東方信頼譚   作:サファール

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 どうしましょうか……。
 ここで説明しておきますと、修司はこれからどんどん『中身の仕組み』が変わっていきます。
 中身というのは精神的なあれこれのことでして、変化の度に出来るだけ詳しい説明を、作中か後書きにでも書いていきます。



 あと、言っておきますが修司はSではありません。これは絶対頭に入れておいて下さい!絶対ですよ!


 


8話.鬼畜な打開策と地這いの妖怪

「よしみんな!今日は別の場所で訓練するぞ!」

 

 永琳に交渉を持ちかけてから数日。たった数日で手を回してくれた永琳に感謝しながら、僕は部下に命じてある場所に行くことにした。それは……

 

 

 

 

「…やっぱり、森ばっかりだなぁ〜」

 

 

 

 

 この台詞で何処か分かった人はなかなかに勘がいい。雄也も含めて、部下全員が肩身を寄せ合ってブルブルと震えており、門の前だから居るわけがないというのに、森に向かって武器を構えている。その手も小刻みに震えていて、ガタガタいっていた。

 

 

 

 

 さて、こんな事になっているのには理由がある。それを今から数日に遡って説明しよう。

 

 

 

 

「そこで交渉だ」

 

 僕はそう言い、永琳を、いつもの目ではなく、ツクヨミ様を見た時のような目で見た。永琳はそれに気付き、顔を引き締める。

 

「交渉?」

「そう。実は、僕の部隊は今、途轍もない経済難に陥っている。更に、深刻な実力不足も。それもこれも、全部将軍達が仕組んだことなんだけどね」

 

 ツクヨミ様は僕をとことん苦しめたいらしく、経費はまともに使えないし、防衛軍の中でも成績がよろしくない隊員達を僕の隊に異動させた。雄也が異動してきたのは、恐らく曾隊長のせめてもの慈悲だろう。

 

 そして、と僕は立てている人差し指をそのまま永琳に向けた。

 

「永琳は、壁外調査を続行したいけど、上が興味を無くし、護衛の兵士も集まらないという」

「えぇそうよ」

「そして、僕は経費が足りずに、色々な面で不十分。ここで提案だ」

「提案?」

 

聞き返す永琳に修司は頷いて見せ、また不敵な笑みを作った。

 

 

「護衛を務める兵士を僕が育てるから、その経費をその予算で賄って欲しいんだ。期間は半年。それだけあればもう護衛の心配は無いし、今までみたいに妖怪に惨敗するなんて事も起きない。永琳も外で好きな事を出来る。どうだい?」

 

 

「…それは、凄く魅力的な提案ね。でも、本当にそんな事出来るの?修司、あなた、もしそれが達成出来なかった時は、流石の私でも守りきれないわよ?」

 

 それはそうだ。もしそこまで息巻いていたというのに、半年で碌に成長も出来ず、更に調査の成果が凄惨なものだったとしたら、永琳の従者としての僕の立場でも流石にお咎め無しは有り得ないだろう。都市の刑法に死刑があるのかは定かではないが、あるとすればそれが適用されるくらいに上の人達は怒る筈だ。

 僕は、元は得体の知れない存在だ。僕が一つでもミスをして、都市に何か損害を与えたとなれば、ツクヨミ様達はすぐに僕を切り捨てる。僕が成功しようと失敗しようと、それほど深刻な問題ではない。成功したらラッキー程度にしか思われてないからだ。

 それでも僕は、生き残るために成功し続けなければいけない。

 

「分かっているよ。これは賭けだからね。信用を勝ち取るためにはじっとしてちゃいけないんだ。それで、どうだい?」

「…………自信があるのね?」

「勿論。勝率は十分にある」

「………分かったわ。私が皆を説得してくる。失敗したら死刑でもいいというくらいで臨んでよ?」

「任せてよ」

 

永琳が心配が拭えないような顔をしている。修司はそれを見て、ズイっと右手を差し出した。

 

「はい、交渉成立」

 

有無を言わさずに選択を迫る。 それに流されるように永琳は手を出して握手をした。

 

「それじゃあ、説得の方はお願いね。僕は作戦を立てるから。くれぐれも、上の人達には注意してね。あんまり信用しちゃ駄目だよ」

「あっ…」

 

 手を離し、僕は部屋を出た。彼女の顔が覚悟を決める顔になっているのを見て、僕はそっと心に雨を降らした。

 

 

 

 

 彼女は全く分かっていない。“上の人”は信用出来ない。それはツクヨミ様や防衛軍の将軍、そして財閥や貴族などが当てはまるのだが、そこに八意永琳が含まれている事に、彼女は全く気付いていなかった。

