東方信頼譚   作:サファール

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 閑話二本目です。視点はとある少女です。何だかこれは書いておかないといけないという変な考えに囚われてしまいまして、半分勢いで書いたものですw


 作者の小説は基本主人公の視点のみで、必要でない限りは別視点はあまり書かない感じです。ですからこういった感じの話は新鮮で楽しかった、というのが作者の感想。

 どうぞ。

 


閑話2.重ねゆく年月と眩い思い出

 初めて感じたあの時の衝撃は、今でも私の胸に朗らかな太陽となって残っている。

 

 諦めていた。

 俯いていた。

 涙も流した。

 

 それでも“生”に縋り付いたのは何故だったのだろうか。その答えが目の前にあった。

 

 “彼”に出会う為だったのだ。私の絶対零度まで冷えきった心を優しく溶かし、明るい色へと染めていった。

 

 彼の事をもっと知りたい。

 彼ともっと会話したい。

 彼と同じ時間を過ごしたい。

 

 きっかけが陳腐なものであったとしても、これは紛れも無く私の本心であると確信している。

 

 

 だから、あの日のあの瞬間から、私は────

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 今日も彼が来た。

 私は力作の竿をほっぽり出して、急いで準備を整える。二ヶ月に一度の機会なのだ。女性の心得として、身嗜みくらいはきちんと整えておかなければ、妖怪である私の“女”が泣いてしまう。

 服を着て、人の姿をして、人の言葉を話す以上、たとえ妖怪であったとしても、こればっかりはやらなければならない。

 

 彼には能力の事は話していないので、認識外から能力の応用で存在を認知している事は知らない筈だ。

 

 大体の準備を終えた私は、ミスが無いか一度確認する。

 

「髪…よし。服装…よし。刀…よし。気合い…よし。殺意…よし…」

 

 …先程までの乙女な描写を疑ってしまうようなワードが幾つか出てきたが、本人はさして気にしていないようだ。

 それもその筈。彼女は人間ではなく、妖怪。種族の根底にある弱肉強食の理念は、人間では有り得ないような残酷な選択を苦もなく選べるように非情に出来ている。

 彼女にとっては、これが日常。明日、自分が生きているか全く分からない不安定な世界で、自分が生き残る唯一の確実な方法、“殺られる前に殺る”。

 単純明快。相手が牙を剥く前に自分の爪が相手の喉を裂けばいいだけの話。

 

 人間が相互でやってるような愛情表現なんて、妖怪にとっては意味の無い事。私の考えは、全然違う。

 

 私は、互いの力をぶつけあってこそ、真の“感情”が表現出来ると思う。命をさらけ出して、本気の本能を突き合わせて初めて、互いの心が通ったと言えるだろう。

 

 

 故に、私は今日も、拳に力を込めて、彼を迎えるのだ。

 

 

 

 

「やっぱり、今日も来たね」

「都市にとって君は脅威だからね」

 

 そう言えば、前回も同じような会話をしたような気がする。

 

「それで、今日は何をして過ごそうか?」

「…全く、貫禄なのか無邪気なのか、どちらにしろ、君も相当だね」

「“も”って事は、修司もそうなのかい?」

 

 このやり取りも、もう何回目だろうか。

 ここから、私達の時間が始まる。

 修司が呆れたような声を出しながら苦笑する。困ったような顔に隠れた砂粒ほどの感情は、いくら彼女でも気付くことが出来なかった。

 

「そうさ、はぁ……取り敢えず、君の酔狂に付き合うとしようかな」

 

 彼は、今日の武器をそこら辺に放り、代わりに背中に背負った竿を手に取った。来る時に装備しているあたり、彼も密かにこの一時を楽しみにしているようだ。

 私達の朝は、まずこの湖の釣りから始まる。そこで最近の出来事や、悩んでいる事、その他諸々を話し合い、最後に笑うのだ。

 

「今日は何匹釣れるかな…?」

「私の湖にまだあんなのがいると思うと…毎回ゾッとするなぁ…」

 

 

 

 

 二人、湖畔の草原に腰を下ろし、竿を振るって糸を水面に落とす。少し高く昇った太陽が、麗らかな陽射しをカルデラに降り注がせ、髪を擽る心地よい風が、身体にまとわりついている(もや)を削ぎ落としていくように、二人の間を駆け抜けて行く。

