インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~ 作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス
視点:和人、明日奈
字数:約一万
ではどうぞ。
※和人の解説役について
暗喩はしてたけど、明確に記してなかったので。
話が出て、引き受けたのが四日前。そんな大ニュースを流さない手はなく――というか対外的に『顔繫ぎをしていた』という事実を知らしめるため――和人が解説役をする事は周知されている。それはラウラが和人が表に出ているのを前提とした勧誘任務を引き受けうけている事からも読み取れる。
二〇二五年六月二十一日、土曜日。午後五時三十分。
IS学園第一アリーナ、放送室。
――以上をもちまして、夏季個人トーナメント一年の部、前半を終了致します。
――後半の試合は事前通達されている通り、明日午前九時を予定しておりますので、出場選手、また機体調整担当者は時間までに準備を終えておいてください。
――皆様、お疲れさまでした。
そのアナウンスを流して、放送用のマイクとスピーカーのスイッチをそれぞれオフに切り替える。ブゥン、と特有の音と共に機器から断続的に聞こえていた電子音が途絶えた。
ふっと、肩に入っていた力が抜ける。
「あ゛ー……」
背凭れに身を預けた俺は、じんじんと疼く喉元を押さえながら声を発した。
声が通りやすいようアナウンス、試合進行や解説の際には腹式呼吸をしていたが、それでも四半日以上も喋り続けていると辛かった。カメラ外に置いていたロクに手を付けていないペットボトルを取り、内容物たるミネラルウォーターで喉を潤す。
「あはは……お疲れ様です、桐ヶ谷君」
苦笑しながらそう労ったのは、隣の席で司会・解説を一緒にしていた山田真耶先生だった。自分の方が多く喋っていたからかまだ楽そうだが、それでも何時間もずっと中継されていて精神的に疲れているらしく、表情の疲労は色濃く見える。
「それはお互い様です……」
そう笑い返してから、でも、と切り替える。
「もうちょっと山田先生が喋ってくれてもよかったと思うんですが。機体もですけど、戦闘中や後の解説、俺に振ってばかりでしたよ。ISの試合解説は立場、経験ともに山田先生の方が適任でしょう」
「うっ……」
そう、俺は不満を口にした。
元帥達から依頼を受けた時に戦闘面の解説をメインでやってほしいと、確かに言われてはいた。それはデスゲームを生き抜いたプレイヤーとして、対人戦を何十、何百と繰り返したことを評価してのものだとわかってはいるが、それを言うなら彼女は元とはいえれっきとした代表候補生という操縦者だったのだ。IS戦闘の解説で言えば、俺より的確である。
中継されているテレビを見た人たちの中で、俺を出しゃばりと見た人はどれほどか。決して少なくない数というのは確かだった。
それを指摘すると、緑髪の教師は苦い顔をした。
「それは……その、元帥からも桐ヶ谷君に話を振るよう言われていたので……」
「……まぁ、途中からそんな気はしてましたけど」
まさかなぁと思っていたが、本当に当たるとは。
「明日は俺に振る頻度、もうちょっと少なくしてもらえると助かります。ノド痛いんで」
ならばこの事で山田先生にグチグチ言ったところであまり意味はなく、むしろ関係がギクシャクして今後に響きかねないので、妥協案を一つ振って今回は水に流すことにした。
それに山田先生が頷いて、席を立った。
俺も席を立ち、放送席を出た。廊下に出ると、午後からは廊下で待機していたクロエが目を向けてきた。目、と言っても女権団を退けた時にしていたバイザーを顔につけているから、実際は顔を向けてきただけだが。
「和人、山田教諭、お疲れ様です」
「クロエこそ、お疲れ。ずっと護衛してくれてありがとう」
「いえ、仕事ですから」
俺の労いに、何時間もずっと待機していたクロエは瞑目且つ無表情で、事も無げな様子でそう言った。
実際は疲れているだろうが、追及したところで躱されるのは目に見えているため、それ以上は言わず、クロエに先導される形で俺と山田先生は食堂へと移動し始めた。
