インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

140 / 446


 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。

 二週間ぶりですね。国試が残り一ヵ月を切った事もあり、勉強疲れで寝てましたので……巷では『Ⅲ』とか『リマスター版ヴェスペリア』とかSAOFBの第4弾とか出てるらしいですね。やりたい(率直)

 ともあれ、そんな状況なので国試、就活、お引越し等々で忙しいだろう2月,3月は投稿回数が激減する事間違いなし。ご了承下されば幸いです。

 さて、今話。

 シノンの創をアスナが癒した後の話ですね。毎度の如く全然進んでないのは許して! これでもかなり頑張って縮めた方だから!(主に地の文)

 文字数は約一万一千。

 視点は前半アスナ、後半クライン。

 ではどうぞ。





第百二十七章 ~兆し~

 

 

 眠りに就いた小さな友人を抱き締めていたい思いは、しかし叶う事無く、すぐ終わりを迎える事になった。有無を言わさぬ勢いでキリトがウィンドウを操作し、ユメを具現化する影響で一緒に再現されていた少女を消したからだ。

 

「ああっ……あー……」

 

 確かな重みがあった腕が瞬間的に空になって、残念な気持ちが口から溜息として零れる。もう少し彼女の寝顔を見ながら抱き締めていたかったのが本音だ。

 

「いや、そんな残念そうな顔をされても困る……」

「だって、残念に思ってるんだもん。もうちょっとだけ抱いていたかったんだもん」

「だもんって……あのな、分かってると思うけど、不快な感情を想起させられてるのはシノンだけじゃない。シノンを優先したのは後の事を考えて最優先だったというだけで苦しいユメを見させられてるプレイヤーは他にも居る。何時までも留まる訳にはいかないよ」

「うー……」

 

 それは分かっている。分かっているけど、少しでも癒しを得たいと思う気持ちには抗えなかった。すぐに起きて、また錯乱しないか確認しないといけないのでは、とも思っていたし。そのついでに癒しを得られればと考えていたのだ。

 そんな浅はかな思考を見抜いているかのようにバッサリと逃げ道を絶った彼は、そのまま流れるように具象化空間から元いたエリアへと三人纏めて転移させる。

 気付けば私は目に痛いくらい赤い部屋に移動していた。視界には数え切れないくらいの人の脳のホログラムが浮いて……

 

「お帰りなさい、キリト君、リーファさん、アスナさん」

「……ランちゃん?」

 

 脳のホログラムが並ぶ部屋に戻ったと思えば、脳の代わりに見覚えのある顔ぶれがずらりと並んでいた。いの一番に声を掛けて来た水色の装備で固めた細剣使いの少女も囚われていた面子の一人。これから順次解放していく予定だったのに既にされていて呆気に取られる。

 シノンを助ける前に楽しいユメを見ている人達だけでも彼が解放しようとしなかったのは、この辛い現実に復帰するまでの僅かな時間、ユメの中だけでも幸せであって欲しいと願っていたからだと思う。その点について何か言っていた訳ではないが、当たらずとも遠からずといったところだろう。ユイとヴァベルは捕縛した《ティターニア》の見張りで動かないし、ユウキ達は管理区から動かないと思われ、解放出来る人員は居ないと予想していた。

 だが眼前に広がる光景はどうだ。囚われていなかったユウキやユイ達はおろか、ランやクライン達、団長までもが解放され、そこにいる。

 恐らくマップで追っていた反応がいきなり消失したから慌てて来たのだと思うが……

 だとしたらちょっと悪い事をした。義弟と義姉が揃って居なくなったと思った彼女は、大層心を痛めたに違いない。更にあの狂気的な光景、MHCPとして在る彼女にとって見るだけでもかなり苦しい筈だ。

 

「まったくもう、行動する前にせめて一言言って下さい。戦闘音が響いて来て、慌てて駆け付けたら居なかったから、凄く焦ったんですよ」

 

 しかし彼女は抱いているだろう不安をおくびにも出さず、むぅ、と困り顔で言って済ませる。キツく言ってこない分、却って罪悪感が湧いて来た。

 手を合わせて頭を下げる。

 

