東方信頼譚   作:サファール

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 今まで情報開示せず抽象的な表現ばかりでしたが、今回ちょっとだけ修司の過去が分かったりします。それすらも「分からねぇよこの野郎!」と言われてしまうかもしれないようなものですがw
 主人公の過去の全容は、まだまだ明かせません。あるはずなのに思い出せない感じを出したいのです、ご理解ください。

 ついに物語が動き出します。
 まぁお相手は誰か想像がつくでしょう。初めてのオリ展開で上手くまとめられるか緊張しますが、頑張ります。

 ではどうぞ。
 


18話.万の鍛錬と想起するモノ

 青年は一人、暗闇の中に立っていた。

 

 自分が地面に立っているのかすら怪しい、のっぺりとした暗黒の世界。もしや浮いているのではないかと思い立ち、適当に平泳ぎでもしてみるが、それも進退全く見当がつかないので分からなかった。

 そこは嫌に不安を煽る孤独な空間で、心の壁を内側から引っ掻き回し、中身をグシャグシャに混ぜ合わせてくるような混沌とした場所だった。

 辺りをグルんと首を動かして見てみるも、広がる闇に見えるのは何もなく、視線を落とすと自分の肢体が憮然とした態度で存在しているだけだった。どうして自分の身体にそんな印象を持ったのかは、その時の彼のみぞ知る。

 

 しかし、困った。

 今現在、彼には出来る事が何一つとして無い。もがいても前身しているのか分からないし、叫んでみても誰も反応してくれない、と言うか、誰かが近くにいる気がしない。

 

 

────懐かしい。

 

 

 不意に湧き出た謎の感情に、青年は頭の上にハテナマークを浮かべ、何度やったか分からない周囲の確認をもう一度行った。キョロキョロと辺りを見回す彼は、やがて一粒の点を見つけ、それに見入った。

 だが、あいも変わらず周りは真っ暗闇。

 一番星を見つけ嬉々とする子供ではないが、今まさに彼はそんな心境だった。何せ、他に見るものがないのだ。砂粒のように小さなその白点は、佇むばかりの身体を見ているよりはよっぽど楽しいものに思えて仕方ない。

 

 

カッ!!!!

 

 

 だが突如、前方から一閃の光が迸り、瞬く間に全身を包み込んでいく。砂粒程の白点が一気に拡がり、視界を真っ白に塗り潰した。

 

 思わず青年は両腕で顔を覆い、足で踏ん張って未知の衝撃を備えた。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 光が収まり、青年は覆っていた腕を下ろした。(しか)めていた顔を元に戻し、そして目の前の光景に言葉を失った。

 

「なっ………!?」

 

 綺麗に整えられた室内。床に置いてある乳児用具。壁紙はとても落ち着く色を配色されてあり、窓から注ぐ陽の光は、その場の全てを祝福しているかのようだった。

 何気無い一室ではあるが、青年はこれに見覚えがあった。

 

『ほら〜修司、俺がお父さんだぞ〜?』

『ふふふ、もうすっかり骨を抜かれたわね。ねぇ?そう思うでしょ?』

『おいおい、この子に訊くのは反則だぞ?』

 

 部屋の真ん中に据えられた小さなベッド。その両隣で微笑みながら、幸せに満ちた声でベッドの中にいる赤ん坊に喋りかけている男女。

 そして、その部屋の隅でそれを傍観している青年。

 

(これは…見たことは無いけど、僕は憶えている…)

 

 この光景自体に憶えはない。しかし、頭の中にはこの光景に既視感があるという結論が出ていた。

 それは、次の二人の会話で全て判明する。

 

 

『元気にいい子に育ってくれよ?修司』

『思いやりのある優しい子になって欲しいわ。ね、修司』

「……っ!!」

 

 

 思い出した。

 彼らは、僕の両親だ。

 

 慈愛に満ち、幸せの絶頂にあるような、幸福そうな表情を浮かべている彼ら。恐らく、これは僕が産まれてから少し経った時の状態だろう。

 その中で僕は、二人の愛を一身に受けてすくすく育っていく。両親と不朽の絆で結ばれ、時に笑い、時に怒られながら、とても平凡に育っていく。

 

 幸せな人生だったな、“この時は”。

 

 

ザザッ……

 

 

 と、懐かしげに観ていると、不意にノイズが走って、繋がりの悪いブラウン管テレビのように目の前がぶれた。

 それはどんどん酷くなっていき、遂に青年のいる場所は灰色の砂嵐一色に染まった。

 これはなんだ。

 青年の記憶に無いモノに、青年は首をかしげた。勿論、赤ん坊の時の記憶なんてあるわけがない。これが夢である事は青年も承知しているが、嫌にリアルな夢なだけに、青年はこれが本物の出来事のフラッシュバックではないのかと予想を立てていた。

 

 それでも、何故?

