱いている気持ち。あの世界で彼に心を救われ、命を助けられた、裏にあった彼の死闘を露とも知らなかった私達の苦い誓いだ。

 彼が嫌がり、拒否しようとも。

 彼が私達のために戦うのであれば、せめて彼の苦しみを、心の負担を一緒に背負うくらいはしたかった。

 それを端的に表現するなら――きっと”贖罪”が相応しい。

 

「思った通り、例の掲示板に出てきたナ」

 

 独特のイントネーションで猫妖精(ケットシー)の情報屋・アルゴが言う。口調こそ普段と変わりないが、表情は緊迫のそれだ。そして、その感情を浮かべているのは彼女だけではない。

 

「あたし達がコメントをした後くらいに出てくるっていう予想がドンピシャでしたね」

 

 水色の和毛(にこげ)の小竜を抱く猫妖精(ケットシー)・シリカが、やや意外そうに言う。それにほんとにね、と応じたのはマスター鍛冶師として有名な鍛冶妖精(レプラコーン)・リズベットだった。

 

「でも、なーんか上手く行き過ぎてる気がするのはあたしが気のせいかしら?」

「気のせいじゃないかもね」

 

 デスゲーム時代から攻略組を支えてきた鍛冶師に、私はそう応じた。心境に呼応してか尻尾がひゅんと風を切る。

 

「件の『五万四千年プラスアルファの年月を生きたユイちゃん』って、この世界を生きる人……あのキリトへの干渉すら凄く躊躇っていたっていう話でしょう? なのに掲示板にコメントを残すなんて、違和感があると思わない?」

「うーん……でもホロウ・エリアでの件を考えると微妙だよね。あれ、ガッツリ関わってるしさ」

「ケイタ君と戦った時も乱入してきたらしいしね」

「なんならキリトを気絶させて、更には誘拐までしてるもんね」

 

 私の疑問提起に、影妖精(インプ)・ユウキ、鍛冶妖精・レイン、音楽妖精(プーカ)・サチが次々と異を唱えた。そう言われると反論する材料がないため、まぁ、そうだけど……と口ごもるしかない。ユウキとサチが挙げた件は道案内、ケイタの件は彼を殺さないようにという配慮だろうが、それはそれで干渉しているため、未来のユイ=ヴァベルが殊更に不干渉を貫こうとしていた話と矛盾する。

 無論、ある程度の推測は可能だ。

 ケイタに関してはキリトの心の傷そのものだから、それが決定的に袂を別つまでに至らないよう介入した。道案内に関してはあまり時間を掛け過ぎると都合の悪い事が起きていた。そしてそれらの行動を取らなければ、結果的にキリトは死んでいた――と、そう考えれば、彼女の介入にも納得はいく。ヴァベルの目的は、彼の死を回避する事に帰結しているのだから。

 SAO時代で極力他者との不干渉を貫き、彼にだけ接触、且つ”平行世界”について語ったのも、世界を広く見て適切に情報を利用できると踏んだからの筈だ。

 

 ――いずれもただの推測でしかないが。

 

 真実は分からない。私達の想像の及ばない何かが関わっている可能性は、十分に存在するのだから。

 

「どうあれ、直接聞くしかないよ」

 

 推測に推測を重ねても、否定しても、水掛け論でしかない不毛さを切り捨てるように、水妖精(ウンディーネ)・アスナが毅然とした面持ちで言った。

 その隣で、彼女と同種族の少女・ランもそうですね、と頷いた。

 

「そのためにここに集まってるんですから」

 

 そう言い、彼女はぐるりと全体を見渡した。

 この場に集まっている人数は私、キリカ、ユイ、ストレア、ヴァフス、ヴァフス・オルタ、アスナ、リズベット、シリカ、ユウキ、ラン、サチ、レイン、アルゴ、そしてリーファの合計十五人。秘密を抱えるにはかなりの大所帯だが、いずれも彼にとって”大切な存在”である事は間違いない。

