インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。

 今話の視点はユウキ、ユイ、そしてヴァベルサン。

 文字数は約二万一千。

 ではどうぞ。




第九十九章 ~キリト:対Mobの全力~

 

 

「ごめんなさい」

 

 謎の黒コートに連れ去られ、遺跡塔最奥の部屋で解放されてから数分後に意識を取り戻したキリトは、目覚めてすぐは最奥の部屋に居る事に困惑を隠し切れないようだったが、その困惑も僅かに留め、部屋に集っていたボク達に謝罪をした。しっかり腰から折っての綺麗な会釈である。

 やや不謹慎だが、内心土下座じゃなくて良かったと思った。

 何せクリスマス事件後に謝罪をしてきた時は土下座だったのだ。年端も行かない子供――自分もそうだが彼よりは年上なので除外――に土下座させるなんて体裁以前に居心地が悪過ぎる。

 

「たった一撃で気絶したのは気を抜き過ぎてた」

「いやいや、その『たった一撃』でキリト君の鎧を壊してるんだし、流石に仕方ない気がするよ」

 

 申し訳なさそうに柳眉を下げながら言う少年に、レインが言った。

 その視線は彼の体に向けられている。黒コートから奇襲を受ける前は黒い金属製の甲冑に包まれていたが、今の彼は何時もの軽装姿である。気付かなかったがどうやら彼を気絶させた正拳突き一発で耐久値を全損したらしい。

 これまでの戦闘で彼はあまり被弾していないし、するにしても鎧のカバー範囲外だったから、確認してはいなかったが耐久値は殆ど削れていないと言ってもいい状態だった。その鎧を一撃で破壊する攻撃力は生半なものでは無い。まず間違いなく彼やユイちゃんよりも筋力値は上である。

 打撃属性の武器を使っていても中々削れない耐久値を、武器を用いない故に攻撃力に乏しい素手で削り切るなど理論上不可能である。

 だが実際にしてしまっているなら、つまりはそういう事なのだ。

 それに今回の場合は彼がどれだけ注意していても変わらなかったように思う。

 

「キリト、反省する事は大事だけど、今回ばかりはあまり意味はないと思う。気絶していたあなたを担いでいたのにあたしとユウキさん、ユイちゃんの猛攻を完全に捌き切ってみせたんだから、最低限あたしを余裕で倒せる実力が無いと意識を保っていても結果は同じだった」

 

 恐らく彼以外の全員が持っていたであろう意見を、武道の師である妖精剣士リーファが伝えた。

 システム的なステータスではキリトが最強だが、純粋な技術・実力という意味では彼女が最強だ、その彼女が手も足も出なかったという事は以前完封された彼ではどう足掻いても勝てない事を意味している。

 

「……つまり、過去に囚われるより、その時間を鍛練に使った方が良いと」

「その通り――――と、言いはしたものの、あまり偉そうに言えた事でも無いんだよね……」

 

 キリトが延々と己の不甲斐なさを責める事が無いよう諭した彼女は、しかし自嘲まがいの苦笑を浮かべる。

 

「あたしが『敵わない』と感じた手合いは祖父を除けば初めてだった。『祖父より強い』と感じた事も……」

「リー姉にとっての最強はお爺さんなんですね……ちなみにキーとの面識は?」

「この子が家に来るほぼ一年前に亡くなったから無いよ。90歳の大往生だった」

「その年齢の人にしてはやけに元気過ぎる話ばかりなんだよなぁ……」

 

 彼女の武道の師である祖父の年齢を教えてもらうと、それは知っていたらしいキリトが遠い眼をしながら言う。確かに矢鱈と元気だと思う。

 よっぽど健康に気を使い、武道の修練や運動を欠かさず行っていたのだろう。

 自分もそれくらいの大往生はしたいものである。

 ちなみにリーファの祖父は、彼女との全力の試合を終えた日の夜、布団の中で安らかに息を引き取っての逝去だったらしい。『教える事は全て教えた』とばかりのタイミングだ。

 

「……まぁ、祖父の事は置いておくとして。黒コートは警戒を、と言っても目的や意図が全く分からないから警戒しようにもな……」

 

 言いながら、キリトは部屋の奥にある赤い石がはめ込まれた黒石の扉を見る。

 何故か黒コートはキリトを攫った後、そのまま姿を消すのではなく、まるでこの扉まで案内するかのように移動し続けていた。そしてこの部屋で彼を解放し、姿を消したのだ。全く以て意味が分からない。

 

「こっちを助ける為だった……と言うには、都合が良すぎるよね……」

 

 普通に探索していれば明日にまで縺れ込んでいたかもしれない。それを助ける意味で彼を攫い、無理矢理後を追わせ、最奥へと案内したという見方も出来る。

 当然だが自分もあまりそうは考えておらず、それは彼も同じのようで、難しい顔のまま首を横に振った。

 

「カーソルもHPゲージも無い存在だしな。それにただ案内するならこっちに『会話』で接触してもよさそうなのに、いきなり奇襲してきて、俺を気絶させた途端拉致紛いな事をするし……これだけでも敵対行為と見做されても何らおかしくない。追うか否かはこの遺跡塔の性質含めると追って来る自信があったんだろうけど……」

 

 それに、とキリトは続ける。

 

「今回の奇襲、まず間違いなく俺が気絶する事を確信しての行動だった。何時何処でかは知らないけどダメージを受けると痛みを受ける制約を黒コートは知ってるみたいだ」

「んー……こっちに来てから痛がる程の攻撃をキリト君が受けたのは……」

「もんどりうつ程の激痛はケイタの奇襲一発目くらいだ。後の俺の単独行動時の乱入を考えるとPoHと同じように黒コートもそれを見ていた筈だけど……たった一回見ただけで気付けるとは思えない」

 

 ヒースクリフさんによれば全部で十段階あるらしい《ペインアブソーバー》。

 レベルが高い程より痛みを不快感へと置換するというこのシステムは、キリトの場合だと彼の話から類推するに最低レベル0、すなわち『際限なく純粋な痛みを極限まで再現する』状態にあるという。

 レベル3を下回るとログアウト後も再現された痛覚が後を引いて何らかの後遺症や弊害を生じる危険性があるようで、原則としてこのシステムのレベルは最大値で固定されている。

 それなのにキリトは現在痛みを極限まで再現されている状態にある。ほんの僅かな切り傷ですら、まるで神経を抉るが如き激痛を伴うらしい。

 きっかけは闘技場で戦った《殺戮の狂戦士》の雷にあるのだが、何故そんな設定になっているかはヒースクリフさんにも分からずじまい。

 そしてそれが発覚したのも闘技場での戦いから暫くしての事。それまでに彼は《殺戮の狂戦士》に《片翼の堕天使》、ホロウ、地下迷宮での激闘、自分とのデュエルを経ていながら隠し通していた。

