栄養価の高い作物が有名なキーン村は今やリ・エスティーゼ王国にとってなくてはならない存在となっていた。
名産品バレーシは軍の食糧の数割を締め、斬新な村の改革は他の村や都市が参考にする程。
今、この村が独立でもしようものなら、王国の損害は計り知れない。
王や貴族の誰もが、そんな日が来ることを考えもしなかった。
「ヴァーサ村長、準備は整ったようですね」
村長の家に入ってきたエマがヴァーサの格好を眺め、そう言った。
「ええ、そうなのだけれど…」
ヴァーサは自分が着ている一番上等の服――王侯貴族との謁見などの時しか着ない程のドレスをしげしげと眺めながら、ため息を零す。
「村長なら大丈夫ですよ! ね、ブリタさん」
「うん。 バッチリよ、ヴァーサさん」
「もう、茶化してる…」
顔を赤らめたヴァーサの視界に入ったのはエマとブリタの真剣な眼差しだった。
エマは村長の仕事を手伝いながら、管理者として必要な素養を学んでいる。
その中で、度々ヴァーサが村を離れる際には「村長代理」として内政的に村を守ってくれていた。 ブリタは物理的に村を守る冒険者達のまとめ役。
今回、村長が長く村を離れることになる為、二人には事情を伝えている。
ふっとエマが暗い顔をしたことにブリタが気付いた。
「どうしたの?」
「私とブリタさんに村長がしばらく離れることを話してくれた時、とても思いつめていたようだったので… 何か危険なことに巻き込まれてるんじゃないかと思って」
エマの上目遣いにヴァーサは顔をしかめながら言葉を返す。
「大丈夫よ。 私はあるとても高貴な…至高と言えるお方に会って、村のこれからについて御相談するだけだから」
「至高って…アダマス様よりも?」
「…同じくらいかしら。 というよりも――」
突然扉が数度ノックされた。 扉の向こうから美しく品性の高さを感じさせる声が聞こえる。
「ヴァーサ・ミルナ様、ユリ・アルファです」
声を聞いたエマが慌てて扉に向かう。
「あ、はい。 今開けます」
扉を開けた先には黒髪眼鏡にメイド服を着た、天上の美を持つ女性が立っていた。
薬指に嵌められた指輪が日の光を反射して煌く。
「お待たせいたしました。 ヴァーサ・ミルナ様をお迎えにあがりました。 失礼してもよろしいですか?」
「はい。 どうぞ」
至高の
そのアインズのメイドであるユリ・アルファとヴァーサは今までに数回会っていた。
アダマスがアインズと同盟を結ぶ上で、キーン村の守護を乞うた為、連絡役としてユリは度々訪れている。
そして今回、いよいよヴァーサはアインズ本人と面会することになっていた。
「では、準備がよろしければすぐに転移の準備に入りたいと思います」
「て、転移? 転移なんてできるの! …ですか?」
ユリの言葉にブリタが大きな声を上げた。 ヴァーサはなぜ、ブリタが驚いているのかは十分に理解している。 魔法による転移は人間の限界か、それ以上の御技なのだから。
「あ、いえ。 これは私の力ではなく、アインズ様よりお借りしたマジックアイテムの力によるものです」
ブリタとエマが目を丸くしている間に、ヴァーサは一歩前へ出た。
「それではユリ・アルファさん、よろしくお願いします」
ユリは一礼すると、壁の前まで歩く。 突然、そこにまるで空間から取り出したかのように大きな木枠が現れた。 人が余裕でくぐれるほどのサイズで、細緻な模様が彫刻されており、額縁のようにも見える。
「さあ、どうぞ。 お入りください」
「それでは、エマ、ブリタさん。 あとは頼みましたよ」
「はい! お任せ下さい」
「大丈夫ですよ村長、あのゴーレムもいますから」
枠の向こうに見えるのは、見慣れたいつもの壁のはずだ。 しかしながら、まるで別の世界が向こう側に広がっていた。
ユリが先導するよう歩き出す。 枠の向こう側へと。
続いてヴァーサが歩き出す。
抵抗すらなく抜けた先、広く荘厳な通路の左右には今にも動き出しそうな像が並んでいる。
「なんて… いえ、失礼しました。 とても、素晴らしい…」
感嘆の吐息を吐きながらヴァーサは天井を見上げた。
そこは磨き抜かれた大理石の床に
「この先でございます」
ユリの声に我に返り、再び目の前に現れた二つ目の枠を通り抜ける。
一瞬だけ、ピンクの花が散る中、下が赤で上が白の服を着た女性を幻視し――
「よくぞ来てくれた。 歓迎しよう、ヴァーサ・ミルナ」
荘厳にして威厳を感じさせる声が聞こえた。
光を吸い込むような漆黒のローブに身を包んだ
曰く神をも超える最凶の
悪しき存在と揶揄する言葉等必要ない。 大事なことは、ヴァーサ自身が神と敬い、忠誠を誓った人物―アダマスが友と呼んだこと。
今のヴァーサにとっては、それが全て。
見渡せば壁の色は黒、部屋の真ん中には十人掛けの長方形のテーブル。 先程見た廊下と比べると質素な作りをしており、ヴァーサが持った印象は「会議室」だ。 それもそのはず、ヴァーサはパーティに呼ばれたわけではないのだから。