 僕の本心はきっと彼女を信用したいのだろうが、今の僕は何者も信じない鉄壁のバリケードが張られているのだ。

 ここに来た最初は良かった。まだ能力もそんなに使ってなかったし、何より“僕”がしっかりと、心の奥底の、よく分からない黒い部分を抑えていたから。

 だけど、その状態は長くは続かなかった。“僕”は、どんどん膨れ上がっていくその闇を抑えきれなくなり、遂にそれは、僕の心を飲み込んでしまった。

 

 では、今この身体を動かしている意識は誰なのか。

 実は、“さっきの僕”は、曾隊長の人格が“本物の僕”の意志と混ざり合ってできた僕だった。隊長の少々無理矢理な性格が垣間見え、永琳は不審な顔をしていたが、何とか誤魔化すことが出来た。

 

 簡単に僕の精神を説明すると、心の闇という名の檻が、本物の僕の精神の一部を閉じ込めた。僕が能力で取り込んだ人格達は、その檻の外側に居る。そして、僕の身体を動かすために、その人格達が協力して“僕”の一部として生活しているのだ。だが、そのまま行動していたら、永琳達に必ずバレてしまう。なので、檻の中から、僕が彼らに逐一アドバイスを送っている…といった感じの状態だ。

 しかし、心の闇はその影響を、取り込んだ人格達にも及ぼしており、僕の意志とは無関係に他人を欺いてしまう。その結果、僕は見かけ綺麗な人間として生きてはいるが、中身は非常にドス黒く歪んでいる事になっている。心を読める妖怪とかが居たら一発でアウトだ。

 

 『混在する人格』。これは厄介な能力の弊害ではあるのだが、同時に白城修司の命綱でもあった。

 当然ながら、今身体を支配している人格達は、この状況を理解している。なので、永琳達に隠れてこっそりと、この闇を消滅させる方法を探していた。だが、効果的な方法はおろか、精神に干渉できる方法自体があまり無く、そのどれもが僕の望むものとはかけ離れたものだった。

 

(全く…いつまで騙し続ければいいんだ。交代してやらないと耐えられない)

 

 孤独でいるのは大変辛い事だ。誰も居ない牢屋で四肢を鎖で拘束されている“本物”は、これの比じゃないだろう。それに、闇が本物に少しづつ闇を注入していっているのを、僕は感じていた。時間はあまり残されていない。

 

(…だけど、まずは目の前の問題だ)

 

 廊下を歩くその後ろ姿は、さながら死地に向かう戦士のようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 こんな事が数日前にあった。

 結果から言うと、永琳は上の人達の説得に成功し、僕は予算を受け取ることが出来た。

 

 僕はそれまでにある理論を立てた。

 

 

 

 

『人外と闘うには人外の特訓を』

 

 

 

 

 これは、言葉通りの意味だ。人外と闘うのに、人の範疇の修行をして勝てるわけがない。僕が熊の妖怪と死闘を繰り広げてから静かに思っていた理論だ。防衛軍の施設に収まってチマチマ運動していたんじゃ、勝てるものも勝てない。因みに、都市に来てから毎朝やっていたトレーニング法は、聞くと目を回すほどの内容なので知らぬが仏だ。

 

「なので、これから毎日都市の外で修行をしまーす」

「なのでじゃねぇよ!!!」

 

 僕が周りの木々を見てほくそ笑んでいると、後ろから雄也が叫んできた。

 

「人外と闘うには人外の特訓を。言ったでしょ?人間に勝てないのに、妖怪に勝てるわけがないって。なら、人間辞めちゃうくらいにハードな特訓をすれば、人間はおろか、妖怪にも勝てる」

 

「それは分かったけどさ、わざわざ壁外に出なくてもいいんじゃないか!?」

「「「「「そうだそうだ!!」」」」」

 

「僕達には時間が残されてないんだ。これくらいはやらないと、半年で成長しないよ?集合した時に説明した筈だけど…。他に三十隊もあるから、碌に訓練も出来ない。壁に囲まれた都市にとって土地はとても貴重なものだ。僕のやる訓練だと、どうしてもあそこじゃあ狭過ぎる」

 

 僕は訓練用の刃こぼれした脇差ではなく、真剣の太刀を持っていた。軍の借り物だが、なかなかの代物だ。それを鞘ごと肩に担いで言った。

 

「大丈夫。こんなに都市に近い所で妖怪は出ないし、出たとしてもそれは責任を持って僕がやるよ。そこは安心して」

 

 はにかんだ修司にみんなは段々と緊張が解れていき、次第に散開していった。

 

「よし、じゃあまず、体力トレーニングをやるよ!」

 

 さて、大型輸送車の手配をしておかなくちゃな。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

「一人一本、斧で木を切って!出来るだけ根本を狙ってね!」

 

 地獄の特訓のファーストステップは、木こりだ。これは全身の、特に足腰と体幹を使う重労働だ。

 隊員は各々斧(洒落じゃないよ)を持って、近くの木の前に立った。そして、柄を両手で握って、高く振り上げた。

 

ザクッ!