 勿論それは『プレイヤーが痛みを覚える事は無い』という固定観念に囚われているからではあるが、傍目から見ても彼が痛みに苦しんでいるようには見えない事が殆ど。言われて思い出して、『あ、もしかしたら』と思う程度である。それも複数の戦いを見ている自分がデュエルの最中に漸く勘付く程に彼は隠蔽と演技技能に長けている。伊達に本心を偽って《ビーター》として悪を名乗り、【黒の剣士】として希望を背負って来た訳では無いのだ。

 そんな彼の演技を一度の観戦と交戦で見抜くなど尋常では無い。ましてやこの世界に於いて、基本『痛み』など被らないのが常識なのだ、その認識がある限りたった一度二度で見抜ける訳がないのである。

 もしあの黒コートに見抜けるのであれば、少年の『裏』や『闇』についての理解が深いPoHが気付く方がよっぽど信憑性があると言えた。

 キリトの話から察するに、恐らくPoHはまだ気付いていないと思うが。

 ケイタの奇襲の一撃目を確かに彼は受けたが、痛みこそ無くとも絶大な違和感や異物感というものが代わりに発生するため、体を貫かれた時などは慣れていないと暫く悶えるのが普通だ。自分もスタンにはならない程度のダメージだが体を大きく抉られる攻撃を初めて受けた頃は動けなくなっていた覚えがある。今は多少隙が小さいとは言え、それでもベテランと言えども一瞬の隙は作るもの。

 ましてや小柄な彼の体を長槍が貫いたのだ。体積や表面積の比率からして自分や他のプレイヤーが同じ状態になるよりもよっぽど違和感は大きいに違いない。

 状況と関係性からしても打ちのめされ、行動が遅れるのは無理からぬ事でもある。

 これらの要素が複雑に絡み合っている事から、『キリトは痛みを再現される特異なケースである』とあの黒コートがすぐ気付く可能性は極めて低い。

 ――――のだが、実際考えてみると、気付いているとしか考えられなかったりする。

 

「ただ、可能性は低いけど、気付いたんだろうな。わざわざ気絶を選ぶよりは麻痺毒を塗布した剣を刺した方がまだ確実性は増す、俺に効かないのが例外なだけで普通は麻痺毒を使うからな」

 

 その理由は、麻痺毒を用いようとしなかった事からだ。

 リズやリーファ達が攫われた時、あるいはケイタを殺さずに無力化する際に麻痺毒が用いられたように、この世界だと基本的には麻痺毒を用いる。

 そも、強烈な攻撃をしたところで気絶するプレイヤーなどほぼ居ない。現実なら激痛待った無しの攻撃も違和感しか無いので意識を手放す程では無いし、顎を打ち上げられたとしても視界が揺れるだけで実際に脳の中を攪拌されている訳でも無いから、気絶させようが無いのだ。

 キリトみたいに痛みを覚えるのであれば現代日本で生きて来たプレイヤーの殆どがすぐに音を上げ、殆どが早々に意識を手放し、武器も捨て、安穏と街に引き籠った事だろう。無論その中には自分や姉も含まれる。まぁ、そんな設定のゲームは日本で発売される筈もないが。

 そんな訳でこの世界の拉致や無力化は基本的に麻痺毒が常套手段となっていた。

 だが黒コートが使用した武器は、キリトとユイちゃんが持つ白い片刃直剣一本のみ。リーファと自分、ユイちゃんが攻撃を受けたが、状態異常は誰も掛かっていない。

 《状態異常耐性》スキルや耐性ポーションがあるように、状態異常のレベルに応じてデバフを受ける確率も上下するため、毒を塗布しているからと言って確実に相手を毒に出来る訳では無いが、耐性系のスキルや装飾品、ポーションを用いてバフを掛けていない限りは絶対に掛けられる。

 以前のバグの影響で耐性スキルを喪った自分は現在取り直して鍛え直しの真っ最中であるため、熟練度も未だ300に達していない。装備にも耐性バフなど無く、先ほどは耐性ポーションも用いていなかった。

 今の熟練度では防げる状態異常レベルは2が限度。

 既に発見されている状態異常レベルはマックスの10で、2程度であれば簡単に用意可能なので、仮に黒コートが毒を塗布していれば自分は一発で無力化されていたに違いない。材料さえあれば、低熟練度の《ポーション作成》スキルの失敗作ですらレベル3以上の毒ポーションが作成可能なのだから。

 余談だが、《笑う棺桶》やオレンジギルド他、麻痺毒を用いて無力化する手段が流行したのも、材料のランクが上がったせいで低熟練度スキルの失敗作でも用意出来るようになったからだったりする。加えて《状態異常耐性》スキルはかなり鍛え辛い部類に相当するため、日常的に毒を扱う者でないとあまりスキル値が高くない方になる。むしろ耐性ポーションで代替し、スキルを別のものにする方が主流だ。

 自分が以前完全習得していたのは、アルゴから『あまりオススメしないけど効率の良い熟練度の上げ方はあるヨ』と言われ、情報料を払って教えてもらい、実践したから。

 耐性スキルを上げるには何でもいいから何かしらの状態異常に掛かる事が一番。早い話、わざと毒ポーションを呑んで毒状態を受ける事だった。このスキルは掛かる判定確率を下げる他に掛かっている時間の短縮も含まれているからこその荒業である。

 ちなみにダメージ毒より麻痺毒の方が上がりやすいらしいが、《圏外》でなければ実行出来ないので、自分は合間を見てダメージ毒限定で行っていた。勿論攻略しない日、つまり姉と別行動をとる数少ない日でだ。

 そんな情報をアルゴが持っていたのも、当然キリトがそのスキルを取り、その方法で熟練度を上げていたからに他ならない。

 しかも彼は最前線をソロで、他の誰をも突き放して進んでいるのを良い事に、ボス部屋まで辿り着いてから一、二時間は麻痺毒とダメージ毒のポーションを呑んで熟練度上げに勤しんでいたという。それを知ったアルゴは勿論叱責したというが、教えてもらった時――時期的に第十五層攻略中――には完全習得していたので意味が無かったとか。

 そんな彼の耐性スキルはバグによる影響を受けておらず、完全習得を維持しているという。加えて確率判定の状態異常付与は完全無効化なので毒剣は意味がない。

 しかしそんな事を彼は基本的に余人に知られないようにしている。知っているのも、彼が信用を置く人物か、必然的に知る事になった仲間くらい。

 当然だがそこに黒コートは含まれない。

 教会の子供達だけが唯一の懸念事項ではあるが、状態異常無効バフよりよっぽどな性能装備が幾つもあり、ユニークスキルも複数修得していた事から、覚えているかはかなり怪しい。自分としても無効バフは『あったら良いな』くらいなものでしかない。

 正直な話、無効バフだけなら話は違うのだが、《ⅩⅢ》のインパクトがデカ過ぎるのである。

 つまりそれだけ、彼に対する状態異常攻撃の作戦成功率は疑われにくいという事。事前に知らない以上基本的に『掠っただけでも勝ったも同然』な理不尽さを持つ麻痺毒を使うだろう。

