東方信頼譚   作:サファール

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 苦手だけど、こういう戦闘が無いのも段々好きになってきました。
 とりあえず、自分の思い通りに文章が書ければ作者は満足です!(文才があるとは言っていない)
 最初はほんの小さな思い付き。自分も小説を一つ完結させたいという野心で始まったこのssですが、これからもどうぞよろしくお願いしますね!!


 ついに両者が出会います!どうぞ!
 


23話.呉越なる隣人と一触即発な準備期間

 

 

 

 仄かな秋の寒風の匂いに鼻を擽られる季節。

 枯れ草が地面に溶け込むこの季節は、冬の蓄えを増やし、これから襲い来るであろう厳しい寒波に備えて準備をする時期でもある。

 

クシャッ…クシャッ…クシャッ…

 

 歩く度に落ち葉を踏みしめ、それが五体の足から発せられた五重奏となって彼らの耳を刺激していく。

 肌寒い秋の訪れを感じる彼は、その足音を楽しむことなく、ただひたすらに欠伸を噛み殺していた。

 

「ふぁ〜ぁ〜〜っとぉいけねぇ」

 

 後頭部をガシガシ掻きながら滲んだ涙をもう片方の腕で乱雑に拭う。

 

「なぁお前ら、歩くの止めて休憩しねぇか?」

「バゥ!」

 

 そっか、喋れねぇんだっけか。

 何回も繰り返したやり取りだが、彼の頭にその結果が入ることは決してなかった。相変わらず「何言ってんだ?お前」的な顔をして鳴くコイツら(低級妖怪)に付き合うこと自体が馬鹿馬鹿しい。

 

 自慢の両耳を使い、自分達の音を除いた周囲の異常を逃さずに聴き取る。そこまでして警戒するなら軽口を叩くなと、いつも諌めてくれる腐れ縁のアイツは今はいない。何故なら、数日前に感じた僅かな予感を報告してもらうために、アイツの憎たらしいほどに速い脚を使って伝令に走ってもらっているからだ。

 

「…にしても…ふぁ〜〜〜」

 

 あの時の無駄にキリッとした顔と真面目な緊張感はどこへやら。そこには、ほぼ元通りに面倒くさがりな性格へと戻ってしまった情けない中級妖怪が一匹。

 あの時にアイツを伝令に出してから、暫くは立ち止まって周囲を警戒していた。

 だが、夜が更けて朝日が昇り始めた頃に近くにはいないと結論づけ、ならばアイツが戻るまでブラブラ歩くかという事で、あの地点を中心にそこらを探索しているのだ。

 戦闘が無ければそのまま哨戒を続けよ。これは大将様から言われた命令だ。しかし、そろそろ睡眠をとってもいいんじゃないかと思い始めている。それだけ眠い。本当に。

 

「あ〜眠てぇなぁ〜。そう思わねぇか?」

「ガルルルゥ…」

 

 今度は、「馬鹿なこと言ってないで仕事しろ」と言われた気がする。

 

(…つか、俺の方が強ぇのになんでコイツらはこんな生意気なんだよ。あれか、舐められてんのか?)

 

 しかし、彼は怒るのも面倒くさいと思うほど駄々草な性格である。流石に攻撃してくるくらいに舐められたら殺すが、琴線に触れない程度の温い言葉なら許容出来る。いや、許容というよりは放置に近いが…。

 

「あ〜はいはい、分かったから黙ってろ。俺の耳はうるさ過ぎたら聴こえねぇんだよ」

 

 そう言うと、腰辺りに頭がある狼みたいな妖怪が一声吠え、それっきり彼の周りの四体は落ち葉を踏む音すら気を付けて行動するようになった。大将様に相当気に入られたいらしく、その忠犬っぷりは元が動物の彼でも引くほどだった。

 

(素直な奴らだな────)

 

 感想を零そうと思った彼だったが、不意に耳が音を捉え、ピタッと足が止まった。

 

「「「「……?」」」」

 

 周りの四体が全員首を傾げ、彼からの説明を求める。

 

