インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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視点:キリト、菊岡

字数:約一万一千

 視聴者視点はまだ続けるけど、対獣(須郷捕縛前)、対ホロウ(須郷捕縛直後)の時程度かも。

 ではどうぞ。




八幕 ~決戦の幕開け~

 

 

「――漸く二人きりになれたね、キリト」

 

 二人分の足音が遠ざかっていくのを聞きながら、第三層フロアボス部屋へと戻った自分を出迎えたのは、その一言だった。偶然か、あるいは必然(しゅうねん)か、前回の記憶を引き継いでいる白銀の霜巨人ヴァフスルーズニルが口角を釣り上げながら口にした言葉である。

 見れば見る程、精緻な面貌だ。

 自分やキリカと同じくヴァフスは少年にも少女にも見える容姿だった。声でも体格でも判別は付かない。口調と表情から少年らしい部分はあるが、それはユウキの例があるので、あまり参考には出来ないと個人的に思う。

 だが――少なくとも、この場に限っては関係ないだろう。

 ヴァフスが向けて来るのはただ一つ。白銀の刃という戦意なのだ。そこに性別や個人の事情などが挟まる余地はない。

 

「これで心置きなく戦えそうだ」

 

 嬉しそう、というよりは愉しそうという表現の方が的確な面持ちのヴァフスの言葉に、両刃の黒と緑の二刀を持つ俺は苦笑を返した。

 

「さっきの狂戦士ぶりはやっぱり演技だったか」

「気付いてたのかい」

「以前も冷静だったヴァフスがあそこまで暴れるなんて考え付かない事だったからな。そのクセ、理性だけはあると来た。なら意図的に暴れていた……と、そう考えてもおかしくないだろう?」

「そうかもしれないね……――まぁ、それはいい。早く始めよう。僕の長年の宿敵オーディンを真実超えたスプリガン」

 

 柔らかさを消し、研ぎ澄まされた戦意の声が耳朶を打った。片刃の銀大刀(ブロードソード)がユラリと大上段に持ち上げられていく。

 

「きみたち妖精が持つ《尋常ならざる力》の窮極――“死と隣り合わせの最高の愉悦”を、今度こそ、僕に見せてくれ!」

 

 そう、希望と歓喜に溢れた声を霜巨人が上げた。

 

「出し得る全力で応じよう」

 

 それに二刀を握り直しながら応じる。

 直後――

 

「「――行くぞッ!!!」」

 

 同時に叫び、俺とヴァフスは氷の床を蹴った。

 

   *

 

 

 霜の巨人族ヴァフスルーズニルに関して、現存する書籍で得られる情報は非常に少ない。

 《ヴァフスルーズニル》とは北欧神話の原点の一つ『古エッダ』の『ヴァフスルーズニルの言葉』で出てきた巨人で、知識豊富な存在として、命懸けでオーディンとの知恵比べをしたとされる。その智慧はオーディンに学びを与える程だったが、『バルドルが死んだ時に、私はなんと息子の亡骸に声を掛けるか』という質問に答えられず、命を落とした存在らしい。

 ちなみにバルドルは北欧神話に於ける光の神であり、この神がロキの策略でミストルティンの芽を括り付けた矢に刺され死んだ事が《神々の黄昏》の最初の出来事だ。

 『ラグナロク・クエストが進んでいる現状』イコール『光の神バルドルが死んでいる』なので、時系列上ヴァフスが存命している事はややおかしな事になるのだが――その辺は【カーディナル・システム】が自動生成したクエストである。物語の整合性が取れていないのは、家宝とされる剣がクエスト達成者が現れる度に取り出される事と同じくらい気にしても仕方がない事項と言えよう。

 ともあれ神話上で暴威と強欲の権化のように扱われる霜巨人の中で、ヴァフスはやや異彩を放つ智将と言える。

 だからと言って武威は乏しいかと言えば、決してそんな事は無かった。

 前回の戦いに於いて、自分がヴァフスと出会ったのは、スリュムを倒して聖剣を《要の台座》から抜きながらもニブルヘイム、ムスペルヘイムに繋がるという大穴に落とした後――つまり、《女王の請願》クエストを失敗した後だった。だからスリュムヘイムに居る事は予想外と言えた。

