インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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共感 ~果てしなく遠く、限りなく近い~

 

 

 空気が爆ぜた。

 

 爆発は空気を轟かせ、衝撃が放射状に放たれる。粉塵が宙に舞い上がる。ほんの少し煤けた硝煙の幕を引き裂いて、機械の鎧を纏った女性が姿を現した。

 外に跳ねた蒼髪と、炎の如き深紅の瞳。

 その手に持つのは、螺旋状に水を渦巻かせる長大な槍――蒼流旋。

 

『――ぁあッ!』

 

 裂帛の声と共に、蒼流旋が振るわれる。

 対するように、視界の端から片刃の大刀が横薙ぎに振るわれた。

 刃が交わり、火花が散った。

 

 ――しかし、振動は伝わらない。

 

『死になさいッ!』

 

 鬼気迫る顔。

 叩き付けられる、鋭い殺意。その強さを証明するように激しく槍が振るわれる。青色の水は、何時しか鮮烈な紅色へと変化し、槍のリーチも威力も強化されていた。

 麗しきクリースナヤ。

 《ミステリアス・レイディ》――()()()()IS操縦者・更識楯無が駆る第三世代機に搭載された機能。スカート状の装甲などに使われていたアクア・ナノマシンを全て使い、攻性エネルギーへと転換し、より攻撃的な形態へと移るためのそれが使われていた。

 その、真紅の水を逆巻かせた槍の穂先が、自身に狙いを定めた。

 

『ミストルティン――――ッ!!!』

 

 ごうごうと大気を震わせる程に激しく渦巻く水の槍。突進と共に、それが迫って来る。

 

“――――!”

 

 白光(びゃっこう)を宿した大刀がそれに対抗する。

 

 

 

 縦一閃。

 

 

 

 世界を両断するように、眩い光が縦に走った。海は割れ、空は割かれ、遥か彼方に見える大地には深い亀裂が刻まれる。天・地・空の三つを斬り裂いた光の斬閃は、地平線の先を超え、空に抜けてから消えた。

 紅の槍を握っていた人物は影も形もなくなっている。

 今の光に呑まれ、死んだのだ。塵一つこの世に残す事無く消滅していた。

 

“――――”

 

 嘆息するような呼気が聞こえた。

 直前までの死闘がウソのような静けさが漂う。一拍の後、その静けさを厭うように、移動を始めた。

 

 ――今視ている光景は、現実での事ではない。

 

 これは“記録”だ。果てしなく遠く、しかし限りなく近い世界の“記録”。何かしらの形で死んだ“おれ”が遺したデータ。

 世界を渡り歩くヴァベルが居なければ知る事も無かったであろうイフの歴史。

 それを、俺は夢という形で追体験している。

 追体験とは言え夢。それも《ペルソナ・ヴァベル》というAIが写したログである。その実態は映画観賞のそれに近く、主要人物である“おれ”の思考や感情が流れて来る訳ではない。

 

 しかし、影響はされる。

 

 どれだけ似ていようと、本質的に自分と“彼”は別存在であり、他人である。

 しかし似ているのは事実。凡その環境や人間関係、経歴が同じであれば、喩え名が違っていようと大差ない人間性を構築する。

 “別世界線”に於いて、実兄・織斑秋十は存在していない。

 だが――それ以外の要素は、全て同じだった。

 “織斑一夏”として生まれ、《出来損ない》として蔑まれ、第二回《モンド・グロッソ》で誘拐され、ISコア【無銘】を埋め込まれ、桐ヶ谷家に拾われ、そして拾われた一年後にデスゲームに囚われる。その過程は、実兄の存在が無かっただけでほぼ同じだった。

 SAOに囚われてからも、また。

 《ビーター》として必要悪を名乗った事も、【黒の剣士】として希望を背負った事も、ソロを貫いていた事も。

 ヴァベルは、俺と会ったこの世界線に来た時間が、これまでの中で最も早い時間軸だったと言っていた。またこの世界線までは、時を遡る以前の違いは存在しなかったとも。

 つまり、別世界線の俺もリーファ、シノンを助け、《ホロウ・エリア》へと移った事も同じ。

 