 青年にこの記憶は無い。これまで一度も過去の夢なんて見てないのに、なんで今、それも、自分の知らない内容が出て来たのか、青年にはさっぱり分からなかった。

 

 ……おっと、次が始まったようだ。青年は自分の知らない記憶が気になり、暫しこの夢に付き合う事にした。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 次は、自分である少年が、中学校に通っている場面だった。

 

『おはよっ!修司!』

『うん!おはよう!』

『お、白城君じゃないか!今日も元気だね!』

『おはようございます!』

『おはよう!今日の宿題はちゃんとやったのか〜?』

『はい!先生!おはようございます!』

 

 朗らかな朝日の元、少年は元気に登校している。その顔は今日への期待と、これからが楽しみで一杯という明るい色で美しく染まっている。

 

 だが、それを観ていた青年は、そこにおかしなモノがある事に気付いた。

 

(あれ?…これ)

 

 それは、黒い何かだった。地面の一部に影を落とし、水たまりのようにボチャんとそこにあるそれは、ただそこにあるだけで、別段何があるわけではなかったが、青年はそれに懐かしいと思うよりも先に、“心地良い”と感じた。

 

(なんだろう…見ているだけで心が安らぐ…)

 

 深くこの世を憎悪の双眸で見つめんとしているその黒いモノは、ただそこに佇んでいるだけだと言うのに、青年を招いているように思えた。

 

『おはようございます!』

 

 青年が視線を中学生の彼に戻すと、彼は既に校門を潜り、校内で友達とお喋りをしていた。

 

ザザッ……

 

 そこでまたノイズが走り、青年の視界はまたもや砂嵐となった。

 

 

 

 

 ────青年は、その後も、自分の欠如した記憶を目まぐるしく見ていった。

 

 中学卒業の卒業式。

 高校の入学式。

 友達と馬鹿をやって怒られた時。

 親友と居る時に周りから冷やかされ、それに戸惑った時。

 

 ダイジェストで青年の人生を見せられているような感覚で、次々と場面が変わっていく。

 青年はその中で、徐々に違和感を大きくしていった。

 

 なんと、あの黒い水たまりがいたる所に出現してきたのだ。

 最初は見間違いかと思ったが、次の場面ではそれは一回り大きくなり、中学を卒業する頃には、その水たまりが二つに増えていた。

 なんだこれは、どうした。と思う間もなく、その黒いモノは数と面積を増やしていき、青年が観ている記憶のあらゆる部分に深淵のような影を落としていった。

 地面、床、壁、建造物、鉛筆などの小物…。

 青年が観る場面の実に過半数は、その黒いモノに埋め尽くされて、色が分からなくなった。

 人が黒い地面の上で走り回り、黒い鉛筆らしき物を取り出して黒い紙に黒い字を書いていく。黒い扉を開けたら黒い机と並べられた椅子に座る生徒に謝り、先生が『遅刻だ!』と言って拳骨を振り下ろす。

 

 いつの間にか、人間以外の物は全て真っ黒に染められてしまった。

 

 そして遂に、人の顔が黒く染まった(・・・・・・・・・・)

 

 それが起こったのは、親友の顔が過去の青年の顔に急接近してきた時だった。決してキスをした訳では無いが、不意の出来事で親友の顔が赤くなっていったのを憶えている……と思う。

 まだ、自分の持っている記憶と初めて見る記憶の区別がはっきりとしない。場面を憶えていなくても、なんとなくその時に思った事は憶えていたりと、少しづつ幾つかの事が記憶に残っている。なんとも中途半端な記憶喪失だ。結局それも真実が判明しなかったな。

 

『し、修司!』

 

 顔面が暗闇に塗り潰された彼女はそう叫ぶと、脱兎の如く走り去った。

 そうだ。確か、この時彼女の脳がオーバーヒートして、恥ずかしさのあまり逃げ出してしまったんだ。

 

 今まで、登場してくる人物の顔はよく見えなかった。注視するとボヤけ、全体を観ていると風景の一部としてある程度浮かび上がる。

 どうしてこの時に彼女の顔が真っ黒に染まったのだろうか。そして、この黒いモノは何なのか。

 

