インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~ 作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス
視点:和人、七色
字数:約七千
ではどうぞ。
二〇二五年六月十五日、日曜日、午後八時三十分。
地下秘匿アリーナ。
「和君、はいコレ」
そんな声と共に束博士が薄型タブレットを差し出して来た。個人用ではなく、IS学園で採用されている業務用タイプのそれを、俺は訝しく思いながら受け取った。画面上部には【黒椿】という名前があり、下部にはズラズラと機体性能を表わすパラメータが所狭しと並んでいる。
言葉が少な過ぎて分かり辛いが、要は昼食後に調整した専用機のデータを渡しに来たらしい。
「……【黒椿】のデータか」
「うん、一通り調整が終わったからね。コレが専用機ね」
そう言いながら、雫型のネックレスを差し出される。
非常に見慣れたそれは、以前消去したアカウントではずっと身に着けていた【ユイの愛雫】と同じ形状をしている。薄青く透き通った結晶体の中で光が瞬いて見える部分まで同じだ。
そして、これが【黒椿】の待機形態だという。
「……速いな」
受け取りながら、思った事を告げる。博士はそれに、束さんですから、と胸を張って応じた。その自信満々なところは昔から変わらない。
そう思っていると、隣まで来た七色がひょいとタブレットを覗いた。反射的にタブレットを引く。
「ねぇ、あたしにも見せてよ」
「訊く前から見ようとしてるじゃないか……」
胡乱に呟く。
そこで、機密的に見せて大丈夫なのだろうかとふと思う。機体構造は《倉持技研》の技術の結集だし、束博士の手がかなり加わった時点で機密の塊に等しい。別にIS操縦者になる訳でもない七色がこれを見て何か問題が起きるのではないかと心配になる。
博士を見ると、やや眉根を寄せていた。
「……まぁ、ソイツも和君の専用機調整に関わるし、見ていいと思うよ」
「えっ、そうなのか?」
束博士と茅場、神代凛子の三人が関わる事は知っていたが、七色も関わるとは聞いてない。初耳だ。そう思って驚いた俺を他所に、隣まで椅子を持ってきた七色がふふん、と誇らしげに胸を張った。
「あたしが卒業したところ、マサチューセッツ
「……すごいな……」
呆気に取られ、素直に称賛を口にする。
SAOベータテストにド嵌りし、興味を持ったから《ナーヴギア》の設計思想やそのロジックについて知識を蓄えたし、生還後に菊岡から依頼を受けてからは尚の事VRMMOの機器について学んだ。ISについてもクロエと束、簪からそれぞれ専門知識と一般知識の両方を教授されている。
だが、俺はIS操縦士として身を立てるつもりなので、プログラムの方は碌に学んでいない。
勿論機体やエネルギー配分で必要な最低限度は修めたが、火器制御システムや駆動系統括システムなど、根本的なプログラミングはまったくしていない。プログラミングもメカトロコースの研究で漸く着手し、学び始めたところ。
まぁ、七色は俺がデスゲームに囚われている二年の間に、メカトロニクスの全てを扱っているMITに入学し、主席卒業する程の鬼才だ。学んでいない俺より遥かに知識を蓄えているのはおかしな話ではない。
――しかし……こう、なんだ。
VRMMOの知識だけでなく、ISの知識も持ち、更に社会心理学などにも手を広げ、研究課程とは言えアイドル業までして……二足どころか三足、四足の草鞋と言っても過言ではないのではなかろうか。
今後は政府との取引に応じて、VRMMO関係に関わっていくと聞いているが、ともすれば俺と通じてIS方面でも身を立てるつもりなのではないか。
「……七色、まさかと思うが、IS業界でも名を上げるつもりか?」
「そのつもりよ? 研究職なんてね、お堅い肩書きだけど、職としては不安定なの。というか普通にそれで一生食べていける訳無いし、幅広くないとつぶしが利かないのよね」
「お、おう……」
偉く現実的な意見だった。
ふぅ、と頬に手を当てて息を吐く姿からは、どこか疲労のような色が見て取れる。《七色・アルシャービン》として有名だった頃からその辺は苦労していたようだ。
「和人君に言ったか忘れたけど、前にあたしがアイドルやってたのも、何時スポンサーからの支援が打ち切られてもいいように準備する意味もあったのよね。バーチャルアイドル配信ってやつ」
「……ブーイングとか凄そうだけどな」