「ごめんね、ユイちゃん。シノのんを急いで助けなきゃって気が急いてたから……」

「あたしも、ごめん。確かに一言告げてから行動するべきだった」

「もう……今回だけですからね」

 

 しょうがないなぁ、と苦笑を浮かべ、彼女は赦してくれた。

 こうして見ると大人の女性としての立ち振る舞いが板についているなぁと思った。その姿になってまだ一週間と経っていない筈。元々理性的な性格をしていたようだし、見た目がそう感じさせているのかもしれない。

 ――そうやり取りをしていると、軽やかな電子音が耳朶を打った。

 聞こえるのは背後。振り向けば、コンソールのパネルを打鍵する少年の姿が視界に入る。何をしているのだろうと首を傾げていると、隣に立つリーファが口を開いた。

 

「そういえば、ここに囚われてた人に一般プレイヤーも居た筈だけど、その人達は? 攻略レイドの顔ぶれしか居ないけど」

 

 周囲を改めて見れば、確かに攻略レイドの面子ばかりで、スレイブが捕えていたという一般プレイヤーの顔は無い。

 

「ディアベルさんやヒースクリフさん、エギルさん達が引率して、《アインクラッド》へ送って行きました。《ホロウ・エリア》の事についても答えていましたが、その情報元は須郷……今回の件の首謀者が語った事として、広めています」

「……デスゲームの首謀者である事も?」

「はい。半信半疑ではあるようでしたが、大半は受け容れているように見えました」

「……そう」

 

 どうやらその辺の事について団長やディアベル達は緘口令を敷くつもりは無いらしい。表面上変化に乏しく見えたが、腕を見込んでいただけに須郷に嵌められ、夢を貶された事は怒り心頭だとしてもおかしくないし、実際相当腹に据えかねていたと見える。

 普通ならその話をいくらしたって誰も信じないが、須郷はGM権限を駆使し、更に現実ではあり得ない整った容姿と攻略層に見合わない豪奢な装備を纏っていたから、他のゲームの総責任者である事は信じられるだろう。《圏内》なのに攻撃出来て、しかもプレイヤーを強制転移させる道具なんて普通あり得ない。そんな例外を許されるのは正しくゲームマスターだけ。

 更に信用は《攻略組》の方が圧倒的にある。同じ被害者、という点もポイントが高い。同じ立場、境遇の人間の言葉は、異なる立場の者の発言や証言よりも信じられやすい傾向にある。

 茅場晶彦の無実を証明され、真の黒幕として須郷伸之が捕まる未来も、現実味を帯びて来た訳だ。

 この仮想世界をこよなく愛し、発明した人と未来の展望について語り合う事を望んでいた少年も、この事について内心喜んでいるに違いない。

 ――そう話している間にシークエンスが進んだようで、コンソール上に表示されていたインジケータが端から端まで白一色に染まる。

 途端、しゅわん、と柔らかな音と優しい青の光が発生する。青い光が霧散したそこには、弓使いの少女シノンが床に横たわっていた。

 駆け寄って、抱き抱える。

 

「シノのん……シノのん」

「――ん、ぅ……」

 

 軽く揺さぶりながら名前を呼べば、さっきは全く反応が無かった彼女は小さな呻きを上げつつ瞼を持ち上げた。ぱちぱち、と瞬きを数回した後、ぼうっとしていた眼がしっかり自分の顔に焦点を結ぶ。

 ――ふわりと、笑んだ。

 今まで見て来た不敵なものでも、冷静なものでも、落ち着いたものでもない、年相応の少女が見せる柔らかな笑み。満面の、咲き誇るような花の笑顔。

 まるで憑き物が落ちたようだ。

 

「おはよう、アスナ」

「――うん、うん! おはよう、シノのん!」

 

