欲深な王から弱き命を守ろうとした神は至高の宝具を使い、楽園を顕現させた。
理想郷での永遠を約束された人々は神によって平和と繁栄を謳歌する。 自分たちが欲深なケダモノと化すその日まで。
旧友を見送った男――真紅の鎧に身を包んだ金髪の騎士は古城の玉座で独りきり。
窓から差す月明かりくらいしか光源のないこの場所を薄気味悪いと思うものもいるだろう。
しかし、騎士はそれを満足と感じていた。
「裏切り者にはおあつらえ向きの最期じゃないか」
騎士の口端が喜悦に歪む。
この城は過去、かつての仲間達と共に攻略した場所。
騎士は自分の過去を思い出す。
今、自分の精神がある世界、DMMO-RPGユグドラシルでの思い出を。
まだ自分が憧れていた女性が居た時代、男にとって代え難い日々。 大切な仲間。 心安らぐ居場所。
彼らを裏切ったのは一時の過ち。 利益も達成感も無い、ただ感情に流されただけの行為。
その暴挙が、ある男にとっての「全て」を崩壊させた。
ラージ・ボーン。
騎士――赤錆が持っていないものを持つ男。
ラージ・ボーンに赤錆は嫉妬していた。
物を知らないのに尊敬され、実力もないのに頼られる男。
引っ込み思案の人見知りなのに、周りにはいつも笑顔と温もりがあった。
空回り、カッコつけ、根暗、考え無しの脊髄反射…赤錆がラージ・ボーンに抱いているイメージは良いものの方が少ない。
それでも理解してしまっていた。
妬み、嫉み、怨み、辛み…負の感情を多く抱きながらも、あの男がいれば楽しかった。
ラージ・ボーンがいないと、何故か物足りなさを感じていた。
人が笑えば同じくらいか、それ以上に笑い、人が悲しんでいれば同じくらいか、それ以上に悲しむ。
他人に同調し過ぎるのは悪い癖だと注意もした。
自分のことで精一杯だと言いながら、いつも他人のことばかりを気にしていた男の事を、赤錆も大切に思ってしまっていた。
そんな男が、もう一人の男と二人の女性とで作ったギルド『アダマス』
ラージ・ボーン、カーマスートラ、ゆべし…そしてセンリ。
センリの「人の役に立ちたい」という願いから作られたギルドは、その思いに賛同する者たちが集まり全盛期は一〇〇名の大所帯となっていった。
ギルド長を務めていたセンリの引退後、誰が次代のギルド長を務めるのか少しだけ議論が起きる。
自然と他の創設者の誰かという話になった。
カーマスートラ、実力は問題ないが特に女性陣の反対が酷かった。 下品な会話が多すぎた所為だろう。
ゆべしは家の事情で、そう遠くなく引退することは皆知っていた。
残るはラージ・ボーン。
まるで消去法のような言い方になってしまうが、順番は逆だった。
皆次代のリーダーがラージ・ボーンになると確信しているが、何故と聞かれた時に誰もはっきりと答えられなかっただけだ。
なんとなく楽しいとか、浮ついた理由しか並べられないので、消去法っぽく言うしかできないでいた。
そんな中で、赤錆を二代目ギルド長に推す声も上がっていた。
多少揉めはしたが、大多数がラージ・ボーンを推薦していた為、比較的円滑に二代目ギルド長はラージ・ボーンに決まった。
「あの時、私を推してくれていた彼らと、新しいギルドを作ったんだったな」
『アダマス』の崩壊後、赤錆は自分を慕うプレイヤー達と新たなギルド『ハザール』を結成。
他人の為に頑張っていた『アダマス』時代とは打って変わって、『ハザール』は利己的な集団。 効率主義者集団とも言われていた。
課金もした、レギュレーションギリギリの妨害行為だってやった。
新ギルド結成後ものめり込んでいたが、どこか虚しさを感じていた。
大切に思っていた場所を壊してまで、自分が何を得たのか、多くのものを失いながら、何処に行こうとしているのか。
辿りついた場所が、ここだ。