廊下を進む間、会話は特になかった。だからか前を歩くクロエの格好が気になってしまう。
機械的な白と黒のコントラストの多い廊下でも黒服に銀髪はさすがに目立って見えた――おそらく生徒の制服が白だからだ――が、衣服の意匠がIS学園のものに近いせいか、違和感はない。聞くところによればISスーツの技術を衣服として転用したものの試作品らしく、つまりそれなりの防御力を持つ服という事になる。生身での戦闘を考慮した研究の産物な訳だ。
ゆくゆくは、俺がIS学園に通う時の制服にも使われる予定らしい。
万が一を想定して研究を進められているのは嬉しい限りだが、クロエを実験体にしているようで、彼女の過去を知っている身としては少し気が引ける思いになる。
今朝の時点でそれを見抜かれ、気にしないよう言われてしまったので何も言えないが……
「眉間に皺が寄ってますよ、和人」
いきなり、クロエがそう声を掛けてきた。
後ろを振り返っていないにも関わらず表情を言い当ててきた事に、隣を歩いていた女性がえっ、と驚きを露わにする。目を瞑っているのにどうして、と。バイザーで目元は見えないが、いつも瞑っているからそう思うのは当然だ。
「この後の予定を考えてたからな」
「……そうですか」
ほぼ嘘であるそれを、まるで見抜いているかのようにクロエが薄く笑った。多分俺の視線で察したからだ。
――ちなみに、クロエは別に目が見えない訳ではない。
目に埋め込まれた疑似ハイパーセンサー《
その不適合が原因でクロエは殺処分されそうなところを束博士に救われた、と俺は聞いている。本人曰く、どうもそれ以外にも理由がありそうだが、あまり深くは聞かなかった。
ともあれ、目を瞑っているのはそれが理由。
では、こちらを向かないでどうやって表情を読み取ったのか、という問題だが、これは別にややこしい話ではない。
結論から言えば、彼女はハイパーセンサーを使っているのだ。
彼女は目を閉じる事で《越界の瞳》からの視覚情報を遮断しているのであって、大脳の視覚野や眼球、眼神経などが損傷されているわけではない。アミュスフィアなどでフルダイブしても、視覚野が障害されていない限り他の健常者と同じように風景を見て楽しめる。
現実だとそんなツールがないと思われがちだが、それは間違い。
仮想世界での感覚双方向ツールがフルダイブハードなら、現実世界での感覚双方向ツールはISのハイパーセンサーと言える。触覚や嗅覚などはともかく、視覚と聴覚の拡張機能を持つハイパーセンサーは受信した情報を直接脳に送る事で、操縦者に情報を知覚させている。あのバイザーはハイパーセンサーの技術を流用し、作り出された試作品の一つなのだ。
何年も前に出されたVRハードは立体的に見せた映像を視覚器――つまり、眼球を刺激し、その立体感とリアルさを体感させていた。それをよりリアルにしたものがナーヴギアを始めとするフルダイブ技術。
ハイパーセンサーの機能は暫定呼称《VRマスク》と《フルダイブハード》の相中に位置する。眼球の視覚刺激を介した認識が操縦者や一般に認知されているハイパーセンサーの機能だが、実際は『360度の視野』を謳われているように大脳視覚野を直接刺激し、情報を伝えるフルダイブタイプの使い方も存在する。それをするには厳密な精査と本人の大脳モニターを繰り返し行い、個人のバイタルを把握した上でなければならないため、ISコアは操縦者のバイタルを常に把握し、調整している訳だ。
操縦者の安全のためだけでなく、ISの機能をフル活用するためでもあると、どれほどの操縦者が認識出来ている事だろうか。
――閑話休題。
ともあれ、クロエは目を開けられないハンデを、ハイパーセンサーであるバイザーを使う事で解消している訳だが――普段の日常でバイザーをしていない時はどうしているのか、という疑問が浮かぶだろう。
それもまた、ハイパーセンサーを使っている、という答えになる。
謎かけのようだが、そうではない。軍事目的の運用が禁じられているのであまり日の目を浴びないが、ISには光学迷彩機能が備わっている。それを使って普段は見えないようにしているだけなのだ。
しかも、普段使う時のものは、今のバイザーではなかったという。