 しかし霜巨人の王であるスリュムの居城に同じ霜巨人の将であるヴァフスルーズニルが居る事は、なんらおかしなことではない。

 【カーディナル・システム】は、仮令バグであろうと、そのバグすらも利用して滞りなく世界を運営する自律システム。その自律性故に対処可能なバグは報告に挙げない事すらあり、今回はそのパターンだ。アフターストーリーで出て来るべきボスが早くに登場するという本来の筋書きから外れた展開を、【カーディナル・システム】が認めているのも、偏にヴァフスの求めている存在がクエストを率先して進めるプレイヤーだからだろう。それも巻き戻す前のクエストに挑んでいたプレイヤーIDだ。ヴァフスが記録(きおく)を引き継いでいる理由は幾つか考えられるが、カーディナルが看過しているこの状況に関しては、自分が参加しているからという一点に尽きる。

 ただ、この状況を作っている大本のバグは、ヴァフスが《クラウド・ブレイン》の核になっているからでは――と、ついさっき自分が否定した()()の仮説が頭を擡げる。

 さっき否定の言葉を口にしたのは、クエストNPCウルズには、前回の記憶があると思しき言動が見られなかったためである。

 ALOの【カーディナル・システム】は確かに《事変》のログを残している筈だが、それではヴァフスだけに影響が出るとは思えない。もしそれだけで影響が出るなら前回一度会っているウルズもそれらしい反応をしてもおかしくないからだ。

 つまり、ヴァフスとウルズの間には、何らかの差異がある。

 そして、それは分かりやすいほど明確に存在した。自分に対するヴァフスの執着ぶりだ。思えば七色も自分に執着しているフシがあった。核になっていた七色の感情データの影響をヴァフスが受け、《クラウド・ブレイン》諸々を含め継承し、ホロウのように《クラウド・ブレイン》の核となっているのでは――という予想は、流石に穿ち過ぎか。

 とは言え、決してあり得ない話ではない。何故ならSAOサーバーにホロウや浮遊城の残骸が残っていたのは、《クラウド・ブレイン》――もとい、瞋恚の値を、カーディナルでは《null》へ変えられず、完全抹消出来ないからだ。それが出来るのは同じ瞋恚、ないし《事変》中に用いた即死剣などに盛り込まれた変動値相殺コードを適用した武器のみ。つまりALOサーバーをダウンさせる程に肥大化していた《クラウド・ブレイン》が、いまも尚残っている可能性がある。

 それがいまヴァフスを核としていて、それで【カーディナル・システム】のクエストプログラムに影響を与え、自分の出番があるよう上書きしたとすれば、エラー判定を受けないでいる事にも説明は付く。

 

 しかし、追究すべき時は、今ではない。

 

 既に賽は投げられている。

 相手はこちらの命懸けの全力を求めている。

 おそらく――今回ヴァフスが記憶を受け継いでいるのも、それそのものが答え。純粋な闘志故の執着が《核》となっているのなら、それに真っ向から応える事こそ、ALOに残った《事変の爪痕》を癒えさせる唯一の手段だ。

 自分の心の(けもの)と向き合い、道を明確に定めた時とやる事は同じである。

 ――轟然と、銀が迫る。

 上段から振るわれる一閃を、俺は半歩横にズレながら二刀を翳し、往なす。俺の身の丈を上回る長大な大刀が氷の床に叩き付けられた。

 それを強く片足で踏みつけ、生じた間隙を縫うように緑剣を振るう。

 しかし、ヴァフスが瞬時に両手を離し、ぐぅっと体幹を逸らした。緑の剣尖は首筋を掠めるに終わる。

 

「はあッ!」

 

 だが、俺は二刀を持っている。左の剣を躱されたならと、大刀の峰の上で一歩踏み込み、黒剣を袈裟掛けに振るう。

 

「ふ――」

 

 二撃目を、ヴァフスは軽やかにバク転し、躱した。

 目を剥く。咄嗟に追おうとする――が、柄部分に踏み込んだ時の力が強すぎたか、床に突き刺さった大刀が揺らいだ。シーソーのように、俺という重石が乗った柄部分が床に落ちる。

