東方信頼譚   作:サファール

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 今回は永琳サイドのお話です。女性の考え方なんて全く分からない作者には苦難の一話でしたが、血反吐を吐きながらもなんとか執念で書き終えました。

 上手く書けているでしょうかね。毎回そればかり気になっています。今回と次回は本当に難しかったです。



 ではでは、お待たせいたしました。


4話.飾らない言葉と誓った決意

「八意様、今日もお美しいですね!」

「やはり八意様は天才です!私、感動しました!」

「このような場所にわざわざ御足労頂き有難うございます、八意様」

「今回の政策について何かご助言を、八意様」

「八意様のお蔭で新しい新薬を発明する事が出来ました、これでもっと沢山の命を救えます!」

「素晴らしい!八意様の実力は天下一ですな!」

 

 

 五月蝿い。周りが上辺だけの美辞麗句をツラツラと並べ立てていく。けばけばしく飾り立てて見栄えを良くしただけの、中身の無い空っぽの言葉はもう聞き飽きた。

 だが、そうだからって拒絶していては駄目だ。都市を繁栄させるためには、私が頑張らなくては。子供みたいに駄々をこねていられない。都市は私を必要としているのだ。高い役職に就くには、それなりの責任とストレスを甘んじて受けなければならない。

 

(…はぁ…)

 

 要らない豪邸を押し付けられ、要らない麗句に精神を蝕まれ、欲しくない賞賛で(はや)し立てられる。

 それを義務と使命感で奥底に押し込んで、理性で蓋をした。

 

(…誰か……)

 

 まだ見ぬ誰かに向かって手を伸ばす。そんな本能の叫びは暗闇に消え、代わりに現れたのはまたもや賞賛の視線だった。傀儡の言葉をその身に浴びて、彼女は更に嫌悪感を示す。

 

 

 

 

 

────彼に出会ったのは、そんな時だった。

 

 

 

 

 

 熊の妖怪の討伐を依頼され、森の中に入った時に拾った青年。他の男と比べても長身で、ヒョロヒョロとした体つきの彼は、名前を白城修司と言う。彼の特異性に気付いて検査したはいいものの、彼は私の予想を遥かに逸脱した能力を保有し、また、今までに出会った中で一番彼女を“八意永琳”として見てくれていた。

 

 

「…凄いと思います」

 

 

 彼のその言葉に、彼女は電流が走ったかのような衝撃を感じた。凄い。その言葉自体は幾度となく掛けられてきたものだ。しかし彼のそれは今までのそれとは全く異なる温かいものだった。所々に飾りをつけた言葉とは違い、彼のその一言には確かに“本物の心”がこもっていた。

 特別なものは何も必要ない。ただそこに、心を込めて欲しかったのだ。御機嫌をとるように言った虚言ではなく、本心からくる真実の言葉、それを無意識に求めていた。

 

 何も知らない他人に心を揺さぶられた事にちょっとムッとして、私は彼が謝っているのをいい事にひたすら弄ってやった。家主である私のプライバシーを侵害してきた彼に表面叱りながら、内面感謝していた。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 彼を監視する名目でちゃっかり同棲を始めてから早数ヶ月。日に日に彼を意識することが多くなっていった。今まで誰もこの家に住んだことなんて無かったから意識するのは当たり前なのだが、なんだろう、この言い得もない感情は。私が朝起きるのが苦手だから毎朝私の所まで来て起こしてくれる。私が健康を崩さないように気遣って栄養バランスのいい食事を出してくれる。私が研究している時に彼から様々な形で助力をしてくれる(主に助言の方で、決して実験台という意味では無い)。私が何かを頼むとそれをすぐにこなしてくれる。私が深夜、研究に没頭していると、隣に立って暖かいお茶をくれる。私が努めて平静でいようとすると、それを察して優しい言葉を掛けてくれる。

 

 つまるところ、彼には沢山の恩があるのだ。感謝してもしきれないほど、これまで私の支えになってくれた。私に真摯に向き合って、いつも本気で応えてくれた。これまで経験したことのない温かみを感じて、久しぶりに心から笑うことが出来た。これも全て、彼のお蔭だ。何かお返しをしたい…。そう思い立ち、彼女はどうすればいいのかを研究そっちのけで考え始めた。