あのバイザーは《国際IS委員会》直属の操縦者《クロエ・クロニクル》が正規登録している機体《黒騎士》のもので、一部展開だけでもログは残り、その情報は即座に委員会に発見される事になる。正当な理由なき無断使用は刑罰に処されるためバックに博士がいるとしてもおいそれとは使えない。だから『桐ヶ谷和人の監視兼護衛』という名目が無かった日常では、束博士が用意したISのハイパーセンサーを使っていたらしい。生憎と光学迷彩により見た事はないのだが。
つまりクロエは、《越界の瞳》を使わずともIS使用時並みの視覚・聴覚性能を発揮している訳で、たとえどれだけ遠くからの射撃だとしてもすぐに射手の姿、場所を見抜けてしまう、トンデモ護衛という事になる。
束博士の支援があるからある意味当然だが、クロエもクロエで大概常識外れだ。
「ああ……そういえばこの後、各国や企業の首脳陣との会食でしたね……」
そんな思考や事情を知る由もなく、更には素で人を謳わがない気質の山田先生は、俺の嘘を真に受けていた。あまり人の悪意に晒された事がないのだろう。
出来ることなら、そのままの山田先生で居てほしい。
やや逃避気味に、そう願った。
***
六月二十一日、土曜日。午後六時三十分。
IS学園、校舎食堂。
夏季トーナメントの前半が終わってから案内されたのは、学園の食堂とは思えないほど大きく立派な内装と、そこかしこのテーブルに並べられた種々様々な料理の数々だった。来賓の国の外国料理も少なくなく、むしろ日本ならではのものが少ないと感じるくらいのそれを見て、私は圧倒された。
普段から洋食の、ファミリーレストランや一般家庭でもそう出ないだろう料理を口にしてきたし、京都にある結城の本家や企業幹部の人との付き合いでレストランに行った時も、かなり値の張るものを食べてきた。舌はもちろん、目も肥えていると自負はしている。そんな自分をして圧巻の一言しかなく、この施設には本当にお金がかけられていることをまざまざと感じさせられた。
その費用を賄っているのが日本だけと聞いて、そこはかとない反感を覚えるが、”彼”を他国から守るカードとして使えると知っているためか、そこまで大きくなかった。
食事はビュッフェ形式を取っているらしく、それなりのサイズのお皿に個々人、好きなものを取っていくスタイルを取っていた。日本食は少ないため、比較的食べ慣れているブルーチーズのパンやハム、サラダなどを適当に盛っていく。
海産物を使った料理の原材料は、きっと学園で採ったものも含まれているんだろうなぁと考えつつ、料理を持った皿を片手にそれとなく周囲を見回した。
食堂は太い柱でスペースを区切られているが、そうと思えないほど広く、通路の間隔もかなり余裕がある。だからかそこかしこに企業や政府のトップが固まり、話をするグループが作られていた。
そのいずれも日本語なのは、きっとISが
ともあれ、それぞれが対抗心故に日本語で喋っているせいか、その内容がイヤでも耳に入り、認識してしまう。どれも生徒の試合を見た感想、品定めだったり、あるいは企業間の契約、共同研究についての意見交換だったりと、種々様々だ。
この集まりに私――厳密には、結城彰三がCEOを務める《レクト》は、IS業界に直接関係している訳ではない。機体開発や技術研究もしておらず、あくまで手掛けているのは一般受けのする大型家電の研究、製造までである。
だが、出資者という点に於いて、《レクト》は決して無関係ではない。一代で大企業へと躍進させた父・彰三の手腕は決して伊達ではなく、古い友人からIS関係の話を聞いた父は、様子見ではあったが出資を幾らかした事があるらしく、以前の”無かった事になった会談”と今回の会食も、そのツテを使って参加を実現させたという。会談の時は私と”彼”の関係もあって話が振られたが、今回は積極的に動いたとも聞いている。事実父は会食が始まってから顔見知りの企業、次は目を付けていたらしい他国の企業と話に向かっており、兄・浩一郎はそれに連れ回されていた。
もしかしたら私も、いずれは《レクト》の社員になって、兄のように動く日が来るのかもしれない。
――でも、両親は……
――ううん、両親は、なにを私に求めてるんだろう……?
――両親が描いてる《私の将来》って、どんなのだろう……?
