インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。

視点:オールキリト

字数:約九千

 ではどうぞ。






 ――ループの切れ目って、どこですか。


 ――どうやって、切りますか。








展望 ~義姉弟の未来~

 

 

 土曜日の夜。夕食の後片付けも終え、寮の消灯時間ギリギリまで楯無とISの機動訓練をした後、体の休息と課題作業を並行して行える仮想世界(ALO)へフルダイブした俺は、央都アルン郊外に構えられたリーファの邸宅に居た。

 中庭を展望できる二階のリビングに設置された揺り椅子に腰かけ、暖炉の熱を浴びながらホロキーボードを打鍵していた。

 

「……難しい……」

 

 開いているテキストデータの科目は化学。元素記号や分子結合式、化合物についての問題がズラズラと並べ立てられている。基礎知識相当の内容だが、まだ習い始めなので難しい。

 しかし学んでおかなければ今後に差し支える。

 通常、ISの武装は一度実物を作り、それを量子データへと分解、変換する事で、ISのデータに設計図が登録される。その時に分子配列や結合分布も記録され、取り出す時は設計図通りにコアが演算し、物質化させる。

 だが自分に埋め込まれた【無銘】が真価を発揮するなら順序が逆になる。【無銘】の真価は、楯無との摸擬戦で【ミステリアス・レイディ】をコピーしたように、構造を解析し、コピーを生成する事。それをフル活用するなら操縦者である俺自身も分子構造に関して熟知している必要がある。鉛筆とダイヤモンドは同じ炭素原子で構築されているのに結合の仕方が違うだけで硬さがまるっきり違うように、身の回りの物品の原子の結合を変えるだけで強力な武器に変化する可能性を秘めている。

 強力な武器――それは何も、刀剣の類の事だけを指しているのではない。古来より“武器”という単語には盾、鎧などの防具も含まれる。使い方によってはそれらも鈍器になり得るからだ。

 単純な話、同じ見た目でも、完全に分子構造や結合の形、数まで同一な存在はあり得ない。

 “ヒト”で体格、筋肉量で個人差が出るのも同じ。自分はホルモンバランスが女性寄りに固定されているから全身の成長が妨げられているが、栄養の取り方――すなわち、原子の摂取量を調整すれば、義姉・直葉のようにしっかりした骨格、筋肉を保有する事も不可能ではない。

 生命の基幹と言える大脳の改造も行っているのだ。骨密度(カルシウム)の調整や筋肉量の調整も、それに優れた人達の原子構造を解析、模倣していけば、より強力な肉体へと変化出来るだろう。

 

 ――とは言え、それではこの先が不安だ。

 

 肉体改造は俺に【無銘】を埋め込んだ“連中”がしていた事そのもの。【無銘】は番外コアらしいから、製作者は博士では無く、俺にコアを埋め込んだ組織の誰か。SAOに暴走状態だった俺と【無銘】のデータ領域にあった武器が全て存在した以上、ある程度の思考、行動は読まれていると考えた方がいい。

 技術的に可能な事は、その全てに於いて他者も再現可能な代物である。

 俺がISに頼って出来る事は“連中”も行える。

 

 ――ならば知識を、技術を磨くしか、方法は無い。

 

 一言に纏めれば、“経験”。

 《事変》の折、セブンはALOのデータを取り込んだ事で、間接的に上級プレイヤー(ユウキ達)の技量を再現していた。少なくとも刃を交えた時の太刀筋は見知った仲間達のもの。それら“技の手札”をとっかえひっかえしていたのがあの時のセブンの実態。

 使う手札の切り方そのものはセブン個人の判断に委ねられている。

 その判断を下すのは、経験に由来する思考だ。戦闘経験が乏しかったセブンは俺の攻撃を《クラウド・ブレイン》による自動迎撃に頼らざるを得なかった。しかし俺は致命傷になり得る攻撃を除き、回避か往なすかで負担を減らしていた。体を余分に動かす分、こちらの方が消耗するように思われるだろう。だが《クラウド・ブレイン》の維持、指示は全て自分の思考が行うものである。思考リソースを割くのに『《クラウド・ブレイン》と体』、『体だけ』で考えればどちらが負担は小さいか――と問えば、門外漢の人間でも分かるだろう。