 

「そこッ!」

「ッ……!」

 

 柄が落ち、乗っていた俺のバランスが崩れた瞬間を、ヴァフスは逃さなかった。

 二度のバク転で開いた距離を、ヴァフスは回し蹴りの遠心力を加えながら詰めてきた。ただ距離を詰めてきただけならこちらの反撃を喰らうだけ。だからこそ、攻撃を兼ねた攻撃法を取って来た。

 普段であれば無防備な軸足ないし頭部を狙うところだが――今の俺は、不安定な足場でバランスを崩している上に、リアルの容態の関係で《ⅩⅢ》のフル運用が難しい。邪神Mobのように適当に放てばいいだけなら問題ないが、応酬の激しい接近戦と並行しながらだと負荷が大き過ぎる。

 仮にリーファやユイ達のやり取りから俺の容態を把握した上でその攻撃手段を取ったのだとすれば、俺は《ヴァフスルーズニル》というNPCに積まれたAIの学習性、ひいては【カーディナル・システム】の機能の評価を大きく上方修正しなければならないだろう。

 そんな事を思考の端に浮かべながら、無理矢理柄を蹴り、後退を図る。

 足場として不安定で大した反動を得られなかったため、大刀の峰半ばで一度着地した。

 ――そこに、白い脚の横薙ぎが迫る。

 咄嗟に剣を交差する。霜巨人伝統なのか、民族衣装らしき文様が彫り込まれたブーツの踵が、交差した刃の中心を強かに叩く。

 

「く――!」

 

 途端、途轍もない圧力が両腕に掛かり、軽々と大刀から吹っ飛ばされる。

 見た目のサイズで言えばリーファやアスナと同程度の身長だが、相手は《霜巨人》というユニークボスの一人。小柄なプレイヤーが筋力極振りであれば大型の武器を扱えるようにヴァフスも見た目に反する剛力を有している。腕の三倍の筋力があるという脚、それも遠心力を加えた回し蹴りとなれば、棒立ちの防御で競り負けるのは自明の理。

 寸でのところで後ろに僅かながら跳べたのでダメージは数ドット程度に抑えている。

 被ダメの少なさに僥倖を覚えつつ、イメージを脳裏に展開。両手の剣が光に散る。代わりに紫光を宿すエネルギーボウガンを()()()()()召喚。引き金を連続で引き、矢を飛ばす。

 更に、無手の左手でパチンと指を鳴らす。親指と人差し指で鳴らした途端、視界左上に映るMP(マナポイント)ゲージがフル状態から全損。代わりにゲージ下にHP、MP自然回復バフと、自動蘇生のバフアイコンが追加される。魔術《再生の(シロ)》のバフだ。

 HPが自然回復を始め、MPの回復がぐぐっと速まる。

 狙いはHPの完全回復。そうすればHPを消費し、ステータスアップのバフを貼れる。そのために左手のボウガンでヴァフスを狙い撃ちするが――中々、当たらない。直撃コースは全て大刀で弾かれ、体幹から少しでも逸れれば容易に躱され、距離を詰めて来る。

 当然ながら、吹っ飛び続けるこちらの速度より、あちらが駆け寄る方がよっぽど速い。

 

「させないよ!」

「ちぃ――!」

 

 前回同じようにバフを掛けていたからだろう。狙いに当たりを付けたらしく、HPが回復し切らないように末端の被弾を無視して斬り掛かって来た。

 俺が使おうとしているバフは魔術《破壊の(クロ)》。以前レインがセブンと対峙した折、右手の指を鳴らすワンアクションという手軽さの代償としてHPの九割九分費やし、ステータスをアップさせた魔術である。

 『最大HP中99%使用』というのはかなり重い代償だ。

 だから前回はヴァフスと戦う事になった時、初手で使ったのだが――それを学習していたのだろう。先の不意打ちで真っ向から防いだ時、筋力値で負けたから削りダメージを入れられていた。回復バフを掛けこそしたが、今度はその自然回復で使えるようにならないようにと前回に比べ攻撃の思い切りが良い。

