インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

251 / 446


 あけましておめでとうございます。今年も本作を、どうかよろしくお願い致します。

 細かくながーい挨拶は活動報告にも挙げておりますので、興味があればどうぞ。愚痴っぽくなってしまってますが、本作についてもちょっと触れております。

 ――しかし、新年の挨拶をしておきながら、話の内容は平常通りなんですよね。

 リアルタイムのイベントを差し置くとか執筆者の名折れでしょう。でも仕方ないよね、一区切りついてないモンね(尚幕間)


視点:キリカ、ユイ

字数:約一万二千


 ではどうぞ。




七幕 ~(ぶん)(すい)(れい)

 

 

 SAOに於いて、《二刀流》を習得した自分には他のプレイヤーにはないシステム的アドバンテージが存在した。ユニークスキル故の強力な剣技などではない。左右の手それぞれに片手武器を装備出来るという、その一点だ。

 片手直剣の二本持ちで闘技場を制覇した事が印象強く残っているのか勘違いされがちだが、あのスキルは原則的に片手武器であればどんな組み合わせであろうとソードスキルを発動出来た。それは両手の武器を同時に使う《二刀流》スキルだけでなく、例えば片手剣と片手棍を装備している時に片手ずつで別カテゴリの扱いを受けるスキルを放てるという事も意味している。

 アスナが習得した《閃光剣》やクラインの《抜刀術》などに較べれば、一点突破の火力に於いて、《二刀流》は後塵を拝する。

 しかし両手別々の武器を持っていながら別々のスキルを発動出来るという点は、他の誰にも真似出来ない事であった。

 その優位性を最大限に生かすべくあらゆる武器スキルを習得し、コンプリートまで為していた俺は、その過程でシステム外スキルを編み出した。

 それが《剣技連携(スキルコネクト)》と名付けられた技術。

 《剣技連携》には幾つかの種類が存在するが、大別すれば『左右交互に発動』と『片手で連続発動』の二つである。そのどちらも、片手剣技であればどんな技でも繋がる訳ではない。システムアシストによって動かされる非攻撃側の腕の動きと繋げようとする新しい技の初動モーションがほぼ一致している必要がある。

 ソードスキル(システムアシスト)の終了から技後硬直を課されるまでのコンマ一秒以下の間隙であれば、僅かに体を動かして初動モーションに近付けられるが、タイミングはあまりにもシビア。

 とは言え、それは人間であった頃の話。

 基本的に、演算思考速度が一定、且つ人間のそれより遥かに高速の(はん)(のう)速度を持っている自分やユイといったAIは、その気になればコンマ一秒であろうと幾らでも引き延ばす事が出来る。

 

 ――だから、《剣技連携》に失敗したのは、間隙を縫うのが遅れたからではない。

 

 次に繋げる技の初動モーションに近付けようと動かしても、システムがそれを感知せず、新たにアシストが掛かる事なく技後硬直を課されたが故だった。

 それは純粋な失敗である。

 かつてであれば、幾度となく受けた失敗だ。

 

 二刀から離れた過ぎた事もあるが――――おそらく、それだけではない。

 

 二刀を握らなくなった理由にこそ、この失敗の原因はあるという確信があった。

 

 ――右手に握る黒剣ブラークヴェルトから、()(こう)が消えた。

 左手の緑剣ディバイネーションには宿らない。攻撃していたパーティーが後続のパーティーと入れ替わる瞬間という最悪なタイミングで、俺は《剣技連携》を失敗させ、長い技後硬直を課されてしまう。

 失敗したのは《バーチカル・スクエア》。《片手剣》の中位剣技に相当するコレは、同格剣技の中でも早めに習得出来る事と、威力特化でない使いやすさの面から元々技後硬直は短めに設定されている。しかし、それでも一秒半から二秒は拘束される。

 ボス戦での一、二秒は、全体から見れば一瞬だ。

 しかし――局面によっては、その一瞬で戦局が一変する事もある。

 四色の光が四方に散った後、金ミノタウロスのHPゲージは僅か数ドット残っていた。巨大な角を生やした牛頭がニヤリと獰猛に笑った。

 敵が先に硬直から回復し、大斧をすぅっと水平にテイクバック。

 高速回転による回転攻撃。直撃は死、掠っても鎌鼬による範囲多段攻撃のため同じこと。

 意識(しこう)は『後ろに飛べ、あるいはすぐ放てる初期剣技を放て』と命令しているが、厳正なシステムの統制下にある肉体は従わない。

 斧が凶暴に輝き、金ミノの足元から旋風が立ち昇り始め……

 

「い――やあぁぁぁあああああッ!!!」

 

 ――そこで、鋭い気勢が響いた。

 俺の背後から轟く爆音。

 外燃機関めいた轟音と共に、深紅の輝きが金ミノを照らし、辺りに影を作っている。そして俺の右横を黒い疾風が駆け抜けた。一瞬で距離をゼロへと縮めた疾風が、右手に握る黒の片刃剣を金ミノの鳩尾に突き立てた。

 突進距離、単発威力最大級の《片手剣》上位重突進単発技《ヴォーパル・ストライク》。属性割合は物理三割、炎三割、闇四割。

 いま正に斧を振り回そうとしていた邪神の体力は、一瞬で消え去った。

 ――邪神の動きがぴたりと停止する。

 その彼方で、瞑想によってHPを全開させた黒ミノタウロスが勝ち誇ったように立ち上がり、大斧を振りかざす。直後、今まで黒牛をがっちり護り続けていた金ミノは甲高い悲鳴を放ち、硬質なサウンドエフェクトを伴って光の欠片へと爆散した。

 

『……モ、モォ?』

 

 AIでも積んでいるのか、黒ミノは信じられないというように目を剥き、一蓮托生だった相棒を探すように視線を彷徨わせる。

 ――邪神が晒す大きな隙を逃す筈もなく。

 物理耐性皆無の黒ミノタウロスは、金ミノタウロスで溜め続けた鬱憤を晴らすかのような大技の乱舞を叩き付けられ、十秒足らずで相棒の後を追うように光に散った。

 断末魔は、威圧など存在しない叫びであった。

 

   ***

 

 システム上で規定されている最大四十九人編成からなる《レイド》という枠組みは、その時々によって一つの組織として適用される場合と、個別パーティー判定で適用されない場合とが存在する。