「お初にお目にかかり光栄です、魔導王陛下」
ヴァーサは自然な動きで跪き、頭を垂れる。
ここまで意識せず頭を下げることができたのは、心が、体が殆ど勝手に動いたからだ。
アインズ・ウール・ゴウンという圧倒的上位者を目の前にして堂々と胸を張れる人物がいれば、それは神かそれを超える存在くらいだろう。
その絶対者が口を開いた。
「まだ…ではあるがね。 それよりも、頭を伏せていては話もできない。 かけたまえ」
「はい。 それでは、失礼致します」
決して広いとは言えない室内。 一番奥の椅子、上座にアインズが座り、ヴァーサは下座。
当然の配置ではあるが、真正面に魔王の肉も皮もない顔を望むのは、実力的にアダマンタイト級であるヴァーサでも、正直心臓に悪い。
しかし、目を背けるわけにはいかない。 この会談に、村の将来がかかっているのだから。
ヴァーサはゴクリと生唾を飲み込み、王の言葉を待つ。
「…本題の前に、一つ尋ねたいことがあるのだが、良いかな?」
「え? あ、はい…ど、どうぞ」
普通の、まるで人間のような雰囲気をもつ魔王の言葉遣いにヴァーサは一瞬呆気に取られながらも、なんとか返事を返す。
「例の魔女、たしかエンナと言ったか…。 あれは我々の敵、予言者の部下のはずなのだが、尋問にかけたところ、随分と素直に答えている。 予言者の目的、拠点、戦力全てだ。 罠だとしたら幼稚過ぎる上、情報の一部は裏も取れている。 恐らく事実だろうが… 何か心当たりはないか?」
予言者によって生み出された存在であるエヌィ・シーアが一人、エンナが裏切りを行うことなど有り得ない。 しかし、可能性があるとすれば、思い当たる節はある。
「…エンナ様を含めた四人のエヌィ・シーア、四巫女とも呼ばれる方々は、自身を創造した存在に絶対の忠誠を誓っています。 その忠義が揺らぐことなど、有り得ません。 であれば、巫女が裏切るということは…」
「なるほど、予言者は「自分達を創造したものではなくなった」ということだな?」
「恐らく…」
ヴァーサは自分が見ていた予言者――ノアの様子について思い出していた。
自分が初めて出会ったころのノアは優しさに溢れ、慈悲深く、人類の繁栄と存続を第一とした素晴らしい神だった。
しかし、何百年という時間の中で徐々に人々が愛した「人間性」と呼べるものを失い、人類をまるで実験動物のように扱いだしたのだ。
とはいえ、ただの「心変わり」で巫女が予言者を裏切るのか… そして、何故裏切るほどの状態で、今まで付き従っていたのか。
「それは興味深いな… こちらのエヌピー… いや、私も… 有り得るということか…」
ヴァーサの耳にアインズの独り言が届く。 小さな声である為に全てを聞き取ることはできなかったが、情報を得たこと自体を楽しんでいるようにも感じられた。
「ゴウン様、何かございましたか?」
「ん、いや…こちらの話だ。 この件に関しては、また追々聞かせてもらうとしよう。 では、本題に戻ろうか」
「はい。 確か、王国と帝国との戦争に、私も参加するのですよね?」
アインズはテーブルに肘を突き、口元で手を組みながら答える。
「その通りだ。 もともとは、我がナザリックが建国する為に帝国と結んだ契約でもあるのだが、そちらにもこれに便乗してもらおうと考えている」
「よろしいのでしょうか… 帝国は」
「その辺りは大丈夫だ。 私とジルクニフの仲だからな」
自信に満ちたアインズの言葉に、ヴァーサは感動していた。 至高の
力のみならず智謀とカリスマに溢れた支配者なのだと、ヴァーサは確信する。
「では、当日私はどのように動けばよろしいのでしょうか?」
「そうだな、
「問題ありません。 私も、汚れを知らない生娘ではありませんので」
「……あ、ああ。 そういうことか。 突然何を言い出すのかと思ったが、そうか、人を殺めたことがあるとかそういうことか」
絶対者の少しだけ戸惑う姿に、自分が忠誠を誓う大戦士の事を思いだしながら、ヴァーサは笑みを堪える。
「アダマス様からお話は聞いていましたが、ゴウン様はとてもお優しい方なのですね」
「はは、村長もな。 …でだ、ラージ・ボーンと同盟を結ぶことになったわけだが、やはり個人の「同盟者」というよりは、君の村を守る為にも独立して「同盟国」となってもらった方が話を進めやすい。 …というわけだ」
「はい、村の皆も納得してくれています。 村の防衛をしてくださっている冒険者の方々も、新しい国の冒険者組合に所属することを受け入れてくださいました」
「そうかそうか、ならば確かに、問題はないな。 それで、国の名前は決まっているのか?」
「はい、『不壊王国アダマス』です!」
「よ、不壊王!」
ラージ・ボーン「やめてくださいよー」
「よ、不快王! 腐海王!」
ラージ・ボーン「やめろッ!」