 ボウガンを仕舞い、召喚した盾――かつて聖騎士が使っていた白銀の十字盾で斬撃を往なす。

 僅かに緑ゲージが削れた事に歯噛みしつつ、右手に握った十字剣を左に薙ぐ。深追いしないと決めているのか、先に見せた戦意とは裏腹にヴァフスは素早く後退した。

 白銀の(ちょ)(うか)が、地を蹴る――――

 

「そこだ――――!」

 

 ヴァフスの両足が完全に離れた瞬間、右に薙ぐ挙動で白銀剣から手を離し、投げつける。遠心力そのままに回転する剣は宙に跳んだ霜巨人目掛け一直線に飛翔した。

 ヴァフスに驚きこそ無かったが、それはむしろ飛翔する能力が無い故だろう。自身に迫る剣を受けるしかない状況だから焦る事はなく、むしろ次の一手をどうするべきかと、氷を思わせる蒼い瞳は瞋恚の光で炯々を燃えているのだ。

 ――HPが完全回復したのは、白銀の長靴が氷の床に着地したのと同時だった。

 右手の指を鳴らす。HPが一ドット残して白くなり、今度は剣、盾、杖、障壁のイラストに上向きの矢印が描かれたアイコンが並んだ。物理と魔法の攻撃力、防御力を25%ずつ上げる魔術《破壊の(クロ)》によるバフだ。

 白の多くなった緑が、徐々に右端へと戻り始める。

 

「――やっぱり、一筋縄じゃいかないね」

 

 ステバフを掛けないよう初手から動いていたヴァフスからすれば、狙いが外れた状況な訳だが、その声音に残念そうな色は感じられない。

 いや、むしろそうでなくては面白くないという喜悦すら混じっている。

 ボスと一対一で戦う中でHPをフルまで回復させる事の至難さを考えれば、その難易度は如何ほどか。『隙が大きい以上ポーションを使わず魔法・魔術だけ』という縛りがある中で達成するのは至難の業だろう。そしてヴァフスはそれを理解している。神話から来る智将としての聡明さ、戦いを求める戦士としての経験から。

 そして、自身の猛攻を捌いて、見事ステバフと回復バフの双方を掛け切る事を――前回と同じ状態になる事を、願い、期待していたのだ。

 今までのは前座であり、ヴァフスからすれば、超えて当然の試練の扱い。

 だが――

 

「それでこそ……僕の、好敵手だ」

 

 超えて当然という扱いであっても――ヴァフスはどこか、嬉しげだった。

 

「ここからが本当の勝負だよ。そして僕の挑戦にして、再戦だ。加減なしで――行くよ!」

 

 白銀の大刀を片手で持ち上げた銀の巨人が獰猛に微笑む。無邪気にして不敵なその表情に、とある剣士が重なって見えた。

 

「――来い!」

 

 そういえば、一年ほど前の決着がまだだったな……という思考は、応じた一言を契機に泡と消えた。

 

 

   ***

 

 

 日本標準時、二〇二五年五月十七日土曜日、午後十時三十分。

 

 総務省内に設けられた《仮想課》の第二分室室長としてのデスクワークを終え、帰宅した自分がその報を聞いたのは、計画の進捗確認の一巻で部下と連絡を取っている時の事だった。曰く例の“少年”がまたぞろ動いている、と。

 最初にそれを聞いた時真っ先に浮かんだのは、『病み上がりなのに何をやっているのか』という感想だった。

 あの“少年”も別に死にたい訳ではない。命を賭して戦う事はあれど、それで死ぬような事がないよう対策を講じる程度には生きる事に執着は持っている。それを知っていても尚その所感を抱かざるを得ない行動だった。

 意識不明の昏睡状態が四日続き、たったの三日で以前と同じレベルまで回復したのは、異常とすら言える回復力と言えよう。しかしながら、真の意味で完全回復した訳ではない。《寛解》という単語があるように彼は潜在的に症状を呈し続けている。いまはそれが落ち着いているだけ。それは例えば、日差の激しい認知障害や、長期間に渡るパーキンソン病のオンオフ現象のように、何かの拍子にいきなり再発する事もあり得る危うい状態。