会社を継いでほしいと言われた事はない。教職に就いてほしい、教授として共に働きたいと、そう言われた事もない。高い学歴と高い勉学、この二つを求められてきた。勉強ができないよりは、できる方が選択肢は広がるからだ、と。
だから、だろう。
私に、将来なりたい職業だとか、夢だとか――そういったビジョンは、無い。
あるのはただ、女子が共通して抱くだろう、普遍的で、他愛のない……
「――我が社と契約する気は無いかな」
――そうしていると、グループの中でも、ひと際大きいものが目に付いた。
一人の子供と、多数の大人。
桐ヶ谷和人と、政財界のトップ達の集まりだ。彼の後ろには黒いバイザーを付けた銀髪の少女・クロエが付き、和人の監視――もとい、護衛――をしているが、彼らの意識は少年にのみ向けられている。存在感が希薄なのがそうさせている訳ではないだろう。
そして今、少年と、どこかの重役だろう男性が対峙していた。
金髪を緩めのオールバックにまとめた男だ。身長は、少なく見積もっても180センチ以上はある。細身ながらも鍛えられている印象がある骨太さの体を包むのは、白のドレスシャツにダークグレーのスラックス、靴はどこかの特注品だろう革靴。
――アメリカの、おそらくは富裕層。
白々しいほどの白人支配者層然とした出で立ちを見て、私はすぐに判断した。
これまで多くの企業の重役や、その子息にあたる者達を見てきて、自分の人を見る目――鑑識眼というものがある程度育っている事は自覚していた。
――でも、佇まい……多分、ただの重役じゃない。
だからか、その男を見た時に違和感を覚えた。
あの金髪長身の男には、日本人とアメリカ人の人種の差以外のなにかがある――と。骨太な体格から、あるいは軍役か何かの訓練を受けた可能性も、更識の例を知ってからは否定できないと考えている。
だが――違う。
何かが、違う。
でも、その何かがわからない。きっとそれは私にとって出会ったことのない未知の『人種』だからだ。
そんな人間が所属し、彼を勧誘している『我が社』が、とてもまっとうなものとは思えなかった。だからと言って何かが出来る訳もなく、ただ私は遠目にそのやり取りを見守るばかり。
「我が社……正確には、私が役員を務めている企業《グロージェン・ディフェンス・システムズ》は、アメリカ・サンディエゴ州に拠点を構える民間軍事会社だ。君のその能力と智謀を遺憾なく発揮出来る環境だと思うが」
耳を
その男性を、少年は眼帯で覆っていない右目で見返した。
「申し訳ないが、遠慮させて頂きます」
外国企業――それも、実力を評価してのヘッドハンティングを、彼は丁寧に辞退した。礼をしてのその返しに、男は気分を害した風もなく「そうか」と小さく頷く。
「では、気が向いた時に連絡してもらえれば。仕事の依頼でも構わないがね」
ほほ笑みもせず、淡々とした様子で内ポケットから出した名刺を少年に渡し、《グロージェンDS》の役員らしい男はその場を離れた。あまりにもアッサリとした引き方に少年が僅かに訝しげにしている。
そこに、機を狙っていたらしい各企業の男たちが、わっと詰め寄った。口々に依頼を、仕事を、職員に、と売り込みを行っては名刺を渡し、去っていく。それがほぼ全員なのは、国や大企業に目を付けられにくいよう空気を読んでの事か。
つまりさっきの男は、その空気を読んで――あるいは作るために、アッサリと身を引いたのかもしれない。
怒涛の勢いで名刺を渡していく者達と、最初に少し話して名刺を渡し去っていく男とでは、どちらがより記憶に残りやすいかなど明白。敢えてそうするよう仕込みつつ、売り込みは行い、悪印象を残さないよう去っていったのだ。好印象を抱かれにくいなら、その逆を狙った訳である。
無論、これは私の予測に過ぎないが、もし当たっているとすれば相当な策士と言えよう。三十代にもなっていないように見えたが、その年で役員を務めている以上、国を跨いでのスカウトに抜擢されたのは肩書き以上のものを持っているからに違いない。まさか窓際役員という訳ではない筈だ。
「明日奈、やっと見つけたわ」
「母さん? ……それに、父さんに兄さんも」
考え事をしていると、両親と兄の三人が揃っていた。母の口ぶりからするにどうやら私を探していたらしい。