 惜しむらくは、兄貴分であるクラインとエギルが居ない事だろうか。片や出張、片や店の営業と被ってしまったから仕方ないとは言え、彼らの存在は心強いからこそ惜しいと思えた。

 

「演算終了。ゲート、開くよ」

 

 そう、電姉の片割れたる土妖精(ノーム)の女性・ストレアが告げ、虚空に手を翳した。ヴァベルの根城たるアドレスを特定し、そこまでの直通回路を開いたのだ。

 それはつまり、《ALOの外》に飛び出すという事。

 ネットゲームにフルダイブしている私達の体はあくまで《ALO》の規格、プログラムに沿ったもののため、その外に飛び出す事は原則不可能だと思われる。だが――厳密に言えば、今回は話をしに行くだけであり、体は不要だ。最悪通話だけでも出来ればそれでいい。『知る事』が今回の目的なのだから。

 無論、行けるに越した事はない。

 

「――行きましょう」

 

 その可能性を知った上で、泰然と先陣を切る風妖精(シルフ)の剣姫。

 表面上は落ち着き払っているが、その実、内心は激情に駆られている事だろう。それが怒りや苛立ち、焦燥、あるいは不安や危惧かは定かではない。

 果たして、ストレアが開いた渦巻く空間へ緑衣を翻し進んだ剣姫は、虚空へと姿を消した。

 そのほぼすぐあとをキリカ、ヴァフスらが続き、私達も後を追う。

 

 

 

 ――頬を、風が撫でた。

 

 

 

 ざぁ、と青草が揺らめく音が広がる。感覚があるという事は、どうやらアバターはこちらでも再現されたようだ……と思考しながら瞼を上げる。

 頭上は空を覆う天蓋に覆われており、彼方にはそれを支える極太の支柱が等間隔で並んでいるのが見えた。

 

「……アイン、クラッド……?」

 

 誰の声だったか。気を引き締めていた筈なのに、今はもう存在しない筈の光景を前にして、思わず茫然とした声が上がっていた。

 ――この光景を知っている。

 第一層に広がる《はじまりの草原》だ。私は途中参加であり、《始まりの街》に行った事こそあれ草原に足を踏み入れた事は一度もない。だが――彼の残影が、のちに刀使いとなる青年と狩りをしていた光景から知っていた。

 

 けれど、目の前に広がる草原は、記憶通りのそれではない。

 

 そこら中の大地に剣が突き立っている。槍、短剣、盾など、ありとあらゆる武具がひとり、ふたりは並んで歩ける程度の間隔で、稜線の彼方まで。何れも古びており、錆び付き、風化している。何年、何十年もの間、

 それらの中に、自分たちが愛用していた武具がある事にも気付いた。

 ――この光景も、知っている。

 《事変》において暴走していたセブンを前に広げた彼の”心象風景”。彼が恐ろしいと思い、否定したいと思っている可能性。以前は『SAO最終戦のトラウマ』の具現だと思っていたが――未来を知った今は、平行世界の未来を恐れていたからではないかとも考えられる。

 ……少しだけ、違和感はあるが。

 

 

 

()()()()()()()

 

 

 

 意識の外から、声が聞こえた。

 警戒心を掻き立てられる。機敏に声がした方へ向き直ると、幾らか離れたところに外套を風になびかせる人物の姿があった。二本のチェーンがチャリチャリと鳴っている。

 その装いはユイと同じだ。

 ――見えている顔も、同じ。

 遥か未来から、そして平行世界から渡り来たというヴァベルは、正しくユイそのものだった。顔立ち、体格、容姿の全てにおいて瓜二つ。

 異なると言えば面持ちだった。現在(こちら)のユイが毅然としたものであるのに対し、未来(あちら)のユイはどこか亡羊を滲ませつつ、冷淡さを押し出している。どこか、リーファを思わせる雰囲気だった。

 敵意はない。

 殺気も感じない。

 だが……隠そうともしない落胆だけが、私達に向けられていた。

 

「あなたが、未来の私……ですか」

「時間的な意味で言えば確かにそうだ、平行世界の私」

 