 それにも関わらず退院が実現したのは、彼自身がそれを希望したからでもあるが、マスコミなどが押し寄せ病院が迷惑している事、女権などの彼を貶める団体などが病院に圧力を掛けている――おそらくスポンサー関連で――事も関係しているだろう。

 運び込まれた時、彼はクモ膜下多発性脳出血を呈していた。

 クモ膜下出血と言えば、脳出血の中で最も致死率の高い脳血管疾患である。それを複数ヵ所に呈していると知った外科医は、その手術の困難さから匙を投げ、血腫を取り除くドレーンを埋め込んだだけで済ませた。その説明を別々に聞いた桐ヶ谷一家、元帥と自分達は、一時期血の気が引いた事をよく覚えている。

 ともあれ、そんな経緯もあって入院カルテの疾患名には当初そう書かれていたのだが――いま確認すれば、それは『脱水症状』や『栄養失調』など、昨今のVRMMOプレイヤーにありがちな病状に差し替えられている筈だ。無論、本来退院させるべきでない患者を退院させた事に関し、病院が責められないようにというフェイクである。それは《更識》や陸自元帥の意向、協力があって実現した事。

 ――一週間程度の短期間入院、後に退院というケースは、実際に少ないながらも存在する。

 実際、病院側としても《健康体》の人間を長らく置いておく訳にもいかない。日常生活に問題無いとなればすぐに帰る場合もあるし、『家族が入院などで自分一人になるが一人で生活できないから』という理由で入院する“社会的入院”をした人ならすぐ帰る場合もある。

 勿論彼はそれに当て嵌まらない。本来であればこんな短期間で退院して良い容態ではなかった。

 それでもしたのは、彼の身の安全を考慮し、こちらが許可を出したからだ。篠ノ之束博士の世界の先を往く技術を以て揃えられた医療機器の方がまだ自衛隊病院より良いと判断した上での決定である。

 その裏に、すぐに《事変》レベルの死闘を演じる必要は無いだろうという推測が無かったと言えば、それは嘘になる。

 しかし――それでも、まさか退院した当日、またコトに首を突っ込んでいるとは予想外にも程があった。

 自分が部下から教えられた中継を見始めたのは、地下世界ヨツンヘイムの天蓋付近にある氷の城《スリュムヘイム》に突入する時。再出血する恐れがあるのは脳を酷使する前衛戦闘、ないし《ⅩⅢ》による全力戦闘なので、後衛で術師に徹している姿を見た時は胸を撫で下ろした。

 

 

 

 銀の霜巨人ヴァフスを一人で止めると言ってからは全力で頭を抱えているが。

 

 

 

「何故、何故そこで、敢えて一人で止めようとするんだキリト君……!」

 

 デスクに凭れながら額を押さえ、呻く。

 《SAO事件》があった二年間で長らく馴染んだ回転型記憶装置(HDD)は姿を消し、後釜の個体型記憶装置(SSD)も駆逐され、磁気抵抗メモリ(MRAM)という超高速不揮発メモリになって以降、あらゆる操作に体感できるラグが存在しないパネル型PCは、滑らかに過ぎる解像度で動画を映していた。

 画面に映る中継は二つある。

 片方はキリト対ヴァフスの戦闘を映している。

 もう片方は――誰がレイドリーダーなのか微妙に分からない――スリュム討伐隊の面々が映し出されていた。少年達が戦い始めて早くも一分が経過しようとしているが、討伐隊の方は漸く最奥に辿り着いたところだった。

 彼らが進む回廊の突き当りには、二匹のオオカミが彫り込まれた分厚い氷の扉が立ちはだかっていた。そこが《霜の巨人の王》が居る玉座の間なのだろう。

 その扉にキリカ達が五メートルほどまで踏み込んだ途端、自動的に左右に開き始めた。部屋の中からは冷気の(もや)が床を這って彼らの間をすり抜けていく。

 そこで、ウンディーネの面々が全員の支援魔法を張り直し始めた。それに倣うように侍集団に混ざった金髪美女NPCフレイヤ(?)も詠唱を始め、バフを掛ける。映像で見た限りではアイコン追加もないものだったが、実際に効果を見たらしい青年達の言葉を拾えば、それが最大HPをブーストするという未知のバフである事が判明する。