 それが無かっただけで黒コートがキリトの事情を把握していた予想が成立する。

 

「……まぁ、正直『それが何だ』って話だけど。それだけ相手の洞察力が鋭いって分かるだけマシだな」

 

 だが、キリトにとってはそれは今更な話なのかあまり重要では無いようで、随分とアッサリしたものだった。

 ずっと昔から痛い思いをしてきたからなのか、キリトは自分が傷付く事にあまり忌避感を持っていないらしく、必要であれば傷付く事も前提で行動する節がある。むしろ彼にとって『傷付く事に対する忌避感』すらも相手の脅威度を測る指標の一つでしか無いらしい。

 

『実際に傷付く訳では無いとは言え、『傷付けられる』という事に対する忌避感や逃避感は中々消えない、そこを突くだけでも結構相手の戦意を挫けたりする。リンド達だって戦意こそ折れなかったものの途中で攻撃を止めたりしてたし』

 

 『死』をチラつかせるだけでも相手の戦意を萎えさせ、そこを圧倒的な戦力でへし折る事こそが対人戦の肝だとキリトに語られた事がある。ゲームであれば根気の勝負だが、命を懸けた戦いだと、実際に刃を交える前に決着が着いている場合もあるのだと。

 本当に刃を交える必要があるのは、《笑う棺桶》対キリトのようにどちらも死を覚悟した上でぶつからなければならない状態くらいらしい。

 第七十五層ボス部屋にて、【白の剣士】が率いていたオレンジ達と自分の問答が正にそれだったんだろうなと、今なら思う。

 

「今は黒コートの事は置いておこう。俺はおろかリー姉でも対抗出来ない以上襲われたら終わりなんだ、リー姉が言ったけど実際確かに考えるだけ無駄ではある」

 

 そう言って、彼は今回の襲撃に関しては締め括った。

 尚、黒コートの移動方法が普通の転移のそれとは違い、転移門など無くてもどこでも姿を現す事から《アインクラッド》側でも襲撃を受ける可能性があるため、後でボクの方からヒースクリフさん達に話す事になった。

 その時の為に、黒コートの呼称を“アンノウン”と定められる。命名はキリトだ。

 全てに於いて謎に満ちている謎の人物だから、アンノウンらしい。加えてプレイヤーかNPCかも分からないところがそれに拍車をかけている。知られざる者という意味では確かに合っている。

 実際は、『黒コート』だと自分だけでなく義姉のユイちゃんも当てはまるし、相手の背丈や服装、装備が丸っきり同一である事を憂慮した為の呼称なのだろう。呼び方に色と服装があると人はそれを気にするが、アンノウンの呼称はカーソルやHPゲージが無い事を主な理由としているので、そちらを気に掛ける事になる。それが結果的に義姉にあらぬ嫌疑が掛かる事も無くなる訳だ。

 《ビーター》/【黒の剣士】という二つ名が、黒衣の剣士を表す名であるように。

 どちらの名も、少しお洒落した彼に対しては向けられないくらい曖昧な指標だ。小柄な少年、黒衣、片手剣使いという条件を満たしてしまえば誰もが勘違いする。何せ顔を知らないのだから。

 だから彼は服装や容姿では無く、誰も真似できないシステム面から呼び名を付けた。そればかりは背丈に服装が似通っている義姉と完全に違う特徴だったから。

 幼さを感じさせない先を見据えた判断には敬服を抱くばかりである。

 ちなみに黒コートはキリトと合流する前にも一度見ているのだが、その話はし忘れていたので問題は無かったりする。

 

 ***

 

 黒コート改め“アンノウン”と呼び名を付けられた存在の襲撃に関して一応の収着を見た後、私達は遺跡塔最奥の扉を潜り、エリアボスである二体の巨竜に挑む事になった。

 と言っても、今回も樹海ボスの時のようにキーのワンマンプレイの予定である。これは樹海ボスに挑む際に言っていた『空を飛ばれていたり焦土を無効化される相手の場合は助力を願う』という言葉に反するが、何も彼が最大戦力だからの理由一つでこうなった訳では無い。

 その理由は、遺跡塔の周径に理由がある。

 エリアボスである二体の巨竜と戦う場所は、イベント戦で交戦した竜が飛び去った先から分かるように遺跡塔の頂点、謂わば屋上だ。

 そして巨大な竜は翼をはためかせるだけで、ダメージこそ無いもののプレイヤーを軽く吹き飛ばす事が出来る。それが問題でサチさんの同行をキーは認めなかったのだ。

 一階層の広さがほぼ迷宮区塔に等しいこの遺跡塔は、つまり半径と直径もほぼ等しい事になる訳だが、内部は広いと言っても限度というものがある。多少ゴツゴツしているもののほぼ円に近い遺跡塔の直系は300メートル前後といったところか。

 だが、竜一体の全長は軽く50メートルを超えている。流石に100メートルはいかないだろうが。

 それが二体。

 一体であればまだしも、二体が別々に動くのであれば、翼のはためきによって吹き飛ばされる危険性は非常に高い。流石のキーもそれをカバーする程の余裕など下手すれば己を一撃死させられるエリアボス相手にある筈が無い。サチさんもそれは承知していたから渋々引き下がっていた。

 そもそもの話、幾らユウキさん達が遠距離攻撃の手段を持っていないからと言って、それでヘイトを稼げない訳では無い。加えてあまりの巨大さ故に辟易しそうではあるが刃竜が滑空攻撃を仕掛けない訳でもないのだ。以前はヘイトを稼いでいたキーが空を飛んでいたから下りてこなかっただけだと思う。なのでユウキさん達だけでなくサチさんの同行も認めないのは、攻撃手段では無く、回避手段やその範囲の方に原因があると言える。

 他の人にターゲットを向けた瞬間、キーが猛攻撃を仕掛けられるようになり、それだけボス戦での疲労も少なくなる。その為であればユウキさん達は命懸けで戦う事も吝かでは無いのだ。

 しかしそれも生存確率が高ければの話。防御が難しく、反撃もほぼ不可能で、しかも回避スペースも少ないとなれば、さしもの実力者である彼女達でもどうにも出来ない。

 

 ――――では、私はどうなのか。

 

 私はキーと同じ《ⅩⅢ》を所有している。彼のように風を操って空を飛ぶ事は出来ないが、そこは工夫次第でどうとでもなる。虚空に武具を呼び出し浮かせられるなら、私は盾を呼び出してその上に乗れば良い話なのだ。事実それは案が出た時点で実験し、成功している。演算処理能力と並列処理能力に長けているAIの面目躍如といったところだろう。

 なので私は彼と肩を並べる者として戦うつもりで居たのだが、直接的な戦力としてではなく、彼の首飾りの中から情報面でのサポートをする事になっていた。相手の攻撃予測を含めたサポートをする事で少しでも彼の被弾率を下げようという考えだ。