 ――逆説的に、“別世界線のおれ”もこの俺と大差ない精神状態だったと言える。

 

 ユイと会えたのならSAO最初期の頃からMHCPに注目される精神構造をしていたのだろうし、《ホロウ・エリア》に行くまで同じならユウキとのデュエル後に現れた刻印――後にアルベリヒに一矢報いる要因となったもの――も持っていて、カーディナルから目を付けられていた事になる。実兄との死闘が無い時点で多少の差はあるだろうが、本質的な部分に於いては同じな筈だ。

 織斑千冬への殺意、社会・世界への憎悪――それらを総じた《廃棄孔》が居る筈なのだ。

 ヴァベルの世界の“おれ”はどうやら自己を貫いたらしい。個よりも全を選んだ事で命を落としてしまったようだが、獣には堕ちなかった。

 それは、自己犠牲精神の顕れに他ならない。

 ヴァベルの世界では、SAOの生還者は俺と直葉、須郷伸之達だけ。純粋なSAOプレイヤーに限定すれば俺だけだった訳だ。『護れなかった』という喪失感は絶大で、むしろよく自殺しなかったと思う程。

 だからこそ、なのだろう。

 三年後に控えた《星の戦い》に於いて逃げようとしなかったのは。罪悪感からくる贖罪か、それとも代替行為だったのかは定かではない。しかし命を賭してでも家族を、世界を救おうとしたその決断に、少なくない慙愧(ざんき)の念があった事は確か。

 

 それは、確信だ。

 

 共感故の確信だ。

 今の俺は、自身を犠牲にしてまで見ず知らずの人を救おうとは思わない。余力があればそうしよう、そうした方が自身の価値を認められやすいから、という下心ありきの思考。

 だが、一昔前――義姉・リーファに粛正される以前の自分であれば、間違いなくヴァベルの世界の自分と同じ決断を下していた。規模の差こそあれリーファ達にした事そのものな時点で疑うべくもない。

 

 だから経緯を追体験すれば同じ結論に行き着いてしまう。

 

 俺は自身の殺意を、憎悪を否定した訳ではない。むしろ肯定した上で護ると決めた存在を優先している。だから他者を守る決断に関して“別世界のおれ”とは選択が異なる。

 

 だが――()()()()()()()()()()同じ選択になる。

 

 護る人が居なくなった世界線のおれの追体験を見て、俺はその結論を得た。昔を懐かしんで、あるいは亡くなった人の想いを汲んで大人しく――なんて、絶対にしない。自分に優しくしてくれた人達を追い詰め、殺した人々への怨みを叫び、世界を滅ぼす。その確信を得た。

 想像と、体験は違う。

 この夢での追体験も、“疑似体験”という点に於いてはフルダイブと変わりない。空想上の事を体験できる。人が死ぬ瞬間も、人を斬る感覚も、限りなくリアルに体験できる。

 それをどこまで真に迫って受け取るかの違いだけ。

 

 ――この“記録”は、本当にあった出来事である。

 

 作り物の劇作物でも、ゲームのそれとも違う、本当の命のやり取りを記した歴史書だ。

 網膜に焼き付く、戦禍の現実。

 鼓膜に響く、怒号と残響。

 唯一、振動の無さだけが現実味を損なっているが――それ以外は、全て本物だ。視覚を通して殺意の念が伝わって来る。聴覚を介して、怒りと憎しみの念が伝わって来る。

 

“お前達が――――お前達が、直姉を殺したから、おれはァ!!!”

 

 そして――一際大きく聞こえる、自身(“彼”)の声。

 負の第二形態になっているのだろう。特徴的なエコーが掛かっているその声は、震えていた。

 

 

“おればかり喪って!”

 

“おればかり、責められて!”

 

“無能でなにが悪い、出来なくてなにが悪い?!”

 

“いつも、いつもそうだ!”

 

“おれを守ってくれる人を、大切に想ってくれた人を殺したのはお前達のクセに、守れなかった事をなんでお前達が責めるんだ!”

 

“ああ――あぁ、憎い!”

 

“人が、社会が、世界が――全てが憎い!”