 ユイの問いかけに、意味深にヴァベルが応じた。ユイの表情が怪訝に歪む。

 

「時間的な……? どういう意味ですか」

「正確な意味では、私とお前は同一存在ではないという事だ。世界は矛盾が起きないよう出来ている。まったく同じ存在が同じ時間、同じ場所に存在し、それらが対面する……など、事象からしてあり得ない。同じ時間と言えどそこに至るまでの行動が違う。同じ場所と言っても座標が違う。故に、それぞれが認識し、記憶する過程も異なる。自身と完全同一な存在がいるなんて事は主観的にも客観的にも起き得ない。もしそれが起きるとすれば、それこそ矛盾する。事実私とお前とでは生きた年月も、精神性も大きく違う」

 

 冷淡な口調で、ヴァベルが言う。

 

「それに、たとえお前が私と同じだけの時間、同じ選択を下し、同じ立場となり、同じ道を歩んだとしても、既に私と異なる過去を歩んでいる以上異なる存在になる……私が見てきた世界では、愛する我が義姉弟(ぎきょうだい)を除き、誰も生き残らなかったのだから」

 

 その冷淡な顔に、深い悔恨と絶望を滲ませながら、彼女はそう言った。その悔恨と絶望を抱く過去がこちらのユイには無いからこそ、どれだけ時間を掛けようと、ヴァベルと同じ存在にはならない――だから《平行世界の私》と称したのだろうと察する。

 それを、どうしてか妬みのように感じた。

 お前はこの苦しみを、あの絶望を味わおうとも、自分とは違うと。事実を並べる文言に、確かな嫉妬の感情が見え隠れしていた。

 ――それは、抱いて然るべきものだ。

 その気持ちの根底には、『義弟の生死』が関わっている。ヴァベルは五万四千年もの間、ずっと彼を死なせてしまった事を悔い、生かすためだけに行動してきた。その結果、自身とは違う、しかしほぼ同じ存在が義弟と触れ合っているのを見て、感情を波立たせないなんてあり得ない筈だ。

 義弟が生きる未来に、本当は自身も居たい筈なのだから……

 

「……だからこそ。この世界のように彼が生き、剰えお前たちすらも生き延びている現状は、奇跡に等しいのだ。彼が己の獣性を真っ向から超克した事も含め、兆を超えるだけ世界を渡り歩いた私でも初めて見るのだから」

 

 その衝動を抑え込むように声を震わせながら、ヴァベルが呻く。

 

「お前たちはそれが分かっていない。お前たちがどれほどの奇跡の上で生き延び、平穏を、日常を享受出来ているか。百分率で表そうにもあまりに小さな希望の上に《今》がある、その奇跡の儚さを、理解していない。僅かな(ひず)みで崩れ去る脆さを誤認している」

 

 ぎり、と奥歯を噛み締めながら、未来のユイ(ヴァベル)が、私達を睨んでくる。顕わとなる敵愾心。

 

「お前たちのその行動が、あの子を苦しませて――――」

 

 

 

「ヴァベル」

 

 

 

 更に言い募ろうとした般若の口が、がちんと閉じられる。ただ名前を呼ばれただけなのに喋る事を禁じられたかのような行動だ。

 それはおそらく、彼女にとって優先順位が最高位に位置する存在に、制止の意味で名を呼ばれたからだ。

 

 ――何時から、そこにいたのか分からなかった。

 

 彼方まで続く武器の墓標と草原に、いつの間にか小さな《()()》が立っていた。左にヴァベルを、右に私達を見る位置の小山から、それぞれを見下ろしている。

 彼の視線はヴァベルに向けられている。仕方がないなぁ、という苦笑。

 対して、それを向けられるヴァベルの表情は、苦悩に満ちていた。

 

「……すみません」

「ああ。気持ちは有難いけど、八つ当たりは良くないな」

「…………すみません」

 

