インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~ 作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス
どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。
国試が終了し、後は結果を待つのみ……なのですが、新生活に向けた引っ越しとか諸々あったせいで執筆出来なかったのが、遅れた原因。やっぱ年度終わり、始まりの頃は忙しい。尚、今もまだ忙しい()
水曜なのに投稿したのはずっと期間空いてたからさ! 次は何時になるか分からんゼヨ!
それでもちょこちょこ打鍵してたんですが、区切り区切りでやってたせいで文体と雰囲気がガラリと違うのは、実力不足故。申し訳ない。あんまり進んでもない。後半戦闘あるけどね!
そんな今話の視点はオールヴァベルさん。
文字数は約一万五千。
ではどうぞ。
「――《アインクラッド》に《ホロウ・エリア》のデータをアップデートする事でオリジナルとホロウとを入れ替える、か……」
《ティターニア》を捕らえている部屋で遭遇したPoH、ホロウキリトと《攻略組》。それぞれ関知しないところで事態が同時進行していたせいで複雑な事になっていたため、オリジナルキリトによって設けられた話し合いの場で、お互いの情報を交換し、複雑に絡み合った内情を紐解いていく。
PoHが画策していた事は、《アインクラッド》から脱落したプレイヤーとまだ生存しているプレイヤーとを総入れ替えする内容だった。
そう告げられ、蒼色の衣装の細剣使いランが口を開く。
「でも、一プレイヤーにそんな事が可能なんですか……?」
その問いは紅の鎧を纏う男に向けられていた。
「事実可能だったから作れたのだろう……だが、疑問が浮かぶな。君が何故アップデートを止めようとしているのか分からない。キリト君に殺された身からすれば止める必要性は無いと思うが?」
ヒースクリフの疑問は尤もだった。事実、自分もその疑問は抱いていた。
PoH――もとい、ヴァサゴ・カルザスはあの少年を高く評価しているが、そこには殺意も混じっている。己を殺し得るだけの逸材と判断しているからこその高評価。そんな相手を殺し得る手段を自ら放棄するのは理に適わない。
猜疑に満ちた数々の視線を受ける男は、飄々と笑った。
「分かってねェなァ……【黒の剣士】はまだ生きてるだろ? そんな状態でアップデートが実行されたら、ソイツは《ホロウ・エリア》に閉じ込められる事になる。そうなったら誰がこのデスゲームをクリアするってンだ」
――。
沈黙が満ちる。
男が口にした言葉の意味を理解したからこその沈黙。誰も予想しなかっただろうその内容に、ある者は目を剥き、ある者は絶句し、またある者は信じられないとばかりに男を凝視していた。
当然、自分もその一人。数多の世界であの男を見て来た己ですらその答えは想像の埒外……――――
――結局そうなっちまったか……もうちっと、お前ェの凄ェところを見たかったンだがなぁ……
――――巡り見てきた世界の情景が、ふと浮かんだ。
無数に広がる可能性の一つ。
親しい者達を斬り捨て、喪った果てに生還した少年が、鍛え上げた己の全てを世界によって否定された『世界』。誰にも認められなかった『世界』――《獣》に成り果て、義姉をも喰らった未来。
その未来の戦場で邂逅を果たした男は、出会い頭にそう言ったのだ。
そして男は斬り捨てられた。
男の言葉は、ともすれば見知った少年であれば届いたかもしれない。誰かから認められる事を渇望していた彼ならその歩みは止まったかもしれない。だが彼は既に《獣》に成り果てていた。だから言葉は届かなかった。届くべきものが、消えていたから。
――この男が彼の事を高く評価していると思ってはいたが……よもや、これほどとは。
今の男の発言は、このデスゲームをクリアする者はキリトだと認めているも同然だった。それほどの実力があると認めているのと同時に彼だけがそれを為し得ると言っている。逆に言えば、彼が死ねばデスゲームはクリアされないと確信を得ているようにも取れる。
実際キリトが居なければデスゲームは全滅する結末に終わってきた。己が知る過去と食い違いが激しいこの世界も、凡その流れが同じである以上はそこも同じと見ていいだろう。
だが、これは時を渡り来た己だけが知る事実。
――まさか、この男も世界を渡って来た……?