それまで無償でライブを見られたのに、有料になったと知れば離れるファンも居ただろう。ハイエナプレイしていた
「ん? ……あ、有料コンサートか何かかと思ってる? そうじゃなくて、動画配信の広告料で稼ごうっていう魂胆よ。あとは登録制の会員費もあったけど、そっちは和人君が言うようにブーイングありそうだから、有志によるスパチャを期待してのライブ配信とか」
「す、すぱ……?」
「和君和君、スパチャっていうのは、
「あ、ああ、投げ銭の事か……」
束博士の補足で意味を理解する。
SAO第一層の街などに閉じ籠っていた人達は、偶に最前線や他の街の転移門広場の隅に来ては、物乞いをする事があった。その中でまだ友好的だったのは《吟遊》など文化的な創作活動だ。絵描きや音楽、手品など人々を楽しませる即興の活動に対し、人によってはコルを置かれている帽子や籠に入れる事があった。
かく言う俺もした事がある。
それのバーチャル版だと考えれば、すんなりと理解出来た。スパチャという言葉がどういう経緯で作られたのかは謎だが、後で検索するか、七色に聞こうと心のメモに記す。
「まあ研究内容的にフルダイブしてないと達成出来ないから、本当に副業的にやってただけよ。いまは実質休業中だけど」
「まぁ……あれだけの事件が起きればな……」
「うん。まぁ、でもまだあたしの曲が好きで繰り返し聞いてるって人が、偶にDM送って来てくれるの。だから近々活動を再開させようかなって。その時はお姉ちゃんと一緒に歌いたいって思ってるのよ」
「……そうか」
物理的には離れ離れになった――というか、半ば俺の事情でさせてしまった――訳だが、日本国内であれば時差なども無いから、ALOにログインさえすれば何時でも会える。ましてや七色は通信教育制を利用しているから時間の融通は利く方だ。その自由さを武器に活動していくつもりなのだろう。
そして――今度は、IS方面でも。
「それで、今度はISでも活動するのか」
「うん。でもあたし、IS適正自体はBだから操縦は無理かな。戦闘自体が苦手だから向いてないのよね」
両手を上げ、頭を振りながら息を吐く七色。
《事変》当時からあまり圏外に出てなかったし、そうだろうとは思っていた。
あと何故か知らないが、槍を使う俺の知り合いは戦闘そのものを苦手とする人が多い気がする。センスではなく性格的な意味でだ。サチは今でこそ勇猛果敢に槍を振り回して戦うが、それでも本質は変わっていない。戦う理由があるからか、ただ慣れたからなのか。
「反面、プログラミングとか機体の調整とか、そっちの方面は多少なら力になれるわ」
「なるほど。それは頼もしい」
「ちなみに今、来年にIS学園に入学できないか打診中だったり」
「……そ、そうか……」
少し前は真っ向から衝突する敵同士だったが、今では
――ただ、危険に晒しかねないという点が気掛かりだけど……
「……あれ? なんか、あんまり嬉しそうじゃないわね」
「ん……ちょっと、素直に喜べなくてな……」
“別世界線”の記録を視た限りIS学園は必ずどこかしらで襲撃されている。その時に死傷者が出るかは世界情勢次第だが、死者も出る時は少なくない数が出ていた。その点に関して、義姉を始め大切な人達が入学しない事には安堵するばかり。
だからこそ、ジレンマだ。
七色が近くに居る事は喜ばしい。その反面、IS学園に居ると危険に晒されやすく、それは俺の望むところではない。
――それを、俺は明かせない。
まだ“別世界線”のこと、ヴァベルの事、ひいては《星の戦い》について話せていない。それでは俺が語る《未来の襲撃》も、ある事を《確信》している俺に対し、七色たちは《予測》という判断に終わり、危機感に齟齬が生まれる。
ならさっさと話してしまえ、という話なのだが……
「む、ぅ……うぅぅ……!」
「え、ちょっと、なんでそんなに眉を寄せて唸ってるの? そんなにあたしに来て欲しくないの?」
「そういう訳じゃなくて……」
どう切り出せばいいものか。
そして、話したところで信じてもらえるのか、という不安もある。それは――かつて、ヴァベルが抱いた恐怖と同じだ。
――独りになるのが怖い。
信じられなかったら。協力を、得られなかったら。俺は独りで戦わなければならない。
ヴァベルが居るから厳密には独りではないかもしれない。だが、物理的には独りだ。《星の戦い》に向けてのバックアップを得られなくなり、ひいては俺の生存率が激減する。
明かす事は、最早確定事項。
ただ、どう切り出せば、どう話せば、信じてもらえるか。それが一番の悩みの種。