何の用だろうと考えたところで、母の眉間に皺が寄った。まさかまだ分かっていないの? と言わんばかりの表情だ。
「明日奈、僕達も彼のトコに行くんだよ。”顔繫ぎ”しとかないと」
兄にそう言われ、やっと理解する。父達も他に後れを取らないよう顔繫ぎをするつもりなのだ、と。
「やっと分かったのね。こういう事は出だしが肝心だというのに、この人ったら……明日奈からも何か言ってやって頂戴」
そう母・京子が彰三を睨む。睨まれた方は、はは、と苦笑を浮かべた。
「そうは言うが、他の方々との関係を疎かに出来ないからね……今の”彼の価値”は、まだ低いんだ。難しいんだよ、こういう事の塩梅は」
やや疲れ気味に彰三はそう言った。
言いたいことは分かる。多分父は、本心ではもっと早くに行きたかったが、他の企業の面子を潰すわけにはいかず、挨拶回りを先にしていたのだ。他の企業がそうしていた中で最初に彼のもとに行けば、『自分達よりあの少年を優先した』と、下に見られていると穿った見方をされかねない。それは企業間の信頼や契約に響くからと、そちらを優先した。父達の立場ではそうせざるを得なかった。
その中で、あの《グロージェンDS》が先駆けられたのは、おそらく《民間軍事会社》――荒事を専門にした、契約上の関係だけの企業だからだろう。一時的な関係しか築かないから挨拶回りも少なく、早く終わったのだ。
あるいは、彼の事を高く評価していて、敢えて挨拶回りを後にしたのかもしれない。
――”彼”が聡明な人物であることは、SAOの放映や過去の残影を見ていれば理解できる。
物事の機微、裏の事情や思惑を読む嗅覚は伊達ではない。そうと分かった上で彼を優先すれば、それだけ評価していると言外に伝わり、興味を持つキッカケになり得る。
母はそう考えて父に文句を言ったのだ。だが父も立場があるから、そうしたくとも出来なかった。
「まあまあ、ここで言い合うくらいなら早く行こうよ。僕達には彼に会って話す理由があるんだしさ」
「……そうね」
二人のやり取りを見かねて、浩一郎が促した。それにやや憮然としながらも京子が同意したため、私達は一家揃って彼の下へと向かう。
「我が社と契約し、将来的に社員に――」
「是非とも我が社の試作品を使って、宣伝に――」
「ウチの企業の広報部として――」
「我が国の精鋭候補として留学、将来的に永住して――」
彼の周囲は数十人規模の人だかりが出来ていた。どうやらどの国の政府、企業も売り込み自体は狙っていたらしく、食堂にいた殆どが集まっている。
だが――言いたい事だけ言って、売り込んでサヨナラする様を見た限りでは、本心から求めている風には見えない。
一応の顔繫ぎ。言わば保険としてやっているような、そんな印象だ。やれと言われた仕事だからか”やり遂げる”という意思はあるが、彼を本気で引き込む熱意は無いところの方が多い。
そんな中でかなりの熱意を放っているのは、いずれも《民間軍事会社》などの荒事を業務としている企業。女権団のISを用いた襲撃に対し、道具一つで二機撃墜した現実の身体能力、デスゲームのそれぞれで見せた諜報能力や戦闘能力から、そうなるのは仕方ないのだろう。今年で十二になる年齢の子にするかと思うが、逆に言えば育成期間と言えるわけで、本格的に仕事をする事には大人の途中参加組より実力が上になる可能性もある。それを買ってスカウトするのは、決して間違った判断ではない。
”売り込むだけの価値がある”という観点に於いては報われていると言えるわけなので、彼と長い付き合いである身としては嬉しい限りだが、荒事関係という点で忸怩たるものを感じる。
そうこうしていると、もうほとんどの人は売り込みを終えたのか、他を牽制するように留まってはいるものの、話しかける人が居なくなった。
「ちょっとすみません、通して頂きますよ」
すかさず父と兄が入り込む。母もそれに続き、私も遅れないよう後を追った。
周囲から、女性? と疑問の声が上がる。
――まぁ、違和感あるのも当然だよね……
会食に来ている中には当然女性もいるが、”売り込み”をしていた者達は、全員男性限定だ。彼は女尊男卑風潮の被害者であり、少し前には女権団に襲撃を掛けられている。女性を売り込み役にするのは正直愚策と言える。
だからか、嘲笑の気配が向けられた。
「ん――――?