 そして、その時に光るのが“経験”であり、それに裏付けされた“技術”。

 

 その果てに、経験と技術は融合し、一つの“技能”へと昇華される――――

 

「……遠いな」

 

 打鍵の手を止め、ぽつりと漏らす。

 ――脳裏に映る背中は、とても遠い。

 ()()をなびかせ、()()を携える女性の背中。命の奪い合いに於いては取れる手段が多いこちらが有利である。だが――経験、技術という点に於いては、未だ劣っている。

 二年。

 デスゲームで剣を振るい続けた年月は濃密だった。知識、技術、経験、いずれも他のプレイヤー(ゲーマー)に劣っていた自身が、最後まで生き抜ける程の密度だ。ゲームと同じように数字でそれらを表わせられたら、レベルアップを幾度繰り返せるほど溜まっているかは検討もつかない。天才にして創造者のヒースクリフを始め、数多の天才肌のプレイヤーと出会い、戦線を共にしてきたが、一方的に負ける事は無いと思える強さを手に入れた。人に教える事もあり自身の欠点、新たな発見を見出せる貴重な経験も詰めた。

 それでも、まだ足りない。

 義姉・直葉(リーファ)に関しては事情が異なる。彼女が潜って来た場数は、多分自分のそれより少ないし、命の危機も少ない方だったと思う。

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 頼み込み、武道を師事した頃は自分の動きを制御出来ず、良くて気絶、悪ければ頸の骨を折りかねない攻撃が思わず出そうになっていた。それくらいでなければあの研究所は生きられなかったからだ。

 それを、察知して。

 そして、対処した。

 SAOにログインする頃にはほぼ矯正され、以降はコペルを誤って刺し殺す時以外は自分の意志で切り替えられるようになっている。

 

 しかし、《ホロウ・エリア》での大喧嘩では完敗を喫している。

 

 【スヴァルト・アールヴヘイム】が実装された頃、脳を改造した日に()()()()まで持ち込んた事はある。しかしそれは技術、経験面ではなく、ハードスペックで無理矢理の反則技。

 自信過剰な気もするが、知識、経験、技術、いずれも戦闘に於いて義姉を上回っていると思う。

 それでも勝てないのは、未だ乖離があり、融合出来ていないからだ。

 心・技・体、それらの合一が武術の極致。いかなる窮地に陥っても心は不動となり、冷静に、冷徹に、状況を分析して対処できるようになる。それを意図的に引き出せるように、同時に無意識の内に入り込めるようになれば“剣士”としては完成に近づいたと言える筈。

 十一、二年ほどしか歳を重ねていない身だ。その高みを目指すならいざ知らず、“まだ至れていない”と言うのは烏滸がましいというものだろう。

 ――だが、それでも、と思う。

 時間が惜しい。

 ()()が、足りない。

 元の積み重ねも足りず、今後の時間も足りない。

 

 ()()三年もある?

 

 否、()()三年だ。

 

 ――三年なんて、あっという間だ。

 

 あと五ヵ月で、《桐ヶ谷》に拾われてから三年が……

 

 

 

「お義姉ちゃんは不満です!」

 

 

 

「ッ?!」

 

 突然、耳元で大声。揺り椅子に預けていた身がびっくぅっと跳び上がる程に驚愕する。再び椅子に着地して、一際大きくガコガコ揺れる。

 椅子につられて体も視界も揺れる中、カメラ一杯に移り込むように目の前に現れた存在は、ひらひらと小さな燐光を散らしながら翅を震わせる黒髪の小妖精――AIの義理の姉・ユイだった。

 

「最近全然ログインしないし、しても課題ばっかりで、お義姉ちゃんは寂しいです! 悲しいです! 少しは構って欲しいです!」

 