 

 

 

 

 ある時、一人の防衛軍部隊長から連絡が来た。簡単に要約すると、力に酔いしれて調子に乗っている奴がいるらしい。そいつのプライドをへし折って欲しいそうだ。私が直接やってもいいのだが、それでは効果が無い。…と、こちらには今、熊の妖怪も相手に出来る丁度いい人材がいるではないか。しかも、面倒な手続きは一切不要の、すぐに動かせる人材が。

 丁度いいと思った。だから誘ったのだ。案の定、謙遜から入るその物怖じぶりに半ば呆れつつも、なんとか言いくるめて行かせることに成功した。彼の戦闘能力も見ておきたいので、私の同行付きだ。

 

 自分で行かせておいてあれだが、突然私は不安に駆られた。もし、彼が予想以上に弱く、あっさり負けてしまったら。相手は霊力を使うというし、もし相手が彼を殺してしまったら…。

 

(…ううん、修司は絶対に大丈夫。強いもの)

 

自分に言い聞かせるように頭の中でその言葉を繰り返し、門の前で待つ。彼はまだ来ないのだろうか。

 

「ごめん、待たせた?」

「ううん、大丈夫よ。それじゃあ、行きましょうか」

 

 まるでどこかのカップルのような会話だ。そう思った瞬間、私は頬が紅潮するのを感じ、踵を返して車──彼曰くハイテク自動車──に向かう。後ろで彼が慌ててついてくるのが足音で分かった。

 彼がボタンを押して、現れた二つの光を同時に押してクルリと反転させる。随分と慣れた手つきで、つくづく彼の適応力の凄さに舌を巻く。彼が開けてくれたドアに片手を乗せて、私は車内に体を滑り込ませた。

 

「目的地は、防衛軍の訓練場ね」

「お、御手柔らかに…」

「私に言ってどうするのよ」

 

まだ施設すら見ていないというのにこのビビリよう。あの荘厳な雰囲気に当てられたらきっと硬直だけでは済まないだろう。

 自動車が目的地への的確なルートを算出し、地面との摩擦を避けるように電磁浮遊して空中を泳ぐ。意外と狭い車内で、互いの肩が触れ合う。終始無言なのは、ただ単に喋る話題がないからだ。これじゃあまるで葬式でも行くみたいではないか。葬式にしては場違い過ぎる服装だろう。私は赤と青のツートンカラー。彼は学校というものの制服を着ている。決して黒くはない服装だ。彼にこの制服について訊いてみたら、普通の制服は大体が黒色らしい。だが彼が持っている制服は青く、そこらの服よりもかなりかっこいいものだった。

 

 永琳は彼について考えた。森で拾った彼。しかし記憶を失っており、現時点の情報から察するに、彼は明らかに都市の人間ではなく、別のどこかの人間だ。しかし、それがどこかは分からない。もしかしたら私達の他にも都市を形成して生活をしている人類がいるのかもしれないし、極論を言えば、彼は遠い過去か未来から来た存在だと言う事も否定出来ない。まだ観測出来てないので確かな事は言えないが、別世界…というのもある。彼を決定づける要素が足りず、全ての可能性が十分有り得る。

 彼がいなくなる…?

 

「…ねぇ」

 

 静かな室内に、私の声が響く。消音機能がついているこの車において、唯一の音といえば、それは周りの喧騒だけだ。故に、私の声は嫌に良く響いた。

 

「何?」

 

 彼が反応する。その顔がこちらに向いて、目線が交差する。狭い車内だと、互いの顔が思いのほか近い。咄嗟に目を伏せそうになったのをかろうじてこらえ、ふと思った不安を口にする。

 

「あなたは…どこかに行ってしまうの?」

 

 彼がもし、元の世界又は過去か未来に戻ってしまう事になったら、彼は帰ってしまうのか。もしくはまだ見ぬ彼の故郷を思い出した時、彼はこの都市を出ていってしまうのか。それを考えた瞬間、胸が締め付けられるような感覚に陥った。

 彼がここからいなくなる。最早彼は私の生活の欠かせない一部となっているのだ。大切な……人なのだ。

 欲を言えば、どこにも行って欲しくない。これまでと変わらない日常を過ごして、緩やかな時の流れを感じていたい。あなたがいれば、私はもっと頑張れる。

 