 こう考えている間にも、人生の追体験は止まらない。

 ────止めたくても。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 どんどん場面は変化していく。

 黒の面積もどんどん増えていく。

 

 最終的に、過去の青年と青年以外の全てが真っ黒になった。

 

 暗黒の中、過去の通りに行動する青年を、現在の青年は悲しそうな目で見つめていた。

 

 この黒い水たまりは依然として心地良い気持ちにさせてくれる。見せてくれる過去の記憶は全てが朗らかとしたもので、何も不安な要素が無かった。喧嘩や仲違いも友情の内に留まるほど小さなものばかりで、何も人生に不満を感じないものばかりだった。

 

 誰もが青年の味方で、誰もが青年と友好的な関係にあった。少なくとも、知る人には険悪な仲の人はいなかった。

 

 なのに、何でだろう…

 こんなにも、胸がざわついて…

 まるで、崖の淵に立っているような…

 事件ドラマのどんでん返しの直前を観ているような…

 

 

ザザッ……

 

 

 何度も繰り返したノイズ音。

 ほぼ真っ黒な世界で灰色の砂嵐が青年を攫っていく。

 その時に見た過去の青年の顔と…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────目が合った気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────はっ!」

 

 目が覚めた。

 額は汗でびっしょりと濡れていて、激しい動悸で胸が上下している。

 

「な…なんだ…今の…」

 

 と言いかけて、修司は二の句が思いつかなかった。自分がさっきまで見ていた夢の内容を全て忘れていたからだ。

 何か尋常じゃない夢を見ていた気がするのだが、漠然とした感想が思い浮かぶだけで、何も具体的な事は何も思い出せない。

 

「い、一体何だったんだ…」

 

 取り敢えず、木の枝から降りようと思い、修司はその半身を起こそうと腹に力を入れ────

 

 

 

 

「っ…ああああああああああ!!!」

 

 

 

 

 修司は胸の奥に激しい痛みを感じて、自分が今どこにいるのかを憚らずに身をよじって激痛で叫び声を上げた。

 木の枝に乗って寝ていた彼は、そのまま木から落ちて、地面に思いっきり身体を打ち付けた。

 

「があああああああ!!!」

 

 そんな事が気にならないくらいに、彼は叫び散らして身を割くような痛みに耐えている。

 心臓が痛いのか。

 そう思い、修司は少ない理性で能力を使用し、身体を健康体に治す薬を体力を使って創り出そうとした。

 淡い輝きと共に小瓶が生成され、それを確認する間もなく蓋を開けて中身を飲み干す。

 だが…

 

「ああああああああああ!!!」

 

 痛みは一向に収まる気配がない。

 それどころか、激痛は酷さを増していくばかり。

 

 胸の奥で、中身を千の針で串刺しにされているような感覚。棘だらけの虫が、ギチギチいいながら自分の中を縦横無尽に踏み荒らし、蹂躙しているような吐き気のする思いに、修司は胸を掻き毟ってひたすらに喚き叫んだ。

 このままでは妖怪が寄ってくる。

 ギリギリの状態でも理性を捨てきらない彼は、壊れかけのメンタルで粗悪な結界を張ることでその場を凌ごうと考えた。

 

 言い得もない恐怖。

 五臓六腑を鷲掴みにされるような憎悪。

 誰も居ない筈なのに、周囲から感じる視線が心に突き刺さる。

 首筋に刃を当てられ、笑顔を見せろと言われて嘲笑(ちょうしょう)される理不尽。

 

 そして、手の平を返されたような裏切り。

 

 全てが一挙に押し寄せて、久々に自分を保つのが辛くなる状態に追い込まれた。混沌には慣れたつもりでいたが、今以上の揺さぶりが起こるとは思ってもみなかった。

 耐え難い憎しみに素の心が晒され、一気に支配される。いつもは激情に対して鋼の理性で抑え込み、表情一つ崩さないのだが、今回はそんな自信が打ち消される程の感情の濁流で、修司の心は呆気なく呑み込まれてしまった。

 

「があああゴボッ…ガバッ…」

 

 修司は、滅多に声を荒げない。どんな時でも落ち着いているからだ。だからそんな人が急に喉が張り裂けるような声を上げた時、喉が文字通り裂けるのは仕方のないことである。

 叫ばなくなった修司は、代わりに壊れた喉からゴボゴボと吐血することで口から代わりのものを出し続けた。

 