 何を理由にした八つ当たりなのかは、誰も聞かない。

 多分誰もが分かっていた。

 彼の思いを知っている。私達のために、彼が戦っている事を知っている。だからこそ、それを踏み躙るような私達の行動を責める形で、彼女は羨望と嫉妬をぶつけてきていた。それが出過ぎた真似だと自覚していたから、彼女は一も二もなく、平身低頭で謝罪を口にしている。

 少年は、ただ鷹揚に微笑むばかり。

 ――やはり、ヴァベルは姉なのだ。

 彼にとっては今も未来も変わりなく、彼女は《ユイ》という義理の姉に他ならない。だからこの上なく甘い。

 

 そうして、私達は少年と対峙した。

 

    *

 

 時を操る美貌の魔女を従え、白髪金瞳の剣士が私達を見据える。口元には微かな笑みが浮かんでいた。

 その彼の前に、一歩、剣姫が歩み出た。

 

「キリト……いえ、和人。あたし達がここに来た理由は、分かってる?」

「ああ。俺と束博士の話し合いで、ヴァベルを呼んだ時の通話を録音し、それを聞いたんだろう?」

 

 リーファの問いに、彼――和人は、こちらが知る情報源から正確に答えて見せた。それに動揺を見せたのはユイ達だ。

 

「……ヴァベルから、聞いたのですか?」

「録音されていた事は確かに教えてもらった。だが、俺の電話やPC端末を監視されている事は、かなり前から気付いていたよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「え……?」

 

 動揺は、困惑へと移り変わった。それはそこかしこから生じ、波及していく。

 いまの発言を真実と取るなら、彼は、私達が未来の事実を知る事を承知で――あるいは、望んでいるとも取れるのではないか。

 

「それは……私達に、気付かせる意図があったということ……?」

 

 戦慄が滲む声で、私はそう問いかけた。

 問いかけながら、期待に胸が膨らんでいく事を自覚する。だってそれなら彼は私達を求めていたと言えるのだ。途轍もなく迂遠ではあるが、それでもほぼ確実に気付くだろう手を取ってくれていたのだと。私達を、必要としてくれていたのだと……

 

「――気付かせる、というのは語弊だな」

 

 だが。

 彼は、苦笑と共に頭を振り、否定した。

 

「あの電話を聞いていたんだ。ヴァベルが【無銘】のコアにいる事、そのヴァベルの記憶データから俺が平行世界の追体験をしている事、なにより将来何が起きるかも知っている。平行世界に於いて、直姉とユイ姉を除いた皆は死んでいた事も」

「ええ。確かに、知ったわ。世界によってはあたしがあなたを斬っていた事も」

「逆に、俺が直姉を斬り殺す事もな。ちなみに斬鉄はその世界線で体験した技術だった」

「……なるほど、道理で。技術が飛躍して成長する訳だわ。平行世界とはいえ自分自身の技であれば即座に習得できてもおかしくないものね」

 

 得心がいったと、リーファが頷く。だが表情は未だ固い。納得は出来ても、安堵は微塵も出来ないからだろう。

 なぜなら、”追体験”という事は、彼はあくまで体験とは言え大切な義姉を殺す感覚を知ったという事を意味している。キリカが自我崩壊や命令違反を起こしてまでリーファやサチを守ろうとした強固な誓約を真っ向から破る体験は、和人にとって、間違いなく負を増大させる要因そのもの。そんな事をして彼の心がタダで済むとは思えない。

 ヴァベルはユイそのもの。MHCPという存在として、他者の感情データを収集・蓄積する機能を持っている。

 そんな彼女が【無銘】に入り、蓄積したデータを一から追って行く過程で、平行世界の彼の感情の影響を受けないとも限らない。仮に影響が無くても、平行世界の光景を見るだけで彼の心は摩耗していく。

 私達は、それが恐ろしいのだ。

 だから安堵なんて抱けるはずがなかった。

 

「どうあれ、この世界のみんなは生きている。でも何かが違えば死んでいた……それを知って、俺はみんなを関わらせたくないと思った」

 

 それは、当然だ。私達とて彼が危険の渦中に飛び込む事はやめさせたい。事件そのものが来るからどうしようもないと諦観を抱いているだけなのだ。

 

