インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。

 今話はキリト、????、ユウキ、キリト、クライン。????が誰かはすぐ分かります(多分)

 文字数は約二万四千。以前あった前編後編を合体させたものです。

 ではどうぞ。




第百二十八章 ~超克~

 

 

 

 ――意識が飛翔する。

 

 

 

 遠ざかる五感。音と光が遠のいて、自己を認識する為の情報が薄れ、曖昧になっていく――微睡みに誘われる感覚。眠る度に覚えるもの。

 ――それらが遠のく。

 瞼を開く。視界に広がるのは滅んだ世界――それと、灰白の大地を埋め尽くす、白骨化したヒトの頭蓋。足の踏み場もないくらい散乱しているそれらはそこかしこで山を作っていた。更に、以前は無かった日食の太陽が黒の曇天から顔を覗かせ、どろりとした紅い粘液を滴らせる。

 以前見たのは、黒の曇天、灰白のひび割れた大地、黒い雪。今は頭蓋、血を滴らせる日食が追加されている。

 追加されたモノが、こちらに干渉してきたシロい何かによるもの。そう考えれば痛みを受けてでも力尽くで抑え込んで正解だったと思える。自分の直感は当たっていたのだ。

 次に自分の恰好を見る。

 見慣れた黒尽くめのコート姿では無く、汚れが目立つ白い病衣の恰好だった。手袋は勿論、靴も靴下も無い。裸足の状態――研究所に攫われて着せられたもの。

 初めて精神世界に来た時はフード付きの黒コート。二回目は前開きの黒コート。そして今回はそれらよりも更に前、研究所に居た頃の衣装。

 もし、さっきまでこちらに干渉してきたヤツの影響なら、恐らく……

 

 ――禍々しい様相になった昏い世界に、白と黒が滲む。

 

 何も無い空間に生まれたシミのような二色。それは渦を巻き、混ざり合い、容積を増やし、面積を増やし――ヒトガタとなった時、弾けた。中から人が現れる。

 ――そこに居たのは、瓜二つの自分。自分とシロを混ぜたようなごちゃまぜな色合い。

 白髪だが、黒も混ざっている。黒に白いシミが散乱している――そんな、白と黒が侵食し合っているような色の相手は、同じく白と黒の混ざり合った病衣を纏って、頭蓋の上に降り立った。

 俯かれた顔が、上げられる。

 金色の瞳と目が合った。

 ――悪寒が背筋を走る。

 

「――お前は、何だ?」

 

 気付けば、そう言葉を発していた。問わなければならないと理性が騒いでいた。己との境界線を明確にしなければ自己を保てない――そんな確信があった。

 黒と白が混じった『俺』は、無表情のまま口を開いた。

 

「《オリムライチカ》から分かたれた一片、封印されていた最後の人格。負の感情の廃棄孔」

「……負の感情の、廃棄孔」

 

 短い答え。その中に、幾つもの事実が含まれていた。

 

「――アレを見ろ」

 

 廃棄孔と自身を称した人格が血を滴らせる皆既日食を指し示す。一点だけ光が残っているそれは、もう間もなく全てが闇に呑み込まれ、闇の太陽となるだろう。

 

「アレは、《オリムライチカ》の心。総体。おれとおまえの象徴」

「……黒い部分は」

「怒り。憎しみ。殺意。絶望……およそありとあらゆる負の感情。白い部分はおまえ自身」

「アレがか……」

 

 改めて皆既日食を見る。真円の黒、その一点だけ残った白が自分だと言う。つまり逆、あの黒い部分は目の前の人格を構成するものなのだろう。

 ――シロはどうなのだろう。

 やり取りをしながら、疑問に思う。

 摩天楼、あるいは滅んだ世界のどちらにも顔を見せたシロが、今は居ない。あの皆既日食を構成する要素にすら挙がらないのはどういう事か。

 

「シロは? 心象世界にはシロがいる筈だ」

「もういない」

 

 端的な答え。

 何となく、察してはいた。『封印されていた』という部分で察せた。以前心象世界に来た時に見た鎖で雁字搦めにされていた棺桶が、今は空の状態で近くに放られている。そうしていたのがシロで、中に入っていたのが廃棄孔だったと考えれば辻褄が合う。

 

「消したのか」

「違う、取り込んだ」

「……白色が混ざってるのはそのせいか」

 

 それは流石に予想外だった。確かに自分とシロが混ざればあんな感じになるかも、と近い事は考えたが、本当にそうだとは思いもしない。

 

「そう――そして、おまえを取り込む事で、おれはおれの復讐を始められる」

 

 音も無く、廃棄孔の足元から赤黒い血が立ち上り、顔を除く全身を包み込んだ。ぐじゅぐじゅと生々しい音を立てて廃棄孔の体を食んでいる。俺を殺すべく戦闘準備をしているのだ。

 ――何故薄汚れた病衣になっていたのか。

 それは廃棄孔と俺が分かたれた時の事。アレが《オリムライチカ》としての――――すなわち自分達の負の側面であるなら、研究所に居た頃は確かに負の時代と言える。それに引きずられて自分もあちらも恰好が病衣だったのだ。

 そう考えると、初回でのフード付きコート姿も納得がいく。あのコートはISの標準防具、シロが分かたれた時がコアを埋め込まれた時だというのが真実なら、シロの心象を反映させた世界であれだったのも頷ける話。その割にはシロ自身は前開きコートだったのが気になるが、最早それを詮索しても意味は無い。

 ――想像する。

 この身を包むは黒き外套。背に負うは未来を切り開く愛剣達、真理を求め、闇を払う二本の剣。心には、この世界で集めた無数の武器が蔵されている。

 強く、念じる。

 強く強く想起する。

 ――感触が変わった。

 慣れ親しんだ革の肌触り。背中に背負う頼もしい重み。手を覆う指貫手袋、足を覆う鋲付きブーツの硬さ。見やればずっと死線を共にしてきた愛用の装備に身を包んでいる。胸鎧、籠手と脛当ては無いが、あれらは持ち味のスピードを殺す事になるから、殺し合いに於いてはこちらの方が都合がいい。つまり今の自分のフル装備がしっかり再現されていた。

 そして、廃棄孔――シノン曰く《獣》――の方も、準備を終えていた。

 黒色に染まった筋繊維と、その筋を走る細く白い線。全身のあらゆる筋肉がそれらに染まっている。総身を覆うそれはスーツと思える格好だ。素早くしなやかな動きをする為にはうってつけと言えるから、あちらもほぼ同じスタイルなのだろう。

 その姿の《獣》が剣を手にした。黒と白の片刃片手剣を組み合わせた両刃の長剣――《クロスブレイド》。《ⅩⅢ》を手にしてから唯一使っていない特殊武装を左手に持って構えた。剣を持つ側の半身を引き、切っ先を敵に向け肩と同じ高さまで持ち上げる構えは《ヴォーパル・ストライク》のそれに近い。

 戦闘態勢を取ったのを見て、こちらも背中から愛用の二剣を抜く。

 右手に持つのは漆黒の剣、この世界で戦い始めたあの日に手にした剣の魂を受け継いできた無二の相棒。

 左手に持つのは翡翠の剣、鍛冶師リズベットが自分の為に鍛えてた逸品。

 どちらも、《キリト》としての自分を構成する確かな証拠。清濁どちらも浴びた黒き剣は己の根幹であり、光側へと“ともだち”との絆が引っ張り上げてくれる。

 ――この二剣がある限り、“俺”は決して諦めない。

 護るという誓いがあった。生きるという願いを抱いた。生きる事を望まれた。

 そのためには勝たなくてはならない。

 そう望まれたから。

 そして――生きる事を、自ら望んだから。

 

「俺は死ぬわけにはいかない。生きる事を望まれ、生きたいと願ったからだ。復讐なんてし始めたら本当に生きる事が出来なくなるからな」

 

 だから、《獣》の発言を否定する。負の廃棄孔に負けるわけにはいかないのだ。

 ――復讐。

 それを考えた事が無いと言えば、嘘になる。自分も聖人君子では無い、理不尽に不満を抱く事もあれば、殺意を抱いて人を殺した事だってある。

 だが復讐に走る訳にはいかない。喪ったものは数多く、理不尽に見舞われた事もまた多い。

 ――けれど、幸せが残っている。

 “ともだち”と言ってくれる人がいる。

 家族と言ってくれる人がいる。

 待ってくれる人がいる。

 ――愛してくれる人がいる。

 どれも代え難い大切なもの。きっと居て当たり前なそれらは、当たり前だからこそ幸せで尊い。

 

「そうか――――だが死ね」

 

 それを《獣》は一蹴し、地を蹴った。ばしゃあっ、と赤い粘液が高くしぶきを上げる程の勢いで距離を詰めてくる。

 その姿を見て、翡翠の剣を翳し、剣劇を防ぐ――

 

「無駄だ」

 