 視界が滲み、雫が頬を伝うのを感じながら、腕に抱き上げた少女を抱擁する。すると自分の頭を優しく撫でられる感触がした。シノンが撫でてくれているらしい。

 ――嬉しいなぁ。

 素直に、心の底から思った。

 現実に居た頃には無かったこの充足感は新鮮だ。現実では成績や実績、表彰状などを自慢し合い、相手を貶め、己を高く見せる事に始終苦心する生活だったが、ここはそうでは無い。親に選別されず、誰の指図も受けず、ただ己の意思一つで友人との付き合いを得られるのだ。

 ――――私の人間関係は、冷め切っていた。

 仕事にかまけて家族を顧みない父。成績や進路ばかり気にするようになった母。婚約者の男性は自分を『道具』としか見ない。進学系の女学校故に、級友はライバルであり、弱みすら見せられない。仮に友人が出来ても、相応しくない人――成績が上位に無い、ファッションが古いなど――と母が判断すれば縁を切らざるを得なかった。

 現実に、『親友』と呼べる人は居なかった。

 両親が見定め、『交流してよし』と判じてから漸く遊べる相手など、敬遠されて当然である。変えられると思わなかった私は諦めと共にそれを受け容れていた。

 しかしこの世界では、仮想世界では違う。ユウキとランの姉妹、サチ、リズベット、シリカ、リーファ、シノン……攻略以外ならヨルコやサーシャなど、多くの女友達が出来た。男性はクラインやエギル、ゴドフリーといった良識的な大人もいる。全て、キッカケを経て自らの意思で持った交流であり、交友だ。

 この世界は、データで作られた仮想現実の世界。

 でも、それでも人の心は、触れ合いは――交流は、本物だ。感じるものも、行動も。

 ――きっとこの交流を、母は良く思わないだろう。

 SAOは、デスゲームだった。茅場晶彦が起こしていようがいなかろうが当事者では無い母にとっては関係ない。母にとって重要なのは、SAOに囚われた者達――特に自分のような学生――は社会に遅れた不適合者である事だ。立派な大人だろうと、良識ある人だろうと、常軌を逸した聡明さを見せる少年だろうと、関係無い。客観的な立場だけを母は重視する。

 娘の進路、先行き、未来――――『栄転』を妨げるか否かで見るだろう。

 そして、間違いなく母はこう判断する。『相応しくない輩だ』と。デスゲームという異常な環境に身を置いた者をマトモとは思わず、偏見と侮蔑を以て『関係を切りなさい』と言う。

 その未来を私は確信している。

 母の決定に唯々諾々と従い敷かれたレールの上を歩んでいた『私』は不満があっても押し殺していたに違いない。

 

 ――でも、それは嫌だ。

 

 母が、娘の未来を案じているからこそ、栄転の道を妨げる存在を出来る限り排そうとするのは知っている。母の生まれと両親は田舎の方で、大学で教鞭を執るまでの間に出身や学歴で酷く言われた事が無数にあったと聞いている。

 そうならないよう、娘が自分がした苦労を同じように背負わないよう苦心している事を、私は知っている。

 そんな母にとって、この関係は到底認められないものだろう。『殺人』を犯した者との交友など世間的にも酷く非難されるようなものだ。

 でも、嫌なのだ。

 仮令自分を想うが故のものだとしてもこの温かな関係を切りたくはない。この温かみを知った今、手放すなんて事はしたくない。創と向き合おうとして努力し、頑張り、泣いている少女を見放すなんて、そんな外道にはなりたくない。

 現実に帰ってから母からはキツく当たられるだろうが、それに屈する訳にはいかない。

 親友――そう言える少女の傍に寄り添い、支えると、そう言ったのだから。前言を撤回するつもりはサラサラ無かった。

 

「――――おかえりなさい!」

「ん……ええ――――ただいま」

 

 ――『親孝行』という点では正しくないのだろう。

 

 それでも、友を想ってのこの覚悟と選択を、私は決して、後悔しない。

 

 友を想う事は、決して――

 

 間違ってなんていないのだから――――

 

 ***

 

 ――記憶より凄ェ仲が良くなってんなァ……

 