 例えばSAOのフィールド、イベント、階層ボスなどは《レイド》が適用される。

 しかし通常のクエスト――《聖夜の贈り物》などの(トシ)(イチ)系以外――は、ほぼパーティー別に判定を受ける。

 ALOもその基本は変わっておらず、【スヴァルト・アールヴヘイム】のグランド・クエスト中も各ダンジョン最奥に待ち構えていた中ボス級ではパーティー別判定で、エリアボスはレイド判定になっていた。

 では――現在自分達が進めている《女王の請願》はと言えば、全ての戦闘に於いてレイド判定を受けている。いま倒されたばかりの黒金のミノタウロスタッグだけでなく、スリュムヘイム内を徘徊するMob邪神一体一体の判定が、全てレイド判定だ。それは並みのボスを遥かに超えるスペックをあらゆる個体が有しているからだと思う。あるいは眷属と言われるMob邪神たちは、大ボスが召喚した個体扱いになっているのかもしれない。

 稼いだヘイト値や与ダメージ量、味方回復量など戦闘貢献度に応じた経験値を貰えるALOでは、ただ棒立ちのままでは決してレベルアップし得ない。

 逆に言えば、活躍すればするほど得られる経験値は多くなる。

 必然的に、“ボスのLA(ラストアタック)を得る”という貢献度最高の行動をした私は、大量の経験値を得て種族熟練度が大きく上がり、レベルアップボーナスポイントを大量に獲得した。祝福するように黒衣で覆う自身の躰を金色の光が包んだ。

 

「――キリカ、大丈夫ですか?!」

 

 しかし私は上がったレベルと入手したポイント、更にエフェクト演出で黒ミノが爆散した地点に次々転がり出てくる――実際は地面に落ちた端からレイドの一時的(テンポラリ)ストレージに格納されていく――ドロップアイテム群に目もくれず、背後を振り向き、問い掛けた。

 二刀を手にした少年(キリカ)は、技を放ち終えた姿勢のまま私を見上げていたが、声を掛けられ我に返ったか剣を下した。

 

「ああ……うん、大丈夫だ」

 

 そう、何とも言えない表情を浮かべながら、キリカは視線を外す。

 

「そう、ですか……」

 

 なにか忸怩たるものを覚えている。そんな()()をする義弟に私は何も言えなかった。先の《剣技連携》の失敗が人間時代にはあった肉体的疲労に基づかないものである以上、原因は明白だったからだ。

 ――昔の“キリト”なのだ、彼は。

 疲れたと言い、前線を退いた時の“彼”なのだ。

 義姉の粛正(すくい)を受けないままこれまで走り続けてきた。自己犠牲を許容してでも、誰かの役に立とうとする価値観のまま。家族を含んだ五十の人間と、無関係の百人の人間を天秤に掛ければ、後者を選ぶその在り方。

 デスゲーム時代は生死を賭した状況が彼の在り方と矛盾しなかった。むしろ必要とされる方だった。そして、全員のレベルが最高値に至った事で、彼らが自身を犠牲にしようとする状況はラスボス戦を除いて起き得なかった。

 だが――もう、今はその時代を過ぎている。

 戦いに生き、死から人を救う事をこそ目的に剣を取っていた彼は、その価値観を持ち続けたが故に剣の下ろしどころを喪っていた。

 それだけではない。

 かつて青年の心遣いの言葉で頽れかけたのは自身を不要とされる事を恐れての事。彼は自身が不可欠の存在として求められる事を望んでいる。誰かの代わりである事を恐れている。“最強”を求めるが故の恐怖だ。代わりなどあり得ない唯一無二の“最強”。それを追う頃の価値観だから、二番手以下に甘んじられない。

 そして、残酷な事に。

 仮に彼が“(いち)(ばん)”になったとしても、彼が求める背中には追い付けない。

 生きる世界を違えた。

 手にした力を振るえる世界も喪った。

 デスゲームにでもならない限り、仮想世界に生きる私達は、誰かを救うなんて一切できない。システムを統制するカーディナルクラスであればまだしも、その支配下でしか動けないプログラムデータの私達では出来る事など限られる。しかし彼が求める事は、カーディナルクラスでも難しい事なのだ。

 仮に現実に機械の肉体が用意されたとしても、それは“彼”が求める居場所では無い。

 かつて持っていた居場所には、オリジナルが居る。奪ったのではない。“彼”の方が、そこから零れ落ちたのだ。

 須郷の手によって拾われ、スレイヴとして新生し、キリカとして今を生きる彼は……いったい、どれほど苦しんでいるのだろう。

 ――私には、それがまだ理解出来ない。

 感覚的には分かるのだ。愛する姉と弟がどちらも自分と違う存在であると知ってから、私は胸に秘めた想いをひた隠しにして、傍で戦い続けてきた。それに近しい――それでいて、それだけでないモノも抱えている事を、私は察している。

 ただ、“自分と同一存在が居る”という点が無いから、分からないだけ。

 仮に“MHCP001ユイ”という存在が複数いれば、私達は互いにいがみ合い、その存在を消滅させようとあの手この手を講じるだろう。

 ユイという、リーファの義妹にしてキリト、キリカの義姉は、私一人なのだと。

 そう主張して、殺し合う。

 その光景をありありと予測出来る。

 

 だが――“(キリカ)”は、そうはなっていない。

 

 疎ましく思っている筈だ。憎ましくもあるだろう。ともすれば、何かの拍子に織斑一夏(けもの)へ堕ちるくらいには、元々の負から蓄積させている筈だ。

 それを抑え込んでいるからこその、葛藤の表情。

 胸が、苦しかった。

 でも――何も語らず、頼ってくれない事の方が苦しくて、辛かった。

 優しさが身に染みる程に辛さは増していくばかりだった。

 

   *

 

 スリュムヘイム城突入から一時間。

 資金稼ぎに息巻く各種族連合軍やスヴァルト攻略に興味が無いヨツンヘイムでのキャンプ狩り常連、そして彼に敵愾心を抱いていたり、愉快犯的思考でALO崩壊を面白半分に招こうと企てる者達が、、中継で央都東のダンジョンが暫く解放されている事を知っていれば、ヨツンヘイムフィールドに辿り着いてもおかしくない頃合いだ。それどころか現段階で邪神Mobと戦っている可能性もある。