「みんなは俺を心配する。してくれる。それは、俺の生きる理由であり、戦う力だ……悪循環ではあるけどさ」

 

 悪循環。

 言い得て妙だと思った。

 私達は彼を心配する。彼は、私達を想い、心配される事を喜び、守ろうと剣を手に戦いへ赴く。それを知って更に私達は心配する……そんなシナジーが出来てしまっているのだ。

 人のために戦える彼は、そうやって自己を確立している。

 だからと言って、心配をやめたところで止まる訳ではない。彼は私達を想っている。それは、心配される事の返礼だとか恩返しだとかでなく、リーファによって抱いた彼自身の願望がそうさせている。だからたとえ私達が彼から離れようと――そんな事は洗脳された場合しかあり得ないが――彼は私達のために戦い続けるだろう。ただ『みんなの幸せ』を守るために。

 メリット、デメリットで構築と解消が多い人間関係の原理を度外視したその在り方。それこそが、”彼”なのだ。

 

「――でも、それと同時に、別の願望もあった」

 

 そこで、彼は表情を変えた。苦笑から苦悶へと、思い悩む顔に表情を歪める。

 

 ――一人はつらい。

 ――一緒にいてほしい。

 ――一緒に戦ってほしい。

 ――みんなの顔を、近くで見ていたい。

 ――離れたくない。

 

 訥々と、彼の『願望』が列挙される。

 それは彼自身が剣を()る、理由そのものだった。

 

「みんなには死んでほしくない、危険な目に遭ってほしくない。だから更識邸や学園への隔離みたいに物理的に距離を置く事は合理的だと判断してたんだ……でも、イヤじゃないと言えばウソになる」

 

 くしゃりと、眉が(ひそ)められる。

 

「だからと言って、『一緒に来てほしい』とは(けい)(けい)に口にできない。俺には戦う理由がある。男性操縦者、日本の未来……なにより、世界が掛かった未来を知った。戦わなければみんなが死ぬだろう未来を知った。剣を執るキッカケがあって、避けられない戦いがある事を知ったんだ」

 

 己の風評を覆さなければ真っ当に生きられない。そのために、彼はISを扱える事を公表し、真っ向からブリュンヒルデを下す道を選んだ。それがキッカケだ。私達と生きるために避けられない戦いだ。

 そこに世界の重みが加わった。

 ――それは、平行世界の彼が単独で背負い切った重みだ。

 

「でも、みんなは違う。みんなは日常に戻った。未来の戦いに、みんなの力は不可欠ではないと知ってしまった」

 

 ヴァベルの世界の”彼”は、直葉とヴァベル、束を死なせないで世界を救ったという。しかし私達は死んでいた。だから束の協力を既に得て、ヴァベルにより現時点で知識と方法を得た今、彼は私達の協力に必要性を見出していないのだ。

 不可欠ではない――という表現は、それを意味している。

 だからこそ、軽々に言えないと。死の危険がある戦いに、不可欠でないと知って巻き込む事を彼は許せなかったのだ。

 

「俺は……選べなかった。来てほしいという願望、死なせないという誓約、どちらを優先するべきか分からなかった」

 

 ――その葛藤は、彼の成長を表している。

 粛清前の彼なら迷いなく誓約を優先していた。だが彼は、義姉に諭され、己の欲求や願望にも目を向けるようになった。そのせいで判断を下せなくなっている。

 死なない方が大切だ、と。そうかつてなら即断していた事にも迷っていた。

 

「それでも、取れる行動はあった。束博士への協力要請がそれだった」

 

 平行世界の彼が世界を救った。その背景に、博士の協力があった事は間違いない。具体的には不明だがヴァベルの情報でその辺は既に詰められているだろう。

 つまり彼は、博士を信用して――というよりは、未来を救うのに確実に関わっている人物の協力を得ようとしたのだ。

 