 だが、彼からの返答は応でも否でもなく…

 

「選択の時が来たら、その時はきっと、僕は悔いのない決断をするだろうさ」

 

 

「わっ……いきなりなによ…」

 

 実に煮え切らない答えだったが、内心はそれでもいいのかもしれないと思った。だって、彼のこれからを決めるのは彼なんだから、私が介入する余地なんてない。

 不意に頭を撫でられたが、不思議と嫌な気はしなかった。もう子供のような歳ではないというのに、心はまだまだ乙女だということか。

 

「………それは、私にとってどうなのかしら」

 

 思わず零れたその一言。しかし、彼はこれには返答しなかった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 防衛軍の施設に着いた。案の定彼は驚嘆していた。こんな大きな施設は見たことがないそうだ。たかが150階まであるだけの普通のビル群だが、言葉を失うほどのものなのだろうか。因みに、この建造物の設計を手がけたのは私だ。だが、私は倒壊を阻止するための基盤と、地震突風に耐えうる構造を指示しただけで、景観や内装は干渉していない。それでも大半を設計した建設社よりももらった報酬が多かったのは何故だか今でも分からない。

 

(……え?何…あれ…)

 

 部隊長に挨拶して、修司が嘗められるまでは予想できたので、甘んじて耐えることは出来た。しかし、それからの修司の雰囲気が変わり、近付けば喰い殺されそうな猛獣の如き“静寂”を感じ取った。

 殺気や気迫は滲み出るものだ。それを感じて、相手の力量を測りとるのだが、彼のそれは、非常に薄く、ぶつからないと分からない透明なシルクのような、霧のように掴み所が無く目を凝らさなければ目視出来ないような…そんなような、“感じられないモノ”を醸し出していた。

 これはある程度の期間彼と接してきた私しか分からないような変化だ。故に、私以外は、敏感な者は何らかの違和感を気の所為程度に感じ取り、武術をそれなりに修めている部隊長は違和感を少し訝しむだった。

 

 明らかにいつもの彼とは違う。しかしこの変化の危険性にまだ確証が持てないので、壁に寄り始めた兵士達の中で、私はただ、あらゆる感情が入り混じった視線で、大切な彼を見る事しか出来なかった。

 

 

 

 

「────始めぇ!!!」

 

 

 

 

 不意打ち気味に刺突を放った男。私はその行動に驚きつつも、彼の対応に更に驚いた。

 

「何っ!?」

 

男が信じられないような顔をする。霊力を纏った一撃を、全く霊力を出していない防御で見事にいなされたのだ。驚くのも無理はないだろう。なにせ、斯く言う私も驚いているのだ。熊と闘っていた時の彼とは動きが全然違う。彼の動きには全くと言っていいほど無駄がなく、かと言って完璧だと言えばそうではない…所謂不自然なほどに自然な動きをしていた。

 

 のらりくらり。その言葉に近い彼の挙動は、男の攻撃を全て脇差で逸らし、時に織り込む体術で的確に局所に疲労を蓄積させていった。

 腕、脚、腹、肩……。順番に打ち込まれる彼の打撃に男は悶絶し、取り落とそうとする直剣を必死に握っていた。何故脇差での剣撃でダメージを与えずに、霊力を使わない打撃のみで対処しているかは、彼の時折呟く言葉から察する事が出来た。

 

 

「…後10度外側に方向をずらして…」

「次は1.5倍の力で掌底を…」

「肘方向に後2cm打撃点を向けて…」

「突きを左にやったら次は柔道で軸脚を壊して…」

「得物の接点を柄方向に1cm、タイミングを後0.5秒遅らせて…」

 

 

 戦慄。その一言に尽きる。私は、こんな正確な闘いは見た事がない。彼の呟くその言葉。それに注意して彼の動きを見ていると、確かにその通りに改善されている。そして、その改善をした挙動は、より完璧に男の攻防を崩していった。

 

「ぐぅ…!」

 

男が垂直に振り下ろした剣に対して半身になってその背から一寸の位置にその剣筋を通す。そのまま男の手に手刀を落として衝撃で剣をたたき落とし、後ろに引いていた脚を振り上げて回し蹴りを放った。弧を描いて襲い来る彼の脚は、寸分の狂いもなく男の肋骨の一番脆い部分にヒットし、メシメシと音を立てて吹っ飛ばす。彼には一切のダメージは無く、男が彼に肉薄する度に怪我を負っているのは男の方だった。