 無論、中継を許した彼自身、それは理解している。

 周囲への警告を含めての行動は他者に情報を与える事そのものだ。真人間であれば周囲に迷惑を被る行動を控えるだろうが、“あくまでゲーム”という考え――娯楽的観点で正しくはある――を以て、敢えて掻き乱そうとする輩は必ず出る。

 殺人という禁忌に対するモラルすらも踏み躙るよう誘導した者達が、かつて居たように。

 そのため聖剣を台座から引き抜くまでの猶予の減りは、速くなりこそすれ遅くなる事はあり得ない。最初の時点六時間前後と予測されたそれも、中継を始める以前からネットの掲示板に東ダンジョンの事を書き込んでいたアルゴにより、四時間前後と推定されている。それは動物型邪神が殲滅される事を含んでの予想だ。

 ただ――彼は、別の危惧も抱いていた。

 【カーディナル・システム】はその自律性、バグにより流出したデータをもクエスト報酬にするといった対応力の高さ故に、運営の想定しない事態を招く事もある。

 現状の《女王の請願》クエストはそれに該当している訳だが、このクエストの進行によっては、また新たなる新クエストが自動生成される事も無いとは言えない。女王ウルズ側として霜巨人を食い止めるクエストがあるなら、すなわち逆――霜巨人に手を貸し、ALO崩壊を助長させるクエストが無いとは言えず、それは現在【スヴァルト・アールヴヘイム】を取り巻く《ラグナロク・クエスト》、あるいはかつて《アインクラッド》の第三層から第九層で展開されたエルフ、黒エルフの勢力争いのような展開になる事も、十分考えられる。

 キリトが単独で乗り込んだ前回は、スリュム討伐も十秒掛けなかったという。焦土、貫通武器の雨という究極の《継続ダメージ戦法》は、システム的に嵌れば最強と言えるものだ。

 今回《焦土》を唯一使える当人は復帰直後且つ継戦可能時間が残り僅かのため大事を取って後衛になっているが、それ以上に使わない理由は“なかまが居るから”という理由一つに尽きる。そのため貫通属性武器による物量作戦しか使えない訳だが、第二フロアの金ミノタウロスのように物理耐性がバカ高い場合は、多少なりとも時間を要する。無論、それも他の平均戦闘時間を考慮すれば、十分に速い訳だが。

 ――スリュムヘイムの第三層は、上の二フロアに較べると明らかに狭かった。

 逆さまのピラミッドを下っているからそれも当然なのだが、しかしそのぶん通路は狭く、また入り組んでいる。普通に攻略しようと思えば道に迷いギミックに惑って右往左往しただろうが、地図データにアクセスするという奥の手を解禁し、曲がりくねる通路を、私やストレア、キリカの指示に従ってぜんそくで駆け抜ける。次々立ちはだかるレバー、歯車、踏みスイッチ、動く床や壁などを駆使したパズル系ギミックも、思考時間ゼロでがちゃこがちゃこと片付ける。

 中継を繋いでいるアルゴによれば、コメントはそれなりに湧いているらしい。全体的に否定的でないのは目的がアルン崩壊を防ぐためという事がハッキリしているからだろう。

 むしろ、前回一人で挑んでいながら二時間ほどで踏破したキリトが、どんだけ異様かという点で、掲示板の方が盛り上がっているという。実際ピクシーのナビも無しにどうやって全てのギミックを短時間で解いていったのかは不思議だ。

 その疑問は当然仲間から飛び交った訳だが当の本人は黙秘を貫いた。曰く『仲間内ならともかく、大多数の人に手の内を無暗に晒したくない』からだそうだ。尤もだと納得し、中継されている探索中はそれ以上問わない事に決まった。

 そんなやり取りを第三層のフロアボス部屋まで到達するまでしていても、要した時間は二十分足らずだった。

 ボス部屋で待ち構えていたのは、第一層のダイクロプス、第二層のミノタウロスコンビの二倍近い体躯を誇る、長居か半身の左右にムカデよろしく十本もの足を生やした気色の悪い巨人――《オリジン・リーパー》に肉を付けた見た目――だったが、物理耐性は然程でも無かったので、《継続ダメージ戦法》の恰好の餌食となり、登場から十秒もせずその場から消滅した。

 物語性も情緒性も無い、合理と効率だけが存在する快進撃。

 無論、中継映えはせず、コメント欄でも不評ではあったが、失敗した時のリスクが大変大きいため黙殺し、私達はキリト先導の下に歩を進めた。

 そして、ボス部屋の奥の通路に踏み込んだ時、判断に迷う光景が眼前に出現した。

 

 それは、細長い氷柱で壁際に作られた檻だった。

 

 地面と天井から鍾乳石の如く鋭く伸びる氷の柵の中には一つの人影があった。床に倒れており、正確なところは不明だが、身長はウンディーネのアスナかシルフのリーファと同程度くらいだと思われる。

 肌は、羨む程の白さ。

 長く流れる髪は(あで)やかなブラウン・ゴールド。

 体を申し訳ばかりに覆う布から覗く胸部のボリュームは、(リー)(ファ)(スト)(レア)に迫るものがあり、少なくとも自分は辛うじて敗北を喫している。それだけでこの場に集う大半の女性陣を圧倒していると言えた。

 そして――《檻》という印象を与える、なよなかな両手両端に嵌められた無骨な青色の枷。

 正直、こんな人物が居るとは知らなかったので、私達の足速は鈍った。

 

「――誰だ、あれ」

 

 そして、あろう事か前回同じクエストを進めていたというキリトすらも、その人物の事を知らないと取れる台詞が飛び出した。

 

「え、キリト、知らないの?」

 

 思わず、といった風にユウキが前のめりに問う。眉を寄せ、氷の牢獄に囚われた女性を厳めしく見つめながら、キリトは小さく頷いた。

 

「ああ。少なくとも、第三層ボス部屋の後にこんな牢獄はなかったし、クエストで俺以外の人らしい人が出た事もなかった」

「つまり……これも、【カーディナル・システム】が作った新規クエスト、ないし改変ってコト……?」

「多分……大勢で来たから、ルートが変わったのか……?」

 

