下火月[9月]三日 10:34
「クライム君、無事かい?」
王都の裏路地でクライム達に殺意を向けていた男達五人組の内四人を二種類の死体に変え、一人は気絶させてから同じ場所にいた老紳士に渡したアダマスは、現在この場で意識を持つ者の中で一番戦闘能力の低いであろう青年に声をかける。
「あ、ああ…も、申し訳御座いません!」
クライムは顔を真っ赤にしながらアダマスに近付き、自分の額を地面に埋まるのではないかという程の勢いで滑らせる。若々しい土下座だった。
「いやいや、様子は見てたから。王都の案内よりも子供を助ける方が、普通に考えて優先順位は高いはずだよ。 まあ、その後そこの老紳士についていったのは、ちょっと…笑えたけど。 君は…あれかい?自分より強い人を見ると師事を請いたくなるクセでもあるのかな?」
「いいえ、その…強さはもちろんですけど、人格も大事です!」
土で汚れた額をアダマスに見せながら何度も謝罪しているクライムの様子を見て、それまで呆然としていた老紳士が口を開く。
「…クライム君は、このお方の知り合いですか?」
「あ、はい! セバス様、こちらの方はガゼフ・ストロノーフ様のご友人で、アダマス・ラージ・ボーン様です。ストロノーフ様より王都の案内を任せられたのですが…このようなことに」
セバスと呼ばれた老人の言葉にクライムは立ち上がり、背筋を整えながら答える。
「アダマス…お前、何者だ?」
「どういう、意味ですか?ブレインさん」
この場にいたもう一人の戦士、ブレインが鋭い目つきでアダマスを見つめながら言葉を続ける。
「俺とクライム君が相手をするはずだった男達を殺したナイフ、俺が気付いた時にはもう刺さった後だった。間髪容れずに反対側の内二人を潰し、一人を気絶させるなんて…。こいつらは決して弱い暗殺者じゃなかった」
「いや、それは…セバスさんやブレインさんは大丈夫だと思いますけど、クライムくんが危ないなーって」
「そういうことじゃ…」
「よろしいでしょうか?」
ブレインとアダマスの会話の中にセバスが落ち着いた声で割り込んでくる。その片手には生き残りの男がぶら下がっていた。
「このような裏路地とは言え、誰が来るかわかりません、早速尋問を始めます」
不満を前面に出した顔でブレインは問い詰めるのを止め、セバスの行動を見守ることにした。ブレインが静止するのを確認したセバスは男に活を入れる。びくんと身を震わせ、意識を取り戻した男の額に手をあてた。
「尋問…ああ、〈
「それは、どのような技なのですか?ボーン様」
セバスの動きを見て、思い出したようにアダマスが呟く。聞いたこともない技にクライムが尋ねたが、その答えはすぐに明かされることとなった。
セバスが質問を開始すると、暗殺者であり、口が硬いはずの男はぺらぺらと喋った。
彼らは王国の裏で強大な権力を持つと言われる『八本指』の警備部門最強、六腕の一人に鍛え上げられた暗殺者であり、セバスを殺すために尾行していたようだった。
ブレインとクライムの目には、セバスは尋問に集中しているように見えたが、アダマスはまるで、セバスが遠くにいる誰かと話をしているような違和を感じていた。
尋問の最中、その内容を聞いたクライムが思いを零す。六腕は組織の最高戦力と言われる強者六人の呼び名であり、一人一人がアダマンタイトに匹敵するという。
その六腕の一人が、暗殺未遂の黒幕であり、『八本指』に関わる娼館から、奴隷を助けたセバスを脅そうとしているらしい。
セバスはそこまで話を聞き、一度深く考え込むように瞳を閉じてから、ゆっくりとたちあがる。
ブレインは眉間に深い皺を作り、苦悶の表情のセバスに問いかける。
「それでセバス様はこれからどうされるのですか?」
「……私は今、ここから離れるわけには参りません」
セバスはアダマスを真正面に見据えながらそう断言した。
アダマンタイトに匹敵する程度の力しか持たない六腕をセバスが恐る理由等どこにもない。であれば、助けた少女と娼館に囚われている者達以上に優先させなければならない事情がセバスにはあるのだと、その場にいた誰もが理解した。