 

「無かったよねぇ、そんなバフ……」

 

 いちおう水妖精族のプレイヤー《クリスハイト》としてアカウントを作り、メイジを嗜んでいる身の自分も、種族特性と傾向からバフ関連も一通り目を通しているが――それもみんなの足を引っ張らないようにと“少年”から目を通す事を厳命されたからだ――HPブーストバフは寡聞にして聞いた事が無い。

 巻き戻す以前ではフレイヤ(?)を見なかったらしいので、ひょっとすると今のALOに於いて彼が知らない唯一の事象かもしれない。

 討伐側のコメントが未知のバフと可能性についてやや活気立つ中、画面内の彼らは準備が整ったのか、部屋の中へと一気に駆け込んだ。

 中継カメラもそれに付いて行く。

 内部は、横方向にも縦方向にも途轍もなく巨大な空間だった。壁や床はこれまでと同じ青い氷。同じく氷の燭台に、青紫色の炎が不気味に揺れている。遥か高い天井にも同様のシャンデリアが並んでいる。

 しかし――討伐隊を含むあらゆる眼を真っ先に奪ったのは、左右の壁際から奥へと連なる無数の黄金だろう。

 無数に眩く反射光を放つ金貨、装飾品、剣、鎧、盾、彫像から家具まで、ありとあらゆる種類の黄金製オブジェクトが、数えるのも不可能な程の規模でうずたかく積み重なっている。奥は暗闇に沈んでいるため全貌はまったく掴めない。

 

 

 ――億万長者じゃないですかー!

 

 ――え、これただの背景じゃなくて、マジモンなの?

 

 ――慌てるな、きっとスリュム倒したら無くなるんだ……そうに決まってる()

 

 

 コメント欄が動揺と希望、そしてそれらと同量の悔しさに満ちていく。

 正直心境はほぼ同じと言える。自分も同行してたらお零れにあずかって、自アカの所持金増えてただろうになぁと、普段のプレイ時間の少なさからくる未強化具合を思って悔しく思うほどだ。

 

『――小虫が飛んでおる』

 

 そこで、広間奥の暗がりから、地面が震えるような重低音の呟きが殷々と響いた。

 

『ぶんぶん煩わしいことこの上ない。腹立たしいのう、苛立たしいのう』

 

 ずしん、ずしんと床を震わすその振動は、いまにも氷の床を砕き、ヨツンヘイム中央にぽっかりと空いた大穴へ落としかねない程の重々しい響きだった。

 やがて、ライティングが届く範囲に、ぬぅっと一つの人影が出現。

 巨大――というレベルではない。スリュムヘイム内で遭遇していた人型邪神やボス邪神に較べても、明らかに倍以上は大きい。先に戦っていたタッグのミノタウロスの胴回りを手で掴んでも指が回るサイズ比。遥か高見に見える頭は何メートルなのか。部屋に侵入した彼らの身長ですら、その影の踝に届いていない程だ。

 その人影の肌の色は、霜巨人ヴァフスの色白さとは裏腹の鉛のような鈍い青。足と腕には、いったいどれほど大きな獣から灰田のか、黒褐色の毛皮が巻かれている。腰回りにはパーツ一つがちょっとした小舟ほどもありそうな板金鎧。上半身は半裸だが、隆々とした筋肉はどんな武器も跳ね返しそうな屈強さがある。

 その逞しい胸筋には、これも青い髭が長く垂れる。その上に乗る頭はシルエットに沈んで輪郭しか見えない。しかし額に乗る冠の金色と、眼下で瞬く寒々とした青は、闇の中で鮮やかに光っていた。

 ALOのボスに於いて、強力な個体になればなるほど高難易度のダンジョン――屋内の奥の方へと追いやられる傾向にある。そのジンクスに逆らったのがスヴァルトエリアのエリアボスな訳で、サイズ比で言えばそのエリアボス並みはある。つまりこれまで――ALOの前身と言えるSAO含んで――と異なり縦方向に大きいのだ。屋内である以上飛べないというのに、いったいどうやって戦えというのか。剣を振り回したところでスネにすら届かないだろう。