「未来を知って、話をする覚悟を持つまで一年も掛かった。信じてくれるか怖くて中々切り出せなかった」

「……あたし達には話さなかったのは、信じられると思わなかったから……?」

 

 シリカが、眉を下げながら、悲しげに問いかけた。

 

「それもある。それに信じてもらったとして、きっとみんなは一緒に背負おうとしてくれるだろう。そのとき……俺は、みんなに返す答えを持たなかった。なし崩し的に関わる事になって、もしも守れなかったらって……そう考えるとどうしても話す決心がつかなかった」

「そう、なんだ……」

「でもいまは話してくれてるじゃない。つまり、決心がついたって事よね?」

 

 リズベットが問うと、彼はこくりと頷いた。表情は未だ苦悩のそれだ。本当にこれでよかったのかと、そんな不安を払い切れていない事を読み取れる。

 

「知っての通り、ヴァベルは【無銘】のコア人格として入ってる。そして【無銘】のメンテナンスは束博士が引き受けてくれていた。例の電話の後はコア・ネットワークを介して博士とヴァベルが直接話を詰めていってる。平行世界の俺が取った方法からどうしなければならないかの方策を練ってくれているだろう。つまり作戦に誰がどう必要か、なぜ必要でないかの判断を博士は適切に下せる。俺では、感情でみんなに採用不採用を決めかねないけど、博士ならそれはない」

「えーと……つまり、篠ノ之博士に丸投げしたって事かな」

「そうとも言う」

「えぇ……」

 

 和人がぶっちゃけて頷いた事に、レインがへにょ、と眉を下げる。

 

「そんなにおかしい事かな。適任が居るなら、その人に任せる判断は間違ってないと僕は思うよ」

「作戦に誰が必要かとか、つまりその『ハカセ』っていう人物は軍師の役割なんだろう? なら別に構わないと思うけどね」

 

 そこで、霜巨人のヴァフス、オルタが肯定を示した。

 彼女らの発言ではっとする。確かにしている事は、戦国時代などで作戦立案と人員投入をしていたという軍師そのものだ。合戦でも大筋の判断、指揮は大将が下すとはいえ、誰を向かわせるかなどの助言は軍師がしていたという。

 そう考えると、和人は決して間違った判断はしていない。

 自身の問題を他人に丸投げしたと言えば聞こえは悪いが、戦いに向けて作戦に要不要の判断を軍師に任せたと考えれば、非常に合理的である。むしろそうしない大将はヤバいとすら思える。

 とは言え……

 

「でも、それって根本的な解決にはならないよね? 私達が不採用にされたら、和人君は……」

「ああ……でも、それでいいんだ」

 

 アスナの懸念を、しかし和人は力なく笑い、流した。諦観だ。

 

「俺がみんなに話せなかったのは、信じてくれない可能性以上に恐れたコトがあったからだ」

 

 知っている。

 さっきも言っていた。《事変》の時も、ホロウとの戦いの時も、幾度となく見せつけられた。私達を想い、生きる理由にしているからこそ喪う事を恐れているのだと。

 

「――俺は、生きなくちゃならない。そうみんなに願われているから。みんなの幸せを、壊したくないから。みんなを裏切りたくないから」

 

 宣誓のように、和人が厳かに告げる。

 私達は黙って彼の言葉に耳を傾けた。

 

「その想いで、感情で判断を下して、みんなを守れなかった時……きっと俺は、自分で自分を許せなくなる。早い話、俺は責任が自分に来ないようにしたんだ。自分の判断が正しいと信じられなかったから、自分以外の判断に任せる事にした。聞く聞かないの選択をみんなに投げた。みんなの採用不採用を、博士に投げた……全部、みんなを喪った時に『自分のせいじゃない』って言い逃れたくなったから。それでもみんなに(いたわ)ってほしかったから」

 

 不安、苦悩、煩悶、そして後悔。色んな感情がぐっちゃぐちゃに混ざり合ったのか、少年は告解していく。己の罪を晒していく。

 それは――懺悔、そのものだった。

 そして……彼は、弱々しく言った。

 

 

 