 涙を浮かべつつ抱き合い、笑っているアスナとシノンを見て思う。

 自分達が囚われている間、どこに行っていたのかはユイから聞いている。シノンが見ているユメを再現した別のエリアに移動していると言っていた。悪夢に魘されているだろうから、それを助ける為に行ったのだろうと。

 悪夢。恐らく、過去のトラウマを延々と見せられていたのだと、ユイは語った。

 シノンはやけに攻略に積極的で、努力を惜しむ事無く繰り返し、鍛錬を続けていた稀有なプレイヤーだ。彼女が遊びに出掛けているところを見た事が無いくらい力に執着していた。過去に何かあったと思ってはいたが、まさかキリトが動く案件レベルとは思わなかった。

 ――だが、今回あの少年よりも、一緒に行ったアスナの方がシノンにとっては良かったらしい。

 あんなに無邪気に笑うシノンは初めて見た。何時も気を張り詰めさせていたシノンも、キリトと一緒に居ると和らぐ時はあったが、あそこまでではない。アスナはシノンの内側に入れたらしい。

 懐かしいな、と過去を思い返す。

 ダチの少年に受け容れてもらえたのは二度目のクリスマスを経た日の夜。それまでずっと警戒されていたから、詳しい事情や思惑なんて中々話してもらえなかった。しかしサチが寄り添い、赦した事で、張り詰めさせていた気を緩めたキリトは、漸く自分達との交友を受け容れた。

 目の前にある光景を見ていると、その時の事を思い出して目頭が熱くなる。

 

 ――やっぱ、友情ってのはイイよなァ……

 

 心底そう思う。今自分が《風林火山》のギルドリーダーをしているのだって、元々は別のオンラインゲームで組んでいたギルドメンバーなのだ。オフ会で知り合い、それから交流を持ったダチ達でSAOの製品版を並んで購入し、仲良くデスゲームに囚われた。

 キリトと別れた後、彼らに再会出来たのは奇跡的だった。お互い使うプレイヤーネームは別ゲームのものそのままにして、SAOでも名を上げてやると活き込んでいたから、簡易メッセージで合流場所を指定出来たのだ。

 再会した後、街に引き籠るかどうかを訊いたが――――俺の事情を聞くなり、一も二も無く賛成し、力を貸してくれた。

 この世界で生きる為に、そしてキリトという新たなダチを助ける為に進む。

 それに彼らは賛同し、危険なボス戦を幾度も経験しながら一度も弱気な事を口にしなかった。リーダーとして悩む時があれば相談に乗ってくれたし、気を遣ってもくれた。あいつらが居たからこそ今の自分があると言っていい。

 時に迷惑を掛けられるが、それはお互い様というもの。必要な時に力を貸し、支え合い、協力して前に進む。それは人によって仲間や戦友と呼び方が違うだろう。俺は敢えて『ダチ』と言う。

 この苦しい世界で、信用出来るダチや仲間は貴重で、何にも代え難い。

 それを何れシノンにも語ってやろうと思っていたが――その必要は、もう無いらしい。この光景を見て、その上で言うのは野暮というものだ。せめて一人で何もかもやろうと行動している時くらいだろう。シノンには、アスナという同性の友人がいる。きっと掛け替えのない間柄になる筈だ。

 

「オイ、クライン。なにニヤニヤ笑ってんだよ、気色悪いぞ」

 

 見守っていると、隣に立つ禿頭の巨漢エギルがそんな事を言って来た。大変失礼な物言いに気分を害したために物申すべく口を開く。

 

「あのな、オリャアただアスナとシノンの友情の尊さに感じ入ってただけだぞ」

「そうかい」

 

 こちらの反論に、しかしエギルは生返事しか返さない。いや、そもそも顔が笑っているから、冗談だというのは分かっている。

 冗談だとしても生返事という事は、エギルもほぼ同じ感慨を抱いているに違いない。

 ――この会話が聞こえたからか、互いしか見えていなかった二人が周囲から向けられる生暖かい眼差しに顔をぼっと赤らめ、そそくさと立ち上がる。

 

「も、もう……茶化さないでよ、みんな……」

「――《圏内》に戻ったら全員の鼻の穴に毒矢をぶっ込んでやる……」

 