しかし、暗殺者が帰ってこないことで異常を知り、囚われている者たちを移動されたら助けられなくなるものまた事実。
「セバス様、お、私に協力させてもらえないでしょうか?」
「私もです。王都の治安を守るのは王女殿下の配下である私にとっても当たり前のことです。もし王国の民が苦しめられているのであれば、この剣でもって救ってみせます」
「アングラウス君、クライム君…よろしいのですか?」
二人の言葉に瞳の奥に熱を感じながらセバスが確認する。男達は無言で、清々しいまでの笑みで首を縦に振った。
この王国に住む人々の良い所を見て、アダマスは嬉しい気分になりながらクライムに声をかける。
「クライム君、これを持っていくと良い」
「これは?」
アダマスは小さな小石程のものをクライムに投げて寄越す。その指輪は青年の指には大き過ぎるサイズで、複頭の蛇が彫られた純銀製の指輪だった。
「それは大きいように見えるけど、魔法がかかっているから、指にはめれば君のサイズに合うようになる。 それほど強力な魔法じゃないから過信はしないで欲しいけど。 君を守ってくれるはずだ」
「あ、ありがとうございます、ボーン様!」
「アダマス、俺の分は?」
「信頼してます」
「ハハ、まあいいや、後でお前の話、ちゃんと聞かせろよ?」
皮肉を込めた笑顔でブレインはアダマスの肩を叩く。クライムが指輪の使い方を送り主から聞いている間、セバスは三人を悲痛な面持ちで見つめていた。その表情に気付いたクライムが声をかける。
「危ないからと目を瞑っていては、主人に仕える価値のない男だと証明してしまいます。あの方が人を助けるように、私もできる限り苦しんでいる人へ手を差し伸べたいと思っております」
クライムとブレインに対し、深く頭を下げたセバスを見て、二人は慌てて顔を上げるように促す様子をアダマスは見守っていた。
●
若く逞しい男達が姿を消し、路地裏には赤と白の全身鎧に身を包んだ大男と、老紳士の二人だけとなる。最初に口を開いたのは、鎧男の方だ。
「セバスさん、先ほど誰と連絡を取られていたようですが… 自分をここに足止めするように指示を出したのは、誰ですか?」
「……」
セバスは黙してアダマスを見つめるだけだった。その完全な無の表情からは感情を読み取ることができない。
「その人物は、純白の聖騎士ではありませんか?」
「…違います」
「それでは、モ…」
一言だけ返ってきた答えに、アダマスは間を置かず第二候補の名前を出そうとしたその時、セバスの後ろで新たな死体が突然現れた。
「エイトエッジ…アサシン?」
アダマスの言葉に機敏な動きで後ろを振り向いたセバスの目に、平時は不可視状態で潜伏している筈の八本腕の魔物が胴体を複数の槍に串刺しにされた姿が飛び込んできた。
「チカヅクナ…」
二人の頭上から人間とは思えない硬質な声が響く。魔物を殺した犯人であることは明らかな存在を認識したアダマスとセバスは、直ちに戦闘態勢に入ろうとする。
「ラージ・ボーン様!後ろです!」
周辺を警戒したセバスが見たものは、アダマスの後ろから迫る白い光。セバスの声に反応したアダマスが意識を後ろに向けた瞬間。
一帯が眩い光に包まれ、一秒足らず白一色となった後、認識を取り戻したセバスの目の前には、誰も存在していなかった。
「なんということ!」
自体を把握したセバスは主人にありのままを報告した。
「アインズ様!申し訳御座いません!ラージ・ボーン様を見失いました。強制転移のアイテムか魔法と思われます。 今の者が、キャンサー…なのでしょうか…」
●
―ガシャンッ
セバスの声が聞こえてすぐ白い光に包まれた後、アダマスを襲った感覚はよく知ったものだった。強制転移だ。
「……ここは」
強制転移させられた先は、アダマス自身がこの世界に転移してから最初に見た景色と同じ草原が広がっていた。
混乱しかかった意識を集中させながら辺りを見回すと、すぐ後ろに一人の女性が立っている。その女性はアダマスの知人である
ここが最初に転移してきた場所と同じならば、彼女が居るはずのキーン村からそれほど離れていない為、ブリタが居ること自体に不思議はない。しかし、アダマスはどうしても彼女をブリタだと認識だと信じる事ができなかった。まるで誰かに操られているような、別人の気がしてならない。