「手に入れたもの…か」
アイテムボックスを開き、自分の手元にある
新ギルドの仲間――と呼べる程、信頼もしていなかった者達と共に手に入れた強大な、七つのマジックアイテムの内の六つ。 残り一つはギルド拠点に保管している。 いつもは殆どの
手元にある六つのアイテムの内、一つは『七曜の魔獣』という公式イベント戦を最初にクリアしたチームへ贈られた、一人のプレイヤーにイベントのラスボスと同じ力を与えるアイテム。 デメリットとして「記憶を徐々に失う」とあったが、意味をイマイチ理解できず、結局使わず仕舞いだった。
もう一つは使用した場所にNPCを四体創造、永続的に随伴できるマジックアイテム。 レベルの総数が三二〇と設定されている。 一〇〇、一〇〇、一〇〇、二〇とするか、四体とも八〇で統一するか迷った挙句、最後まで使えなかった。
そして、一番お世話になったアイテム。 自身のバックアップを作成する
死亡してもレベルダウンしない。 単純なことだが、未知こそ全てと言えるユグドラシルにおいては、かなり便利なアイテムだ。 赤錆自身も何度かお世話になっている。
他にも一部のアイテムを複製可能とするアイテムや、寿命を持つ人間種にデメリット無しで「不死性」を与えるアイテム、中規模ギルド拠点級の
どれも手に入れた時は大いに喜んだ。
達成感もあった。
しかし、『アダマス』の頃に、あの
赤錆は眺めていたアイテムをボックスの中に入れ、ゆっくりとした動きで立ち上がる。
気だるげに足を動かしながら、月明かりの入口である窓へと向かった。
窓枠に手を添えて、夜空を見上げる。
満天の星。
現実ではもう見られなくなった仮想の星空がそこにあった。
作り物でも、この星空の下にある世界を今はとても愛おしく感じられる。
失ってから初めて、その大切さをしる…とはよく言ったものだ。
後悔しても、もう遅い。
旧友と一緒に、あの男に謝れば良かったのか。
そもそも、あんな事件を起こさなければ良かったのか。
赤錆はため息を一つ。
ラージ・ボーンがよく言っていた。 「人生に遅過ぎるなんて無いんですよ」と。
「ユグドラシルは終わってしまうが、MMO‐RPGは他にもある。 「次」があったら、今度こそ他人の為に頑張ってみるか」
零時になれば終わる。 そして、始めよう…
23:59:35、36、37……
赤錆は淡い光を届ける月を見つめたまま、終りを受け入れる。
23:59:58、59――
――ゴオゥッ!
時計が「0」を示した瞬間景色が一変した。
視界の端に映っていた窓枠が消失。 窓枠だけではない、城そのものがなくなっている。
咄嗟に赤錆は足元へ視線を向けると遠くにある地面が物凄い勢いで迫ってきている。
逆だ。 自分が落ちているのだ。 この高度は洒落にならない。
何も考えず、脊髄反射で赤錆は空間に手を入れると、一つのアイテムを取り出す。 小さな鳥の翼を象ったネックレスだ。
それを首にかけ、意識をそちらに向ける。
その瞬間、込められた唯一の魔法の力は解放された。
〈
徐々に落下速度は減衰していく。
地面に着くころには殆ど重力による落下は止まっていた。
赤錆は魔法の力で音も衝撃もなく着地する。
呼吸は荒い、心臓の音が煩い、金属臭が鼻につく…
「におい… 臭いだと?」
ゲームであるユグドラシルで、嗅覚を使用することは無かった。
状況の流転に混乱しながら地面を確認する。
自分が身につける真紅の鎧よりも赤く、どろどろした大量の液体。
鉄の臭いの発生源はおそらくこれだろう。
頭ではその正体を認識しながら、心が受け入れることを拒否している。
夢か、ゲームか、幻覚か。
視線を上げると、顔の横を何かが弾丸のような速さで過ぎ去った。
直径一メートル程の塊。
そして目の前には二本足の生き物。