 

 これだけでも結構な体力を使う。僕は順調に木を切っている彼らを視界の端に収めながら、平地を増やすために太刀でどんどん木を切っていった。一撃で根本を断ち切ると、周りから驚嘆の声が上がり、同時に僕の人外認定度が上がった。僕を化け物を見る目であまり見ないで欲しい。

 

ザクッ!ズドン!ザクッ!ズドン!

 

 軽快なテンポで木を切っていく。彼らも半分くらいまで切り終わっており、中にはグラグラとその幹を揺らしている危ないものもあった。

 僕が大体100本くらい切り倒したくらいで、隊員達が切っていた木が倒れる音がチラホラし始めた。あちこちで不規則に緑の山が地面に横たわっていくのが見える。

 二時間位で全員が一本切り終わり、再び僕の元へと集まってきた。

 

「次はこれだよ」

 

ノコギリを取り出し、掲げて見せる。

 

「これを使って倒した木の枝を全て落としてくれ」

 

 僕は倒木と共に枝も太刀で切り落としていたので、周囲には建材に使えそうな丸太がゴロゴロ転がっていた。

 隊員達がまた散っていくのを見ながら、僕は半年のスケジュールの第一段階がいつまでに終わるかを予想した。

 

(う〜ん。この調子だと……短くて二ヶ月かな…)

 

 既に彼らには疲労の色が見え始めていた。このくらいでバテてしまってはこの先が不安で仕方ない。ハンドチェーンソーなどを使わずに手作業のノコギリを使うのは、勿論特訓のためだ。

 

 枝切りにまた一時間かかってしまい、もうそろそろお昼が近付いてきた。だがまだ休憩はしない。これはメンタルを鍛える訓練でもあるのだ。限界を突き抜けるくらい疲れてもらわなければ、訓練の意味がない。

 今日の予定としては、日が暮れるまでここの土地を更地にする作業をやる事だ。今日一日で終わり、明日から地獄を味わってもらう。と言っても、僕が毎朝やっているトレーニングとあまり変わらないのだが…。

 

 枝切りが終わったようだ。次は、一人二本丸太を門前まで運んでもらう。それが終わったら、今度は切り株を引っこ抜く作業、次は、地面を掘り返して慣らす作業だ。

 

「さぁて!やるからにはとことんやるぞ!」

 

 後の隊員の話では、指示を出す時の隊長の顔は生き生きしていたそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 夜中まで長引いたが、何とか今日のノルマは達成できた。隊員達はヘタれた雑巾のように倒れ込み、大型輸送車を手配していてよかったと思った僕だった。丸太を運ぶために手配したのではなく、こうなる事を予想していたから用意したのだ。

 だが、それも数ヶ月すれば必要が無くなるだろう。これから化け物対策の鬼畜な修行が始まるのだ。門から軍施設までマラソンで来るくらいには体力をつけてもらう。施設は門から三桁キロメートルくらいはあるので、それを片道大体一時間で移動できるようになれば及第点だ。因みに、中央にはツクヨミ様がいるドでかい建造物が建っている。

 

 さてさて、壁外訓練二日目。

 

「今日からみんなには、今から言うメニューを毎日やってもらう。最初は死ぬかもしれないくらいきついかも知れないけど、頑張ってね」

 

「い、一体どんな……」

「き、昨日の筋肉痛が…」

「うごぉ…後は頼んだぁ……痛ぁ!?」

 

 早速リタイア発言をしている奴には挙骨をかまして、僕はこれからのトレーニング(拷問)を説明した。

 

 飛びっきりの笑顔を添えて。

 

「まず、丸太にロープを括りつけて、平地に沿ってそれを引っ張って走る。これを百周走ったら、次は────」

「ちょっと待った!そんなの出来るわけねぇだろ!」

「出来ないじゃなくて、やるんだよ。そして次は、丸太を持って素振り千回。そしたら今度は………」

 

 ツラツラと地獄のフルコースが修司の口から出てくる。殺意を帯びていないのが不思議なくらいに殺人的な内容に隊員達は震え上がり、昨日の疲れが愛おしくなるほどの恐怖に体を支配された。まだ何もやっていないというのに、身体が急に重くなり、自然と瞳に絶望が浮かんでくる。

 

「────それで、目標は、今言ったのを全て昼までに終わらせる事。それまではひたすらこの体力強化をやってもらうよ。終わるまでは帰れないから」

 