時を渡る術には幾つもの制限がある。しかしその全貌を明らかにした訳では無いから、自分が知らない条件があってもおかしくないし、逆に自分には無いメリットを伴って越えている事だってあり得る話。未来の自分の意識を過去の自分に飛ばし、憑依させる事だって可能なのかもしれないのだ。それを立証する事も否定する事も出来ないが……
だが、これはあくまで勘だが、恐らくこの男は時を越えていない。仮に越えていたとすればホロウキリトやアルベリヒ達の事について後手の対応をしている点が不自然になる。
だからPoHが口にしたキリトに対する評価は素そのもの。現時点で抱いているものと考えて良いだろう。
……彼の理解者としては非常に遺憾のある男なのが考えものだが。
「……どういうつもりだ? 俺を持ち上げたところで良い事は無いぞ」
「オイオイ、褒めてんだから素直に受け取っておけよ。俺が他人を賞賛するなんて滅多に無ェんだ……つーか、お前ェは自己評価が低過ぎるし、他の連中はコイツを下に見過ぎてる。数十人集めてやっとのフロアボスも殺しのプロが率いる殺人集団も一人で相手取れるヤツでも無理なら、他に誰がデスゲームをクリア出来るんだよ。そういうとこを込みで考えてお前ェが一番ゲームをクリアする可能性が高いと俺は踏んでるだけってハナシだ」
自信満々に言い切る男の言葉に、《攻略組》からどよめきが起こる。半数は少し前まで彼を見下し、認めようとしていなかった面々だ。殺し合った敵であるPoHが言うと説得力を帯びているせいか、今まで彼に下していた評価が揺らいでいるらしい。
それは当然だ。根拠のないフィルターのみで下された評価は事実と全く異なっている。それではギャップが生じるのも必然。
それが今起きているだけ。彼の価値をしっかり見始めたという事なのだ。
――やはり……今まで見て来たどの『世界』とも、違う。
PoHは今、GM権限を持って暴れているアルベリヒの危険性を優先し、キリトが生きている事もあってアップデートを止めるべく動いている。
だがこれまでの『世界』のPoHはこの時点ではアルベリヒの事を把握していない。ホロウキリトを嵌め、殺し合い、敗れた後、アップデートを阻止され、以降は《ホロウ・エリア》で延々と殺し合いが続いていた。オリジナルのキリトは最前線攻略を続けていたのでアップデートの事は知らないままだったのだ。
だが、今はアルベリヒを追って《ホロウ・エリア》に来たオリジナルキリトが、アップデートの事を知り、PoHと対話を試みている。
アルベリヒが暴走を始める時期が変わるだけでここまで違うものなのかと驚嘆を抱く。少なくとも、現状まだ悪い方には転がっていない。
「――そういう訳で、ゲームクリアにはキリトが不可欠って考えてる俺は、コイツに取引を持ち掛けた」
少しして、このままでは一向に進まないと見たらしいPoHが、話を進めた。隣に立つホロウキリトの頭に手を置きながら口にした内容に、オリジナルキリトが目を眇める。
「取引……ホロウの俺が応じるとなると、皆かそれ以外かを天秤に掛けたんだな」
「That’s right。プレイヤーのお前ェらを取るか、NPCの義姉を取るか選べって言ったんだ。女どもは死なねェよう閉じ込めておけばいいって言ってな」
アップデートが実行されると浮遊城側にいるプレイヤーは死亡判定を受けるだろうが、《ホロウ・エリア》に居続ければ生存状態でもいられる。そう言う事でホロウキリトを誘惑したのだ。
「その時点では俺もPoHの思惑を知らなかった。だから、何を企んでいるか知る為に、その誘いに乗ったんだ。サチ達を突き落とす事も含めて。万が一を考えてユイ姉が入ったネックレスを渡していたけど……」
PoHの思惑を知る為に敢えてその誘いに乗ったホロウキリトは、サチ達を閉じ込めるという点を過信してしまった。《ホロウ・エリア》側にいるホロウアバターのプレイヤーが《アインクラッド》に居るなら、纏めて殺してしまえば一緒に浮遊城へ行けるとPoHは考えていて、落下先にはレベル一五〇が蔓延る高難易度ダンジョンが広がっていたのだ。
保険として渡していた義姉のネックレスが功を奏して、彼女達は一命を取り留める。
――この流れは同じ、やはり時期が異なるだけのようだ。
「サチ、ルクス、本当に悪かった……ごめんなさい……」