 アスナは周知に身悶えして栗色の毛先を弄り、シノンは不気味な笑みを浮かべて物騒な事を言う。ただシノンも顔は真っ赤だからそこまで迫力は無い、《圏内》と限定しているのも照れ隠しと思える要因の一つ。今聞いても笑みしか浮かんでこないのは実際微笑ましいからだ。

 別に変態趣味だからではなく、ただ人が仲良く触れ合っているのを見ると幸せな気持ちになる。

 昔はツンツンしていたアスナやシノンも今はすっかり周囲の人間に気を許しているようで安心した。戦う時の凛々しい様も見ていて頼もしいが、今みたいに年相応の女子の顔をしている方がこっちとしては気持ちが楽になる。

 ――さて、ではこの世界で最年少のダチはどうなのか……

 アスナ達の方はもう大丈夫だろうとキリを付けて、思考を変える。こっちに戻って来た直後の一瞬しか見えなかったが、キリトの表情があまり思わしくなく見えたから、少しだけ気掛かりだ。疲労が限界に達したと言うにはどうも違和感を覚える。

 そこで浮かんでくるのは七十六層到達直後にキリトの別人格“シロ”が言っていた事。もう後が無い、《獣》の目覚めというワード。アレはキリトに危害――勿論害意や殺意を持った迫害行為――を加える事を意味していると考えている。

 そうすると、《ホロウ・エリア》に転移した時点でアウトだった可能性の方が高かった。護るべき対象だったリーファとシノンが自分のせいで攫われ、犯されていたのだから、心的ストレスは過大なものだった筈。

 だが、アイツは《獣》になっていない。瞳に光はなく、感情的で、全てを諦め諦観した絶望の表情を浮かべてこそいたものの、憎しみに取り憑かれているようには見えなかった。

 ――それは、不発弾を抱え込んだままである事を意味する。

 そしてアルベリヒ、もとい須郷伸之の企て。ユウキの感情と記憶を改竄し、リーファを痛めつけ、《攻略組》の面々を攫って実験体にしていた事。ユウキや自分達のホロウと相対した時、そして記憶や感情の改竄の話を聞いた時、キリトの内心は絶望に襲われた筈。

 それはまるで、不発弾に火のついた爆弾をぶつけるような、そんな所業。

 今すぐに対処しなければ取り返しがつかなくなる――そんな確信を抱かせるような想像が浮かんだため、視線を少女二人から少年へと移す。

 黒尽くめの剣士は、依然変わらずコンソールを向いたまま、展開されているホログラムを見上げている。

 ――その姿に違和感が強まる。

 普段素っ気無いが、親しい者の事になると世話焼きなあいつがアスナ達のやり取りを一切見ていないのは、違和感がある。安心し切っていると言うには、少し……

 

 

 

「――――ごふ……?!」

 

 

 

 ――と、突然キリトの背を何かが貫く。

 貫いたものは一本の剣。《ⅩⅢ》に登録されているものの、殆ど使われた事が無い《闇》の力を有する片刃片手剣ブラックメタル。柄元まで背中に刺さり、胸から刃を生やしていた。

 一体何が起きたのか分からず困惑していると、虚空から更に剣が出現する。対となる《光》を有するホワイトゴールドや、禍々しい曲剣、風の六槍などが、次から次へと彼の体を貫いていく。HPも思ったより少なくはあるが確かに減っていく。

 

「キリトッ!」

「来るな……ッ」

 

 近くにいたリーファが駆け寄るべく一歩踏み出すが、そこでキリトから制止の声が放たれる。駆け寄ろうとした自分やユウキも困惑で足を止める。

 そこでキリトが肩越しにこちらを見る。

 ――そこで、キリトは右手に白い短剣を出し、逆手で右足に突き刺す。

 

「キー、何を……?!」

 

 自傷したとしか見えない行動に慄くユイが先の制止を無視して駆け寄る。

 キリトは体を支える脚を傷付けた事でコンソールに腰を下ろす。だがそのまま横に倒れそうになる。そこを駆け寄ったユイが腕を伸ばし、抱き留めた。

 