 足を止め、やや悩む素振りを見せる。その気配に気付いたか、うつ伏せに伏していた囚われの女性は、ぴくりと肩を振るわせると、青い鎖を鳴らして顔を上げた。

 瞳の色もまた、髪とよく似た金茶だった。

 顔立ちは、もしこれがプレイヤー・アバターだとすれば、圧倒的幸運で引き当てるか圧倒的財力でアカウントを買い続けるかしなければあり得ない程に整っている。しかも、日本人プレイヤーの多いALOでは珍しい事に、西欧風の気品溢れる美貌だ。

 女性はゆらりと視線を彷徨わせ、自身を凝視する集団に焦点を定めるや否や、長い睫毛を一度上下させてからか細い声を発した。

 

「お願い……私を、ここから……出して……」

「……どう思う?」

 

 流石に判断に迷ったか、キリトがくるりと振り返って問う。表情は苦笑。何となく答えは分かっているが、一応という感じの問い方だ。

 

「罠だろ」

「罠ダロ」

「罠ですね」

 

 順にキリカ、アルゴ、シリカが言った。

 間髪を入れない即答に、だよなぁとキリトが言った。それから思案顔になる。視線は女性に固定されたままだ。

 囚われの女性の頭上には名前表示が無い。基本焦点を合わせればNPCの名前は表示されるのだが、見ても現れないという事は、かつての自分やアンノウン(ペルソナ・ヴァベル)のように本来存在し得ない為にゲージ等を用意されていなかった存在か、クエストの分岐に差し掛かっているため敢えて伏せられているかのどちらかになる。

 名前こそ無いが、カーソルは表示されるので後者である事が分かる。

 しかし――通常のNPCとの違いが一点あった。

 HPゲージがイネーブル、すなわち《有効化されている》という点だ。通常クエストのキーマンであるNPCはHPゲージが無効化されており、途中退場による進行不可に陥らないよう対策を取られているためダメージを受け付けない。

 例外として、護衛クエストないし、エンディング分岐の鍵となっている人物の共闘、あるいはそのNPCが実は敵だったという三つが存在する。

 

「罠だよ」

「罠です」

「私も、罠だと思うなぁ……」

 

 ユウキ、ランがキッパリと言い、サチが言いにくそうに頬を掻く。

 

「ちなみに、このNPCの名前は分かるか?」

「――フレイヤ、とあります。北欧神話に於ける美の女神の名称と合致しますね」

 

 自分を見ながらの問いに、素早く答える。

 

「フレイヤですって?」

 

 それにいち早く反応したのは、意外な事にシノンだった。その傍らに立つリーファも僅かな瞠目という反応を見せる。

 

「フレイヤって、確かスリュムの死因に関係していたような……?」

「ええ。確か、スリュムがミョルニルを盗んで、その返還の代わりに美の女神フレイヤを要求した顛末があります。ロキが侍女に化けて、フレイヤにミョルニルの持ち主トールが変装して入り込んだ話がありますね」

 

 《トール》。神話伝承の類に詳しく無い人でも、ゲームをしている人なら聞いたことはあるくらいに有名な名前だ。

 ネットに拡散されている情報を纏めてみれば、北欧神話で有名なのトールは戦神として祀られる《雷神》としてだが、元々は《豊穣神》だったらしい。豊穣を祈る際に収められたのが農作業具が多く、そのため鉄精錬などが盛んになった。いつしかそれは人の争いの為に盛んになっていくのだが、それでも人々は《豊穣神》への祈りを忘れなかったという。

 豊穣とは農作物の実りが多いということなのだが、いつか知らない、まだトールが《豊穣神》と呼ばれていた頃はその意味が『万能』という意味で取られていたらしい。『万能』ということで、そこから戦に勝つための祈りを捧げるようになり、いつしか《豊穣神》としては忘れられ、今で有名な戦の神《雷神》としてトールは知られるようになったのだとか。

 アース神族に於いてかつては主神オーディン、フレイとも並ぶ神格だったが、元々《豊穣神》として崇めていたのは農民階級で、戦士階級の台頭により主神の息子に甘んじたという話もある。

 そして、その力はアース神族の中でも、全ての神を合わせても尚敵わぬほど強いとされた存在だ。ギリシャ神話のゼウス、ローマ神話のユピテルと同一視される事もあるらしい。

 神話上ではスリュムを始め、ゲイルロズ、フルングニルといった巨人族を倒し、神々と人々を巨人から護る屈強な戦士として語られている。ただしやや短気、弱者に対して長続きはしないものの度々ミョルニルを手に相手を脅す事もあるのだとか。

 フレイヤという女神はヴァン神族出身で、アース神族とヴァン神族の停戦にあたって人質として父・オーズ、双子の兄・フレイと共にアスガルズに移り住んだとされる。生と死、愛情と戦い、豊穣を司り、時に黄金にも縁があるとして、度々巨人族から身柄を狙われる。スリュム以外の巨人やドヴェルグ達からも報酬や身代金として求められるなど、しばしば性的な対象にされる事もあったという。

 また、《セイズ》と呼ばれる魔法技術を扱える存在とされる。人の魂を操る事を本質とするそれを主神オーディンに伝授したともされ、魔法使いとしてはかなり格の高い存在である事が神話からも窺えた。

 そして『スリュム城にフレイヤが囚われている』という神話も実際に存在している。トールが件の女神に変装して妻になると偽り、宴の席でボロを出しかけるも一緒に同行したロキに助けてもらいつつやり過ごし、とうとう雷槌【ミョルニル】を取り戻すや否やその場にいたスリュムとその手下達を一人残らず殴り殺していくという、なんだかほのぼのなのか殺伐としているのかよく分からない話だ。

 ――その話を、ネットで集めた私と、北欧神話系の書物を読み漁っていたらしいリーファ、シノンがしていくにつれて、氷の牢獄に囚われた状態の女性に向ける視線が、懐疑から、『え、まさかおじさんが変化してるの……?』というヘンタイに向ける眼へと変化していった。

 レイドの大半を占める女性陣が非常に冷たい目をしているのは、女装が原因か、あるいは神話で語られるトールに付いて回る年齢・外見的なイメージが原因か、その両方か。

 傍らで神話上の話――それも、当たっていれば牢獄に()()()囚われている事が赤裸々に語られる状況のためか、心なしか女性(?)の肩が震えているように見えなくもない。

 

「――それで、アンタ実際何でここに囚われてるんだ?」

 