ホロウキリトは謝罪と共に頭を下げた。前髪で隠れる寸前に見えた表情は罪悪感に歪んでいた。守ると誓った人を、半ば故意で危険に晒したのだからそうなるのも当然と言える。
仕方なかったのだと、そこで開き直らないのは彼の美点である。頼ろうとしないところは欠点だ。
「……本音を言うと、相談して欲しかったかな。信頼してるからこそ突き落とされた時は哀しかったから。でも謝ってもらったし、凄く反省してるみたいだから……今回は許すよ。でも、次からはちゃんと相談してね」
ゆっくり近づきながら、口元に笑みを浮かべつつも沈痛の面持ちで言う槍使い。
そんな彼女の顔を、少年はおそるおそる見上げた。叱られる前の子供そのものの素振りと不安そうな面持ちだ。
「……怒らないのか……?」
「怒って欲しいの?」
少年の問いに、間髪を入れず女性が問い返す。ふるふると少年は首を横に振った。
「だよね……悪い事をした時に叱りつけるのってさ、反省を促すためにする事だから。既に反省してる子を叱りつけるなんて無駄な事はしたくないよ」
それに、と女性は言葉を続ける。
「『怒る』のと『叱る』のは全然違うよ。感情をただぶつけるのが『怒る』事だと思う」
「……じゃあ『叱る』は……?」
「相手の事を想ってる。だから反省を促すんだよ、悪い事をしてたら自分の為にならないって伝えるために。だから怒らない。でも叱るよ、だって哀しかったのは本当なんだから」
そう言って、女性はホロウの少年を抱き締めた。呆然と腕に抱かれた少年は、じわりと表情を崩し始め、しまいには彼女の肩に顔を埋めて嗚咽を洩らし始めた。
――『叱る』のは反省を促す事。
だとすれば、彼女が優しく接する事こそ、ホロウの少年にとってはこれ以上はない叱責に違いない。彼女の心を傷付け、哀しませ、ましてや死なせる寸前だったのだ。彼女が生きている事を直に感じられる事こそが己の行いを省みる最大の行為である。
覚悟が固かった少年が容易く嗚咽を洩らす事になったのもそのせいだ。元より自責感の強い少年は、ああいう接し方にはとかく脆いから。
優しさを感じられる叱責に飢えているからこそ、脆いから。
「……ルクスは、何も言わなくていいの?」
「この空気で彼に文句を言うのは流石にね……十分反省してるようだし、私から言う事は特に無いよ。言いたいことはサチに言われてしまったから」
「そっか」
やや離れたところで仲良くなったらしいユウキとルクスが話していた。彼女も被害者ではあるが、先に言われてしまったからここは無言を貫く事にしたようだ。
――オリジナルキリトは、泣きじゃくる自身のホロウと、サチを複雑な面持ちで見詰めていた。
だが特に言及する事は無く、視線をPoHへと戻す。元より彼は『罪を憎んで人を憎まず』のスタンスを基軸にしている。サチ達を危険に晒した行いに怒りを抱きこそすれ、それをぶつけるのは当事者である彼女達の問題。当事者が許したなら言及しないと決めたのだろう。
「ホロウの俺については理解した。PoHが管理区最深部のコンソールを目指している理由についてもな……ただ、疑問が一つ。オリジナルの俺はこうして生きている。さっきまではホロウの俺をオリジナルと捉えていたようだが、どちらにせよ『死んでいない』と捉えていたんだろう? なのに何故アップデートを止めようと? お前と一緒にいた俺を殺せばアップデートを止める必要は無くなると考えそうなものだが」
「GM権限なら、仮にアップデートを実行してオリジナルがいれなくしても、あっちに戻れるだろ? ならあっちとこっちにそれぞれ一人ずつ事情に精通したヤツを残しておく必要がある。《アインクラッド》に戻る側のヤツはゲームクリアが出来るヤツじゃなきゃいけねェが、こっち……つまりGM権限のヤツを止める方は、そいつを止められればそれでいい」
「……お前はアルベリヒを止めるべく《ホロウ・エリア》側に回るつもりなのか。だからアップデートを止めようと……」
次々と明かされるPoHの思考に驚愕しかない。
この男は、ここまでの事をするような性格だっただろうかと猜疑心に駆られる。むしろ他人を蹴落としてでも自身を生かそうとする外道だったように思っていたが。
「――解せないな。最初は俺と殺し合う事、ないし復讐が目的と思ってたが、そうではないようだし……お前にそうまでさせるものは何だ?」
その違和感は彼も感じていたようで、訝しむように疑問を口にする。
「――生きたいんだよ、俺は。死にたくねェ」