 木々が伸ばした枝葉を、風に揺られてカサカサと擦り合わせる。二人の時間に聴こえる騒音は、それのみであった。

 

「…ねぇ」

「何?蘭」

 

 修司は基本、自分からは何も言わない。大体最初は、私からだ。

 

「修司ってさ、人間とは思えないくらいに強いよね」

「…………うん」

 

 キラキラ日光を乱反射しているカルデラ湖に沈む糸から目を離さずに、隣にいる私の問い掛けに、不自然な間を空けて答える。その空白の意味が僅かに気になった私だったけど、ややこしい人間の事情でもあるのだろうと、そう結論づけた。

 

「どうしてさ、強さを求めるんだい?」

「……」

 

 口から出たのは、自分でもよく分からない質問。妖怪である私達にとって、強さとは生きる為の必須条件。普通の妖怪ならばそれで終わりなのだが、奇異な思考の持ち主である私は、つい自然とそんな疑問が零れた。

 

「強さの意味…か…」

 

 一人呟く修司の横顔を覗き込む。

 だが、表情に変化は特に無く、湖よりも遠いものを見る目で、自分の中の何かを探していた。

 

「そうだね……強いて言えば…」

 

 人間の強さの意味なんて、大体分かっている。どうせ、大切なものを護る為だとか、自分としての存在を誇示する為だろう。それか、私達と同じで、必死に生き残る為か…。

 だが、彼から放たれた言葉は、私の予想を遥かに上回った。

 

 

 

 

「────復讐…かな」

 

 

 

 

「……え?」

 

 横顔を見る私の目が見開かれる。

 今までの彼からは想像も出来ない突飛な返答に、私は彼を凝視したまま固まってしまった。

 

「それって…」

「言葉通りの意味だよ。僕は、復讐する為に力を求めている」

 

 驚いたなんてものじゃない。優しくて、気丈で、聡明な修司が、そんな醜い目的の為に実力をつけたなんて、この湖からあの化け物(半魚人)を掃討するくらいに有り得ない事だ。

 

 蘭は気付いていないが、修司が他の人に同じ質問をされた時には、「みんなを護る為さ」と適当にはぐらかして、本心を言わない。

 修司は、誰にも本心やそれに近い事を話したことはない。それは、蘭でも同じだったのだが、彼は今、何故か話している。

 

 蘭に本心の一端をポロッと話し始めた修司は、この事の異常性に気付いていない。

 修司が無意識に、彼女には少し話しても大丈夫だと思っているのだ。

 

「それは…誰にだい?」

 

 恐る恐る彼に問いかける。いつの間にか彼の双眸は心做しかくすみ、いつもの柔和な雰囲気が(なり)を潜めていた。暖かい陽射しが照っているというのに、辺りは夜の墓場のように涼しげだった。

 

「…誰…か。それは教えられないかな…」

「そ、そうかい…言いたくないんなら、別にいいさ…」

 

 慌てて視線を湖に戻す。場違いなほどに煌めいている水面に感情が揺すぶられ、普段感じたことのないもどかしさを胸中に覚える。

 ギリ…という音を捉え、また顔を隣に向ける。

 するとそこには、瞳の色が戻り、口を一の字に結んで奥歯を噛み締めている彼の姿があった。目は相変わらず湖を見ているが、意識は己の奥深く、と言った感じだ。

 

 どうやら自分の犯した失態に気付いたらしい。

 

「…………………ねぇ」

 

 そんな彼の挙動が私の心に響いた。

 私は、振り向く彼の顔を真っ直ぐ見つめて、それを口にしようと決意を固めた。

 

 だが────

 

ピク…ピクピクッ…

 

「ん?何……ってうわああぁ!?」

「し、修司っ!?」

 

 私の変化を敏感に嗅ぎ取った修司は、そちらに意識を完全に持っていかれ、突如として引っ張られ始めた竿に対応出来なかった。

 胡座をかいて座っているので、横に倒れる修司は踏ん張ることが出来ない。

 

 そのまま湖に頭からダイブしかける彼だったが、都市の最強戦力、『不死隊』の部隊長の肩書きは伊達ではない。瞬時に状況を理解した彼は、片手を地面に突き立て、竿と拮抗するように力を込めることで、取り敢えず不意打ちで湖ダイブを回避した。