 ――刃が衝突した瞬間、一瞬も抵抗できず押し切られ、ふっとばされた。

 途轍もない衝撃と腕が腕を走り抜ける。左手を見れば――ダークリパルサーの刃が折れていた。

 

「な……?!」

 

 自分の想像は完全だった。余すことなく精密に、精緻に、精巧にイメージし、それを再現していた。刃渡りは勿論、持った時の心地も、重心も、その鋭さすらも全て経験に基づく再現だった。経験に基づいているのであればあるほど強固にイメージが出来るのだ。

 それなのに、たった一撃。

 たった一合刃を交えただけで叩き折られた事に驚愕を隠せなかった。

 

「――おまえはおれの力は互角と思っているんだろうが、その認識は誤りだ」

 

 上空から声。見れば《獣》は合体させた両刃剣を手に、黒い太陽を背にして宙に浮き、こちらを見下ろしていた。

 

「言っただろう、この黒い太陽の白い部分がおまえだと――――肉親から裏切られた時の絶望、長年に渡って襲い来る理不尽な迫害……それら全ての負を背負うおれと、二年に満たない幸せしか背負わないおまえが、同等な訳が無い」

 

 思い出せ、と《獣》は言う。

 

「これまで生きた十年間の内、苦しい思いをしたのは何年だ――――十年全てだ。物心付いた時からこれまでで憎しみを忘れた事は無い。おまえも、心の底ではそうだった筈だ。分かたれていても元が同じである以上感じ方も同じなのだから。おれがこうして力を肥大化させた事こそがその証明だ」

 

 その言葉を否定する言葉を、俺は持たなかった。

 ――《ビーター》として名乗りを上げたのは、確かに事実。

 だが、何故自分が、と思わなかったと言えば嘘になる。《出来損ない》と見下される自分が人より先に進んだだけで卑怯者扱いされるのは納得がいかない部分もあった。いや、それよりも自分が気付くのだから、他の人も気付けと思う事も多かった。

 キバオウには素性をばらされ、一方的に悪意をぶつけられた。

 裏側で動いて人を助けているとは言え、それでも《出来損ない》だからと殺意を向けられるのには不満があった。

 助けたのに、助けた人から悪態を吐かれるのは、やるせなさがあった。

 それらはきっと、怒りや憎しみに入るのだろう。あまり自覚していなかったのは、その大部分が《獣》に流れていたから。

 ――つまり、《獣》は俺が感じていた幸せを、殆ど感じていないという事になる。

 復讐を目的にしているのは、きっとそういう事だ。幸せを感じ、自覚し、理解し、認識し、認め、求めた俺は、復讐を考えなかった。負の感情にあたるその思考すらも《獣》が吸い取っていたから。キバオウ達に抱いたあの殺意は、それですら追い付かない勢いで湧き上がっていたものだったから。

 憎しみを覚えない訳では無い。ただ、覚えても、それを自覚する前に薄れたから、残った《幸せ》の感情に傾いていただけの事。

 その結集が、あの黒い太陽の一片。僅かに残った白い光。

 

「抱く感情が大きいほど使うリソースもまた大きくなる。おれとおまえは同じ一つの人格という存在ではあるが、使っている脳のリソースの割合は大きく違う。ちょうど、この黒い太陽のように」

 

 そしてあの日食は、おれと《獣》の力関係を示していたらしい。

 今にも消えそうな弱々しい光と、全てを沈めるかの如く広がる闇とを見れば、なるほど、確かに互角では無い。アレを封じ込めていただろうシロはきっと自分と合わせて《獣》と同等だったが、何時しか《獣》の力が大きくなって抑えられず、取り込まれてしまったのだろう。その結果一パーセントにも満たない自分と、九十九パーセントの《獣》が残った。

 十年分の憎しみと、およそ二年に満たない幸せとを較べれば、前者が勝るのは自明の理なのかもしれない。

 

 ――だが。

 

 ――だからと言って、諦める理由にはならない。

 

「……正気か。この差を見て、それでも諦めないのか」

 

 戦意喪失する素振りを見せず、再生した二剣を左右に開き構え直したのを見た《獣》が不可解そうに問う。無表情の顔が訝しげに歪められるのを見た。

 それに、笑みを向ける。自覚できる程に挑発的で、獰猛な笑み。

 ――虚勢だ。

 だが、己を鼓舞する程に、諦めたくない理由があった。

 

「人格が分裂するなんておかしな状態なのに正気も何も無い。それに……約束したんだ、“ともだち”とご飯を食べるって」

 

 復讐よりも、死ぬよりも優先される、諦めたくない理由――それは“ともだち”との約束であり、みんなとの繋がり。想い、愛してくれる人達との、苦しく辛く、しかし幸せがある日常を捨てたくない。

 それらが今の俺を形作っている。

 明確に、《獣》との境界線を意識させてくれる。

 

「“ともだち”。大切なもの、か。それを求める気持ちは分かる……でも、どうせまた居なくなる存在に希望を見る気持ちは、理解出来ないな」

 

 ――人間には光と闇の顔がある。

 《キリガヤカズト》は幸福を得た。希望を見た。立ちはだかる艱難辛苦の末に幸せがあると夢を抱いた。それを求めているからこそ、全てを台無しにする復讐への欲求が収まっている。

 《獣》は、《オリムライチカ》の残滓。仮想世界を《オリムライチカ》として生き、生還と共に亡霊とさせるつもりだったように、意識が分かれている。今の俺の意識は《キリガヤカズト》、だが《獣》は憎しみを溜め込んでいるから変わりようが無い。

 だから、この対峙は必然だったのだ。俺が《キリガヤカズト》として生きるには、過去から抱いていた憎しみを、絶望を、本当の意味で受け容れ、鎮めなければならないと。

 普通の人は気持ちに整理を付ければいいだけだが、自分の場合は感情を基点に人格が分裂しているようだし、そうもいかない。復讐を望む《獣》に認めさせるには、《獣》の力を超える必要がある。でなければあちらも納得はしないだろう。

 復讐に走る走らないにかかわらず、俺達が生きるなら強くなければならないのだから。

 

「希望を他人に委ねたところでまた裏切られる」

「いいや、裏切らないと確信出来る。ユウキがそれを証明してくれた」

 

 根拠のない精神論ではない。科学的な技術を用いた洗脳すらもユウキは乗り越え、味方になってくれたのだ。だから確信を抱いてユウキを信用出来る。

 

「それでも一人だ、仮令他を含めても国家や世界単位の大衆には勝てない。大衆の声を真実にさせられる」

「なら、その大衆の声を味方に付ければいい」

「不可能だ。仮令そうしたって信じるヤツがどれだけいるか」

「今はそうだ、きっと二十人もいないだろう……――でも、それでも二十人だ。昔に較べれば遥かに多い。これから全く増えないとは言えない」

 

 昔は本当に一握りだった。

 でも今は違う。リーファやクライン達は勿論、束博士、茅場晶彦という余に名を轟かせた天才たちが居るのだ。どちらも世界的に立場が拙くはあるが、味方である以上、影響力というものは測り知れない。それを利用すれば今までとは違う結果になるかもしれない。

 利用するようで気は引ける。

 でも、生きる為だ。その為に協力してもらう。人を頼るというのは、きっとそういう事だ。自分には無理な事だから頼るのはきっと間違っていない。

 

「――――……分かってはいたけど。これ以上問答をしても無駄だな、おまえの根幹を折っていればやりやすかったのに」

 

 一合目以降、どうして斬り掛かってこないのか疑問に感じていたが、俺の根幹を折って弱体化させるつもりだったようだ。

 分裂人格という非常に不安定な身である以上、己の根幹が重要なのは分かる。生きる事を諦め復讐を目的としている《獣》に対し俺は生きる事を望んでいる。相反する理由が無くなれば、俺は《獣》に抵抗する武器を喪うに等しいのだ。そうなっていたらすぐにでも取り込まれ復讐鬼として再誕していただろう。

 もっと憎悪に狂った状態を考えていただけに、意外に理知的に精神攻撃を仕掛けて来た《獣》に対し警戒を強める。

 《獣》ははぁ、と無表情で溜息を吐いた。

 

「まぁ、いい。それなら力尽くで取り込むだけだ」

 

 言いながら、白骨の頭蓋に埋め尽くされた血色の大地に《獣》は降り立ち、再度構えを取った。こちらも改めて構え直し、対峙する。

 ――静寂を挟み、地を蹴った。

 

 ***

 

 ――今見ているものは、本当に今起きている事なのだろうか。

 そう思わずにはいられない光景が映像に広がっていた。

 黒と白が混ざった姿の少年が両刃の長剣を手に襲い掛かり、黒と翠の二剣を手にした少年がそれを迎え撃つ構図。それはさっきから変わっていない。でも攻撃方法は豊富。基本的に手に持っている剣で斬り合っているが、一度距離を離した途端、虚空から出現した剣や槍、斧などが相手に向けて無数に降り注ぐのだ。その勢いも苛烈を極めている。視界を覆い、影を作るほど大量の武器の全てを彼らが操っているというのだから驚きだ。