少年の問いに、感情の籠った声で答える男。それまではどこか飄々とした、こちらを弄ぶような声音だったのに、その答えだけは真剣な色があった。
「……死にたくない、生きたい、か」
「ああ」
「――なら、どうしてお前はレッドギルドなんて立ち上げたんだ……!」
そこで、非難の声が上がる。
「お前がレッドプレイヤーを煽動なんてしたから被害者は多くなった、オレンジギルドが活発化したからだ! それを分かって言ってるのか?! お、お前のせいで……! お前の《笑う棺桶》のせいで、俺の友人は殺されたんだぞ!」
そう非難するのは《血盟騎士団》のギルドマークがついた青年。血走った眼と怒りの形相でPoHを睨み付け、悪罵を吐き続ける。
「知るかよ、ンな事」
対するPoHは呆れたように溜め息を吐く。
「俺は確かに《笑う棺桶》を立ち上げた、レッドギルドというシステム外の概念でな。それで犯罪や殺人が横行したのは認める。というか、むしろそれを狙ってた」
「な……狙って、た……だと?!」
「ああ。お前ェは知らないかもしれねェが、最前線攻略組からオレンジやレッドに流れたヤツはそこそこ居るンだぜ? 中には最初っからシステムグリーンのオレンジ常習犯だって居た。勿論途中からオレンジと関係を持ってたヤツだっている。キリトなら知ってるだろ」
そう、少年へと話を振る。注目を浴びた少年はやや恨めしそうに男を見返した。
「……ああ、居たよ、ボス攻略レイドにも一定数。攻略ギルドにも多少潜伏してた。レッドギルド結成宣言を契機に大半が抜けてたけど」
「ま、待ってくれ。まさかあの時期に攻略組脱退を申し出る人が多かったのは……」
「慢性的に抑圧してた犯罪欲求を満たせる環境が生まれたんだ、余程鬱屈してない限りはそっちに流れる。SAOに法律は無いから本人のモラル次第だしな。居残ってたのは《笑う棺桶》メンバーだけだ」
「それって……」
「《血盟騎士団》のクラディール、《聖竜連合》はモルテ、《アインクラッド解放軍》はウォルテ」
「全員第一層の頃からの最古参じゃないか……!」
クラディールは第一層の頃から運よく《両手剣》を修得し、アスナ目当てで《攻略組》入りした粘着質な痩躯の男。
モルテは第一層の時点でPoHと接触し、精神のタガが外れた男で、《片手剣》と《片手斧》を巧みに切り替える元ベータテスター。
ウォルテはキバオウの参謀兼側近として活動していた男で、突出した能力は無いが組織の管理能力は高い仕事人な男。
どのプレイヤーも第一層ボス攻略の時点から入り込んでいた者達で、だからこそ少年以外から疑われる事が無かった。
「おいまさか、モルテがいきなり行方不明になったのって……」
「《圏内事件》の時に色々あって、俺が殺した。クラディールは七十五層迷宮区攻略中に露見して捕縛、ウォルテはリーファ達が攫われた時にキバオウ達と纏めて殺した」
「……知ってたなら教えてくれても良かっただろ」
「『敵を騙すならまず味方から』と言うだろう。それに《笑う棺桶》のメンバーは誰もが相手を殺す事に躊躇しない、ミイラ取りがミイラになっても困るから敢えて言わなかったんだ……言ったところで、リンド達が信じたとも思えないし」
「ぐ……」
ボス攻略以外で顔を合わせれば即完全決着デュエルを仕掛ける程に険悪だった仲だ。何を言っても信じず、むしろ火に油を注ぎ、誅殺隊へ過剰に盛った情報を流していた光景は想像に難くない。
「――話を戻すが、『生きたい』からアップデートを止め、《ホロウ・エリア》側でアルベリヒを抑えるのに回るのか」
「ああ。元々《笑う棺桶》を立ち上げたのだってそのためなんだぜ?」
「……死期を早めるだけなのに、それまで暗躍に徹していた男が何故レッドギルドとして表明したのか違和感を覚えてたんだが……そういう事か。ゲームクリアを目指す《攻略組》が壊滅しないよう裏でオレンジを操る事にしたんだな」
「ククッ……そういうこった」
それは、知らなかった。キリトの事を高く評価している男は殺し合いたいが為に敢えて存在を知らしめたのだと思っていたのだが、そんな事を考えていたのか。
でも考えてみれば、確かにそうとも取れる事は幾つかあった。
レッドギルドとしての表明を契機に多くのオレンジが活気付いたが、キリトもまたそれを契機にレッド・オレンジキラーとして活動を始め、犯罪行為の抑止となった。逆に言えば、PoHのような悪のカリスマ足り得る人物が台頭しなければ慢性的かつ散発的に犯罪が横行し、多くのオレンジの行いを止められなかった訳だ。