 

「お、重いぃ…」

 

 今までとは一線を画すその引きの強さに、流石の修司も引き込まれ始める。体勢が拙かった。下半身の踏ん張りが無く、片手のみでは、いくら修司でも大物とのバトルには勝てないようだ。

 

「っ!わあぁぁぁぁ!!」

 

 片手を地面に着けてつっかえ棒のようにしていた修司だったが、咄嗟の力の緩急に対応出来ず、その突っ張りを看破されてしまった。

 

「修司!!」

 

 そのまま引き込まれる……と思った瞬間、彼の背中から、お腹に腕を回され、グッと引っ張る者がいた。当然、蘭である。

 彼が大物とバトルをしている間に、蘭は自分の竿を投げ捨てると、修司の後ろに回って、背中に抱き着いたのだ。

 脚に妖力を纏って踏ん張り、彼にジャーマンスープレックスを仕掛けるようにして彼を助ける。

 

「ぐぅ…ぐぬぬぬ!」

 

 持ってかれる竿が止まった。湖の中で黒い影を作っている大物と二種族に君臨する“最強”。両者の根性が竿と糸を通してぶつかり合い、壮絶な戦いを繰り広げる。

 

「う、うぉぉぉ……」

 

 彼女の助けを受けて何とかダイブせずに済んだ修司は、胡座を解除して、地面に足裏を着けて、霊力を流し込んだ。

 いくら相手が湖の中にいて、そこが奴の土俵だとしても、こちらには規格外な存在が二人もいるのだ。本気を出せば結果は見えている。

 

 

「はあああぁぁぁぁ!!」

「りゃああぁぁぁぁ!!」

 

 呼吸を合わせて、一気に竿を引き上げる。

 

 拮抗していた力関係が逆転し、激しい水飛沫を上げながら、その対戦相手が姿を現した。

 

「ギャアアアァァァァス!!!」

 

 出てきたのは、これまでに何匹と釣り上げた経験のある、気持ち悪い半魚人のようなノッペリとした顔を持つ、オジサンのような蛙だった。

 だが、顔だけ嫌に人間臭いそいつは、二人が人生で釣り上げた獲物のどれと比較しても、相手にならない程のデカさだった。

 脚を真っ直ぐ伸ばしたら全長1mはあるのが、蛙のオジサンの普通の身長だったが、この蛙は、それの三倍も大きかった。

 

 そして驚くべきは、その顔である。二人が毎回、気色悪いオジサン顔だなぁ、と思いながら天高く殴り飛ばしていたこいつらは、全員が性犯罪者のようなヤバい顔をしていたのだが、こいつだけは、輪にかけて酷かった。

 それはもう、醜悪の一言に尽きる。寧ろ、顔だけで天変地異の災害と表現しても誇張とは思えない程のキモさである。

 

 どれくらい酷いかというと、デブ、薄毛、ブツブツ、その他諸々、世の中の顔パーツにおいてマイナスとなり得るもの全てを組み合わせたかのような、世界の害悪を染み込ませたものだと言えば、多少の想像はつくだろうか。

 兎に角、そういった気持ち悪い顔が、ギャァスと言いながら、口を尖らせて飛びかかってくるのだ。その姿がまるで、釣り上げた人にキスを迫っているようで、果てしなく拒否反応を引き起こす。

 

 二人、暇潰し(?)でこの湖のキモ蛙を駆除していたが、これは衝撃が強過ぎた。思わぬ緊急事態に気が動転してしまったのである。

 

 故に────

 

「「せぇのぉ…………」」

 

 一瞬で横に並んだ二人は右拳を引いて、迫る巨大な怪物()の醜い顔面に狙いを定めた。

 

 そして────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「せいやあああああああああああああ!!」」

 

ドバコオオオオオオオオオオン!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 霊力と妖力を拳に纏わせていないというのに、プロボクサー顔負けの右ストレートが、有り得ない轟音を立てて奴の顔面に直撃した。

 

「ブギャアアアァスッ!?」ビュゥゥゥン……

 