 私も共に戦うという選択は、無い。その理由は彼の決断にある。

 

 *

 

『今回は俺も全力を出そうと思う』

 

 二体の巨大な刃竜を相手にする意思表示をした後、参加しないとは言え作戦が気になったリー姉に問われた彼は、そう前置きした。

 それに首を傾げる一同。

 彼がこれまで手を抜いていたとは思えなかったからこその疑問だ。彼は加減こそ考えるが、それはあくまで味方を慮ってのものであり、常に全力ではあった筈。と言うか樹海エリアボスを相手にする時も一方的だったのだから全力だったのではないかと認識していた。

 だが彼の言い方では、あのエリアボス相手にですら全力では無かった事になる。勿論先の刃竜とのイベント戦でも。

 

『……まさかとは思いますが。キー、地下迷宮での時の事ですか?』

 

 しかしながら、私は彼が言う『全力』には心当たりがあった。

 地下迷宮での時、疲労困憊だった彼は《ⅩⅢ》の武器を幾つも扱う事すら難しい程に消耗していた。近接武器と遠距離武器、あるいは遠距離武器二つという二通りしか出来ず、三つ以上の武器を同時運用出来なかった。

 それなのに彼は死神との戦いの最中、エリュシデータとダークリパルサーを除く全ての武器を一斉に扱うという覚醒をした。

 それは通常あり得ない。

 覚醒した事がでは無く、そんな限界を超えた無理を押し通した覚醒の仕方だったのに、彼が気絶しなかった事が普通では無かった。

 しかもその後に《圏内事件》や《指輪事件》の騒動解決に動いている。

 地下迷宮に潜る前から疲労困憊していて、長時間の探索を経た後にボスと一騎打ち、次いで限界を超えた覚醒に事件解決と、これを一日の間に一気に行っている。一度は気絶していてもおかしくない。

 そして思い返されるのは、彼の内側に潜んでいる別人格の事。

 別人格とは言え、一つの肉体/脳に依存した精神故に、アバターを動かすメイン人格で無くとも脳の方は神経活動を活発化させられる。

 もしあの時、別人格が《ⅩⅢ》の操作を請け負っていたのなら。

 それならあの時の覚醒の仕方も多少は納得がいくというもの。同じ脳なのだから別人格が脳を酷使すればキーの方にも反動があるとは思うのだが、そこは今は関係無い。

 類推するに、どうやらキーよりも別人格の方が《ⅩⅢ》の操作能力/演算処理能力は上らしいし、それを考慮すれば、確かにこれまでは『全力では無かった』と言える。キー個人の戦闘能力か、総合戦闘能力かの違いだが。

 

『確かあの時、『俺達』という発言をしていましたよね?』

『そういえば、言われてみればそんな事を言っていたような……』

 

 あの迷宮に居た中で、この場所に居るのはキリトを除くとユウキさん、フィリアさん、そして私の三人。私はログで、ユウキさんは直に彼の別人格と七十六層に上って直後の話を知っているが、フィリアさんは知らない。

 だからこその認識の差異のようだった。

 リー姉は直接教えてもらっていた筈だから特に動揺は無い。

 というか、私が『キーは二重人格』と遠回しに言っているが、誰もその事は疑っていない。此処に居る全員が闘技場《個人戦》最終戦の終盤の変化を知っているからだ。

 

『……皆の顔から察するに、どうやらシロの事は知られてるっぽいな。俺の記憶が曖昧な部分が多少あるからその時に出て来てたのか』

『ホロウとの戦闘終盤と、【白の剣士】との戦闘終盤にね……あと、シロっていうのがあの人格の呼び名なんだね』

『夢で会った時、俺の体の色全部反転してたから、殆ど白かった。瞳は金色、眼球と歯は黒で、舌は青だったけど』

『『『『『何ソレ怖い』』』』』

 

 何だか可愛い名前だなぁと思っていたら聞いた容姿――というか色――が予想以上に禍々しかった。

 その姿の別人格シロは、キーの事を《王》と呼んでいるらしい。

 

『初めて会った時も、リー姉にぶっ倒されて寝た時も殺されかかった』

 

 シロはかなり好戦的な人格らしい。

 しかし私達の予想と少し異なり、破壊衝動や殺戮衝動、憎悪の塊という訳では無いらしく、ある程度理性的な面もあるらしい。実際初回はリー姉が指摘した彼の矛盾を語り、二回目はリー姉が突き崩した基盤に『生存本能』を与える事を主目的としていたようなのだ。

 彼が生を諦めれば恐らく体を乗っ取ろうとするのだろうが、それまでは忠言を口にする事から考えても害悪という訳では無いらしい。

 と言うか二回目の夢では、生存本能を語られた後は《ⅩⅢ》の扱いを前提とした戦闘鍛練を行っていたらしい。焦土など武器を出さずに属性の力を操る技能はそこでシロに教えてもらい鍛えたと彼は語った。

 シロが気付けたのも、元を正せばホロウが曲剣で雷を放っていたからだった。

 

『あの、そのシロという人格とは、話せるのですか?』

『え? えっと……――――『話せるけど、まだ遠慮してェ』って』

『そうですか……』

 

 ほぼ興味本位ではあったが、あまり危険では無いのではと思うと会話くらいはしてみたいと思った。人格違いとは言えシロとやらも元が同じなのだ。会話さえ出来るなら険悪にはならないと予感を抱いていた。

 しかしシロの方はこちらを避けているらしく、キーとの交代を拒んでいるらしかった。嫌がっているという訳では無いらしい。

 《王》であるキーを生かそうと世話を焼く面からして、この歓談の邪魔をする事を避けようと思ったのかもしれない。その内夜中にひょっこりと入れ替わった状態で話しかけて来る方がシロとやらの印象に近い気もする。

 キーの方も今後問題となる事さえ無ければ入れ替わられても特に気にしない方針らしい。

 シロとの交流期間や回数はかなり少ない反面、その数少ない機会で絶大な信用を寄せているらしい。元が同じだからでもあるだろうがシロが思いの外世話焼きな面でもあるからだろう。

 話を聞いた限りでは、弟の世話を焼く兄の立場に居る事が分かる。

 ……何となく、クラインさんのポジションが危ないのでは、と思ってしまった。一文だけではあるが口調がかなり近い気もする。これまでの豹変シーンを思い出す限りではシロの方がかなり荒い気性をしているらしいが。

 ちなみにシロの人格発生理由をキーは知らないらしい。シロは知っているらしいが、話すつもりは無いとか。まぁ、二重・多重人格など殆ど防衛反応で生まれるのだから碌な理由では無いし、思い出すのも嫌なのだろうと納得し引き下がる事にした。

 

 *

 

 経緯はともあれ、キーは今回、別人格シロの協力を受けてエリアボスと対峙する。

 だから私を情報面のサポートにして、味方は引き連れず、ソロで戦う事にした。何せ武器の登録を初めてから対Mob戦で初のシロの援護ありの全力戦闘だ、味方など誤爆にしかならないのだから最初から連れない方が良い。私としても彼がやる事を全て把握や予測出来る訳でもないので邪魔にならないようサポートに回る任を拝命した。