 しかも、人格が分裂していて、人格一つが持つ能力も万全では無いという。

 リソースを奪い合ってる最中でこれなのだから、一つの人格に集合したらどうなるのか見当も付かない。

 

 ――これが《オリムライチカ》という子なのね……

 

 織斑一夏。

 世界に名高いブリュンヒルデを知る者なら必然的に知っているであろう二人の弟の片割れ。出来の悪い方、と言われている少年。調べても根拠のない中傷ばかり見つかる哀れな子供。

 その今の姿が、映像に映っている。

 ――元々、これを見るつもりではなかった。

 《SAO事件対策チーム》。その拠点となる場所には、依頼の為に訪れていた。『須郷伸之』という男が怪しいからその周辺の人物、人間関係などを洗って欲しい、というもの。

 事件当時にも洗ったが、またいきなりどうしたのか詳細を聞いていれば、件の男が運営しているVRMMOのサーバーとSAOサーバーが繋がり、須郷を含む複数の他、一般市民二名が巻き込まれて昏睡状態に陥っているという。そこでALO運営の須郷達が怪しいと踏んだようだった。

 なるほどと頷き、それで立ち去ろうとした時――ISを所有する国家が血眼になって探している指名手配犯の女性が姿を現し、依頼人を引き摺っていった。

 

『ちょ、一体どうしたんだい?!』

『さっき話した別のエリアがまた現れたんだよ! それで開いてみたら……ああもう、いいから見て!』

 

 どうしたのだろうと野次馬根性がむくむくと湧き上がり、一緒になってパソコンの映像を凝視している二人の近くに寄る。気付いた依頼人の男性が苦笑を浮かべたが、特に拒絶されなかったので見ても困らないらしい。《SAO事件》の黒幕をずっと探し続けている側の人間だから隠す事でも無いのかもしれない。

 そう考え、やや無遠慮気味に画像を見て――絶句。

 画面に映るのは、片方は黒尽くめで二本の剣を背負った黒髪の少年で、相対するのが瓜二つながら黒と白がごちゃまぜになった不気味な少年だった。絶句させられたのは、画面の下側……地面に相当するのだろう部分に広がる、一面の白骨化した頭蓋骨と、上側に映る血を流す黒い太陽を見たから。

 

『これは……』

『和君……あの子の、精神世界だと思う。見ているユメを脳波を読み取る事で映像として再現しているんだ。これはユメじゃないと思うけどね』

『ユメ、じゃない……?』

 

 『人見知りで興味の無い人間はとことん無視する』事で知られる女性が意外な事に説明してくれて、映っている光景がどういうものかは分かった。

 だが、ユメではない、というのが分からない。

 そんな私を、メカメカしいラビットバンドを被る童話風の装いをした女性が横目で見て来る。

 

『お前もIS操縦者で、専用機を持ってるなら分かるんじゃない? 今映ってるのはあの子が強く抱いてる原風景。舞台こそ精神的なものだけど、戦ってる本人達は真実現実そのものと変わらないんだ』

『……でも、相手はISじゃないんですよね?』

 

 確かに自分は専用機を貸与されている。二次移行の為に少しでも多く訓練時間を取り、動かし、手入れや整備を欠かさずしている。ISの意思というものを受け取った事は無いし、理論上あるとされるコアの精神世界を見た事は無いが、電子ダイブというものは確立されているので理屈は分かる。

 でも映像に映る少年はSAOのプレイヤー。ダイブしているのはSAOというゲームのサーバーであって、ISコアや自分の精神ではないから、電子ダイブとは違う。

 なら相手は何者なのか。

 ――その答えは、白黒の無表情な少年の言葉で理解した。

 ずっと理不尽な目に遭っていた《オリムライチカ》の人格が三つに分かたれた事で出来た存在。黒尽くめの子が根幹を為しており、白黒は根幹の人格が抱いた負の感情を背負う廃棄孔。“シロ”という人格は既に白黒に取り込まれていて、復讐の為に残る根幹の人格を取り込もうとしている事も分かった。

 

「オリムライチカ……この子が、そうなんですね」

「――違うよ」

「え?」

 

 映像を見ながら呟けば、断固とした怒りの声が否定してきた。女性を見れば、怒りの眼差しが私を射抜く。

 

「この子の名前は、《桐ヶ谷和人》。《織斑一夏》は復讐を叫んでる方だよ……もう、二度と間違えないで」

「……すみません」

 

 私は彼の事情を殆ど知らない。この映像を見るまであの少年が生きている事も、名前を変えている事も、SAOに囚われている事も知らなかった。ただ女性の言葉が怒りだけでなく、哀しみにも満ちている事から謝罪の言葉はすぐに出た。

 ――名前を分けた理由。

 それはどうしてか分からないけど、名前ごとに意味があるというのなら自分にも分かる。

 きっと《オリムライチカ》という名は、あの少年にとっては過去の憎悪を溜め込んだ存在なのだろう。復讐を成し遂げようとしている辺り相当だ。

 対して《キリガヤカズト》と呼ばれた方は、生きる事を一番に考え、復讐の道を否定している。

 不遇な環境にあった少年が、今は名を変え、SAOというゲーム――元は娯楽だったもの――を手に入れられる環境に身を置いている。それはきっと、今が幸せだから。過去の復讐に走って全てを壊すよりも、今あるものを優先したいという気持ちが生まれたから。

 女性が言ったように名前を呼び分けているのだとしたら、きっとこの予想は当たっている。

 名前を呼び分ける事で気持ちを、背負うものを、意識を変えるのは、自分も同じなのだから。

 ――やり取りをしている間も、目まぐるしい程の激戦が映像に映し出されている。

 復讐鬼の方が言っていたように、十年分の感情を燃やしているせいかあちらに分があるらしい、《カズト》という少年は始終押されていた。刃を交える度に剣が折れているが、瞬間的に再生させ、また刃を交えるのを繰り返していた。

 

『――満たせ』

 

 その最中、剣を折ると共に吹っ飛ばした復讐鬼はそう叫ぶ。すると地面を埋め尽くす骸骨の下に満ちていた紅い粘液が蠢き、骨の上へと湧き上がった。

 ごぼりと大きく蠢き、せり上がる。彼の周囲を囲み、四方から逃げ道がないよう押し潰すように。

 復讐鬼は、四方を囲まれた壁の上――少年の頭上から、彼を見下ろす。

 

『分かっていると思うが、この世界に広がる骨と血、そして黒い太陽は、おれの心象を顕している――その血は、謂わばおれそのものであり、《オリムライチカ》が積み重ねた負の感情そのもの。呑まれれば最後、おまえも闇に堕ちる――――沈め』

 

 最後の一言に呼応して、高い壁として四方を囲んでいた紅い粘液が覆い被さるように少年へと落下した。

 

 ***

 

「キー……!」

 

 赤一色に画面が埋まると同時に、悲痛な叫びが上がった。

 ――《実験体倉庫》と名付けられた部屋にあるコンソールには、一枚のディスプレイが浮き上がっていた。

 それはシノンを助ける際に行った《具象化》の基礎部分の技術。悪夢のループに陥っているシノンを助けるべく、彼は別のエリアに彼女のユメを読み取り、再現した。干渉出来るよう、エリア側の情報も脳に送るように。今しているのは干渉部分を覗いた、彼のユメを読み取るだけのもの。別のエリアで再現こそしているが、自分達はその光景をコンソールを通して見ている。

 彼が戦っている精神世界を、脳波で読み取って仮想世界で映像に変換し、それを見ている訳だ。

 最初からずっと見て、漸く彼の人格について理解が及んだ。自分達が“シロ”と呼んでいたのはコアを埋め込まれた時に生まれたもので、復讐を目的にしている《獣》は最初に分かたれたもの――アキトに捨てられ、絶大な負に心が許容出来ず分かたれたものなのだと。

 ――逆説的に、何時もの彼は負の感情に酷く弱い事にも納得がいった。

 他者の影響を受けやすいのも、すぐ自責の念に駆られて己を追い込むのも、《負の感情》に耐えるものが欠如していたからだった。それを請け負っていたのは自らを『廃棄孔』と称した《獣》。《王》である彼は持っていなかったのだ。

 だから、現状が非常にまずい事も理解している。《負の感情》に耐性が無い彼は、今まともに負の感情そのものと言えるものを被ってしまった。《獣》が言うようにあれでは一溜りもないだろう。

 

 ――キリト、帰って来てよ……?