 最早虚となった目をしながら輸送車に積まれている太いロープを手に取る。それを腹に巻き付けて縛り上げ、昨日自分達で放って置いた丸太に反対の端で括りつける。

 

「さて、僕もやろうかな」

 

 ここで腕を組んで達観していると、隊員達から反感を買いかねない。部隊長である僕も一緒になって修行をすることによって、これが人間に不可能なものでない事を示し、同時に僕に対する、尊敬に似た忠誠心を育てる。上司として部下の信頼はとても大切なものだ。それに、僕の修行にもなるので、一石二鳥である。そろそろ都市内でやっているトレーニングだけでは足りないと思っていたところだ、丁度いい。

 

(そういえば、ここまで触れなかったけど、なんで僕の筋力とかは凄いことになってるんだろう。それも、最初は普通だったから、毎日のトレーニングのせいだと思うんだけど…)

 

 太刀で木を伐採したり、現在進行形で丸太を引っ張って競輪選手並みの速度を出していたり、この前は雄也の霊力を纏った拳を片手で平然と受け止められたし、一体僕の身体に何が起こっているのだろうか。

 と、考えながら走っているところで、ある一つの結論に行き着いた。

 

(…もしかして…また能力のせい?)

 

最近概念系の本ばかり読んでいたので、屁理屈や概念、別視点からの切り口を見つけ出すといった難しい作業が上達してきた。

 

(きっと、能力のせいで身体の方も限界が無くなっちゃったのかな…)

 

 都市の人間に寿命が無いのは、穢れが無いからだ。そして、寿命が無いという事は、その人の限界も無いという事。人間に寿命があるのは、そこに限界を設定されているからではないか。

 『寿命は限界の象徴』。これは全ての生き物に適用される原則であると僕は思う。聞けば、妖怪にも寿命────限界があるというではないか。つまり、年数を追うごとに、戦局は僕達都市の人間に有利になってくるということ。

 

 だが、寿命が無いからってそれにかまけて然るべき訓練をしていなければ、絶対に人間は勝利出来ない。僕がやっている訓練は、人間の終わり無き成長を促進させる特効薬なのだ。

 

(でも…)

 

 僕は素振りをしながら、まだノロノロと走っている僕の部下達に目をやった。

 

(曲がりなりにも何年も訓練をしていた彼らを軽々と抜いちゃうなんて、おかしいと思うんだよな…)

 

 原因があるとすれば、それはやはり能力の効果なのだろう。だが、人間を遥かに凌ぐ力のある何かを昇華した記憶なんてない。失った記憶の中にあるのだろうか。

 

「う〜ん…?」

 

 考え事をしながら無心で丸太を振り回していると、門から見て正面に妖怪の気配がした。数は三体。このままだと門前の土地で訓練をしている僕達と鉢合わせをしてしまうだろう。

 

「みんな!急いで門まで来て!」

 

 これは寧ろいいことかもしれない。妖怪との闘い方を教えるまたとな機会だ。

 隊員達は丸太と繋がっているロープから脱出し、急いで僕の後ろに下がった。僕の声音から危険を察知したのだろう。

 

「今から妖怪が来る。数は三体。僕の闘い方をよく見て、学んでくれ」

 

 今日の装備は脇差よりも少し短い両刃の剣を二本持って、双剣スタイルだ。両腰にその鞘を引っ提げ、他に装備は無し、軽装だ。と言うか、僕はいつも武器だけを持つ軽装スタイルだ。防御よりも機動力に重きを置いている。

 永琳に改造してもらった僕の制服のベルトにかけられた双剣を、腕をクロスさせて抜き放ち、ゆっくりと前に出る。妖怪の気配は、平地が途切れて森が残っている所で茂みにアンブッシュしている。こちらの様子を窺っているのだろうが、バレバレだ。恐らく、妖力もあまりない低級妖怪だろう。

 

 しかし、直ぐに飛び出さないところを見ると、知性はあるようだ。低級にしては珍しいタイプだな。

 隊員達は置いてある光線銃を装備しようと輸送車に駆け寄ろうとするが、それを雄也が制した。

 

「…止めろ。隊長が自ら妖怪との戦闘を見せてくれるんだ。絶好の機会だぞ」

 

 防衛軍は、哨戒任務で妖怪との戦闘はチラホラあれど、それのどれもが敗走している。つまり、妖怪に勝てるビジョンというものを持っていないのだ。妖怪との戦闘のノウハウは、本で教わっても決して身につかない。雄也達にとって、これは最高の経験だった。

 それを理解したのか、全員が一列に並んで、修司の後ろ姿を見守ることにした。

 

 背後の一悶着に僕は笑みを零しつつ、目の前の茂みに隠れている妖怪を睨んだ。

 双剣をダランと垂らし、自然体で相手の出方を窺う。知性はあってもそれ程ではないようで、それを好機と見た狼型の妖怪が二匹飛び出してきた。

 