「…お前ら、何かがこっちに来る」

 

 駆ける足音からして二足歩行の妖怪。枯れ草を全く気にせずにこちらへと突っ走ってくるその音の主は隠れるつもりがなく、全速力で迫ってきた。

 物騒なジョークは彼は言わないタチだ。四体もその事はこの数日でよく分かっているので、彼らはすぐに行動に移した。

 

「グァウ!」

「バゥ!」

「ガルルル…」

「ギャウ!」

「こっちの方角だ。数は一。真っ直ぐ俺らの所へと向かってる」

 

 やれやれと彼は辟易し、音の方向を指し示すと、自分も戦闘態勢に入った。この広大な縄張りの中で数日の間に二回も何かと出会うなんて、俺らはツイてるな。そんな文句を心の中で吐きつつも、大将様から敵の強さは聞かされていたので、これまでにない緊張を味わっていた。

 今日、今ここが俺の死地かもしれない…。

 大将様からの命令は時間稼ぎ。強い敵以外は彼らに任せているのが日常なので、即ちそれは敵が強大であることを示唆していた。

 

(くそっ、こんな時にアイツがいれば…)

 

 己の野生の勘を信じて彼女を送り出してしまったがために、肝心な今を伝えることが出来ない。臍を噛むと同時に、自分が殺す予定だった彼女が誰かに殺されなくて良かったなんて阿呆な思いも存在している。妖怪にあるまじき感情に彼は笑みが漏れ、若干緊張が緩和された。

 

 見ると、足元の四体も震えている。死ぬ前提でこの任務に就かされたのだ、当然だろう。ただの肉壁だったのだと、今更ながらに理解したような震えだった。

 

「ふっ…お前ら、今更かよ」

 

 馬鹿らしい。俺らは妖怪。敵がどんなに強いと大将様が言ったって、俺が全部殺してやるよ。そして強くなって、いつかは大将の座を奪ってやる。

 

 

「来るぞ……3…2…1…────っ!!」

 

 音が近くなり、秒読みを始めた彼。だが最後のカウントを告げようとした時、彼はその口を慌てて閉じた。

 

「あっ────!!!」

 

 そして素っ頓狂な声を上げる。ガサっと茂みから飛び出してきたソイツは、彼を認めるや否やこう叫んだ。

 

 

 

 

「馬鹿者!!敵味方の区別くらいつけろ!!」

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

「報告ですっ!!!」

 

 広場に飛び込んできたその妖怪の第一声はそれだった。

 息を切らして必死に駆け込んできた彼女に、待機していた数多の妖怪は驚いた。しかし、彼女の言う報告の意味を察した彼らは、そろそろ自分達も暴れられるという考えに至り、ニヤリと笑って道を開けた。

 

「話せ」

「は、はい!」

 

 そのまま真っ直ぐに玉座がある所まで走り、片膝をついてそこに座っている大将様に頭を垂れた。

 勿論、そこにはハク一人しかいない。ハクは待ちわびた情報に期待し、早く話すように急かした。

 

 大将様と話すなんて滅多な機会早々ないので、彼女の声はちょっと上擦っていたが、伝えなければならないことは正確に伝えた。

 その間終始ハクは眉間に皺を寄せ、難しそうな顔をしていた。

 

「………」

「い…以上でございます…」

 

 険しい顔面を不機嫌と捉えたのか、それともハクが覚り妖怪で心を読めることに思うところがあるのか、彼女は気圧されたようにそう締めくくった。

 以前にも説明したが、ハクは相手の感情までしか読めないように『第三の目』を制御している。それは常時なのだが、レイとノラにしか教えていないので、部下はハクがいつも内面を見透かしていると錯覚している。

 

 彼女から感じる感情は恐れと服従。簡単に言えば畏怖の念だ。彼女はハクの実力を認め、服従することを決めている。こいつはいい部下だ、とハクは思った。

 

 さて、彼女が持ち帰った情報から作戦を立てよう。

 