「オェ…グボァ…」

 

 声の代わりに血を。

 修司の謎の激痛は、その後数時間に(わた)って続く事となった。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ…はぁ…はぁ…」

 

 修司は現在、近くにある沢で口をゆすいでいた。能力の薬で喉の傷は治したので問題は無い。激痛も、あの後苦労したがなんとか治まった。結界を解いても妖怪は居らず、彼が懸念していた事は何一つ起こらなかった。

 

「くそっ…なんなんだ…」

 

 普段は胸の内に留めておくのだが、今回は訳が違う。思わず悪態をついて沢の水を手でバシャっと乱した。

 朝からこれでは、気分が優れるわけがない。今日は厄日なのか。

 

「落ち着け。動揺していい事なんて一つもない…」

 

 自分に言い聞かせ、無理矢理暴れる心を鎮めようと深呼吸を繰り返す。感情に関するコントロールや分析には自信があったのだが、やはり目に見えないモノは扱いが本当に難しい。

 自分の心の構造が他人とは大きく異なっているのは分かっている。能力で人格を手に入れ始めてから早々に気付いたことだが、どうやら感情が仕切りで分けられて存在しているらしい。

 『信頼』という感情が『疑心』という闇に呑まれ、『信頼』が消え去った時に確信を持った。自分の心は、一つ一つ明確に独立しているのだ。

 その内、他の感情も、心の闇こと『疑心』の感情のように、意思を持って胎動するかもしれない。真に厄介な構造である。

 だが、それで助かっている面もあるのだが。

 

「よし…もう大丈夫かな…」

 

 口をすすぎ終わった彼は立ち上がると、近くに置いておいた小太刀を手に取って、腰に差した。

 これを持っていると安心する。修司のたった一人の心の支え。世界で一人だけの、彼の理解者の形見。

 

「僕は君と共にある…」

 

 同時に、首に掛けておいている簡素な作りの首飾りを制服の中から取り出して、糸を通してある雫型の結晶を握る。

 これがなんなのか、未だに分からない。能力を使って中身を知ろうとしたが、何も分からなかった。こんな事もあるのかと、その時の彼はとても驚いたそうだ。

 

 こんな物を遺品として置いていくなんて、やはり蘭は凄いや。

 

 気分が落ち着いたので、修司は次の火山に向けて移動を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 森を歩きながら、修司は今朝の出来事について考えていた。

 

(あの夢はなんだったんだろう。そして、起きた時のあの激痛は…)

 

 分からない。能力があるから分からない事なんて無かったのに、ここ最近は分からないことだらけで頭を掻き毟りたくなる。

 

 まず、忘れてしまった夢。

 確か、楽しい夢だったような気がする。寝起きにあの痛みが襲って来ると言うならば、あんな夢楽しくもなんともないが…。

 (もや)がかかったように内容が判然としない。記憶力はいい方なのだが、こればっかりは駄目だった。

 

(う〜ん。楽しい夢だったのなら、何故“怖い”と思えてしまうんだろうか)

 

 そう、彼はその夢に楽しい印象を受けながらも、同時に怖いと感じていたのだ。

 お化け屋敷に入ったような恐怖ではなく、現実での何かを恐れているような本能的な恐怖。

 

 ただ、今朝感じたような悪寒の走る感情も少し混じっていることから察するに、今朝の痛みはやはりその夢が関係しているのは間違い無い。

 

 

 次に、今朝の馬鹿にならない痛み。

 

 昼頃の今でさえ、あの痛さを思い出すとビクッと身体が反応する。

 身体を治す薬で治らなかったところを見ると、あの痛みは心のものらしい。と言うか、それしか説明がつかない。

 身体の方に問題が無かったのなら、心が心的ダメージを負っていたに違いない。自分の特殊な精神ならば十分に疑う価値がある。

 だが、自分の精神世界には今までに取り込んだ人格達がいる筈だ。それに、白城修司という人格を形成する為の感情は、それぞれ仕切りで分けられて相互不干渉でいるから、何かが起こる訳が無いのだ。

 

(いや、そうとも限らないか?)