 

 強く、心の中で強く想う。

 大勢の人に気持ちを知られる事になったけど、その羞恥すらも些末事に思えるくらい、彼の支えにならんとする気持ちは強かった。でも彼は、それを跳ねのけたのだ。

 ならしっかり帰ってきてほしい。次会った時は復讐鬼としての彼なんて、嫌だ。

 ――復讐鬼としての《獣》も、彼自身では間違いない。

 復讐を決意する権利はあると思うから否定はしない。でも自分としては、ただ平凡な日常を謳歌してくれる方が良い。

 彼の復讐は、きっと終わりが無い。何もかもを否定し、拒絶し、破壊し、破滅を齎し――生きとし生きる全ての生物を殺し尽した果てに漸く終わるのだ。自らの死と共に。

 ……あるいは、死ぬ事を目的にしているのかもしれない。

 ただ自分一人で死ぬのは認められなくて。未来を生きる事に絶望した《獣》は、周りを道連れにする事で自身の憎悪を慰めようと考えたのだ。復讐なんてそもそも自己満足の極致。終わったところで、きっと残るものは無いし、感じるものも無い。

 それは、嫌だ。

 自分は彼を想っている。将来隣に居たいと思う程に、強く想っている。同じ人は他にも居るし、友人として彼の死を認めない人だっている。

 だから彼には生きて欲しい。復讐なんて――そんな哀しい事を目的に、しないで欲しい。

 

 ――その悲痛な願いを、もしかしたら神様は聞き入れてくれたのかもしれない。

 

 赤黒い津波。それは徐々に、突如出現した渦へと巻きこまれ、その容積を減らしていた。がしゃがしゃと粘液に潰され粉々になった骨すらも巻き込まれ、消えていく。

 その果てに残ったのは、一人の少年。

 

『――バカな』

 

 津波も、骨も、一切合切灰白の大地から無くなったのを見た《獣》が、信じられないとばかりに瞠目し、声を絞り出す。

 

『何故だ。おまえは何故負を呑める――いや、よしんば呑めたとして、心象として溢れ出したもの全てを飲み下すだと? ……おまえは、憎悪を否定したんじゃないのか?』

 

 ――心がする『否定』。

 それは、自己を傷付けるものだからこそ行われるもの。態度だけでなく心の底から行われたそれは決して相容れず、だからこそ忌避感を、嫌悪感を、痛みを訴えるようになる。

 彼にとって、負の想念は正しくそれだった筈。それなのに全て飲み干せた事に《獣》は困惑していた。

 ――当然、世界を隔ててそれを見ている自分達も同じ。

 憎悪を否定する言動をしていた彼が、何故憎悪そのものと言われたものを飲み干せたのか。もしかしたら一部の人間にだけ憎しみを向けないようにしているだけで、今まで敵対してきた人達への復讐は諦めるつもりではないのか。そんな嫌な想像が脳裏を過ぎる。

 俯いていた彼が、天を仰いだ。

 

『――何時、誰が、憎悪を否定した』

 

 覚悟を決めた顔で、彼は憎悪を肯定した。

 

『不満を抱き、憎く思った事はあるし、それを俺は認める、キバオウ達を殺したのは正しくそれだ。でも……言っただろう、約束があると――憎しみよりも、復讐よりも、優先するものが出来たんだよ』

『優先……否定ではなく、優先……』

『そうだ。お前にとって、復讐は何にも優先される目的なんだろう。そして生きる事は手段でしかない。かつての俺と同じだ――だが俺にとって、復讐は手段でしかない、生きる為の』

「……復讐が、手段……?」

 

 彼の言葉に、首を傾げる。復讐が手段だなんて聞いた事が無い。誰かを殺す時点でその先を生きられない事は理解している筈なのに、何故そう表現するのか。

 

『どういう意味だ。復讐が、手段だと?』

『そうだ――『見返したい』という思い、それは今までの立場と扱いに対する当然の不満だが、そこには殺意も混じっている』

『殺意を向けられたんだ。なら、返して当然だ』

『そうだな……だからこそ、その思いは《復讐心》となる。見返す事、つまり相手を超える事が、復讐になる――なら別に殺す必要は無いだろう』

『……何を言ってる……?』

『復讐だからと言って殺すのは短絡的だ、それじゃあ自分が世界に殺される。だから俺の復讐は、相手は殺さない。むしろ生かす。生かして生かして、死にそうなところを助けて、見下して来た相手に助けられる屈辱を味わわせる。今まで自身がしてきた事を逆に思い知らせる』

 

 淡々と語る。本当に復讐するつもりなんてあるのかと思いたくなるくらい、瞳に光を宿し、強い口調で言っている。

 理屈としては分からなくも無い。復讐イコール殺人と直結しがちだが、いじめの報復のように同じ事をし返すのもまた復讐。彼は幾度も殺されそうになったが、だからと言って殺しで帰すと、彼が未来を生きられなくなる。生きる事を目的に据えている以上その行いは愛はんしてしまう。

 だから彼にとって、復讐は手段。

 ――強くなる事。

 それを追い求めていて、究極的には実の姉に認められる事を目指している。逆説的に周囲の《出来損ない》という評判や見解を覆し、見返す事になる。

 自己満足と言えばそれまでだが……しかし、負の想いをやる気として昇華している以上、それは否定し得ないものだろう。他人に劣るから悔しくて、それを燃料に努力するのは普遍的にあるのだから。

 彼にとってそれは酷く釣り合いの取れていないものだけど、本人がそれでいいと言っているのならいいのだ。

 復讐は、自己満足の極致。本人が認めているなら他人がとやかく言う必要は無いし、その権利も無い。

 

『それは、そんなのは屁理屈だ……!』

『ああ、屁理屈だ――――でも俺は屁理屈をこねてでも、受け容れてくれた人、認めてくれた人、想ってくれている人を優先したい。俺自身、その人達と一緒に生きたいと思っているからだ』

 

 強い口調で言う彼は、その視線を手に持つ剣に落とした。

 

『憎しみはある。復讐心故に強さを求めてる部分もあるんだから。でも憎しみを、殺意を抑えてくれるものがある――――みんなとの、繋がりだ』

 

 ――視線の先にある剣は、彼の魂を継承する漆黒の剣と、リズベットが鍛えた翡翠の剣。

 この世界での艱難辛苦全てを共にした、魂を分けた彼の愛剣。【黒の剣士】としても、《ビーター》としても、人を殺すにも、人を護るにも、全てをずっと共に歩んできた彼の象徴。

 彼と彼女が“ともだち”として交友を結んだ証となるもの。自分も詳しくは知らない、何かの誓いを立てたもの。それは彼が優先する人の事を思い出す品の一つ。人との繋がりを顕す象徴。

 

『そして、俺に生きて欲しいと願ってくれた人が居る。愛してくれる人がいる。その人達を裏切る訳にはいかない――いや、裏切りたくない。漸く得られた幸せを手放したくない』

 

 そこで、彼は《獣》を見上げた。

 さっきまでは《獣》が始終押していた。きっとそのパワーバランスは逆転していないけど、それでも《獣》は気圧されていた。それだけの圧と強い意思――覚悟が、彼から放たれていたから。

 映像越しでも伝わるこの圧。びりびりと肌をぴりつかせ、仮想の産毛を逆立たせる感触は、今までにないくらい鋭く澄み渡った闘気。

 ――復讐に走る事。

 それは《獣》が未来を諦め、絶望に足を止め、死を認めつつ周囲を巻き込まんとする選択。彼にもその選択はあった。同じ一人の人間なのだから。ただ、その在り方が違うだけで、彼はその道を選ばなかった。

 幸福が、彼を引き留めたのだ。

 ――自分達の想いが、彼を引き留めた。

 それは、復讐よりも優先するべき『幸福』と認められた事であり、自分にとっては最上級の賛辞だった。助けられない事ばかりで、助けられてばかりだったけど、それでも今までしてきた自分の行い、想いを伝えた事は間違いでは無かった。そう言われているようで、嬉しかった。

 ……気付けば、何時しか涙が滲んでいた。

 まだ自分を選ぶとは言ってくれていないけど、それでも確かに、自分の想いは彼の心に届いていた。復讐よりも優先するものとして響いてくれていた。

 それだけだ――――それだけなのに、こんなにも嬉しい。

 

「リー姉……キーは、あの子は、強いですね……」

「そうだね……本当に、強い」

 

 義理の義姉達も涙を滲ませながら、笑みを浮かべて義弟の覚悟を見届けていた。彼女達だけではない、クライン達も、シノン達も、関わりの薄いルクスまでもが見守っていた。

 ――誰も、彼が復讐に堕ちるとは思っていない。

 反感を抱いていた者達すら、今は彼の覚悟に心を打たれ、言葉を喪っているようだった。彼の言う『想う人達』が居なければ今頃復讐鬼まっしぐらだった事に気付き、今までしてきた所業を思い返したからこそだろう。

 

『行くぞ、《獣》。負の廃棄孔。仮令どれだけ力の差があろうとも、絶望的な差があろうとも、一筋の勝機がある限り俺は諦めない。敗北が死なんじゃない、諦めこそが敗北であり、死だ。幾度敗北しようと構わない、敗北から学び研鑽を積む事こそが成長に繋がる唯一の道だから――』

 

 ――そして、と言葉を区切り。

 

『三度言おう、俺は諦めない。復讐を選んだ独りのお前と違って俺には未来を望む仲間がいる。みんなとのつながりが俺に力を与えてくれる――――皆との《絆》が、俺の力だッ!!!』