 ちなみに対人戦での全力は《圏内事件》でのモルテ達相手にした時が初だと言っていた。

 尚、普段からシロが協力しないのは、将来を考えてキーを甘やかさないようにしているかららしい。キーが言われた事曰く『一人でやれる事が最低条件だからな』だとか。

 消えるかは分からないが、何時かは消えるかもしれない人格に頼った状態の力では不安定だし、何かが原因でシロの力を一時的にでも借りれなくなってしまって困るのでは今後が不安なのは確か。そういう意味もあって、よっぽどの窮地に陥らない限りシロは傍観に徹している。

 とは言え、何もキーの相談に乗らない訳では無く、知識や発想という側面からアドバイスはしているようだ。窮地に陥れば強引に入れ替わり、敵を撃破してもいる。

 『求められれば応じる』というスタンス故に普段は奥に引っ込み、《王》であるキーの成長を促しているのだ。

 『気が合いそう』と全員が思った。特にリー姉などはあからさまに歓喜と安堵の表情を見せていた。

 別人格の発生原因を考えると素直には喜べないが、それで今助かっている側面があるのだから喜ぶべきだろうと考えているようだ。多分シロもまた義弟なのだと。

 そのシロの援護ありの戦闘は、地下迷宮での死神戦や《圏内事件》でのモルテ達との戦いの話は知り合いなら誰もが知っている事、多少《ⅩⅢ》の扱いに慣れた今のキーとシロが協力するとなるとどれくらいかは予想が付かない。何せ樹海エリアのボス戦ではキー単独だったらしいのだから。

 

 ――――一応、『作戦』を聞いてはいますが。

 

 概要は単純明快。ボスが現れた時点でキーとシロが演算処理/イメージを分担ないし協力して行い、《ⅩⅢ》の登録武器を一斉召喚し、物量に物を言わせて圧倒するだけ。

 無理無茶無謀を力でゴリ押すやり方は『作戦』なんて言えない。これはただの『方針』だ。

 言葉は正しく使いましょう、と思わず口にしてしまうくらいにはかけ離れていた。

 まぁ、実際にイメージしての武器操作を、分担して、あるいは協力して行う二人――シロも一人換算する事になっている――にとっては真面目に『作戦』なのだろう。基本戦略は幾つかあるようだし。無理矢理に距離を詰められればキーは接近戦に切り替えるらしいし、その際のフォローもシロが攻撃や防御、移動支援など多岐に渡って行う、その辺りの打ち合わせも既に綿密に交わしているという。

 確かに彼らからすれば立派な作戦だ。

 でも、距離を詰められれば接近戦に切り替えるのは多分当たり前だし、実のところかなり大雑把な感じなので、やっぱり『作戦』とは言い難い気はしていた。

 正直どっちだと思わなくもない。認識の差異というか、言葉遊びというか、こういう曖昧な部分こそが『日本語の妙』と言えるのかもしれない。

 

 ――――彼も、今の私のような余裕を持てていれば良いのですが。

 

 その思考を浮かべると共に、ネックレスの中/宇宙が如き虚空に浮かぶ私は脳裏で呟き、苦笑する。作戦か方針かは実際とても重要だが、『どちらでも良いのでは』と考えて『面白い』と思考出来るのも余裕があるからこそ。

 贅沢を言うなら、この余裕を義弟にも持っていて欲しい。

 このSAOに於けるステータスの面で彼は誰よりも余裕を持っている。安全マージンの値の倍を超えるレベルなのだ、むしろ余裕が無い訳など無いのである。装備もスキルも揃えられるものでも最高峰の域にある。《ⅩⅢ》という反則的な装備、防御無視バフにHPリジェネの重ね掛けも考えれば並みのボスを超えた戦力と言えよう。事実彼はエリア/フロアボスを単独撃破可能な戦力だ。

 しかし彼に余裕は殆ど無い。いや、『余裕を持たないようにしている』という印象がある。

 どれだけ装備やステータス、実力が高くなろうと、それで彼が余裕を持てた事は殆ど無い。慢心や油断を招かないよう自制しているのではない。それらは余裕と近しいが、しかし似て異なる別種の愚念、それを理解していない程彼は愚かでは無い。否、慢心を抱ける境遇では無いと自らを律し続ける程に生真面目ですらある。

 

 ――――それも以前から気になっているんですよね……

 

 恐らく時間的な余裕を欠いている事が彼から余裕を奪っている。

 肉体の余命、プレイヤー達の精神的な安定性が保つ時間とクリアまでに掛かるであろう攻略に必要な時間の不釣り合いが原因か。現時点で一年7ヵ月が経っていて、残り5ヵ月/20週で24層を突破するとなると、今のペースでは間に合わず、自分が死ぬと。

 分かっていた事ではあるが、どうやら彼が本当に気を抜いて休むとなると、この世界を生きてクリアする事が不可欠であるようだ。

 彼の力があってもこれまでのペースでは間に合わず、必然的にペースを上げるとなると、恐らく彼が無理をしようとする。それを助けられる人員も多少は居るが、それでもやはり足りない。

 生きる為に彼の無理を黙認しなければならないのは胸が痛む。

 私やリー姉が助力するにしても、それにもやはり限度があるのだから。

 

『――――リー姉、そろそろ頂上に着く』

 

 物悲しい気持ちになっていると、キーの声が虚空に響いた。それにわかりましたと応じ、私も周囲に浮かぶ六枚のホロウィンドウを用いた警戒を強める。

 あの最奥の扉を潜った先は、遺跡塔の外壁に繋がっていた。そこから外壁に沿うように斜めに階段が作られていて、現在はそこを駆け上がる途中だった。

 無いとは思ったがいきなり襲い掛かられてもいいように、私も既にネックレスに入っている。

 彼も、アンノウンによって鎧を破壊されたはしたが、既にストレージに積んでいた鉱石を用いて別の鎧を造り、装備していた。そのため襲撃を受ける前と装い自体は何ら変化が無い。

 ただし、両手に持つ剣は見慣れた二剣では無く、黒と白の片刃直剣である。ブラックメタル、ホワイトゴールドの銘を有する二剣に彼は何か忌避感を抱いていたようなのだが、流石にエリュシデータとダークリパルサーでは威力不足が否めないので、今回はこれに変えると言った。

 もっと言うと、ホロウが使っていた技や属性攻撃の再現性を高める為に使うらしい。

 逆に言うとその再現性が高まったならすぐにでも手放したいと言っているようにも聞こえた。経緯は知らないが彼のISにも積まれているという二剣の間には余程の因縁があるようだ。『ISに積まれている』と聞いただけで何となくは察せる為、誰もその事を指摘しないでいたのだが。