 

 先程からこのような一方的な攻防が繰り広げられている。私はこの拷問を目にして思わず苦虫を噛み潰したかのような顔をした。だがそれは他の兵士達も同様で、それぞれ耐えられない表情をしていた。中には本当に耐えられなくなり、お手洗いに直行しに部屋を去る人もいた。

 血が出ないように打撃で内臓を破壊するのは避け、脇差はどうしようもない攻撃のみを弾くために使用されている。わざと怪我しても大丈夫な部分から破壊していき、徐々に戦意喪失と戦闘不能に追い込んでいく。それは正しく獣が鹿をいたぶるのと酷く酷似していた。更に彼は、骨折や筋繊維の損傷は直ぐに治るように綺麗に完璧に砕いていた。

 

 あれだけやられても立つあいつもあいつだ。何故降参しないのか。それは私に舞い込んできた依頼の内容を思い出すとすぐに理解出来た。

 

(…随分と強情なプライドね)

 

ただひたすらに負けを認めない。その胆力と意地は見上げたものだ。だが、これまでの怠惰と慢心は、彼を木偶の坊へと変えてしまっていた。彼に剣を投げられても、男はそれを無言で掴み取り、闘士を(たぎ)らせてまた突進する。それを返り討ちにして、また傷を蓄積させていく。この尽きることのない反復作業は既に意味をなさず、その身にいたずらに報復を重ねていく。

 

 そんな作業は、彼が男にかけた言葉によって呆気ない終幕を迎えた。

 

 

 

 彼の事が心配で、手合わせが終わると、すぐに彼に駆け寄った。だが彼は私の心配をよそにいつもの笑みを浮かべて、変わらない言葉を紡いだ。

 その光景が何だか恐ろしくて、彼女はすぐに部隊長に帰る旨を伝えるために部隊長の元へと早足で向かった。私がもう帰ると言うと、部隊長は馬鹿の一つ覚えみたいに肯定して敬礼した。それに倣って周りの兵も右手を頭に持ってくる。

 

(…反吐が出る)

 

これは忠誠からくるものなのだろうが、永琳にはどうしてもそうは見えなかった。疑心暗鬼に駆られているのだろうか。彼らの表情の裏にどうしても闇を想像してしまう。

 

 

 

 

 彼を無理矢理連れて防衛軍施設を出て、私は逃げるように家に帰ってきた。彼が何か心配しているが、その言葉、そっくりそのままお返ししたい。

 既に夕暮れなので、彼が早速晩ご飯を作ろうと張り切ってキッチンに行こうとするのを、私は咄嗟に止めた。

 

「待って、少し話があるんだけど…」

「話?う〜ん、ちょっとご飯が遅くなるけど、それでいいなら」

「構わないわ」

 

 晩ご飯よりも大事だ。

 

「あなたに訊きたいことがあるの」

「訊きたいこと?」

 

 この疑問を一言で説明すると…そう。

 

「修司、あなたは…………何者?」

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 この時の彼の気持ち悪いほどの無表情は、私の研究室でフラスコを振っている今でも鮮明に思い出せる。戦闘をしていた時とは違う感覚を憶える無表情だったが、それでも不気味なのに変わりはなかった。

 彼にはおやすみと言ったが、あの顔が頭から離れずにいるので、どうしても寝れなかった。ならば今日やりきれなかった分の研究をやってしまおうという事で取り敢えず研究室に来たはいいが、いまいち研究に没頭できず、フラスコを片手にまた彼について考えるのであった。

 

(…あの時…)

 

彼がその時に話してくれた彼の能力。彼の『昇華する程度の能力』は、文字通り全てを昇華して自分のものにできると言っていたが、それだと説明がつかない部分がある。

 彼は私と最初に会った時、彼は能力の事を全く知らなかった筈だ。しかし、彼は気絶するほどの頭痛を伴って私の知識を昇華した。それはつまり、無自覚に能力を過度使用してしまったということだ。流石に私の知識は量が多かったらしく、一ヶ月も昏倒してしまったが、調べたところ、彼の脳には100年分と少しの容量が使用されていた。許容量は測定できなかったが、恐らく、彼は脳細胞の性能が異常に良い。それこそ、化け物じみた性能だ。本当に私の知識を得たのなら、100年なんてちゃちな数字じゃあ決して収まらない量が彼の頭の中に流れ込んでいる筈だ。