 まず、彼女は抱いている感情から嘘をついてはいない。だからこの情報は真実だろう。

 彼女の部隊が探っていたのはここから東に数日行った場所だ。あそこは普段上級の妖怪が彷徨いていて滅多に野良の妖怪や動物は見かけない。そして、今は全員を招集してから集団にして放ってある。その時近くに他の隊がいない状況での物音。

 普通ならば、彼女達のように敵だと検討をつけるだろう。更に彼女が離脱しても何もせず、奇襲も無かった。これはハクが予想していた仮想敵の行動と合致している。

 

(しかし…)

 

 彼女が報告すると判断した情報の確実性が少々気になる。その物音を拾った彼女と同じ隊の妖怪は、確実に聴いたのではなく、本能と培った勘での反射的なものだったらしい。確かに、元が動物の妖怪は五感に秀でた者が多くいるし、野生の勘が働くのだろう。

 しかしだ。本当にそれは敵の出した音なのだろうか。もしかしたらそれはどこぞの小動物のものかもしれないし、そもそも仲間の妖怪の聞き間違いかもしれない。

 

「……それは間違いないのか?」

「っ……も、勿論でございます!」

 

 彼女には、嘘だと言った場合の未来が浮かんでいるのだろう。ここに馳せ参じた上に、これ程重要な情報を大将様に知らせたのだ。もし嘘だったなら、待っているのは無惨な死のみ。よって彼女には、「是」と言う他に道はないのだ。

 我ながら無駄な質問をしたと思いながら、別の道で彼女の本心を探ることにした。

 

「お前に罰は与えないから教えろ。その妖怪が聞き間違えたという事は無いか?もしそうならば、お前の罪は不問とし、引き続き任務に当たってもらう」

「………」

 

 妖怪というのは傲慢で浅ましい生き物だ。自分に咎が無いと分かったなら、すぐに手の平を返す。褒美欲しさに虚偽の報告をしようとしたなら、バレる前にその妖怪に擦り付ければいいと思わせればいい。

 

(さて、返答は……)

「どうだ?早く答えろ」

 

「わ…私は……」

 

 『第三の目』から視える感情は、葛藤と疑問。

 相当に迷っているようだ。大方、このまま嘘を突き通すか、その妖怪を差し出すか考えているのだろう。

 

(…にしても驚いたな。嘘だったなら即答ではいと答えると思ったんだけど。もしや、自信のある情報なのか?)

 

「私は………」

 

 目が左右に揺れて明らかな動揺を見せていた彼女は、不意に定まった双眼でハクを見上げ、答えを口にした。

 

 

「私は────この情報が真実であると確信しております」

 

 

「!……ほう」

 

 制御を解除して心の中を覗いてみたい衝動に駆られる。しかし他者の心を覗くことに抵抗のあるハクは何とかその衝動を抑え、感情のみを視てみると、そこには決意と不満があった。

 不満は分かる。その妖怪の勘を信じたばかりにこんな事態になっているのだ、不満の相手はそいつに向けてだろう。

 しかし、決意には疑問が残る。その妖怪を信じる決心をしたのか?いや、妖怪は別の妖怪をそう易々と信じたりはしない。利害の一致で協力することはあっても、こんな状況でそいつを信じる訳が無い。

 

「その言葉、嘘ではないな?」

「…はい」

「もしこの情報が虚偽であった場合…分かっているな?」

「……勿論でございます」

 

 返答に間はあれど、感情に迷いはない。

 不思議な妖怪だ、とハクはそう思った。同時に、面白いとも思った。

 

「……いいだろう、ご苦労だった。これが真実であることを信じよう」

「ありがたき幸せ」

 

 これに乗ってみるのは悪くない。ハクは彼女が持ってきた情報を信じ、取り敢えず下がらせた。

 

 

 

 

 やる事は決まった。これから自分も食料庫へと行こう。

 

「皆に命令だ!!」

 

 声を張り、普段は出さないような大声で指令を下す。

 

「これより皆は北東部以外を探索している全ての部下に以下の指令を伝えよ!!」

 