更に《攻略組》に潜伏していた数多のオレンジ達を表向き平穏に離反させ、己の下に集めた。それは質で言えば本気でゲームクリアを目指す者達だけになったという事。内部崩壊が起きるリスクが下がったとも言える。
そして極度の犯罪行為に手を染める者達は《笑う棺桶》に属し、それ以外はオレンジギルドのメンバーとして活動を始め、明確に犯罪者かどうかが分かれるようになった。だからキリトも独自のルートで情報を集め、裏で活動しても、攻略が間に合う程の効率を保てていたのだ。
――それを、PoHが狙った上で《笑う棺桶》を立ち上げたのだとすれば。
それは確かにゲームクリアに繋がっていると言えるのではないだろうか。
「そんなの、詭弁だろ……!」
「詭弁もなにも俺は言い訳はしてねェぜ? 大体お前ェの友人が死んだってのも、せいぜい数人に囲まれた程度だろ。コイツを見下して自分を過大評価してたバカの末路ってヤツだ」
「んだと……!」
《笑う棺桶》のメンバーに友人を殺された過去から怒りを再燃させている男が噛み付き、PoHは軽くそれをあしらう不毛な応酬が繰り広げられる。頭に血が上った青年が遂に腰の剣の柄を掴んだ。
――引き抜かれる寸前、柄先に添えられる小さな手。
音も無く、少年が距離を詰め、柄を押さえ込んでいた。
「な、《ビーター》……?!」
「PoHはああいうヤツだ、感情的になればなるほど遊ばれる。PoH、お前も趣味が悪いぞ、評価してもらえるのは嬉しいがそれで他者を貶めるな」
青年を説き伏せた後、黒ポンチョの男へ鋭い眼差しを向ける。PoHは喉の奥で嗤い、肩を揺らした。
「おかしな事を言うな。誰かを褒めるって事ァ、つまり誰かを貶めるって事だ。それはお前ェが一番よく知ってるだろ?」
「知ってるからこそ『意図的にするな』と言ってるんだ――これ以上、おれが言う必要あるか……?」
――彼の顔から感情が消え失せた。
今の彼の人格が、三つの人格統合の最中に弾き出された『オリムライチカの意識』である事は、自分も把握している。だからこそ背筋がゾクリと震えた。
あらゆる世界で見て来た《獣》。それは普段の『彼』とは別の人格だったが、その根幹には確かに《オリムライチカ》としての意識が、記憶――感情があった。今の彼は己を残り滓と称したが、それでも《獣》になり得る断片を持っている。何時殺意に堕ちるか分からない。
《獣》の在り様を、『彼』の成れの果てを知っているからこそ、恐ろしいのだ。
――――《獣》は、何からでも成り得る。
今までが《オリムライチカ》から成ったように。
《キリガヤカズト》としても成り得るのだから。
*
PoHの動機と目的、ホロウキリトの行動について把握したキリトは、次に自分達側で何があったかを端的に語った。
アルベリヒが逃亡する事になった原因を彼は己の人格統合に際してアバターを消した事が原因と考えているようだが、実際はシノンのループする悪夢を止める為に具象化した事が原因である。その事を彼は理解しているかは分からない。仮に理解していても、シノンへ悪意が向けられる可能性を考慮して、敢えて自身へヘイトが向くよう考えていてもおかしくないからだ。
流石にシノンの件と人格統合について省いていたが、必要な事だったと言いながら《攻略組》がどんな状態にあり、GM権限を持つアルベリヒがどのような悪事を働いていたかはしっかり伝えられた。
PoH達と遭遇するまで何があったかのあらましを聞き終えた男は、難しい顔で腕を組んでいた。
ホロウキリトもサチと並ぶ形で冷静さを取り戻している。
「……予想以上にヤベェな、そいつ」
情報を共有した男は、開口一番真剣な声音でそう言った。
「人間の記憶と感情、認識の改竄、そしてコピー体……さっさと手を打たねェとジリ貧どころじゃねェぞ。その気になりゃここに居る連中全員の完全コピーだって出来る理屈になる。これまで相手にしてきた雑魚ホロウ共が本物と同等の強さになって、それに加えて量産されたら手に負えねェ」
「ここまで知っても、お前はあくまでヤツとは敵対するスタンスなんだな」
彼我の絶対的な権限差を知ったPoHがアルベリヒと敵対し、自分達と協力関係を取ろうとする姿勢に、キリトが言及する。
――万が一にも土壇場で裏切られたら困るからこその粗探しだろうか……?