 

 修司は浮かんだ可能性に、薄ら寒い恐怖を覚えた。

 だが同時に、諦観に似た許容も感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夕方頃。

 

「ふぅ……。最近妖怪と出会う確率が増えてきたな」

 

 ズゥン…と、背後で巨大な熊の妖怪が倒れ、少し地面が浮ついた。修司は能力で穴を作ってそこに熊を放り込み、蓋をして死体を漁られないようにした。

 妖怪には低級、中級、上級、大妖怪と区別があるが、今のは上級妖怪に位置するそれなりの妖怪だった。

 低級は雑草のように尽きる気配が無いが、上級にもなると訳が違う。奴らは力も妖力も一丁前に強く、修司は“少し”真面目に闘わないと攻撃がかするくらいに危ない。

 今の熊は素早さが低い種類だったので楽勝に沈める事が出来たが、大妖怪だったら妖力と霊力を切り札として取っておくほどには厄介な相手である。

 

 修司は空を仰ぎ、血に染まった小太刀を払って血を飛ばしながら、カラカラに乾いた秋風に目を細めた。

 

 そうか…今は…秋だったな…。

 

 修司は、自分がここに来てからの年月を正確に数えている。それは、自分がまだ真っ当な人間であることの証明であり、自分が生きた軌跡を1秒たりとも忘れないようにするための習慣である。

 

 

 

 

 核爆弾が落ちてから、既に一万年が過ぎていた。

 

 

 

 

 最早寿命に関しては何も動じない。これからどれだけの月日が流れ、太陽と月が交互に彼を見下ろしたとしても、もうそこに一喜一憂する感覚は残っていない。

 ただでさえ感情の起伏があまりない修司にとってこの変化は、能面の抜け殻へと変わってしまう死活問題だった。

 しかし、これは長い時を生きる上で、仕方のないことだと思っているのもまた事実。元々寿命が百年程しか無かった存在が万の時を生きるには、こうなるしかなかったと諦めが混じる。

 

「はぁ…」

 

 吐く息が若干白い。

 何回目の秋だろうと考えるのは止めている。それよりも、自分が生き残る事を考えた方がいいからだ。

 

 一万年の時を経て、修司はまた随分と研鑽を積んだ。

 

 まず、武術の面だが、これは今までよりもキレと精度が増した。具体的には、『点』を脳に負荷を掛けずにノーコストで使えるようになり、もっと効率のいい箇所を的確に百発百中で打てるようになった。

 それと、道中で集めた鉄を使って様々な武器を作り、それを使ってそれぞれの熟練度を上げた。近距離から遠距離まで、実に多種多様な武器をマスターし、無手も技術を著しく向上させた。今では、手の平を押し付ける掌底の内部破壊威力も大きく上がり、普通のパンチよりも格段に威力が高くなった。

 そして、修司の唯一の技である【独軍】は、その使用人数を百人にまで増やした。

 これがあれば、もう修司に死角は殆ど無いと言っても過言ではないだろう。

 一言で纏めれば、「とてつもなく強くなった」。

 これは、脳が彼の理論に追い付いてきたのが大きな理由だろう。今まで、『点』や【独軍】、その他様々な技術は、頭に入っていても、身体に命令として出すのには些かの限界があった。

 『点』は沢山使えなかったし、【独軍】は一度に十人が限界だった。

 脳がそのとんでも理論を理解して、身体が慣れたというのが、今回の一番の成果である。流石に一万年もあれば、どんな奴でも強くなれるだろう。

 筋力や瞬発力も、こうして日々野生の世界で激しく暮らしていれば、否応なしに上がっていく。

 更に、人間の元々の野生が研ぎ澄まされたのか、気配の察知もかなりの範囲となった。

 

 簡単に言うと、全体的に全てが向上して、とっても強くなった。

 

 

 次に、その他の方面だ。

 

 まず、鉱石を詰め込んだ立方体の鉄キューブだが、あれは一辺が5mになるくらい大きくなった。計算に強い人ならば、最初の何倍の体積になったのかが分かるだろう。一体どれだけの火山を廻ったか、数えるのも鬱陶しい。火山だけでは飽き足らず、洞窟にも入ったりと、色々大変だった事も、一応言っておこう。

 もう少しで目標値に達する。ここまで長かったが、その努力をしただけに今の達成感は相当だ。まだあと少しだけ足りないが、すぐに集まるだろう。

 それと、道中で適当に集めて作り上げた合金は広範囲戦闘や鉄壁の防御を実現するに容易い量まで貯まった。壊れても地面に吸収すればいいから、こちらは簡単だった。

 余った鉄で鉄キューブをもう一つ作り、手に余る食糧を少しだけ貯める事にした。常温である程度の保存が効くものに限るが、それでもこれは重宝する。秋や冬などの食べ物が少ない時期に助かるからだ。