 幸い、頭蓋骨がカチ割れてスプラッタな状況になるのは防げた。

 キモ蛙は、その災害級の顔面を見事に陥没させ、普段の奴らよりも遥かに上空、斜め45度の方向に飛んでいき、昇っている太陽に吸い込まれるようにして消えていった。

 ここまで綺麗にホームランを放てたのは、偏にあのキモさのお蔭である。

 二人の息と力加減が寸分の狂いも無く一致し、奴を空彼方の星々の一部とするべく振るわれたその拳は、間違いなく今までの蛙の中で一番威力のある二発だっただろう。

 

 

「「…………」」

 

 

 右腕を振り抜いたまま、奴が完全に視界から消滅するのを刮目する。

 

「……セーフ…?」

 

「…その意味は分からないけど…多分」

 

 都市の人間はやはりよく分からない言葉を使うな。

 …いや、今はそんなことはいいか。

 

 

「……………ふぅ…」

 

 張り詰めていた緊張を肺から吐き出し、二人同時にへたりこんだ。

 竿から垂れている釣り糸にはもうあの気色悪いアイツはいない。隣で仰向けになっている彼を盗み見た私は、彼が未だ片手に持っている竿の先端に目を落として、その事実をもう一度確かめた。

 

「…あれは…凄かったね…」

「うん…私が見た中で一番の大きさだったよ…」

「それは僕も同じだ…」

 

 大したことはしていない筈なのに、私も修司も、胸を上下させて軽く息切れを起こしている。

 

 

 

 

 どれくらいの時間寝転がっていただろうか。

 暫く呆けてだらしなく方々に伸ばしていた四肢を叱咤して、むくりと半身を起こした。

 

「よっと……いつまでものんびりしてられないね」

 

 放って置いた竿を取りに立ち上がり、チラッと湖の底を警戒の眼差しで睨んだ後、まだ仰向けの彼に手を差し伸べた。

 

「ほら、早く立ちなよ。いくら私が今殺さないからって、それは無いでしょ?」

「………あぁ、悪かったね」

 

 私の手を取り、若干沈んだ面持ちで礼を言う彼は、どこか深く思案しているようだった。

 何を考え込んでいるのかは私では知れないが、聡明で決断力のある修司のことだ、きっといい選択をするだろう。

 

 完全に立ち上がった彼に背を向け、私は投げ捨てた竿を拾いに湖畔の端まで足を動かす。

 

 時々、彼は自分の中に閉じこもって何かを考えている。人間だけでなく、そういう現象は自我のある妖怪にも時たまある事なので、普段はそんなに気にしないのだが、彼のそれは、他とは明らかに違った。

 

 目の奥の鈍い光が消え、瞳の中身が虚空になったかのような虚ろな表情になる。暫くすればそれは治る。その後、彼は決まって、複雑な顔をして、心做しか悲しそうに影を落とすのだ。

 その風貌は、冷えた鉄のナイフを首筋に添えられている光景を幻視するほどに、底冷えし、また谷底のように暗い深淵を纏っていた。

 五臓六腑を握り締められるような震えを理性で抑え込み、その理由を考えてみる。

 

 一言で片付けるならば、“複雑な事情”、だろうか。

 

 彼は、実力や性格からして、相当特異な部類に入る人間だろう。彼が住んでいる都市の中でも、きっと浮いている存在だと思う。

 人間離れした実力は、もう説明する必要もないだろう。今はそれよりも、彼の稀な性格の方が気になる。

 

 基本的に、彼はかなり優しく、若干だがお人好しな部分があるようだ。

 それに、何故なのかは知らないが、急に、性格に似つかわしくない事をする時がある。この前は、ここに来る前に何かあったのか、すごく憤怒に駆られた雰囲気を醸し出しながら現れた時があった。表情こそいつもと同じ柔らかな笑みだったが、逆にそれが怖かった。

 理由を訊くと、どうやら街中でイジメのような現場を目撃していたらしい。そして、それを解決して来たという。「随分な正義感だね」と茶化して言ってみたが、意外にも彼は激昴せずに、「そうだね、我ながら馬鹿だった」と、何に対してかは不明だが、自分の行いを悔いているようだった。

 迫害されているのを助けたのはいい事だというのに、何を反省する必要があるのか。自分が感情に任せて行動したからか、それとも、柄にもないことをやって忸怩(じくじ)たる思いが胸を焦がしているのか。

 

 前者は、常に冷静な判断をする彼からすれば、十分有り得る。

 後者は、彼の柔和な性格を鑑みるに、可能性は低い。

 