 ちなみにシロの声は、彼には聞こえるがこちらには聞こえない。多分キーがアバターで喋ったり思考する際に声帯の筋肉を動かすクセがあるのに対し、シロの方はそうではないから、筋肉を収縮させる電気信号を読み取って脳内会話を成立させている私には聞こえないのだと思う。

 なので私がネックレスの中から《ⅩⅢ》の召喚武器で援護をするのも今回はやめて欲しいと頼まれていた、シロの声が聞こえないので援護のタイミングが合わないからだ。

 そう頼まれた時はちょっとだけ憮然とした。

 ――――そんな事を考えている間に、キーは塔の頂上へ辿り着く。

 周囲の景色を見渡せば、遥か下に大地が広がる光景ばかり。しかもそれは全てまだらに浮かぶ浮遊大地であり、その更に下には薄っすら青みがかった大地が広がっている。

 やや深い青色も見えるのは、もしかすると湖なのか。あるいはこの世界で再現された海なのか。方角からすると南なので、恐らく次のエリアは湖畔か海浜を舞台としているのかもしれない。

 

『『ゴアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』』

 

 その思考を余所に、闖入者である少年に雄々しい咆哮をぶつける二体の刃竜。青みがかった銀の刃竜ゾーディアスと、翠がかった銀の刃竜レイディーンが、天空からこちらへ滑空してきていた。

 ただ演出なのか攻撃はせず、屋上にぶつかる寸前で大きく翼をはためかせて止まり、滞空を維持していた。

 バタバタとキーの黒髪や黒衣がはためくが、以前五十五層の雪山にてリズさんを吹っ飛ばしたものとは違うようで、彼が吹っ飛ぶ様子は無い。もしかしたら《ⅩⅢ》の力で踏ん張っているのかもしれないが。

 そしてこの直後、二体の刃竜の頭上にHPゲージが出現した。

 フロアボスやエリアボスは、多少の例外はあるものの出現直後は無敵状態だ。それが解かれるのはゲージが全て出現した後である。

 

『シロ、行くぞッ!』

 

 風で浮き、ゾーディアスへと突貫し始めたキーが言うと同時、彼を護るように炎や水、氷、土、雷、風、それだけでなくホロウが使っていた光輝く白の弾と全てを呑み込みそうな黒の弾も出現し、周囲に展開された。

 レイディーンが少し浮いた後、遠心力を生かして尻尾の剣を振るうが、それは展開された八属性の弾の内、氷と土の弾が壁に変形する事で盾となり、阻まれる。

 壁になったそれらはすぐまた弾へと戻っていた。

 グニョグニョと自在に動く様はスライムを思わせる。実際のところ土と氷は定型物質なので、非定型物質のスライムとは違うのだろうが、アレの操作をシロが行っているとなると少し微笑ましい気がした。

 ともかく、私が予想していた以上の防御能力のお陰で刃竜の攻撃を気にする必要があまり無い彼は、飛翔の勢いそのままに突進技で一気に距離を詰め、そこから流れるように連続攻撃を仕掛けていく。《片手剣》の単発から連撃のソードスキルの他、《二刀流》のソードスキルも使っての攻撃は色取り取りの輝きを乱舞させる。ステータスの高さがエフェクトを過大なものにしているのか斬閃の延長線上にまで光が迸る程だ。

 現在時刻は昼の小休止を取る頃――およそ午後三時――であり、雲海の上に広がる浮遊大地故に陽光は今だ眩しくあるのだが、それすら霞み、遺跡塔の頂上が薄暗く感じる程の輝きが乱舞していた。

 初期から習得している単発スキル《バーチカル》や《ホリゾンタル》、《ソニックリープ》なども、彼のステータスが大き過ぎる故にエフェクトも半端では無い。

 当然だが、その過剰に思えるエフェクトは決して飾りでは無い。技の輝きが増す事はすなわちそれだけステータスが高い事になるからだ。

 【黒の剣士】には様々な伝説があり、闘技場での戦いぶりから派手な戦闘が多いと認識されているが、同時に《ビーター》として対人戦を多く経験しているので堅実な部分もかなりある。必要に応じて『派手』と『堅実』を切り替えられる。

 ここで言う『堅実』とは、状況に応じて隙の少ない技を使う、敵に回すと厄介な技術の事。人によってはこれを『小兵な技』や『小手先の技』と評するかもしれない。

 勿論『派手』はその逆で、一発逆転の目や大打撃を与える事である。

 そして対Mob、特にボスが相手ともなれば、一撃のダメージ量が少ないとジリ貧になりやすいため、大技による短期決戦が好ましいとされる――――らしい。人数が少なければ少ないほど短期決戦が好ましいのは自明の理と言える。無論、それは数が多ければいいという訳でもないようだが。

 今の彼は強大なエリアボスが相手なので短期決戦を望む状況にある。それもボスは二体で、自身は一人、シロの直接的援護と私の間接的支援があるとは言え辛いものなのは違いない。

 

『おおおおおおおおおおおおおおッ!!!』

 

 だから彼は傍目から見れば『勝負を急いでいる』とも取れる――あるいはそうとしか取れない――攻勢に打って出ていた。

 だからこそ他の事が疎かになる。

 そしてそれは、私に回された役割だ。

 私は何も、彼の周囲を俯瞰できるホロウィンドウによる視覚的情報のみで戦況を把握し、攻撃予測を伝えている訳では無い。

 かと言って、Mobのポップに関しては視覚情報のみに頼っている。

 これはMobの在り方とAIの仕組みに理由があった。

 Mobには全て独自のAIを積まれているとは言え、それらはMHCPのような高性能な人工知能と異なり、【カーディナル・システム】により一括で管理されている。MHCPは本来SAOのインフラやリソース変動に関わらず、臨機応変さを求められるが故の高性能である反面、リソース供給源とも言えるMobは【カーディナル・システム】が随時状況把握を可能としなければならない。

 分かりやすく言えば、Mobは言わば『出荷量』なのだ。これの数と、討伐数=『購入量』とが釣り合いを取れるよう、データ取りの為にシステムが一括管理しているのである。

 なのでポップに関しては私の知る所では無い。仮に事前把握が可能であれば、それを十全に活用して義弟や仲間が危険に晒されないよう動き、逆に敵対存在を嵌めていたであろう。

 私に出来る事は、個々のMobに積まれたAIの思考回路のみ。

 殆どのプレイヤーが知っているようにMobのAIには特定のアルゴリズムが存在している。それを誘導し、敢えて隙を作らせる《ミスリード》という技術があるように、これは明らかだ。敵との距離、HP残量、武装の他、あらゆる条件が複雑に絡み合った末にMobは独自に行動している。

 MHCP程では無いが、彼らのAIもある程度の学習機能は存在している。とは言え同一個体でない限りその学習成果は同階層の同種族に反映されないのだが。

 故に新たにポップしたモンスターは全て真っ新な『出荷初期』の状態のAIを付与されている。あらかじめプログラミングされた内容しか無い。しかも、そのAIが判断した内容は、逐次【カーディナル・システム】に送信されている。