もう自分には、この世界の事は何も分からない。きっと今の自分が幾ら予想しても大抵は当たらないと思える程に劇的な変化を生じているから。
愛する義弟の思考すらも、最早トレース出来ない。
「意外か?」
片頬を釣り上げながら、面白がるような問い掛け。腹の探り合いには無い会話を楽しんでいると感じる軽さだ。
「……生きる事だけを考えればヤツはGM権限を何故か貫通出来る俺以外には殺されないから、クリアはほぼ確実だ。だから正直不可解という印象がある」
「――だが、それで今後無事とは確約されてねェだろ? 性根の腐った人間ってのは用済みになったヤツをゴミみてェに捨てるからな。だから信用出来るお前ェらを利用させてもらう、俺が俺のまま生き残る為にな」
それに、とポンチョから覗く相貌が喜悦に歪められた。
「俺の行動の何から何まで対処したお前ェならそいつの計画をぶっ壊せるって確信してンだよ」
――それは後ろに居る連中だって同じだと思うぜ?
続けられた言葉に、キリトはほんの微かに息を呑み、瞠目し。
「……裏切ったら、もう一回殺すからな」
敵意と殺意――そして僅かな歓喜が込められた声音で、そう言った。
*
――自分が知る数多の『世界』に於いて、キリトが《攻略組》のリーダーとなる事は一度も無かった。
《攻略組》の正式なリーダーは彼では無いからだ。
主要メンバーの中では情報量や冷静な観点を持つ少年が舵を握る事が多いが、レイドとして動く際には彼の意見を主軸として話し合って導き出された方針に沿ってヒースクリフやディアベル、アスナといったリーダーとして対外的に認められているプレイヤーが全体を動かしている。それに彼は沿うように動きつつも独自に行動を取り、周囲のリカバリーに入るのが基本だった。
その動き方をかつての《聖竜連合》やキバオウを始めとした《ビーター》に反感を持つ者達は批判していた。協調性が無い、攻撃や回復のタイミングがズレて管理が難しくなるなどが主な意見として挙げられている。それらは彼に対抗して前に出過ぎるせいで回復や交代の頻度が多くなりがちなのが原因なので見当違いなのだが。
ともあれ、彼の独自行動には前線維持、攻略組のリカバリーというれっきとした理由があり、それはヒースクリフ達も認知している事だったので、表向き注意する場面はあれど本質的には止めるつもりが無い恰好だけなのが殆どであった。
――直接彼が指揮を取れば、スムーズに事が運ぶボス戦は幾つもあった。
それは『死者が出ない』という意味では無い。動体視力を始め、あらゆる行動に付随する反応速度がずば抜けて高い少年であれば、ボスの予備動作から攻撃パターンを見抜く事は、少なくともヒースクリフ達よりは容易である。しかし彼の注意喚起は直接行ってもキバオウ達の反感を呼んで却って前進する事が頻繁に見られたため、指揮を担う者を介して注意を促すというワンクッション挟んだ非効率的な形式を取られていた。それを無くすだけでも効率はグンと上がっていたのだ。
ただ彼は《ビーター》という必要悪の立場上、それを許されはしなかったし、しようとはしなかっただけの事。それはこの世界の彼も同じ筈だった。
しかし、違った。
どこかで何かが分岐して――彼は、その立場を許されていた。彼自身も変わって、リーダーとして集団を指揮するようになっていた。
「――右の二振り、横薙ぎ! 後退!」
宙に浮き、無数の武器の射出と自前の《射撃術》によって援護する少年が、地上で盾を構え戦線を維持する男達に声を掛ける。
間髪を入れず、男達がおうっ、と野太い声で応じ、盾を翳しつつ素早くバックステップ。敵の横薙ぎは横に並んだ盾に衝突し、男達を大きく後退させる。その場で防御姿勢を取っていれば敵の武器の形状で横から穿たれていた彼らは、少年の指示に従った為に事無きを得ていた。
「左の二振り、十字斬り! 後退!」
――ほっと、安堵の空気が流れそうになった瞬間に放たれる鋭い指示。
一秒後、敵の左上部の鎌が縦に、左下部の鎌が横に流れ、十文字の紅い斬閃を空間に刻み込む。標的にされていた男達は、しかしまた後退したためダメージは微々たるもので留まっていた。
ほぼ空振りに近い形で振り抜かれた鎌は大地に刺さり、敵は隙を晒した。