 穏和な性格の彼が、負の激情に顔を歪ませるのは、私には想像出来なかった。それに、その感情には何か、“私の知らない彼”が潜んでいた。

 

 ただ一つ言える事は、“彼はとても不自然”だということだ。

 

 彼の行動全てが、不自然に合理的で、高効率。

 言動の殆どが話の的を射ており、尚且つ彼に有利な方向に進む。

 言う事の(ことごこ)くに、一本の硬い筋が通っており、それも一理あるなと納得出来るもの。

 

 ただし、それらを全て統合して、白城修司という人間を形成するには、些か無理があることに気付いた。

 いつどんな時代であろうと、人間や自我のある妖怪の“理想像”というものは、多少の違いはあれど、そう変化はない。私達の望むその姿は、所謂“完璧超人”という存在である。

 そうなることを望む望まないは別として、完璧超人の風体を言えと言われたら、皆口を揃えて同じ事を言うだろう。

 

 

 

 

───何でも出来て、性格や実力にも隙が無い、全能の塊。

 

 

 

 

 今のは少し皮肉が混じっていたりするが、概ね前述の通りである。

 

 完璧超人であり、私達の理想像であるこれは、“目指すからこそ理想”なのである。

 

 憧れ、目指し、手を伸ばそうとするからこそ、この頭の中の幻想は、世の中に存在しているのだ。

 つまり、“成れないから、皆の理想”なのだ。

 これに成ろうと努力し、それでも成れないのが、理想像である完璧超人。絶対に成れない代わりに、私達に目指すべき境地を教えてくれるのが、理想と願望。

 彼は、これをほぼ達成している。

 

 

 

 

 だが、これは絶対に有り得ないのだ。

 

 

 

 

 世の中に完璧な人間なんていない。個々に必ず弱点があり、己が他者に及ばないウィークポイントがある。斯く言う私も、ちゃんと弱点はあるのだ(さっきの蛙みたいな)。

 物事には絶対的な限界が設定されており、その範疇で私達は努力している。

 

 だが、彼はどうだろうか。

 

 

 

 

 釣りはもう止めようか。

 

 彼の提案に従い、私と彼は竿を背後の森林に投げた。

 彼は佩刀(はいとう)を抜き放ち、向かいで私の自信作(小太刀)を得意気に構える私を見る。

 

 幾度と無く繰り返してきたこの光景。

 何時潰えてもおかしくない刹那を生きる均衡。

 

 私は、先の緩やかな時間も好きだが、これから始まる時間の方が、何倍も好きだ。

 それは、私の本質が人間ではなく妖怪だからだろう。

 

「今日も勝って、さっさと終わらせようかな」

「妖怪の大将をそう簡単に嘗めてもらっちゃ困るよ」

 

 後に、数秒。

 現実ではたったの二秒という僅かな時ではあったが、両者の体感では、それは永遠とも思える程の時間であった。

 

 だが、次に放った言葉によって、その静寂は打ち破られる。

 

 

 

 

 

 

 

「「────殺ろうか!!!」」

 

 

 

 

 

 

 

 今日も私は地面を蹴る。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 結果、今回は私が勝った。

 今まで勝って負けていているのでさして感情の起伏があるわけではないが、やはり闘いに勝った日は心が躍るものだ。

 

 夕焼けが眩しく照らす湖畔で寝そべる二人は、毎度の如く暫しの休憩を挟んでいた。

 

「はぁ…はぁ………結局…か」

 

 そう呟いたのは彼。

 何が、とは言わない。そんなの、もう分かりきっているから。

 

「それは、どっちの意味だい?」

 

 問いかける私。

 勝った日のご褒美(腕枕)は、負けた日のそれとは比べ物にならないほど格別の優越感だった。

 妖怪の大将となってから何百年。数々の命を目の前で消し飛ばし、その度に畏怖と尊敬をその身に集めていった私だが、そこには何の感情も含まれていなかった。

 

 こんな感情を抱くのは、本当に久しぶりだった。

 

 彼に初めて出会って、二回目に出会った時には打ち負かされ、三回目でその敗北を取り戻した。

 その時に感じた言い得もないこの高揚した気持ち。

 明るい感情を思ったのは、あの時が初めてかもしれない。

 もう子供と言える歳ではない筈なのに、私の心は、まるで友達が出来始めた三歳くらいの幼子のように溌剌としていた。

 