 一通り話を聞いた私達の中で、クラインが一歩前に出てそう問うた。

 ぷるぷると肩を震わせていた暫定女性は、閉じていた瞼を開けて、氷の牢の前で膝を突く侍に訴えかけるように口を開いた。

 

「私は、巨人の王スリュムに盗まれた一族の宝物を取り返すために、城に忍び込んだのです。ただ三番目の門番に見つかり捕えられてしまい……」

「ちなみに仮にトールだった場合ですけど、勿論アース神族ですよ。ミョルニルもアース神族が誇る最強宝具と言われてます」

「ほー……」

 

 後ろからリーファが補足し、クラインが納得声を上げた。

 

「キリト、どーすんだ?」

「……カーディナルが何故トール疑惑のフレイヤを追加したのか引っ掛かるが、本物ならこれ以上ない戦力になる。助けよう。いいな、みんな」

 

 神話の情報を知った事で、キリトは助ける方に思考をシフトさせたようだった。

 特に反対意見は出なかったのを見ると、氷の牢の前にいたクラインがよっし! と気合を入れながら立ち上がる。

 

「そんじゃあフレイヤさん、今助けてやっかんな! 少し離れてくれ!」

「は、はい!」

 

 上下から生えた氷の柵から女性(?)が十分離れたのを見て、クラインは左腰の愛刀を抜刀した。()()()()がツララの檻を横一閃に斬り裂く。

 更に刀が四度閃き、両手両足に嵌められていた氷の枷が壊される。

 完全に檻から救い出された美女は、力なく顔を上げ、囁いた。

 

「感謝します、妖精の剣士様」

「礼なんて良いってコトよ。袖すり合うも一蓮托生、一緒にスリュムのヤローをぶっ倒して、そんで大手を振って盗まれた宝モンを取り返そうぜ!」

「あ――ありがとうございます、剣士様!」

 

 ぱぁっと、笑顔を花開かせた金髪美女が、感激のあまりという勢いで侍の左腕にむぎゅっとしがみ付いた。レイド中一、二位を争う豊満な胸部が潰れるのを見て、女性陣が女装疑いのNPCに厳しい目を向ける。

 青年の顔はと言えば、僅かな間で目まぐるしい変化を見せた後、きりりと平然を装ったものに落ち着く。

 紳士的ではあるがやはり彼も男という事なのだろう。

 いや、しかし――その、なんだろう。彼がフレイヤ(?)に向ける眼は、単なる義侠心だとか、そういうものとは若干異なる気がする。性的な眼で見てはいるが、その要素がかなり小さい気がした。

 

「そのNPC、クラインのパーティーに入ったんじゃないか?」

「んお? お、おお、そうみてぇ――って、なんじゃこのMP最大値?! 12000だぁ?!」

 

 能力構成(ビルド)を把握する為だろう質問で我に返ったクラインの眼が、顔はそのままに左へと向けられた直後、驚きの声と共に驚愕の事実が明らかになった。

 MP最大値12000。

 それはメイジ特化と言えるウンディーネをしても尚届き得ない数値だ。術師特化の装備とバフを盛りまくってもせいぜい8000が関の山。魔法剣士としても動くアスナ、ラン達は6000前後だし、シウネーと言えど7000を少し上回った程度と言えば、暫定フレイヤのNPCの数値がどれだけ高いかは推して知るべしと言えよう。

 

「なるほど、メイジ超特化型か。物理一辺倒の《風林火山》パーティーには最適だな」

「そうだなぁ……でも欲を言やぁ、回復魔法が使えてくれりゃ嬉しいんだが……」

「――申し訳ありません。私が使えるのは雷系統の魔法と、幾許かの支援魔法くらいです。期待には応えられません」

「お、おう? そ、そうか。だってよ、キリト」

「……ああ」

 

 特に問うた訳でも無いのに、自発的と言える流れで自身の能力を明かした暫定フレイヤに、青年が動揺し、少年が更に眉を顰めた。

 【カーディナル・システム】が備える《自動応答言語化モジュール・エンジン》とは、簡単に言えば『AにはBと答える』というパターンリストの複雑なものであり、高度な予測機能や学習機能を備えたシステムだ。それに接続されたNPCはプレイヤーとかなり自然な会話をこなしてのける。

 そのモジュールに接続したAIの中には、ブレイクスルーを起こした存在もいる。

 ブレイクスルーの端緒は間違いなくキリカだろう。彼はAIには到底不可能と言われた、“上位権限命令に対する理屈的矛盾回避”をやってのけた。

 知性、感情というものを一から構成した例で言えば、自分やストレアがそれに該当する。

 しかし自分達のログを吸収しているシステムに繋がっている自動応答NPCのそれは、現状自分達に遠く及んでいない。固定NPCの何を言われても決まったセリフだけを返す様と較べれば雲泥の差だが、それでもプレイヤーの言葉――特に略称、俗称など――を認識できない場合が多々あり、その場合はプレイヤー側が《正しい問い掛け》を模索する必要がある。

 SAO時代、少年はクエストで同行した黒エルフ騎士に、プレイヤー間で使われていた俗称を教え、それを黒エルフ騎士が使い出すという一幕もあったが――それが全てのNPCに適用される訳ではない。

 ない、のだが――――自発的に会話に参加する流れは、まるで(おう)()のクエストNPCを思い起こさせるやり取りだ。

 その点が引っ掛かったのか、キリトはじっと金髪美女を厳めしい顔で見詰めていた。

 

「ん――?」

 

 ふと、彼の視線が、顔ごと横に向いた。視線の先は、おそらくボス部屋だけだろう四階層へ下る為の階段と、そこに至るための回廊しか無い。

 しかし、彼は目を眇めた。

 

 

 

「――流石だね」

 

 

 

 その時どこからともなく声が聞こえた。

 少年らしい口調ながら中性的な声質のそれは、彼が視線を向け続ける回廊から聞こえてきた。

 全員が警戒態勢を取る。横幅が無いのでタンクのストレア、《風林火山》の面子が前に出る――が、その更に前に、黒剣(ユナイティウォークス)緑剣(フェイトリレイター)を取り出したキリトが立った。二刀が交差し、翳された。

 ――直後、青い闇から、銀が閃いた。

 黒と緑の刃に、銀の刃が襲い掛かる。火花を散らして衝突し、ぎりぎりと鎬を削る。

 