 そう言って、怒っていますと腰に手を当てて全身で表現する義姉。

 沈んだ気分で沈思に耽っていたせいで、接近に近付かなかった。翅を震わせる特有の音すら思考のフィルターに弾かれた辺り相当深く没頭していたらしい。もしかしたら何度か声を掛けられていたかも――いや、ユイの性格的に恐らく掛けてくれていた。あまり人を驚かすような事はしない性格だ。

 それをしたという事は、ユイ姉の鬱憤はかなり限界まで溜まっていたのだろう。

 

「……ユイ姉か……いきなり大声出されたからびっくりした……」

 

 何事かと驚いていた俺は、すぐ全身から力を抜いた。

 ――床に足が付かない揺り椅子で良かったと、心の底から思った。

 反射的に力んでいた。普通の椅子やソファなら反動を付けて体幹だけで跳ね起きられる。そのまま、剣か手刀で、その頚を……

 

「ん? じっと見てきて、どうかしましたか?」

「……いや。すごく疲れたなって」

 

 返事は誤魔化したが、疲れたのは本当だった。

 ……ここ最近、なんだか疲れやすくなっている気がする。肉体的でないなら精神的に疲労が溜まっているのかもしれない。

 

「それはそうですよ。こう言ってはなんですけどキーはストレス管理が下手ですから。IS学園なんて場所に居て、こっちにログインしない日が続けばストレスなんて四六時中貯まりっぱなしです。リー姉に電話でもするかと思えば伝達事項だけの業務電話だったらしいですし……それに毎日(もと)(あね)と顔を合わせているんですよね? 正直いつか暴発するんじゃないかとヒヤヒヤしてたんですよ」

 

 胸の上に座り、翅を畳んだユイがそう畳みかけて来る。

 

「忙しいのは分かりますけど、キーのそれは常軌を逸してるレベルですから。キーがIS学園に移ってからは社会人として働いてるクラインさんやエギルさん、ヒースクリフさん達の方がログイン率が高いくらいです。クラインさんはほぼ毎日ログインされてますよ」

「……それ本当?」

 

 まさか、と思って聞き返すが、小妖精の姉は不満気に唇を尖らせながら頷いた。

 

「嘘を言ってどうするんですか」

「いや……社会人のクライン達の方がまだ忙しいかなぁと思って……」

 

 会社や企業で働いた事が無い身だからその辺の時間間隔がよく分からない。

 義父・峰孝はアメリカの証券会社で働いているので何時出勤し、退勤しているかは不明だし、義母・翠も情報商社に数日缶詰めになったり、かと思えば一日家に居たりとよくわからない生活サイクルをしている。

 他に社会人と言えば先程名前が挙がった面子。だから仕事内容は把握しているが、生活面までは範囲外。一般的なサラリーマンらしいクラインは、SAO生還後からすぐ復帰出来た上に残業も少ないホワイト社という触れ込みで、実際夜間のログイン率も高い。しかし業務の密度で言えば俺の比ではないと思う。エギルは喫茶店兼酒場なので昼夜働きづめで、偶の不定休・定休がゲームの日。ヒースクリフはここ一週間でログインした日があった事をいま知ったので純粋に驚いている、連日仕事漬けと聞いたのにそんな余裕あったのか、と。

 翻って、自分は通信制の授業なので時間の調節が利きやすいし、登校もしなくて良いので自由が多い。

 今は依頼も少ないからSAOや《事変》の時に較べれば非常に楽と言える。

 そのギャップに困惑しているのが分かったらしい小妖精の姉は、むっと頬を膨らませ、半目で見上げてきた。

 

「……その顔。多分ですけど、まだ楽な方とか思ってませんか」

「んぐむっ」

「やっぱりそうなんですね?! 基準が常軌を逸している以上、多少緩和されたところで一般人からすればそれも《忙しい》の範疇なんです! いい加減理解して下さい! 怒りますよ!」

 