 玉座から立ち上がったハクは、一歩踏み出し、全体を見渡した。

 

「敵は北東部の何処(いずこ)にあり!!至急そこへ向かい、接敵次第周りに知らせながら即座に戦闘へと移れ!!尚、隊は解除せずに必ず集団で行動すること!!昼夜を問わず走り向かい、絶対に出遅れるな!!」

 

「「「「「御意!!!!」」」」」

 

 ハクの命令を聞き届けた広場の妖怪は、威勢のいい声で返事をすると、クルリと後ろ向いて走り去って行った。

 

 

「お前」

 

 報告に来た彼女も行こうとしていたが、ハクはそれを呼び止め、こちらに呼び寄せた。

 

「お前はお前のいた隊へと戻り、この令を伝えよ。そしてそいつらと北東部へ向かえ」

「御意!!」

 

 彼女は今一度大きな返事をすると、中級にしてはなかなかの速さで広場を駆け抜けて行った。成程、報告に来たのも頷ける。

 

「────さてと」

 

 命令は下した。後は部下共で時間稼ぎをさせている間に、準備をしておくだけだ。

 

「僕も行こうかな」

 

 踵を返し、北にいるレイを目指してハクも広場を発った。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 周囲に部下がいるのを鬱陶しそうに顔を顰めながら、レイは能力での探知を継続していた。これだけ邪魔者がいると、本丸が居た時に見分けられないかもしれないからだ。

 数時間したら少しの休憩を入れなければならないレイの能力。頭にかかる負担はそれなりのもので、探知に引っかかる反応が多ければ多いほど比例して頭痛が酷くなる。

 

「…うぅ…頭痛い…」

 

 彼女は分かっている。実際にそこに人員を配置しておいた方が何かしらの反応を期待できるし、能力の休憩時間の隙間を埋めてくれるのも。

 

(…でも)

 

 難しいことを考えるのは難しい。レイはそう思うから、難しいことは全部ハクに任せてきた。長年そうしてきた筈なのに、何故か頭は考えることを拒否しない。寧ろ脳内になすり付けてくるような強制力を感じる。

 頭痛のせいかな。そう割り切って気配を読むことに集中する。

 

 レイは、産まれた時からずっと、“愛”の事を想って生き、“愛”とは何かを考えながら、“愛”というものを与えてくれる誰かを必死に探し続けている。それは満たされるまで永遠に途切れることのない不断の意志であり、彼女の心を支えている唯一にして最大の大黒柱なのである。

 

「…むぅ……それにしても、暇」

 

 頬を膨らませ、誰に向けるでもなく半目で悪態をつく。

 警備がそういった地味な役職であるのは百も承知だ。しかし、だからと言って暇が紛れる訳でもない。その内雑兵の動向を観察し始めそうだ。

 

「…何日経ったっけ…」

 

 日にちを数えることすらハクに任せていたのを、たった今思い出したレイ。こうして振り返ってみると、実際は何も考えていないのだと今更ながらに痛感する。

 

「…ノラも気配が消えちゃったし、何も変わりがない……つまんない」

 

 食料庫に入って行ったノラの気配もとっくに感じ取れなくなっているレイは、変わり映えの無い周囲にうんざりし、集中を切らさないようにしつつ手持ち無沙汰の両手を使って土遊びを始めた。

 蜘蛛の下半身を地面につけ、少女の上半身を前かがみにしたレイは、その色白の両腕を脈絡なく動かし、適当に砂を弄って絵を描き始めた。

 

(……う〜ん、手が汚れる。そうだ、枝で描こう)

 

 落ち葉を掻き分けたところで妙案とばかりに手をポンと叩いた彼女は、右手から粘着性のある糸を出して近くの枝を引っ張り、パシッとその手に収めた。

 

 

 もうすぐ寒い時期がやって来るのはレイも知っている。ちょっと前までは暖かい風のお蔭で心地良く過ごせていたのに、今では森の葉は茶色に近くなり、ハラハラと地面に落ちているものも少なくない。

 

「…めんどくさい」

 

