二つの呪いに縛られた少年は現実よりも目を背けたい仮想の世界に足を踏み入れる。
恋人も、友も、家族もいない自分に心休まる居場所を与えてくれた人々を裏切った懺悔をする為に。
無課金ギルド『アダマス』最年少プレイヤー、トラバサミは憧れ、尊敬する恩人と最期の言葉を交わす為に、呪われた魔の森へと訪れていた
一話 「光に流されて」
「本当にお疲れ様でした。骨太さん」
「うん、お疲れ様、トラくん」
DMMO―RPGユグドラシル最終日、久々にログインした黄色の忍者装束に身を包んだ人物、トラバサミは自身が参加していたギルド『アダマス』のギルド長、仲間から『骨太』と呼び親しまれるラージ・ボーンと最期の挨拶を交わしていた。
参加していたと過去形ではあるが、脱退したわけではなく、ギルドそのものが崩壊してしまった為だ。
その原因を作ってしまったという後悔と後ろめたさを必死に隠し、明るく若々しい声を発する。
「終わっちゃうんですね、ユグドラシル」
「そうだね、あと二十分くらいかな」
赤と白で構成された刺々しい
表情が現れない筈のラージ・ボーンの顔が、トラバサミの目に、どこか寂しそうに映ったのはきっと気のせいではないだろう。
「ギルド…いや、ギルドそのものよりも、あの武器は…」
『アダマス』の前ギルド長、センリの為にギルドメンバー全員が一丸となって素材を集め、作り上げたギルド武器――獅子槍ディンガル――
黄金に輝いていた其れはセンリの引退後も、仲間達にとって掛け替えのない思い出そのものであり、ユグドラシルという一つの世界に彼女が存在していっという証でもあった。
しかし、獅子槍ディンガルはギルド崩壊と共に失われ、今この仮想世界に「彼女」の存在が残っているのは、ラージ・ボーンがユグドラシルで人助けをする度に名前を出すことで刻まれたプレイヤー達の記憶の中だけ。
「その事は本当にごめん、僕がもっとしっかりしていれば、ギルドも維持できていたかもしれないんだけど…」
「骨太さんの所為じゃないですよ! 俺も今はほとんどインしてませんし、骨太さんもリアルが大分忙しくなってるって言ってたじゃないですか。百人居たギルメンも今まともに来てるのは骨太さんだけですし…」
楽天家でありながら、責任感の強いラージ・ボーンの思いが痛い程にトラバサミの胸に突き刺さる。
声を大にして言いたい。 ギルド崩壊のきっかけとなった「あの事件」に自分も関わっていたと。
しかし、心の叫びを言葉にできず、気弱なままに飲み込んでしまう。
「残業するのが当たり前みたいになっちゃって、後輩にそんな姿みせたら、ダメな真似をさせてしまうのは分かってるんだけどね―」
ラージ・ボーンの現実世界での愚痴を聞きながら、トラバサミはぎこちない作り笑いを返すくらいしか出来なかった。
ふとトラバサミは思い出す、ラージ・ボーン以外に会う約束をしていた人物がいることを。
「すみません、骨太さん、俺そろそろ行かないと」
「そうだね、トラくんは他にも会う人がいるって言ってたもんね」
「はい、ただ…サービス終了時にインしてたら何が起こるかわからないんで、それまでにはログアウトしますよ」
「公式じゃ、問題ないってされてたけど、まぁ、そうだね。わかんないよね」
トラバサミは謝ることができなかった事を後悔しながら、ラージ・ボーンと別れの言葉を交わす。
決して、あなたは悪くないと
「それじゃぁ… 失礼します。 お元気で! 骨太さん!」
ラージ・ボーンに背を向け、トラバサミは用意していた転移用アイテムを起動させた。
あの人が指定した場所へ行くために。
●
其処は常に夜であり、月光が照らし続ける悪魔の城を思わせる外観。
トラバサミが転移した場所は城の奥に建てられた古い石造りの塔、その最上段。
魔城の主の玉座が置かれた謁見の間にトラバサミは立っていた。
目の前の玉座に腰をかける男が一人。
「お久しぶりです。 赤錆さん」
「ん、久しぶりだ。 トラ」
トラバサミが最後に会う事を約束していた人物。
ギルド『アダマス』が誇る最高の戦略家であり、同ギルドを崩壊させた張本人。
真紅で統一された装備、短く丁寧に切り揃えられた金髪、どこかの貴族を思わせる風貌の人類種。