 立ち上がり、胸を駆けあがり、肩まで上った小妖精が頬を(つつ)いてくる。

 もう怒ってるじゃないか、と思った。

 ぎーこぎーこと揺れる椅子に身を任せつつ姉の怒りを頬に受け続ける事暫くして、怒りが一段落したらしいユイがはぁと息を吐き、頬を(つつ)く手を止めた。

 

「まぁ、キーはSAOに居た頃から“そう”でしたからね。何を言ってもあまり意味が無いというのは分かってた事です」

「さっきの怒り様は……」

「それはそれ、これはこれです。というか叱らないと“これが異常なんだ”ってキーは思わないでしょう? 今は良くても、今後疲れが溜まり始めたらマトモな思考を保てないで、惰性のまま無茶な仕事量をこなし続けて、その結果過労死に至るんです。そうならないよう私達がストッパーになってるんです。大人しく叱られて下さい!」

 

 まったくもう、と肩の上で腕組みをする姉。口をへの字に曲げてふんぞり返った姉は、それでですね、と口火を切った。

 

「散々心配させた挙句、ずぅっとお義姉ちゃん達を放って仕事を優先していた悪い()には、罰を与えようと思います」

「……罰?」

「はい、罰です。戒めです」

 

 そう答え、姉が翅を震わせ、また目の前の空間に滞空する。視界を小妖精に占拠された。

 その顔には、悪戯めいた笑みが浮かんでいる。

 

「思ったんですけど、キーって私達を眼中から出す時、得てして“目的”があるんですよね。で、それにばかり集中してしまう。周りが疎かになってしまう。自覚、あります?」

「……いちおう」

「――尚悪いですね!」

 

 にぱっ、と満面の笑みで断言された。

 胸の奥が激しく疼いた。心臓の鼓動が痛いくらい強く、早鐘を撃つように速くなる。

 なきたい。

 ――泣く資格なんて無いだろうが。

 

「まぁ、仕事に集中する事は良いんです……キーが背負ってる事なら、集中してないとマズいんでしょうしね。事実以前聞かされた話もその類。私達もその辺は理解してます」

 

 ――あなたはいつも、そうだった。

 

 こちらに背を向け、少しずつ離れていきながら。

 寂しそうにユイはそう言った。

 顔は見えない。表情が分からない。けれど、その声音に秘められた感情が何なのかは、察するに余りあった。

 

「――ただ、不安なんです。忘れられてるんじゃないか。私達の想いは、届かなくなってるんじゃないか。気付かない内にそうなっていて、気付いた時には取り返しが付かなくなって、キーがどこか遠くへ行ってしまうんじゃって……そんな不安に、ふとした時に駆られるんです」

 

 背を向け、手を後ろに組みながら話が続く。

 ――家の中には、暖炉の薪が燃え、割れる音だけが響いている。

 そこで、くるりと小妖精が振り返り――光に、包まれ。

 次の瞬間、背の高い()()()()()が現れ、跳びかかるような勢いで抱き付いてきた。

 視界がまた占拠される。黒い瞳に、寂寥(なみだ)を湛えた女性の顔。

 

「だから、罰を与えるんです。そしてキーは、罰を受けないといけないんです。罰は戒めなんです……キーは、戒められないとダメなんです……」

 

 ぎゅっと、袖を掴む力が強くなる。体に掛かる重みが増して、妖精形態になった姉が椅子に乗り掛かって来たのだと理解する。

 左手は指を絡めるように握られているため振れない。メニューを出せず、脱出(ログアウト)も不可。

 身動きが取れない。体重で劣り、またステータスも圧倒的に負けているため、物理・能力の双方で勝てない。

 口は動くので、魔術・魔法の使用は可能だ。

 しかし、それはしてはならないと思った。

 

 ――そして。

 

 優しく、塞がれた。

 

    *

 

 ――パチパチと、乾いた音が暖炉から聞こえて来る。

 開いていた課題のテキストを消して、何をするでもなくただぼうっと暖炉で揺らぐ炎を見つめる。

 電脳の義姉は既に立ち去っている。自分は茫然としていたから表情は覚えていないが、会話の内容は記憶していた。

 