()()()()()()()()、キリト――!」

「ヴァフス――!」

 

 襲い掛かったのは、何時ぞや『保険』と言い、特に何もせず転移で立ち去った銀色の霜巨人《ヴァフスルーズニル》だった。あの時と違い妖精サイズの彼ないし彼女は、獰猛な笑みを湛え、かつて敗れたのだろう少年に襲い掛かっている。

 しかし――言動が、おかしい。

 まるで以前からの知り合いのような言葉は、《クラウド・ブレイン事変》の事を考えればおかしくないのかもしれない。しかしALOはあの後《巻き戻し》を受け、クエスト状態もリセットされている。《女王の請願》クエストでかは不明だが、ヨツンヘイムにて築かれたキリトとヴァフスの関係は初期状態に戻っている筈である。

 だから、ヴァフスが言った『待ちくたびれた』というのは、時系列的に辻褄が合わない。

 一瞬の困惑。

 その一瞬の間に、二人の刃が音高く弾かれた。互いの膂力が鬩ぎ合った結果か同時に氷の床を滑って下がる。

 制動の為に剣を突き立てたのも同時だった。止まるのも同時。

 ――相手を見据えるべく、顔を上げたのも同時。

 

「ずっと待っていたよ……オーディン軍を一瞬で壊滅させ、巨神を歯牙にも掛けず、世界を切り裂いた君と戦う日をさ――!」

 

 怜悧な顔立ちの霜巨人ヴァフスは、全身を戦意に(みなぎ)らせ、不敵に笑っていた。楽しくて嬉しくて堪らないという感情を露わにしたそれは、仮令《自動応答言語化モジュール・エンジン》に接続しているNPCだとしても異質に過ぎる。

 つまり――ヴァフスも、同じだ。同じになったのだ。

 あの霜巨人ボスは、“キリトとの再戦”というイベントに戦意を漲らせる余り、カーディナルによる初期化に耐え抜き、初期化された世界に記憶を持ち込んでいる――!

 

「まさか、ヴァフスも《クラウド・ブレイン》を……?!」

 

 絶対上位権限に対して抗うなら、SAOサーバーに生き残っていたホロウのように強い負の感情データを受け、それでプログラムコードを侵食、上書きし、ゼロへ変える流れに抗う必要がある。

 このALOでは一度それが起きているので、ヴァフスは出来ないなどと決してないと言えない。

 

「いや――これは、多分違うな。ヴァフスの瞋恚(せんい)もかなりのものだが、《クラウド・ブレイン》を作るには程遠い。だいたいそれならキリカやユイ姉が先に出来ないとおかしいだろう」

「そ、そうですか……」

 

 キリカであれば分かる。ホロウという存在から同一で、経緯だけ異なるAIの彼であれば、《クラウド・ブレイン》の核になれる事が証明されているからだ。

 しかし――私も挙げられるのは予想外だった。

 不意を突かれて動揺する私に頓着せず――おそらくその余裕も無く――ヴァフスを牽制するキリトが、また口を開いた。

 

「《巻き戻し》と言っても対象はあくまでALOデータだけで、【カーディナル・システム】は同じものを流用している。当然《クラウド・ブレイン事変》の事もログとして残っている筈だ。クエスト自動生成機能がカーディナルの機能だというなら《事変》のフィルターが掛かるし、当然ログも辿るだろう。俺の経験則だが、デスゲーム化したSAOのNPCの中にはベータ時代のクエストログを夢として語る者が居た。それに近い事が起きているんだと思う」

 

 ヴァフスの出方を探り、虚空に呼び出した武器の切っ先を向けて牽制を続けながら、キリトが予測を語る。

 無い、とは決して言い切れない。そもそも《クラウド・ブレイン》自体が未だ未解明な部分の多い、非常に流動的なシステムである。情緒性と可能性を秘めたシステムと天才少女が豪語したそれの影響が【カーディナル・システム】にログとして記録されているのであれば――特に、天才少女が酷く執着した対象と関係があったヴァフスには、変化が起きてもおかしくない。

 元より謳われた自律性により世界を動かしている【カーディナル・システム】だ。集積した学習データを無駄にする筈が無く、その影響を受けたと考えれば、彼の予測は当たっていると思えるものであった。

 事実としてヴァフスはキリトの事を覚えているし、かつて交わしたのだろう“再戦の約束”も認識しているから、予測が外れたところで何が起きる訳でも無い。

 

「いつまでお喋りを続けるつもりだい?」

 

 話していると、痺れを切らし掛けているのか、銀色の霜巨人が苛立たしげに言ってきた。今にも斬り掛かってきそうだが、牽制されているからか踏み出そうとしない。

 ヴァフスは霜巨人なので、完全にボス判定を受ける筈だ。実際頭上に表示されているHPゲージは五本。妖精と同じサイズなのでゲージも相応のサイズに収まっているが、数値上では途方もないほどの量の筈だ。マトモに戦えば三十分から一時間程度は要するだろう。

 それでも動物型邪神が狩り尽されるまで猶予はあるだろうが……――――

 

「――キリカ、メダリオンを」

「オリジナル……お前、何を?!」

 

 剣を握ったまま左手で首から提げていたエメラルド色のメダリオンを投げた少年に、キリカが声を上げた。その行動が意味するところは、つまり――

 

「キー、あなたまさか、此処に残るつもりですか?! ()()()?!」

 

 後で合流するつもりであれば、彼はメダリオンを持ち続けるだろう。レイドを二つに分けて片方を先に行かせ、ヴァフスを倒してから合流するという事も出来る。その際に自身とキリカが分かれるのは理解出来る判断だ。

 しかし、恐らく彼に合流する意思は無い。

 律儀にも、ヴァフスとの再戦を果たそうとしている。万全でないというのにだ。

 それを理解してだろう。仲間達の眼が厳しくなり、何かを言い募ろうとして――

 

「履き違えるなよ」

 

 それを制するように、強い言葉が放たれる。

 

「レイドを二つに分けるのと、一人が残って残り全員でスリュムに挑むのとで考えればどちらが目的を達するのが確実か、分かるだろう」

 

 虚空の武器が、空気に溶け、消えた。

 彼は両手の“ともだち”謹製の二振りを握り直す。空間把握能力を必要とする為に消耗の激しい召喚武器を自ら封じ、剣技だけで相手するという意思表示。

 すなわち――彼なりの、持久戦の構え。

 小さくも、大きな背中が言っている。“――――行け”、と。

 