 

────楽しい。

────嬉しい。

 

 

 あぁ、これはいい。

 

 私の中を、暖かい陽射しが満たしてゆく。

 これまで、冷たい感情しか貰ってこなかった私は、この温かみに、二度目の生を、この世に受けたかのように感じた。

 生まれ変わった、そう錯覚するほどの衝撃だった。

 

 妖怪は他者からの畏れというものでその存在を確立すると言う。他者から受け取る感情によって、自分は生きているのだ。

 妖怪は、精神に依存する。これは、本能的に分かっていることだ。

 私が今感じているものは、妖怪故に、誇張されているものかもしれない。

 

(でも…)

 

 でも、そんなのは関係無い。

 今、私は幸せだ。

 白城修司という、稀有な人間と一緒に居ること。

 これこそ、私にとっての幸せ。

 

 愛情の表現の仕方は人間とは違う。

 私は、彼と命を賭けて殺り合うことで、その幸せを感じている。そこは流石妖怪だと言うべきだろうか。

 

 私にはもう、人間とは忌み嫌い合う仲だとか、私達は敵同士だとか、そんなのは最早装飾と成り果てていた。

 ここでこうして彼と闘って、過ごしている。それだけで、全てが万事許容出来た。

 

 

「…体力も回復したことだし、そろそろ帰るよ」

「次こそは君を殺すからね」

「ははは、そっくりそのまま返すよ、その言葉」

 

 物騒な会話も、二人にとっては日常の中の一節に過ぎない。

 

「今度は闘う前にさ、この湖のアイツ、全員ぶっ飛ばそうよ」

「いや、それは流石に勘弁だな。僕はあれを何匹も相手したくない」

「…………自分で言っててあれだけどさ、やっぱり私もそう思った」

 

 軽口として出した話題のアイツが、一斉にこちらに向かって唇を突き出してくる光景を想像する。

 ……うん、生理的に無理。

 

 二人は仰向けの状態から立ち上がり、それぞれの得物を腰に戻した。

 

「…今更だけどさ、その脇差、鞘は作らないの?」

「ん?これかい?」

 

 妖怪にしてはちゃんとした服を着ている私だったが、腰の辺りの部分の布に脇差を突き刺してぶら下げている姿のお蔭で、台無しだった。

 

「鞘かぁ…。抜き身にしておいた方がさ、いざって時に直ぐに使えるでしょ?だから作る予定はないよ」

「いやでも、抜刀術ってのがあるくらいだし…」

「抜刀術?それはそっちの中で通用する言葉かい?」

「……いや、多分通じないと思う」

 

 やはり、修司は時々変なことを言う。妖怪には分からなくて、更に都市にいる人間にも分からないような知識。それを持っているということは、彼はあっち(都市)の中で賢者なのだろうか。

 でも、賢者というか、物知りな人間は、他にいた筈だ。

 彼と、彼の部隊が台頭してくる前は、彼女が森に来て私達を狩っていた。あの人も十分に凄かったが、今の彼には到底及ばないだろう。

 

 

 

 

 別れの前に少し言葉を交わし、彼とは別れた。

 

 居なくなっていった方角に首を回しながら、体は湖に向けて、脚をダランと水面に浸けている。

 ヒンヤリとした水温が、戦闘で火照った私の素足を心地よく冷やしていく。

 

「………やっぱり、修司は凄いなぁ…」

 

 首を正面に戻し、再び誰も居なくなった夕方の湖畔で一人言葉を漏らす。

 このカルデラは、私の領土なので、如何なる妖怪の侵入も許さない。それは部下によく言い聞かせているので、これからも、誰かがここに来ることは無いだろう。

 生まれて最初の頃は、ここも色んな妖怪が住み着いていた。その誰もが力の無い私を蔑み、罵り、足蹴にした。唯一救いだったのは、殺されなかったことか。

 

「私も、随分強くなったつもりだったんだけどな…」

 

 本当に強くなった。

 上には上がいると言うが、そんな言葉、私には当てはまらないと思っていた。この辺り一帯の大将となって、他の妖怪を統べるようになってからだろうか、私は、慢心していたのだ。

 武器は娯楽で作り上げたし、能力は勝手に力をくれるから研鑽なんて積んでいない。武術なんてのはもってのほかだし、これまで妖力さえあればなんとでもなった。

 