『言葉だけじゃ不安です。思い出が、良いんです。カタチにはなりませんが……一緒に過ごした記憶が、一番いいんです。特効薬です』

 

 寂しそうに。けれどどこか嬉しそうに声を弾ませ、顔を離した姉は言っていた。

 

『私は、リー姉達とは違うから……キーとは、その、()()()()()()になれないと思います。でも“なりたい”という気持ちはあるんです。キーとも、キリカとも。倫理的に破綻してる事は分かってます。でも、倫理的に破綻しててもその関係性であなたを戒められるなら、私はそれでいいんです。みんなとの繋がりが、絆が……あなたを引き留める、楔だから……』

 

 ――あの時、姉はどんな表情をしていただろうか。

 ただ、涙を流していた事だけ分かっている。温かい雫が服に染みた感触が生々しく、且つ鮮明に刻まれている。

 

『だから、もっと思い出を作りましょう。あ、そうです。私、海を見たいんです。大きなクジラさんを見たいんです。都合が付いたらバカンスです。キーに拒否権は無いですからね、夏になったらウンディーネ領に家族で行きましょう』

 

 俺よりも大きな体で、同い年の少女のような事を言って、声を弾ませていた気がする。

 

『そして、もっと皆と一緒に居て下さい。私達はみんなあなたの存在で繋がってるんです。絆も、命も……みんな、あなたと一緒に居たいと思ってるんですから』

 

 ――そう、姉は頬に唇を付けてから、立ち去った。

 

「……そう、言われても……」

 

 額に手を当て、視界を塞ぐ。

 言いたい事は分かる。みんなを不安にさせて、そのままにしてしまっていた事も負い目に感じていた。フレンド登録こそしたがまともに顔を合わせていない。

 言い訳になるかもだが――時間が、足りないのだ。

 食事時の移動が減って、より自由な時間を作った事で知識を蓄えたり、食事時間をずらして訓練時間を作ったりと、自由度が増した。あとは課題などを如何に効率よく、素早く終わらせられるかに掛かっている。しかし疎かに出来ないのは化学の化学式の事で既に分かっている事。

 だとすれば、あと削れるのは遊ぶ時間。

 戦闘訓練を除けば、みんなと顔を合わせる事すら惜しい。

 

 ――ヴァベルの世界の俺は、ずっと直姉と鍛錬し続けていたという。

 

 仮想世界と関わらなくなり、現実でずっと肉体を、技を、経験を積んでいた。IS学園に入学してから幾度となく襲撃を受け、その度に戦い、怪我を負いながらも生還したという。

 だが――今から三年後の、二〇二八年。第四回《モンド・グロッソ》が開かれる年に外宇宙から襲い来る存在と戦い、相討ちで俺は死ぬという。

 あらゆる世界線で二〇二八年まで生き抜いても、必ず俺はそこで死んでいたと聞かされた。

 SAOから解放されてから、二〇二八年までずっと。三、四年をほぼ鍛錬に費やし、IS学園の授業を受けていても実践機動訓練を繰り返していたとなれば、今のままでは三年後に生き残れない。VRMMOの仕事で時間を削られている。それが毎日、何年もとなれば、決定的な差となって襲い来るのは自明の理。

 ――ジレンマだ。

 みんなと居る事が大切で、幸せなのに、今はそれを自粛して自分を鍛えなければならない。しかしそれをしていれば、みんなの方が不満を抱く。

 一番手っ取り早く、且つ生存率が上がる手も無くはないが……

 

「……段取りが必要か」

 

 ダメで元々。通ればいいし、通らないなら行動に変化は起こらない。(ない)(ない)の話で済ませれば周囲に混乱も来さない。

 

「――話すのですか、未来を」

 

 突如、背後から声を掛けられる。

 沈思していたが姉が来る前程では無かったため気配の出現には気付いていた。声質は、先程立ち去った人物と同一。だが彼女に瞬間移動の技能は無い。

 闇を噴出させる回廊を以て、仮想世界の津々浦々を渡り歩く電脳存在――()()()()()()()()()

