命の終わりを知る少女がいた
命の終わりしか知らない少女がいた
物語の始まりを知る男がいた
物語の終わらせ方を知らない男がいた
少女と男が出会い、物語は始まり、やがて終わる。
それは新たな命の始まりだった。
やがて世界樹となる、小さな芽生えの息吹がそこに――
地下都市ゴートスポット中央にあるネメア大聖堂。 その最下層、青く曇りの無い鉱石で出来た薄暗い部屋、奥には黄金に輝く一本の槍。 強く気高い獣王の魂を宿しているかのように煌く槍――獅子槍ディンガルが安置されている。
ギルド『アダマス』メンバー一〇〇人の思いが注ぎ込まれた逸品。
DMMO‐RPGユグドラシルにおいて、そのギルドの名を知らないプレイヤーはいない。
ある者はユグドラシルの善意、ある者は仮想世界に舞い降りた優しさそのもの、そう褒め称えるプレイヤーは多い。 しかし、中には偽善者、独善家集団と呼ぶ者も少なからず存在していた。
ギルドの掲示板を立ち上げ、そこに書き込まれる他プレイヤーの悩みや問題に対して真摯に向き合い、できる限り解決の為に努力する。
決して相談事を断ることは無かった。
不可能であることを言われても、必ず代替案を提示した。
ある日その掲示板に書き込まれた一文は長く語り草となる。
《運営より運営らしい》
一プレイヤーであるギルドメンバー達がそう言われるまで善行を重ねたのは、一人の少女に共感したからに他ならない。
同ゲーム史上、「最強」と呼ばれるプレイヤーは複数存在する。
ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』に所属する純白の聖騎士
リアルでも格闘技のチャンピオンであるプレイヤー
そして、ギルド『アダマス』創設者の一人にして、「影の女王」の異名を持つ女性プレイヤー――センリ
彼女の槍は目の前に現れる全ての魔物の命を貫く。
彼女の動きをまともに捉えられるプレイヤーは居らず。
淀みない心を覗いた者は、誰も彼も彼女を愛さずにはいられない。
そんな彼女がユグドラシル引退の意思を打ち明けたのはただ一人。 センリの望みである「他人の役に立ちたい」という思いに最初に共感し、ギルド立ち上げに協力してくれた人物――ラージ・ボーン
彼と最初に出会ったのは薄気味悪い森の中。
聖騎士は彼に異形種狩りを逆に狩る「PKK」を主な活動とする
本人はただ気が弱いだけとか話していたけれど、本当の理由は別のところにあると、センリは気付いていた。 彼の「優しさ」が邪魔をして、プレイヤーに対して無意識に遠慮してしまっている事を。
不器用で消極的な彼を、ユグドラシルと出会う前の自分と重ねたセンリはラージ・ボーンと一緒にできることを探し始める。
小さな頃から体が弱く、病気がちだった自分が他人の役に立てることがあるのか。
物心ついた時から思っていた事をラージ・ボーンに相談したところ、彼は「やってみたら良いじゃないですか」と一瞬も考えずに答えを教えてくれた。
センリにとってその言葉は紛れもない福音だった。
あの聖騎士もよく言っていた。 「誰かが困っていたら助けるのは当たり前」と。
自分もそうすれば良いんだと気付かされた。
そうやって、掲示板であたしの拙い思いに共感してくれた二人と、ラージ・ボーンとで『アダマス』を結成してから何年も経ち、とても充実した日々を過ごしていた。
けれど、どんなものにも終わりはある。 あたしはそれが人より少し早かっただけ。
「……センリさん、大丈夫ですか? 痛いところとか…」
男性の声で我に返る。 気分が悪いわけではない、体調も…今は調子の良い方だ。 此処は聖堂の最下層、ギルド武器の安置所。
座ったまま、一番信頼できる人の肩に体重を預けながら、センリは小さな吐息を漏らす。
「…ん、大丈夫だよー。 ちょっと、いろいろ思い出してただけだから」
「なら良いんですけど。 最後だからって、無理しちゃダメですよ?」
「分かってますー! 心配性だなぁ、骨太くんわ」
無課金ギルド『アダマス』初代ギルド長、センリの引退及びラージ・ボーンの二代目ギルド長就任式の夜、大ホールの会場をセンリとラージ・ボーンは二人で抜け出し、ギルド武器安置所に来ていた。
「本当にありがとうね、骨太くん。 さっきも言ったけど、やっぱり骨太くんで良かった」
「僕で…ですか。 よくわかりませんけど、こちらこそありがとうございます。 僕も、センリさんのお陰でたくさんの人と仲良くなって、すごく楽しかったです」
ゲームの中に感情が全て現れてしまっていたら、きっとセンリは照れ笑いを浮かべていただろう。
それくらい的外れで、恥ずかしいことを言われたのだから。
「えっと…骨太くん、先に会場に戻っててくれる? あたしは少し休んでから行くよ」
「それは良いですけど、何ならログアウトしますか? 皆には僕から…」
「大丈夫だってばー。 ちゃんと行くから、みんなにあたしがどれくらい感謝してるか、もっと伝えたいし」
「…わかりました。 そう伝えておきます」
仮想の中とはいえ、ラージ・ボーンとの距離が離れることに名残惜しさを感じながら、センリは安置所を後にする男を見送った。
センリはコンソールを操作し、目当ての項目を選び出す。
「〈GMコール〉 …どーも、センリです。 少し遅くなっちゃいましたけど、最期のご挨拶と、アレの確認の為に連絡させてもらいました」