 脳は能力の副産物でこうなってしまったんだろう。ミリ単位で軌道を修正して対応する闘い方なんて聞いたことも見たことも無い。これはもしかしたら…頭脳においても戦闘においても、私が劣っているかもしれない…。

 

「…はっ、研究の続きをしなくちゃ」

 

 いけないいけない。変に彼の事を考えていたらいつの間にか時間が経っていた。最近彼の事を考える頻度が増えてきた気がする。何故だろうか。

 

 彼の能力のせい?彼と…ど、同棲してるから?それとも…

 

「………そ、そそそうだわ!この液体をこのフラスコに入れて!」

 

 心頭滅却。今は気にしないことにしよう。さぁ、早速研究の続きをしよう、うん!よし、まずはこのフラスコにこの液体を…

 

「…あ、これ駄目なやつだったわ」

 

 

 

ボンッ!!

 

 

 

 緑と紫の液体がガラスの筒の中で混ざり合い、赤色に変色して爆発を引き起こした。軽い音が響き渡り、フラスコは木っ端微塵に吹き飛んだ。幸い、私自身に被害が及ぶ前にフラスコを投げたので私は大丈夫だったが、部屋の一角が大変な事になってしまった。

 

 駄目だ。これでは出来るものもできない。一旦落ち着いてから研究を再開しよう。そう思い立ち、私は窓際にある椅子に腰掛けた。ここからは都市から押し付けられた豪華な庭がある。三日に一回くらいの頻度でここに手入れをしにくるので、庭の美しさは常に保たれている。こんなもの私はいらないのだが、これも周りに威厳を示すためなので仕方がない。

 

「修司が来るまで休憩しましょう」

 

 彼はきっと私がまた深夜に研究しているのを知っている筈だ。彼はそれを見越して、毎回暖かいお茶を持ってきてくれる。その暖かさが毎晩私は嬉しくて、研究が捗るのだ。

 もうそろそろ来てもおかしくはない。ついでに吹っ飛んだ部屋の掃除をやってもらおう。居候の身である彼は断れない。これでも原因の半分は彼にあるのだ。これは横暴でもなんでもなく、罰だ。

 

 そうだ、少々煙たいので、窓を開けて換気をしよう。

 

ガチャ…

 

 夜風が気持ちいい。入ってくる風は優しく頬を撫で、モヤがかかった私の心身を清めるようだった。迷いを払拭するようだったが、結局そんなことはなく、頭の片隅には彼の顔が見え隠れしていた。

 

「…そういえば、ツクヨミ様の件、どうしようかしら」

 

 私の頭を悩ませるもう一つの問題。それは、この都市のトップ、ツクヨミ様から言われたことだった。私が彼を連れ帰った時、彼を都市に住まわせたいと彼女に願い出たのだが、その時に、彼に会いたいと言われたのだ。彼女自身に誰かが謁見するのは不思議ことでは無い。しかし、彼女が自ら誰かに会ってみたいなどと言うとは、私も予想外だ。彼女は、あまり人に会うような性格ではない。故に、人間で彼女と直に顔を合わせたことがあるのは私くらいだ。だが彼女は、会うのは私のタイミングでいいと言ってくれた。時期が来れば、会わせてくれ、そう言われて、私はその場を後にした。その気になれば、起きた瞬間に彼女の元へと引っ張ってっても何ら問題は無いのだが、そういう権力を使った理不尽は彼女も良くは思っていないようで、そこに彼女の素晴らしさを垣間見た。

 

 いつでも言いとは言っていたが、そろそろ会わせてもいいんじゃないだろうか。彼も十分都市に馴染んだだろうし、あれ程の胆力があれば、神を前にしても物怖じする事はなさそうだ。

 

「…遅いわね…」

 

 来ると確信していたのだが、彼はいつまで経っても来なかった。別に頼んでいるわけではないので来ないのが普通なのだが、この彼との深夜の一時が、私にとってとても安らぎになっているのは事実だ。なので来なかったら、ちょっと寂しい。