 あの青年(修司)が現れるまでは。

 

 彼に出会ってから、既に数十年が経過した。まだどちらも二連勝していない。どちらかが二連勝すれば、まぁ、互いにそれまでの存在だったということだろう。

 

「…にしても、あの特技は反則でしょ…」

 

 修司は、今までに見せてきた手札を全て覚えていて、次を完璧に回避してしまう。つまり、初見しか効果が無い。更に言えば、彼は私の技術をたった一回見ただけで完全に模倣してくる。彼と闘えば闘うほど、私はどんどん不利になっていく。

 あの無尽蔵の修得能力と、それを即座に転用してくる対応力。これは十中八九、能力だろう。

 もしこれがただの才能だとしたら、彼は本当に人間ではないかもしれない。

 

 私も大抵の事は見て真似ることは出来るが、それにも限度はある。彼との攻防の間に見た幾つかを、一か八かで挑戦して、運良く成功したこともある。

 しかし、彼は違った。

 修司は、私が見せた手札の全てを記憶し、次にはもう対応策を作っている。また、数秒前に使った技を、あちらが数段上手く使ってきたりと、修得の概念もあるようだ。

 

(能力名は、さしずめ『吸収する程度の能力』かな)

 

 私の能力も十分に理不尽だと思うが、彼の能力はそれとはまた違った方向で理不尽だ。

 

「人間に、あんな奴がいたなんてね…」

 

 確か、八意、だったっけ。彼女も十分に強かったけど、まだ私には遠く及ばなかった。

 彼とあの女が闘えば、間違いなく勝つのは修司だろう。彼の事だ、きっと霊力すら使わずに倒してしまうに違いない。

 

「……いや、買いかぶり過ぎかな?」

 

 一目惚れしてしまった相手だ、過大評価してしまうのも頷ける。だが、本当にそれは、己の惚気から来る誇張なのだろうか。私にはこれでも、長年の経験というものがある。実力を見誤るほど恋に耄碌した覚えはない筈だ。

 

(ふっ…。いざ自分の事となると、途端に分からなくなる。私もまだまだだってうことかな)

 

 カルデラの淵から覗く太陽がもう消えかけている。

 長く延びる影が、今日の終わりを知らせる。湖の大半が、影に覆い尽くされていた。

 

 私は湖に浸けていた両脚を引き上げ、腰に文字通り刺していた脇差を近くの茂みに隠した。

 私の刀は特殊な合金で出来ているので、適当に放っても傷まない。流石私の自信作だ。

 

「……うん、もう寝ようかな」

 

 

 

 

 私は、カルデラの中央にある湖を挟んだ反対側にある、小さな花畑に来た。

 ここにも、芝生のような草花が綺麗に整った湖畔がある。その奥に、森をくり貫いたようにポツンと佇む、小さな小さな花の群生地帯があるのだ。

 

 規模は半径20m程。白い鈴蘭もあれば、妖艶に咲き誇る紫蘭もある。色とりどりの蘭花が乱れ咲き、その光景は観る者の視線を捕まえて離さないだろう。

 手入れなんてものは一切されていないというのに、彼らはとても美しくその花弁を天へと広げている。

 あらゆる種類の花がこの花畑には存在しており、季節や気候に関係無くここに仲良く植わっている。

 ただ、私は花の名前を知らない。知っているものもあるが、それは極小数だ。知っているのは蘭という文字が付く花のみ。何故かは分からない。それは私を生み出した大地に訊いてくれ。

 

「ただいま、帰ってきたよ」

 

 森を抜け、月光に照らされて煌々と露を乱反射させている彼らに挨拶をする。

 

「さてと、私も寝るよ。今日は色々と大変だったからね」

 

 そのこじんまりとした花畑の真ん中に、更に小さな半径で、花の咲いてない更地があった。そこに私は身体を横にして、蹲るように寝る体勢をつくった。

 

「おやすみ、皆」

 

 彼らに今日の終わりを告げ、周りの静かさを肌身に感じながら目を閉じる。

 その声音には彼らを深く慈しむ優しさが含まれており、まるで家族に親愛を寄せるようだ。

 

 察しがつかない朴念仁でも気付くだろう。

 

 

 

 