 その内容を私は傍受しているだけ。

 これは私がAI、しかも一部とは言えGM権限を有するからこそ出来る強引な手である。普通に考えてチート行為と言えた。

 しかしヒトは素晴らしい格言を残している。

 

 ――――バレれなければ犯罪では無いのだ。

 

「キー、レイディーンのブレス3秒前です!」

 

 普通ブレス攻撃をしてくる事に気付くには竜が鎌首をもたげ、口腔からチロチロと炎が漏れている様子から察する必要がある。恐らく気付いてから放たれるまでに一秒あれば良いくらいだ。当然そんな短時間では回避や退避など間に合わない。

 だから過去、彼は《スピニング・シールド》で風の盾を造るシステム外スキルを見出した。

 しかし実際のところ、AIが独自に判断を下して実行するまでには幾ばくかのラグが存在している。勿論通常攻撃であればコンマ数秒レベルだが、ソードスキルの他、種族固定の特殊攻撃ともなると強力故か設定で猶予時間が多少設けられている事が多い。ドラゴンブレスもその一つ。

 『ドラゴンブレスを放つ』という結果を出してから実際に放つまでには、最低3秒のラグがある。その3秒を如何に有意義なものにするかは彼次第だ。

 

『仲間ごとか……ッ!』

 

 可能性として考えているのは知っていたが、AIを積んでいても所詮は低性能故か同種族を庇うような素振りを見せず刃竜ゾーディアスごとブレスで攻撃する事に、さしものキーも歯噛みする。

 連撃スキルの途中故にどう足掻いても退避は叶わない。

 だが、それで諦める彼では無かった。

 逆に考えれば良い。躱せないなら、躱す必要が無くなれば良いのだと。要するに『殺られる前に殺れ』という精神だった。

 

『隙ありだッ!』

 

 事前に攻撃を知っているなら対処は容易く、あとはタイミングを合わせるだけ。

 それ故か二刀を振るう最中に顔だけレイディーンへ向けた彼は、ブレスを放たんと天を仰ぐようにしていた顔を正面へ向ける刃竜の顎の部分に、何百もの武器を召喚した。両手剣や両手斧、長槍など長物や分厚いものをメインに呼び出されたそれらは彼の思念に沿って、空中で頑強な固定材となる。

 放つ寸前まで口腔に深紅の炎を溜めていた竜にとっては予想外の事態だ。

 だが『放つ寸前』だったからこそ、対処など出来る筈もない。変なところで生物らしさを持っているAIは体を硬直させた。

 しかし口腔内では獄炎が今にも弾けんとしていたのだ。無論、下ろす顎を止められたせいで口は閉じており、獄炎が逃げられる場所も無く。

 ドガンッ、と刃竜の片割れの頭が炎の爆発に包まれた。

 全長数十メートル級の竜の頭部はそれだけでも十メートル近い。そんな巨大な頭部の口内で限界まで溜められた炎の暴発は並みの爆発では無く、衝撃波は大気を鳴動させ、遺跡塔を振動させ、爆風は刃竜と少年を諸共巻き込んで吹き飛ばすほど。

 ブレスを口腔で暴発させられた竜は、それだけで体力を6割強削っていた。それだけブレスの威力が極めて高かったという事。

 ブレスの暴発で引き起こされた爆発は、少年の『竜殺し』を祝う前倒しの祝砲にも等しかった。

 

 二体の竜がその命を刈り取られたのは、これより三分後の事。

 

 【浮遊遺跡バステアゲート】の攻略は、たった一日半で終了したのだった。

 

 ***

 

 遥か彼方の空に浮き、己が持つ隠蔽能力を駆使して姿を隠しつつ、彼の少年を俯瞰する画面を睨む。

 その画面は丁度少年のネックレスに入っている者が見ている者と全く同じもの。隠蔽能力を使って傍受している形なので気付かれてはいないだろう。そも、気付かれるヘマをする程、自分の技術は拙くない。将来的には互角だろうが、経験が無い以上負ける道理が無い。

 自分を負かす者がいるとすれば、それは真実、一人だけ。

 

「……こちらの予想を容易くぶっちぎってくれるのは、相も変わらずか」

 

 浮遊遺跡群のエリアボスである二体の刃竜を相手にするにあたって、彼の少年が一人で挑む事は勿論、ネックレスの中から情報面のサポートをする事も、こちらは把握している。

 予想外だった事は一つ。

 

 ――――よもや、この時点で協力とは……

 

 少年の中に棲まう、別の人格。確か『シロ』という名だったか。

 口振りや振る舞いは危険人物のそれだが、しかし決して理性の無い《獣》という訳では無く、極めて理性的且つ計算高い性質を持つ人格だ。普段表に出ている少年を《王》と呼び、その力添えをしている事も知っている。

 問題はその人格の助力する時期があまりにも早い事。自分が知っている時期のどれよりも早い。

 自分が知っている時期では、シロが積極的に助力を始めるのは数ヶ月後からだった。それも《王》が死にそうだからその機会が増えたのであって、決して助力する必要性の低い戦いでは力添えなどしていなかった。

 彼の少年があれだけの武器を一気に扱った可能性はまずない。不可能では無いだろうが、それにしては手際が良すぎる上に、疲労もあまり見られていない点が否定材料になる。

 

「……強くなるにしても、あまり度が過ぎると……」

 

 彼の少年が強くなるのは構わないのだ。生きる為に必要なのだし、今ですら全く足りないのだ、強くなる事は一向にかまわない。

 だが、そのスピードが問題だ。

 バタフライ・エフェクトというものがある。

 『姉が殺された』事実を無かった事にするために過去を変え、姉を生かした場合、代わりに別の誰かが死ぬといったもの。つまり過程はどうあれある程度の結果が決まっている事を論じた説だ。

 自分はそれを望まない。

 少年が強くなるのは構わない。それを秘めてさえいれば、基本的には今後問題は発生しない。何故なら彼の少年は最期の時まで無敗を貫いていたが故に。

 既に生存条件として『無敗』がある故に、過剰な強さを持ったところで問題は起きようがない。

 だが、強くなる速さに関しては別。あまりに強くなるのが早過ぎると、敵対勢力もまた強さの質を上げるのが早くなり過ぎる。基本的に才能が無い少年は時間こそが最大の敵。敵対存在が数倍の速さで強くなるのだから時間を味方につけなければ生き残れない。

 少し前の襲撃で、多少は経験を積ませられたとは思うし、警戒心故に自己強化により励むと考えてはいたが……

 

「まさか裏目に出ようとは……」

 