「…まぁ、こんなものか」

 

 頭脳戦も視野に入れていた修司はそう嘆息し、斜め前左右から襲い来る大きな口との距離を把握した。

 体長は成人男性と同じくらい。引き締まった胴を持ち、鋭い鉤爪と木の幹をも噛み砕けそうな牙。低級妖怪でもこれは上位に位置するそれなりの妖怪だ。

 

 二方向からの攻撃だが、行き着く先は同じ。

 修司は咄嗟に後ろに飛び退くことで初撃を避けた。

 これで狼同士衝突するかと思った修司だったが、左が途中で地面を蹴って勢いを殺し、右にスペースを作った。

 

(へぇ…意外と考えるね)

 

 無事に着地した二匹はその場からサッと飛び退り、その脚力を活かして一瞬で修司の左右に陣取った。これで挟み撃ちにしたとでも言いたげに唸り、こちらを知己のある目で見る。

 

「僕は動かないよ。さぁ、かかってきな」

 

修司はそう言って双剣を仕舞うと、二匹に向かって挑発をした。だが二匹は唸るだけで、襲っては来ない。

 

ヒュン!

 

「うおっ」

「グオォォォ!!」

 

 まだ茂みにいるのであろう妖怪から、唐突に石が投げられた。それと同時に左の狼が大きく吠え、修司は首を傾けて石を避けながらそちらを見て身構える。

 だが、狼は吠えただけで、その場から動いていない。という事は…

 

(後ろか…!)

 

微かに地面を駆けてくる音が聴こえてきた。こいつら、なかなか策士だな。石で余裕を削り、咆哮で意識を咄嗟に逸らして、ダッシュしてきた片方の気配を上手く誤魔化した。

 だが、こちらは化け物とまで言われた人間。そんな小細工でやられるほど間抜けではない。

 

「はっ!」

 

 体を逸らしてブリッジをし、上半身目掛けて突撃してきた狼の真下に入る。そしてそのままの勢いで脚を畳んで逆立ちの状態になり、タイミングを合わせて狼の無防備な腹に両脚で蹴りを入れた。

 

「キャン!」

 

狼が真上に向かって打ち上げられる。そのままバク転で立った修司は、落ちてくる狼向かって左腰の剣を右手で抜き、その胴に斬り上げを放った。

 鮮血が迸り、剣で撫でられた胴から真紅の液体が飛び出す。地面に落ちた狼はゴロゴロ転がって逃げようと試みるが、修司は追撃しようと剣を逆手に持って振り下ろした。

 

 それを見たもう片方の狼が飛びかかってきた。だが修司の刃の方が数瞬速く、首に深々と突き刺さった剣が一匹の命を刈り取った。

 

「ガルアァァァ!!」

 

死体の目の前でしゃがんだ状態の修司に、頭がすっぽり入りそうなくらい開かれた口が迫る。そこに並ぶ鋭利な牙が太陽の光を受けて煌めき、彼を噛み砕かんと距離を詰める。

 

「破ぁ!」

 

 咄嗟に左手でカチ上げるように掌底を放ち、狼の顎を無理矢理閉じさせる。その際衝撃を狼の頭部に撃ち込み、軽く脳震盪(のうしんとう)を起こさせた後、そのまま口を掴んで地面に叩きつけた。

 狼や犬などの四足歩行の生き物は、基本口を押さえると身動きを封じることが出来る。

 この狼も例に漏れず、右手に握ったままの剣を引き抜いて、突き刺そうとしても、頭の部分はピクリとも動けなかった。

 

 

ザシュッ!!

 

 

 二匹とも始末した修司は、ゆっくり立ち上がると、まだ出てきていない残りの妖怪に目を向けた。

 

「終わったよ、いい加減出てきたらどうだい?」

 

 右腰の剣も抜いて、狼の死体から離れる。死体に足を取られる可能性があるからだ。

 

 

 

 

「────君、強いね、名前はなんて言うんだい?」

 

 

 

 

 余程知性のある妖怪なのか、言葉を使った意思疎通をしてきた。

 

「驚いた。喋る妖怪なんて珍しいね」

「私もつくづくそう思うよ。何せ、周りは喋れない奴ばかりだからね」

「記念に姿を現してくれないかい?」

「それは無理だね」

「そうか、残念だ。…それで?闘うかい?」

 

 茂みの中の誰かさんは暫し考えた後、若干笑って言った。

 

「いや、“今”は止めとくよ。その代わり、会いたいなら会ってあげる。湖がある山の頂上に来れればね」

 

 近くに湖がある山といえば、門から真っ直ぐ行ったところにあるあの山くらいしかない。あそこはかなりの危険地帯となっており、その頂上ともなれば、生きて出られる確率はかなり低いだろう。だが、僕なら行ける。