この話をするのに七色は適さない。それほどの信用と信頼を築けていない。いま七色が向けてきている信頼は、《事変》を通してのもののみだ。一緒に過ごし始めてまだ一週間ほどしか経ってないのに俺を深く理解しているとはとても思えない。
話をするとすれば。
一番、欲している“協力者”は……――――
「――なぁ、束博士。今から【黒椿】の試運転って出来ないかな」
「およ? 地下アリーナなら使えるけど……今から?」
唐突な申し出。当然、白衣の女性は訝しげに首を傾げた。
同時、隣に座る少女が、はぁ?! と声を荒げる。
「ちょっと和人君、話が違うでしょ?! 今日はもう休むって……!」
「今日中に、済ませたいんだ」
寝落ちしていたから、俺の体を思って今日は勉強も課題も研究も鍛錬も禁止されていた。そして俺は肯定していた。それを破る物言いに、七色が怒りを露わにするのは仕方ない事だ。
ただ――機運が巡って来た。
七色はまだIS学園への入学を打診予定。まだ入ると決まってない。生徒にさえならなければ、有事の際には優先的に本土へと戻される対象になり得る。
それだけではない。
現時点で全てを明かし、七色もそれを知った上で協力する事を覚悟する事が出来る。最初から心構えが出来る事は途中から知らされてするよりも余程強固且つ頼りがいのあるものとなる。束博士は強制的に巻き込むつもりだが、七色は任意でも構わない。
まだ七色は、引き返せるのだ。命を掛ける未来に身を投じるか否かに選択の余地がある。
同時に、俺もまた同じ。
これを逃せば、きっと俺はズルズルと引き摺って、取り返しのつかないところまで黙っていてしまう。苦しむだろうし、みんなにも心配を掛けるだろう。それは決して俺の本意ではない。
――もう、一年経とうとしている。
ヴァベルが俺に、素性を語り、未来を教えてからもうすぐ一年。仲間にそれを伝えず、自分とヴァベルの二人だけで秘していたそれも最早限界だ。
“追体験”をした事で、余裕なんて無い事を痛感した。
「博士」
「和君……」
タブレットを手に提げて、天災を見上げる。
天災は、少し哀しげに眉根を寄せ、目を眇め――――はぁ、と息を吐いた。そうして踵を返した後、付いて来て、と淡々と言って歩き始める。
俺は椅子から立ち上がり、その後を追う。
「待ってよ」
――手を引かれた。
逃がさないとでも言うように華奢な手がこちらの左手を握り締めている。華奢とは言え俺より一回り体格が大きいからか、男女差がある筈の手はほぼ同じ大きさだ。
「ねぇ、いきなりどうしたの? さっきまでと全然雰囲気が違うよ? 何か抱えてるの? 何を抱えてるの? ……あたしには、教えてくれないの?」
不安そうに震えた声で、矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
「いずれ、話す。でもまだ話せない」
「それは……あたしが、まだ信用できないから……?」
ぎゅっと、手を握り締められた。震えが伝わって来る。
「話す順番を決めてる。信用の問題じゃなくて、事の優先順位の問題なんだ」
束博士と七色、どちらをより信用しているかで聞かれれば当然前者だ。でも今回はそれだけじゃない。七色に話したところで、未だVRMMOにもISにも深く関わってない立場では答えなんて出しようがない。
いや――将来を考えれば、ISの方がより重きを置くべきだ。
ISの発明者であり、最大の協力者と言える人物にまず話す。それから、必要な人材に話を通す。
俺が考え得る限り一番スムーズな話の通りやすさに違いない。下手に話をしても、混乱させてしまうだけ。
「七色は……俺の、専用機の面倒を見てくれるんだろう?」
「え、ええ。将来的にはそのつもりよ。と言ってもプログラミングくらいしか力になれないかもだけど……」
「――なら、いずれ話す。でもまずは束博士からだ。IS関係では一番頼れる、ヘタに人に話して混乱させたくない」
誰に話して、誰に話さないべきか、その選別は俺は不向きだ。個人的感情が大いに関係する。束博士もその辺はちょっと頼りないところがる。
でも――何を話すべきで、どうするべきかの方針、対策については、博士が一番頼れる。
実力、権力、能力、その全てに於いて俺が知り得る限り一番力がある人だから。
「……そう。一番頼れるから、篠ノ之博士から話すのね。で、あたしには後で話すのね」
「ああ」
後ろを見ないまま、会話を続ける。