 

「ベル姉は反対か?」

「……正直、迷っています。個人的には話さないで欲しいという思いがある」

 

 言葉を選ぶように、慎重に言われ、そうだろうなと内心で頷く。

 未来を知っている、といきなり話し出されればまず頭を疑う。次に精神疾患を疑う。人格分裂という前代未聞の状態にあったからまた何か起きたのではと心配される可能性が非常に高い。というか――信じる、という事の方がよっぽど稀有な例である。

 その稀有な例が俺だけど、それが他の皆にまで汎化される事でないのは理解している。

 

「――ですが、こうも思う。今までの《キリト》と異なり、この世界のあなたは人との結び付きを、絆を重要視し、自身の憎悪に打ち勝った。あなたの力の源泉が他者との絆であるなら、そしてその絆こそあなたが生きる鍵になり得るなら話すべきだろう、とも」

「……ん」

 

 顔を暖炉に向けたまま考え込む。

 彼女が続けて言った事は、正しく真実だ。俺の生きる理由であり、戦う理由である皆との繋がりを強く自覚する程に、そして協力がある程に、きっと俺は強く前に進めるだろう。

 ――時間が足りない、なんてただの言い訳だなんて分かっているのだ、本当は。

 ユイに戒められなくとも、分かっていた。

 ただ、現実の肉体を鍛えないといけないという厳然たる問題が示されている。それを解決できるのは仮想世界ではない。現実世界での訓練だ。対人戦闘経験を積めるのはVRMMOの利点だが、代わりに肉体は衰える。

 本当は、入院なんてするつもりはなかった。

 体を弱らせたくなかった。

 体を強くしないといけなくて。ただ、真っ当な手段では追い付かないと思って、肉体改造に手を出して――

 

「キー……いえ、()()

 

 ――意識を引き戻される。

 わざわざ現実の名前で呼ばれ、思考を止め、後ろを向く。暖炉の赤に照らされた黒尽くめの女性は、苦悩に表情を歪めながらも真っ直ぐ俺を見ていた。

 

「私はあなたを救うためだけに時を超えてきた。過去、別のあなたに拒絶され、それを恐れて不干渉を貫き続けていた私が、偉そうに何かを言う資格は無いと思う。けれど……これだけは、言わせてほしい。この世界を生きているのは、未来を生きるのは和人だ。和人が生きる可能性の道があるなら、そちらを選んで欲しいと切に願うし……」

 

 そこでヴァベルは一度口を噤んだが、すぐにまた開いた。

 

「同時に……和人の幸せをこそ、一番に願っている」

 

 決然とした声音で言って、ヴァベルは近付いて来た。

 背中から覆い被さるように抱き締められる。微かな息遣いが首筋と耳に掛かった。

 

「あなたが生きられるなら私は何でもする。あなたが言うなら、私は自分のログデータだって提供する。私の核たる(プログラム)が壊れる事になろうとも構わない」

「……それは……」

「私は本来ならこの世界に居るべきでない異端の存在。異邦人であり、異物そのもの。世界を渡り歩いた数だけあなたを守れなかった私なんかがあなたが生きる為の礎になれるなら、喜んでこの身を差し出す。その為だけに悠久の時を揺蕩(たゆた)った。その為だけに、生きてきた」

「――――っ」

 

 硬く、重い口調。

 普段の優しく、柔らかな声音ではない。空虚と悔恨、絶望に満ちたそれが、これまで“義弟の死”を見てきた事で構築し、溜まり続けた(エラー)であると理解する。

 

「私は、あなたの判断を支持する。話す時は……私の事も、話してくれて構わない。呼んでくれても構わない。ただ、そう――――」

 

 そこで。やや強引に、顎を引かれた。

 黒い視線と交わった。

 悲しげで、寂しげで――どこか、超然とした黒い光。炎に照らされてゆらゆらと揺れる滲んだ雫。

 

 

 

()()()……それが、守れなかった愚かな私が何よりも願う、一番の想いです。和人――」

 