 

「まだかしら……あら?」

 

 諦めきれずに彼を待っていると、ふとした視線に彼の姿を認めた。

 

「なんで庭にいるのかしら」

 

彼は門近くのベンチに腰を下ろして一人月を見上げていた。こんな夜更けに何をしているのだろうと思い、彼も同じように思考に耽っているのかと結論を出した。

 

(でも、なんでそんなに悲しい顔をしているのかしら…)

 

気になるのは彼の顔だ。まるでこの世の嫌悪をその顔に体現したかのような歪んだ表情をしており、憂いを帯びたその空気は、私のところまでしっかりと届いていた。

 と、まじまじ彼を見ていると、不意に彼の零した声が耳まで入ってきた。

 

 

 

 

「こんな自分……消えてしまいたい…」

 

 

 

 

 彼からの全く予想外の言葉に、私は驚いた。消えてしまいたいとは一体どういうことか。彼が自身を卑下する理由はない筈だ。私は彼の言葉の意味が分からなかった。声音からは、彼が本気でそう思っていることがヒシヒシと伝わってきた。これまでの彼からはそういうのは一切感じられなかった。あるいは、私には意図的に隠していたのだろうか。私に心配をさせないため、わざと虚勢を張っていたのか。

 

(…なにも隠すこと、ないじゃない)

 

彼の負担を軽減してあげたい。背負えることは出来なくても、彼を支えることは出来る。彼が私にしてくれたように、私も彼に何かしてあげたいのだ。だが、これは恩返しではない。なにも貸し借りでそんな事を思っているわけではなく、何故だか、無償で彼に何かをしたいのだ。

 再三言うが、この感情は一体何なのだろうか。今までに経験したことが無い正体不明の思いに戸惑うが、どうしても分からない。

 

(…これが分かる時は来るのかしら…)

 

爆発四散した部屋の一角と、未だに解けない問題が山積している書類の山を見やり、そして嘆息する。彼が来てからというもの、なかなか仕事が捗らない。捗る時といえば、彼からアドバイスをもらった時くらいのものだ。会話の中で不意に専門的な話になっても対応してくれる博識な人は彼をおいて他にはいないだろう。…ん?

 

(ちょっと待って…。修司は私の知識を昇華したのよね……なら、現時点の打開策はおろか、その先の結果まで分かってるんじゃないの!?)

 

 

 音を立てて椅子から立ち上がった永琳はバッと振り返って外にいる彼を見た。相変わらずベンチを座って俯いている。

 

 彼が帰ってきたらその事を問い詰めようとして、永琳はその考えを捨てた。

 

「…いや、修司にせがんでも、絶対に教えてはくれないわね」

 

彼は非常に努力家だ。彼が毎朝きついトレーニングをしているのを私は知っているし、毎日私の書庫の本を読み漁っているのも知っている。逆に、彼が何かしていない時を、私は見た事が無かった。あの生粋の努力家である彼が、何故今まで行き詰まった時に最小限のアドバイスで留めておいたのか、それは、私に、努力してその答えを勝ち取れと言いたいからだ。確かに、努力せずに得た答えよりも、必死に考察して、実験してから得た達成感はとてもいい。研究に意欲が湧くし、何より楽しい。

 彼は暗に、私にもっと頑張れと言っているのだ。そのために、彼は毎回お茶を持ってきてくれたり、家事を請け負ってくれたり、出来る限りのサポートをしてくれている。ここまでやってくれているというのに、当の本人が成し遂げられなくては、それまでサポートしてくれた彼に申し訳ない。

 

「…もうちょっと頑張りましょうか」

 

 窓際から離れて、もう一度(問題)で溢れかえっている机へと向き合う。フラスコが二つ、緑と紫の液体で満たされている。

 

「さっきは間違えちゃったけど…」

 

新しいフラスコに、試験管立てに入っていた試験管の黄色の液体を少量流し込み、そこに緑を半分入れ、紫を一滴注ぎ込んだ。

 すると、今度は爆発せずに、綺麗な青色をした液体が完成した。それを検査機にかけて調べると、可燃性がある液体であることが分かった。

 

「やった!成功よ!」

 