 

 光に満ちた表情で言い切った彼は、《獣》目掛けて疾駆した。

 

 ***

 

 ――――宙を疾駆する。

 

 強く地を蹴り、粉塵を巻き上げる。そこから脱出するように真っ直ぐと空に浮く廃棄孔――《獣》へと距離を詰める。空を割く音が耳朶を打つのも無視する。

 目指す先にいる白黒の自分。人を、世界を、全てを憎む事を良しとしたもう一人の自分自身。

 ――あり得たであろう、可能性。

 リーファが、ユウキが、アスナが、サチが、クラインが――自身を受け容れる人が居なかったら、あるいはユウキ達が生きる目的を作る為に想いを告げていなかったなら、きっと自分はああなっていた。憎む事を良しとし、復讐への道を進み、そして、間違いなく義姉と殺し合っていた。

 レベルカンストのホロウ達を何十何百と殺した事で大幅なレベルアップを経た今、以前よりも理不尽な能力差があるが、それでも力をいなす技を持つ義姉に勝てたかは定かではない。それを理解した上で義姉はああ言った。つまり、殺す事に躊躇が無くなった自分を下す自信があったのだろう。

 ――でもそれは、あくまで可能性の話。

 今の自分は復讐の道を否定している。手段として認めているが、目的としては拒絶しているのだ。

 

 ――――黒白の合体剣と黒と翠の二剣が交わり、弾かれ、距離を取る。

 

 風を纏い、宙に浮く自分と相手。はらりと揺らめく互いの長髪。

 《獣》は血を垂れ流す黒き太陽を背にしていた。真円を描く黒の太陽、その天頂に当たる一点だけが眩い白。あの光が消える時が自分の意識の消滅を意味する。

 それ以外の黒が憎しみ、殺意といった負の想念の割合。

 自分と、シロ、そして《獣》の三つの人格の総体《オリムライチカ》の心の状態。三つ合わされば正しく『一』になるアレこそが彼我の能力差を客観的に表している。実力や技術の事では無く、感情による爆発力――そして、恐らくは脳の機能を使える割合。リソースの配分があの太陽。

 

 ――啖呵を切ったものの、流石に分が悪い

 

 内心で舌を打つ。負けるつもりは毛頭ないが、敗北は必至な能力差。これが己の今後を決め、ユウキ達の事にも関わる事でなければ、早々に退却の一手を打っていたのは間違いない。

 とは言えここは自分の中。逃げる事は出来ないし、仮に出来てもずっと《獣》の干渉を耐えるのは流石に不可能。最悪眠りに落ちた瞬間喰われる。

 元々ケリを着けるつもりで乗り込んで来たから諦めるつもりは全くない。逃げる選択肢が出る筈も無かった。

 逃げたらきっと、リーファやユウキ達が手伝おうとする――それはダメだ。この憎悪は俺自身が溜め込んだもの、積み重ねたもの。それの清算は自分自身でするべきなのだから。

 

「――理解してるようだな、おれとの能力差は」

「悔しいがな……なんとなく、分かるようになってきたんだ」

「外れたからだ、おまえがシロと呼ぶやつの抑制が。おれの事を考える事がないようアレはおまえに伝えられる情報を常に取捨選択していた。自分の中にいる異物への違和感、自身の何かが欠いている欠落感を誤魔化すために。能力差が分かるようになったのは『総体の能力』を把握する情報が制限されなくなったからだ」

「……そうか」

 

 《獣》の言葉を聞いて、納得する。

 少し前――具体的にはアルベリヒ達を潰す前後くらいから、思考がクリアになった気がしていた。それまでは靄が掛かったような部分があった。だが今は分かる。闘技場《個人戦》で途中から意識が飛んでいた時の事を今は我が事のように思い浮かべられる。自分ではない何かが自分の体で戦っている記憶が浮かぶ。これが取捨選択されていた情報の一つなのだ。

 そしてその中には、三つに分裂する前の人格での能力についての情報があったのだ。

 それを隠されている事――あるいは以前と何かが違うという違和感――に気付かなかったのは、技術的な面で鍛えられ、成長を実感していたからだ。またシロと《獣》の存在を知らなかった事も大きい。それらの要素があったから今まで欠落感に気付かなかった。

 しかしシロは今、《獣》に取り込まれている。故にそれまで制限されていた脳の情報がこちらに渡るようになった。《獣》が制限を掛けていないから。

 逆説的に《獣》はシロがしていた事を行える。

 元より自分達は一つの人格。三つに分裂し、同時に活動している以上、脳機能もそれだけ制限を受けている筈だ。脳はそれほど繊細なものである。分裂した分だけ、一つの人格が持つ能力や脳機能も幾らか制限がある。だがシロを取り込む形で肥大化した《獣》は、今や体の脳のほぼ全てを掌握している。

 ――俺は、シロに護られていたのだ。

 初めて会った時の印象は些か悪かったが、これまでのシロの言動はほぼ全て自分の助けになるものばかりだった。

 護ってくれていた存在が居なくなった事実に、寂寥感がこみ上げる。

 

 ――――風を切る音が耳朶を打った。

 

 ハッと意識を戻す。《獣》が肉薄し、左手に持つ白黒の長剣を上段から振り下ろそうとしていた。

 二刀を掲げ、交差する。刃が交わった瞬間、こちらの二刀が折れ、砕かれた。辛うじて刃は避けるも、叩き付けられた衝撃により大地へと急落下する。

 落下の最中に風を纏い、慣性を制限。滑空するように大地と平行になるまで飛ぶ。並行して両手に幾度目とも知れぬ再創造を行い、愛用の剣をまた握る。

 追撃を警戒する。《獣》は地面に垂直降下したが、何故か着地してからは動く素振りが無かった。隙は見当たらないので無暗には突っ込まない。

 

「――既に察しているだろうが、元は一つとは言え三つに分かたれたおれたちもそれぞれ固有の心象がある」

 

 何のつもりかと警戒していると、《獣》が語り始めた。

 

「おまえなら滅んだ大地。あいつなら曇天の摩天楼。おれなら血と死に満ちたこの世界。今ここに在るのはおまえのものが基本だが――」

 

 ――瞬間、世界が変わる。

 

 漆黒の暗雲は消え去り、黒い雪も消失。真っ暗な空には皆既日食の太陽だけが現れる。黒の太陽から止め処なく流れる赤黒い粘液によって灰白の大地は沈み、見えなくなった。

 ――世界を塗り替えられたのだ。

 徐々に迫る赤黒い粘液。鼻を突く強烈な鉄の臭いは、まざまざと死を実感させてくる。

 

「こんな風に、力のある側で上書き出来る。そして――」

 

 言いながら、《獣》は右手を天に挙げる。

 その先の空間に巨大な物体が現れる。長方形のそれは直径数十メートル級のもの。よく見れば、それは建造物。現実世界でよく見るビル。

 ――シロの心象世界にあったビルだった。

 

「それは、シロの心象の……!」

「あいつを取り込んだ今、それを自在に扱う事も出来る」

 

 そして、宙に浮かぶ巨大なビルを、腕の一振りで投げて来た。

 表現としてはとても短く、端的なものだが、心象のものとは言え忠実に再現された事で質量を伴ったビルだ、当たれば即死は必至。この世界での死がどういうものなのかは知らないがまず良くない事になるのは間違いない。

 全力で空に跳ぶ――しかし、落下する。

 風は生じている。纏っている感覚がある。だが地面から数センチ浮く程度でしかない。それより上に飛べないのだ。

 ――そうする間に、ぐるりぐるりと回転しながらビルが迫る。

 

「チィ……ッ!」

 

 激しく舌を打ちつつ、全力で走る。後退は意味が無いので横に、右に向けて疾駆する。

 ――ごうっ、と凄まじい勢いでビルが背後で通り過ぎる。

 しかし、《獣》が手を休める筈も無く、ビルは次々に投げられる。大小や形状は様々だがどれも巨大な建造物である。防御など出来る筈も無く、かと言って視界一杯になるほど迫り来るビルを掻い潜る事もほぼ不可能。

 

「こ、の――ッ!」

 

 潰されなくても死ぬのは御免なので、抗う。

 ドンッ、ドンッとバウンドで地鳴りを起こして迫るビル。それらのバウンドして浮いた瞬間を狙って全力で疾駆し、真下をギリギリで潜り抜ける。当然抜けた先にもビルはあるが、こちらの姿が見えにくくなっているのか若干狙いが甘く、回避するのも若干楽になっていた。

 ――ばちゃっ、と湿った水音が上がる。

 足元は赤黒い粘液に浸されていた。足を上げようとすると、ぐぐっと少しだけ抵抗感がある。

 

「しま……っ」

 

 しまった、と思った時にはもう遅い。

 止まってしまった自分目掛け、乱雑に放られるビル群が殺到した。

 

 ***

 

「おいおい……アリかよ、ンなの……」

 