 

 修司の足元には、大きな鉄キューブと、倉庫代わりの簡易鉄キューブ、それと、戦闘用の特殊合金の塊が、親に付いて行く雛のように追従している。

 

 霊力と妖力は、妖怪の群れを一瞬で失神させれるくらいに膨大なものとなった。片方で本気を出して放出すれば、半径2~3kmの範囲にいる全ての生命体が泡を吹いて気絶する。それをやった時修司は、「…本当にヤバくなった時だけ使おう、うん」と、心に固く誓った。

 勿論、両方の鍛練も欠かしていない。

 両方のコントロールや、結界術の練習、半結界や、探知用の薄結界、力を固形物にする練習や、レーザーや弾として放出する技術を修行した。単純に纏うことによる身体強化は、もう誰にも負けない自信がある。

 

 だが、何度も言うが、霊力と妖力は、本当にヤバくなった時の切り札として使う。特に戦闘に関しては。

 

 

 どんどん人間離れしていく修司だが、これでもまだ自分は普通の人間だと言って固く信じていた。以前の自分を捨ててしまえば、己は怪物の身に堕ちてしまうことが分かっていたからだ。どうしても、人間である事だけは捨てたくない。

 修司にとって強くなる事は、“とある対象”に復讐する為に欠かせないものだった。それも、中途半端な強さではなく、圧倒的な、誰にも辿り着けない境地にある強さ。修司はそれを目指していた。

 

 いつからそう思っていのか、それはもう忘れた。ただ、ずっと前から、『ソイツ』にだけは絶対に復讐してやると誓っているのだ。まだそれが誰かは言えない。言う必要が無いし、いずれ自然と分かってくるものだから。

 

 閑話休題。

 

 兎に角、修司の眼前の目的は、残り少しの鉱石を集める事くらいである。なんだかそればっかりやっている気がするが、彼は鉱石コレクターではない、断じて。

 だから彼は今、一万年続けている火山の探索を続行しているのだが、少し気になる事があった。

 

「…やっぱり、最近妖怪とよく出会う…」

 

 今度は、猪の妖怪だった。突進を避けて真っ二つに斬り裂いて倒したのだが、それは熊の妖怪を倒したほんの数分後である。これは流石に出会い過ぎだ。

 血の処理も完璧だし、熊の煩い断末魔以外は、さして大きな音を立てていない。

 考えられる事としては、この猪が、元々とても近くにいたという事くらいだが、この二種族は、互いに縄張り意識が強い。自分の狩り場の近くにこれだけの奴がいれば、もうとっくに縄張り争いをしているだろう。

 

 いや、それとも、どちらかが自分の縄張りから出てきたのか?

 それこそ有り得ない。彼らは自分の範囲以外の事には全くの無関心を貫く生き物だ。

 ならば、正しい推測は前者となる訳だが…

 

(とても不可解な事だけど……まぁ、僕には関係無いか)

 

 猪の死体の処理が終わり、素早くその場を離れるところまででそういう考えに至った修司は、最終的に我関せずを一貫しようと決めこみ、最近の懸念程度に留めておくことにした。

 

 自分さえ良ければ他はどうとなっても知るもんか。

 こう彼は思っており、他がどんな思想や、ポリシー、願望を持っていたとしても、自分が自分を貫いていれればいいと思っていた。

 

「いや〜、先輩達って凄いっすね〜」

 

 ────この声を聴くまでは。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 彼の精神世界。『疑心』に乗っ取られた『信頼』の世界にいた人格達は、そこから弾かれ、長年その外側を漂っていた。

 

「みんな、蘭だけは絶対に守れよ。こいつが呑まれたら現実の修司は終わりだ」

 

 そう言う雄也は、真っ黒に染まった球体を眺めながら、隊員達に指示を飛ばしていた。その球体は、雄也が精一杯見上げても見切れるほどに大きく、自分達がいた世界がそれほどに巨大なものであると認識させるには充分だった。

 欠けた修司の感情の穴を埋めている蘭は、皆にとって何物にも代え難い希望の存在であり、そんな事は言われなくても分かっている。

 

 特隊の隊員達は、彼の命令に従い、サッと散開して接近して来た“敵”に備えた。

 斧や槍、弓や未来的な兵器を装備した漆黒の兵士達がわらわらと『信頼』の精神世界から弾き出て来た。

 

「ここでは疲れないし、何かが尽きる心配もない!思う存分やってやれ!!」

 