「うぐ…お…がぁ……っ」
破壊と汚濁、命の破片と死の揺めきによって滅茶苦茶になった人世。
堪らず膝を突き、こみ上げてくるものをぶちまけた。
地面に付けた手の平を見れば、また赤。
「ここは地獄か…」
遠くで暴れている者は地獄の鬼か、はたまた自分を裁きに来た神か。
どちらであったとしても、こんなことが許されて良いはずがない。
震える膝を叱咤しながら立ち上がると、視線の先から小さな影が自分の方向へと走ってくることに気付く。
小さな女の子だ。
十も生きていないような少女は赤い泥に足を取られながら必死に走っている。
もがく姿が、まるで自分に助けを求めているような気がして、赤錆は少女に手を伸ばす。
あと五メートル、少女の表情が見えた。
汚れてはいるが、薄紫の髪と褐色の肌が特徴の可愛らしい少女だ。
自分に何ができるのかはわからない。 それでも彼女の手を取り守る事はできるのかもしれない。
強大な存在が襲ってくるのなら、一緒に逃げるくらいはできるかもしれない。
今度こそ、他人の為に―――
――閃光、熱波、激痛。
赤錆の視界が真っ白に染まった後、三つの感覚が同時に襲いかかった。
「がっ!?」
一瞬何が起こったのかわからなかった。
背中に衝撃を受け、声を上げてしまったが、その痛みは大したことはない。
それよりも、まるで目の前に太陽が落ちてきたような、有り得ない現象。
人間の体が焼き尽くされなかったことが不思議でならない。
苦痛はあるが、まだ立ち上がれる。
五体十分、動かない場所もない。 目も見える。 呼吸もできる。
自分のおかれた状況を確認。 先程いた場所でおきた「何か」によって吹き飛ばされ、民家のようなものにぶつかったらしい。
少女は……
赤錆は再び膝を突く。
あの少女がいた場所には何も無かった。
文字通り何もない。
確かに、そこには道があった。
両側に家が建っていた。
それらが綺麗に無くなっている。 建物の骨組みすら残っていない。
あるのは高温によってどろどろに溶けた大地と鼻の曲がりそうな悪臭。
その爆心地にひとつの影が舞い降りる。
光より生まれし神のようでもあり、欲深な王のようでもあった。
殺したのだ。
殺されたのだ。
自分が置かれた状況など、まだ分からない。 ただ、押し潰せない怒りが心の底から込み上げてくる。
それでも、足が前に向いてくれない。
戦いの意志が恐怖に負けている。
人の世の『敵』が、こちらを認識する前に逃げなければ。
弱き命を否定する『敵』が、全てを奪う前に守らなければ。
赤錆は本能のままに逃げた。
どの方向へ逃げれば良いのか、そんなものは分からない。
無我夢中で『敵』から遠ざかる方向へと走った。
何時間も、何日も…
何ヶ月も逃げた後、赤錆は振り返った。
『敵』が否定する人の命を守るべく、自分が何をすべきなのか。
自分に何ができるのか。
元居た世界に戻る。 そんな単純な回答を導き出す思考回路は既に焼き切れていた。
【ユグドラシル時代『アダマス』の一幕】
赤錆「知らないモンスターにいきなり殴りかかるプレイヤーがいるか」
ラージ・ボーン「いやはや、面目ない…」
赤錆「こうして助けるのは何度目だ? いつもそうやってメンバーに心配をかけて、こりない男だよ。 そもそも、お前のキャラは回復ができないんだ。 無闇に突っ込むんじゃない」
ラージ・ボーン「すみません…」
赤錆「… ただ、防御力の高いお前が先陣を切ること自体は間違ってない。 だから、その「先陣の切り方」というものを教えてやる。 後で拠点の練習場に来い」
ラージ・ボーン「ありがとう!赤錆さん!!」
赤錆「か、勘違いするなよ、お前の為に教えるわけじゃないんだからな! ギルド長であるセンリが最終的に迷惑を… って聞いているのか!?」