その嘲笑は、驚愕へと変わる。
売り込み対象である少年が名指しをして、私を見たからだ。顔馴染みであると知って危機感を抱いたのだろう。驚愕は早くも焦燥へと変わっている。
だけど――もう、無意味だ。
彼らの売り込みはもう終わっている。それに私達は売り込みではなく話に来た側面が強い。他の売り込み担当の者からは競争の意味合いで先を行く別方向のアプローチにしか見えないだろう。
そう思考を終えた私は、やや驚いた顔で見てくる少年に、小さく手を振った。
「こんばんは、
現実では、という但し書きが付くものの、直に顔を合わせたのがそれ以来というのは本当だ。とは言ってもALOでもロクに顔を合わせていないのだけど。
「え、なんで明日奈が……?」
「――私が連れてきたのだよ。君に、お礼を言いたくてね」
父・彰三が来る事は知っていただろうが、私が来る事は知らなかったらしく驚愕を露わにする少年に、父が端的に答えを出した。
彼と、周囲の視線が父に集まる。
柔和な印象を人に与える父は、今は大企業のトップの貫禄を纏っていた。隣に立つ兄と母もまじめな面持ちになっている。影響を受けたか、少年の顔付きも懐かしい剣士としてのそれに変わった。
「この子は、あのデスゲームで囚われの身だった。君は娘の命を救ってくれた恩人なのだ。娘を救ってくれて……ありがとう、和人君」
「僕からも礼を言わせてほしい。本当は僕がSAOをするつもりでゲームを買ったんだけど、その日に出張が入っちゃってさ……だから妹がやりたいって言った時、いいよって貸した。それでデスゲームになったって知って、凄く後悔してさ……明日奈が死んでたら、悔やんでも悔やみきれなかったよ。だからありがとう」
父と兄が、捲し立てるように言った。
すると周囲から、まさか、【閃光】か? という声が上がる。容姿が同じ、且つ彼と顔馴染みという事がわかって、ようやく思い出したのだろう。
次いで、礼を言っているのが大企業《レクト》のCEOや重役と知って、似た系列の中小企業は諦めムードで離れ始めた。恐らく広報にと誘いを掛けたのだろうが、《レクト》は《アミュスフィア》を製造、販売している故にVRMMOとの結び付きは強固なため、VRMMOプレイヤー筆頭の彼が広報をするなら《レクト》を取ると判断し、撤退したのだ。
「奇特な縁ではあるが、君さえ良ければ今後とも明日奈と仲良くしてあげて欲しい」
そして、父が微笑みながらそう言った。
「……それは、こちらからお願いしたい事です」
すると、それまで保っていた沈黙を破って、少年が言った。表情はどこか泣きそうで、嬉しそうな笑み。
私、受け入れられてるんだ――と、胸の内が温かくなった。
「――ふふ……では、今後とも末永くよろしく頼むよ。出来れば《レクト》の広告依頼をしたいところだが、まぁ……それはまた別の機会にしよう」
そう意味深な笑みを浮かべながら父が言って――続けて、私を見て、すぐに視線が少年に戻される。
「ところで、桐ヶ谷君は夕食を摂ったのかな。もし摂っていないなら一緒にどうだろうか。明日奈も喜ぶ」
「ちょ、父さん……?!」
いきなりの発言に驚き、父を見る。父はいたずらめいた笑みを浮かべており、それが確信犯であると理解できた。周囲の人からは『その手があったか』という発見や、本気でスカウトしていた面々からの恨みの目を向けられるが、政財界の荒波を経験した父にはそよ風でもないらしく、痛痒にも感じていないらしかった。
「そうね。私も、是非とも貴方と話してみたいわ。明日奈との馴れ初めも含めてね」
「あ、僕も知りたいなぁ、それ」
「母さんに兄さんまで……!」
母は食事を通してまた品評をするつもりなのだろうが、まさか兄までここで裏切るとは思わなかった。私に味方はいないのかと内心で頭を抱える。
「か、和人君、イヤだったら断ってもいいからね?」
「なんだ明日奈、恥ずかしいのかね?」
「違うってば……っ!」