「サチ! シノン!」
「――やぁぁああああっつ!」
「ふ……!」
再び飛ぶ指示。名指しされた槍使いの女性は、紅の魔槍を回して逆手に持ち直し、肩に担ぎ、深紅のオーラが穂先から迸らせる。
一方、もう一人の名指しされた女性――弓使いのシノンは、少年と同じように宙に居た。常に飛び続けているのではなく、今だけ風を推進力に宙へ飛び出ただけだ。その方が狙いを付け易いから。弓に番えられた矢は眩い光に包まれている。
――そして、放たれる。
紅と蒼の光条は、ほぼ同時に敵の頭部へと着弾した。衝撃が空間を響かせ、地鳴りを引き起こし、鳴動させる。それほどの威力が込められていた。
一撃でも桁違いの威力を二つも受けた敵は堪らず地に臥す。その頭上には《一時行動不能》を示すアイコンが表示されていた。
「――総攻撃ッ!」
瞬間、種々様々な輝きが瞬いた。
紅。赤。赫。朱。蒼。青。藍。碧。黄。橙。金。緑。碧。翠。紫。紺。群青。茜。黒。白――数え切れない輝きと色の斬閃が飛び交い、敵の巨体に赤い傷跡が増えていく。
剣と盾を振るう騎士がいる。
巌の如き果敢な商人がいる。
炎の如くアツい侍がいる。
紫紺の輝きで穿つ少女がいる。
紺碧の光を放つ少女がいる。
純白の閃光を奔る少女がいる。
新緑の輝きを振るう妖精がいる。
空を切る光を放つ少女がいる。
深紅を放る少女がいる。
聖竜を纏める男がいる。
血盟に集った男がいる。
二刀を振るう少年がいる。
短剣を振るう殺し屋がいる。
認められず、貶められ続けた少年の指揮がある。
決して交わる筈のなかった男が、そこに加わっている。
ある筈の疑念が無い。無かった筈の信頼がある。あり得べからざる光景が、ここには広がっている。
――なんという光景だろう、これは。
最早虫の息となった敵から距離を取り、総攻撃を続ける者達を俯瞰する。今まで実現しなかった光景に幾度目かも分からない驚嘆を抱く。
決して交わる事のない存在だった《聖竜連合》が、《アインクラッド解放軍》が――そして棺桶どもの首領が、少年の指揮を受けて戦線を共にする事など考えた事も無かった。あり得ないと断じ、融和の道を既に切り捨てていたからだ。彼を貶める者達が意志を翻した事が無かったからだ。
「妾は……――わたしは、ようやく……彼を……彼の……」
息絶えた敵と群がる集団から、宙から戦場を俯瞰する少年へと視線を移す。少年は眼前に出現したリザルト画面と、部屋の中央部の空間に浮かんだボス討伐を表す金文字を見て、一息ついたところだった。
「キリトー!」
「は……?!」
勝利の余韻に浸る間もなく、敵を激しく穿っていた紫紺の少女ユウキが笑顔で名前を呼ぶ。手を振りながら彼の足元まで走り――ぴょん、と軽く跳躍。その跳躍だけで、地上から高さ十メートルほどに浮いている少年の下まで跳び上がってしまう。
ステータスを弄られ、最大値まで強化されたため、あれくらいは余裕でこなしてしまうのだ。
それを分かってはいても、唐突な変化に適応するのは難しい。少年もその一人だった。まさかひとっ跳びで滞空している自身の下まで跳んでくるとは予想していなかったようでぎょっと目を剥いている。そんな彼に跳んで抱き着いた少女は屈託なく笑い、慌てて抱き留めた少年も苦笑を浮かべ、ゆっくりと降下を開始する。
そこに作られる人だかり。
「いやー、やっぱお前ェが指揮すると対応がダンチだな! 指示が的確で分かりやすいしよ!」
「ほんとほんと! まさかここまで簡単に倒せるなんてね!」
「ちょっと二人共、それって私や団長の指揮は分かり辛いってこと?」
「いやいや、ンなつもりで言った訳じゃねェよ?! アスナのも分かりやすいけど、その……なんつーか、あれだ、安定感が違うんだよ、やっぱ。ずっとリカバリーしてたキリトは俺らの事も把握してるからやりやすいんだ」
「えー、私も頑張って把握してるのにー……」
「みんなステータスがカンストしたから多少無理してもゴリ押せるから上手くいったんだ。ホロウの俺がリカバリーしてくれてたし……でも、まぁ……ありがとう……」
「キリトが、素直にありがとうって……」
「失礼な。俺だって礼くらいは言うぞ、俺を何だと思ってるんだ」
「でも普段ならお礼を言う前に言葉を止めてた自虐か謙遜してるし……そうか、遂にデレてくれたんだ!」