「何をしてるんですか! 自分で、自分の脚を刺すなんて……!」

「予想外の痛みで、抑え込んだんだ……」

「抑え込むって……――――まさか」

 

 息も絶え絶えに短くキリトは告げる。端的なそれは、しかしどうしてそうなったかを確かに伝えていた。

 今のアイツが『抑え込む』と言うなら、ただ一つ――《獣》しかない。それがとうとう《王》の人格であるキリトを痛めつけ、主導権を奪おうと暴れ始めたのだ。

 だがキリトも易々と渡すつもりはなく、痛みで思考に隙が生まれて奪おうとした《獣》を、《獣》が想定しないタイミングで痛みを発生させる事で余裕を取り戻すという荒業をした。それがさっき自分で脚を刺したという事なのだろう。真実はまだ分からないが恐らく間違っていない筈だ。

 

「ね、ねぇ……アスナ、これってみんなが“シロ”っていう人格に言われたっていう事なのよね……?」

「間違い、ないと思う……やっぱり今回の事が……!」

「ど、どうにか――――そ、そうだ、さっき私がしてもらった事と同じ事をすれば収められるんじゃないの?! キリトの中で暴れてる《獣》を収めたら……!」

 

 焦燥を見せたシノンは、すぐ解決案になり得そうな事を口にした。

 確かにキリトの内面にいる《獣》をどうにかするならその手しか無い。表の人格が《獣》になった後に止めるには、もうアイツを殺すしか手が無くなってしまう。

 

「――その必要は、無い」

 

 ――だが、他ならぬキリト自身が、その提案を跳ねのける。

 何故、と全員がキリトを見た。信じられないと言わんばかりの眼ばかり。ただ一人、リーファだけは辛そうに眉根を寄せ、静観していた。

 

「なんで……どうしてだよキリト?!」

 

 最初に口を開いたのはユウキ。激昂に近い叫びをぶつける紫紺の剣姫は悲壮を顔に浮かべていて、力になりたいという意思を強く発していた。

 その双眸には、光る雫すらも……

 

「ボク言った筈だよ、君が苦しんでると哀しく感じるって! 一人で抱え込まないでとも言った! 一言、『助けて』って言ってくれたら――ううん、言われなくても力を貸す! それなのに、何で君は拒絶するんだよ!」

 

 膝を折り、義姉に抱かれる少年の手を強く握り締める彼女は、悲壮の中に確かな怒りを滲ませていた。苛立ちでもない純粋で真っ直ぐなその炎をキリトはしっかりと見返す。

 ――ふと、少年が微笑んだ。

 

「――もう、借りてるよ」

「え……」

 

 きっぱりと、短く告げられた言葉。それにユウキは当惑する。俺達も、また。何を言っているのか分からなかった。

 そこでキリトの視線が、アスナへと向けられる。

 

「シノンに言ってたアスナの言葉で分かったんだ……だから、そう言ってくれるだけで、今は十分。シロとは違う人格と向き合うには、十分過ぎる」

 

 だから、さ――

 そう言葉を区切ったキリトは、ゆっくりと立ち上がる。

 

「ずっと目を背けてたモノに向き合ってくる」

 

 そう言って、微笑んだ。

 芯のある、強い顔だ。この世界の全てが終わり、始まったあの日に見た弱い笑みでも、幾度と無く見て来た強気で――だが心では苦しんでいる取り繕った笑みでもない、光に溢れる強い笑み。

 

「っ、ぁ……!」

 

 引き留めようと、ユウキは手を伸ばしていた。だがその手をゆっくりと下ろす。避けて通れない道と理解している彼女は止めてはならないと判断したのだ。

 今己がするべき事は、止める事ではなく――

 

「っ……行って、らっしゃい……!」

 

 ――心苦しくても、辛くても、激励と共に送り出す事と見極めたのだ。

 ユウキの言葉を皮切りに、アスナ、シノン、ラン、エギル、ディアベル――あのリンド率いる《聖竜連合》すらもが、短い言葉と共に送り出す。ユウキのように素直なものもあれば、つっけんどんに突き放すような捻くれたものも。