 

“なんの罪も無い人を殺すヤツは許されて!”

 

“真っ当な人ばかり責められて!”

 

“――おれはただ、直姉と生きたかっただけなのに……その直姉も、もう居ない”

 

 

 

“お前達が殺した”

 

 

 

“――だから、おれも同じ事をする”

 

“お前達の大切なものを全部、ぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶ奪ってやる!”

 

“おれの憎悪を、記憶に、魂に刻んで――そして死ねッ!!!”

 

 

 

“おれが《出来損ない》だァッ!!!!!!”

 

 

 

 深い憤怒と(かな)しみを同居させた怒号。互いに怨み骨髄なのか、“おれ”と敵対している操縦者達の殺意は揺るがない。

 傍から見れば、《悪》はきっと“おれ”なのだろう。

 無辜の人を襲い、命を奪い尽くしている。直接義姉を傷付けた訳ではない者達も、幼い子供、生まれたばかりの赤子だろうと無差別に虐殺している。そうした時点で、少なくとも“おれ”は《悪》だ。

 無論、だからと言って連合軍の操縦者達が善という訳ではない。中には本当に無関係な人間も居たのだろうが――最早、関係無い事だ。見て見ぬふりしていようといなかろうと、本当に知らなかったとしても関係無い。賽は既に投げられた。

 守るべき人も、守りたい人達も、生きる(しるべ)も喪った“おれ(じぶん)”に残されたものは、憎悪だけ。

 自己犠牲精神も、敵しか居ないのでは発揮されない。

 

 ――だから、深い共感を抱いてしまう。

 

 そして、“記録”に記された数多の別世界の自分自身と、限りなく近い感情を抱く。

 

 ――感情は、心の裡から生じる衝動である。

 

 共感もそう。理解もそう。目の前の自称に対し、己の人間性、性格、好き嫌いなどが関わって構築される結論の一つが《感情》。

 “おれ”と限りなく近い俺が“おれ”とほぼ同じ感情を抱くのは自明の理。

 

 未だ限りを見せない追体験。

 

 それを、幾度も幾度も繰り返す。

 

 

 

 ――――とても遠いどこかから、ちりりん、と鈴の音が聞こえた気がした。

 

 

 






・■■■■■■■
 別世界線の一夏/和人。
 守りたい人達をSAOで喪い、義姉・直葉をも現実で殺された事で《廃棄孔》が持っていた憎悪を覚醒させ、獣に堕ちた復讐鬼。
 《出来損ない》を自称したのは世界の悪意を背負いつつその悪意をそっくりそのまま返す皮肉を込めている(作者的には『おれァ白ひげだァ!』の勢いを含ませている)

 復讐鬼ではあるが、《桐ヶ谷和人》の名を捨てた訳ではない。

 オリムライチカでもあり、キリガヤカズトでもあるのが、数多の世界線の一つの”彼”である。



・織斑秋十
 別世界線だと存在すら確認されていない人物。
 秋十が居ないという事は、七十五層での死闘が無く、したがってキリトのメンタルもギリギリに追い詰められず、リーファの粛正を受けず、自己犠牲精神は健在のままSAOを進んだ事になる。
 その状態でSAOの生還者が《アミュスフィア》装着者と自身のみとなれば――キリトの心は、取り返しのつかない傷を負う。

 秋十は和人の敵であり、悪の扱いを受けているが、凡人()が生きるのに必要な天才()だったのである。

 ちなみに秋十が居たからユウキが告白しようとした(アルゴに妨害されたが)



・桐ヶ谷和人
 本世界線を生き、別世界線の記録を見ている少年。
 別人であり、秋十の存在の有無で過去に多少の違いがあるとは言え、扱いや環境に大差が無いので『事態に対する受け取り方』も大差がない。護る対象が居なくなった場合は憎悪に素直になるので別世界線の”彼ら”と同じ末路を進む。
 その可能性を理解し、影響を少なからず受けている。

 ――それでも追体験を止めるつもりがない。

 情報収集は大切です。



 ――ちりりん
 鈴の音。
 ■■■を形作る世界の音。
 右手を振ればいつも鳴ってた。
 いまはもう、きこえない。


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