「なに、復帰したてとは言え、ホロウを相手取っていた時よりは遥かにマシだ。それに俺も同じ轍を踏まないよう対策はしている」

「……糖分補給以外に?」

「ああ。勿論、多用すべきではないコトではあるが……」

 

 ――そこで、一瞬視線が肩越しに向けられた。

 柔らかく細められた眼が、私を、私達を射抜く。

 すぐに前に戻された。

 

「長い目で見れば、最高の投資になるだろうさ。なにせ仲間・家族と会える場所だけでなく、尊敬する人の夢を守れるんだから」

「尊敬する、ひと……って、まさかそれって!」

 

 ウソでしょ、と驚愕の成分を多く含んだ絶句の声がリズベットから上がる。

 ここでヴァフスを食い止め、スリュム打倒を成し遂げる確率を上げる――ひいては、ALOを存続させる事が、『尊敬する人の夢』を守る。彼が尊敬していると明言しているのは義姉くらいで、あとはまちまちだが――いや、そんなまさかと、私自身驚いていた。

 だが、ある意味それは当然なのだ。

 まだ正体が割れていない頃のヒースクリフとの対談時に、彼は《茅場晶彦》について好意的な意見を発し、VRMMOの将来について語らいたいと言っていた。黒幕である可能性を否定するように、赤ローブアバターを操っていたのは別人という説も唱えていた。

 尊敬し、その背を追ったからこそ――彼は、ともすれば製作者である男よりも、あの世界について造詣を深くしたのだ。

 ――ふ、と。微笑む気配が彼からした。

 直後、鋭い踏み込みと共に、ヴァフスに斬り掛かる。

 袈裟掛けの初撃、右薙ぎの次撃は銀の大剣に阻まれる。そこで止まらず彼は二刀を巧みに振るう。時に銀に阻まれ、躱され続け――一度、後退された事で空振った。

 

「――ハァアッ!!!」

 

 瞬間、攻守が交代する。

 前に踏み込んだ勢いを伴う巨剣が縦に振り下ろされる。交叉した二刀と交わったが、一瞬にして少年の膝が折れ、片膝を床に着いた。

 

「せ――」

 

 上下のアドバンテージを得たヴァフスが、自身より小さな少年を押し潰そうと前のめりに力を込めた――その時、交差する剣がぐるりと捻られ、巨剣を挟み込んだ。

 

「ふんっ!」

「――んなぁッ?!」

 

 追加された力は、少年によって利用された。霜巨人ヴァフスは銀の巨剣から手を離さなかったせいで、宙に引っ張り上げられた。

 

「せぁあッ!!!」

「ごふ……!」

 

 体勢を崩して宙に身を晒した巨人をキリトが蹴り飛ばした。どごぉっとかなり大きな鈍い音と共に放たれた蹴撃で、ヴァフスは三層のフロアボス部屋へと吹っ飛んでいく。

 そちらへと駆ける少年。

 反射的に追おうと、自分を含めて何人も足を踏み出した。

 

「何度も言わせるな」

 

 一歩目の足音で気配が近くなったからか、少年が足を止め、しかし振り向かないままそう言ってきた。その声音は固く、失望しているようにも、怒っているようにも――それでいて、何も含んでいないようにも聞こえて、また反射的に足が止まった。

 

「け、けどよキリト! お前ぇはいつもいつもそうやって無茶してきたじゃねェか! せっかくフレイヤさんってトンデモメイジが仲間になってくれたんだし、お前ぇと張り合える仲間も揃ってんだ、全員で掛かればサクっといけるだろ?! 最悪やり直しゃいいんだしよ……!」

 

 命に代えられないだろうと、そう訴えかけるクライン。

 対するキリトは淡々としていた。

 

「――そのメイジを出したのも、ヴァフスに記録(きおく)を引き継がせたままなのも、全部カーディナルがしてる事。また同じ事を繰り返して労力を使うくらいなら最初から打てる手は全て打つべきだ。違うか?」

「ぐ……そりゃ、そうだがよ……!」

 

 青年を初めとする心情的な意見を、彼は合理と効率を基とした意見を以て跳ね除ける。短期的に見ればクラインの主張のように負担は大きいが、キリトの意見のように長期的になる事を想定した場合結果的に負担は小さくなるとも考えられる。

 その意見のぶつかり合い。

 それをしているのも――偏に、キリトが大切だから。

 だが、彼も自ら犠牲になろうとしている訳ではない。犠牲にならない手前まで追い詰めて、最後の一線は越えないように気を配っている。ただそれがあまりにギリギリ過ぎて許容し難いだけなのだ。

 私達が妥協すれば、それで済む。

 済む、コトなのに――――

 

「――行きましょう」

 

 ――その葛藤を、たった一言が切り裂いた。

 黒とは真逆の方を向き、背中合わせに立つ風妖精の【剣姫】の言葉。未だ踏み出さない私達を待っている義理の姉。

 

「その子は言い出したら聞きません。だからキリトが限界を迎えるよりも前に、あたし達がスリュムを討ち果たせばいい。攻略法が割れているなら難しい話じゃないです。スリュムとヴァフスを同時に相手取らなくていいから、ベターでしょう。そもそも無理矢理ログアウトさせなかったあたし達にも落ち度があります」

 

 淡々と言った彼女は、僅かに振り返り――最も遠くに立つ少年を見た。

 

「ここは、任せていいのね――――キリト?」

 

 戻って来たヴァフスが斬り掛かった。大振りで単調な斬撃。瞬時に剣を振るい、往なし、反撃を入れて、ついでに蹴撃でまたボス部屋へと叩き返した少年は、そのままに声を上げた。

 

「無論だ。ヴァフスの相手(ここ)は俺に任せて、みんなはスリュムの許(さき)へ行ってくれ」

「わかった……――――行きましょう、皆さん。時間が無くなりました」

 

 その言葉を最後に、義姉は先に進み始めた。もう止まる素振りは無い。義弟を心配する素振りも無い。信じているから――自身に託された仕事をこなそうと、前へ進んでいる。

 クエストで許された時間よりも短い彼の活動限界時間を迎える前に、全てを終わらせようと。

 やや迷いはしたが、しかし合理で考えればヴァフスを一人で押さえられるキリトにここを任せ、自分達がスリュムの許へ押し寄せる事があらゆる意味で最良と言える事は分かっていた。