過去憧れていた真紅の
決して明るいとは言えない雰囲気の中、トラバサミは言いたかった言葉を放つ。
「これでよかったんでしょうか」
「ラージはぼっとしているようで、視野の広い男だ。 おかげで上手く逆ミスリードが効いて、情報漏洩を私一人の仕業だと思っていることだろう」
「俺も関わったのに、それじゃ…」
「立案も実行も、やったのは私だ。 それに、お前はラージの将来を思ってやったが、私はセンリの事しか考えてなかった。 センリが引退した後のラージが、見るに堪えなかったのは、私も同じだがね」
トラバサミは言い返せなかった。
センリ引退後の徐々にラージ・ボーンはおかしくなっていった。
現実世界を犠牲にしているとしか思えない時間ユグドラシルで活動し、センリの名を仮想世界に刻もうと必死に戦う姿。 それは痛々しく、仲間達はまるで乾ききった泥の城が崩れていくのを、ただ見守ることしかできなかった。
そんなラージ・ボーンを今際の
「ギリギリだったんだよ、あいつは…」
赤錆は視線を落とし、そこにいない誰かに向かって話しているようだった。
「確かにあの後、骨太さんのログイン時間は減りました。 たまに会うと、睡眠もちゃんと取ってるようでしたし」
「崩壊がきっかけになって、ある意味で冷静になれたんだろう。 勘違いするんじゃないぞ、トラ。 別に私はラージが悪いとは思っていない。 あいつを支えられなかった私達にも責任がある。 センリとラージの関係は、もう皆知っていた。 そして、センリの引退の理由も」
ラージ・ボーンとセンリは、彼女の引退の理由を隠している様子だったが、二人共隠し事ができるような性格でなかった為に、引退式の前にはメンバーの殆どが気付いていた。
「…これで良いのか、トラ?」
「すいません、赤錆さん。 はい、十分です」
ギルドを崩壊へ導いたのは正しくはなくても、間違いではなかった。 そう納得させてもらうために共犯者との会話を求めた。 そんな幼く、弱い自分をトラバサミは「なんて恥ずかしい男だ」と心の中で奥歯を噛み締める。
心ごと俯くトラバサミを見かねた赤錆が低い、年長者らしい声で話す。
「すまないな、トラ。 私は最期の瞬間を一人で迎えたいんだ。 終了まであと数分だ、お前も最後くらい、好きな場所で終わらせた方が良いぞ」
「そうですね… 本当はサービス終了前にログアウトするつもりでしたけど、赤錆さんの「終わらせる」っていう言葉で、考えが変わりました。 俺も、終わらせてきます」
トラバサミは心の隅に残った懺悔を抱えながら、先程使用したものとは別の転移アイテムを起動させる。
最後に過ごしたい場所、かつてギルド『アダマス』の拠点、地下都市ゴートスポットの入口がある場所へと転移した。
「……ありがとう…」
感謝の言葉が聞こえた気がする。 何故、そんな言葉が聞こえてきたのか、今のトラバサミには理解できなかった。
●
トラバサミが本日三度目の転移を行った場所、地下都市ゴートスポット隠し入口前。
特定のアイテムを持っていなければ、そもそも入口が出現することもない幻の都市。
二代目ギルドマスター、ラージ・ボーンの主武装が偶然鍵になっているなど、誰が予想できただろうか。
「骨太さんは、ゴートスポットの中にいるだろうけど、さすがに会いには行けないし… せめて、ここで… …え?」
トラバサミの目の前に予想外の光景が広がっていた。
地下都市入口周辺に数十名の一〇〇レベルプレイヤーが集まっていたのだ。
そのうちの一人、漆黒に赤いラインの入った外套と褐色の肌、長い白髪が特徴の
「おおー! トラじゃん、久しぶりだな」
忘れたくても忘れられない、
「相変わらずカッピカピだな! まだ童貞は卒ぎょっ―!!」
こちらに駆け寄ってきていた魔術師が突然前のめりに倒れる。 その背中には白い槍が深々と刺さっていた。
「ごめんなさいね、トラバサミくん。 うちの旦那がまたつまんない事言って」
奥から高さ一メートル四〇センチ程の純白のスライムが現れる。
全身白いベールで覆われ、さながら魔物の花嫁衣装だ。