 つまりシノン嬢の弓矢やアスナを筆頭とした術師の遠距離攻撃手段が重要になって来るという事なのだろう。

 そう考えれば、《ⅩⅢ》と魔術で物理・魔法耐性のどちらにも対応出来るキリトがスリュムを圧倒出来た事も頷ける。多分床を焦土に変えた継続ダメージを主流としていた筈なので、今回は流石にそれとは別の手を使わざるを得ないだろうが、それでも《ⅩⅢ》の使い手はキリカ、ユイ、シノンの三人も存在する。やってやれない事は無いだろうと思った。

 ――などと考えていると、巨人は更に一歩踏み出し、遥か高みから妖精を()()ける。

 

『――貴様』

 

 暗い眼下に瞬く燐光が、最前列に立つ影妖精の少年――キリカに定められた途端、霜巨人の王だろう巨漢が目を剥いた。

 クエストに関係あるだろうフレイヤ(?)なら分かるが、一プレイヤーであるキリカに定めたとすれば――

 

『貴様は、確か、あのとき儂に剣を向けた……』

 

 おそらくは前回たった一人に攻め上られ、剰え十秒未満という短時間で倒された事の怨みを口にしようとしたのだろう巨漢だったが、それが最後まで口にされる事は無かった。

 (にわ)かに驚きを露わにした霜巨人に、毅然と胸を張った美人NPCフレイヤ(?)が声を張ったからだ。

 

『霜の巨人スリュム! 妖精の剣士様たちと共にお前を倒し、奪われた一族の宝を返してもらう!』

 

 

 ――ああ、いまメッチャ大事なトコだったと思うんですけどフレイヤさん?!

 

 ――お約束とは言えかなりアレだぞフレイヤさん!

 

 ――シナリオ上都合悪いからテコ入れでも入ったかな。

 

 ――でもほぼスリュムが記憶持ちって確定したね。

 

 

 その毅然とした発言の直後、コメントが一斉に流れる。それはかなり大事なところで声を上げた事に対する批判に等しいものだった。

 フレイヤの声が契機になったのか、元の路線に戻ったのか、スリュムである事が判明した巨漢の眼が影妖精の少年から美人NPCへと移った。

 

『――ほう、ほう。そこにおるのはフレイヤ殿ではないか。檻から出てきたという事は、儂の花嫁となる決心が付いたという事かな、ンン?』

 

 割れ鐘のような声でスリュムが口にした事は、神話通り花嫁としてフレイヤを求めたという経緯が分かる話だった。

 その内容にか、フレイヤが美麗な柳眉を怒らせ、巨漢を睨め付ける。

 

『いまの私の宣言が聞こえなかったのか! お前の花嫁になる気など、私にはまったく無い!』

『そうか、それは残念だ。我が花嫁になる宴の前の晩に宝物庫を嗅ぎまわっていた仕置きに氷の獄に繋いでおいたのだがまだ仕置きが足りなかったらしい……しかし、気高き花ほど手折る時は興深いというもの。それが美貌と武勇を九界の果てまで轟かす女神ともなれば一入だろう。小虫どもを捻り潰したあと、念入りに愛でてくれようぞ。ぬっふふふ……』

 

 巨大な手で髭を撫でながらスリュムが発した台詞は、これが本当に自動クエスト・ジェネレータが書いた脚本なのかと疑いたくなるほど、全年齢向けゲームで許されるギリギリの線まで攻め込んだものだった。

 しかし――自分がふと気になったのは、フレイヤが居ない場合の会話内容だった。

 いまの会話はフレイヤが居るパターンだからこそ成り立っているものであって、おそらく彼女が居ない、ないしあの牢獄から助け出さなかった場合は、それすらなく即座に戦闘になっていたと思われる。つまり霜巨人の王スリュムがキリカを見た時の反応は、前回は『キリトとの会話しかしていなかった』という密度の問題が反映された結果なのではという推論が立つ。

 実際のところは分からないので、この推論を立てたところで意味はないのだが……

 