 再び悪態をついた彼女は、特に脈絡のない摩訶不思議な図形を描き、それをかき消して、八本の蜘蛛の足でそこらの落ち葉を串刺しにした。意味の無い行為に体を動かし、頭に掛かったモヤモヤを振り飛ばそうと思った故の事なのだが、依然として、この悩ましい“頭痛”は途切れる兆しを見せてはくれない。

 

「…そろそろ能力解除しようかな」

 

 そうすれば、この頭痛はいずれ引いていくだろう。

 一種の願望に近い憶測に突き動かされるようにして、彼女は能力を切ろうとした。

 

 

(────いや、もう少し頑張ろう)

 

 

 だが、そうはしなかった。

 分かっていたから。この頭痛が能力によるものじゃないことに。能力を解除したところで、残るのは周囲に散布していた意識のみであると。

 

 一人。

 

 孤独と読むこの一句に、レイは酷く怯えていた。

 ハクやノラが居ることや、手下の妖怪がそこら中に居ることくらい、分かってる。

 

 しかし、“周り”には誰も居ない。

 

 だからレイは、能力を解除せずに、ギリギリまで感じていることにした。

 誰かの存在を。誰かの温もりを。誰かの生きている音を。この『目』で見ていたかった。

 だって、そうすれば彼女は一人ではなかったから。誰かの存在を感じている。これだけで取り敢えず彼女の理性は狂わずに済んでいた。

 一人じゃないと思いたいからこそ、孤独になりたくないからこそ、────“愛”に触れていたいからこそ、彼女の身に『気配を察知する程度の能力』が顕現したのだ。

 

 

 

 

「……………」ポロリ…

 

 いつの間にか泣いていたようだ。右眼から一筋、頬を伝う雫が顎先へと流れていった。

 枝を乱雑に投げ捨てたレイは、慌てて服で顔をゴシゴシ擦った。誰かに見られたくないからではない。ただ単に、“泣くなんて可笑しい”と思ったからだ。

 

(…私は、妖怪の大将の『目』。妖怪は、泣かない。妖怪は、そんなのじゃない……)

 

 全ては“愛”を手に入れる為。成したいものの為に全てを捨て、全てを賭す覚悟を決めた。泣いている余裕なんて…無い。

 

「………任務を続けなきゃ」

 

 吹っ切ったのか吹っ切ってないのか分からない顔をする妖怪の大将。

 そんな微妙な顔が不意に歪むのは、彼女が呟いてから幾分も経っていない時だった。

 

 

 

 

「………?」

 

 

 

 

 違和感。

 彼女のからだを駆け抜けたその(かす)かな感覚。まるでフワフワの羽毛の羽一枚で頬を撫でられたかのような、圧力を感じない反応。

 

(…何?)

 

 物理的ではなく、脳に直接くるような間接的なもの。十中八九これは能力が理由だろう。

 

(…何かあった……の…?)

 

 全ての作業を中断し、能力のみに集中する。

 目を閉じて意識を収束していくと、先程まで感じていた周囲の木っ端妖怪達の気配が濃厚になり、探知範囲のギリギリの淵にある動くモノがより鮮明に感じられた。

 

────何だろうか。

 

 葉っぱの揺らめきや、沢の流れが拡大されて聴こえてくる。注意深く辺りを調べ上げていく中で、レイはとある箇所に再び違和感を感じた。

 そこを重点的に探っていくと、動いては止まり、また動いては止まる物体を発見した。

 

(…これは……!)