「せめて仮想世界でくらい、みんなの幸福を、感じていたかったんだ……」

 

 

 

 ――ぽろ、と。

 金の瞳から、雫が零れた。

 

「だから、知られると分かってヴァベルを電話で呼び出した。掲示板に書き込みしていた事を知っても、むしろ続けてもらった。こうして聞きに来てくれる事を期待してた」

「……そうだったの」

 

 なるほど、とつい数刻前にリズベットが口にした『上手く行き過ぎている』という引っかかりに納得がいった。

 彼女の行動は、半ば彼の指示だった。彼が苦悩を吐露したくて、どうか気付いて……と、必死に送っていたメッセージだったのだ。

 そして、私達はそれに応えられた。

 とても、とても時間が掛かって、あの少年に涙を流させてしまったけれど。応えられた事だけは、今は喜んでいいと思えた。

 

「……和人。すごく時間を掛けてしまったし、現実では力になれないかもだけど……あなたの苦悩を、少しでも背負わせてほしい。あなた一人に背負わせたくない一心であたし達はこうしてここに来たのよ。秘密を持つなとは言わないけど、これからは出来る限り……」

「――あ、ぁあ……!」

 

 限界だったのだろう。双眸から流れる滴は、もはや歯止めが利かないようだった。ぼろぼろと大粒のそれに頓着した風もなくなだらかな小山を駆け下り、彼は義姉に抱き着き、膝を突いた。

 抑えられた嗚咽が聞こえる。

 あの涙、あの苦しみの分だけ、彼が抱えた苦悩を辛く思っていたという事だ。労うように、剣姫は腕にかき抱く彼の頭を撫でる。まるで()()をあやすかのようだが、実際その通りだ。今の彼は、ただ姉に甘える幼い子供でしかないのだから。

 どれだけ覇王と、英雄と称賛され、担ぎ上げられようと。

 

 その関係だけは――きっと、永遠不変に違いなかった。

 

 

 

 ――頬を、風が撫でた。

 

 

 

 それが湿っているように感じたのは、きっと、気のせいだろう。

 だって、彼の顔には笑みが咲き誇っているのだから……

 

 






・今話のまとめ
1)ヴァベルが掲示板に出没してたのは和人がみんなに凸して欲しがってたから。それも自分から言い出す勇気が無いので、キッカケを作るつもりだった。

2)束と和人の会話でヴァベルを『携帯端末』で呼び出したのは上記を狙っての事。

3)和人は直葉たちに協力してほしい反面、巻き込んで死の可能性を高めたくない矛盾に苛まれていた。結果的に現実面は束や七色、仮想世界などでメンタル面を癒してもらえるように考え、暴露を覚悟。でも自分で言い出す勇気が無かった。

4)仮に現実面で直葉達の誰かが参戦しても、博士の判断なら文句はない(=参戦しないと自分が死ぬので)
 また仮に仲間が死んでも『自分が決断したわけじゃないから』と言い逃れ出来るようにした。ある種のストレス・コントロール。

 ――上記と直葉達の『せめて心の負担を背負いたい』という目的が利害一致したため、今話は平和的に話が収束した。



・今話の舞台
 和人の心象がデータとして具現化されたもの。
 ヴァベルが根城としているのは現実の60倍の《ハイエスト・レベル》か、【無銘】のコア世界。前者はアミュスフィアでは入れないため必然的に後者に限定される。
 行き方はIS原作《ワールド・パージ編》に出た技術:電脳ダイブと同じ。電脳ダイブはISを用いてセキュリティネットの修繕を3Dモデリングで行うようなものだが、要は『意識と五感の相互間』が可能ならいいので。フルダイブでも同じ事が出来るという本作オリジナル設定。

 《事変》以降は、心象世界の風景(ヴァベル、ラウラ視点既出)は変わった筈だが……?

 ――そういえば、《ワールド・パージ編》って、とあるISの幻覚機能が使われてましたね()



 《事変》前後を通して共通しているのは、『和人が恐れている可能性の光景』である事です。



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