「デレ言うな!」
――残り滓と自身を称した人格の『彼』は、シロや《獣》といった別人格とは違い、これまで彼女達が接して来た少年そのものと言える。《オリムライチカ》の意識で生きて来たからだ。
そう分かっていても、朗らかに笑い、照れ、羞恥に声を荒げる様は、まるで別人。
彼が今までずっと自分を押し殺して来たから見れなかっただけ。あれが、本当の素なのかもしれない。
「……ユウキ、か」
今までの世界と較べて、人格に大差は見られない。だが少年に向ける感情や想いは遥かに強くなっているのは確か。義姉を始め、恐らく彼女を含めた多くの人間関係が、自分が見て来たどの世界のそれよりも深く密接なものになっているのだ。
それを証明したのが【絶剣】ユウキ。
唯一、感情と記憶の改竄を自力で振りほどき、少年の下へと帰った者。
「もしかしたら……本当に、この『世界』なら……」
――この『世界』なら、彼は幸せになれるかもしれない。
幾度となく夢見て、目指して――半ば絶望し、諦観も抱いていたそれが現実味を帯びて来た事に、期待が胸に湧き上がった。
はい、如何だったでしょうか。
前半のラスト(PoHがキリトを賞賛)と後半のラスト(クライン達がキリトを賞賛)の部分は対比です。PoHは『キリトを持ち上げつつも他者を意図的に貶める』のに対し、クライン達は『素直にキリトを褒めている』という描写。表と裏で生きる世界が違う者達の対比でもあります。
その中間にいるキリトェ……
それと前半でPoHが《笑う棺桶》を立ち上げた理由の部分は、これまでのPoH視点で描写されている事が暗喩されており、キリトはそれを察しました。自分がオレンジ殺しに動く事を想定した上で動いた、それは《攻略組》の質を上げる為だったのだ、と。ヴァベルは色々知ってる立場なので特殊。ヴァベルはキリトに近しい存在ですが、現状まだオブザーバー(傍観者)に立ち位置が近いのでほぼ第三者視点になる、だからこそ書きやすい。つまりキリト達の行動・思考を曖昧にすることで伏線に出来るということ(尚伏線に出来ているかは……)
後半の戦闘はキリトの指示と『左右に腕が二本ある』『武器が鎌』『ボス撃破を示す金文字』という描写から分かった人も居るでしょう。原作ゲームのジリオギア大空洞のエリアボス《ザ・ホロウ・リーパー》でございます、本作ではユウキに一人でリンチされちゃったアレですね。それをキリト、ホロウキリト、アスナ、リーファ、サチ、ルクスを除くステカンストの《攻略組》で相手取った訳です。
遠距離からも攻撃されてるし、シノンとサチが重攻撃でノックバックさせたりスタンさせるので、最早ボスは涙目である(キリトが一人居る時点で勝ち目はない)
――何故《攻略組》がエリアボスと戦ってるのか。
この描写は今回敢えて省いてます。というのも、これまでの話で出てる情報を並べれば、自然と導き出るので、ストーリー進行の為に省きました。
PoHはアップデートを実行する為に、全てのエリアボスを倒した事で管理区最奥のコンソールに辿り着けました。
そしてアルベリヒが居るのは管理区最奥。
でもキリト達はエリアボスを倒してないので、残りを倒さなければならない。《攻略組》が一緒に行動してるのはキリトが居ないとアルベリヒが襲撃して来た時にどうしようもないから。また攫われたら面倒だし操られたら手に負えないから近くに置いてる。幸いほぼ全員キリトよりステータスが上なので。
ユウキはその高ステータスをジャンピングハグに使ったけどね(笑)
……カンストステータスが何十人もいるならむしろキリト要らない感あるけど、やっぱ指揮は大事なので。
《攻略組》(ほぼアンチ勢)がキリトをどれくらい信頼・信用し、受け容れ始めてるかを、ヴァベル視点で映す事によって、どれだけあり得なかった事かを強調する為でもある。
――それもこれも七十五層で引っ掻き回したヤツが分かりやすい『悪』になってくれたお陰だね!
では、次話にてお会いしましょう。
――なお、PoHの『生きたい』というのは本能であり、欲望や目的はほぼ口にしてない模様()
キリトと二人っきりだったら高確率でぽろっと本音を漏らしてくれたかもしれないね!(殺し愛)