 リーファが走ったのを皮切りにレコンが動き、少しずつだが次々と仲間が走り出す。

 

「――キリカ」

 

 最後まで残った自分とキリカを、キリトが呼び止めた。

 

「俺達は誰かの真似事ばかりしてきた。使う技術も、目指すものも、誰かの二番煎じでしかない。天才でもない限り俺達は先駆者になんてなれない。それは俺達自身がよく分かっていた事だ」

 

 背を向けたままオリジナルの少年が語る。コピーの少年は、眉を顰め――しかし真剣に耳を傾けていた。

 

「だが――それでも、()()()()になれるコトはある」

 

 ヴァフスは、何故か攻めてこない。それを良い事にキリトが言葉を続ける。

 

「俺は、“みんな”が幸せに生きる日常を見たいと思ったから生きようと思えたし、剣を取れている……キリカ、お前は何の為なら剣を取る?」

「俺、は……」

 

 惑うように声を震わせ――そして、傍らに立つ私を、見上げてきた。その顔が、一瞬寂しげに歪み――

 

「いま、求めて浮かんだものがあったなら、それがきっとお前の剣を取る理由だよ。きっと俺と大差ないだろうけど……でも、明確に違う、お前だけの唯一無二の願いだ」

「オリジナル……お前……」

 

 何のつもりで、と言おうとしたのだろうキリカは、はたと口を閉じた。

 

「……そんなトコまで見透かしてたのか」

 

 不機嫌そうにキリカが言ったのに対し、キリトはヴァフスを牽制しつつ、器用に肩を竦めてみせた。

 

「リーファの粛正を受けず、結果価値観が変わっていない以上は察せるものもある。もう無理だろうがな」

 

 言外に――お前は、もう自分とは別存在だと、そう言っていた。

 

「さぁ、行け」

 

 キリトが、もう話は終わったとばかりに促して来た。

 キリカの手を引いて、皆の後を追う。

 背後で剣音が響くのを聞きながら、スリュムが居るだろうスリュムヘイム第四階層へと階段を駆け下りた。

 

 






・フレイヤ
 北欧神話に於ける美の女神として有名。
 それ以外にも生と死、豊穣とセイズ(魔術的なもの)も司っているヴァン神族生まれの現アース神族。黄金にまつわる権能も持っており、それもあって度々身柄を狙われるかわいそうな神様。
 でも”性にだらしない”と言われるくらい色々アレな神。
 夫にもそれで愛想を吐かされているし、愛人としてオッタルという人物が居たという。気に入った愛人を猪に変えて乗り回したという話を聞いて、夫に見捨てられた逸話があるが、それでも性のだらしなさは直っていない。

 原作SAOに於いても登場している女神だが、実は……(本文参照)


・キリト
 《女王の請願》クエスト二回目。
 四日間の意識不明の重体、からの三日での復活で割とボロボロな容態だが、それにも関わらず最前線で戦っている。いちおう大事を取って後方支援に徹していた――が、ヴァフスの登場でそうも言ってられなくなった。
 一度真っ向から一人でぶっ倒しているので、案外余裕か。
 時間稼ぎに徹する腹積もり。
 尚ヴァフスはキリトの戦闘技術を記憶している。


・リーファ
 剣の名手。
 北欧神話に詳しい原作キャラその1。
 原作だとスリュム、フレイヤ、トール関連の神話を思い出したのはクエスト終了後らしいが、今話では速攻で思い出した。いちおうキリト視点で直葉の自室に北欧神話関連の書物がある事は描写済み。
 原作に於いてはALOを始めてから興味を持って調べ始めたと思われるが、本作ではキリトがSAOに囚われる以前から北欧神話関連の書物を持っていた事になっている。
 ――そう言えば北欧神話には隻腕の武神が居ましたね……(スメラギを見ながら)


・シノン
 弓の名手。
 北欧神話に詳しい原作キャラその2。
 いじめられっ子だったせいで友達が出来ず、元々一人を好んでいた事も相俟って、図書室の主と化していた詩乃は、蔵されていたあらゆる本を読みこんでいた。そのため浅く広くの伝承・神話知識がある。
 それでも原作より察しが良くなっているのはどういう事か。
 きっと勉強したんでしょうね。


・ユイ
 ちょっとずつ成長しているトップダウン型AI。
 『助けたい』『何とかしてあげたい』という自発的思考を築いている辺り、通常のAIからかなり逸脱している自覚はあるが、その思考が何というかは分かっていない。


・ヴァフスルーズニル
 戦闘狂。
 原典コード・レジスタでも、本家ALOのデータをコピっていた事が原因で、SAO・ALO・GGOの三作を融合させた《SGP》に於いて病没したユウキの事を僅かに憶えている素振りがあった。
 今話のヴァフスもそう。
 原作プログレッシブの《キズメル》という黒エルフ騎士が『夢でキリトを見た』とベータテスト時代の話をしていたが、アレをもっと明確に認識している状態のようなもの。
 厳密には、《女王の請願》が新規ジェネレートされた際に過去ログを参照した時、関係者として名前が挙がったヴァフスのログが、巻き戻されたキリトを知らないヴァフスに反映され、融合した感じ。なので『ID・クエスト状況的にキリトを知らない』のに『ログ・記憶ではキリトを知っている』というあべこべな状態で再登場を果たしている。

 ――小難しく並べたが、要はお前と戦いたいんだよという意思一つで物事の道理を捻じ曲げた存在である。

 キリカの目の前でキリトを求めるから、キリカの眼が曇る曇る()


・キリカ
 ――が、曇るところだったが、オリジナルに諭され、何かを見出した。
 過去が同じであろうと、存在が分かたれ、人間とAIという立場は価値観を次第に変えていく。人間である和人が人間を重視するように、AIはAIを重視し始める。
 リーファに、思慕の念はあるが、向けたところで意味は無いと諦める。
 ならば、同じ存在はどうなのか?
 そして、いまスリュムヘイムに乗り込んでいる究極の目的は、何だったか?
 ――義姉に言われたならまだしも、憎ましいオリジナルに言われた事が癪で、素直になれないキリカであった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。