 次から次へと宙に現れるビルの数々を放るのを見て、思わず言葉を洩らす。アレは流石に理不尽だ。幾ら“シロ”の人格を取り込み、その心象を自在に使えるからと言って、それを連続で投げるなど流石に反則的である。

 殺し合いにルールも何も無いと言えばそれまでではあるが……

 ――だが、あの少年は未だ、諦めていなかった。

 ぶつかり、衝突し、折り重なるビルだったモノの瓦礫。その中が一瞬光ったかと思えば、次の瞬間には《獣》目掛けて巨大な光が走ったのである。蒼白い三日月は幾度か見た事がある斬撃のそれだ。

 ごごご、と倒壊する瓦礫の山から、一陣の黒が現れた。

 《獣》は冷静に、待機させていた最後のビルを放る。全速力で疾駆するキリトが方向転換したところで間に合わないタイミング。

 ――それを、アイツはまた対処した。

 キリトが、右手に持つ黒い剣を袈裟掛けに振り下ろす。すると、ザンッ、と重い音と共にビルが左右に割れた。

 

「――うっそぉ」

 

 ――間の抜けた声が上がった。

 誰のものかは分からないが、しかしそう漏らす気持ちは痛いくらい理解出来た。ゲームよりもゲームらしい、考えたものが具現化する心象世界と言えど、流石にビルをぶった斬るのは度を越している。想像の埒外と言っても良い。世界的な大泥棒のアニメに出て来る侍が度々していたが、アレをこの目で、ゲームやユメと言えど見る事になろうとは。

 なまじ現実でもやってしまえそうだから恐ろしい。

 ――《圏内事件》が終息して数日後の事だ。

 装備者の強固なイメージによって《ⅩⅢ》に登録した装備を全て一度に扱えると知った少年は、幾つかの攻撃方法を考案した後、自分やエギルの下を尋ねて来た事がある。曰く、技の名前を考えて欲しい、と。

 『技』は、一連の動作を『型』として形成したもの。複雑怪奇な動作も一つの『型』として見た場合は覚えやすい事がある。電話番号なども、一度に全部聞いて覚えるのではなく、三桁、四桁、三桁と聞いた方が覚えやすい。それと同じだ。

 《ⅩⅢ》での攻撃、ことイメージを使うものは凄まじく強固なイメージを要される。システムが正確に再現するには、《ナーヴギア》が読み取れるくらい明確に脳波や脳細胞の活性状況として現れるほど強く強く想起しなければならないのだと聞いた。

 そのトリガーとして『技名を付ける』事を考えたのだ。ただ『四連斬り』と聞いても分からないが、《ホリゾンタル・スクエア》と聞けば動作が分かる事と、理屈は同じ。キリトは技名を付ける事で脳内イメージを作りやすいトリガーにしたのである。

 ――その理屈は心象世界でも同じの筈。

 空を飛ぶのも、風を纏って宙を舞う強固且つ詳細なイメージが出来ているからこそ。それが出来ていたからさっきは空を飛べていたのに、ビルを投げられた時点から飛べなくなったのは、恐らく心象世界が《獣》のものだから。

 つまりビルをぶった斬ったのも、キリトのイメージでは『出来て当然』という強い確信に基づくものだったのだ。風の刃を飛ばしたのだと思うが、アレをぶっつけで出来るくらいにはイメージ像が完成している事になる。そして《ⅩⅢ》は埋め込まれたコアの装備と同一であり、出来る事はほぼ同じ。現実でもビル斬りが出来てもおかしくない。

 そう戦慄していると、キリトが《獣》に肉薄した。

 

『――上がれ』

 

 ――目の前に迫る敵を前に、《獣》が呟く。

 すると、《獣》の足先を境に地面がせり上がり、巨大な壁となっていく。唐突に生じた壁にキリトは目を剥き、壁を蹴る形で止まった。

 上を向いた後、すぐさま後方に跳び退くキリト。数拍遅れ、びちゃびちゃと液体が落下した。《獣》が立っていたところを浸していた血だ。やや粘つくそれを被れば機動力を削がれる、それを厭って跳び退いたのだろう。

 

『面倒な――!』

 

 ぐんぐんと高くなっていく岩壁と離れる敵を見て奥歯を噛んだキリトは、風を纏って粘液の上に浮く。そして岩壁に向かって一直線に突進し――衝突する前に、風によって晒された真下の大地を蹴り、慣性を斜め上に転換。岩壁に足を着くと共に駆け上がり始めた。壁走りだ。

 普通なら慣性を喪って真っ逆さまだが、恐らく風で後押ししている。その証拠か黒髪のたなびき方がややおかしく、毛先が天を向いている。

 ――上って来る敵を見た《獣》が、一際大きなビルを宙に出した。

 

『いい加減に、しろッ!』

 

 それを見たキリトは、両手に持つ剣を投げた。

 高速回転する二刀は《獣》に迫るが、横に数歩動くだけで躱され、ビルが落下を始める。追撃とばかりに《獣》が風の槍を投げて粉砕し、瓦礫の雨へと変える。

 二刀を投げてすぐ大刀を取り出していた少年は、落下するビルを見て、岩壁に大刀を突き立て、その上に立った。

 ――その両手に、片刃剣が二本現れる。

 右手に黒、左手に白の一色に染め上げられた対の片手剣。愛用の二刀より性能的に上回っているにも関わらず決して使おうとしなかったその二刀を手にしたキリトは、《獣》と同じように柄と峰同士を合わせるように、一本の両刃長剣へと合体させた。長剣を左手に持ち、足場にしている大刀と並ぶように左に突き立てる。

 右手に大刀を、左手に合体長剣を握り、腕で宙づりになったキリトは、瓦礫が迫って来ると同時に下半身を後ろに伸ばし――ぐるん、と宙でバク転をした。バク転の時の勢いで岩壁から大刀と長剣が抜ける。

 真上には、瓦礫の雨。

 

『ハ、ァアアア――――ッ!!!』

 

 宙に浮いた二刀の剣士が、体幹を捻り、腕の勢いで瓦礫の一つを両断し、左右に逸れて落ちていく。

 一つを斬り裂くが、瓦礫は雨の様相を呈している。更にかなり巨大なビルだったため数自体もかなり多い。重量はビルの瓦礫の方があるせいか次々に少年を追い越しているが、地面に落下するまでに瓦礫が全て落ちるとは思えない。流石に瓦礫の雨の中で高所落下の着地と退避を両立させるのは無理だろう。

 それを分かっているだろう少年は、一心不乱に自分に当たりそうな瓦礫を二刀で斬り裂いていた。右手は片刃の大刀、左手は合体させた両刃長剣で重さや刃渡りに違いがある、長剣の方は使うのも初めてだろうが、それでも上手く使いこなして岩石を斬っていく。

 ――その最中、巨大な岩盤を斬り裂いて、《獣》が襲い掛かる。

 寸でのところで気が付いた剣士が、二刀で防ぐ――それまで一撃で折れていた黒と翡翠の剣だったが、大刀と長剣は折れず、しっかりと振るい手を護っていた。

 《獣》の攻撃の勢いで叩き落とされた少年は落下途中の岩盤に着地。《獣》も同じ岩に着地し、斬り掛かろうとするが、一歩踏み出した途端真ん中で割れた。

 別の岩に飛び去るキリトを、《獣》は追う。

 幾つもの岩を跳び移り落下に抗うように昇って行った二人は一際巨大な瓦礫の上に揃った。足場はビルの屋上らしく、網目状に張り巡らされたタイルを懐かしく感じた。

 

『は、ぁ!』

『ふ――!』

 

 落下する最中、一つの岩の上で再び出会った二人が真正面から斬り合う。二刀と一刀がぶつかり、砂塵が放射状に吹っ飛んだ。

 ――ばごっ、と足場が衝突点を境に割れる。

 しかし二人がいる足場が下を向き、頭上に敵がいる位置関係になっても、二人は斬り合いをやめなかった。素早く二刀を振るうキリトと巧みに剣劇を捌く《獣》の戦いは苛烈極まる。当たれば即死の頭部が剥き出しの戦いで尚どちらも怯んでいなかった。

 

 ――――これが、これが本当の戦いなのか。

 

 余人が関わる隙も無い高次元の戦いに、目を奪われる。

 SAOでも殺し合い、命の奪い合いはあったし、自分も《笑う棺桶》掃討戦に参加した身だから人間同士の殺し合いは見ていた。だが、ここまで鬼気迫る命の奪い合いは初めてだ。

 どちらも本気だ。全力だ。《笑う棺桶》のように快楽を求めているからでも、愉しんでいる訳でも無い――ただ、相手の命を奪う為だけに剣を振るう、本当の『殺し合い』に、震えが来た。それは恐怖であり、畏怖。ボスと戦うのも怖いが、やっぱり人間同士で殺し合う方が何百倍も恐ろしい。