 

 

 囁くように、名前を呼ばれる。

 

「ユ――――」

 

 俺も、呼ぼうとした。

 

 優しく塞がれ、呼べなかった。

 

 






・『ユイの本心≒ヴァベルの本心』
 ヴァベルは厳密には本世界線ユイの未来ではない。しかし大まかな関係性は同じであり、その愛情の持ち方に関しては本世界線ユイより長い年月を掛けている分だけ醸造され、濃密になっている。
 ――逆に言えば。
 ヴァベルの感情の密度は、何れユイが至るであろう到達点を示しており。
 ユイの言動は、普段見せないヴァベルの本心を語っているも同然であると言える。

 本世界線和人が死んだ時――ユイは、魔女に堕ちるのだ。


・ユイ
 倫理崩壊したMHCP(現役)
 原作と違ってMHCPの機能を保持しているが、大まかな感情を読み取るだけ。ストレスを抱えてちょっと不安定なところを察知して突撃をかました。
 《事変》後の入院諸々の説明も碌にしないでヴァフス戦、からの女権襲撃で、フレンド登録だけして碌に話をしていなかったせいで()()病んでいる。

 病んできているので『愛さえあれば義弟&二股でも問題無いよね!』を地で行き始めた。

 原典ユイちゃんも結構奔放だし変わりない(白目)
 厳密には、それくらい愛している、大好き、と伝えて無茶を戒める楔にする事が目的なので、やっている事はシノン達と同じ。『縛る』でないのがミソ。あくまで『戒める』なので、自発的に抑えて欲しい、縛り付けたくないという葛藤が見え隠れ。
 しかし哀しいかな、電脳なので生身の和人と関係が出来ない宿命を背負っている。
 尚アリシゼーション()
 キリカに関してはガチで狙っていたりする。
 やっぱ直葉(あの義姉)にしてユイ(この電姉)やでぇ……

 ちなみに千冬の呼び方は『(もと)(あね)


()()()()()()()()()
 倫理崩壊したMHCPの未来の姿。
 まず間違いなく宇宙創成からこれまで以上の年月を生きているが、精神年齢は実はユイと同等かちょっと上くらいで止まっている。これは本人の視点地の文であったように、ヴァベル世界線和人が自爆特攻かました時点で自意識の時が止まっているから。
 本世界線和人と会話した事で、他者と接点を持つ事にやや前向きになった。
 つまりヴァベル世界線和人死亡後はあらゆる人間との接触を断っていた。

 過去の自分がちょっかい出した事に嫉妬して同じ事をした。

 まぁ、想いは同じだから無問題(モーマンタイ)だネ!

 ちなみに千冬の呼び方は『あの女』


・桐ヶ谷和人
 星の未来を背負っちゃった系主人公。
 ワンチャン抑止力の後押しを受けている可能性アリ(歴史の修正力的に)
 三年後の未来を見据えて準備を進めているせいで仲間の事を放ってしまい、今回敢えなく逆襲を受けた。逆襲イコール想いの伝え合いなので傍から見るとボーナスイベント。
 尚、本人はいっぱいいっぱいでお目目ぐるぐる()
 戦闘経験積むための準備がスメラギとのフレンド、ユウキとのクエスト攻略。レベルがある程度上がり装備が整って対プレイヤー戦がまともに出来るようになったので現実に力を入れ始め、疎遠になった。
 楯無に真名を教えてもらった日の夜にこの展開、流石は『一夏枠(しゅじんこう)』と言わざるを得まい?
 いつか背中から刺されますねクォレは……

 千冬の呼び方は対本人『織斑先生』、他『織斑千冬』




・今話のまとめ
 前書きの『ループ』とは『和人が死ぬ可能性』の事。
 切る場所は『他者を信じるか否か』。
 切る方法は『和人が話をすること』。

 要するに今話は”分水嶺”という事である。

 ――もし、和人が未来を話す気にならなければ、同じ未来を進んでいた。

 和人(しゅじんこう)は、独りでは強くなれない。


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