父に言われ、ボリュームを抑えつつも語気を強く否定する。それが却って墓穴を掘ったのか、父は面白そうなものを見つけたような笑みを浮かべた。
――結局、護衛のクロエが問題ないと言い、彼も受け入れたため、結城家と彼、クロエの六人での食事が実現する事になった。
・食堂について
原作小説、アニメ共に明らかにされていないが、食堂は『校舎』と『寮』の二つあるのではないか? と考えられる。朝と夕方は寮の食堂、昼は校舎の食堂という事。
別に食堂棟があるのかもしれないが、アニメやゲームで見た限りだと教室がある校舎の一階にはあると思われる。昼食を摂るために寮に戻るのも非効率的。
さらに『寮長が織斑千冬と明かされた』点で、寮長が絡んでいる時点で『寮に食堂がある』と言ってるも同然。これも明記されてないが、一年、二年、三年生の寮は階で分けられているのか、それとも棟から違うのか不明。前者であれば一年生寮の食堂は一年生しかおらず、後者であれば二、三年生も一緒にいる訳だが、一夏に絡み始めた楯無先輩を除いて朝食・夕食で上級生が絡んでくるシーンはない。初期時点で昼に一夏に絡んだ三年生はいたが、校舎の食堂で全学年共有と考えれば辻褄が合う。寮の描写でも同級生しか登場していないので、おそらく寮は学年で棟自体が分けられている。
なので今話の会食は校舎の食堂、生徒は普段通り寮の食堂で摂ってる設定。
つまり食堂は校舎、各学年の寮で合計四つある事に。
要するに税金の無駄遣いって事だ!(爆)
・結城彰三
総合電子機器メーカー《レクト》のCEO。
原作では《ALO事件》により引退気味だったが本作ではまだ引退していない。
京都にある結城家本家の潤沢な資金援助があって、《レクト》を一代にして大企業へと押し上げた辣腕を持つ。ただし人を見る目が若干なく、須郷という毒を引き入れてしまっていた。将来的に明日奈と結婚させる気で居ただけに、場所が場所なので話には出さなかったが、和人にはかなりの感謝の念を抱いている。
・結城浩一郎
原作では名前しか出ない明日奈の実兄。
《レクト》のそれなりの役職に就いている。割かし妹に甘く、自分の意志で将来を決めてほしいと考え、京子とはやや反目している。仲が悪いわけではない。
出張が重なってSAOが出来なくなった時、それまでゲームを買わなかった兄の様子を見てやりたいと思い、申し出た明日奈に貸した後、デスゲームになった事で後悔していた。しかも身近に黒幕が居て、まとめて片づけた和人に感謝している。
和人と明日奈の関係に口出ししていないが、本人たちが良ければ付き合えばいい、というスタンス。
話を聞きたがったのは野次馬根性と憧れの少年心によるもの。
・結城京子
和人が明日奈に相応しい人間か品評中。
判断しかねているため食事の場を設ける事に同意した。口数の少なさは、各企業が売り込みをしている場所(女居ない)で口を開くことのマズさを読み取ったから。企業職員ではなく、教授だしね。
原作でも交渉術や心理戦は得意らしいのでね。
ちなみに、明日奈を助けた点に対し、唯一礼を言っていない人物である。
・桐ヶ谷和人
売り込みされまくりの人気者(皮肉)
内心、価値が上がるのは良いけど、自分は平穏に過ごしたいんだ……と遠い目をしていたり。
そんな中で現れた明日奈を見て若干素が出た。
結城彰三と直接対話していなかったので、今話で顔合わせ事実が作られる。半ば家族公認のお付き合い。
外堀りから埋められてるなァ!
・クロエ・クロニクル
和人の監視(建前)兼護衛担当。
《国際IS委員会》直属の操縦者。所持ISは【黒騎士】。バイザーをしているのはそれだけ監視と護衛に本気を出しているという対外的な意思表示。
目を閉じているのが見える間は、光学迷彩のハイパーセンサーを着けている――というのはオリジナル。
原作だと実際どうなのかは不明だが、生体同期型IS【黒鍵】を原作クロエは使っているので、似たようなロジックだと思われる。
陰に日向に和人を支えようとする健気さよ……