「君は…誰だ?」
「今度こそ、あなたを守る」
ブリタの姿をした何者かは無気力な瞳で語る。 アダマスは以前、エ・ランテルの共同墓地で会ったブリタのことを思い出していた、あの時も同様の違和感を覚えたが、今回は明らかすぎる。
その時の彼女は「モモンに近付くな」と忠告してきた。そして今回はアインズ・ウール・ゴウンと名乗る者と関わっていると思われるセバスと接触した時に強制転移された。これでは、アインズとは、同じ名前のギルド『アインズ・ウール・ゴウン』のギルドマスター『モモンガ』のことであり、モモンもアインズに関わっているか、もしくはモモンガ本人であると答えを言っているようなものだ。
「アインズ・ウール・ゴウンと遠ざけることが、自分を守ることだというなら、モモンガさんは…敵なのか?」
「…違う」
「じゃあ何故」
「アインズ・ウール・ゴウンに近付くことと、敵に近付くことは同じ意味を持つ」
無表情の女は淡々と煮え切らない言葉を並べる。
アダマスは苛立ちを覚えながらも質問を続ける。
「そもそも敵とは一体何なんだ」
「この周辺国家はどこにいても安全は無い。 敵が、あなたが王国に居ると知ってしまったから。 もっと遠くで静かに暮らして欲しい。 あなたは私が守る」
「……また、失えと言うのか」
「このままでは、本当に今度こそ全てを失うことになる」
「…」
「あなたが存在していれば、あの「約束」は果たされる。 でも、あなたが存在している限り、敵はあなたの全てを奪おうとする」
―「あの約束」―
この言葉に大きな意味を込めて使い、自分を守ろうとする人物は限られる。アダマス・ラージ・ボーンがユグドラシル時代にギルドマスターを務めていたギルド『アダマス』のメンバーだ。
『敵』の真の狙いはわからなくとも、彼女が言っている意味は分かる。自分が存在すれば、周りが『敵』の標的となる。
「自分の全て…周りの人もか、キーン村の皆や、王国の人々を守りたければ、ここから姿を消すべきと」
「信じて欲しい。私を」
「君はどうするんだ」
「敵の監視を続ける。そしてまた、あなたに危機が訪れるようであれば、警告しに来る」
「逃げ続けるのか」
「それだけが、あなたが「約束」を果たす方法。 私の役目は「約束」を守ること… 私が話せるのはここまで…どうか、より良き答えを選択して欲しい」
そう言い終えるとブリタの姿をした者は霞のように、まるで幻だったかのように姿を消した。
アダマス見渡す限り、何もない唯の平原に独り残された。
「……何なんだよ、誰なんだよ…」
突然現れた人物に、ここからいなくなれと言われる。その言葉を素直に聞く者はいないだろう。しかし、アダマスにとって「約束」は絶対である。「約束」を持ち出された言葉を無視することは出来ない。
全てを失う―― アダマスは一瞬だけ想像してしまった。
キーン村の人々を 王国に住む人々を
ヴァーサを エマを ブリタを 自分を慕ってくれる冒険者たちを
『漆黒の剣』のように失うことを。
―――――――――アダマスが諦めるには、十分な「一瞬」だった――
●
「アダマス様?」
「どうされました?村長」
「いえ、今アダマス様の声が聞こえた気がして」
「…早く、帰ってきてほしいですね」
「ええ、そうね」
アルベド「デミウルゴス、そういえばアインズ様からご命令頂いていた、エ・ランテルから例の場所までの安全確保の期間が延長されたけれど、継続できているかしら?」
デミウルゴス「そのことなのですが…やはり、流石はアインズ様、ここまでお考えだったとは…」
アルベド「その様子、良いことがあったみたいね」
デミウルゴス「アインズ様は全てを語られませんが、やはり我々は御方の指示通りに動くだけで良いと思います。 早速、結果をご報告せねば…いや、もしやそれさえも、もうお知りになられているのでは!」
アルベド「早計はよくないわ、デミウルゴス。 確かに至高の御方であらせられるアインズ様であれば、森羅万象全てを知っていてもおかしくはないけれど、ちゃんと伝えるべきでしょう?」
デミウルゴス「もちろんですよ、アルベド」