 これがあれば、火力発電所で使用している燃料費が大幅に改善される。しかも、コスパが非常に良く、色々な場面で応用が効きそうだ。おまけに、炎色反応がこの上なく綺麗な空色だ。

 私の能力で作れるのは薬のみで、しかも材料が必要。それは説明した筈なのに、周りは私を何でもできる万能人だと思って何でも頼ってくる。たまには自分で考えて開発すればいいのに、開発費を渋って、適当なご機嫌取りの言葉を並べ立てて、「気長に待つよ」と言うのだ。だが、そういう奴に限って、一ヶ月くらい経つとまだできないのかと小言を言いに来る。そういう奴は、決まって上役を務めている上司の腰巾着だ。全く…溜息しかでない…。

 

「これで暫らくお休みね。何をしようかしら」

 

 明日は一日中暇だ。…ここで普通の女性なら、何処かいいお店や楽しい遊び場でも頭の中に思い浮かぶのだが、生憎そういう浮いたものとは全く縁がない。本当の意味で暇だ。

 

(何か………あ)

 

 ここで、丁度いい(修司)がいるのを思い出した。そうだ、彼と居ればいい。特に何も思いつかないが、彼がいれば何かする事でもあるだろう。彼が嫌な顔をすれば、家主命令でも使えばいい。うん、なんといいアイデアだ。

 

 

ガチャ…

 

 

「永琳?まだ研究やってたのか?…ほら、お茶」

「え、えぇ、ありがとう…ふふっ」

「ど、どうしたんだよ」

 不意に修司が入ってきた。両手にはお盆を持って、その上にお茶を二つとポットを乗せている。彼は先ほどの悲しい表情を全く感じさせない朗らかな笑みを向けてくれた。それが何だかおかしくて、不謹慎にも笑ってしまったが、不可抗力だ。

 彼がソレを隠すならそれもよしとしよう。今はそれでいい。いつか、本当に私を信用してくれた時、話してもらうから。

 

「いいえ、何でもないわ」

「変な永琳だなぁ…。あ、その液体…」

「そう、完成したのよ。明日から暫らくお休みよ」

「良かったね、おめでとう」

「わっ!?」

 

不意打ち気味に彼から手が伸びて、私の頭をそっと撫でる。最初はびっくりしたが、それも慣れ、目を細めてされるがままになっている。手が離れ、少し残念そうに彼を見るが、彼はそれに気付いていないようだ。

 

「ねぇ、明日、私と過ごしてくれない?」

「ん?折角の休みなんだから遊んだりすればいいじゃないか」

「…それ、皮肉で言ってるのだとすれば相当よ」

私のジト目を華麗にスルーして、修司は笑う。

「ごめんごめん。いいよ、明日は何をしようか。と言っても、僕は都市の娯楽なんか露ほども知らないんだけどね」

「あら、あなたが知らないなら私達は明日何をするっていうのよ」

「そうだなぁ…」

 

 深夜の豪華絢爛な豪邸の一室。その風貌とは似ても似つかない研究室で、二人の男女が明日の話で笑い合う。こんな非凡で平凡な日常を幸せに思いながら、乙女な女性はお茶を一啜りするのであった。

 

 




 はい、という訳で今回は、永琳が自身の抱いている気持ちについて考察し、そして修司をどんなことがあっても『信じよう』と思う回でした。ついでに恋心の存在を認識してもらいました(本人はまだ認めていませんが)。

 修司は正確無情な戦闘をメインとしているので、単純な攻撃だったらすぐに組み伏せられてしまいます。ぶっちゃけ頭脳戦では負けることがないでしょう。

 栄えある一人目の原作キャラである八意永琳ですが、彼女の設定は出来るだけ原作通りにして、ちょちょいとあちこちを弄った程度に止めています。
 好きになる理由も、そこから想像したありきたりなものになっていますね。ハーレムタグ回収のために必死こいて頑張る作者の姿が目に浮かびます。

 不自然にならないをモットーにしているというのにこの体たらくですよw

 まぁ、自分を貶めるのもこれくらいにして、あとはひたすら完結目指して突っ走って行きますよ!!!


 お気にいり登録ありがとうございます!

 コメントありがとうございます!


 それでは次回をお楽しみに!

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