 

 僅かな動揺。

 それから立ち直るのに数瞬の時を要した彼女であったが、すぐさま冷静になって“ソレ”の監視のみに能力を使うことにした。

 

 

(…見つけた)

 

 

 ハクからの命令には、“見つけた”場合にはそのまま監視を続けて待機とある。だからレイは報告には走らずに、能力を“奴”のいる方向に向けながら、じっとハクが来るのを待った。

 縄張りの北東部。ノラのいる食料庫から一時間足らずの場所にある、立ち入り禁止の洞窟付近。そこに、三人が探していた敵はいた。

 その辺りを巡回している六体ずつの妖怪を非常に優れた回避能力で(かわ)し、見事な手際でその洞窟へと向かっている。

 目的はその洞窟かと推測したが、それはハクに報告してハクが考えればいい事なので、その思考はかき消した。

 監視に移ったレイだが、その敵の風貌を興味深げに観察していた。

 

(…変な妖怪)

 

 大抵の妖怪が纏っているような衣ではなく、敵が着ているのは不思議な服だった。衣擦れから判断するしかないので細かい事は分からないが、他のどの妖怪とも違う風体であることは間違いないようだ。

 更に、その衣を着ている敵。彼は、ノラのように筋骨隆々で大柄な訳ではなく、レイやハクのように何か特別な身体的特徴があるようでもなかった。三人は実際に見たことないが、あれは人間のようだとこの時レイは思った。

 そして、武装は腰に掛かっている硬そうな棒一本のみ。手下がよく使っているような鉈や棍棒ではなく、細く脆弱そうなその棒は、彼の図体に似合ってこじんまりとそこに装備されていた。

 

 ハクが強いと予測していたからどんな奴かと思えば、これなら楽勝だろう。レイは相手の容姿を一目見るなりそう決めつけ、手下で充分殲滅出来ると高を括った。

 だが……

 

「…こいつ、誰にも気付かれてない…」

 

 位置情報が天から見下ろせるように把握出来ている彼女には、彼の隠密行動の凄さに驚嘆した。

 相手の意識を上手い具合に逸らし、隙間を縫うようにして茂みを移動している。怪しまれない程度の異変で注意を引くので、誰かが報告に行くこともない。

 正直、能力が無かったら気付けずに背後から一撃でやられていたかもしれない。ここからでは分からないが、妖力を隠す技術や物音を立てない身のこなしが類を見ないくらいに卓越している。実力は知れないが、成程、これなら潜入して来るのも頷ける。

 

(…でも、私達の敵じゃない)

 

 自分達は三人いる。一人では勝てなくとも、彼女達は仲間である。今まで遥か格上の相手とも互角以上の戦闘を繰り広げ、修羅場をくぐり抜けてきた。負けるわけがない。

 

(…ハクが来るまで監視しとこ)

 

 だが、だからと言って任務を放棄するわけにはいかない(ノラと違って)。

 湧き上がる興奮を抑え、彼女は蜘蛛の足を畳み直した。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 数時間後に、敵は洞窟へと入って行った。あそこは以前、調査に向かった妖怪が原因不明の病に掛かって死亡したとして、立ち入り禁止になっている場所だ。

 そんな危険な場所になんの用があるのかはハクに考えさせるとして、レイはこちらに近付いて来ているハクの気配を察知してそれを待っていた。

 

 途中手下の妖怪にレイの居場所を訊いたりしていたが、どうやら元々予測はしていたようで、ほぼ直線的に彼女へと向かっていた。

 程なくして彼と出会う。紅葉が見える茂みを掻き分けて来たハクは、挨拶の一つも無しに本題に入った。

 

「レイ、首尾はどう?」

 

 開口一番言うことがそれか、と心の中で溜息をつく。

 

「…バッチリ。こっちに来たって事は、何かあったの?」

 

 中央広場に能力の範囲が被らないようにかなり離れていたので、レイはハクの状況を知らない。

 尋ねた彼女に、ハクは適当に狩って来た狸らしき動物を放ってから答えた。

 

「部下の一人から報告が挙がった。敵は縄張り北東部のどこかにいる筈だ。レイの周辺には来てないだろ?」

 

 取り敢えず食べながらにしよう。食事を碌に摂っていないのを知っての気遣いか、それとも感情を読んだから同情したのか。どちらにしろ空腹だった彼女には有難い食べ物だった。

 

「…範囲ギリギリの所に反応があった」

 

 モシャモシャと狸肉を生で貪りながらの重大な報告に、ハクは大きく目を見開いた。

 