 

「あはは、それじゃあ、気が向いたら会いに行くよ」

「そうかい。それなら気長に待つとしようかね」

 

 こいつは危険な妖怪だ。今だから分かるが、溢れる妖力をひた隠しにしている。ただ力があるだけじゃなく、力の制御も完璧だ。実力は大妖怪レベルに匹敵するだろう。こいつをこのまま野放しにしていたら、いずれ都市に攻めてくるかもしれない。不安要素は排除しておくにかぎる。

 だだし、今飛び込むのは非常に命取りだ。暗く、アンブッシュしている敵に真正面から突っ込んで何とかなった実例は一つとして存在しない。ここは、相手の誘いに乗っかって互いに一旦退いた方が賢明だろう。折角相手が待ってくれるのだ、対策を練ってからでも遅くはない。

 

「せめて、名前だけは教えてくれないか?」

「ん?名前かい?……そうだねぇ…」

 

 森の気配に上手く同化しており、声が森全体から聴こえてくるかのように錯覚してしまう。

 

「…私の事は、『地這いの妖怪』って呼んでくれ。名前は会った時に教えるよ。君の名前もその時にね」

「『地這いの妖怪』…分かった。覚えておこう」

 

 僕が了解したと言うと、妖怪の気配が遠ざかっていくのが感じられた。だが、それでも警戒を緩めずに、双剣を構える。投げ物が飛んでくる可能性もあるからだ。

 基本妖怪は信用ならない。本質として人に畏れられ、人を喰らう事で生きながらえる生物だ。騙し、卑怯な手を使い、残虐に攻撃してくる。

 山で待っているというのも嘘かもしれない。途中で大群を襲わせて殺すかもしれないし、そもそもあの山にいないかもしれない。

 それでも行くしかないのだ。それを理解しているから、わざとこんないやらしい手を使ってきた。下手するとそこらの人間よりも頭のいい奴かもしれない。あいつの言動からは人並み以上の知性を感じられた。

 

 気配が完全に消え、森が柔らかな雰囲気を取り戻したのを確認してから、修司は剣の血を払い、鞘に収めた。

 

「ふぅ…さぁ、終わったよ!」

 

 努めて元気な顔をして振り返る。そこには色んな感情が混ざり合った隊員達がいた。

 驚愕、尊敬、畏怖、疑問…。色々あるが、やはり一番は恐怖だった。それは僕に向けられたものではなくて、妖怪に向けられたものだった。一瞬僕に対してだったらどうしようかと思ってしまったのは秘密だ。

 唖然としている彼らにゆっくり歩み寄る。

 

「妖怪と闘う時は空間把握能力が重要だ。それと、視野を広く持つ事。常に相手の隙を窺って、最善の一手を打ち続ける。妖怪の一撃は強力だ。極力攻撃を受ける事はお勧めしないよ」

 

 まだ固まっている隊員達に先の戦闘の解説を始める。開いた口が塞がらない彼らは、僕の言葉をただ頭の中に入れていくことしか出来なかった。

 

「────一通り説明し終わったかな。じゃあ、訓練を再開しようか」

 

 先ほどまでの気迫をまるで感じさせない爽やかな笑顔で拷問の再開を言う。これまでの訓練で手合わせをした時とはまるで違った雰囲気を纏っていた僕に気圧されるように、彼らは自分の丸太に駆けていった。

 これが本物の殺し合いだ。どちらかが生き、どちらかが死ぬ。兵士ならば当たり前のように理解していた筈のその現実を目の当たりにし、彼らは肝を握られたかのような恐怖感に包まれていた。殴られ、斬られ、撃たれて怪我をする。それのなんと生易しい事か。

 このままではこの狼のようになるのは自分だ。次は、自分が襲われて死ぬかもしれない。その未来がありありと思い浮かび、彼らは強くなるための道を決死の覚悟でひた走る事を、固く決意した。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 壁外での訓練を開始してから約一ヶ月が経過した。

 最初は月が天辺に来るまで体力トレーニングが終わらなかった隊員達も、今ではお昼を食べ終わる頃くらいまでに終了出来るくらいに体力をつけた。当初の予想では二ヶ月かかると思っていたのに、これは嬉しい誤算だ。

 どうやら、僕が二日目に見せた戦闘が、彼らの尻に火をつけたようだ。必死に体を動かすその姿を見て、僕はそう予想づけた。人間死を目の前にすると何でもするのだ。火事場の馬鹿力…なのかどうかは知らないが、兎に角、危機感を持って死にものぐるいで訓練した分は、しっかりと体に力となって反映される。