 ──此処は、蘭が大地より産み落とされた場所。

 

 

 

 

 正に今、彼女が胎児のように眠っているその円形状の更地。そこから、地這いの妖怪である地代蘭は生まれたのだ。

 

 大地の代わりの存在ということで苗字は地代。

 その周りに美しく祝福を表しているかのような花畑からそのまま取り、名前は蘭。

 

 我ながら実に安直で素直な名付け方であると、苦笑いを禁じ得ない。だが、その他に何も無かった彼女にとっては、それでも十分だった。

 だが、自分でも分からない事がある。それは、己の存在価値だ。

 

 私は、何故生まれ、何処に向かうのか。

 

 大地に属する存在であるのは本能で理解している。自分が穢れの象徴である妖怪という事も、また、それを差し引いても周囲から忌み嫌われている事も。

 世界の全てが私に向けてその刃を光らせても、この場所だけは違った。

 ここにいる時だけ、自分の立場や(しがらみ)を忘れ、一人の女の子でいることが出来る。不思議と落ち着く場所だった。

 

(………どうなるんだろ)

 

 目を閉じ、神秘的なこの場所で安らかに眠ろうとしているというのに、何故か眠ることが出来ない。辺りは静寂に包まれており、虫の声一つすら聴こえない。

 この火山には誰も侵入させないようにしているので、気を張る必要もない。

 

 ────だとすれば、原因はやはり一つだろう。

 

「………修司」

 

 最早これは病的とまで呼称しても差し支え無い。いや、これしか考えることが無いので、こうなるのは必然の至りだったのだろうか。

 兎に角、一人でいる時、必ずと言っていいほど頭を過ぎるのは、彼、白城修司についてであった。

 

 彼の強さに心酔し、妖怪特有の血の気の多さに自分自身を自嘲する。ここ数十年、そんな事が四六時中続いている。双眸に光が宿っているのが、まだ至っていない(・・・・・・)証拠であるので、彼が危惧することでは無い。

 尊敬や羨望、競争心といった、とても好ましい理由から来る初恋の一過程である……と、彼女は自己診断している。

 

(あぁ……次も勝ちたいな〜)

 

 来たる二ヶ月後の戦闘に向けて、既に心が躍っている彼女だったが、今から就寝に入るということを思い出し、かぶりを振って興奮の抑えた。

 だが、それでも彼の事は頭から離れない。

 

 次の武器は何だろうか。

 今度こそ二連勝出来るのか。

 次回はどんな手札を切ってくるのだろうか。

 

 

 

 

 ────本当に次も来てくれるのか。

 

 

 

 

 嫌な予感がチリっと思考を焦がし、急いでそれをかき消した。

 

(…その時には、こっちから行っちゃおうかな)

 

 こういう時にこういう物騒な考えが出来るのは、流石妖怪である、としか言いようがない。

 今の関係が、ただの抑制の為だけではないことを、蘭は知っている。本人はそれを否定するだろうが、完全に無い…とは言い切れない筈だ。

 

 私は、それが異端である事と分かっていながらも、緩む頬を押さえられない。

 

(…はっ、これじゃあいつまで経っても眠れないじゃないか。妖怪の大将が聞いて呆れるよ)

 

 その可愛い寝顔を少し顰めながら、彼女は頭の中を必死に他事で埋め尽くす。

 でも、彼の事を思うことで感じる温かい幸せの体温が恋しくなり、またついつい頭を覚醒させてしまう。こういう時は本当に難儀だ。いくら実力があろうとも、自らの睡眠を制御出来る訳では無いのだから。

 

(うぅ〜。眠れないぃぃぃ〜)

 

 本当に難儀な夜である。

 そんな事を思いながら、彼女は今夜もまた、初々しく顔を朱に染めるのであった。

 

 




 

 何だか感想やお気に入り登録が一気に増えましたw

 様々な意見、とてもありがとうございます。
 基本、応援コメや質問コメにはできる限り返信致します。しかし、辛辣な感想にはどう返したらいいものか迷ってしまうので、しっかり読んで反省するだけに留めておきます(どんなコメも全て読ませて頂いております。本当にありがとうございます)。


 そろそろ本気であらすじの改訂をしようかな?と考えています。文面考えておかなきゃですね。


 次回は設定解説の回です。ではまた来週に~。


 

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