『――アンタ、そんな力尽くで女をどうにか出来ると思ったら、とんだ大間違いだよ!』

 

 そこで影妖精の長棍使いノリが声を荒げて言った。同意とばかりに討伐組の女性陣が大きく頷き、武器を構え、詠唱を始める。

 その様子を見て、ふん、とスリュムが鼻を鳴らして嗤った。

 

『おうおう、ぶんぶんと羽音が聞こえるわい。どれ、ヨツンヘイム全土が儂の物をなる前祝に、まず貴様らから平らげてくれようぞ!』

 

 ずしん、と巨人の王が一歩踏み出したその瞬間、冠の上に長大なHPゲージが表示された。そしてそれは三段積み重なっている。ヴァフスが五段であった事を考えると少なく思えるが、それはサイズ差で調節されているに過ぎない。量で言えばおそらくスリュムの方が圧倒的に上の筈だ。

 どちらにせよ、削り切るのは至難の業だろうが――

 

『――来るぞ! ユイ姉やストレアの指示をよく聞いて、序盤はひたすら回避とパターン馴れに努めろ!』

 

 キリカが叫び、集団が応じた。

 

『ここからが本当の勝負だよ。そして僕の挑戦にして、再戦だ。加減なしで――行くよ!』

『――来い!』

 

 それと重なるように、ヴァフスに対するキリトの声が上がった。

 ヴァフスとスリュム、二人の霜巨人との戦いがここに始まった。

 

 






・ヴァフスルーズニル
 神話上ではオーディン(ミーミルに片目代償に智慧を貰った後かは不明)と命懸けの知恵比べして、ズッコい問いで命を落とした霜巨人。
 出典があまりにも少ないため、ほぼ《コード・レジスタ》で肉付けされている。
 オーディンを宿敵と定めていたのもほぼレジスタ設定。
 強さを求める理由もレジスタ設定。
 ――つまりSAOオリジナル設定てんこ盛りキャラ。
 方向性は違うが、『戦い』に対する姿勢だけはユウキに通ずる点がある。

 本作に於いては宿敵認定していたオーディンを一瞬で倒した上に、単独で神が相手しなければならない霜巨人を倒した妖精キリトの鬼気迫る状態に魅入られ、再戦を強く望んでいた。
 『鬼気迫る姿・在り様に魅入られた』という点は本作キリト保護者(ヒロイン)勢の大半と共通している。
 作者のイメージとしては戦闘欲のタガが外れたユウキ。
 ――ちなみに、”死と隣り合わせの最高の愉悦”というセリフは、《コード・レジスタ》のヴァフスが、既に亡くなっているユウキを求めて実際に口にした台詞。


・ユウキ
 片手剣使い最強剣士。
 キリトにも一刀に於いては互角で引き分けている――が、リーファとは未だ戦った事がない。リーファが技術ならユウキは反応速度で勝負するタイプ。先天的な天才。
 あらゆるSAOのゲームをしてきた作者としては、イベントは勿論デュエルにも喜々として応じる点から”常識的戦闘狂”という一面を見出している。
 その常識を取っ払ったのがヴァフス。


・キリト
 本気で命落としかねない容態のクセに『全力で応じよう』とか言ってる主人公。
 裏ではそれくらいしてヴァフスを仕留めないと《クラウド・ブレイン》の残滓が暴走しかねない可能性に苦慮している。ユイの言葉をやんわり否定したのは、VRの可能性を途絶えさせないため。本気で瞋恚でないとは思っていない。
 つまりなんもかんも七色が悪い(飛躍)
 義姉が認めているのはISコアの回復能力があるからこそだが、後から説教は免れないでしょう()


・菊岡誠二郎
 強力なカードを手にしたが、それのせいで頭を悩ませ始めた二等陸佐の自衛官。
 コラテラルダメージなのでね、仕方ないネ(無常)


・更識楯無
 菊岡と組んでいる以上、確実に和人の容態を把握している人物の一人。
 中継で和人の行動を見て血の気を引かせている事間違いないでしょう(無常)


 ちなみに本作の『神話』の参考元はほぼWikiです(無知)

 では、次話にてお会いしましょう。


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