 そう、胸中で彼の剣士に畏敬を覚えていると、戦いに進展があった。

 秒間に何合と、頭上を互いに見上げながら何十合と斬り結んでいた最中、キリトが強く剣を振るい、《獣》にたたらを踏ませる。その隙に乗じて岩場から飛び退いた。

 当然、《獣》もすぐ態勢を整え、追わんとする。

 

『――水天、逆巻けッ!』

 

 ――追撃を読んでいたキリトが、二刀の代わりに黒鋼の弓を取り出し、水の細剣を番えていた。

 切っ先から水が溢れ出し、渦を巻きながら傘のように展開されている。

 

『アクアリウムッ!!!』

 

 一拍置いて放たれたそれは、一瞬で《獣》に迫った。惜しい事に両刃長剣の鍔で防がれたが、続く水の大爆発で大きく吹き飛んでいく。瓦礫も同じ。

 放った張本人も、水と空気の破裂の勢いで慣性を得て、そのまま岩壁を登り切った。

 武器を戻したキリトは、頂上に到達した直後長剣を突き立て、片膝を突いた。肩を上下させている。どうやら精神世界と言えど、疲労からは逃れられないらしい。

 あれが再現された肉体の、再現された疲労であればいいのだが……

 ――そう心配した瞬間、《獣》が下から現れた。

 余りにも早い復帰に周りも息を呑むが、岩を蹴る音が聞こえていたのか、姿を見せた時にはキリトも構え直していた。間を置かず斬り掛かり、刃が交わった。鍔迫り合う。

 

『――息が上がってるぞ』

 

 ぎぎぎ、と刃を押し合う中、《獣》が口を開いた。

 

『さっきおれの心象を呑んだのは、あの時点では良かったが、結果的には悪手だった。心象を上書きした以上、おまえが呑んだものにも効力がある――内側から、塗り潰されている』

 

 ――告げられた内容は、絶望的なものだった。

 憎悪に染めようと放たれた血を呑み、展開されていた《獣》の心象を飲み干したのが悪手で、正に今内部から喰われている。それは防ぎようがない内側――すなわち、心から冒されている事を意味する。

 精神で戦っている二人の肉体がそのまま再現されたもので、心に干渉しているかは、実際定かでは無い。

 だが《獣》の根幹は『負の想念』、すなわち感情。それを顕すものなのだから、感情に干渉している以上は心を冒していると言っても過言では無い。

 

『それに、使ってる武器も良くない』

 

 続けて、《獣》が相手の二刀に視線を落とし、言う。

 

『両刃長剣はおれを象徴している武器。それを使う事は、すなわちおれを呼び醒ます事に他ならない。使えば使うほど自分が自分でなくなる事を無意識に分かっていたからおまえは使おうとしなかった』

 

 ――合点がいった。

 どうしてキリトが頑なにあの剣を使おうとしなかったのかを。元から使っていた剣の方が愛着があるからとか、剣の魂を【継承】してきたものだからではなかった。《獣》、すなわち憎悪を呼び起こすから本能的に忌避していたのだ。

 だが、キリトという剣士を支えて来た二刀は、一合交えるだけで破壊される。戦うには強い武器を使うしかない――それが、《獣》を呼び起こす武器だったのだ。

 

『この剣はブリュンヒルデの【雪片】と《零落白夜》を基に製作された剣、《オリムライチカ》にとっては憎悪の象徴。ある意味でおれ自身。刃を交える度に、おれ()が伝わっている筈だ』

 

 ――キリトが黒と翠の二刀。

 

 ――シロが大刀。

 

 ――獣が合体長剣。

 

 恐らくそれぞれの人格は自身が使うに相応しい武器を定めている。その中で獣の武器をキリトが使っているから、不利になってしまっている。キリトが超克しようとしている負の感情がダイレクトに伝わっていくのだ。

 そこでさっき飲み干した獣の心象が共鳴し、内側から蝕んでいる。

 だが、そうしないとキリトは対抗出来ない。

 ある意味で、八方塞がりだった。

 ――それを示すように、二刀が弾かれ、後退した。

 

『もう諦めろ。おまえじゃおれには勝てない』

 

 《獣》は追わず、凪いだ瞳でそう語り掛ける。表情は無。だが、その眼には憐憫と同情――負ではあるが、攻撃的なものは含まれていなかった。

 

『さっきの斬り合いで一気に侵食が進んだ。内側から負に冒され、既に満身創痍のおまえは、もう武器を振る事もままならない筈だ』

 

 ――ふと気付く。

 大きなものこそ未だ無いが、細かな傷をキリトはそこかしこに負っていた。対する《獣》は殆ど無い。能力の差、内側から蝕まれる苦しみがその差を生んでいた。

 

『ことわる』

 

 だが、キリトは拒絶の言葉を返す。行動でも顕すように距離を詰め、斬り掛かった。

 

『――そうか』

 

 短く応じた《獣》は、アッサリと二刀の攻撃を弾き――鍔元まで深く、長剣をキリトの胸に突き立てた。

 貫かれ、背中から生えた白黒の刃は朱く濡れていた。刀身から、背中から、腹から紅い液体が流れ出て、岩壁の頂上を汚す。

 うっ、と口元を押さえる者が続出する。

 そんな、と誰かが声を洩らした。

 嘘だろ、と絶望する声が聞こえた。

 

『これで、終わり――』

 

『――いいや、まだだ』

 

 

 

 ――胸を貫かれたキリトは、《獣》の言葉に被せるように言い切り、抱き付いた。

 

 

 

 唐突な展開に全員が凍り付く。一体何をしているのかと、そう困惑した。

 

『なっ、何を……?!』

 

 当然《獣》も困惑している。抱き付いて来る事で胸を貫く長刀は更に深々と刺さり、抉っているのに、構う事無くキリトは腕を《獣》の背中に回しているのだ。

 

『これなら、外さないだろ……?』

 

 口の端から血を零しながら、にっと不敵に笑むキリト。困惑する《獣》。

 

 ――ひゅん、ひゅん、と音がする。

 

 風を切る鋭い音。それが二つ重なって、徐々に大きくなっていく。キリト達に近付いている証だ。その音に気付いたのか、《獣》も視線を上空に上げる。

 頭上から、黒と翠の剣が回転しながら迫っていた。

 ――《獣》がビルを落とそうとした時に投げた、キリトの二刀だ。

 

『な、あれは……! まさかこれを狙って……?!』

『策は何重にも練るものだ……!』

 

 ――迫る二刀は、キリトの操作を受けているのか徐々に二人に近付く。

 《獣》は何とか離れようともがくが、体力的に限界でも致命傷を負っていないからか、キリトは決して離そうとしない。自分に当たる軌道だとしてもお構いなし。《獣》の長剣も今はキリトに刺さっていて、抱き付かれているせいで使えない。武器を出せても、両手を使えない。

 

『だが、まだやりようが――』

『ガァッ!!!』

『ギッ?!』

 

 両手が使えないならと何かを呼び出そうとした《獣》だったが、それを察知したキリトが喉元に噛み付いた事で妨害され、失敗に終わる。血が噴き出る程の強さで噛み付いたようで、さしもの《獣》も激痛に喘いでいる。

 ――そして、二刀が《獣》を貫いた。

 

「――――ッ!」

「――――ッ?!」

 

 声にならない悲鳴が上がる。

 だがキリトは貫かれていなかった。剣が迫る直前、《獣》を押して離れたからだ。それを理解したのか、途端に安堵の溜息が次々と聞こえた。

 

『これで、終わらせる――!』

 

 二刀を両手に呼び戻したキリトは、構えを取った。左半身を前に、切っ先を上に。右半身を後ろに、切っ先を下に。二つの剣身が蒼光を迸らせる。

 ――《二刀流》上位剣技。《スターバースト・ストリーム》十六連撃。

 

『舐、めるなァッ!!!』

 

 対する《獣》は傷口から光の粒子を上げ、血色に染まりながらも態勢を整えた。合体長剣を両手で持ち、眼前に突き出す。すると周囲を十六の闇の柱が立ち上った。

 ――アレは、《個人戦》のホロウが使った技だ。合体剣になった時にのみ出せる技だとキリトからも聞いた事がある。他の武器が使えなくなる代わりに相手の防御力を無視した高倍率のダメージを与えるスキルが使えると。それを使うとなれば、威力も高くなるだろう。

 この衝突が最後になるのだ。そう悟った。

 

『『負けるか――ッ!』』

 

 異口同音。在り方が違う二人は、しかし全く同じ言葉を口にして、衝突した。

 キリトは二刀を両手に持ち、高速で振るう。《獣》は闇を帯びた長剣を片手に迎え撃つ。激しい衝突に岩壁に罅が入り、衝撃波が放射状に放たれ、巻き上がる砂塵や石が吹き飛んでいく。

 七撃。拮抗。

 八撃。二刀が逸れる。

 九撃。立て直し、拮抗。

 十、十一、十二――数を経る毎に激しさを増す剣劇。二刀の眩い光に蒼は無く、黄金を幻視する程。

 対する《獣》の長剣も同じ。黒の闇に紅が混じり、より禍々しさを増していく。

 