『センリさん、お疲れ様でした。 貴方の功績は運営も高く評価しています。 センリさんのお陰で引退を延期したプレイヤーも多くいることから、サーバーの確保は受理されました』
「ありがとうございます。 せっかく無理言って作ってもらったものが失くなっちゃうのは寂しいですから」
『確認と言われましたが、あの場所へ転移しますか?』
「あ、それ、お願いします」
『では、GM権限でのセンリの転移を実行いたします』
「はいはーい!」
●
視界が一瞬真っ黒に染まった次の瞬間、センリは先程まで居た安置所によく似た場所に独り立っていた。
青い鉱石で出来た部屋。 違うところがあるとすれば、その奥に安置されているものだろう。
深紫の長髪、白い肌、黒いボディースーツ、右手には黄金の槍。
センリのキャラクターと瓜二つのNPCがそこに居た。
「スカアハ、また来たよ」
センリは鏡写しのNPCを、まるで自分の子供の名であるかのように呼んだ。
センリの引退を会話ログで知った運営からのささやかな贈り物の一つ。
自身の
もう一つの贈り物は、運営側がセンリが引退するまで、ユグドラシルを有意義に楽しんでもらうため、ギルド武器に付与したある効果。
『このNPC、スカアハに搭載されたAIは、極限までセンリさんの動きを再現するように作られています。 装備の効果も同様、もちろん装備している武器に付与された効果もそのままです。 ただ、システム上NPCはギルド武器を装備できませんので、スカアハが装備している槍は、
「良いんですよ。 あたしの生きた証が、みんなと一緒に生きたこの世界に残っていてくれれば。 もし、彼がこの子を見つけてくれたなら。 それが一番嬉しいことですけどね」
『もちろん、ユグドラシルのサービス終了までスカアハは存在します。 …では、センリさん、本当にお疲れ様でした。 会話を終了致します』
「こちらこそ、お疲れ様です。 それじゃ…」
センリはいつものように、母が子供に話すように、スカアハに語りかける。
「これでスカアハに会うのも最後になっちゃうよ。 でもきっと、骨太くんが迎えにきてくれる。 …それまで、独りになっちゃうけど、寂しくないよ。 あたしはスカアハの中にいるから。 でも勘違いしちゃダメだよ。 スカアハはあたしじゃない。 あたしもスカアハじゃない。 骨太くんなら、ちゃんとわかった上で、あなたと接してくれる。 大事にしてくれると思うから…」
センリはスカアハを優しく抱きしめる。
体温も、鼓動も無い世界では何も伝わらないかもしれない。
でも、何かが伝えられるかもしれない。
瞳をぎゅっと閉じる。
自分の中にあるたくさんの気持ちを、思い出を注ぎ込むようなイメージ。
めいっぱいの「大切」を託した後、センリは振り返り、部屋の反対側にある転移用の魔法陣が描かれた場所を確認する。
「スカアハ、じゃあ…ね」
『センリさん?』
「…え!?」
センリが自分の引退式会場へ戻るため、転移用魔法陣へ足を進めようとした時、聞き覚えのある声が聞こえた。
「まさか…たっちさん?」
『ああ、間に合った。 引退式の途中ですか? 都合が悪ければ連絡し直しますが』
「いやいや、大丈夫だよー! っていうか、久しぶりだねー… もしかして、骨太くん?」
『ええ、彼が私に連絡をくれまして。 伝えておくべきだろう、とね』
「あははー…。 いや、ちがうんだよ? 別に黙ってたわけじゃ…」
『仔細は知りませんが、なんとなく察することはできます。 普通の引退、というわけではないのでしょう?』
「さすがはたっちさんだわー。 …というよりも、骨太くんが素直過ぎるのかもね」
『はい、彼はとても素直ですから。 伝わってしまいました』
「この分じゃギルメンの皆も、実は分かってるんじゃ…」
『部外者である私が分かるんですから』
「んんー…、これはちょっと…会場に戻りにくいなー…」
『それは大丈夫でしょう。 『アダマス』のメンバーは皆、空気が読める方と聞いていますから』
「まあ、一部を除いて…だけどね」
『ハッハッハ、誰のことでしょうかね』
「……ありがとうございます、たっちさん。 お忙しいところ」
『いえ、他でもないセンリさんの引退と聞いては、せめて一言くらいは伝えておきたいので。 お疲れ様でした。 貴方の言動や行動はゲームの中のみならず、プレイする人間に善き影響を与えていたでしょう。 私はそれを、とても素晴らしいことだと思います。 私自身、貴方に癒されることは多くありました。 本当にありがとうございます、センリさん』
「……」
『センリさん?』
「…あ、あはは… なんか、嬉しくて…リアルに泣いちゃったよぉ…」
『貴方に涙を流させる男は、ラージ・ボーンだけだと思っていましたよ』
「それって、どういう意味?」
『…それでは私はこれで、センリさん本当にお疲れ様でしたー…』
「あ、ちょっ! たっちさん!? …もうログアウトしてる。 ま、いっか…皆のところに戻ろう!」
センリは俯きかけた顔を上げ、胸を張って進んだ。
自分がやってきたことは無駄じゃなかった。
自分が生まれ、生きてきたことに意味はあったのだと、友人が、仲間が教えてくれる。
センリの瞳は淀みなく遥か彼方を見つめていた。
現在を見た。
過去を見た。
では、未来を見に行こう。