「「「「「了解っ!!!」」」」」

 

 それぞれ得意とする得物を手にし、隊員達は『信頼』の精神世界から飛び出てきた黒い敵兵士と交戦を開始した。

 

 現実での悪夢の原因、それは、闇──『疑心』が『信頼』が生み出した精神世界を全て掌握し、雄也達と戦闘を始めたからである。起きた時の痛みは、その戦闘によるものである。

 『信頼』がいたから維持されていたその精神世界は、『疑心』がその世界の主導権を剥奪したことで、そこにいた雄也達を追い出した。そして、追い出した雄也達を消すために、『疑心』は負の感情から兵士を創り出し、彼らに送り込んだのだ。

 『疑心』が『信頼』を完全に掌握するのに一万年程かかったが、永遠の寿命を生きる修司にとっては早いと言えるだろう。

 

「食らえっ!!」

 

 隊員達は前衛、遊撃、後衛に分かれて、三段交代式の陣形を作った。これは、長期戦を予定した、シンプルだからこそ安定する布陣である。

 織田信長が火縄銃の部隊に導入した三段撃ちを参考にして修司が考えた、単純明快な戦法である。

 この世界では、体力が減ることは無く、意志の力が要となる。だから永遠に戦えるかと言われたら、それは否だ。体力は減らないが、気力──即ち、集中力は減っていく。

 そこで、前衛で疲弊した者から順に後衛に回り、押し出し式でローテーションを組む。スイッチの隙間を埋めるために遊撃がカバーし、人数に応じて前衛を買ってでる。ライフル光線銃たろうが、ナイフだろうが、そんなものは修司に鍛えられた特隊には関係無い。どこが立ち位置でも、戦場で必ず何かしらの役割をこなす。一瞬の時間も“役立たず”になるな。それが…それこそが特隊であり、修司に叩き込まれた教えの一つである。

 

 特隊の兵士達は楽々と黒の兵士を倒していく。黒い球体から出てきた瞬間は威勢がいいのだが、外に出た彼らは、何故か急に動きが鈍り、そこを一撃で沈められているのだ。

 

「へっ!これなら何万年でも楽勝だぜ!!」

「スイッチのタイミングは何年後だろうな!」

「おい!今一撃食らった…えぇっと、お前!大丈夫か!?」

「大丈夫だ、問題無い」

「と言うかお前の名前知らねーんだけど!?」

「てめぇの頭はハッ〇ーセットかよ?」

「その単語も知らねぇぞ!?」

 

 …こんな会話が出来るほどだ。なんて戦場に不似合いな会話だろうか。

 

「蔵木、これからどうすればいいのかしら」

「さぁ、俺には皆目見当もつかないです。八意様はどうすればいいと思いますか?」

 

 思考共有しているとはいえ、それは皆の一部に過ぎない。言うなれば、ここの常識と現在状況を一瞬で知れるというだけである。だから、情報交換は現実とそう変わらない頻度だ。

 

「他に同じような球体は見当たりませんし、まずここがどこだかも判然としません。だから、今はただここでアイツらと交戦をしているしかないかと」

「でも、例えあなた達でも、終わりのない戦いには勝てないでしょう?」

「それは…そうですが、だからこそ今打開策を考えているところです。…くそっ、こんな時に修司さえ居てくれれば」

「修司に頼り過ぎなのよ、あなた達は。そりゃぁ、現実では頼もしい限りだったけれど、それに甘えていては単なる木偶に成り下がるわ。兵士に必要な技術と知恵は彼から教えて貰った筈でしょ?まぁ、無重力状態での戦闘は流石に教わってないと思うけど」

「ですが、それに対応出来るような柔軟性を、俺達は修司から学びました。だからこうして戦えているんですよ」

「本当、修司様々ね」

「ですね」

 

 何やら、論点がズレて阿呆な結論に至ったようだ。どちらも彼をリスペクトしているからこうなったのだが、ツッコミ不在の恐怖は並ではない。

 

 兎も角、話を戻さなければ。顔を引き締めた雄也は、必死(?)に食い止めている仲間の負担を減らすため、急いで打開策を考え始めた。それは、雄也や永琳に限ったことでなく、その場にいる非戦闘員も同様だ。考える頭は多い方がいい。

 