 ――果てなき闘争。

 

 一進一退極まる接戦。激戦というのも足りない熾烈な鬩ぎ合いは、最後の一撃まで決着が着かず、もつれ込んだ。

 左の剣を引くキリト。

 鏡合わせのように、《獣》もまた、剣を引く。

 そして――一瞬後、衝突。

 刺突と刺突。鋭くとがった剣尖同士の衝突が実現し、鬩ぎ合いが再び生じる。空気の層が貫かれ、暴風が岩壁の頂上より放たれた。蒼金の光、紅黒の闇の奔流がとめどなく放出される。

 ――はたして、何秒経ったのか。

 一秒か、それ以下なのか、十秒か、あまりに一瞬一秒が濃密な戦いに引き込まれているせいで時間感覚は無いに等しい。

 しかし、確かに時は過ぎた。

 ――決着が着く。

 ガギィッ、と。甲高い音と共に、剣が弾かれる。風を切りながら落ちるものは――長剣。翡翠の剣は、《獣》の胸を貫いていた。

 ――ぱきり、と乾いた音が響く。

 傷口を中心に、《獣》の体から光の粒子が溢れ出した。

 

『――まさか、負けるとは思わなかった』

 

 痛みは無いのか、我慢しているのか、平然として《獣》が口を開く。

 

『これが、人とのつながりで出せる力か……恐れ入った』

 

 そう言って――《獣》は、微笑んだ。

 

『強いんだな、おまえは』

『みんなが居るから強く在れる。俺一人だけじゃどこかで折れてた』

『そうか……なら、これは忠告だ。おれを斃したと言っても、同じ廃棄孔が現れない訳じゃない。信じる人間はよく見極めるんだな……――――』

 

 忠告を最後に、《獣》は粒子へと爆散し、消えていった。

 

 

 

 






 はい、如何だったでしょうか。

 《獣》が理知的なのは、シロを取り込んだからです(魔人ブウ的な) 度々話し掛けて割と絶望的な事を告げてるのは、心を折って取り込みやすくするため。負の感情の権化である《獣》は、負を取り込みやすいため、負を抱かせる事によって取り込むんですね。

 前半キリト視点では、《獣》/廃棄孔がどれだけ強いかの描写(をしたつもり) 普段から《ⅩⅢ》で鍛えられてる想像力を問答無用で一撃で破壊する地力、現状のキリト最大戦力が総体の1%未満という状態、シロすら敗れたという事実が、《獣》の客観的強さになればなって。

 シロと《獣》の力はほぼ互角だった(生存本能は生物にとって最大級だから)が、キリトに対する悪意(ケイタや須郷)が、鏡で返すに悪感情を抱かせる事になり、結果的にその感情が《獣》へと蓄積。そのためシロが抑えられなくなり、封印が破られ、取り込まれ、シロが持っていた分(49%ほど)を一気に取り込んだ。そのため脳のリソース占有率があんな感じに(太陽はその対比)


 戦闘描写ではビル斬り、ビルの瓦礫の上での斬り合いは《FF7AC》のクラウド対セフィロスより。ちなみに風の刃を飛ばしでズバンッと斬ってた、その気になればリアルでも出来る。ただしリーファの魔法の話を聞いて使えるようになったので経験はまだ無い。ぶっつけ本番はキリトの(望んでいない哀しい)十八番。

 ビル投げは、『心の王国2』のラスボスね(決してタイトルを言ってはいけないよ) ビルの心象を持つシロを取り込んだから出来たこと。

 岩壁せり上げは『心の王国~眠りの誕生~』の最終決戦の場所のアレね(決してタイトルを(略)) ちなみに《ⅩⅢ》でもその気になれば出来る。キリトはそれをするだけの脳のリソースが無かったから出来なかった。

 心象世界のものを取り出し、それで攻撃するのは、《エミヤ・オルタ》の宝具からヒントを得ました。自身の固有結界(心象)を切り取り、弾へと換え、敵に打ち込む事で必死確定の攻撃にするある意味の自滅技。使う度に己を削る。本作ではそのデメリットが無いです。

 ――これまで三回出て来た《オリムライチカ》/キリトの心象世界。実は全て違う人格のものでした。

 キリト:灰白の乾いた大地、黒い雲、黒い雪

 シロ:黒い雲、雨模様の摩天楼

 《獣》:黒い太陽、大地を浸す血、大地を埋め尽くす頭蓋骨の山

 徴税部隊の後に倒れ、シロとファーストコンタクトを果たした世界。あの心象はシロのもの。現代風摩天楼にしたのは、シロが生じたキッカケがコア(テクノロジー)を埋め込まれた時だから。

 キリトの世界。人がおらず、大地は死に、天も黒い雲に埋め尽くされ、黒い雪が降る光景は『滅んだ世界』と言える。何気に心が死んでるという描写。

 《獣》の世界。人を怨み、世界を憎み、復讐する事を考えており、止まるのは前話でユウキが考えていた『生きとし生きる者全てを殺した時』なので、頭蓋骨と血がたんまり。黒い太陽は『絶望』を中心とした負を顕しております。

 キリトと《獣》の心象は、『生存本能』のシロが欠いているために生命が無い世界になってる。シロだけ現代風の建物=生活感があるのはそういう事です。恵みの雨とも言いますいしね(尚黒いモンスター(白目))

 伝わってくれたら嬉しいなぁ……!(解説しないと分かりにくい自覚はある)



 キリト自身が生きる事を望み目指しているのに、復讐を認めているという事実。これは矛盾では無く、本人が語っているようにキリトにとって『復讐=殺す』ではないから。極論『見下し返して苦しみ悔しがっている姿を見て愉悦する事』を復讐としているのです(愉悦部?)

 元々の性格的に愉悦する方では無いので、憎しみや復讐心も『力を付けるための理由』として捉えられています。これを心理学では《昇華》と言います。社会的に認められ難い欲求を、認められやすい生産性のある行為の動機や力にする事です。勝負で負けた苛立ちを次の勝負で勝つべく練習に打ち込む意欲に変換するとか。

 キリトの場合は正にこの《昇華》が行われています。復讐を二の次に、そして『力を付ける意欲』を出す為の手段にするのも、本人にとって幸せは既にあるから。

 ――逆説的に何もかも喪われたら、復讐を二の次にする理由が喪われ、憎悪に正直になります。

 キリトが『力を求める理由』。それは周囲を見返す事だけでなく、見返す事で自身を迫害しなくなる=一緒に居る人が苦しまなくなる=皆と一緒に居られるという事なので。その目的の為に、復讐を手段にすると言った。

 キリト自身『復讐』は認めているし、自分の中にあった不満が積み重なった憎しみ、キバオウ達などに向けた殺意を自覚しているので、復讐の泥を飲み干せました。

 そんな事をすれば(概念上と言えど)復讐心は強まり、暴走しそうなものですが、エリュシデータとダークリパルサー、これまでの行いと人との繋がりがそれを押し留める。だからどれだけ飲み込んでも、憎悪を抱いても、みんなとのつながりがある限り絶対に闇堕ちしない。

 ――前話で、『アスナの言葉で分かった』というのは、『人とのつながり』。

 人との繋がりが現実で乏しかった分、反動で余計に大切にするようになったアスナの言葉が、キリトにとって決め手となったのです。勿論下地としてリーファやユウキ、シノンの告白、クラインの声援も関係しています。

 今まで迫害され、巻き込むのを厭った為に人から距離を置いたキリト。その一線を飛び越えて来た面々の想い、つながりが、キリトにとって何よりも尊く、欲するものだったのです(『千冬に認められたい』という欲求も、『自分を見て欲しい』という欲求=人の温もりを欲していた)

 憎しみよりも温もりを求める感情を優先する。本作主人公は味方が一人でもいる限り、闇堕ちを自ら封じ込める、根っこは良い子なのです(敵には容赦ないけど)


 ――――さぁて、プロットの中で最速の人格統合だぞぅ!

 こうでもしないと小話やゲームにあったイベントにキリトを混ぜられないからね、仕方ないね。

 ……強くなったけど、他の皆はレベルカンストだから大丈夫だよネ!(フラグ)

 もしかしたら前々話、前話の話を整理して合体させたりするかもしれないです。次の投稿時に変えるつもりなので来週の月曜ですかね、速くて。

 では、次話にてお会いしましょう。



 ――――ちなみに、首に噛み付いたキリトは顔にべっとりと返り血を浴びています()



 ――――それと現実側と思しき視点では誰が描写されたか、分かったでしょうか。



 SAO内部に入れないとは言ったが、外側の描写ならしてもいいよね!(既に博士が出てるし)

 敢えて個人名出さなかったのは察して欲しい。取り敢えず『表と裏で名前が二つある』『この時点で専用機持ち』『口調から女性』『裏側の仕事をしている』『姉妹仲は良くない』人が視点でした(答え)

 ――別エリアの方だったら外から映像付きでモニタリング出来るんやで、という描写。

 では、次話にてお会いしましょう。


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