「それは本当か!?」

「…うん、確認したから間違いない」

 

 彼女は、範囲ギリギリに捉えた敵の情報を事細かに伝えて言った。

 

「……あの洞窟に入って行ったのか」

「…食料庫から近いけど、どうするの?」

 

 暗にノラが危ないと言っている訳では無いが、それでもすぐ傍に潜伏されているというのは不安が残るだろう。ハクは『第三の目』から読み取れる感情から、レイの言いたい事を把握した。

 

「問題ない。奴がそこに用があるのなら、暫くは出て来ない筈だ。念のため全ての手下をその洞窟の周りに配置しておこう」

 

 食料庫までの道中で出会った妖怪に伝令を走らせることに決定した。

 

「もし洞窟内の情報を知らずに、敵が例の病に殺されれば最高なんだけどな」

「…きっとそれは無い。相手も分かってる筈だから、何か対策をしてると思う」

「同感だ。だが、あの時僕が調査に遣った妖怪の報告では、少なくとも他に出口は無かった。袋の鼠だ」

 

 ニヤリと笑うハクは、狸を食べ終わったレイが立ち上がるのを待って、周囲を見渡した。

 

「何はともあれ、これで相手の所在と情報は手に入れた。もう僕達の勝ちは確定だな」

「…三人居れば、何だって大丈夫」

「うん!それじゃあ、行こうか」

 

 歩き出したハクの後ろを付いて歩くレイ。

 血塗れの衣を全く気にせず、真っ赤に染まった指の血を舐めとる彼女は、妖怪特有のおぞましさと、外見に相応しい妖艶さを醸し出していた。

 一方のハクは、年月が過ぎ去ってもそう伸びなかった身長に似合う歩幅で歩く。片手に『第三の目』を乗せ、獲物を見つけた獣同然のギラついた眼光で先を見据えているその姿は、彼が捕食者の立場である事をまざまざと示していた。

 

「決戦まで、後少しだ……!」

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 洞窟の最奥に更に部屋を造り、汚染のない部屋を用意した修司。これから揃った材料をふんだんに使って、その部屋で数日に渡り作業をする予定である。

 お目当ての武器の作り方は、蘭から貰ったこの小太刀を『昇華する程度の能力』で調べた時に判明している。なので製作工程に不備はない。問題は、全ての作業が完了するのに丸三日はかかりそうという事だ。

 

 なので、空気中でやってもいい工程は修司本人が手作業でやり、複雑で精密なところは『地恵を得る程度の能力』で担うという、分担作業をする事にした。

 単純計算で二倍の作業効率だ。なんとか手早く終わらせたいと思う反面、これから先己の半身となり得る物を造るのだから、最高の出来にしたいという謎の職人魂が燃えている。

 

「…いや、どうせ敵は攻めてこないんだ。僕の思うがまま、好きにやってもいいかもしれない」

 

 あの放射能に激しく汚染されている場所を通り抜けるのは不可能。入口で待ち伏せされているかもしれないが、そんなのは分かりきっている事なので気にしちゃいない。

 

 保管型鉄キューブに入れておいた獣脂を道中でへし折ってきた木材の先端に塗りつけ、火打石を使って火を付ける。そしてそれを壁に造った松明掛けに掛けて、煙の逃がすための通気口をその上に造った。通気口の出口はあの汚染部屋だ。あそこから出口に煙は行くので、こちらには来ない。ケミカルライトは勿体ないので今回は使わないでおこう。

 

「────造るか」

 

 作業台を能力で造って椅子に座った修司。

 取り出した鉱石を眺めながら、そっと袖を捲った。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 出会った手下に命令を下したハク達は、足早に食料庫へと向かい、そこでノラと合流した。

 

「よう、遅かったじゃねぇか」

「…そんなことない」

「言ってみただけだって」

「無駄話してる間にも、敵は準備を進めている。早く終わらせよう」

「ちっ、ちったぁ気楽に行こうぜ」

 