 隊員達が驚いていた。部屋の模様替えで箪笥を持ち上げた時、片手で軽々と持ててしまったらしい。他にも、遠くのスーパーに向かうために走っていたら、いつもの半分以下の時間で着いた等等、色々な場面で特訓の成果が出ている。

 

 だが、まだ鍛えたのは体力面だけだ。このままではただ逃げ続けるだけの敗走者になってしまう。では次は戦闘技術を鍛えるのかと言われれば、否だ。それはまだ先の話。

 

 全員が昼頃に終わったのを見計らって、修司は武器を取るように言った。え、戦闘訓練はまだ先じゃないのかって?いやいや、これから行うのはただの……イジメだよ。

 

 

 

 

「よし、全員武器は持ったね」

 

 

 

 

 僕は今、隊員達を全員、僕を囲むようにして座らせている。そして、一人の兵士が自分の得意とする武器を持って躍り出た。

 

「これからやるのは妖怪と消耗戦をやるには欠かせない訓練だ。何も考えずに、ただ僕を倒すために来て欲しい。僕はそれをこれで受けて────反撃する」

 

 僕はそう言って、眼前にナイフを持ち上げた。

 

 僕の言葉に、みんなは驚いた。刃こぼれをしていないナイフで反撃をする。それがどういう事か、それを理解していたからだ。

 彼らが持っている武器。それも刃こぼれをしておらず、また銃ならば、大木を穴を開けるくらいに強力な本物のエネルギーマガジンを装填している、所謂“殺せる武器”だった。

 隊長は、互いに怪我をする覚悟でかかって来いと言っているのだ。しかも、殺さない…なんて事は一言も言ってない。つまり、殺される危険がある。

 更に最悪な事に、隊長に攻撃を当てられた人は一人もいない。これは即ち、一方的なイジメだということだ。

 

「……お願いします…」

「お願いします」

 

 最初の兵士(生贄)が両刃剣を持って僕の前に現れる。そして、たどたどしい動作で剣を構え、少し息の上がった肩で震えを押さえる。さっきまで地獄のトレーニングをやっていたのだ。今の体力なんてたかが知れている。彼らは昼までにあのメニューを終わらせれるほどの信じられない体力の持ち主だが、今はそれで精一杯な状態だ。とても闘う体力なんて残されていない。

 

 だが、このまま黙って突っ立っていると、僕に攻められてしまう。それを分かっていた彼は、気力を振り絞って僕に突撃してきた。

 

「はああぁぁぁ!!」

 

 純粋な唐竹割り。上から下に振り下ろすだけの単純明快な攻撃。もっと芸のある接近をしなければ触れることすら叶わないというのに、彼にはそれをするだけの力が残されていなかった。

 故に────

 

「ふっ」

 

 短く吐いた息と共に、修司はナイフの刃で彼の攻撃を楽々受け止めた。

 そしてそのまま真上に弾き、空いた胴に蹴りを放った。油断をしていない、本気の蹴りだ。

 

「がはっ!?」

 

 方向を斜め下にしておいたので、地面で衝撃を押さえながら彼は転がる。人垣で作られたリングから出ないための修司の計らいだ。

 予想通りすぐに彼は停止し、その場に横たわったまま蹲る。

 

「うぅ…」

 

 骨は何本か逝ってるだろう。だが、これで終わる修司ではない。

 

「あ"あ"ぁぁぁ!!」

 

 蹲っている彼を仰向けにして、その肩をナイフで突き刺した。生々しく肉が裂ける音がして、そこから血が吹き出る。

 更にエグいことに、傷口にナイフを突き刺したまま、前後左右にナイフを動かし始めた。声にならない叫び声が上がり、痛くなるのも構わずにジタバタともがき始める。しかし修司は、しっかりとマウントポジションをとっているので、生半可な反抗では解けない。

 修司は更にナイフを色々な箇所に刺していき、その度にグリグリと患部を抉っていく。筋肉をグジャグジャにしていくように刃を操り、心臓の鼓動に合わせて動脈からテンポよく吹き出る血液を噴水のように放出させる。

 

 周りの隊員達はこの残酷な現状に我慢出来なかったのか、輪の外に弾き出て森へと走っていく。口元を押さえていたので、そういうことなのだろう。

 

 妖怪に対抗出来る頑強な兵士の条件は、無尽蔵の体力と、一撃ももらわない回避能力、それと、“痛みに対する耐性”だ。

 ついでに言えば、グロい状況にも耐えられるようになるのが理想だが、そっちは自然と身につくだろう。だが、“これ”は、どうしても避けては通れない修羅の道だ。それも、わざと負う怪我ではなく、闘って負う怪我でなければ意味がない。こうして戦闘の中で傷を負うことで、もし妖怪の一撃をもらったとしても戦闘が続行出来る強靭な精神力を培うことが出来るのだ。