「――わかった。ちゃんと話してよね。そんなに大事な話ならすぐには無理かもだけど、待ってるから。話さないっていうのは無しよ?」
「わかった」
理解を得られたのか、手が放された。
俺はそのまま、部屋の外で待ってくれていた博士の元に走り寄った。
***
イライラする。
あれだけの信頼を寄せられてる女性に。
これだけの親愛を寄せているのに、後回しにされた自分に。
――四六時中一緒にいたのに抱えてた苦悩を欠片も見せなかった彼に。
あたしは、苛立っていた。
「――いつか、見返してやるんだから」
それは、宣戦布告。
自分の専攻は仮想ネットワーク社会。人が構築する営みについての考察、研究に関してであって、本来メカニックは専門外。強いて言えばプログラミングを少々出来る程度でしかない。
だが――
一番頼れる人と、彼は篠ノ之博士をそう喩えた。IS関係で言えばそれは間違いではないのだろう。重要な話を一番頼れる人にするというのは決して間違った思考ではない。
ただ――苦悩を見せる事も、相談もしてくれなかった事が、腹立たしい。
それが醜い《嫉妬》という感情であるとは理解している。一緒にいた年月、頼った回数や助けられた度合いなど、自分が及ぶべくもない事は理解している。
これは、意地だ。
天才と、自分は称されていた。
嫉妬の相手は天災だ。ISの権威。発明者。後塵を拝し、倍の年月を生きている女性を相手に、無謀に過ぎる感情である。
関係無い。
彼はどうだった。彼は、そんな事で諦めているか。
否。否。断じて――否。
彼は抗っている。遥か頂きを睨み据え、
凡才と、無能と、そう言われた少年が、自身の倍の年月生きている姉に挑まんと声を上げている。
――自分は、天才の器ではないのかもしれない。
もしかしたら、自分の全てを読み、上回った少年こそが天才の器なのかもしれない。
だが、そんな事は全て仮定。そもそも自分に付けられた《天才》の評価すら、社会に出れば有象無象の一人に過ぎない。その道を究めれば誰だって《天才》で、その道を外れれば、誰だって凡才扱い。
だから、意地だ。
あたしは《天才》ではないかもしれない。なら――《天才》になってやる。その道を究めて、彼に認められる。その道の事で一番に相談してもらえる事を作る。
――世間では、茅場晶彦の後釜は、あの《事変》の対応から桐ヶ谷和人が相応しいのではと言われている。
ならばあたしは、篠ノ之束の後釜に相応しいと言われるよう努力し、彼の隣に並び立とう。作る事では敵わないかもしれない。
だが、せめて智慧を頼られるように。
生まれながらの頭脳を活かせば、決して出来ない事ではない。人間その気になれば何だって出来る筈なのだ。
彼がそうだった。
「――和人君のばーか」
閉じられて、気配のなくなった扉の向こうを見て、呟く。
――自覚出来る程に、あたしの口元は笑みを象っていた。
・桐ヶ谷和人
無自覚型ハーレム主人公。
傍から見ると青春を謳歌しているように見えるが、実情は覚悟ガンギマリのRTA中みたいなもの。失敗=即死な事が”
追体験でメンタル削られてる(同日午前中の事)ので尚更余裕がなくなっている。
途中で七色が『雰囲気が変わった』と言ったのはそのせい。
『どうやって切り出すべきか』で悩んでいたが、【黒椿】受領をいいキッカケ=機運と見てまず束に相談する事に決めた。実際一番有力な協力候補なので味方に出来たら最高。
ちなみにヴァベルはデータな上に【無銘】の中に入っているので、束さんならデータ引っ張りだして真偽をハッキリさせられるからこその人選だったりする(七色は当然知らない)
・枳殻七色
自分を凡人として、天才になる事を決意した少女。
言外に和人の事を《天才》と認めているも同然の思考をナチュアルにしているが、かつて敵対していてその実力をまざまざと実感している以上、割と説得力ある方。束、茅場からもされているので間違いではない。
和人は努力している、という思考も実は束と同じ。
以前束は七色の事を嫌煙している理由を『同族嫌悪』と称した。これがその理由の一端。
和人の横に並び立つ事を決意し、IS関係の事を深く学び、束の後釜になるよう努力する決断を下した。
実はヒロインレースで楯無、直葉と互角の位置に来た。木綿季達は現実の立場が伴っていないので一歩遅れているが、心理的距離では木綿季達の方が絶対的優位。楯無、七色が告白して認識されれば七色が総合的に優位になる。
直葉は不動のトップランカーです(迫真)
――和人、《事変》からの一ヵ月間、随分と色濃い人生を送ってますね……