 ――それは、アイツに送られる餞別。

 反感がある者も分かっていた。“シロ”の言葉を聞かされた時からキリトが多重人格である事は察していて、明確に言葉にされた事で危惧を抱いていた。強い憎しみを、殺意を向けられる事を理解していた。

 憎悪を抑え込み、融和の道を歩もうとするキリトを、あるいは我が身可愛さに送り出している者もいるだろう。それは決して間違いでは無い。自分の命を優先する事は間違っていない。ここでアイツを否定する言動がないだけ以前より遥かにマシなのだ。

 殺せる力を持っていながらしなかった。殺意を抱いていても、理性でそれを抑え、人との関わりを続けて来た。その今までの行いがこの顔ぶれには受け入れられているという事なのだ。

 その証左が、この激励だった。

 

「――キリトッ!」

 

 ダチを送り出すべく、以前から認めていた自分も口を開く。

 

「クライン……」

「……何もかんも終わったら、メシでも食いながら愚痴を聞いてやる。だから――超えてこい。お前ェは戦いよかメシ作ってる方が似合ってっからな」

「――ん」

 

 俺の激励に、ふわりとキリトははにかんだ。

 

 *

 

「――キリト(和人)

 

 コンソールの前に戻り――と言っても数歩程度だが――パネルに向き合ったキリトに、それまでずっと静観を保っていたリーファが口を開いた。

 彼女は強張った表情をしていた。

 

「なに?」

「……もし。もし《獣》に負けて、あなたが死んだら――あたしが《獣》を討つ。だから何も心配しなくて良い」

「リーファ、何でそんな事を今……!」

 

 義姉の唐突な物言いにユウキが責めるように怒鳴るが、当の妖精はじっと義弟を見据えている。

 

「後顧の憂いはあたしが断つ、義姉として、師として、貴方を愛する者として――だからカズト、何の気兼ねなく、心配もせず、ただ全力で自分の(過去)に向き合ってきなさい」

 

 ――気付く。

 リーファは、キリトが自分の憎しみに負ける事を前提に話しているのではない――その後の事も引き受ける程に受け容れている事を伝えているのだ。ただ一つの事に集中できるよう、些末事全てを背負う覚悟を見せている。

 アイツのポテンシャルで、感情を爆発させ、躊躇なく殺す気で襲って来ればただでは済まないだろう。リーファはステータスを改竄されていないからレベルも未だ九〇台。対してキリトはレベルカンストのホロウを三桁に上る数斬ったから、ともすれば五〇〇の大台に乗っていてもおかしくない。それだけのステータス差がある事を理解していながら、それでも引き受ける覚悟を示している。

 文字通り、自分の命を賭けてでも。

 そうするだけの価値が、信用が、信頼があるのだと、伝えている――そしてリーファは微笑んだ。

 

「自身にとっての《強さ》。その答えを自ら見出し、『生きたい』と願いを抱き、力の振るう先を見定めた貴方は本物の強者よ――あたしが、師として認めます」

 

 その上で、キリトが見出したという《強さ》の答え、抱いた願望を肯定し、生きる事への欲求を補完する。

 ――伊達なんかじゃねェ。

 どうやら自分は年下の少女を見くびっていたらしい、実力ではなく内面の方で。剣の腕は相当なものだと思っていたが、内面、すなわち心の方は、並みの大人を凌駕している。これが来年高校生になる歳の少女なのか。

 師としての自負。義姉としての振る舞い。義弟が求めるものと、教え導くべき方向。その全てを押さえている。今のアイツが最も必要としている《手助け》をしっかりしてしまった。

 

「その想いを見失わない限り、そして自身を想う人を信じる限り、その想いが貴方を護る――――行ってきなさい、和人。貴方の今までを無駄にしない為に」

「――――」

 