 そう言うノラ。松明が煌々と彼の屈強な面影に影を差す。

 彼から滲み出る妖力が、増幅した彼の力の強大さを認識させる。前とは雲泥の差だ。いつもの紅い身体が、今は何倍にもでかく見える。心做しか少し背も伸びたかもしれない。

 

「すげぇよ、これ。力が漲ってくる。前の俺とは段違いだ」

「…三つも食料庫を空にしたんだから当たり前」

「違ぇねぇ」

 

 ガハハと豪快な笑いが洞窟内にこだまする。成程、これだけの実力になっているなら、外で待っていたあの妖怪達が青ざめた顔で待機していたのも頷ける。

 

「まぁそれはどうでもいいんだよ。早くお前らも残りを食え。闘いたくてウズウズしてんだよ」

 

 正しく野獣の如き迫力で拳を握りしめるノラは、まるでおやつをお預けされている狼のようだ。鎖を外せば弾丸のように突撃していくような暴走性を見せている。はっきり言って危ない。

 

「ノラはここで待っていてくれ。僕達もすぐに済ませるよ」

「…頑張る」

 

 グッと親指を挙げるレイにノラは「兎に角、さっさとしろよ」と言い、その場にドカッと腰を下ろした。

 

「じゃあまた」

「…バイバイ」

「おう」

 

 三人、片手を挙げてそれぞれの持ち場へと歩いて行った。

 

 獲物への激しい欲求を抑えて────。

 

 

 

 

 今ここに、呉越なる四体の化け物が揃った。

 

 少しの壁に隔たれて力を蓄える両者は、求め、譲れないモノを勝ち取る為に拳を突き合わせるのだろう。

 

 

 『笑い合える世界』を創る為。

 『愛のある世界』を創る為。

 『失わない世界』を創る為。

 

 三体の妖怪は今日(こんにち)まであらゆるモノを喰い、壊し、手に入れていった。

 それは幼少に経験した悲劇を味わいたくない為。

 もう、悲しい出来事は沢山だ。

 器には既に水が並々と注がれている。

 これ以上は、イヤだ。

 

 両親を失い、集落を追い出され、寵愛を貰えず、この世のどん底にも等しい絶望を味わった彼ら。

 白い世界から弾き出された黒い彼らは、血みどろになりながら、汚物に塗れながら、暴言暴力に埋もれながら、死人のように毎日を過ごした。

 

────反逆だ。

 

 世界が悪いのなら、世界を相手取ってやる。

 世の中が腐ってるなら、殴り殺してから食い散らかしてやる。

 紅い一本角の青年と、上が人で下が蜘蛛の女性、そして目を三つ持つ異端な青年は、あの時に覚悟している。

 互いに手を取り合ったあの時から、全てを敵に回し、全てを手に入れる事を。

 

 彼らが手に掴むのは望んだ世界か、それともドス黒い現実か。

 

 

 人間を貫き通す彼。

 幸か不幸か、彼の心は闇に包まれている。

 

 全てを利用し、全てを欺く。

 使えるものは人であろうと使い、使えないものや信用ならないものは全て切り離す。

 そうすることで己を守り、安全を確保するのだ。

 

『────もう、信じるのは辞めだ』

 

 前世の鎖に縛られている哀れな彼は、本能に近い“復讐心”と果てしない“猜疑心”に突き動かされるようにして、万の時を過ごし、万物に抗ってきた。

 

────絶対に、生き延びてやる。

 

 生きる為。

 単純明快で至極当然の欲求である。

 しかし、そこに含まれる意味のなんと醜いことか。

 

 成し遂げなければならない事があるから、必ず“その時”まで生きていなければならない。殺されてたまるものか。邪魔なモノは全て斬り裂いてでも進んでやる。

 

 

────例えそれが、なんであったとしても。




 

 まどろっこしいのは終了と言ったが、誰が戦うと言った?

 私的には残念で仕方ありませんが、大きな闘いは次にもありません。少しあるにはあるんですが、ちょびっとです。

 学生は新学期ですね。受験期間に突入する人は頑張って下さい。


 さよーなら。

 

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