 少年を殺せる存在を予め手に掛ける事も考えてはいるが、その分だけ本来積む筈だった経験を奪う事になり、成長を妨げる事になる。

 少年は死に直面した殺し合いが最も成長する。

 日頃の鍛練も無駄では無いのだが、やはり限界というものがある。

 『可愛い子には旅をさせろ』とは言うが、出来る限り死の危険性は排したいのが本音。

 学習能力が突出している少年の義姉と斬り結んだので少年を護る者が増える可能性は無きにしも非ずだが、やはり本人自体が強くならなければ悲願の成就はあり得ない。

 少年に暇さえあれば拉致してでも鍛練をするのだが。

 もういっそ拉致して、身の上を語ってしまった方が早い気もする。

 

「いや……早まると碌な事にならない事など、既に分かっている筈だ……」

 

 『時を超えた』事実だけでも信じ難いのだ。その目的も常識外れである以上、狂人扱いは免れない。

 過去、実際に言われた事がある。『狂っている』と。

 

「あの頃は私も若かったな……」

 

 初めて時を超えて渡った時の事で、その時点でもヒトの数十倍は生きていたから別に若くは無かったが。

 急いて、時期を見誤った自覚はある。出会ってすぐ身の上を語るなどどうかしていた。

 こちらにとってはかけがえの無い愛する人でも、相手からすれば初対面の女。信頼と信用を置くまで警戒心の強い彼からすれば当然の事だっただろう。

 それだけ飢えていたという事だ。

 結果は散々だったが。

 

「――――羨ましいものだ」

 

 ふと、展開したままの画面を見やれば、ボス討伐に喜び湧く一同の顔が映っていた。

 憂いは、ある。誰もが瞳に憂慮を湛え、少年の疲労を労っていた。己の無力さに対する憤懣と悔しさ、侮蔑の色も見て取れる。

 だがしかし、笑顔がある。屈託のない、明るさそのものとも言える晴れやかな色。

 

 そして、愛しい人の、幸せがある。

 

 その顔が映る無機質な映像を、指でなぞる。

 あり得ない筈なのに、たったそれだけで愛しい人の想いと熱が再燃する。

 この人の全てが欲しいと、そう胸が苦しくなった。

 

「嗚呼……本当に、羨ましい」

 

 今あそこに行けば、どうなるだろうか。

 奥底では混ざりたいと、彼の愛情を受けたいと求めている。

 けれど己の理性はそれを止めている。資格など無い、分不相応だ、と。守れなかった女が居ても意味が無いとも囁いていた。

 愛しい人が生きてくれるのであれば何も要らないと、過去にそう誓った。

 それなのに求めている己が卑しく思える。欲求の発生は仕方ないとは思うが、それを行動に移す事こそは愚行の極みであり、卑しさの極致だと。

 

「周囲のニンゲンを殺して、独占したい程に、愛しいのに……」

 

 己が定める目標は『愛しい人の生きる未来』唯一つだった。その『未来』に含まれているからこそ彼女達を殺すつもりは無い。仮に『愛しい人の生存』を目標にしていたなら、早々に周囲の人間を消し去って、己一人で独占すれば済む話。

 けれど、彼の幸せとは、他者の幸せ。他者あってこその彼の幸せだ。だからそんな非道な行いはとうの昔に禁じている。

 それは『私』がかつてから護り貫く信条が一つ。

 こればかりは破る訳にはいかなかった。愛しい人から受け継いだ『信条』が無ければ、己の理性も思考も心も、全て砕け散っていたに違いないが故に。

 これだけが、身一つで存在する己の唯一の拠り所故に。

 

「貴方の隣に、居たいです……」

 

 なまじ一度は抱き上げ、生の情報を感じてしまったから余計強く思う。

 美麗な黒髪の感触、幼子故の柔肌に、少年とはとても思えない甘い香りは、眠らせたのを良い事に襲いたくなる魅惑に溢れていた。

 でも、それは出来ない。未来永劫、訪れない。

 『私』は不確定要素の塊。本来であれば存在しない筈のインベーダー、ある筈の無い存在が過干渉すると思わぬ事が起きる可能性が高い。

 それは目的を達するのに邪魔だ。

 故に『私』は己を律し、身を潜め、素性を悟られる訳にはいかないのだ。

 こうして幸せな風景を眺める傍観者に徹さなければならないのだ。

 狂おしい程の想いに身を焦がしながら、しかし冷徹に動く者として、影から少年を救う者で在り続けなければならないのだ。

 一個人の私情より、一人の命と未来の方が、較べようもない程に重いものなのだから。

 

「――――ふふっ、ここまで来ると道化ですね……」

 

 己を律しようとしていると、ふと、自嘲の感情が浮かんでくる。

 元々こうして此処に居る事だって、彼の生を求めての事。誰に指図された訳でもない己の欲に従って決断した事だ。

 それなのに、『私』は彼の生の為と言って傍にではなく、本人に知られないよう暗躍している。

 自分の欲を抑え込んで動く部分すら似てしまったのは、喜ぶべき事か、あるいは現状を見て哀しむべきか、数えるのも億劫な程に生きた身でも――あるいはだからこそ――出せない問いだ。

 そのまま『私』は、幸せな光景が映る画面を見続ける。

 一瞬一瞬の幸せを記憶に焼き付ける為に。

 

 






 はい、如何だったでしょうか。

 沢山のキャラが動くのであればまだしも、今のキリトがシロと協力してボスにソロで当たれば、そりゃあ完封も出来る。元々スキルコネクトで一人でも完封出来ますしね(闘技場編参照)

 それとシロの存在暴露。

 これは地下迷宮でのやり取り、七十六層へ上がった直後の事を知っている者には既に知られているも同然の存在なので、実は暴露でも何でもなかったり。そもそも闘技場に来た人達はキリトの変貌/シロの異様さには気付いてますし。

 刃竜二体との戦いがある程度端折られたのは仕方ない。一度戦った相手ならキリトはメタを張って完封するので。

 そしてやや中二チックな黄昏の魔女ペルソナ・ヴァベルサン。

 今話を読んだら分かったと思いますが、この方、リーファ達に殺気を向けなかったのは殺したらキリトが哀しむと判断しているから。つまりそうでなければ殺していたという、現状断然ヤバイ人になっている。『この人は邪魔だな』と判断されたらユウキ達ですら切り捨てる程である。

 原作アスナや本作シノンの微ヤンデレなんか目じゃないガチ目のヤンデレだ!(邪笑)

 原典《千年の黄昏》のヴァベルさんも多分その気になったらこうなるヨ!(迫真) 何せ大好きな父母に逢いたいが為に時を超えた方ですし、愛は最強ってハッキリ分かんだね(白目)

 尚作者のヤンデレの定義は『病む程に愛している』。病んでいるから愛しているでは無い。この二つは似て異なるものです。

 ヴァベルは相手の事を愛し、理解しているが故に、自分にとって邪魔な存在だろうとキリト以外にも殺意を向けていないのです。

 つまりは愛が重いって事だヨォッ!(白目)



 ――――そして、今話をもちまして、活動報告にも上げているように本作二度目の休載と致します。

 再開が何時になるかは分かりませんが、再開した時は改めてよろしくお願い致します。

 では。


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