 言葉は無く。ただ無言で、大粒の涙をキリトは浮かべていた。

 そのまま何も言わずコンソールに向き直ったアイツは、手早くコンソールを操作し、青い光に包まれて消えた。同時、少し離れたところに脳のホログラムが出現する。どうやらさっき自分達がされていた状態になり、アバターを格納し、ユメ――精神の奥底へと潜ったようだ。アバターがあると《獣》が操って暴れると考えたからかもしれない。

 ――さっきの会話の間もいっぱいいっぱいだっただろうに、そんな事にも気を回せるアイツには、やはり戦いは似合わない。

 そう、心で笑った。

 脳裏には、飯屋で笑い合う光景しか浮かばなかった。

 

 





 はい、如何だったでしょうか。

 何か色々と物語最終章のクライマックス染みてますが(その場合ラスボスは自分自身という……)SAO編ってまだ序章ですからね(白目) 《オリムライチカ》としての物語が一切進んでないので()

 ……もうちっと時系列飛ばし飛ばしでやってもいいかもしれぬ。

 でも後出しで『こんな事があった』すると、伏線が一気に軽くなるというか、重みがなくなるというか……うぬぬぬ、ジレンマ。

 ――――それはともかく。

 前半はアスナ視点による『親友』や『人間関係』の認識。原作アスナもそうですが、SAO以前の交友は親が見定めて可否を決めていて、アスナも敷かれたレールを歩いていたので、友人をかなり大切にする方です。『親友』レベルのシノンを支えると決意した時点で母親とぶつかるのは確定なので原作七巻みたいに悩む事は無いかもしれない。

 まぁ、原作七巻の場合、恋人の和人との関係を言われていて、母親に強く言い出せない(何もかも決められてきたから今更主張し辛い)部分が重なった結果でしょうが。

 ――書いてて思ったんだけど、アスナにとっての『親友』描写、リズとシノンだと後者の方が上に感じるのだが(原作9巻現実の家のお泊りの有無) リズよ、お主はMORE DEBAN村民になってからは、アスナと疎遠になってしまったというのか?!(違)

 そして後半のクライン。クラインが発言してる回数自体少ないけど、見守ってる時の内心はこんな感じだよっていうね?

 というか原作のクラインもそうだけど、デスゲームの最初から最後までずっと一つのギルドで固まっていて、死者ゼロで、帰還後も一緒にゲームするとかどんだけ人付き合い良いのだろうか(戦慄) SAO以前から別ゲームで同じギルドやってるくらい仲良いっぽいし……

 ――原作もそうだけど、クラインはダチや仲間を絶対に大切にする性格。

 そんなクラインの友情やダチを大切にする性格を踏まえた描写。激励の飯の約束は正しく『ダチ』っていう感じがして好き。ここは原作一巻から取って来ました(言ってるの逆だけど) 『愚痴を聞いてやる』っていうので、もうキリトが抑え込んでいた鬱憤や不満を吐き出させてあげようという気遣いも。

 やっぱクラインはキリトにとって無二の兄貴だナ!(尚実兄とPoH)

 ……リーファについては、ヴァベルが見て来た世界の直葉と同じ。《獣》となった義弟が誰かを殺す前に討ち取る事で、義弟が苦しまないよう、そして他者から後世も悪く言われないようにという配慮。

 ――――『汚名と罪を背負うだけ信用してるし、受け容れてるから、そう想っている人の事を忘れず向き合いなさい』というリーファにしか出来ない激励。

 更に『和人』という名を出す事で、《獣》の根幹である《オリムラ》から解放され、本当の意味で《桐ヶ谷和人》=《キリト》として生きれるようになる事を願っていると言外に伝えている。

 やっぱこの子、一味も二味も他のメンバーと違うわ()

 ――ちなみに『リアルネームアウトじゃね?』と思った方がいるかもですが、そもそもキリトは現実に帰ってから《オリムライチカ》とばらされ、個人情報だだ漏れになるので、リーファもその辺気にしてません。攻略レイドの間でリーファとキリトが義姉弟と知られても良い覚悟でリーファは言葉を送っております。

 やっぱこの子(以下略)

 では、次話にてお会いしましょう。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。