「うむ…兎に角、遠くまで逃げるというのはどうじゃ?」

「それは得策ではないですよ。私達を狙っているのだとしたら、発生源から離れるのは危ないです。密集している内に叩かないと」

「はい!僕はもう一回あの中に入った方がいいと思う!」

「坊主、俺らはあの気持ち悪ぃ『疑心』に追い出されたんだぜ?おじさん達をもっかい入れてくれるとは思えねぇがなぁ…」

「おいガキぃ!そんなん無理に決まってんだろぅがぁ!飴ちゃんあげるから妖怪の嬢ちゃんの世話でもしてやがれやぁ!」

「わぁありがとう!行ってくる!」

「さっさと行きやがるぅぇやぁこの野郎ぅ!」

「あんた、いい奴なのか悪い奴なのかはっきりしないわね…」

 

 こっちもこっちで和気藹々(わきあいあい)としている。ここにいる人達に緊張感というものはないのか。いや、あるにはあるのだろうが、特隊の皆が圧倒的に制圧しているので、あまり危機感を感じれないのだろう。

 

「…取り…敢えず…現状…維持が…得策…」

「もぉっとぉはっきり喋れやぁこの野郎ぅ!」

「ひぃっ!?」

「あぁもうあんたが居ると話が進まないわ!誰かこの不良をつまみ出してちょうだい!」

「そこの女性よ、俺達は室内に居ないのだが、彼をどこにつまみ出すというのだ?」

「そんなものどこだっていいわよ!あの蘭って人の所にでもぶっ飛ばしやればいいのよ!」

 

 …悪戯に時間だけが過ぎていく。

 

「……俺達だけで考えましょうか、八意様」

「そうね。あの人達、いい人なのは間違いないんだけど、如何せん会話が纏まらないわ。放っておきましょう」

 

 その答えが出るのは早かった。

 雄也と永琳は二人で戦局を逐一確認しながら、今後自分達はどうすればいいのかを話し合った。

 だが、出てくる案には必ず致命的な欠陥があり、どれもリスキーでローリターンなものばかり。決して採用とまではいかない愚策ばかりだった。

 二人は眉間に皺が寄った。

 一万年前、『信頼』の修司は消える最期の最期まで、“修司”だった。希望を捨てず、その目は常に先の光を見据え、言葉は空気を伝い皆の心を揺らした。

 彼はいつも前を向いていた。

 

 だが、自分達はどうだ。

 

 つまらない事で停滞し、意味の無い事で額を突き合わせ、頭を過ぎるのは頼れる彼の顔。

 彼はいつも状況を打破する何かを起こしてきた。それが何のお蔭とはいえ、やったのは修司である。

 そんな彼を目標にしているからこそ、二人は己の無力さに苛まれていた。背後で馬鹿な会話を垂れ流している数千人は罵倒しない。他者を貶めるくらいなら、まず目の前の障壁を突破する手立てを考えた方が賢明だからだ。

 我らが天下の修司が育てた特隊が奮闘している今、この時しかまともに考える時間はないだろう。時が経ち退却するしかなくなる前に…。

 修司ならば、それ程時間を掛けずに何か考えつくだろう。修司ならば、こんな右も左も分からない場所でも、目指す場所を指さしてくれるだろう。修司ならば……。

 

「………」

「………」

 

 ここが修司の中で、自分達はその中の羽虫である事は分かってる。

 ここで出来る事は殆ど無くて、現実以上に無力なのは分かってる。

 自分達が修司を頼って、彼に縋っていた部分があるのは知ってる。

 

 だから、だからこそ…

 

 彼に何かしてあげたいと思うのは、至極当然なのではないか。

 だから二人は、酷く顔を歪めて悪態をつくのであった。

 

「クソったれ…」

「嫌気が差すわ」

 

 




 

 修司の夢の中、現実、修司の精神世界…の順に場面が変わりました。

 取り込まれた人格達(雄也達)が元居た場所(一章で居た場所)は、実は、『信頼』という一つの感情が創りだしていた『球状の領域』の中だったんです。
 現実の修司も人格達(雄也達)も、彼の感情の構造に気付きました。感情はそれぞれ独立していて存在しているのだと。

 取り込まれた人格達が『球状の領域』の中で守っていたのは、『信頼』の化身です。信頼の感情の核を担っていた彼が『疑心』に呑まれてから一万年で、信頼という感情は100%完全に『疑心』に掌握されました。

 現実にまで精神世界での戦闘の衝撃が来たのは、彼の魂がぼろぼろで穴だらけだからです。暫くして治まったのは、それが発作的なものであるからです。


 説明足らずで申し訳ありませんが、次回もどうぞよろしくお願いします。
 

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