黒い衣装のカーマスートラと、白いスライムが並ぶと、すぐにでも結婚式が開けそうだが、事実この二人が夫婦であることはギルドメンバーの殆どが知っている。
その無脊椎の身体から、MPの続く限り武器を実体化させて射出する、『アダマス最強の矛』だった女性だ。
トラバサミが見慣れた光景を懐かしんでいると、自分の周りにプレイヤー達が集まりだしていることに気付く。
「トラさん、おひさしぶりッス。 やっぱりトラさんもここに来たッスね」
「赤錆は来てねぇみたいだな。 あーせいせいすらぁ、最後まであの面みなくて済んで良かったぜ」
「そんな事言って、本当は寂しいクセに」
「んぶふー、本当に懐かしいですな、トラバサミ殿」
「おつ。
「トラバサミも、一個持ってたよね。 私達も…ここにいる中だと、九人かな。 手に入れたのよ」
「……」
「まぐなーどはこんな時も無口とは、流石に最後くらいキャラは通さなくても良いと思うゾ!」
四方八方から聞こえてくる声に戸惑いながら、トラバサミは率直な疑問を口にする。
「えっと、皆さんはどうしてここに?」
倒れていた魔術師が立ち上がり、軽快に答える。
「ああ、それはオジサンが答えよう。 ここで骨太を待ち、最後くらい励ましてやろうと思って、みんな集まったんだよ。 ちなみに、招集をかけたのはオジサンだ、誉めろ」
「あはは… え、骨太さんなら大分前に中に入ったはずですけど…」
「マジか!? やっべ、どうしよ… 入り方、ここにいる全員が忘れているし…」
「俺なら覚えてますし、骨太さんの武器のレプリカがあるので、入ることできますよ」
トラバサミの言葉に柏手を打った魔術師が大きな声で騒ぎ出す。
「そうだったな、骨太の武器…たしかセンチネル・バスターだったか。 神性特効の… あのボルトの形状が鍵だったか… あー! 思い出した! けどもう時間がねー!! えっと、コンスタンティン、お前骨太のリアル連絡先知ってたよな、引退したゆべしのメッセージも預かってんだ、これ伝えといてくれ」
「オジサン、ホント使えねぇな」
23:58:06
「いやホントマジみんなおつかれ! どこかでまた会おうね!」
「黙れ夫、あんたじゃ締まらないでしょ」
「チクショー、骨太さーん! 俺あんたの事好きだったぜー!」
「ぶふー! BL宣言キタコレ!」
「ええー! こんなごちゃごちゃで終わんの!?」
「みんなおつ」
「ハーフブリンクさんは本当にブレませんね」
23:59:33
トラバサミは喧騒に耳を澄ませる。
まるで在りし日のギルドのようだ。
不思議と心の中は後悔で満たされていない。
何故なら、またこの人たちと、そしてラージ・ボーンと出会える気がしたから。
最高の仲間、最高の家族。
また出会えたなら、今度こそ謝ろう。
そして、ありがとうと言おう。
赤錆と別れる間際、自分に向けられた感謝の言葉。
その意味が今、やっとトラバサミは理解できた。
23:59:57、58、59
トラバサミは目を閉じる。
時計と共に流れる時を数える。
幻想の終わり、そして新たな物語の始まりを願って――
ブラックアウトし――
0:00:00……1、2、3
「……ん?」
トラバサミは目を開ける。
見慣れた九人のプレイヤーの面々。 先程より随分とメンバーが減ったものだ…違う、そうじゃない。
見慣れた自分の部屋に戻ってきてはいない。
そして、ここはどこだ。
一面焼け野原。 壮絶な戦いが繰り広げられた…まるで爆心地。
「…あの白い山、何?」
シーシュポスの声が聞こえた。
意外な程に冷静な声だった。
トラバサミが振り向くと眼前に広がる山脈。
0:00:58
トラバサミは確信する。
何かとんでもないことに巻き込まれたと……
ゆべし「引退する時期は前からお伝えしていましたが、あんなタイミングで引退することになって…… いや、ちがうな。 もっとこう… 明るい雰囲気の方が良いな」
カーマスートラ「ゆべっちゃーん、まだー?」
ゆべし「あーはいはい、もうちょっと待ってください。 っていうかそもそも、実家に来るとか有り得ないんですけど」
カーマスートラ「いや、だって俺ら、義理とはいえ兄妹になったわけじゃん?」
ゆべし「絶対あなたを「お兄さん」なんて呼びませんから!!」