 これは妖怪に襲撃された時に生き残るための重要なステップであり、訓練の第二段階でもあった。

 都市で怠惰の限りを尽くしているこいつらを立派な兵士にするには、少々強引で残酷な方法かもしれないが、これが一番の近道だった。部隊長からの愛の鞭だと思って頑張って耐えて欲しい。

 

「修司!このままだと死んじまうぞ!」

 

 雄也がそう叫んだ。確かに、今僕の下にいる彼は、皮膚を青白くしており、完全に失血状態だった。痛みで死ぬよりも先に、失血死で死ぬだろう。

 

「…ふむ、ここまでか…」

「修司っ!!」

「彼のいつも使っていた丸太をここに持ってきてくれ」

 

雄也の叫びを全く意に介さず、僕は一番近くにいた隊員に声をかけた。隊員は急いで丸太を引っ掴んで二人の元へ飛ぶように駆けていき、振動で彼に痛みを与えないようにそっと地面に置いた。

 

「これを実際に使うのは初めてだな……ふっ!」

 

 僕が丸太に手を翳して力を込めると、丸太が淡い光を放ち始めた。そしてその輝度を増していき、遂に一つの光源となった時、丸太の形が変形した。丸太の体積はどんどん小さくなって、最終的に瓶のような形になった。

 そして光が消えると、そこには液体が入っている一つの小瓶があった。隊員達はその摩訶不思議な現象に驚き、目の前でつい先程起こった出来事そっちのけでその瓶に視線を向けた。

 

「さて、これを傷口に垂らして…と」

 

跨った状態を解除して立ち上がり、その小瓶を手に取ると、死ぬ寸前の彼の患部に瓶の中身を一滴ずつ垂らした。

 中身の緑色の液体が彼の傷口に触れて染み込んだ時、不思議な事が起こった。なんと、傷口が自己回復を始めて、完璧に塞いでしまったのだ。それに隊員達は更に驚き、最早見世物を通り越した目で二人を見た。

 

 これは、僕が永琳と過ごして数年経った時に偶然気付いたのだが、僕は、永琳の都市の人間の性質と、彼女の蓄えた知識を昇華したつもりだった。

 しかし、本当はもう二つ、人格と“能力”も得ていたのだ。

 人格の方は能力を得たと同時に得るのだが、問題は僕の能力の性質だった。

 永琳の能力名は、『あらゆる薬を作る程度の能力』。そして、僕の能力は、『昇華する程度の能力』。僕の能力で得たものは、数段階進化した────所謂上位互換となって僕に蓄積されるのだ。

 つまり、僕は永琳のこの能力を手に入れたが、それよりも上位に位置する、『どんな薬でも創造する程度の能力』となって僕のものになった。名前は、この能力を認識した瞬間に頭に浮かんだものだ。

 

 この能力は、僕の想像が及ぶ範囲のものならなんでも薬を作れる能力だ。しかし、それには相応の体力を消費するか、それと同価値のものを対価に選ぶ必要がある。今回は、隊員のいつも使っていた丸太を対価に能力を使用して、彼を全快の状態にする薬を創造した。丸太なら僕が切り倒したものが何本もあるから、それを使えばいい。

 

 とどのつまり、僕は能力を二つ保持している事になった。いや、考えようによっては、僕の本来の能力の派生能力と考えるのが妥当か?元を辿れば、この能力を生み出したのは『昇華する程度の能力』なのだし…。兎に角、これがあれば兵士をどれだけ傷つけようとも、無傷で家に返すことが出来る。なかなかに便利な能力だ。

 

「さぁ、彼を輸送車両に運んでくれ。…次は誰だい?」

 

 血に濡れたナイフを指でなぞりながら、僕は殺気を込めてそう言った。

 

 




 今回は、永琳との交渉とマジで鬼畜な訓練のスタート、それと『地這いの妖怪』というオリキャラの登場(?)です。


 戦闘や技術、様々な理念に関する記述は完全な個人の見解ですので、何も文句は言わないでください。

 さてさて、オリキャラ追加ですね。果たして『地這いの妖怪』は修司にどんな影響を及ぼすのでしょうか。ついでに隊員達はどうなってしまうのでしょうかw。土台が出来上がってきた気持ちの作者です。
 戦闘シーンにしか希望のない作者ですが、戦闘シーン、どうでしょうかね?詳しく、それでいて端的に、加えて疾走感のある戦いを目指しているものですから、ハードルが高すぎて頭痛がしますw。

あと、修司の能力のえげつない効果が判明しましたね。能力を上位互換に進化させて手に入れることが出来る……インフレの予感!w

 それでは次回もお楽しみに。
 閲覧ありがとうございます!!

 

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